author : rinrin
マグダラのマリア~許しの物語~【インナーチャイルドエクササイズ】補足
2010-07-03 Sat 22:38
【マグダラのマリアの物語】



これから書く、「姦通の女」の話と、許された「罪深い女」の話は、

聖書の中の、別々の箇所で紹介されているエピソードです。

しかし、この2つの物語が、一人の女性にまつわるエピソードであり、

そして、その女性とは、イエスさまが十字架にかかる最後まで付き従った、

女性信者であり、死後、イエスさまが、復活した際に、

その姿を、最初に見せたとされる「マグダラのマリア」であるという風に、

解釈されるかなり有力な説があります。

更に、近年ブームとなっている「ダビンチ・コード」で、

イエスさまと、マグダラのマリアが、結婚していたという説も、

今回急にでてきた突飛な説ではなく、

以前から、そうではないか、とあらゆるところでいわれて続けてきた、

非常に有名な異端説なのですが、

イエスさまの死と復活に一番近かったという意味で、

僕も、イエスさまと、マグダラのマリアは、

夫婦であったと考えることが妥当ではないかと考えています。

その真偽はともかくも、

ここでは、この「姦通の女」と、許された「罪深い女」が、

マグダラのマリアであるという想定のもとに、

僕なりに、許しの話としてまとめてみたいと思います。

by Tatsuさん

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【姦通の女】



ある朝、イエスさまはオリーブ山に行き、

いつものように神殿の境内に入り、

イエスさまの話を聞きにやってきた人たちに、説法をはじめました。

聴衆の中には、もちろん、イエスさまを信じる人もいましたが、

興味半分の人もたくさんまざっていました。

イエスさまが座って、教えを説かれていると、

律法学者とファリサイ派の人々が、

一人の半裸の姿の女性をひきつれて、

説法の場にのりこんできました。



律法学者とファリサイ派の人びとというのは、

当時のユダヤ教の戒律をもとに、

イスラエルの地で、理不尽な権力をふるっていた人びとです。

半裸の女性は、マグダラ地方の出身で、

名を、「マリア」と言いました。



マリアの仕事は、いわゆる「娼婦」でありました。

律法学者とファリサイ派の人びとは、

姦通現場でマリアを捕らえ、

イエスさまが説法をしている広場の真ん中に引きずり出し、

イエスさまに質問を投げかけました。

「この女は姦通の現場で捕まったのです。

モーセは律法で、このような女は石を投げて殺せと命じています。

ところで、あなたはどう考えますか」。

こう言ったのは、イエスさまを試みて、捕らえる口実を作るためでした。



イエスさまは、当時の社会の底辺で虐げられた人々、

身分の低い人、娼婦、働けない重い病の方などに、

とても、やさしかった。

そして、神さまの愛は、すべての人に、等しく平等であるということを、

わかりやすく、そして、力強く、民衆に訴えかけていました。

そのイエスさまの話を信じる人の数は、

そのころは、まだ多くはなかったのですが、

律法学者やファリサイ派などの当時の権力者は、

イエスさまが、今後、自分たちの地位を脅かす、

驚異的な存在になるのではないかと、

常日頃から、イエスさまの言動を調べ、

イエスさまを、陥れるすきが無いかを伺い、

ときに、こうして、わなにかけるような行為をしかけていたのです。

律法学者とファリサイ派の人びとも、

そして、その場に興味半分で集まっていた人びとも、

周囲にあった、石つぶてを、手に手に持ち、

マリアを取り囲み、今にも、その石を投げつけんばかりの様相です。



イエスさまは、はじめのうち、

あられもない姿のその女性に気をつかい、

その姿をなるべく目にいれないように、

身をかがめて、地面に指で何かを書いて、沈黙していました。

しかし、彼らがしつこく問い続けるので、

ついに、イエスさまは身を起こして仰せになりました。

「あなたがたのうち罪のない者が、まずこの女に石を投げなさい」と。

そして、また身をかがめ、地面に何か書いておられました。

これを聞くと、人々は、年長者たちを初め、

一人、また一人と去っていきました。

そして、ついにその場には、イエスさまと、

まん中にいたマリアだけが残りました。

イエスさまは身を起こして彼女に言いました。

「婦人よ、みんなはどこにいきましたか。だれもあなたを罪に定めなかったのですか」。

