author : rinrin
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【アダルトチルドレン・不登校】抱いて生きる
2011-10-16 Sun 12:49
ある不本意な出来事が起こると
人は、「なぜ?」「どうして?」
と世界中に問いかけます。

何か外的な要因に、責任をなすりつけようとしたりもします。

不登校の場合でいうと「どうして、うちの子が、不登校になったのでしょう・・・」
ACで言うと「どうしてこんな家庭に生まれてきたのだろう?」という
根源的なところまで遡ろうとします。

しかし、いくら問うたところで、答えは外にはありません。


3年前、長年看病した愛犬が亡くなった時、
私の中の何かが変容したように思いました。
一体、何が起こったのだろうと、その時のことを
振り返ってみても、明確ではありませんでした。
最近、やっとわかったような気がします。

「悲しみと共に生きていく覚悟」という事ではないかと。

悲しみを無理に忘れようとしたり、
悲しみを無理やり楽しかった思い出に変換して、
悲しくないふりをし続けるという事ではありません。
(ガンガンポジティブ^^;)
また「かわいそう」と嘆き続ける事でもありません。
(ガンガンネガティブ)←某携帯のパクリです。

私たちACは、過去に失った時間(喪失)があまりにも多い。

喪失から立ち直るためには時間が必要です。

衝撃(失う・または失ったことに気づく)

自分の感情を抑圧する

怒り・罪悪感

思慕(同じものを探し求める)

迷い・慢性的な悲しみ・引き戻し(手に入れられない事による迷走)

転機・事実を受け入れる

大まかに言えば、こんな感じかもしれません。


ACの根源的な問い・・・私はなぜ、生きなければならないのか?

答えはないのかもしれません。。。


失った悲しみを抱きつつ、人生を生きていく覚悟が出来た時

過去の亡霊から解き放たれるのかもしれません。

そして、失った嘆きを 誰かと一緒に共有し続けることで

1人で抱える荷物もまた、少なくなるでしょう。

失ったもの同士だからこそ 共有出来る事もあるのです。



人生は、悲しみも、苦しみも、憎しみも、醜さも、後悔も、失敗も

そして、喜びも、楽しみも、美しさも、成功したことも、感謝も・・・

すべての事実を受け入れて、胸に抱きながら生きていくものかもしれません。

だからこそ、1人1人の人生のドラマは、愛しく、切なく、そして

空に輝く星のように 燦々ときらめいて見えるのでしょうね。


りんりん
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母親への投影
2011-08-24 Wed 11:08
カウンセラーとの関係が近しくなっていけば

クライエントは カウンセラーに

幼少時代に満たされなかった母親・父親像を投影します。


過去に養育者にぶつけられなかった怒りが噴出します。

他にも、見捨てられ不安感を強烈に感じたりします。


苦しい時期ですね。


反対に

独占したい気持ち

自分の欲求をかなえて欲しい

いつもそばにいて欲しい

かなえられない願いと知ってはいても

様々な気持ちを抑えられなくなるほどに

かつての幼い心は 理想の受け止め手(母親)を求めているのですね。


世の中に、そんな理想的な人はいないけれど

自分は、大切にされている

と思えるまで(自分と母親と折り合いを付けられるまで)

非常に苦しい時間が続きます。


長年放置されてきた満たされなかった幼い心が

母親を求めて、勘違いをしてしまうんです。


そんな投影が 怒りになってカウンセラーや

近しい人に向かったり

反対に独占したくなったりさせる心の仕組みがあるのです。


満たされたいという欲求を、さかのぼったら

幼い頃・・・母親から見てもらえなかった

ひざを抱えて泣いてる自分なんですね。


実は、このプロセスは、自分の軸を作るためには、

必要なことなんです。


小さな頃の、母親への愛着を

投影という形で追体験し

母親との葛藤(怒り 悲しみ 憎しみ 愛着 一体化)を経験し

やがて、さなぎが蝶になるように自分の羽根で飛び立って行けるのです。


カウンセラーは 自分の理想の母親ではなかった

でも、私を大切にしてくれる存在

それが 葛藤の行きつくところだと感じます。


そんな時は 兄弟姉妹の存在 たくさんの人の応援 支えが

生みの苦しみを緩和させてくれると思います。


 
投影は 誰もが多かれ少なかれ体験するものです。

恐れず、自分と対峙していって欲しいと思います。

夜明け前の暗さに、愕然とすることもあるかと思います。

でも、必ず太陽は昇ります。

自分を信じて 欲しいと心から願っています。

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喪失とは 【不登校・アダルトチルドレン】
2011-07-14 Thu 07:00
「子供の頃から 喪失してゆくことを慰めてくれる基盤を持っている人と 

