不登校、機能不全家庭、アダルトチルドレンについて、回復のヒントを書いています。
【不登校・それぞれの軌跡】(7)病名:小児うつ病(息子編〜その5)
2009-11-24 Tue 10:47

6月の下旬。
最初は、ただの疲れだと思っていた。
しばらく、ゆっくりしたら、熱も下がるだろうと。
しかし、朝38度あった熱は、夕方には、平熱になる。
夕方になると、元気になって、明日の準備をはじめる。
しかし、次の朝は、吐き気、腹痛、熱。
調子のよさそうなときは、車で送って行った。
最初は、週3回休み、次の週は、行ける日が少なくなった。
不登校という自覚は、全くなかった。
思いもしなかった。

息子を、かかりつけの小児科につれて行った。
そこで、はじめて、血圧の病気ですと、告げられた。

「起立性調節障害」

多くの不登校に内在する、心因性の病気。
当時は、まだ、メジャーではなく、マイナーな病名だった。
医者に、すぐに直る病気ではなく、長くなりますと告げられた。
「どれくらい・・・?」心が凍りつきそうな暗澹たる気持ちで聞いた。
「早くて、高校卒業くらい・・・」そう言われた。
出された血圧の薬だけをもらって帰った。

私は、共依存のA子に、とあるファミレスで、息子のことを話した。
A子は、血相を変えて、目を鬼のようにして、私のことを口汚くののしった。
子どもを、不登校にし、心因性の病気にしたのは、あんたのせいだと、言われた。

「不登校になったの・・・だなあ・・・」A子にののしられながら、どこか冷静な自分がいた。
もう、だめだな・・・
もう、終わりにしたい。
この人から離れよう・・・ぼんやりと思った。
私の中で、必死に守っていた何かが、がらがらと、くずれ落ちていった。

7月。
息子は、ついには、布団から、起き上がれなくなった。
食べるものも、ゼリー類を口にするだけ。
赤ちゃんのように、抱きかかえて、口元に、スプーンでゼリーを運ぶ。
息子が一口、一口をごくりと飲み込むたびに、安堵した。

生きることを拒否している・・・本能的にそう感じた。
ずっと、死にたいと思っていたのは、私のはずだったのに、
自分の子どもが、今、目の前で、死に掛かっている・・・

恐怖・・・。
助けたい。。。
この子を助けるには、どうしたらいい?
パニックに陥りながらも、それだけを、私のつっかえ棒にした。
そうしなければ、一瞬でもろともに、おぼれてしまいそうになった。

かと思うと、結構に、強気な私もいた。
楽天で、ブログをはじめたのもこの頃。
毒を吐きながら、強気を押し通す。
押し通しながら、砕けそうになる心を守った。
あの頃の記事には、そういう思いが、ぎゅっと詰められている。
懐かしさと、痛みとを感じながら、時折自分の書いた文章を読む現在。


その後、息子には、いろいろ試して、ホットケーキなら、食べられることがわかった。
小さなホットケーキを毎日焼いた。
一生懸命、必死で焼いた。
ホットケーキの苦い思い出。。。
息子が、ホットケーキを食べられたのは、
恐らく、子どもたちが小さな頃に焼いてあげた記憶に、
互いに助けられたのだろう。

すりおろしのりんごにも、助けられた。
私が、幼い頃、熱を出しすと、母と祖母が必ず作ってくれた。
病気のとき、いつもは冷たく感じていた母の愛情を、確認できた数少ない思い出。
それらが、つながって、私は、うつになった息子に、すりおろしりんごを、食べさせる。
かすかな、暖かい思い出が、私と息子をつないでいたのかもしれない。

息子は、後になって言った。
「おれ、固いせんべい好きだ。」
息子が、幼稚園の頃書いた母の日の私の絵。
息子が書いた私の絵は、両手にせんべいを持っていた。
「どうして、せんべいなの?」
つい最近、聞いてみた。
「昔、おれが、熱をだしたとき、何も食べられなくて、
でも、そのせんべいが、すごくおいしくて、記憶にのこっている」
記憶・・・
忘れていた記憶・・・おぼろげに覚えている記憶をたどる。
せんべい好きの息子に、食欲がないときに、買ってきたもの。
お茶につけて、柔らかくして、食べさせた・・・
そんな、親との記憶が、子どもに残り、わずかばかりの暖かさを伝えていたのかと、驚かされた瞬間。

そんな話をした次の日、息子は、草加せんべいを、一袋買ってきて、おいしそうに平らげていた。
こんな私を許してくれるのかと・・・息子と共有する記憶の暖かさに、救われる気持ちがした。
彼は、幼い頃から、かすかにそれを覚えていたのだろう。


その頃は、もう、学校は、とても無理だった。
学校なんか、どうでもいいと思った。。。
いや・・・元気になったら、行けると思っていた。きっと、必ず。

毎日、「今日は休みます」と学校に連絡を入れる。
この面倒なシステムは、不登校の親にとって、多大なストレスになる。
毎日、自分の子どもが学校へ行けないことを、自分に思い知らされながら伝えなければならない。
その確認作業は、別のプライドを作らなければ、とてもやっていけることではなかった。

不登校・・・

学校や、友達、担任、そこから抜け、別の道を行く、・・・誰もが知らない道。
それが、私を支えるプライドになった。

学校で学ぶものなんかない。
こんな、薄汚れた社会で、健全に育つはずがない。
担任の無力を、あざ笑った。
そんなとこは、まっぴらだ。
こちらから、おさらばだ。
精一杯の、プライドだった。
不登校プライドというものが、あるとしたら、きっと、そういうものだろう。
みんな、行ってる学校へ、自分の息子が行けない。
そういう悲しみを、外を攻撃することで、ごまかした。
当時の楽天ブログには、そういった気持ちが、たくさん吐露されている。

一月ほどして、息子は、精神科を受診することを望んだ。
「この苦しさが、楽になるんだったら、なんだっていい。病院へつれていって」と。
ふたりで、思春期科がある、近くの病院へ行った。
そこで、「小児うつ」という病名がつけられた。
その後、彼は、3ヶ月、思春期病棟に、入院を希望し、そして、彼は、入院した。

当時のことを・・・息子は、言う。
「家から離れたかった」
私の監視の目、ダブルバインド、形だけの家庭。それらから逃げたかったのだろう。
そして・・・親を傷つけそうになる気持ちを、離れることで、逃したかったのだろう。

入院先は、車で10分の場所であったので、ほぼ毎日のように、彼のところへ行った。
行って何をするというわけでもなく、海に散歩にいったり、病院を抜け出て、本屋や、つり道具を買いにいったり、他愛のない話をしたり・・・
穏やかな時間だった。
学校を思い出さない限り、私たちの関係は、良好にみえた。
息子にとっては、母親に甘えられた時間だったろうと感じる。

しかし、その頃から、彼がリストカットをしていたことに、はじめて気づかされた。
最初は、押しピンだった。
夜中に、看護婦詰め所に、押しピンで刺した手を血だらけにして、やってきた息子。
翌日、看護婦さんから、手首に包帯をしてもらった彼を抱きしめて泣くしかなかった。
死にたいという息子。
「・・・切りたいなら、お母さんの手首を切りなさい!」
狂乱して、そう言い放ったことを覚えている。

その後1年くらい、彼は、何度も手首を傷つけた。
そのたびに、泣きたい気持ちを抑えて、ただ、黙って、手首に包帯を巻いた。
どうにもしてやれない無力な親としての自分。
そのたびに、「どうして?」と無言の問いかけをし、哀れな目を息子に向けた。
困惑の目を息子に向けた。
同時に、息子のリストカットが、私に向けられた「拒否」だと感じた。
親として、否定されている・・・そう感じた。

なぜ、否定するの?
こんなに、心配してあげてるのに。
私を否定しないで。
こんなに、悩んでいるのに。
なぜ、いじわるするの?
あなたのことが、心配なのに。


この欺瞞が、おわかりになるでしょうか・・・
この欺瞞が、私自身をごまかし、私の歪んだ基盤から発せられていることが。
そして、歪んだ基盤から発せられた気持ちは、息子に、確実に届いています。

「お母さんは、ぼくのことを、心配していない。心配なのは、自分だ」
そういうメッセージを子どもは、直感的に受け取ります。

いつまでも、自分を受け止めてもらえない子どもは、
ずっと、ずっと、訴え続けていかなければならないのです。


否定されたと感じたのは、私の間違ったプライド。
それが、当時の私には、わからなかった。
息子をここまで、追い込んでもなお、私の傲慢さは、消えなかった。

「なぜ?どうして?おかあさんを、苦しめるの?」
あるときは、「勝手にすれば!」と、失望と、投げやりになる気持ち。
黙って手首を傷つける息子の訴えに、自分のプライドが傷つけられる気がしたのだった。

そして、退院した。
最初の病院の主治医は、入院中も学校へ行けと、何度も息子を促した。
息子は、確かに行こうと努力した。
一日は行けた。でも、次の日は、行けなかった。ずっと行けなかった。
家の洗面所で、ひざを抱えて、過呼吸を起こし、泣いているのを発見した。
募る挫折感。。。

私の中に、行って欲しいという気持ちと、行って欲しくないという気持ちが、入り交ざりはじめた。
行かせるのが、正解なのか?
それとも、休ませるのが、正解なのか?
さっぱりわからなくなった。
私が、混乱するから、息子も混乱するのか?

