author : rinrin
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【不登校・それぞれの軌跡】(11)続・不登校の先にあるもの
2011-02-23 Wed 17:09
今日、息子の最後の精神科の診察でした。
4か月ぶりの診察でしたが、その間にいろいろな変化がありすぎて、
息子も、先生に、昨年10月からの流れを思い出しながら語っていました。
にこにこして、うなずきながら、
「お母さんもとなりん君も、パーフェクトだね」
そう先生は、感慨深げに言って下さいました。

平成17年、この病院に初めて来たときの親子の状態・・・
自傷、うつ症状、自虐、不眠、注意欠陥障害、心を閉ざした状態・・・
幻聴や幻視による、統合失調症も疑われていました。
薬の量も5~6錠、服用していました。
また、入院したときの不安定な状態を含めると、実に
さまざまな問題を抱えての初期段階でした。
その後、適応教室での信頼できる先生との出会いがあり、
少しずつ安定方向に向かっていったと思います。

しかし・・・4年前、高校入試で、定時制に落ちたとき。。。
そして、通信に方向転換した頃・・・

当時、通信の情報が中学校には、ほとんど存在しなくて、
不安だけが、あったことを思い出します。
果たして、卒業できるのだろうか?
この子の居場所が、あるのだろうか・・・
全日に合格した不登校仲間のこと、素直に喜べない私がいました。
自分が、子どもたちにしてきたことを思うと
余計・・・申し訳なさと、悔しさがつのりました。

通信に入学した彼は、半年すぎた頃から、少しずつ仲間を作り始めました。
かつての、彼を知る友達は、
「こいつ、ぜったい、根暗のオタクや」と、思ったそうです。

この頃、彼は、母親が変わっていく姿を、感じていたそうです。
「おれも、変わりたい、もう一度生まれなおそう」
そう思えたころだったと言います。
一度、あきらめていた自分の人生をやりなおしたい・・・
そう思ったと後に言いました。

現在の彼が言うには、
ずっと、両親が変わってくれることを、願っていたそうです。
「明日こそは、変わってくれる」そう思い続けて
それを、待ち続けていたと言います。
でも、失望しか感じられない、でも、親を嫌いになれない自分との葛藤で
次第に疲弊していき・・・
もう少しで、暴れるという寸前に、彼は自分で、短期入院を申し出ていました。
今、かつての「親が変わって欲しい」という願いは、かなったのでしょうねえ^^

そして、学校では、地区の役員の手伝いをやりはじめ
さらに、3年になり委員長を務め、みんなのお世話をする立場にいるようになりました。
友達と夜通し騒いで、語り合い、遊んだ、そういう時期でした。
気が付いたら、朝の一番電車で、帰宅っていうのも増えた頃でした。
だからといって、彼の行動は、おおまかに把握はしていたので
いちいち、お互いに連絡もしませんでした。
コンビニのバイトを始めたのも、このころでした。
自分でチラシを毎日ながめ、いろいろアタックしていたことを、なつかしく思いだします。
4件目で、近くのコンビニに決まり、彼のバイト生活がはじまりました

勉強の方は、さっぱりでしたけど^^

そして、あっという間に、進路を考える時期になりました。
とりあえず、彼は、以前から考えていたPC関係の大学受験を視野に入れていました。
が、彼の中に迷いがあることをなんとなく感じていました。

PC関係か、心理関係か・・・
そのまま、合格したら、PC関係に行くと、
落ちたら、もう一年留年して、心理に転向すると、そう言っていました。

幸いにして、大学は落ちてしまった上に、高校も単位不足で
期待通りに留年し(笑)高校4年生になりました。

でも、高校4年生になり、彼の周辺は、モテキに突入したようです。
彼は、いろいろな女の子の相談に乗りながら、あの手この手のゲームを
具体的に実感したようでした。
あやうく、抱きつかれそうになったこともあったそうです。

そして、待望の彼女が出来ました。
彼女が出来たことで、彼は一段と、「誰かを守る」という
深さを、手に入れた気がしました。
誰かを本気で好きになる・・
自分の人生の一部を大切な人と共有する経験をすることで、
彼の人格にいっそう柔らかさと厚みができたと感じさせます。
留年して、入試に落ちたけれど、
それが、彼の人生をさらに豊かにしたと感じます。
この4年目の高校生活が、彼の方向性を決めたと言っても過言ではないと
そう感じます。

何がよくて、何が悪かったのか、
そういうことを考えるよりも
すべてのことが、今につながっていることを思えば
すべてが、君の人生に必要なことだったと、母は、思います。

そして、11月、今度は、心理系の大学に挑戦。
といっても、相変わらず、試験勉強はしてません^^;
一冊だけ受験科目の国語の問題集を買っただけで、
無謀な、一般推薦入試(自己推薦ですね)を受けました。
ただ救いは、学校の委員活動を活発にやっていたという
それだけを武器にして、県外の大学入試に挑みました。
その手続きも、すべて、自分でやっていました。
一度、自分が生まれ育ったところから、離れて自分を試してみたい
彼は、そう言っていました。

結果は・・・

合格でした。

今日その報告を、主治医の先生にすると、
「おめでとう」を何度も言われた彼は、言葉少なく、
目をうるませていました。
先生も目をうるうる、私もうるうる。
きっと、3人とも、目がキランキランと、漫画の☆のようになっていたと思います(笑

