不登校から、AC、そして、これから
お誕生日
2009-07-05 Sun 21:57
本日は、娘の19の誕生日。

19年前の、あの暑かった夏を思いだします。

今日は、ケーキとちらし寿司で、ささやかに、お祝い。
単身赴任中の夫からは、サプライズの、アロマセットが、娘に送られてきていました。
(なかなか、やるじゃん、夫)

これは、私も全然知らなかったのね。

私が子どもと夫の仲介するよりも、こうして、夫が、自分の頭で考えて、
自分の気持ちを、直接子どもに、伝えるって、大切だと思います。
今までは、私を介して、夫→私→子どもでした。
たぶん、私が、そのように、仕向けていた部分もあったかなと反省。
今は、夫→子どもに、なるように、
夫と子どもの関係の中には、私は、入らないでいる。
そうしたら、自然と、夫→子どもに、なるんだねえ。

要するに、昔は、私が、中心にいて、
一家を、操作していた、とも、なるかもしれない。

それでいて、「夫が子どもを理解しようとしない」と、
そんなことを、不満に思っていたりした。

私が仲介する限り、その形態は、崩れなかった。

もうひとつ言えば、私が、家族を操作するのを、辞めた時から、
次第に、変わっていったのかもしれない。

また、単身赴任という、距離のあるところで、
夫も自分で考えなきゃ、しょうがない状態になったのかもしれない。

何が、幸いしたのか、よく分からないけれど、
まあ、結果オーライで。

適度な距離が、心地いい。

一緒に夕食を取ったら、息子は、役員の書類作りのために、
先輩のうちへ、泊まり込みセットを持って、出かけていきました。


そういえば、、、かつて、姑は、よく、
愚痴やら、悪口やら、私を捕まえて、話したがっていました。
同居していないので、まあ、寂しいのだろうと、思っていましたが、
これって、聞けば聞くほど、キリがない。
でも、私の方は、「いい嫁、いい人」でなければならないという、
なんだか、わけのわからない使命感(?)で、たいそう消耗しました。
夫は、お気楽に、人ごとのように、してました。
(これが、また、さらに、むかつく)
その頃は、夫の実家に行くと、姑さんは、待ってましたとばかりに、私に付いて回って
誰かの愚痴やら、悪口を、繰り返し、繰り返し・・・。(〃_ _)σ‖ガァーン
これじゃあ、ファービー人形(知ってるぅ?)でも、いいんじゃないかと。。。

ある時期から、これを非常に、苦痛に感じはじめて、
姑は、夫に、まかせ、
私は、子どもたちや、いとこたちと、遊ぶようにしました。
(こっちが、断然、楽しいもん)

ほら、
自分は、自分の居所をつくっていいのです
って、西尾和美さんも言ってたしね。

あれっ(汗;・・・娘の誕生日の話から、こんなところまで・・・

いつものことですから、お許しを〜。


とにも、かくにも、


本日生まれの方々、


お誕生日、おめでとう〜

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ここが変だよ、不登校克服論
2009-07-04 Sat 23:18
時々、不登校のキーワードで、検索をかけるのですが、

今日は、サポート校らしきところにあった、「珍言」をみつけました。


ルールは厳しすぎてもいけませんが、ゆるすぎてもいけません。 ゆるすぎるルールや、こどもの好き勝手を許すのは、親のことなど無視しなさい、と言っている様なものです。

ルールがほとんどない家庭で育つと、その子供は他人の気持ちがわからない子供に育ちがちです。

自分と他人との役割や、していい事としてはいけない事の違いがわからなくなり、自己中心的な無責任な子供に育つ可能性が高いです。



どこがおかしいか、わかります〜?