迷いに迷った時期だった。

息子は、「誰かが自分を殺しにくる」と毎夜のように、泣き騒ぐようになった。
ただ、抱きしめて、「大丈夫だから」と、押さえ込むしかなかった私。
夜中に、パニックになって、外に飛び出し、何時間も帰ってこない子。
誰かが、僕を呼ぶんだと、怖がる子ども。
壁にガンガンと、頭を打ち付けて、泣く子・・・。
好きなゲームも、一切する気力もなくなった息子。
ただ、眠っているか、食べているか、自分を傷つけるか・・・そのどちらか。
昼夜逆転も、逆転の逆転で、昼か夜かさっぱりわからない。
恐らく、統合失調症発症すれすれだった。

その頃、もっと専門的な病院へと、県外にある病院へ移った。

担当医に、可能性として、これから先、統合失調症の発症の可能性は、否定できないと告げられてた。

先の見えない泥沼。
息子の心が、わからなかった。
なきたいほど、分からなかった。
どうしていいかわからなかった。

一方で、私は、時間だけはあったので、ネットで、不登校のことを、存分に調べた。
本も、片っ端から読んだ。
とにかく、ここからの回復の方法が知りたかった。
なんでもいい、誰か教えてほしいと。
でも、ほとんどの本やネットには、解決法は、書いてなかった。

解決法というのは、いかに学校へ戻せるかという手法と、
東京シューレのように、学校は、とんでもない場所だから、自分の道を進もうという手法に分かれているように、感じた。
このふたつの手法の間でゆれ続けた。そんな一年間だった。


私は、息子が不登校になる前の一年前に、犬の病気の助け合いHPを作っていた。
そこで、かなり、救われていた私は、ネットの可能性というものは、身にしみて実感していた。
今、思うと、私がネットに入り込んだのは、今は亡き犬のおかげ。

私は、同じ不登校のお母さんと、交流をしようと思い立った。
そして、今のことを書きとめておきたいと思った。

2005年、8月 楽天にブログを作った。

その頃、不登校になる前・・・半年ほど前に、読んでいた、あるブログに魅せられていた。
それは、ひとつの布石だったのだろう。
後に、私に、インナーチャイルドのエクササイズを教えてくれた、たつさんのブログ。
その読者となり、コメントも数回書いたりしていた。
そのブログには、心に問題を抱える人たちが、たくさん集まっていた。
子どもが不登校になり、それ以前の布石があったこともあり、たつさんから
声をかけられ、チャットで話すようになった。
私が一番苦しいときに、声をかけてくれた方でした。
その後・・・何度も、折れそうになった時、絶妙のタイミングで
声をかけてくださり、そのたびに、救われた。
なぜ、苦しいのがわかるのだろう・・・
この人は、どうして、人の心を読めるのだろうか?
突っ張っていた私には、それが、不思議に思えた。

その謎は・・・、今ならわかります。
ブログには、その人の波動が、感じられるのです。
というと、とても、スピリチュアルな感覚ですが、
苦しい場所を通り抜け、そこから回復してきた人は、
必ず、自分を振り返り反省することをやってきています。
そこには、絶対認めたくないこともあったでしょう。
しかし、認めてしまわないと、そこから先に進めないのだと、
私は、エクササイズをやりながら、後に、思い知らされました。
自分を振り返り、自分を知ることで、人の痛みが、自分と共鳴し、
そこに、包み込む愛が、生まれ出ることを、たつさんから教えてもらいました。

その頃、子育てサークルも抜けて、A子と離れはじめた頃で、
息子の不登校と一緒に、完全に引きこもってしまった私でした。
人と会うのが、怖かった。
ここにまだ、自分の弱さをさらけ出せない、プライドの塊の私がいました。

プライドだけは捨てられない癖に、宗教問題と、A子の問題と、子どもの不登校と、AC・・・親への恨みで、私の頭は、ぐちゃぐちゃで、何が問題か、もう、さっぱり分からなくなっていました。

先が見えない・・・
不安・・・
苦しい・・・
さびしい・・・
死にたい・・
誰か助けてよ。
いつも、チャットでは、そう訴えていた私がいました。
そして、たつさんからは、方向性を示してもらいながら、かろうじて、正気を保っていた気がします。

その頃は、もう、愚痴のオンパレードで、たつさんも、受け止めることは、大変だったと思います。
やがて、愚痴というのは、不快の訴えであり、それは、何も解決を生まないことを知りました。
不快さは、結局のところ、自分を守るための一時の処方にしかなりません。
言えば言うほど、増大し、心は、不快さで覆い隠されてしまいます。
それらは、自分への言い訳であり、自分は悪くない、そういう記憶の操作をしていくのです。

一度、自分が訴えたい不快なことを、紙に書き出してみてください。
どれほど、気持ちが、自分以外の方向に、向き他者を攻撃しているかを、
確認できるのではないかと思います。
そして、それは、自分の心に、暗闇を作ります。
同時に、自分を守る盾になるのですね。


しかし、訴えたところで、相手は変わりません。
一生訴え続け、言い訳し、自分の人生を無駄にし続けますか?
他者に目を向けていても、それは、ごまかしであり、幻です。

そうやって、私も、ずっと・・・、数十年も、訴え続けてきました。
でも、何も変わりませんでした。

子どもの不登校で、そういうことを学びました。
たつさんとの会話で、そういうことを教えてもらいました。

私は、どうしたいか?
私は、なぜ、こう感じるのか?
その感情は、なぜ起こるのか?
執着とは、何か・・・
何を手放せばいいのか?

インナーチャイルドのエクササイズを行って、
子どもの気持ちを知りたかったら、自分を振り返ればいい。。。
それが、うっすらとわかってきはじめたのは、その2年後でした。

そんな情けない時代が、私にもあったのです。。。
今は、こんな、おおぼけ母ですが、暗く、寒い、氷河期が。

話、戻ります^^;

楽天ブログを書き始めて、それから、半年・・・、
ガイアックス(今はありません)に、不登校のHPを作ってみた。
楽天以外に、本音を書く場所が欲しくなりました。
そこは、不登校というより、A子との関係をクリアにしてみたいという気持ちもあって、ダークな吐き出し場所として使っていました。依存関係と言われても、何が、依存で、共依存なのか、さっぱり分からなかったから、書いて整理つけようと思ったのでした。
(ちっとも、整理にはなりませんでしたけど・・・当たり前ですが、不快の訴え場所で、終わっちゃいました)^^;

2006年春・・・。
そのガイアックスHPで、きんたろうさんの書かれた衝撃的な文章に出会いました。

なんだろう、これは!?
なんだか、よくわからないけれど、暖かい・・・
よくわからないけど、この文章に書かれたことは、真実だ。
当時、あまりクリアではなかった私でしたけれど、数ある不登校、心の問題を扱うサイトを読みつくしていた私が、本能的に、そこに書かれていることは、人の心を解き明かす仕組みだ。。。それだけは、直感的にわかりました。とても感動的でした。
やがて、いてもたってもいられなくなり、「ここにいるよ」という思いを無性に伝えたくなり、はじめてBBSに書き込みました。
それが、きんたろうさんとの出会いでした。
実は、恥ずかしながら、最近になるまで、そのことさえ、忘れていたんです^^;
(ごめんなさ〜〜〜い、あはは)^^;
その後・・・、きんたろうさんとの交流の中で、こてんぱんに、撃沈されました(笑)
でも、めげない私。。。いや、めげたんですけどね。ほんとは。
認めることが、できなかったんですね。
私には、そんな感情はない!って。
「くそ〜〜っ」と、対抗意識を秘めて、ブログを書いていました。
何度も、何度も、撃沈しながら、挑み、でも、きんたろうさんの文章には、すきがなく、全く、それは、無謀な戦いでしたけど。完敗して、すごすごと、退散したことも、何度もありました。
が、何気に助けてもらい、何度となく、支えられ、気づきをもらい、
ずっと、トゲ女を、見守ってくださり、私にとっては、ブログでの交流が、一等楽しい時期でした。
トゲを投げたら、自分の投げたトゲがそのまま返ってくるので、あれは、参りました^^;
でも、そのおかげで、知らず知らず、自分を見つめるきっかけをたくさん、もらっていました。
それらが、私を育ててくれたと思います。

そして、もうひとつ、
nakkoさんが、運営する「パーラーカフェ」という楽天ブログとの出会いがありました。
そこは、起立性調節障害が原因で、不登校になった親御さんたちのネットワークがありました。
今、現在「NPOアリス〜起立性調節障害親の会」のさきがけとなったブログでした。
そこで、いろいろな人のコメントを読み続けました。
記事も、nakkoさんの人柄が出ていらして、ほんとに、やさしく語りかけてくるような、安心できるブログでした。そして、その暖かさに惹かれて集まってこられる方々のコメントとして残される言葉をひたすらロムしていました。ロムしながら、この人は、なぜ、こう思ったんだろう?なぜ、回復されてきたのだろう?この人は、どうして、回復しないのだろう・・・じっと、見続けました。

回復する人と、しない人に、何の違いがあるのだろう・・・

それを知りたかったのです。(当時の皆さん、大変すみません)
でも、その経験が、後に、私を回復へ向かわせた礎になっていると思います。
このような幸運な出会いが、あったことが、今につながっています。

とは言っても・・・、当時の私は、楽天ブログで、必死に突っ張って、自分の辛さをだれ彼となく、ぶつけていました。
とにかく、毒の強い、強気のトゲ女でした(笑)
それは、きんたろうさんが、一番よくご存知です。
(当時は、大変ごめんなさい^^;)

落ち込んだかと思うと、プライドを塗り替えて、「ちくしょ〜」と、立ち上がっていきました。
私は、こうなきゃ、いけない、
私は、こうしなきゃ、いけない
私は、私は、私は〜、って、・・・・息子のことは、どこ行っちゃッたんでしょ・・・・^^;
執着、怒り、嘆き、憎しみ、傲慢、嫉妬、プライド・・・そんな、負の百貨店みたいな私でした。

そうしながらも、
「子どもを受け入れるって、いったいなんや〜??」と、
トゲだらけの心で、暴走したヤマアラシみたいに暴れていました。

そのトゲの大きさは、それまで、生育暦の中で、私が傷ついてきた分のトゲの大きさでした。自分を守るためのトゲでした。

それが、わかるのは、もっと後の話・・・

次は、「適応指導教室での出会い」です。


>>>この記事は、【不登校・それぞれの軌跡】の続きです。
(1)嫌悪の連鎖
(2)記憶の操作と罪悪感(娘編)
(3)記憶の操作と罪悪感(息子編〜1)
(4)壊れていく心(息子編〜2)     
(5)壊れた心(息子編〜3)
(6)番外編(息子編〜4)



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【不登校】それぞれの軌跡(6)番外編(息子編)
2009-11-19 Thu 11:12
設問へのコメント、ありがとうございました。
みなさんが、それぞれ、感じられたこと、それは、自分の心を紐解く大切な鍵となります。
大切に付箋をつけておいて頂きたいと思っています。

さて、息子は、なぜ、そのような行動をするようになったのでしょう。
我が家の場合を書き記しておきます。

我が家には、無数のトラップがあったと、前の記事で書きました。
このトラップは、今振り返ると、恐ろしいほどの矛盾がありました。

たとえば、お刺身の醤油の話が出ましたので、そのことを例にとりますと、
夫は、たっぷり醤油をかけます。私は、少しかけます。
で、夫に「かけすぎでしょ、それ」と、私のその一言で、ゲームがはじまります。
それから、夕食の場が、ゲームの場になり、台無しになっていきます。
子どもたちは、「また、はじまった」と、そそくさと、自室へ消えていきます。
別の日・・・息子も、無造作に、醤油をたくさん皿に注ぎます。
夫とのゲームに気が治まらない私は、言います。
「かけすぎ!」と。
しかし、私のかけ過ぎという感覚は、息子には、どれくらいが、かけ過ぎなのか、わからないわけです。
どれくらいかというと、それは、私のその日の感覚でしかないので、日によって違います。
子どもは、次第に混乱していきます。
一体、何が「丁度いい」のか、母親の顔色を伺うようになります。しかし、その日によって違う母親の気分は、「丁度いい」という感覚を探る息子は、次第に疲れてきました。
そして、「何もかけない」という選択をすることが、身を守ることになると、無力感、抑圧感とともに学ばざるを得なくなりました。