マリアは、「はい、主よ、だれも」と答えました。

イエスさまは、仰せになりました。

「そうですか。わたしもあなたを罪に定めない。

さぁ、行きなさい。これからは、もう罪を犯してはいけないよ」と。



マリアの目からは、

あふれるように涙がこぼれ落ちました。

いままで、そんなふうに、

接してくれる男の人は、誰もいませんでしたから。

そして、彼女は、半裸の自分を隠す汚れた布を押さえながら、

イエスさまに深々と頭を下げ、

止まらない涙をぬぐいつつ、

その場を逃げるように立ち去りました。

それから、何日も何日も、

マリアは、泣いてすごしました。

涙があふれてとまりませんでした。

やむおえない選択であったとはいえ、

娼婦を続けて、生きてきたことを、

悔いて、悔いて、泣きました。

その今までの半生で、

思ったこと、行ったことが、

走馬灯のように、頭に浮かび、

その一つひとつを反省すると、

泣けて、泣けて、しかたがありませんでした。

理不尽な環境下で生きてきた中で、

親を、人を、環境を、恨んで、恨んで生きてきたことを・・・

ときには、人を陥れたことを・・・

ときには、自分から進んで、人を傷つけてきたことを・・・

人も、世の中も、そして、神さまのことも、

自分を不幸な環境に生きさせていると、

いつしか、信じる心から、疑い、憎みの心に変わり、

自暴自棄になっていたことを・・・



そして、そんな自分の罪がいつか明るみにでて、

罰せられるのではないかという恐怖の中で、

自分を責めて生きてきたことを・・・

そして、泣きながら、

何度も何度も、つぶやきました。



「天のおとうさま、わたしは、いくつもいくつも、罪を犯しました。

あなたを恨み、憎みもしました。

けれども、天のおとうさま、わたしの罪をおゆるしください。

わたしは、多くはのぞみません。

ただ、あの方に、イエスさまにお礼をいいたい。

どうか、また、あの方に会えますように。

そして、できるなら、あの方のお手伝いをさせてください」と。



その後、数日して、

ファリサイ派の一人が、

イエスさまと食事をともにしたいと申し出たので、

イエスさまは、そのファリサイ派の人の家に入って食卓におつきになりました。

そのファリサイ派の人の名前はシモンといいました。

シモンは、他のファリサイ派の人々のように、

うわさだけで、イエスさまを、悪人であると決めつけるのではなく、

どんな考えをもっているのか、

イエスさまが、本物の預言者なのかどうかを自分の目で、

確かめたかったのです。



シモンは、何人かのファリサイ派の同士とともに、

イエスさまと床に座って、食事をし、彼らは、さまざまな質問をしました。

当時としては、はきものを脱ぎ、体を横たえ、足をのばして、

くつろいで食事をとるのが、習慣でした。



しばらく話をする中で、シモンは、イエスさまのことを、

この人は、尊敬するに足る人物だと、思うようになっていきました。



さて、そのときに、かのマグダラのマリアは、

近くで、イエスさまがファリサイ派の人の家で食卓についておられることを、

町のうわさで耳にしました。

自分の罪を悔い改めるときに流れる、

心を洗う涙が、あれから、何日も止まらなかったマリアは、

イエスさまが、近くで食事をしておられるうわさを聞くと、

自分にできる精一杯のお礼がしたいと、

香油の入った小びんを持って、シモンの家を訪ねました。

マリアは、泣きながらイエスさまのうしろから足もとに近寄り、

その涙でイエスさまの足をぬらし、自分の髪の毛でふき、

そしてその足にせっぷんをして香油を塗りました。

イエスさまを招いたシモンはこれを見て、

心の中で言いました。



「もし、この人が本物の預言者なら、

自分に触っている女がどんなに罪深い女であるのかわかるはずだ。

あれは罪深い女なのだ。あんな女を近づけるなんて・・」。



そこでイエスさまは彼に向かって、こう仰せになりました。

「シモン、あなたに言いたいことがある」と。

シモンは、びっくりして言いました。「先生、おっしゃってください」。

イエスさまは、

「ある金貸しから金を借りた人が二人いた。

一人は五百デナリ、もう一人は五十デナリを借りていた。

ところが、二人とも返す金がなかったので、貸し主は二人ともゆるしてやった。

この二人のうち、どちらがその人を多く愛するだろうか」と、

シモンに問いかけました。

 