んで、次の章に、こんなこと、書いてありました。



大人は、常に子供をルールで縛り付けます。

家庭でも、学校でも。

それはある意味、当然のことです。何故なら社会はルールの上で、成り立っているからです。

しかし、幼児の頃は、親のルールにすべて従っていた子供も大きくなってくると、ルールを守らなくなります。ルールを厳しくすればするほど、抜け道を探してルールを破るようになります。

このことに焦ってはいけません。これは大人から独立し、自分自身で生きていこうとする、自然な成長の姿なのです。絶対にルールを守らせる姿勢をとるのではなく、ありのままを受け止めなければなりません。



なんだか、支離滅裂だと、思っちゃいました。

じゃあ、どうしたらいいんだ!と、混乱するに、決まってます。


私も、かつて、子どもの不登校の時期に、散々、こういった、
不登校本を読みまくりました。
でも、ここに、代表されるように、
こんな、矛盾を、平気で、書く人、いるんですね。


ルールが無いというのは、おそらく、放任主義のことを、言っているのでしょう。
しかし、おおむね、最近の不登校の家庭というのは、
経験上、それほど、放任家庭は、多くないのですよね。

むしろ、一生懸命で、まじめなお母さんが、多い。

で、まじめなお母さんたちが、このような文章を読まれたら、
森を見ずして、木を見るように、
すわ、お昼からでも、行かせなきゃ、
怠け者になってしまう!
根性なしに、なってしまう!!
な〜んて、あれやこれや、進路を提案してみて、
それが、結果的に、深い溝を親子に作ってしまうことになりかねない。

最初から、怠け者の子どもなんて、いませんよ・・・。

>こどもの好き勝手を許すのは、親のことなど無視しなさい、と言っている様なものです

まったく、どこのどいつだ、こんな文章書いたのは。。。と、ため息が漏れる。
子どもは、本来、親が大好きなんです。
親が嫌いな子どもなんて、私には、想像もつきません。
暴力をふるう子どもだって、
「気持ちを受け止めてよ」という心の叫び。

アダルトチルドレンであっても、親をいくら憎み、恨んでも、
やはり、それは、「わかって欲しかった」という、気持ちの裏返しと失望。

>しかし、幼児の頃は、親のルールにすべて従っていた子供も大きくなってくると、ルールを守らなくなります。ルールを厳しくすればするほど、抜け道を探してルールを破るようになります。

で、これ↑は、一体なんだ??

子どもをちっとも、信頼していない。
親から、信頼されない子どもは、そりゃ、暴れたくもなりますよ。

そして、最後に、だから、サポート校で、
ある程度のルールの中で、訓練する必要があるのです、とな。

笑止!

訓練ですか・・・

子どもは、親や、大人の背中をみています。
子どもの姿は、大人の心の反映にしか、すぎません。

相手を信頼することのできない人たちは、
「訓練」することが、大好きです。

「ありのままを受け止める」ということと、「訓練」と、
矛盾したことを、平気で、書く、厚顔無恥。

私には、わからない。。。世界だ。

こういうのは、不登校を商売にする輩の文章だ。

一部では、あろうけれど、
このように、不登校で苦しんでいる人や、親を、
さらに、迷わせるようなことを書いている輩は、
猛省して欲しい!


枠のなかでしか、生きられない人々は、
子どもを檻の中に閉じ込めようとやっきになる。

まず、不登校云々を語るなら、自分が枠から出ることでしょうね。

それと、短期間で、不登校克服って、よく見ますけど、
あれも、商売だよ〜。

不登校とは、親と子が、本当の意味で、
心が通い合うようになることだもの。

和解するってことだもの。

それには、親が変わる必要がある。
そんな、15日や、そこらで、短期間で、親が、手軽に変われるのなら、
みんな、悩んだり、苦しんだり、しないですよ。。。

心を変えるということは、時間もかかりますし、
はっきり言って、そんなスマートにできるもんじゃないです。
血反吐はくような、苦しさの末に、手にするものです。
だから、大切な宝物に、なるのです。

貧しい中で、毎日、こつこつ貯めて、やっと買えた、ダイヤモンドと、
誰かから、ポンと、買ってもらったダイヤモンドは、
同じダイヤモンドですが、価値は、やはり、前者にあるんじゃないでしょうかねえ。