また、あるときは、サラダ。息子が好みのものをかけます。私は、最初に、「これは、このドレッシング」と、決めています。息子には、私の思う「このドレッシング」は、一体どれか、わからないわけです。
しかし、私の中では、作った段階で、決まっているので、思っていたのと違うものを先にかけられたら、違和感が、起こります。その違和感は、次第に怒りとなって、不機嫌さや怒りに変わります。

この違和感は、「私のもともと持っているルール」が、基盤になっていることから、出現しています。
私自身の歪んだ基盤の中には、源家族が、同じようなルールで、過ごしていたことを思い出させます。それらが、日常生活で、慢性的なトラウマを呼び起こします。

世代間連鎖。

その繰り返しを積み重なることで、息子は、「何もしない」ことが、「何も起こらない」ことを、学んでいきました。
そうして、いつしか・・・彼は、何もかけないことを、選択しました。
しかし・・・何もかけない状態は、やっぱり、おいしくないわけです。
そこで、彼は、記憶の操作をしました。
自分に言い訳を作りました。
「素材の味が楽しめる」と。
「カロリーが高くなる」と。
そう記憶を書き換えた時点で、かけないで食べることに、自分を納得させることに成功しました。
彼には、自分の心を守るために、誰にも攻撃されない、りっぱな大義名分が必要だったのです。
そして、それが、彼のルールになりました。
今、家庭の中のルールは、取り払われ、一人一人が尊重されるように、なりました。
世代間連鎖の内在した怒りは、ほどけつつあります。
息子は、やっと・・・自分で好きなものを、サラダにかけて食べることができるようになりました。
息子の奪われた心は、世代間連鎖の終焉とともに、息子のもとに、もどったということです。

これは、我が家の象徴的なことです。
なにも、調味料だけの話ではありません。
そのことを踏まえて、振り返りの参考にしていただければ、幸いです。


頂いたコメントに、「我慢」という言葉がありました。
ただ、我慢することは、人は、なかなか出来ないものだと感じます。
「我慢」を、自分に納得させるために、
「自分の歪んだルール」を作るのだと感じます。
そして、ルールは、昔からそこにあったように、記憶を書き換えます。
当たり前のように。空気のように。

しかし、こっそりと押し込めた我慢は、無意識に人にも我慢させることを、強要しようとします。
「感じないようにしよう」「見えないことにしよう」

だけど!

「だから、あなたも、そうしなさい」

これは、エネルギーの法則だと感じます。
入れた負のエネルギーは、負のエネルギーとして、放出され、
正のエネルギーは、正のエネルギーとして、出る。

世界は、そういったエネルギーの交換で、できているのではないかと、
そう感じます。

かつての被害者が、加害者になりうる、ということ。
それが、世代間連鎖の特徴だと感じます。

「どか食い」について、コメントにありましたので、追記しておきます。
息子の場合は、また、別のところでの、発散だったように、思います。
息子も、不登校をはじめた頃、
スナック菓子と、炭酸で、かなり、まるまるしたぷ〜ちゃんになりました。
素材の味どころか・・・、当時は、もう、めちゃくちゃな食べ方でした^^;
鬱屈した気持ちを、お菓子でごまかすように。

今は、食べたいから、食べる程度になりました。
まるまるとした体型は、すっかり、スレンダーになりました。

食べるという行為は、
「欲しい」という心の飢餓の象徴ではないかと、思うこともあります。
心と体は、密接に関係していると、息子を見ながら、
今、本当に思うことです。
「食べる」行為は、一時を忘れさせてくれます。
人を無心にさせます。
しかし、その後の自己嫌悪が、また自分を落ち込ませます。
食べることを、やめさせようとしても、それは、また、別のところで、代価を払うことになるでしょう。
過食・・・(欲しい)、拒食・・・(殺したい)、リストカット・・・(生きたい)
結局、生き残るための、究極の方法として、与えられてしまった最後の方法なのだろうか・・・と感じます。

死にたいは、生きたい。

殺したいは、愛したい。


根本は、同じ。

今、そう感じています。


。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+。.:*・゚+。.:*・゚

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【不登校・それぞれの軌跡】5.壊れた心(息子編〜その3)
2009-11-16 Mon 20:00
さて、いよいよ、佳境になって参りました。
って・・・(-_-;)

中学・・・思春期・・・親子ともに、鬼門ですね。


息子は、中学生になりました。
そして、なぜか、また、サッカー部に入りました^^;

恐らく、彼の後の言葉から推察すると、彼は、嫌だったけれど、
サッカー部にしか、入れないと、自分の枠を作ってしまっていたようでした。
この枠を作らせたのは、私です。

心理学のセリグマンという人が行った、有名な実験があります。
「学習性無力感」と言います。

かなり、むごい実験なのですけど・・・以下資料からの、コピペです。

健康な犬を電流の流れる檻に入れて苦しめ続けた。あるときようやく檻の柵を開放して、犬が檻から自発的に逃げられるようにしたのだが、実験者の予測に反して、犬は電流の流れる床にうずくまったまま檻から出ようとしなかった。長期にわたって閉所で苦痛を受けさせられた犬は、自らの自由を放棄した。・・・・・・未知の電流刺激に苦しむよりは、既知の電流刺激に耐え忍んだほうがまだ気が楽なのだ
参考までに、リンク元は、ここです。

人の無力感の作られ方が、如実に語られているのではないかと思います。

さらには、息子が中学へあがると同時に
私の勉強トラウマと、
「父親への嫌悪」で書いた、「やり返し」が、発動しました。
そのために、私は、息子に、サッカーではなく、もっと、楽な部活に入るよう、すすめました。
それも、また、巧妙に仕掛けられた、トラップとなりました。

口にこそ、出しませんでしたが、地元のレベルの高い高校へ行って欲しいという願いが、入っていました。世間体・・・見返したい気持ち・・・ありましたね。

それは、私が、自分の親から、無言の圧力で、された手法と同じでした。
「世間体」、「親の評価」、抜け切れない、高慢ちきな「プライド」。
源家族への、当てつけとやり返し。
どこまでいっても、私は、「歪んだ基盤」に、突き動かされて、
子どもを追い詰めていったのでした。

息子にとっては、母親のその見事な転身に、とても、めんくらったことだろうと思います。
あれほど、サッカー、サッカーと、うるさく言っていた母がです。。。
中学に入ったとたんに、今度は、勉強に、ターンシフト。

ボクハ、ドコマデ、ガンバレバ、イイノダロウ・・・
ボクハ、ナニヲ、ドコマデ、ガンバレバ イインダロウ・・・

次第に疲れ果てていく子ども・・・

しかし、彼は、母の提言を、振り切って、サッカー部に入ったのでした。
このときの、彼の心境は、後に聞いてみたことがあります。

「自分の居場所が、ここにしかないと、思い込んでいた」と、語ってくれました。

上に書いたように、無力感ゆえのことだったかもしれません。

それとも、一貫性のない母へのささやかな、反抗(当てつけ)だったのかもしれません。
そして、「最後まで、やれ」と、言った私の呪いの言葉に
縛られて動けなかった姿だったのかもしれません。

今は、そのどれもが、複合的に混ざり合い、彼を追い詰めていったのだと感じます。

中学2年。。。春。

いよいよ、彼は、無口になっていきました。

学校帰り、仲間から離れて、とぼとぼと、ひとり、下を向いて帰る姿を、私は、何度か目撃しているのでした。
それでも、目の前の子どもの姿は、私の目の中には、写っていませんでした。

言い訳になるのですが・・・、当時、悪いことに、
共依存の相手のA子とのことで、私は、精神的に一杯一杯になりつつあり、とても、子どもたちのことまで、心が向かなかったというのが正直なところでした。
子育てのサークルを運営しながら、自分の子どもを壊していった。

ひどい話しだ・・・。

眠れなくなった息子は、次第に、朝が起きれなくなっていきました。

当時は、夫が、毎朝、二階まで、子どもたちを
起こしに行くことが、夫の日課になっていました。
そのぐらいしか、子どもに関われなかった当時の忙しい夫は、
コミュニケーションのひとつだと、考えていました。

反対に、私は、遅刻や、朝寝坊には、ものすごく、寛容でした。
この点は、私の源家族が、遅刻や、寝坊には、無頓着だったということが、
影響していたのでしょう。

(ちょうどいい、という中間が、夫も私も出来なかったんですね^^;)

なかなか起きてこない息子と、起こさない私は、夫の感にさわるものだったと思います。
そういう夫の雰囲気を感じながら、私は、ドキドキしながら、ささやかに、抵抗を続けていました。

しかし、それが、また、夫のツボを刺激し、私への当てつけとして、
夫は、あからさまに、むきになって、子どもたちを起こし続けていた気配がします。

このような、くだらないゲームに、いつも子どもたちを巻き込んでいました。

これは、我が家の、象徴的な「ゲーム」の話なのですが、
「相手を許せないルール」が、それぞれの成育歴で違うのは、
当たり前といえば、あたりまえでしたし、
そのような「ゲーム」が家中にころがっていたわけです。

さらに、夫と私のふたり分の「許せないルール」が、家のあちらこちらに、
赤外線センサーのように、張りめぐらされているわけですから、
そのセンサーの網目をかいくぐって生活する子どもたちは、
それは、それは、大変だったことだと思います。

いくら、用心深く、網目に触らないように、していても、
あまりに、多すぎるのですね。
運悪く、どこにあるかわからないセンサーに当たる確立が高いのが、息子だったわけです。
センサーが反応して、「ブ〜ブ〜」と、大音量のブザーが鳴りひびく中、
バタバタと、多数の監視員がマシンガンを持って
自分を捕獲しようと、かけよってこられる図を想像してくださいませ。(笑)

映画や、ゲームのシーンで、よく、ありますよね〜。
こんな、恐ろしいことは、ありません。
ルパン3世ぐらいじゃないと、脱出できませんよね。

で・・・、当時、娘の方はどうだったのかというと、彼女は、そのゲームを避けるように、無関心を装っていました。自分の心を守るために、「関わらない」「見ないようにする」ことを、やっていたように、感じます。これも、また、問題ではあったのですが、当時、私には、娘の「冷たさ」として、写っていました。