持ってない人では喪失に対する固執が大きく違い 

基盤を持ってない人はちょっとした喪失にも 不安を抱えてしまうでしょう。

子供の頃から、家族に暖かく受け入れられないで育った人たちは

慢性的な喪失を繰り返し 安心すると言うことを失ってしまうのです」

             壊れた心を取り戻すより~きんたろうさん~


まず、喪失とはなんでしょうか

過去に大切なものを失ったときに感じる苦痛の状態が、

解消されないまま、長期の間に渡って残り

現在の感情になんらかの不都合な影響を与えている状態と

表現していいかと思います

また、喪失とは、人が生きている限り、

必ず遭遇するものですが、

①その後の人生に影を落とす場合と

②喪失を乗り越えて、再出発できる場合が

あるかと思うのです。



なぜ、①と②の分かれ道ができるのか

このことをまず、考えてみようと思います。


①の場合、「心に傷を負った状態」です。

喪失を経験した場合、人は二つの気持ちの中で葛藤をします。


「失った悲しみを感じ続ける自分」と「このままじゃいけない」という葛藤ですね。

この葛藤状態が、年単位・・・長期に渡ることで

次第に葛藤することに身も心も疲れ果ててきます。

そして次第に心の防衛反応が生じ「喪失」自体を

心の奥底に抑圧していきます。

しかし、「喪失」という心の痛みだけを抑圧できるほど

人間は単純ではありません。

喪失に関わる、すべてのものも同時に、封鎖していかなければ

喪失に関わる心の痛みは防ぎきれるものではないのだろうと思います。


「なかったことにする」「しょうがなかった」

「たいしたことではなかったのだ」

という逃しの操作


「自分のせいで失くしてしまったのだ」

という自己犠牲の納得



もし、幼い子どもであったら

「自分が悪かったから」という思い込みも発生するかと思います。

(自虐的思考の発生)


そうしているうちに、他者と自分との間に深い溝ができてきます。

自分だけ世間の動きに取り残されてしまう恐怖・孤独に苦しみながらも、

それでも強烈な「喪失」をよみがえらせることよりもましであると

そう思うのでしょうか。

心の中に閉じ込められた喪失は誰にも語られることなく

気づかれることもなく、涙も流されることなく、

何十年も封印されていくのです。

「喪失」がもたらす、心の封鎖は

やがて、感情を鈍感にさせていきます。

(感情封鎖)


やがて「喪失」を味わう恐怖から、

喪失という経験を二度と味わうことがないよう

「愛する」「好きになる」ということを自分から遠ざけます。

実はこのことが、喪失そのものよりも

悲しいことではないかと思うのです。



②の場合

もし、大切な誰かを失った時、

誰かがそばにいてくれたり、悲しみを受け止めてくれる人がいたら

どうでしょうか。

思い切り泣くこと、嘆き悲しむことは、健全な心をはぐくむためには

必要不可欠だと思うのです。

感情を感じることで、喪失で感じた心の傷は、回復へと向かうのですね。



声をあげて子どものように、泣く

そして、一緒に泣いてくれる人の存在

嘆きのプロセスには、他者の存在が不可欠です。

子どもならば、親、兄弟

大人なら伴侶、友達、親友でしょうか。


しかし①の場合の「喪失」を人生において

経験し続けた場合

喪失は、深い心の傷となっていきます。



心に傷を抱えた私たちは、自分の心を満たそうと

意識的であろうと無意識であろうと 日々何かを追い求め

遠いまぼろしを追い求めるようになることでしょう。



例えば、叶えられなかった夢を子どもに託したり

子どもの頃に埋められなった未消化の不安を、

現在と未来を不安で埋め尽くそうと 思考の方向性と生き方を決定づけたり



子どもの頃、がまんし続けたことを

大人になって、ギャンブル、収集癖(コレクター)、お酒(緩んだ気持ち)、煙草(赤ちゃん時代の口さびしさ)