もっと、突っ込みたいところあるんですが、
ほとんど、全文。

時間がいくらあっても、足りないわ〜ヤレヤレ(´-ω-`)

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エヴァンゲリヲン
2009-07-03 Fri 20:21
ただの趣味です。。。

本日、エヴァンゲリヲンが、TVで放映されます。




かつて、はまりにはまった、エヴァ。(パチンコじゃないっすよ)

DVD、買った!(*・`ω´・)

録画準備!(*・`ω´・)

ターゲット、ロックオン!(*・`ω´・)


逃げちゃダメだ!逃げちゃダメだ!(`・ω・´)


もう、今から、碇シンジくんの、台詞が頭の中で、こだましてます。


意味不明やね。。。

分かる人には、わかる。


自尊心と生きる背骨が無かった主人公が、

父親との確執、母親への思慕、

心の傷をかかえて、生きる道を探す。

主人公をとりまく人々もまた、依存したり、

誰かを取り込もうとしたり、

愛されたかったり・・・




私自身も、膝を抱えて、一日中、繰り返し繰り返し巻き戻して、エヴァを見ていた時期がありました。

エヴァの中に生きる人々の心の傷に、自分を重ねて見ていました。

そんな時代がありました。
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本と著者様のご紹介
2009-07-03 Fri 19:48
本日は、ブログで、日頃から、お世話になっている方々の、

本を、ご紹介をさせていただきたいと思います。

これからご紹介する本たちは、

すべて、自費出版されたものです。

画像は、手元にあるものを、自写したものなので、

画質は、よくないけど・・・$%$’’’&#”・・・・ということで。(笑)


まず、こちらね!


CA3C0055.jpg



この冊子は、北海道身体障害者団体の「のほほん工房」さんが、毎月、
制作されているものです。
そういちさんが所長をされています。ご存知の方も多いかな?
とある縁で、私のつたない文章や、サテライトブログの「心おだやかにいきるために」の文章を、のっけて頂いております。
ありがたいことです。

本の内容は、毎月、工房に所属されている皆さんの力が結集されて、
すごく、濃い内容になってます。
一生懸命、生きているってことが、ひしと伝わってきます。
応援も、したくなります。


うらんちゃん、いつも、読んでますよ〜^^>私信


しかし、本を毎月出版するのは、ほんとに、おカネが、かかります。
私も、子育てサークルの時代、
冊子を作っている側でしたので、
どれほどの経費がかかるか、そりゃもう、想像できます。
どうか、興味があられましたら、皆様、


賛助会員

に、なってみませんか?

お問い合わせは、画像をポチしたら、のほほん工房HPへと、飛びます。
どうぞ、力になってくださいね。



お次は、こちらです。

CA3C0057.jpg


はい、「壊れた心を取り戻す」のきんたろうさんが、
今まで、ブログを通じて発信されてきた記事を、
本にされたものです。
アダルトチルドレンや、不登校、暴れる子ども、機能不全家庭について、
その心理や、心の動きを、深く、解析・洞察されていますね。

なかなか、いいですよ。
昔、アダルトチルドレンのことで、検索をかけて
きんたろうさんと、出会いました。
ブログを読んで、その鋭い、分析力に、感動とともに、食い入るように、読みふけったものでした。

くわしくは、きんたろうさんのブログへ、飛んでってみてね。

それにしても、自主出版って、大変でしょうねえ・・・



最後は、こちら。

CA3C0056.jpg



こちらは、先月できたてのほやほやです^^

tatsuさんが、「心おだやかに生きるために」の一部を、小冊子として、
まとめられました。

きれいな、青色の表紙に、うっとり〜(*≧∀≦)    ・・・ヤレヤレ(´-ω-`)