話し、もどります^^;

恐らく、これは、子どもたちには、関係のない夫婦の問題でした。
振り返ってみれば、両方の心がちぐはぐで、互いに、隠した怒りを持ちつつ、
相手を服従させようとし、領域を侵略、攻撃ししようとする、陣地争いのような
そういった、家庭であったと思っています。

夫婦が互いに、歩みよったり、受け取ったりできれば良かったのですが、その間にはさまれた子どもたちは、自分の感情を受け止めてくれる人が、いなかったのでした。

私たちがやっていたことは、心理学の交流分析で言えば、「ストローク飢餓」の状態から起こる、「ゲーム」ですね。
ストロークとは、簡単にいうと、「感情の交流」です。

大人ももちろんそうですが、子どもたちは、相手の「感情や気持ち」を受け取ることで、心を豊かにし、愛を満たしていきます。
しかし、親から、無視されたり、マイナスのストロークばかりもらい続けると、
心が、飢餓状態になってきます。
そして、その心の渇きを埋めたいと思うのは、人が持つ自然の本能だと思うのです。
しかし、自分が、飢え、乾いている状態で出すストロークは、
悲しいかな・・「ちょうだい」であって、
「あげる」には、なかなか、なり得ない・・・。

そういう心の飢えがあって、陣取り合戦の「ゲーム」をしかけて行くのでした。

別名「ちょうだいゲーム」です。

ゲームのお題は、なんでもいいのです。
攻撃、いじめ、暴力、虐待、言葉の暴力、ハラスメント・・・

これが、さらに、自分のまわりの人たちをかき回し、心を引かせる原因となり、
孤立していく・・・
そんな家族の構造が、ありました。

そして、さらに、互いに、ストローク飢餓に陥る。
互いに、依存する相手に、「頂戴ゲーム」をしかける。
悪循環。

永遠に、満たされない心は・・・あとは、もう、自分を殺すか・・・人を殺すかの・・・
究極のゲームしか残らない。

今思うと、私も、夫も、娘も、息子も・・・・
そういうぎりぎりの淵を歩いてきたのだと思います。


まるで、救いようのない、不登校裏話なのですが・・・
こうして、一番の被害者である、息子は、
不眠症状から、発熱、嘔吐、腹痛を訴え、
2005年6月、中学2年。
体育祭の後・・・五月雨(さみだれ)登校となるのでした。


*その少し前の頃だったでしょうか・・・
息子は、サラダや、とんかつ、ハンバーグに、ソースや、醤油、マヨネーズ、ドレッシングなどを、かけないで、食べるように、なっていました。(それ以前までは、かけて食べていたのです)
当時の息子は、「素材の味を楽しめないから」と、言っておりました。

これが、どういうプロセスで、このように、なっていったか・・・
少し、皆様に、想像して頂きたいと、思います。
コメントに残して頂いたら、大変、うれしく思います。
コミュへの書き込みも、歓迎します^^

次に続きます。


         .。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+。.:*・゚+。.:*・゚

一体、どこまで、続くんだ・・・^^;こんなに長くなるはずは、なかったのですけど(-_-;)


。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+。.:*・゚+。.:*・゚

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【不登校・それぞれの軌跡】(4)壊れていく心(息子編〜その2)
2009-11-14 Sat 12:36
        記事内容を、部分的に追記しました
         *****************************

さて、話は、お稽古ごとに戻ります。

その後、息子のサッカーは、どうなったでしょう。
子どもというものは、自分が好きなものは、放っておいても、
片時も離さず、熱中するものです。
これは、大人でも、そうですね^^

しかし、好きでもないものを、これから、好きになろうと努力をして
さらに、一生懸命に頑張らなければならないことになることを、
恐らく、敏感な息子は、漠然と感じていたのだろうと、思うのです。
それは、やはり、普段の生活の中で、母親からの操作を、
何度も何度も繰り返し経験することによって、
彼には、そういう結末が、見えていたのだろうと、感じます。
それでも、母親に、自分を差し出す決心をした彼は、サッカー部に入ることになりました。

この瞬時の行動と思考は、息子がまだ、当時、10歳という年齢で
このような親との人間関係から学習したことが、
「他人との人間関係」の構築の仕方の基礎になっていったと思います。

自分を差し出す行為。

また、これが、彼の今後の学校生活や友人関係での、
つまづきの原因ともなっていったことでした。
かつ、それが彼の大切な自尊心を奪っていきました。


そして・・・、彼は、自分の精一杯な気持ちと、
削られゆく自尊心を抱えて、クラブを頑張ったのでした。
しかし、それは、誰からも認められることは、ありませんでした。

親の私から見ると、サッカーをやる彼の姿は、どこか・・・、
動きが、ぎこちなく、硬く、動きもワンテンポわざとずらしている・・・
そんな感じを受けました。
それは、まるで、ぎこちない操り人形のようでした。
普段の彼は、活発で、逃げ足も速く、実にすばしっこいのですが、
サッカーになると、上のような、チグハグさが、目立つのでした。

それは、次第に私をイラ付かせました。
「こんなに、一生懸命、役員や、お手伝いをしてるのに!
なぜ、力を出そうとしないの?」

怒りと批難と憎しみの目で、そう言ったものでした。

あげく、「本気じゃなかったら、やめなさい」
(ダブルバインド手法)
裏の声は、「本気を出しなさい。出さないと、見捨てるよ」
そう伝えていたことでした。

ACの人によく見られる傾向として、
動きのぎこちなさ、というものがあるのではないかと、
最近理解したことがありました。

私自身の経験から、抑圧された環境の中において、
自分で考えて動こうとする時、
怒りの電流がいつ飛んでくるかわからない環境があると、
心と体は、どう動けばいのか、次第に混乱してくるのではないかと思います。
心は、「いやだ」と伝える。
体は、「やらなければならない」と、動こうとするのだけれど、
心と体は、その命令系統の矛盾により、次第に、ぎこちなくなってくるように、思えます。
そのためか、彼は、生活全般も、そのチグハグさが、
多く見られるようになっていきました。

また、その頃から、目の前の物に、正面からぶつかるようになってきました。
建物のドアや扉に、ぶつかってしまうのです。
私は、当時、「あほやん」と、笑っていましたが、
これは、目線が下にあるせいで、
まっすぐ前を向いていないせいだったのだと、最近気づいたことでした。
目線は、心をも如実に語ります。

心が、抑圧されたり、ダーク方向へ向かうと、人の目線は、下を向きます。

これは、ある方から、教えて頂いたことで、とても、腑に落ちたことでした。

そして一年たち、彼は、小学4年生になったころから・・・
死にたいと思うように、なったと言います。
こっそり、包丁を手にとって、手首に当てることをはじめたのでした。
後に、彼は、そう述懐していました。
(彼の中で、親に対する怒りが激しく増幅していった様子が、わかります)

学校でも、先生に対して、反抗をはじめたのも、この頃。
彼は、高みから押しつけられる権威を、ひどく忌み嫌うようになりました。
暴力こそは、振るいませんでしたが、
言葉で、まっすぐに、先生に対して、矛盾を突きつけるので、
先生としては自分の内在する怒りを、息子の言葉によって引き出されるのですから、「いい先生」でいたい彼らが、息子を嫌悪するのは、当然のことだったと感じます。
結局、彼は小学校卒業まで、問題児というレッテルを貼られ続けました。
先生とて、人間。
自分の意識していない無意識の部分を、息子の言葉によって、
揺さぶられ、突き崩される怖さがあったに違いないと感じます。
息子は、長年の私との関係において、
相手の裏のメッセージを読み取る力を得ていったのと、
ほんとうなら、親に向けられるべき「怒り」を、他者に向けていったのでした。
彼の中で、作られた「歪んだ基盤に基づいた正義」は、
相手を攻撃する刃になり、
自分を守る盾になっていきました。

母親の私は、このような息子に手を焼いた先生からの電話に、苦慮するのでした。
そして、息子には、冷たい目で「黙っていなさい。我慢しなさい。」と、言い続けたのでした。
ここには、受容もなく、愛もなく、ただ、命令しかありませんでした。

なぜ、ここまで、私は、冷たい親であったのか・・
それは、私の生育暦にありました。
私自身も、機能不全の家庭で育ち、感情を「感じるな」と
封じられていたからですね。
その封じられた感情が、数十年も、解き放たれることなく、
私の中に、放置され、眠ったままだったのでした。
子どもが、生まれて、子どもが成長するにしたがって、
私の中の閉じ込められた感情が、時折揺さぶられるのを、感じました。
その関連記事として、「コップの記憶」を書きました。
揺さぶられるたびに、私の中の暗い闇の中から、のっそり、何かが、うごめくのを感じました。
そうして息子の訴えは、私の中のIP(内なる監視者)によって、
「感じるな」と禁止令が、発動させられ、却下されるのでした。
「感じないことが、幸せだ」
「何も、なかったことに、してしまえ」
「たいしたことじゃない」

そうしてしまわなければ、自分の本当の感情と向き合わなければならなくなる。
その怖さが、IPの禁止令を優先させたのでした。
これは、当時、私の心の中で、すべて無意識に行われたことです。


このことから、子どもが、人間関係を作るにおいて、
まず、人間関係の基盤である、親子の関係性を模倣し、
それが、子どもの人間関係の基盤に、なっていくのだということを、
鈍感を装った私は、後に、嫌というほど、わからせられることになったのでした。

さらに、その人間関係の構築の仕方の影響は、彼の友人関係も、大変、悲惨なものにしました。
相手の気持ちの裏を読み、その言葉を、そのまま、
相手に容赦なく突きつける彼は、次第に、協調性を失い、孤立し、
同級生から、うとましがられていきました。
守る者もいなくなっていきました。
いじめも、ありました。
いじめにも、「あなたにも、原因がある。関わるな、逃げなさい」としか言えない情けない親・・・

これは、感情の出口をふさぎ「黙れ」という禁止令の発動です。

さらには、「困らせるあなたが悪い」と、人格の否定が、潜んでいます。

その否定が怖いために、息子は、素直に、私の言うとおりに、「関わるな」を実行したのでした。
しかし、まわりは、もう、彼を放っておいてくれませんでした。

後に不登校になった息子は、泣きながら言いました。
「おかあさんの言うとおりにしたら、もっと、ひどいことになった。逃げられないから、困っていたんだ。結局、自分の身を守れるのは、自分しかいなかったんだ」と。
あの頃、自分のまわりは、すべて敵だったと。。。