シモンは、「それは、先生、多くゆるしてもらった方だと思います」と言いました。

イエスさまはうなずき、「その判断は正しい」と言いました。

それから、マリアのほうを振り向き、イエスさまは、シモンに、

「この人をごらん。

わたしがあなたの家に入って来ても、あなたは足を洗う水さえくれなかったが、

彼女は涙でわたしの足をぬらし、自分の髪の毛でふいてくれた。

あなたは、わたしにせっぷんをしなかったが、

彼女は、ここに入って来たときから、わたしの足にせっぷんをしてやまなかった。

あなたはわたしの頭に油を塗ってくれなかったが、

この人はわたしの足に香油を塗ってくれた。

あなたに言う。

彼女は確かにこれまで、多くの罪を犯したが、

深く反省し、悔い改め、なんとか、愛を実践したいと、

わたしの前にあらわれたのだ。

彼女が悔い改めたことは、彼女が多くの愛を示したことでわかる。

少しだけゆるされる者は少ししか愛さないが、

多くゆるされた者は、多く愛することができる」と。



そしてイエスさまは、彼女に、



「あなたの罪をゆるします」



そう仰せになりました。

そこで、席を同じくしていた人々は、

「罪をゆるすこの人は、いったい何者だろう」と、心の中でつぶやきました。

みんなの心に、言い知れない感動を呼び起こしたのです。

そして、イエスさまは、マグダラのマリアに、

「あなたの信仰があなたを救ったのだ。安心してお行きなさい」と仰せになりました。



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関連記事 あなたはもう許されている

を一緒にあげておきます。


当時の時代背景には、「水」は、貴重なものでした。

そして「香油」は、一般庶民が買えるようなものではなく、

とても高価なものでした。

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【インナーチャイルド・エクササイズ】五つの頃
2009-10-22 Thu 20:40






今日は、言葉は、必要ないですね。。。


大人になって、子どもの頃の記憶が、かすみ、

必要のないプライドで、

がっつり、塗り固め・・・

泣けない大人になった日々。




もう、いらないんだよ、そんなもの。

ほら、出ておいで。

ここへ おいで。


ごめんね、長い間、辛かったね。


ありがとう、待っててくれたのね。


愛しているよ。


はじめまして、




私の中の おちびさん。



(はじめて、インナーチャイルドに出会った時のことを思い出して)
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歩いていこう 3
2009-08-27 Thu 12:10
不登校を考え続けて、5年過ぎようとしています。

共依存を考え続けて、もう、それ以上の、年月がたとうとしています。


朝方、夢をみました。

大切な猫が亡くなった夢。

そして、再生。

小さな手のひらに乗るくらいの生まれたての子ネコ。

いとおしい。



昨年、亡くなった犬と散歩をしている夢。

当時、散歩というと、図体が大きいハスキーだったので、

散歩紐を短くもって、私も犬も、なんとも窮屈な散歩だった。

夢の中では、どこまでも、伸びる紐で、その犬は、楽しそうに先を歩く。

幸せな光景。

穏やかな私たち。

握りしめた紐を、手放して・・・、どこまでも手離していく。


破壊と再生。

常に、私につきまとう。

軽々と、壁を破壊していく。

いつまにか、そうなった。

それは、たぶん、破壊がもたらす、次の再生の喜びを知ったから。


ここで、また、ひとつの破壊を。

3年ほど、住み着いていたミクシーを本日、卒業します。

いつも、そうやって、私は、前にいこうとする。

その方法しか、しらない。


ただ、ひとつのことを除いて。

たったひとつの私の金貨。

今は、心の宝石箱に、入れておこう。

それが、私の生きる証になるように。

私が先にすすむ力になるように。

私が立ち止まらないように。

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I believe
2009-08-03 Mon 02:08



迷ったとき、

一人でさびしくなったとき、

一日中、リバースで、聞いていました。







インナーチャイルドのエクササイズをしている頃、

この歌が、ずっと、私をはげましてくれていました。



深いところで、人は、つながっているんだと、思っていても、

現実の世界は、とても、過酷です。

時には、崩れそうになります。

しかし、それゆえ・・・、なおさら、つながりを、信じていたいと、人は思うのでしょう。


死にたいは、生きたい。


死のふちを、見た人は、その感性ゆえに孤独で、苦しむ事も多い。

心の飢えです。


けれど、一度、共鳴を起こし、魂の本質に、触れた者同士の

喜びは、深く心にきざまれます。

別々の人生を歩んでいても、いつでも、共にあります。

出会えた歓びと深い感動と共に、

響きあう魂たちは、強く結び付きます。

魂の結びつきとは、そういうものです。


ひとりじゃない。


本来、それが、自然なはずのことなのに、

誰もが気づかない。

今は、まだ、見えないかもしれないけれど、

誰の中にも、それは、あると、そう信じられるのです。



あなたに、出会えた喜びが、支えになる。


そのことを、忘れてしまわないように、

私は、この歌を、聞き続けるのでしょう。



ひとりじゃない。いつも、共にある


私は、この人生で、そう、教えてもらい、そう、学びました。

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怒りの解放(6)~怒りを越えて・・・赦し~
2009-07-11 Sat 01:31
「怒りの解放」を終えた後、

私は、孤独と、怒りの残り火のようなものを、感じていた。



他者に向ける怒りは、お祭りさわぎ。

他者への怒りは、心が騒がしい。

怒りにしがみついた、思考回路。

怒りによって、生きつづけ、

怒りを、支えとした人生。



大きな怒りが静まり、しんと、静まり返った心ではあったが、

まだ、何かが残っている。。。


そんな気分にさせた。



寂寥感?