疲れたとき、人生がうまくいかないと感じたとき、
ふと手にとって、見られるような、そんな本です。

ページをひらけば、今、あなたに必要なことばが、
心に、飛び込んでくるかもしれませんね。

読んでみたいなあという方は、
HP心おだやかにいきるためにに、メルアドありますので、
そちらから、申込みお願いします。

この本は、tatsuさんのライフワークの一環ですが、
今回は、基本編ということでした。
今後、さらに、小冊子シリーズとして、少しずつ出版するという感じになるでしょう。

(ただし、かなり、スローペースだろうと、予想中)

こちらもね、只今、賛同者さんのカンパ金を大いに、募ってます。


とにかく、自費出版は、お金がかかります。
でも、その壁を越えて、誰かを助けたいという、熱い心を抱いた方々を、
応援していきたいと、私は思っています。

それが、このすさんだ世の中や、人の心を変える、力になると、
信じてやみません。

どうか、皆様、ご協力お願いします。


最後に、3人のみなさま、勝手に本のご紹介をして、ごめんなさい〜。(´・ω・`)




by ひいらぎ


日本では、残念ながら、大衆受けするものしか、本になりません。
批判になるかもしれませんが、
村上某の「IQ○○」が、ハードカバーの高い本にも関わらず、本屋では品切れが続出しています。
けれど、私は、どうも、触手がうごきませぬ。
そういう人間がいても、いいんじゃないかと^^
今回の記事では、こうして、地道に、自らの信念に乗っ取って、自主出版をされる方々も、いるのだということを、皆様に、お伝えしたいと思った次第です。

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あなたは、もう、許されている
2009-06-30 Tue 23:18
もう一つのブログ、

「心おだやかにいきるために」の、

本日アップした記事を紹介します。


この「マグダラのマリアの物語」には、

実に、感慨深い思い出があります。

今日は、その頃のことを、懐かしく、思い出しながら、

アップしました。


私は、当時、インナーチャイルドのエクササイズの、ひとつの佳境に入ったころでした。

そして、どうしても、越えられない山を迎えていました。


それは、「罪悪感」。


ここを、越えられなくて、

身もだえするような気持ちを持て余していました。

理屈では、自分を必要以上に責めることは、

何の益も無いことなど、分かっていました。

しかし、理性では、越えられない、壁が立ちふさがっていました。

それは、アダルトチルドレンたちが、陥る、

成育歴による間違った刷り込みによるものであると、

分かっていてもです。

理屈では分かっていても、感情が、納得できなくて、

ずいぶん、苦しんだ記憶があります。


そんなとき、tatsuさんが、書いてくださった文章が

この「マグダラのマリアの物語」でした。


この物語を読んだ時、

私は、パソコンの前で、号涙していました。

そして、ずいぶん、長い時間、泣いていたと思います。

いろいろなビジョンが、頭の中に浮かび、

私自身が、罪を犯したマグダラのマリアに共鳴していました。

いえ、共鳴・・・という、生易しいものではなく、マリアそのものでした。


「さあ、行きなさい」

そうイエスに言われた、ボロ布をまとった、マリアの心情を思うと、

今でも、泣けて、泣けてしょうがありません。


人生を生きていくなかで、その道中に、

誰もが、罪を背負っていかざるを得ないこともある。

そういう理不尽と思われる人生の中で、

必死で、生き残ってきた人々・・・

それが、マグダラのマリアであり、傷を負った人たちであり、弱さであり、

アダルトチルドレンたちだと、そう、思うのです。


聖書の中では、ほんの短いお話でしかないのですが、

tatsuさんオリジナルの、このマグダラのマリアに、

この頃の私は、ずいぶんと救われました。


物語は、人を癒す力を持つこと、

信仰は、人を強くすることを、

許すこととは、どういうことか、

それらを、この圧倒的な、慈愛の物語で、

追体験して、知った時でもありました。



「さあ、行きなさい」


この力強い、言霊の力に、浄化されていきました。


そして、さらに、次回アップする予定の(2)において、

>「私は、あなたの罪を許します」

という、イエスの言葉に、打ちのめされるように、

ぼろぼろに、泣き崩れてしまったのでした。


ワタシの罪を許すことのできる、あなたは、ダレ?