人を受け入れる術を持たなかった彼には、なす術もなく、
自分の殻を強く固くしていくしかなかったのだろうと・・・
それが、どんなに、孤独で、辛かったことだろうかと・・・思います。

しかし、そのようなことは、当時、家庭では、彼の口からは、一言も出なかったのでした。
彼の中では、家庭や親は、安心な基地ではなかったのですから、当然といえば、当然でした。

おしゃべりで、活発な子は、いつしか、下を向き、うつむき、猫背になり、自らを隠すように、無口になっていきました。

そして、彼は、中学生になりました。

〜〜〜〜

次の記事のアップは、月曜日です。
次回は、少しだけ、心理学的視点も、いれた記事になっております。
明日は、日曜日ですね〜。皆様、楽しい週末をお過ごしくださいませ

               【追記】

皆様、コミュ、入ってくださって、ありがとうございま〜す^^
もし、まだ、迷って動けないでいる方、
その一歩を踏み出すと、何かが変わるかもね。
入っても、損はないっすよ。
入らなくても、損はない(笑)
どちらであっても、私も、得も損もしない。
選ぶのは、あなた^^ってことっすね〜。
でも、出会えたら、うれしいです。
ゲシュタルトの言葉の変化形(*^_^*)でした。
 
                .。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+。.:*・゚+。.:*・゚

>>>この記事は、【不登校・それぞれの軌跡】の続きです。
(1)嫌悪の連鎖
(2)記憶の操作と罪悪感(娘編)
(3)記憶の操作と罪悪感(息子編〜1)

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FC2コミュ二ティ参加者募集♪
2009-11-10 Tue 12:54
記事内の入室方法を追加しました。

**************

勢いあまって、コミュニティを、作ってしまいまスた(-_-;)

コミュ紹介の全文掲載しておきます。

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コミュ名:【あなたの心をまもりたい】
不登校・アダルトチルドレン・依存症・心の病で苦しむ方、
及びその家族・援助者のためのコミュニティ。
壊れていく心の仕組みと、回復するための心の方向性を皆さんと共に考えていきたいと思います。
まだ、思考錯誤途中ですが、お気軽に参加下されば、嬉しいです。
どうぞ、よろしくお願い致します〜。

.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+。.:*・゚+。.:*・゚

↓↓↓こちらから、アクセスしてね↓↓↓

http://blog80.fc2.com/control.php?mode=sns_community&process=community_detail&community_key=15025

注1;FC2ブログIDをお持ちでない方は、ログインできません)m(_ _)mごめんね
注2;FC2にログインしていないと、たどりつけません。たぶん



それでも、たどり着けなかった方は、
*管理画面→コミュニティへ入室すると、コミュニティ検索が、一番上にありますので、
そこに、「あなたの心をまもりたい」と、入力して、検索をかけてください。
もしかしたら、これが、一番手っ取り早いかもしれません。お手数おかけします。


と言っても、まだ、生まれたての、から〜〜んとして寂し〜い、秘境未開発地帯です^^;
というわけで、只今、参加者を 大大大募集 しております。

楽しい場所にしていきたいと

いや・・あの〜、管理人たちが↓、そもそもすご〜く、アバウトの上、コミュの機能が、いまいち、よくわからない状態・・・です。

そ・こ・で!

適当に^^; 行き当たりばったり、かつ、おおらかに

型にはまらない運営しか出来ません・・のでをしていきますので(←どんな運営やん^^;)、

面白そうだなあと思った方、どうぞ、お気軽に参加してみてくださ〜〜い^^

「参加する」のボタンを、ポチっと押してね♪(洗脳、洗脳・・・)
心からお待ち致しております〜(*^▽^*)ゞ

なお、不明な点がございましたら、なんなりと、ご質問くださいませ。

管理者【りんりんさん、きんたろうさん】です。
きんたろうさんの、コミュ紹介記事は→こちら

よろしくです〜 ヾヾ(*^▽^*)〃〃

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【不登校・それぞれの軌跡】(3)記憶の操作と罪悪感(息子編〜その1)
2009-11-09 Mon 09:16
今回は、息子編です。

息子の家庭での、役割は、「調整役」兼「ピエロ役」でした。
明るく、活発で、とんちが利き、場を和ませたり、笑わせたりする子でした。
家族の空気が、硬くなったり、凍りついたりする気配に、一等敏感で
先回りをして、わざと失敗をしてみせて、自分を差し出す子どもでした。
当時の私は、息子が、ただ、ふざけているようにしか、認識していませんでした。

今思うと、私は、そういう息子に、ずいぶん、精神的に助けてもらってきたと思います。
そして、不覚にも、甘え過ぎていたと思います。
敏感な子どもほど、状況を瞬時に判断する能力に優れ、色々な方法で、自分を犠牲にしながら、家族の歪みを和らげようとするのだということを、後に知りました。

私が、娘よりも、息子を視野に強く入れ始めた理由は、私自身の父親への嫌悪から始まり、続いて夫への失望を「(1)嫌悪の連鎖」で書いた通りです。

さて、息子が小学3年の頃でした。
その頃の息子は、ひとつ年上の姉の友達の女の子たちと好んで遊んでいました。
たまには、同級生の男の子たちとも、遊んでいましたが、どこか、楽しくなさそうで、無理をしているような感じを受け、そんな息子を、私は、いらついた目で、見ていたと思います。
私の理想の子ども像の中には、男の子は、仲間と外で日が暮れるまで遊び・・・という妄想が、ふくらんでいましたから、実際のゲーム三昧で、女の子と遊ぶことの多い息子とのギャップは、さらに、私をイラつかせました。

前回、お話していた通り、娘のお稽古ごとで、一度失敗(?)をした私は、それに、懲りて、子どもを操作することを辞めたかというと、反対に、今度こそは・・・と、リベンジを、やってしまいました。
懲りないりんりん母・・・。


          と!

今は、わかりますが、当時は、娘での失敗と、同じことを繰り返しているとは、全く気付いていなかったのです。それどころか、もっと、巧妙になっていっていました。
普通でありましたら、「同じことは繰り返さないぞ」と、学習しても良さそうなのですが、なぜ、そこんとこを、何度も繰り返そうとするのか・・・

おわかりになりますでしょうか?

AC傾向の強い当時の私は、元々の「心の基盤」が歪んでいますので、「同じことは、繰り返さない」と心に誓っても、どうしても、

「歪んだ場所からの出発」になってしまうのです。

まことに、やっかいな事であり、子どもたちには、はた迷惑なことだったでしょう。
小手先の方法は、変わったように見えても、
子どもを支配しようとする力の放出は、何も変わらないわけです。
ここが、同じパターンを繰り返す「身に付いた癖」のやっかいなところだと思います。

このような「思考の歪み」「基盤の歪み」は、強力なある一定の方向性を持ち、
残念ながら、AC的な依存的思考回路へ、気持ちを無意識に、持って行かれるのでした。
「歪んだ基盤」の引力に、引き戻されるまま、当時の私は、なんの疑問も持たず、息子への依存を強めていきました。

この思考回路は、息子が、不登校になって後も、しばらく続いていくのでした。
例えば、不登校の子を無理やり、学校へ、連れていく。
学校へ行って欲しい。
中学は、ダメだったけれど、高校は、ちゃんと行って欲しい。
普通に学校へ通えている子を見ると、辛くなる。
(辛くなると、書きましたが、見ることによって、比較・嫉妬の感情が、出てきます。目の前で、苦しんでいる我が子を目の前にしても、なお、捻じ曲げられた嫉妬という感情に、心を奪われていくのです)

さらに、不登校の事を学びはじめて、「余計なことを言わないようにしましょう」「そのままの子どもを受け入れましょう」などを、実行するに置いて、私の中には、「学校は、行かなくていいよ」という形だけの言葉とは裏腹に、「行けたらいいのに」という、気持ちが、同時に存在し、それは、二重メッセージとして、子どもに、伝わるという、悪循環を招きました。

この悪循環の間、子どもは、私の表面の言葉と、本心を全身で、探っていたことだと思います。
そして、母親の裏の本心を感じながら、絶望したり、落胆したり、苦しんでいたように感じます。
このような膠着(こうちゃく)状態が、二年近く続いたでしょうか。

その間、息子は、良くなったように見えたり、いきなり、ひきこもってリストカットをはじめたり、部屋の壁に頭を打ち付けたり、当時の私には、一体、何が子どもを混乱させるのか、さっぱりわかりませんでした。



さて、話は、本筋に、戻ります。

息子が小学3年の頃。
ある日、私は、ママ友に誘われていたこともあって、息子をサッカークラブに誘いました。
息子は、用心深く、考えて迷っているように見えました。

彼は、おそらく、
「サッカー部に入ること=りんりん母が喜ぶ」という事実と、
サッカーには、それほど、興味が無い自分に、どう折り合いをつけるか、小さな心で、悩んだことだろうと、思います。

そのとき、私が話したことと言ったら、今思うと・・・・%&#*なことでした。

「一度入ると自分で決めたら、貫き通すんだよ」←実は、私は、とても、あきっぽい^^;

「サッカーは、道具やユニフォームや遠征代に、お金がかかるんだから、がんばってくれないと」←実は、バレエよりも、格段に、ずっと、ずっと安い。

「やるんだったら、ちゃんと、最後までやってね。中途半端なら、やめといた方がいい」←これは、娘のバレエの時に、使った、ダブルバインドと同じ手法です。

きっと、息子の頭の中では、このように、翻訳されたことでしょう。

「やりなさい。最後まで、やりとおして、おかあさんを、喜ばせなさい。途中でやめることは、許さないよ、それは、私に対しての、裏切りだからね。そうなったら、もう、あなたのこと、愛さないからね」

翻訳しながら、我ながら凹みます(-_-;)

このような支配の仕方は、「真綿の支配」と呼ばれています。

それでも、小さな子どもにとって、母親は、絶対的な存在です。
そして、子どもは親から、常に、愛して欲しいと思っている生き物です。
これは、大人であっても、同じこと・・・母親というものへの憧憬は、どんなに、年を重ねても変わるものではありません。

ここから、

母親が喜ばないこと⇒親を悲しませることが、親への裏切り行為ではないかと感じる⇒罪悪感

という、図式ができるのではないかと想像します。

「罪悪感」というものは、誰しも、感じたくないものです。
こうして、母親に愛されたいと願う子どもは、自分の本当の気持ちを抑え込み、母親の気持ちに添うことを、嘘を言ってでも、選ばされるのです。