お金、食べ物などで埋めようとすることもあるでしょう。


暖かい食卓を得られなかった人は、暖かい食卓にこだわるあまり

やりすぎて家族に辟易される場合もあるでしょう。


キーワードとして、我慢してきたこと、必要以上の現状への不安感、

先読み不安、暖かいものへの渇望、失う恐怖・・・


これらは、「今」の瞬間を、常に過去に引き戻す力を持っているのではないかと思います。

強く無意識が「喪失」の発見を本人に求めるがゆえに、

そこから離れられない状態を作りだしているのかもしれません。



同時に「自由な子ども心」の発動を抑え込み、

人の素直な感情をも奪っていく力を持っているのではないでしょうか。

(感情がその時の痛みのまま凍結されて保存されている状態)


私たちの人生は「失ったものを取り戻そうとする力」に振り回されることになります。

やがて、いつの間にか、一体なにを追い求めているのかさえわからなくなって、人生の迷い子になっていくのでしょう。

心に傷を負った私たちは、常に子どもの頃の喪失と共に生きているのかもしれません。

「喪失」からの回復は、失った自分の心(感情)を取り戻すプロセスになるのではないかと思います。
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グループ・エンカウンターのすすめ(
2011-06-10 Fri 13:18
リメーク版を、こちらでアップしました。(2012年6月7日)


グループでのカウンセリングのことを、
「グループ・エンカウンター」と呼びます。

「エンカウンター」とは「出会い」という意味ですね。

グループの中で、今まで知らなかった自己との出会い、他者との出会い、
自己と他者との親密性を深める、ことを目的として今日まで発展してきた手法です。

現在日本のカウンセリングの主流である「傾聴法」は、
カウンセリングの大御所「カール・ロジャース」に
よって開発されたものです。
「ロジャースの来談者中心療法」は、カウンセリングの基礎を学ぶ時に、
必ず学ぶことではあるのですが、
当のロジャースさんは、晩年、傾聴法ではなく、
「グループエンカウンター」しか、やらなかったということは、
あまり知られていないかと思います。

「グループ・エンカウンター」についてもっと詳しいことを知りたい方は、
ぐぐってみてくださいね^^;

さて、この「グループエンカウンター」は、あなここでも、
「アメーバピグ」「トリプルセッション」として、
取り入れていますので、これらの意義をお伝えしてみたいと思います。


下記の図は、「ジョ・ハリの窓」です。

ジョハリの窓


①自分も周りもしっている自分

これは、「自分」が思う自分像と、他者が感じている「自分」像が、
一致しているということですね。
一致しているということは、自分のことを客観的、正当に評価できていること
そして、そのことを他者に安心して見せることが出来ているという、
バランスの取れた状態ではないかと思います。
嫌なところも良いところも互いに共有し、信頼できる状態。
人間関係では、もっとも自然で葛藤の少ない状態だと言えます。


しかし、AC傾向の強い方、不登校の家庭によく見られるのが
グレー部分の②③④ですね。

自分の内面と人が評価してくれる自分が、ずれていると
感じることが、多々あります。

例えば

「あなたは、誠実でまじめな方ですね」と他者から言われた時
自分の中に、
「ホントの私は違う、そんな誠実な人ではない、まじめなんて言って欲しくない」
という気持ちがわきあがります。

この状態が②と③の間で、ズレで生じるのだと考えます。

あるいは③のみ突出することが、独特の「こっけいさ」に繋がるのかもしれませんね。

②③④のように、隠された自分が大きいほど、
人間関係は大きな緊張感と不安、恐怖を伴います。

そこで、「めんどくさい」「1人が好きなの」という言葉で、
不安、恐怖を相殺・誤魔化しながら自分を押し込めていきます。
同時に、「理解されない自分」に違和感を抱きながら
プライドを打ち立て「私のことは誰にもわかってもらえない」
と、究極の壁の中に引きこもってしまいます。