根源的な問いが、

私の、心の奥から、湧き出てきたのを、今でも、鮮やかに、覚えています。

その問いは、疑いではなく、暖かく、やさしく、穏やかに、

確信をもって、私の中から、現れたのでした。


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支えるもの〜ジュピター〜
2009-06-30 Tue 13:48




ずっと、迷っていたことがあります。

私が仕事を始めたのは、ほぼ、2年くらい前でした。

それ以前、身近な個人的な問題や、家族の問題で、疲弊し、

ほぼ、ひきこもり主婦していたのでしたが、

仕事を決めたころには、インナーチャイルドのエクササイズも、ひと段落し、

自分を実社会で、試してみたいと、単純に、そういう気持ちが湧いてきていました。


もちろん、経済的な部分の理由もかなりあったのですが、

そうして、働き始めて、2年過ぎました。


それまでは、私自身、自己肯定感が低く、

しかも、もろもろに、精神的に弱い部分があり、

そういう負の遺産を、どこかで、解消したいと、思っていました。

そして、霊的な部分が強すぎたためか、

社会生活の中でも、ずっと、

違和感を感じて生きてきました。

幸い、主婦でしたので、男性のように、

家族を養うために、働かねばならないという部分がなくてすんだことには、

ほんとに、感謝してます。

私が、男であったなら、きっと、今以上の

社会的な負荷に、海の藻屑と化していたかもしれません。


いや、笑いごっちゃなくて・・・ほんと。



で、そういうアンバランスな傾向性をどうにかしたいなあ〜、

と、現実社会に飛び出したのが、2年前でした。


そして、いろんなことを発見しました。

楽しい経験もさせてもらえました。

しかし、今、職場は、いろいろ、本社の意向が変化し続けて、

当初の契約は、反故にされ、

このまま居続けたら、壊れそうな気配がしてきました。

人間関係の調整も、もう、限界になってきました。

ひとりひとりが、抱えている仕事が、キャパを超え始めたとき、

職場の人間関係の、崩壊が、すでに、始まっているような感じを受けます。

あまりのストレスに、

最近では、デパスのお世話になっちゃいまして^^;

この不況時・・・そんなことも言ってられないというのが、

本当なのですけどね。


子どもたちには、いつも、「無理は、したらだめよ」と言う私に、

「おかあさんもね。」と見透かされてますね。


自分を大切にすることや、自分を守ることと、

社会で、働くということは、すごく矛盾することが、多いのですが、

その中で、自分を保つということの、難しさを感じます。


当初の、社会で、自分を試すという実験は、もう、終わったんでしょう。

今度は、自分を守りながら、そして、生活も、大切にしながら、

さらには、精神生活も、充実させたいと、

そんな、ことを思うようになりました。

おそらく、今年いっぱいで、今の仕事は、いったん、引き上げる

そんな、気持ちでいます。

まだ、あと、半年ほど、ありますけれど、

引き時も、大切でしょうか。

そんな気持ちでいます。


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かわゆい(*≧∀≦)
2009-06-29 Mon 02:46
CA3C0050.jpg

近所のコンビニの屋根の下で。

お父さんとお母さんを待ってる子たち。


か、かわゆい

元気に育てよ〜。


.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+。.:*・゚+。.:*・゚ >

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遊ぶ
2009-06-25 Thu 22:30
もう、あと2カ月ほどで、息子さんは、18歳になります。

今年度が、卒業年度で、受験でもありますけれど、

遊びも、それ以上に、とっても、熱心です。

最近、お泊りで、友達のうちで、夜を明かしたり、

平日も、お呼びがかかったり、とても、楽しそうにしています。

昨夜も、

夜の8時に、携帯から、電話してきて、

「今、箱崎の公園〜」と、はしゃいだ声。
(↑D地区のたまり場と化している)