ところで、この「嘘」は、機能不全家庭では、起こりやすい子どもの状態ではないかと、最近思います。


私自身を思い返せば、幼い頃の源家族において、
嘘を言い続けたという感覚があります。
最初は、大した嘘ではありません。

例えば、学校の帰りが遅くなったとします。
親は、夕食の「時間」に厳しかったこともあって、不機嫌になるわけです。
「なんで、遅かった?」
「先生の仕事を手伝っていた」
「ふ〜ん」
という風に、親が納得し、かつ、自分の身を効率的に守る術を身につけていきました。
そして、その嘘を真実にするために、さらに、嘘を重ねなければならなくなるのですね。
しかし、当然ながら、時折、その嘘が、ばれたりすることもあるのです。

怒られたり叩かれたりされたあげく、「おまえは、嘘を親に言う」と、レッテルを貼られます。そして、監視の目は、さらに強くなっていきます。
しかし、親の怒りとルールから、逃れるためには、その監視の目をぬいながら、さらに、巧妙な嘘を
付かざるを得なくなるのでした。

そして、自分の口から出る、嘘で自分を傷つけていきました。
しかし、心と言うものは、自己防衛反応があるのでしょう。
それ以上、自分を傷つけると、自分が壊れてしまうという、ぎりぎりの選択の中で、
傷つくことを、最小限に抑えるために、嘘を真実にする必要が、あったのでした。
これが、やがて「歪んだ基盤」となるのではないかと、感じています。

そのような、ギリギリのバランスの中にいた、息子もまた
よく、嘘をついていました。

当時は、「嘘を言うな!」と、わが身も振り返らず、よく、怒っていたものでした。
それは、ほんのささいな、嘘でした。
小学生の子どもですので、当然、ばれる確率も高い。
しかし、上に書いたような、流れをたどり、彼もまた、たくさんの嘘を、心を痛めながら、真実にしていったのだろうと感じます。

やがて、彼は、思春期になり、「嘘」を真実にする、すりかえの作業で、罪悪感を深め、それを、「沈黙」ということに、変化させていきました。
ここで言う「沈黙」とは、思春期に多い、言葉数が、少なくなるということです。

「○○したの?」と問う私に、ただ、面倒くさそうに「ああ・・・」と、言って、自室へ戻る息子を、思春期だから、しょうがないわと、ため息なぞをついていた、りんりん母。

沈黙し、火種を隠すことで、誰も傷つけずに、済むということ、
私自身が、源家族の中でも、そのような、手法を使っていたことを、後に思い出し、子どもと、私の、生きざまが重なったのでした。

ここまで、読んで頂ければ、もう、おわかりになるでしょうか・・

罪悪感とは、本当は、子どもが、感じる必要のないものです。
もとは、母親から発生した、「私を悲しませるな」という依存的支配から、
一方的に子どもの側に、負わされたものでは、ないかと感じます。
こうして、多くの不登校・アダルトチルドレンが、この罪悪感で、後に苦しむことになるのではないだろうか。。。そう感じています。


この関係を、「共依存」と、呼びます。

長くなりましたので、続きは、次回へ。


>>>この記事は、【不登校・それぞれの軌跡】の続きです。
(1)嫌悪の連鎖
(2)記憶の操作と罪悪感(娘編)
 
▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲

前回の記事(2)では、たくさんの拍手と共感を頂き、大変ありがとうございました。
記事の真意を読み取って下さり、ありがたく感じております。
この場を借りまして、お礼申し上げます。

なごみ系お・ま・け
↓↓↓

CA3C0095.jpg

CA3C0097.jpg

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【不登校 それぞれの軌跡】(2)記憶の操作と罪悪感(娘編)
2009-11-04 Wed 09:37
前回は、夫を中心に書いてみましたが、今回は、子どもたちを主に、不登校の軌跡を書いてみたいと思います。

前回では、かつて、早期教育に深くはまり込んだ事実と、理由を書き綴りました。

その流れで、娘は3歳から、バレエを習いはじめました。
当時は、娘が好きで習っていると、私は、「思い込んでいました」
娘の好きなことに、付き合う、いい母親。その満足感に酔っていました。
この全く、疑いもしない、「思い込み」について、今なら分かる、その当時の「記憶の操作」について、私なりの解明してみようと思います。

まず、「私は、娘が、自主的に習っていると、思っていました」というところですね。
常識的に考えて、3歳の子どもが、自分の習い事を、選び取る力が、あるわけはありません。
子どもは、無駄な遊びが、大好きですし、自由が好きであり、大人のように、行動に制限がなく、とても、無邪気な生き物ですね。
しかし、私は、それさえも、分からなかったのです。
当時、笑顔が少なく、無口な娘を、バレエを通じて、自分を表現することを学んで欲しいと、もっともらしいことを考えていました。


しかし、今思いますと、それは、後付された理屈であったと、感じています。

実のところ、私自身のコンプレックスから始まっていることでした。
アダルトチルドレンというものは、往々にして、運動が苦手な人が、多いような気がします。
もれなく、私も、そうでした。
*なぜ、そうなるか・・・最近になって思うところがありますので、ひとつの仮説として、また後ほど解説していきたいと思います。

当時、私は、何か、得意なものが、あれば、私のように、コンプレックスを抱かずに済むのだと、単純に思っていました。
その流れで、私のプライドを満足させるもの、かつ、華やかなものとして、バレエ=女の子というものが、私の頭の中に、形成されていきました。

この思考回路は、実にAC的だったと、今は思います。
自分の果たせなかった夢を、子どもに、かなえてもらうという、他者依存であり、母子カプセルの形ですね。

そして、娘をバレエ教室に、つれて行ったのでした。

次の会話を、ご覧ください。

(バレエ教室の見学が終わって)

母「きれいねえ、やってみたくない?」

娘「・・・うん」 

母「じゃあ、やってみる?」

娘「うん」

母「やってみたいんだね」

娘「うん」


普通の親子の会話ですね。

さて、たったこれだけの会話の中に何が潜んでいるのか、みてみましょう。

「バレエ、やってみたくない?」と、聞くりんりん母。

その顔は、「いやって、言うんじゃないよ」と、選択肢が無いことを、
目で示しながら、同時に、
口にだす言葉は、子どもの気持ちを尊重している言葉を出しています。

これは、ダブルバインド(二重メッセージと言います)です。
子どもが一番混乱する、メッセージです。


このとき、子どもは、日常では、常に、このような母親とのやりとりで習得したことを実践します。
母親の眼差しと、母親の表情を読みながら、
「うん」というしか、選択権が、ないことを知っているわけです。
また、子どもは、よく分からない状況に置かれても、親の喜ぶ顔が見たいという気持ちは、世界共通のことでしょう。
そのすべての情報を、分析しながら「うん」と言うことを母親が、望んでいるということを、知るわけですね。

次に、りんりん母は、「やってみたいんだね」と、子どもに、その言葉を返すことによって、「自分で選んだのだ」と、子どもは、自分の記憶を瞬時に、書き換えるのです。
また、そのことによって、責務を、子どもに、背負わせることになるのです。

ここで、子どもを、「共犯者」にしました。

この後、りんりん母は、さらに、「あなたが、好きで選んだのだから、がんばらなきゃいけない」と念押しの刻印を押します。

これが、後に、「証拠品」になります。

「証拠品」というのは、もし、娘が、さぼったり、怠けたりしようとした時、
「自分が、好きでやってるのだから、がんばりなさい」
という、印籠を、りんりん母が、懐に持っているということです。

さらに、記事のはじめの方で、

「私は、娘が好きで習っていると、思い込んでいました」と書きました。

これは、私にとって、当時は、疑いようもない「真実」だと思っていたのでした。
なぜ、このような「嘘」が「真実」に、変わったのか?
私は、このような流れで得た「偽者の証拠品」を「本当の証拠品」にするために、
娘の記憶ばかりではなく、自分の記憶をも、瞬時に、書き換える必要があったのでした。
このような、記憶の操作は、いともたやすく、嘘を真実にできるものなのです。

この、恐ろしい「記憶の操作」の流れが、おわかりになりますでしょうか・・・。

子どもは、自分の感情や気持ちを封じられたあげく、母親の意思を自分の意思として、それに、従わなければならなくなります。

この記憶の書き換えは、多くのアダルトチルドレンに、共通しているものではないかと、最近では思っています。
「する方(ゲームを仕掛ける立場)」は、バリバリのアダルトチルドレン、される方(トラップにはまる立場)は、アダルトチルドレン予備軍です。
人は、「自分が育てられたように」、そして、「自分がされたように」子育てをしてしまうものなのでしょう。
なぜなら、それが、身に付いた癖(パターン)だからなのでしょう。

そして、そこから、「された方」には、やがて、罪悪感が、生まれてくるのです。

なぜでしょうか?

記憶の操作をされた子、親のダブルバインドに、触れた子は、
自分が選んでいないもの、もしくは、それほど、興味の無いものを、
好きなフリをして、やっていかなければ、ならないのですね。
しかし、いい方向にいけば(たまたま、好きだったとか)いいのでしょうが、
往々にして、そのように、書き換えられたものは、
自分の意思に反するものが、多かったりします。
そのあげく、「本当は嫌い」なのに、書き換えられた記憶と、
母親を守るために、「好きなふり」と「つもり」でならなければ、いけなくなってきます。
そのようなことは、何も、習い事だけではなく、
生活のいたるところに、当たり前に、存在していたのではないのでしょうか。

しかし、そのような、習い事や、生活は、長く続くわけがないのですね。
やがて、習い事も、習熟度が増していけば、いくほど、自分の涙ぐましい努力が、必要になってくるものです。
そこで、「嫌だ、やめたい」と、言えればいいのですが、それが、出来ない。
なぜなら、母親の気持ちを先読みして、悲しむことを知っているからですね。

子どもにとって、
やりたくないことを、しなくてはいけない葛藤。
それは、自分のためではなく、親のため。
自分の気持ちを押し殺す子ども。
感じたらいけないと、自分に禁止令を出しながら、
本当の自分の気持ちを、押し殺していく。

しかし、母親は、敏感に子どもの気持ちを察しながらも、
認めたくない事実に、「どうして、もっと、ちゃんとしないの?」と、次第に子どもを問い詰めていく。
そして、子どもは、次第に、母親の期待に添えない自分を感じていく。

もし、たまたま、うまく、出来たら、「お母さんの言うことに、間違いは無かったでしょ」と、母親は、ご褒美である、刻印を押す。そのご褒美によって、さらに、母親の重荷を受けていく子ども。
どちらにしても、苦しい選択を、子どもは、果てしなく、し続けていかなければならないのでした。