本当の自分は、心の深いところに置き去りにされたまま
誰にも見いだせられないまま、生きていくことになります。


しかし私は、人は誰でも自分の本当の姿を知って欲しいと
渇望し、願っているものではないかと思うのです。
その願いの強さゆえに、理解されない虚しさと失望も
巨大になり、あきらめざるを得ない・・・

諦めたと、思っても、なお、諦めきれない無意識の想いが
他者をまきこんだ、共依存、DV、怒りの訴え、母子一体化、各種の依存症となって
現われてくるのだろうと考えます。

これでは、相互に安心で信頼できる関係を構築することは
非常に難しいと感じます。

相互に、ゆるやかで、安心な人間関係(親子関係)を作っていくためには

①「自分も周りもしっている」という状態を
拡大していくことが、自分の成長、回復に繋がるのではないかと思うのです。

そこで、②③④の隠された部分を
①の状態にもっていく必要があるかと思います。
「自己開示」と「互いのフィードバック」ですね^^

ここで、注意すべき点が2点あります。

★「自己開示」・・・これは、ともすれば「怒りの放出」「訴え」
あるいは、他者を巻き込もうとする意図的な言葉などと、勘違いされやすいということです。
自己開示とは、「私は、こういう人です」「私はこう、思っています」ということの提示ではないかと思います。
そして、信頼度が増すたびに、相互に開示する場所も増えていきます。
その積み重ねがあってはじめて互いに「深く安心な信頼関係」が構築されていくのだと思います。    
一方的な訴えと、自己開示は、全く種類が違うということですね。
その違いをわかるには、自分が自己開示をしている最中の、周りの状態を感じてみれば
わかるのではないかと思います。
そこに、暖かいまなざしが、あるのか、
相互に尊敬の気持ちがあるのか・・・客観的に見て頂きたいと思います。


★「互いのフィードバック」・・・互いに率直に語ることは、とても大切なことです。
しかし、言葉の中に相手を思いやる気持ち、暖かさが必要だと思うのです。
相手が傷つく言葉を出せば、自分に「トゲ」として返ってくるものです。

トゲとして返った言葉は、自分を正当化させる誤魔化しの言葉で
隠されていきます。

この状態は、本末転倒です。一体なんのために、エンカウントしているのか
わかりませんね。


相手の背景を理解して、自分の気持ちにフィードバックしていくことは
大切なことではありますが、愛情深き言葉として率直に伝える練習も必要かと思います。

この二点は、非常に重要なことですね。
どちらも、積み重ねていくことによって、互いに信頼関係を深めることが
できると思います。

伝える側も、伝えられる側も、受け取る用意が整っての
「自己開示」「フィードバック」であるのです。

ただ、自分のことを語る、話したい、それは、自己開示でも
フィードバックでもないと思うのです。
(この状態は、③に陥りやすい状態ですね)

会話を重ねるたびに、「ここまでなら、この人に聞いてほしい」
そういう気持ちが、自然と湧きあがってくるものだと感じます。

思いやりと、尊敬を込めて、自己を開示していく
互いの意思が必要かと思います。
受け取った方も、相手への尊敬と愛情をこめて、受け取っていきます。


「グループ・エンカウンター」

普段はあまり、耳慣れない言葉ではありますが、
いかがでしたでしょうか?

皆様の 「自分との出会い」、「他者との出会い」が、
もっと、深くなりますよう、心から願っています。

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自己嫌悪の仕組み(不登校・AC)
2011-05-09 Mon 13:34
「やってしまった~」と我に返ったとき



「だめな私」に直行する回路があります。

おそらく心の力が強い人は、数時間・・・数日で立ち直ることが

できるのですが、

立ち直り方にもいろいろあるのではないかと感じます。


a「やってしまった~~」

   ↓

b「自己嫌悪」

   ↓

c「私は、さいて~」が、気持ちの中でエコーし続け

 過去のこともドロドロと重なって、一か月も二か月も立ち直れない。

ひどい時は、半年、一年、もっと・・


この立ち直れない状態は、なぜ、起こるのでしょうか。



a→b→c の流れの中で、



a→b

というパターンは、誰にも起こりうる状態なのですが



b→c

は、心が健康な人には起こりにくいのですね。



このb→cに、なってしまうのは、なんらかの心の癖の作用が

あると考えていいかと思います。


皆さんは、自己嫌悪に陥っている人の状態を、そばでよく感じてみたことないでしょうか?