「遅くなるよ」と。

「いいよ〜」

誰と、どこで、何をしてるのか、こちらから、聞きもしないけれど、

息子は、ひとしきり、楽しそうな声で、しゃべる。

「うんうん」

「あ、そうなの〜」と、聞いていると、

なんだか、こっちまで、嬉しくなる。

そして、結局、今朝になっても帰宅しなかったようで、

一応、仕事に行く前に、

「生きてる〜?」と、メールを入れると

「ばりばり、生きてる〜」だって。

私は、にやりと、笑って、仕事に出かけた。

仕事が終わって、家に帰ると、

昨夜から、今朝にかけての様子を、

待ってましたとばかりに、キッチンに立つ私の横で、

楽しそうに、話してくれる。

ひとしきり、話し終わると、満足げに、ゲームをやってる。

そういうところは、まるで、小学生?(笑)


う〜んと、バカやって、う〜んと、遊んで

はめはずして、そんな遊び方は、今しかできない。

また、明日は、役員フルメンバーで、香椎浜で、

花火をする予定になっているそうだ。

たぶん、明日も、帰ってこないとみた(笑)


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自分をディスカウントしない
2009-06-24 Wed 08:47
宮崎県知事で有名な○○原知事のニュースが、朝のワイドショウを賑わしている。

自民党からの出馬要請に対しての返答の一部に、

「私を総裁候補として戦う覚悟はあるか?」との返答。

大阪の橋本知事は、「度胸があるなあ」と言われていた。

古参の自民党議員は、「ふん、ばかばかしい」と一言。



賛否両論は、いろいろあるだろうけれど、

今の政治というシステムを熟知しておられるからこその発言だと、

感じるのですよね。


今までの、宮崎県知事としての、動きをみてきて、

ただの、名誉欲とは、とても、思えない。

自民党(に限らず)は、派閥やら、しがらみやらで、

肥大しすぎて、さっぱり、身動きができなくなっている。

票が伸び悩むこの時期、票獲得の一部の歯車にするべく思考回路の、

打診は、素人でもわかる。

たとえ、自民党から出馬したとして、

当選しても、新人の議員には、なんの権限もなく、

ただの、派閥の構成員の一人にしか、ならない。

知事は、そういう現実を、知っておられるのだろうね。

そして、駒のひとつになるだろうことも。

それでは、日本は、変えられないということも。


それは、まるで、

親が子に対して、

先生が生徒に対して、

力の強いものが弱いものに対して、

「おまえは、何も、自分で考える必要は、ないんだ。

黙って、言うことをきけ。そうしたら、安泰な、未来を約束する」

と、言うようなものだろう。

日本社会や教育は、自分の頭で物事や、考えることを、

否定するシステムが出来上がっている。

そんなシステムから、脱して、

「歯車なんかには、ならない。私は、私の想いで生きていく」

と、表明することは、すごく、すごく、勇気が必要で、難しい国だと、思う。

出る杭は、打たれる。

長いものに巻かれよ。

な〜んて、言葉に、それが、あらわれている。


そういう意味で、今回、自分をディスカウントしなかった、

宮崎県知事には、拍手を送りたい。


今や、自民党と民主党、どちらも、にたりよったりの、

古い時代の遺物となりつつあるのかもしれない。

そして、今や、行き詰ったアメリカも、欧米も、日本も、

アクエリアスの時代・・・、霊性の時代に入り、

これまでの唯物的な考え方だけではなく、

新しい思想が、必要になっているのだろうと、強く、感じる。

時代が、変わりつつあるのかもしれません。


しかしね・・・、自分の頭で考えるなという教育や、

変な平等思想が、パワハラや、いじめを誘発しているのではないかと、

私は、思う。

もともと、日本の教育は、戦前後の、富国強兵が、根っこにあるんだよね。

戦争が終わったら、

今度は、それらは、働きアリに、姿を変えられたけどね。

どちらも、国の歯車としての役割には、変わりない。


もっと、ひとりひとりが、大切にされる社会に、なればいいねえ。

目覚めなきゃね。












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