いや、ちがう。





私は、残り火が何であるか、わからないまま、あてもなく、

たつさんに、手紙を書きつづった。

チャイルドの声を聞きながら、何度も、何度も、書きなおした。




父母への恨み、殺意。

それは、確かにあるけれど、

私は、利己的で、

目の前のものを、ちゃんと見ようとせず、

逃げてばかりいました。

父母に、優しいことばも、かけられないでいました。

友人との確執。

恨み。

それに惑わされていたのは、私自身でした。

あるときは、まぶしいものに対する、嫉妬となり、

比較となり、

彼らに、勝ったとき、

くちでは、慰め、

心では、さげすんだ。


負けたとき、彼らを遠ざけた。

それは、信頼に足りない、行為でした。

わたしに、信頼を置かない友人たちの

裏切りは、自らが、招いたこと

友の窮地に、見てみぬふりをして、

しかし、お世話をすることで、

いかにも、善人ぶった。

あの子が去ったのは、

私があの子を利用したから。

あの子を大切に思うことなく

自らが、楽になるために、利用したこと。

もっと、大事にするべきでした。

妹に傲慢であったこと 。

彼女を、踏み台にして、

小さい優越感にひたった。

それを、生きる糧とした。

それは、卑しい、ことだった。

彼女が、心ひそかに

わたしを恨むのは、

私の彼女に対する、さげすみが

彼女自身を傷つけたから 。

私の方こそ、赦してほしい。



そこまで、過去の回想で、

思いつくまま、書きつくしていった。

でも、まだ、先がある。これだけじゃない。そう思った。

数日の間、ずっと、心の細部を見つめ続けた。




そして、インスピレーションのように、降りてきた言葉。

それは、「腑に落ちる」

という感覚だった。


あ~、そうか、そうだったんだ。。。と。

それは、自分への「怒り」だった。

言いかえれば、自虐的精神。

わかってみたら、簡単ではあったけど、

たどりつくまで、数日かかった。

灯台もと暗しとは、よく言ったものだ。




最大にして、最強の敵。

そして、最後の怒りの、源。

それは、わたし自身。

わたしは、自分を傷つけることで、

哀れみが欲しかった。

わたしの最大の虐待者は、わたし自身。

それは、一番、卑怯な手段。

そうやって、自分で、自分を、

いじめ、暗いところに、追い込んだ。

それは、わたしの怒りであり、罪。


わたしを、許してくれますか?

わたしは、わたし自身を、

自分ですすんで、ないがしろにした者です。

もし、願いがかなうなら、

どうか、おっしゃってください。


わたしを、「許す」と、言ってください。

ここから、自由にしてください。



どうか、お願いがあります。


私のチャイルドに、「赦す」と、言ってくれませんか?