子どもは、残念な自分と、期待に応えようとする気持ちに、心が引き裂かれながら、
なおも、愛されたい、愛してもらいたいと、愛を乞う。

親への裏切りの気持ちが、罪悪感を持たせ、
さらには、自分の気持ちへの裏切りが、
自分の存在を殺していく、このシステム。


母親自身は、どこかで、子どもの気持ちを、本当は、知りながら、
知らないふりを続けていく。
理屈だけを、上付けしていき、子どもの心を巧みに操作し、
両者が、本当の事実や気持ちが、さっぱり見えなくなっていく。

操作された子ども、依存する母親、それらは、
潜在的な「罪悪感」になっていくのではないかと、
自分の過去を振り返りながら、現在、思うことです。

また、これが、「子ども=アダルトチルドレン予備軍」として、後に、「自分の感情がわからない」「人との境界線が、わからない」「自分の本音を言ったら、いけない」という、その礎になるのではないかと、思うのです。

こうして、両者が、愛を乞う、悲しい連鎖が、始まっていくのでした。
私は、これを、「完全犯罪」だと思っています。

次は、息子編、です。


      この記事は、 (1)嫌悪の連鎖の続きです。

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別窓 | 日々徒然 | コメント:14 | トラックバック:0
おかえり・・・新たな始まり
2009-11-01 Sun 12:26
昨日、最後の出勤でした。

勤務中は、明日から、自分が、ここに、いなくなるという、感慨にふける暇もなく、
相変わらず、忙しく、仕事をこなしました。

5時、退勤ボタンを押して、終礼。その後、自分の荷物を、すべて袋に入れ込んで、
最後の資料を、次の担当者に渡し、残務整理。

パートとして、バックルームの内側を見るのは、これで最後。
フロアへの扉を開け、バックルームを後にした。
「関係者以外、立ち入り禁止」の文字を背にして
送別会会場へ、直行。

会場に着くと、昨年辞めた、懐かしい顔も、揃い、驚きと、嬉しい再会。
こんな時じゃないと、会えない面々。
久しぶりに元気に、自分の道を歩いている姿を見れて、嬉しい。
忙しい中をかけつけてきてくれた、元仲間たち、現仲間たち。

学生たちも、ラスト業務が終わって、急いでかけつけてきてくれた。

「お母さんみたいだった」

泣きながら、そう言ってくれる女の子。

「自分の子どものような気がしていたよ」と私。
(ウルウル)

みんなから、大きな大きな花束を頂いた。
それと、ダイソー商品、詰め合わせセット(笑)

「楽しかったよ。
ミスも多かった私でしたが、笑って許してくれて、ありがとう。
ここで、みんなと、働けて、とても、とても、幸せでした。
私たちは、みんなで、力を合わせて、一人前でした。これからも、リーダーを助けて、いってあげてください。ほんとに、ありがとう。お世話になりました。」


涙ぽろぽろ。


「あのとき、りんりんさんの言葉で、肩の力が抜けたんです」
そう、泣きながら言ってくれる、新婚2年目の子。

「明日、かぎ当番だよ〜」と、涙目で言うリーダー。

オイオイ・・・(笑)

「中和剤がいなくなるよ。。。」としんみりと、言ってくれる子。
「今度は、あなたが、その役目をするんだよ。大丈夫、数年前から比べたら、めちゃ成長しとるよ」

「りんりんさん、その仕事のスキル、捨ててしまうのは、もったいないですよ」という人。
「捨てるんじゃないよ、得たものは、別の形で、次に活かせるからね」と私。

ひとりひとりに、つながる想いと言葉を、贈る。

私は、この場所に、この仲間たちと、過ごせて、本当に、幸せでした。




で、みんな、車なので、誰もお酒を飲んでいないんですが、
酔っ払いよりも、酔っ払ってました(汗;
みんな、脳内が、擬似酔っ払い状態に、なってたかもです。
なんか、その勢いで・・・誰かに迷惑電話した気が・・・・
気のせいか・・・笑・・・オイオイ^^;

隣の座敷で、やはり、送別会で、酔っ払っている人たちの集団に、
なりゆきで、なぜか、博多一本締めを、してもらいました(笑)

一次会が終わると、それから、さらに、仲のよかったメンバー7名くらいと、近くのショッピングセンターの屋根つきベンチに座り込んで、缶コーヒー飲みながら、わいわい。
懐かしい失敗談に、花を咲かせ、愚痴を面白おかしく変換したりして、
笑い転げていると・・・

すると・・・怪しい不良グループの集団と思われたのか・・・

夜回りをしている、警察官3名に、職務質問されそうになりました(笑)
「早く、かえんなさいよ〜」と。
いや・・未成年じゃないんで・・・(汗;

それから、夜中2時過ぎに解散となりました。


ひとつのことを、終わらせるということは、私にとって、とても、勇気のいることでした。
この場所から、いなくなる私。
でも、それは、次の始まりのために。

精一杯やった。
全部ではなかったけど、かつてでは、考えられないような、満足するだけの、人との関係を作れたこと。
「悔いは、無い」という言葉が、はじめて、分かった気がした。

今まで、いつも逃げ続けてきた。
でも、今は、逃げるという感覚が、ひとつもないことを確認できました。

新たな、始まりを、
「おめでとう」と、言ってくれた人。

ひとりひとりの、出会い、
ひとりひとりの、想い、
心の中に咲く花・・・忘れません。

一期一会。

頂いた花束が、部屋中に、優しい香りを充満させている、穏やかな朝でした。


そして、ただいま。

CA3C0009.jpg

***********************

メールやブログを通じて、暖かいメッセージを、本当にありがとうございました。
とても、とても、嬉しかったです。
私は、過去も、現在も、そして、未来も、人に助けられ、人に支えられているんだなあと、
暖かい涙がこぼれます。
そのことが、私の生きる力に、なるのです。

これからも、どうぞ、よろしくお願いします^^
心からの感謝を込めて。

。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+。.:*・゚+。.:*・゚

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別窓 | 日々徒然 | コメント:10 | トラックバック:0
【不登校・それぞれの軌跡】 1. 嫌悪の連鎖
2009-10-29 Thu 02:22
しばらく「不登校・・・それぞれの軌跡」として、息子と家族の、不登校経験を、振り返って、書き綴っていきたいと思います。
それが、私の生きてきた証になるのかもしれません。
そんなことを、思っています。

また、何度もお伝えしておりますが、経験上、不登校と、アダルトチルドレンの問題は、密接に関係している、ということを、前提に書いていますので、不登校だけの問題では、ないということも、ご理解して頂ければ、より、記事が分かりやすく、なるのではないかと思っています。

                                 りんりん

      .。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+。.:*・゚+。.:*・゚ 。



【不登校・・・それぞれの軌跡】

(1)嫌悪の連鎖


子どもたちが、まだ、幼稚園以前の頃。
私は、早期教育というものに、どっぷりと、はまりました。

その頃の私は、
新興住宅地に、家を購入したばかりの頃でした。
近所の公園で知り合った、ママ友たちと、
子どもたちを、遊ばせながら、他愛のない話をしたり、
互いの家を行き来して、お茶会をしたり、
子育ての悩みを相談したり、
そんな、ふつ〜の暮らしをしていました。

な〜んて、嘘です。(笑)オイッ・・・

一見、大勢の一部でいても、1人でいても、言いようのない、「普通の暮らしの中の孤独感」が、いつも、私の心の中に、ありました。

表面だけの、お付き合い、

まわりに、合わせる苦痛。

誰かを悪者にして、結束を固める、閉塞したママ友関係。

人の言葉や行動に、裏の意味を感じる。。。

そういうものに、いつも怯えていた気がします。

そんな、表現しようのない不安な気持ちを,、毎日、唯一家族の中で、言葉が通じる夫に向かって、訴えていたような気がします。
きっと、夫には、その訴えの意味は、さっぱりわからなかったことでしょう。
当時は、今と違って、私自身、自分が、何を感じているのか、さっぱり分からなくて、ただ、なんとなく、不快な気持ちだけが、心を占領していたのですから、「分かれ」と言う方が、無理だったのだと思います。

さらに、心の闇を抱えた当時の私にとって、「我慢」と、「苦痛」と、「孤独」に折り合いが付けられず、その比重が、普通の人より、大きかったのだろうと感じます。

子どもたちが幼稚園の頃・・・
あるママ友に、そういう心の内を、思い切って相談したことがありました。
その返事は、「病院へ一緒に、行ってあげようか?」でした。

誰にも分からない苦しさ・・・
その苦しさを、「きっと、誰にも分からないのだ」と、あきらめと共に、妙なプライドに置き換えて無理やり自分を納得させることしかできませんでした。

そんな風に、アダルトチルドレン特有の、「人と自分の間に、意識的に、壁を作っていた」私にとって、「子ども」という存在は、私の孤独を埋める、格好の道具になっていきました。

それが、早期教育に、はまった理由でした。

用意された言い訳としては、「子どもの将来のため」。
本音は、「母親としての、自分の存在を、世間に知らしめるため」であったろうと思います。

なぜ、早期教育だったのか・・・?

かつて、私の生育暦の中に、両親の勉強に対する、異常なほどの熱意が、ありました。
常に、監視されている状態で、勉強への、言葉や、暴力での追い込み方は、半端ではなかったと感じます。
たぶん、私の親たちも、私を使って、自分たちの満たされなかった心を埋める、勲章にしたかったのだろうと、思います。
愛は、ちゃんと、あったはずなのに、うまく、それらを、伝えることが、出来なかった人たち・・・
今は、そう、感じています。

そういう生育暦の中で、親から受けた、「いい子であること=勉学に励むこと」は、やがて、子育てをする私の中で、別のことに、変換され、残り続けていくことになったのでした。

「子どもには、勉強を、無理強いしない」

そういう決め事(ルール)を、私は、持っていました。
いや、実際のところ、早期教育は、りっぱな、お勉強なんです。

当時の私は、早期教育は、勉学ではなく、勉学以前のものであり、勉強が、少しでも、ラクになるようにと、そういう、礎があれば、子どもも、将来、楽であろう・・・、
私のように、勉強で、苦しまなくてすむであろうと、考えていました。
もっともらしい、理論付けをもって、実は、親と、全く同じことをやっていたと気づかされたのは、息子が不登校になった以降でした。

このように、ACの場合、親から、伝わった様式は、変換された意識となって、生活のいたるとこいに、存在する気がしています。

なんとも、苦し紛れの、矛盾だらけのルールが、多かったことか。。。

これは、私自身の親と同じく、「自分が満たされなかった思いを、埋めるため」の、実の親たちへの、無意識の、やり返しでもあったと思います。

「私は、こんなことされて、辛かった。だから、子どもたちには、絶対、そういうことは、しない」

「あなたちの子育ては、間違っていた。私は、こんな、いい方法で、育てられるんだ。」

という、無意識の怒りのやり返しとプライド。

「極」から、「極」の思考ですね。ゆがんだ基盤がなせる業です。

何より、そういった怒りの転移をされた子どもたちは、それを、敏感に感じたことでしょう。

また、それは、同時に、誰かに、「自分の存在を受け止めてもらいたい」、「この怒りを沈めて欲しい」。。。という果てない渇望でもありました。

その欲求が、子どもだけではなく、当然、同じ家族である夫にも、「期待」という形で向かい、「夫や子どもを、自分の思い通りにしたい」、「理想の父親・子ども」、になって欲しい」という気持ちへに、拍車をかけていったのでした。
その「期待」を実現するために、私は、家庭に、無言の圧力という、ルールを、せっせと、作り始めたのでした。
自分の家でしか、通用しない、おかしなルール、皆さんの家には、ありませんか?