まったく、外部の情報が入っていないようで、

心、ここにあらずという感じを受けたことはありませんか?

どこか、意識が遠くに飛んでしまっている状態で・・・

慰めも励ましも、素通りしてしまってる感じ。



これは、ひとつの「逃避」の形なのかもしれませんね。




自己嫌悪では、ひとつのカギになるものが、

「こんなはずでは、なかった」という自分に対する

不本意な気持ちだろうと思います。


「こんなはずではない、私」

ということは、こんなはずでない私というイメージが

すでに、自分の中に形成されているということですね。



「思っていた自分と違った」というショックを隠すために

自己嫌悪という逃避に走るのだろうと思います。



では、「思っていた私」ってどういうものなのでしょう。



「もっと、できる自分であるはずだ」

「もっと、やれてる自分がいるはずだ」

「こんな、無様ではない自分がいるはずだ」

いろいろあるとは、思うのですが

これら、ひっくるめて、



「プライド」と言います。

この状態は、もっと、ちゃんと出来るはずの自分への渇望とも

とれます。

よって、「できるはずの自分」という根拠のない不確定の思いへ、

思考が飛んでしまうんですね。



できてるはずの自分と、現実の自分のギャップ。

現実の自分を ないがしろにして

自分の思い込みの世界に浸る思考の癖が

自己嫌悪だろうと感じます。



また、失敗した現実を受け入れられないとき、

プライドが、むくむくと、立ち上り

失敗を、今後に生かすという、

最も、大切なことを見ることも出来ず

自己嫌悪 という、恨みがましい「訴える」状態へと、知らず知らずのうちに

陥っていくのですね。

ちなみに、自己嫌悪は、雪だるま式に、大きくなっていきます。

これでは、何年かかっても、悪循環から抜けられません。


失敗したときの立ち上がりかたとしては

事実を忠実に、公平に 見ること。

そして、次に生かすこと。


そして、自己嫌悪という、安全な場所に逃げ込まないこと。



この事は、新しいやり方ですので

当初は、かなり心の抵抗(痛み)が起こると思います。

その、抵抗(痛み)を和らげるものが

同じ苦しみと目的を持つ仲間と気持ちの通いあいだろうと感じます。

互いに、乗り越える力を得ることもできると思います。

(注:同調ではないことを、重ねてお伝えしておきます)



長年蓄積して作られた癖は、

少しずつ意識できていくことで

ちょっとずつ、回路のつなぎかえをしていく努力を

していくことでしか、修正できませんが

 

「私が、変わる!」



「私がやる!」



このことを心に刻みつつ

「偽プライド」を、「本当のプライド」に、変えていって欲しいと

心から願っています。


この本物のプライドを手に入れた時

親子再生に、家庭が、動き出すのではないかと感じます。


*(この記事は、アメブロにも同時掲載してます)
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そこから抜け出してみよう
2011-04-26 Tue 14:42
ネット歴、10年あまり。
いろいろなACサイト、コミュニティ、見続けてきました。

私にしてみたら、FC2ブログは、驚異的に最長記録です。
かつて、どこかに所属することが、
とても楽しかった時期がありました。
似たような価値観、似たような思考回路
ツーと言えば、カ― のような 気心しれた仲間。
長く居続けていると、大御所みたいにもなります^^;
もちろん、そういう時間も必要ではあります。

あるとき・・・、私はACブログ、不登校ブログを読みながら
違和感を感じはじめるようになりました。

どうして、普通の感覚の人は、ACブログを読まないか?
これが、めっちゃ気になりはじめました。
普通の人が、ACを理解してくれたら手っ取り早いのに
なぜ、読まないのだろう??