怒りの、最後の残りを、みつけた私は、この手紙をたつさんへ送った。


私の中に、自分に怒りを向ける自分がいる。

そう、私の世界をゆがめる目である、自虐的な精神は、ここから、始まっていると感じた。

しかし、チャイルドは、自分への怒りを

手放すことを、強く拒んでいた。



丁度、その頃、

たつさんが、マグダラのマリア物語を、

エクササイズの一環として、文章を書きあげてくださった。


そして、その物語の後尾に、

このように、書きしるされていた。


「あなたの罪をゆるします」

行き行きて、

触れあうまわりの人を、

あなたが許されたごとく、許しておあげなさい。

あなたが愛されたごとく、愛しておあげなさい。

これからも、一人でも多く、愛してあげてください。



この言葉を読んだ瞬間、

暖かいものが、胸の内に入り込んできた。



いま、許された存在で、いられるなら・・・

そう思ったら、だれかに怒りや、憎しみを持ち続ける理由なんて、

どこにもないじゃないか。

そういう想いが、さらさらと、音をたてるように、

心に流れ込んできました。



当時の私は、そう、表現しています。

怒りの解放で、自分自身を父母から、取り戻したあと、

私は、「赦し」を享受し、自分への愛を、取り戻したのでした。




この時、私のまわりには、小さなきらきらした、

霧の光が、漂っていました。

これは、瞑想中ではなく、

現実に起こった出来事でした。


最初は、目の錯覚だと思いました。

念のために、掌に、光のつぶを乗せてみようとしました。

水の光の粒は、ふわりふわりと、上から降ってきては、

私を包んでいきました。

それは、まるで、山頂のダイヤモンドダストのようでした。

粒が降っている場所と、降っていない場所の区別も、

ちゃんと、つくくらいでしたので、

幻では、ありませんでした。

やがて、それは、薄くなって、消えていきました。


後に、たつさんからは、「それは、洗礼かもね」と、言われました。

私は、きっと、誰かに、祝福されたのだろうと、思うことにしました。



その後・・・チャイルドの様子を、

当時、書きしるしたものを、コピーして、

「怒りの解放」シリーズ、エクササイズを、終わります。




チャイルドは、自分のことを、反省しています。

今まで、人に対して、怒りで接していたけれど、

それでは、自分が、なりたい大人になれないと

理解したみたいです。

父母に対しては、自分と父母とは、違う存在なんだと分かったようです。

彼らの結婚に、自分は責任を負う必要はないと、

すっきり整理できているようです。

自分が、今まで、父母から教えてもらえなかったことを、

教えてくれるか?と、大人の私に、たずねてきました。

もちろん!と返事をしました。

私は、10歳のチャイルドの肩を抱いて、引き寄せ

一緒に歩きます。

チャイルドは、心を許したように、こちらに頭を傾けてきました。

今まで、一人で、頑張って、がんばって、

突っ張っていた、チャイルドの体から、

力が抜けていくのが感じられます。


小学校が見えてきました。

チャイルドは、私から離れて、歩き出し、

ちょっと、振り返って、にっこり笑ってみせました。

そして、学校の長い階段を、駆け足で、のぼっていきました。


私は、私を許します






数日にわたって、長い文章を、お読みくださって、
ありがとうございました。
私の経験が、少しでも、皆様のお役にたちますように、
心から、願っています。

りんりん & りん より。



追記

この頃から、不登校であった、息子のリストカットや
自虐行為が、次第に、治まってきたことを、追記しておきます。
子どもは、母親の心の姿を反映しているのだと、
思ったことでした。

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怒りの解放(5)~殺りくの現場~
2009-07-10 Fri 00:10
この怒りの解放について、

何か有効な資料はないかと、色々、本やネットを、探しまくった。

先人たちの言葉を探しているうちに、不思議な符合の一致に

気がついた。



「怒り」の対局にある「赦し」。

しかしながら、この「赦し」という言葉には、非常に惹かれながらも、

多大な嫌悪感も募った。


試しに、怒りを検索してみてください。

結構、対の言葉として、「怒りと赦し」という言葉が、

ひっかかってきます。



聖書の言葉が引用されたり、しています。

しかし、回復途中のACにとっては、毒にしかならない。


「右のほほを打たれたら、左のほほを差し出せ」なんて、

腹がたって、できない。

打ち返したくなる気持ちが、ふつふつと、湧き出てきました。



それは、私の気持ちなのか、チャイルドの気持ちだったのか。。。

その気持ちは、次第に、心の声になっていった。


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「どうして、赦さなければならないんだ?」

「たとえ、赦しても、相手は、何も変わらないじゃないか」

「あたしは、苦しい思い、悲しい思いを溜め込んでいるのに、
 
お父さんとお母さんは、何も知らずに、一生を過ごし、

そのまま死んでいくなんて、 絶対、ゆるさない!」

「復讐したい。許すなんて、できない」

それは、内面から湧き出る、激しい抵抗でした。


感情が、少しずつ出始めていました。


私は、このまま・・・一気に、怒りの解放へと持ち込みたい気持ちで

後に続く、怒りを自分の中から引き出すチャンスを、覗っていました。


丁度その頃、スーザン・フォワード著の、「毒になる親」という本を読んでいて

本の中の、「親との和解」のエクササイズに目が留まりました。

怒りの浄化の方法として、

“気持ちが、どうしても治まらなかったら、

カラのイスに、憎んでいる相手が座っていると想像して、

新聞紙で、ぽこぽこ殴りなさい“

というエクササイズが、あった。




なんか・・・、それでも、甘っちょろいな・・・

笑っちゃうな・・・

でも、探していた、方法としては、これが、一番、

近いかもしれない。


ああ、でも、こんなもんじゃ、だめだ。

新聞紙では、だめだ。

だめだ。

チャイルドが失望しているのが、わかる。

もう、チャイルドの怒りは、出口を求めて、

そこまで、噴き上げてきている。


あとは、準備が整うのを、待つだけだ。


どうしたら、いい?



やって、いいのか・・・?


殺っていい?

殺っていい?


そう、ささやいてきた。


その時、

仮の親が、言ってくれた。


「おやりなさい」と。

「やっておしまいなさい」



GOサインが出た。

チャイルドが、小躍りしながら、怒りを、発動させた。

そのときの大人の私も、

その一言を、心から熱望して、じりじりと、待っていたのだった。



瞑想・・・


場所は、実家。


アンソニーさん(援助者)が、でてきた。

そして、場にそぐわない明るい顔で、

幅の太い剣を、チャイルドに渡す。


白い狼が現れた。
(この狼は、私が過去、小さいころに、作りだした、別人格です)