まだ、子どもが生まれていない頃・・・私たち夫婦は、テニスに、熱中していました。
しかし、子どもが生まれた後、当然、私は、子育てで、テニスどころではなくなりました。
けれど、夫は、私にとって、貴重な日曜日は、毎週テニスへ行く。
常に子どもと向かい合っている私にとって、日曜日に夫が、好きなことをしているということは、許しがたいことでした。
土・日曜くらいは、子どもをお風呂に入れてもらいたい。
年子だったということもあって、二人の乳飲み子を同時にお風呂に入れる仕事は、一番工夫を必要として、また、疲弊することが、多かったと、当時を振り返って感じます。

しかし、いつも帰宅が、夜中12時を回る夫にとって、テニスは、唯一の息抜きだったろうと思います。

そこで、夫婦の攻防戦が、勃発しはじめました。

第一ラウンドの始まり。

今、思えば、素直に、自分の気持ちを伝えれば済むことだったのかもしれません。
が、「いい妻」というプライドが、それを許しませんでした。誰かに、助けを求めるということも、プライドが許しませんでした。
ちんけで、くだらないプライドでした。
我慢に我慢を重ねて、ついに、業を煮やした私は、次第に、私は、「あなたが、私の思ったとおりにしないと、処罰を下す」、という方法をとるようになりました。
これなら、自分のプライドも守れ、かつ、相手に効果的に、影響を与えることが、できる。
誰から、教えられた方法でもなく、身に付いた方法として、それが、自然に、出来るのでした。

たとえば・・・すごくわかりやすい例ですが、
年末になると、「忘年会」が、連日重なります。
自由にならない我が身、うらやましさが先立ち、苛立ち、物に当たったり、子どもに、わざと、不機嫌さをぶつけたりするわけです。
さらには、ふっと、黙り込んだり、家事を放棄して、本を読むことに、没頭したり、ドアの開け閉めの音で表現したり、お茶碗を、割ってみたり、そういうことで、表現するようになったと思います。
次第に、夫は、テニスに出かける頻度が、少なくなっていきました。
それでも、忘年会や飲み会が好きな人なので、(会社の付き合いもあるので)、ほとんど、変わりませんでしたが、夫にすれば、ひとつを捨て、一つを選んだのでしょう。
そういう生活の細かいところで、夫は、私から、何を捨てるか、常に選択を迫られていたのだと、思います。

しかし、そういう私の操作性の不快な気持ちを、夫は、また、別のところで、やり返しの不快として、私に訴えるようになりました。

たとえば・・・、部屋を掃除していない、とか、
お茶碗を洗っていないとか、
洗濯を毎日しろとか、
今、考えると、実に、しょうもないことで、証拠を突きつけ、
反撃してくるようになったのでした。

相手を変えたい私。
相手を変えたい夫。

どちらも、負けない理論で、証拠を突きつけていく。

ここは、戦場か!?
売り言葉に、買い言葉。

子どもたちは、後に、言う。
毎晩、お父さんとお母さんが、言い争っている声が、とても、嫌だったと。

こんなはずでは、なかった・・・

しかし、私は、「子ども」という、りっぱな大義名分を手に入れたことで、最強の武器を手に入れたのですから、私には、相手を責める「正義の言葉」は、いくらでも、あったのでした。

その頃は、夫も、会社では中堅どころとなり、家庭まで、精神的にも、体力的にも、手が回らなくなった頃でした。

やがて・・・、夫が会社に取られる時間が多くなるほど、私は、子どもにのめりこんでいったのか、
私が、子どもにのめりこんでいったから、夫が、会社に、のめりこんでしまったのか・・・
今では、もう、どちらが先だったのか、わからないけれど、爆弾を仕掛けたのは、私の方だった気がします。

そうやって、互いに気持ちがすれ違っていった。

そうして、互いに、言って欲しくない言葉を突き刺すように、なった。

壊れていく、バランス。
そういう背景があって、私は、夫を見限るように、当てつけのように、子どもの早期教育から始まり、次には、習い事に熱中していった。

おそらく、このような見えない部分で、互いを縛りあう、ルールの攻防戦は、不登校の大体の家庭で起こっているのではないかと、最近感じるのです。

これでは、家庭は、緊張状態ですね。
また、さらに、次の段階では、この出来上がったルールの正当な裏づけが必要になるわけです。
なぜなら、互いに、相手の理屈を壊そうとする力が働くと、自分の理屈を守ろうとするさらなる力が、必要になっていきます。
どんどん、強力な理論だけが、果てしなく積み上げられていく。
そうやって、本質は、隠され、糸は、絡まり続け、互いに傷をえぐり合っていくのでした。

そんな中で、自分が、アダルトチルドレンではないか?という知識を得たのが、30代前半でした。
それから、ACとは、なんぞや?
共依存とは、なんぞや?
そこから、私の、心の探求がはじまりました。

○○氏の本を読むと、「まさに、これだ」と、思い
○▽氏の本を読むと、「あ、こっちが正しいんだ」と、
あちらこちらを、さまよっていたと思います。

夫にも、アダルトチルドレンのことを、わかってもらおうと、あまりに、努力しすぎて、切れられたことも数多くあったのでした^^;
(切れるように、持っていったのは、私でしたけどね)
もしかしたら、夫もAC?(そうやって、証拠を探し始める私)
今までの人生で、ドラマを見ても、映画を見ても、本を読んでも、祖父母が、亡くなっても、泣いたり、感動したことがないという夫に、「あなたが、心配なのよ」というポーズをとり始めるようになった。
本音は、「お前が、変われ!」という操作性を含む訴え。

自分のことは、見えない。

相手の悪いところは、よく、見える。

なんだか、悪者探しをしている、ハイエナみたいな当時の私でした。

今なら、相手のことは、相手に任せましょうと、笑って言えますが、
そのときは、「相手を変えたい」ばかりが、先行するばかりで、人を責めてばかりいた私でした。

で・・・責められたら、人間、やり返したくなります。
それが、だめなら、無関心を装うしかなくなります。
そんなものですね。
夫婦というものは、互いの鏡なのだろうと感じます。

この夫との関係性は、いったい、どこに、起因しているか・・・
感のいい人は、もう、おわかりですよね。

私の源家族に、起因することでした。

いつの間にか、酒乱の父親を憎んでいた記憶と、夫が、重なっていたのでした。
酒を飲んで、暴れる親と・・・
喧嘩をするたびに、声を荒げる夫と、重なった。
私は、源家族の、父親と母親を、今の家庭で、自分と夫で、再現ドラマを繰り広げていたのでした。

かつて、私と母親が、父親を、憎しみの目で見たように、
いつしか、私も、夫を、嫌悪の目でみるようになったのでした。

夫もまた、自分の母親との関係を、私との間で、再現していたのだろうと感じます。
「私は、あなたの母親じゃない」
私は、夫に、よく、そう言ったものでした。

不思議なものなのですが、自身の結婚生活でも、やはり、忌み嫌った源家族を、再現しようとする無意識の力が、働くのでした。

そういった、抗いがたい無意識に、翻弄されてきた、子育てでした。

これが、負の世代間連鎖。

私は、嫌悪する父親(過去の点)と、夫(現在の点)が、重なり、
そして、息子には、このような、男たちになってはいけないと、心の底で、強く願うようになったのでした。

その後、息子に向いた、私の「期待」は、巧妙に仕掛けられた過干渉となって、息子の人生を、食いつぶしていったのでした。

これが、息子が、不登校や、リストカット、鬱に、なった理由のひとつ。

息子が不登校になり始めた頃、
夫が、「誰が、おまえたちを食わせているんだ」と言ったのは、
私の嫌悪の目が、夫に、そう言わせたのだろうと、今なら、わかります。
夫の言葉は、たしかに、本音でもありましたが、
「言わせられた本音」というものも、あるのではないかと思います。


源家族の父親を見るように・・・汚れたものを見るように。

そのときの私の目は、かつて、私の母親の目と、同じでした。

母親と同じように、子どもを使って、夫に、復讐をしていた私でした。


それが、明確にわかったのは、この一年。

もう、私は、母の復讐の道具には、なることはありませんが、
息子の不登校には、このような世代間連鎖が、からんでいたのだという、
そんな背景を、今回の記事では、書いてみました。

ちなみに、今回、登場してくれた夫には、今は、憎しみとか、怒りとか、そういう負の感情は、もう無いということを、心の中で、再度確認しながら、書けたことに・・・、私自身、救われる気持ちがしています。


誰も悪くは無かった。

ただ、その事実だけが残りました。

しかし、みんな互いに深く傷ついたのも、事実。


忘れてはならないのは・・・、

かつての被害者は、同時に加害者にもなりうるということです。

穴掘り、自分探しの過程では、このことを念頭に置くことが、偏った見方を、ある程度防いでくれるのではないかと、感じます。
私自身や、私の親たち、夫や夫の家族、誰ひとり、責められるものではないということ。。。
誰かを非難し、傷つけながら、実は、自分を傷つけていく、この、システム。
どんどん重くなる荷物を、降ろすに降ろせなくなって、たちすくむ。。。

私たちは、ただただ、このような、わけのわからない、得たいのしれない力に、押し流されてきたのだと・・・。
それが、世代をわたって、連鎖という形で、つながっているのではないかと感じます。

だからこそ、負の連鎖に、気づいた者たちが、連鎖を断ち切っていくしか、心の回復は、ないのかもしれないと、思うのです。

***************

次の記事は、来週になりそうです。
その前に、退職の日、送別会報告記事に、なりますかねえ(笑)

。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+。.:*・゚+。.:*・゚

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