もし、普通の人(とりあえずAC的な要素が無い人のことをそう呼びます)が、
ACブログにコメント書いたら、どうなるか
なんていうのも、考えました。

たぶん、コメントを書いたと想定しても、普通の感覚の人には、
AC的な感覚は、全く理解できないのではないかと思うのです。
そして、もっと言えば、普通の人の感覚を
ACの人は、否定し抵抗するでしょうね。

どうして、ACが生きづらいのか・・・
このことと、繋がっていそうな気がします。


ACの成育歴は、抑圧の人生。
そのために、普通の感覚では生きていけないところが大きく
自分を守るために、特殊な思考をせざるを得ない。

そう実感します。

それによって、
まわりとの協調、意思の疎通、コミュニケーションに
ズレが生じ、誤解が膨らんでいくのでしょう。

そのズレを、修正することでしか
回復は、ないのではないかと思うのですが
残念ながら・・・
この特殊な思考は、自分にぴったり貼りつき
その上、特殊な思考を逆アピールすることで
自分の世界を保ち続けて生きていますので
溝はなかなか、埋まらないという悪循環が生じるのですね。

また、AC同士は、「他者に理解されない」痛みを抱え過ぎて
他者を拒絶していることが多いのですね。
しかし、同じACや不登校のサイトでは
悩みや感覚を共有し、気が合うところで同調することが
気持ちを楽にしてくれます。
それが、高じて、グループ化し、力の誇示(理論武装)を強化していくのだろうと思います。
パワーゲームですね。
これでは、いつまでたっても
同じ価値観の中で、*同調をし続けていくしかない気がします。

*「うんうん、わかるわかる」「学校ってそうだもんね~」
「最近の先生は~」「うちもそうだよ~」などなど。
失いたくない仲間に対して、
ほんとか??って思うくらいの同調の超不可思議さを感じます。
この同調をし続けていくことが、自分の本心(違和感)を打ち消していき
さらには、思考の歪みが複雑化、増大していくことを、
ひしと感じます(経験者なので^^;)



更には、この「他者に理解されない」という感覚は
確実に、子どもたちにも家庭内で伝達されます。

ということは、子ども自身が、母親と同じように
「普通の人」とのズレを学校や社会で感じて生きている
ということになるかと思います。

ズレを感じた疎外感のために、より、一層
自分の世界を特殊化していくことで、
「他者を許せない仕組み」を構築していくのだと感じます。
他者を許せないというのは、
人間関係が柔軟でないということですね。
物事の受け取り方、言葉の受け取り方が
歪んでしまうということでもあります。

例えば、AC公共広告機構のCMではないけれど、
「あほ~」と言われたら「あほ~」と答える
っていうシンプルさの中のコミュニケーションではなく
「あほ~」と言われたら、全自己否定された衝撃を受けてしまう。
「かわいいね」と言われたら、「うれしい」ではなく
「バカにされた」「プレッシャー」「否定」と受け取っちゃう。
これらのズレが、他者を嫌悪の目(恐怖)でみることにつながり
嫌悪が表情や態度、言葉ににじみ出ていきます。

普通の人からは、これは全く理解されないところです。
また、AC同士であっても、傷の深さにより
「ずれ」のツボが、違ったりもします。
ACのコミュニティでネット炎上が起こりやすいのは、
必然だろうと思います。

互いに感覚の「ずれ」を感じるからですね。

子どもたちの生きづらさも、私たち親世代の「ずれ」あるいは
「思考の歪み」だろうと考えます。

このことから、不登校とACが、密接につながっているのではないかと
考えるのです。

しかし、自分のズレを、自分で認識したり
同じ場所で、方向性も分からず
同調しあい続けても、回復はなかなか難しいのではないか・・・と
そう感じます。

新しい価値観を手に入れたいのなら
古い場所を抜け出る勇気も必要ではないかと思うのですよ。

いつまでも、同じ同調の場所に居続けることは
家庭もまた、同じようなパターンを繰り返す
そんな場所になっているのではないでしょうか。


参考記事として、きんたろうさんの
「色々な共依存のかたち」(新興宗教・母親のグループ)
という記事をリンクしておきます。

余談ですが、ちょうど、私が楽天で不登校記事を書いていた頃(2005年)
この記事を読んだんですね。
かな~~り、痛かった記事でした^^;
痛かったけど、「プンプン」って
そんなこと、ないも~~んって、怒った記事でもありました(笑)
まさか、数年過ぎて、この記事が、自分を救ったなどと
思えるなんて、思いもしませんでした。