私は、チャイルドに意識を重ねる。

剣をもって、家の中に入る。

狼もすぐ、そばに一緒にいてくれる。


おとうさんとおかあさんが喧嘩をしているシーンが再現されている。


この状況でも、やつらは、自分のことしか考えない。



狼が、そろそろと、音もなく、父親近づいていく。


大人の私の中で、再現された言葉が、こだまする。

最後に、父親と大ケンカして、殴られた日、

「こいつは、いつか、親を殺す!」

と、ヒステリックに、叫んだ父親の言葉。


悲しい予言。


狼が、いっきに、飛び上がって、父親の首に噛み付いていった。

父親が、叫んで倒れる。

狼の口は、赤い血で、汚れている。

傷口をおさえて、うなりながら床に倒れこむ父親。

すかさず、チャイルドは、剣を振り上げて、

そのまま、父親に向かって、振り下ろす。




血が四方に飛び散る。

ぬるぬるとした、血の感触が、リアルだった。


血だらけの父親が、何か言った。


「おまえ、親を殺すのか」


チャイルドは、一瞬ひるむ。


私も、重なっているので、チャイルドに、力を送る。




「自分のしてきたことさえ、しらないって言うんだ。

私がどういう気持ちだったなんて、知らないっていうんだ」

チャイルドは、そう叫んだ。



そして、最後に、父親の腹に、剣を突き立てる。


床の上、


父親らしき人が、剣を突き立てられて、うめき声を上げている。


哀れに見えた。


自分が何をしてきたのか、何も知らないでいる。


もう、いい。

それでもいい。



「さようなら」

チャイルドと私が、重なって、言う。


父親は、動かなくなった。




今度は、母親。

母親は、怯えていた。

何が起きたのか分かりもせず、

知りもせず、

我が子を、恐怖で見つめていた。

この人も、自分の罪が分からずにいた人。


(アンソニーさんが、もう一本剣を投げてよこした)


少し、ためらった。

ためらわせるもの、それは、

偽物の愛情。


アンソニーさんが言った。


「やっちまうんだ!」


声に促されて、母親を剣で、刺した。

父親と違って、心臓だけを狙って、貫いた。

壁に剣が刺さってしまって、そのまま、母親は、死んだ。


その様子を認めてから、

私たちは、今まで育った家を出た。


私は、チャイルドから分離して、

血だらけのチャイルドを抱きしめた。


チャイルドが、泣いている。

私も、泣いている。


やり遂げた、思い。

満たされた思い。


しかし、さらに、

アンソニーさんが、剣を、私に、くれた。

まだ、残っている。


もう、止められないのだ。


その場を離れます。



そして、夫。

「あなたは、私に、必要ない」

私は、そう言った。

そして、夫を剣で切ってしまいました。

まるで、作業のように、淡々としています。

あっけなく、彼は、床に転がった。


そして、「T」。

勢いが付いているので、怯まなかった。

彼女は、止めさせようと、愛情深く、こちらへ向かってきた。

しかし、思い切り、剣を振り上げた。

「もう、おわりにしよう。さよなら」

そう言って、彼女を二度、三度、頭から、切ってしまって、殺した。





復讐。。。


すべて、終わり。

これで、おしまい。











ああ、わかった。

すごく、納得した。

「殺す」ということは、執着を切るという事だったのだ。


アンソニーさんが、剣を受け取る。

そして、しっかりと、肩を抱いてくれた。

チャイルドも、誇らしげに、微笑んでいる。

お互い、血だらけなのに、

とても。。。。




とても穏やかです。



やっと、自分の心を取り戻せた。

私のものが、私に戻った。



白い狼が、ふわりと近づいてきた。

私には、狼が別れを告げにきたのだと、分かった。


「長い間、私のそばにいてくれて、ありがとう」

そう、抱きしめて伝えた。

そうして、狼は、手の中で、消えていった。




願いは、果たされた。



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怒りの解放(4)~実践編・・・それでも、足りない~
2009-07-09 Thu 19:43
歩行期の怒りを吐き出せたことで、