「信者」「宗教」という言葉をいろいろな場所や人に置き換えて
読まれたらいいかと思いますよ。

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訴えと同調
2011-04-22 Fri 14:32
「家族分断の仕組み」のおまけ編になります。
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言葉の方向性
2011-04-20 Wed 16:37
口にした言葉、自分から発された言葉は、

必ず、自分のところへ戻ってきます。

良き言葉は、自分を満たします。
ごまかしの言葉は、自分に不信を抱かせます。
訴えや悪口は、自分を傷つけます。

言葉は、自分から出したとたん、
思いの方向性を定めていきます。
そして、今自分が口にした言葉が、現実を呼び寄せ続けます。

言葉に出すということは、
方向性を定めるということですね。

これらは、あまりに無意識の出来事すぎて
波長同通の法則とか、引き寄せの法則とか
怪しい言葉でよく言われることです。

これは、スピリチュアルか!?
と思われるかもしれませんが
そういうものでは 全く ないのです。

口に出すということは、自分の生き方、思考を強化する方向付けの力になります。

たとえば
「失敗するかもしれない」
そう、口にしたとします。
これは、恐れの言葉ですね。
そして、失敗する自分をイメージし、
自分の脳に、そのイメージを焼き付けることになります。
それは、恐れとともに後ろ向きなイメージ化が強化されていきます。
これが、思考の癖として、
生活全体を 縛っていきます。

反対に
「失敗しても、どうにかなるさ、やってみよう」
これは、失敗しても、やり直せることを強化しています。
そして、挑戦することも、含まれています。
失敗を活かせるという、過去の経験も同時に引き出され
より、前に進もうとする牽引力になっていきます。
使えば使うほど、自分に力が活性化していきます。

このように、なにげに使っている言葉・・・少しの言葉の違いですが、
意識は180度違います。

あるいは、会社や学校PTA会議などで、
「どうして、▲▲なんですか!!??」など
追及型、訴え型が多い言葉も、人の気持ちをなえさせます。
これらは、言葉にしなくても、
表情や態度、目線、言葉に現れます。
舌打ちであったり、目線がきつかったり、
顔が嫌悪の表情を作っていたりということも多いのではないかと感じます。

おそらく、エネルギー的には、
他者のエネルギーを奪う方向に、
エントロピーが向かっているのだろうと感じます。
自分が奪う方向に、言葉(想い)を出せば、
自分も奪われることを、恐れるようになります。

(もちろん無意識の作用ですが)

そして、不思議なことに、
奪われまいとすればするほど
奪おうとする人を、引きつけてしまいます。

これも、別に怪しい法則ではなく
エネルギーの方向性から行くと、
出したトゲは、自分に帰着するということと
全く同じことだと思います。

不登校のお子様が、なぜか、学校でいじめられやすい
というのは、これに当たるのではないかと考えます。


言葉の方向性、自分ではよく、わからないかもしれませんが
少しでも意識していければ、いいかと思います。
自分を大切にする言葉を発すれば、人も自分を大切にしてくれます。


*この場合、自分を大切にするということは、
 甘やかしてほしい・・・欲しい・・・、欲しい
 という 他者依存型の子どもっぽいエゴではありません


もちろん、何事もバランスは必要です。

いずれにしても、自分が軸であるということ。

その方向性を自分でつけていくということ。

自分の心の浮き沈みは、相手次第・状況次第の根なし草ではなく、

自分の心は、自分で収めていくことが大事ではないかと思うのです。

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家族の分断の仕組み
2011-04-17 Sun 16:00
今回は、家族、人間関係を分断する仕組みについて、絵を入れて説明してみました。
不登校の兄弟の仲が悪い、家族間がぎくしゃくするという方には、参考になると思います。
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