脱力とともに、しばらく、小康状態を保つことができた。


しかし・・・

それでも・・・


何か・・・




残ってる気がした。



エクササイズをすすめながら、

やがて、学童期へはいった。


学童期と言えば、小学校、高学年。

精神的に早熟な子は、多感な思春期へと、はいる頃です。

私は、早熟とは、ちょっと、違ったのかもしれませんが、

機能不全家庭の後遺症のためか、

この頃、「本当の私を知ったら、みんなから見捨てられる」

という、恐怖を持っていました。


「いい子」では、ありましたけれど、

世間とは、ズレた、感覚に、悩まされていました。

それは、その後、私のこれまでの人生を、

ずっと、支配し続けてきたものでした。

私の内部に触れる人は、憎しみの対象になりました。


自分が、自分でない感覚。

消滅したい感覚。

滅びの感覚。

破滅・・・。


そういうぎりぎりのところで、

精神を保つには、

自分と感情を切り離す必要があったのです。



そうして、思春期に差し掛かったエクササイズを行ううちに、

私は、再度、行き詰まりを感じてきました。

学童期のチャイルドに、

かける言葉が出てこなかったのです。


幼児期の自分には、十分に、

愛情を表現できたはずなのに、

大人になりかけた、チャイルドには、

「私を信じて」と、言えなかった。


私の幼児期のエクササイズは、幼稚園なみな、

素直な感情表現ができた。

しかし・・・

学童期のチャイルドは・・・

大人の私の嘘や、虚構を見抜くように、

鋭く、私をむこうから、見つめるのだった。


「うそつき」

いじわるく、そう言う。


私は、このチャイルドを前にして、

手も足も出なかった。


幼児期のチャイルドの怒りとは、レベルが格段に、違った。

学童期のチャイルドの射抜くような、怒りのまなざしは、

大人の私と同じだった。


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怒りの解放(3)~実践編~
2009-07-09 Thu 02:10
以前、私は、歩行期のチャイルドとの出会いを書きました。

その中に、怒りのエクササイズの第一弾がありました。

歩行期といえば、私は、小さな、おむつが取れたばかりの

よちよち歩きの、小さな、小さな、女の子です。


私は、このブラッドショーのエクササイズにのっとって、

小さな女の子になり、追体験をはじめました。

その際、チャイルドは、私の体に、枝を突き刺し、

怒りあらわにして、私に向けてきました。

覚えていらっしゃるでしょうか(汗;

しかし・・・

大人の私自身に戻ると、怒りが、出てこないのです。



そこで、ブラッドショーのエクササイズにのっとり、

怒りを出すという、瞑想を何度も、繰り返し、

行ったのでした。


「怒ってもいいのだ」という許可は、仮のおとうさんから、すでに、出ていました。

しかし、はて・・・

「何に怒ればいいんだろう?」


そういう迷走状態がしばらく続きました。

それくらい、怒りがわからなくなっていたのですね。


そして、ある日の瞑想で、突然、

鉛筆を持った手に、パワーが、宿ったように、

紙に字を書き始めました。

いや、書きなぐりはじめたという方が正しかった。


それが、以下の文章?です。

ブラッドショーは、手紙は、意味をなさなくてもいいと、

最初の説明で、してましたが、

一旦、感情が発露しだすと、

実際のところは、手がつけられないほどの、

支離滅裂で、強烈な怒りがわき出てきました。


小さな子どもの、言葉というより、「感情」の断片だと感じます。

多少、意味が通じるように、後で手を加えました。



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(2006.2.22.水)


だれも、いない。


だれもきてくれない。


いつも いつも いつも いつも かなしい。


あたしなんかを  大事にしてくれる人 がいなかった。


さびしいよ。


さびしいよ




さびしいんだって!






あんたには、あたしなんか、いらなかったんだよ。


みんなしんじまえ!!!!



あんた、要らないと言った。 だめといった。





おまえなんか死んでしまえ。



みんな死んじゃえ!



あたしを笑った。


あんた、私を冷たい目で見てた。


あざけりで、あたしをみてた。



死んでしまえ!



お ま え な ん か、 い ら な い。




許さない。


あたしを傷つけて、楽しんでいた


満足してたじゃない



知ってるよ、あたし。























暖かい手が欲しかったよ。

抱いて欲しかったよ。

かわいいといって欲しかったよ。

抱きしめてほしかったよ。

ただ愛して欲しかっただけだよ。



愛してよ




でもいらない。



あんたの汚い手で あたしをさわるんじゃない!





欲しいものは何もくれなかった。


大嫌いだ。


大嫌いだ。

生まれなきゃよかった。

私なんか生れなきゃよかった。



そう思わせたのは、あんただよ。

飾ることが愛情?あんたは馬鹿だ。

かわいそうな人を演じて

あたしに、罪をおしつける。



あたしは、生きていいはず。

なのに、あんたは私を殺そうとする。



何度も何度も。

あんたのココロは氷のように冷たい。


ちっともかわいそうじゃない。

あんたは好きでそこにいるんだって。

あんたなんかいらない。




あたしはあんたにとって、悪い子、恥ずかしい子。

あのとき、あんたは、あいつに味方した。

あれほど、きらいな あいつと 同じ顔をしていた。



あのとき、

あのとき、





あたしは、すましたあんたが大嫌いだ。



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「あんた」と呼んだのは、母のこと。

「あいつ」と呼んだのは、父のこと。

「あのこと」というのは、

私の、幼児期を代表する、強烈なトラウマ。

文章の支離滅裂さは、子どものゆえのこと。




キライなのに、愛されたいと願って、願って、

願いつくして、かなわなかった夢。

それが、幼いころの私の怒りでした。

どうして、隣のあの子は、幸せそうに笑っているんだろう・・・

そんなことを、思っていました。



3歳~5歳の子どもでも、これくらいの怒りは、

ちゃんと、感じていることを、知って欲しいと思います。

その頃から、ずっと、私は、本当に、笑わない子でした。




今振り返って、書いていても、怒りの感覚が戻ります。

ただ、愛されたかった小さな子どもに、

なんの罪があったのでしょうか・・・


今、どこかで、泣いてる子どもたちを思うと、

泣きそうになります。



続きます・・・


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怒りの解放(2)~実践方法~
2009-07-07 Tue 21:04
■怒りのエクササイズ


「私はものすごく怒っている」を手紙に書く。

 はじめにはっきりさせておきたいことは、

この「私はものすごく怒っている」の手紙はほんとうに出すためのものではありません。
この手紙を書くことはあなた自身の癒しのためです。

誰かに伝えるためのものではありません。


自分の頭のなかで誰かがしたことを何度も繰り返し考えてしまって、

何度も繰り返し怒ったり、動揺しているとき、

この怒りの対象が、このエクササイズで焦点をあてるのに適切な人物になります。


その人は今、あなたをさえぎったり、脅したりできません。

「私はものすごく怒っている」を手紙に書く作業は、

もしかしたら1日以上かかってしまうかもしれません。

経験したことをじっくり考えてみたり、

ありったけの考えや気持ちを書き出すにはたくさんの時間が必要です。

このエクササイズは20分のエクササイズですが、

自分で満足のいく手紙を書き上げるまでに、

このエクササイズを3~5回ほど繰り返すことになるかもしれません。


鉛筆かペン、そして自分にとって書きやすい紙をたくさん用意してください。

机の上で取り組むのがいい人もいますし、

寝転がって枕を抱きしめながら書く人もいます。

とにかく、自分にとって書きやすい姿勢で座ってください。

姿勢はいつでも自分が心地よいように変えてかまいません。


●ステップ1:

 エクササイズの始まりです。

 まず、心を落ち着けて、

 あなたのためだけにとっておいた時間と空間に入っていくのに、

 はじめの3分間を使ってください。

 自分の呼吸に意識を向けてください。特に息を吸うことに。

 そして2分間、とても力強いエネルギーを恵と共に取り入れているような、

 そしてそのエネルギーを自分の書くほうの手に送っていくような、

 そんなイメージを思い浮かべてみてください。

 だんだん手が温かくなった感じがしたり、

 まるで手が大きくなっていくような不思議な感覚を持つかもしれません。


●ステップ2:

 あなたがこのエクササイズで対象にしている相手に関して、

 とても怒っていること、その出来事を思い浮かべてみてください。

 怒リが沸々とわき上がって、

 自分のなかで膨らんでいくにまかせてください。

 強い怒りが溢れんばかりになったら、書きはじめてください。

 エクササイズの残り時間を念頭において、

 最後の3分間もエクササイズを終わらせるための儀式に残すのを忘れないように、

 書いてください。
 

 「(怒りの対象の名前)」から書きはじめてください。
 
 そして、

 「私は・・・・のことにものすごく怒っている」という形で書きつづけてください。

 すべての文をこの形で書いてみてください。

 「・・・・」の部分は、具体的にあなたの思いを書き綴ってください。
 
 ただ、書きつづけてください。

 意味が通じるかどうかなんて、気にしなくっていいんです。

 そして、書いたことに対して、自分にとって励ましの言葉をかけてあげてください。

 例えば、「これはほんとうだね」とか、

 「少なくとも私は自分のなかからこの怒りを出しているんだ」などです。


●ステップ3

 元の世界へ戻ります。

 最後の数分を使って、息を静かに吸って、今度は吐き出す急に注意を向けます。

 息を吐き出すたびに、

 今まであなたが怒りのために抱えていた、

 張り詰めた感覚もー緒に吐き出してしまうような、

 そんなイメージを思い浮かべてみてください。

 もうすべて書き出してしまったのです。

 もう頭のなかで繰り返し考えたり思い起こしたりする必要はありません。


怒りの感情がわき起こる出来事を思い出すたびに、

この手順を必要なだけ繰り返してください。

そして、いずれすべての傷ついた体験を書き出せるでしょう。


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以上が、おおまかな方法論です。

>この「私はものすごく怒っている」の手紙はほんとうに出すためのものではありません。
この手紙を書くことはあなた自身の癒しのためです。
誰かに伝えるためのものではありません。

とありますね。

これは、手紙を出したところで、相手が変わることは、
経験上・・・ありません。
残念ながら・・・。

自分のために、自分の怒りを吐き出すことが、
このエクササイズの目的ですね。

それだけでも、かなり・・・生きやすくなります。

これは、経験した者として、断言できます。

次回から、私のエクササイズの内容を、
UPしていきます。


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