これまで、乗り越えてきた、辛かった道も
今まで誰にも理解されないと思ってきた彼の気持ちも昇華され
その涙にあらわれていたと・・・そう思います。

最後の診察・・・
先生はイスから立ち上がって、カルテを卒業証書に見立てて、
「卒業おめでとう、がんばったね」と
即興で卒業式をして下さいました。

3人だけの卒業式・・・

けれども、その場には、今まで息子と私に関わって下さった
たくさんの方々の思いが一緒にありました。
3人であったけれど、たくさんの人の暖かい気持ちがそこにありました。
エヴァの最終回のシーンのように(笑


不登校の先にあるもの・・・

私たちが、手に入れたものは、
関わってくださった方々の、深い深い愛情と、
これから、その愛情を伝える側になろうとしている
後継の未来

心読めるゆえに、見なくてもいいものを見続けてきた息子
その力を、今度は未来に出会う誰かのために、愛情とともに使ってくれると

そして、となりんは、先生に
「研修は、この病院に必ずきます」
そう言って、最後の診察を終わりました。

先生は、臨床心理の仕事は、ほんとにハードで、
医者のほうが、ばーんアウトしてしまうほどの仕事と現実を伝えながら、
決して楽ではないけど、たくさんの経験をしてねと言われていました。
そして、「となりんが、来るのを待ってるからね」
そう、おっしゃっていました。

5年間、毎月通った高速の道。
その車の中で、ふたりで、心の話をし続けじっくり話し込んだ日々。
時には、地元のおいしいもの食べに行ったり、
高速のパーキングで、のんびりしたり。
濃密な時間でした。


となりのあいつ、3月に学校の卒業式、
3月末には、これから6年間すごす予定の
新天地、広島に旅立ちます。

まだまだ、これからの彼ですが、
今後、彼がどういう成長をして帰ってくるのか非常に楽しみです。

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「自分は自分でいいんだよ」はほんとなの?①」【続・不登校の軌跡3】
2010-08-11 Wed 13:32
不登校本や、自己啓発本には、よく書いてある言葉です。

「自分は自分でいいんだよ」と、お子さんにメッセージを伝えてください。とか

「信じて待つ」「子供と同じ目線で見守ってください」


そういう、言葉が並んでいらっしゃいます。



(▼∀▼)ニヤリッ





「いらっしゃいます」という言い方に、すでに、トゲが、含まれていること
わかる方は、わかりますよねえ^^

「おや、りんりんさん、トゲ出してますっ」て、すぐに気がつかれた方は、
ちょっと、手をあげてみてください。
え~と、どれくらいいますかねえ??

わかったあなたは、かなりの、上級者です。

☆ミ凸ヽ(^-^) タイコバン!


まぎれもなく、This is a toge ^^

さあさあ、ちゃんと、...ψ(。。)メモメモ...して頭に叩き込んでください。

さて、次は、どうして、ここに、トゲをわざわざ入れたのか、わかりますか?

そりゃ、むかつくからです。


ざけんな、浦島太郎です。

なぜに、浦島?? 

時代遅れだからです。


え~、なんで、なんで??

(゚Д゚≡゚Д゚)エッナニナニ?


というような、強調文字をいれることを、「しおり」と呼びます。
これを入れることで、この最初の赤文字の二行の言葉が、
より、強力に、疑問形として、頭にインプットされます。

これが、しおりの入れかたですね^^

開発者は、きんたろうさんですから~。((ヾ(。・ω・)ノ☆゚+.ァリガトゥ

秘儀伝授ってことで。

さてさて、

このインプットされた、しおりは、やがて、
何かの折に触れることで、ふと・・・、疑問形として、
記憶の中で、思い出したり消えたりしながら、
なんとなく、考え続けるうちに、自分なりの答えに行きつくわけです。
いったん、出した答えは、答えとして、大切にしながら、
いや、もっと、何かあるはずだと、思考がどんどん広がっていきます。
頭の中で、「リフレインが、叫んでる」♪状態になります。

しおりって、まっこと、恐ろしいですねえ~
(*..)(..*)コソコソ ('-'*)(,_,*)('-'*)(,_,*) ウンウン

あ、これは、洗脳とは違うんだよ。

だって、答えは自分で出すんだもんね^^


で、なんで、この赤文字部分に、私がむかつくのか・・・
私が出した答えを、今出しちゃ、このせっかくの、しおり効果を
打ち消しちゃいますので、
今日は、このへんで、やめときます。

☆ヾ(-Θ-:) オイオイ



いえ、ただ、単に、ここで、力尽きただけです。

っつうことで、②を、お楽しみに^^

楽しみにしてる人、いればいいんだけどなあ~。

門外不出、秘儀伝授で、終了。(ё_ё)キャハ
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時代【続・不登校の軌跡2】
2010-08-03 Tue 12:00
【現代の子どもたちの生きる力考】

私たちが子どもの頃は、雑多なもの、怪しげなものが、
あふれていたように思います。

私のまわりにも・・・いつも同じバス停で、ブリキの缶を叩いている人、
耳が聞こえなくて、しゃべれない陽気なおじさん。
貸し本屋の怪しげな、おばあさん。
いつも、パンの匂いがするパン屋のおじさん。
昼間から酒を飲んで、顔を真っ赤にした、ご機嫌のおじさん。
庭先で夜中に、奥さんと大ゲンカした腹いせに、「火をつけるぞ~」と
叫んでいた若いおじさん。
いつも通っていた、駄菓子屋のおばさん。
モノクロで思い出す、ボンネットバスの女車掌さん。
畑で仕事をしている返りに耕運機の後ろにのせてくれた、同じ村のおじさん。
かいこを家で飼っていたり、馬がいたり、牛がいたり、ヤギがいたり、
色々な匂いが混ざり合った、そういう時代。

経済的に勢いを増し、物が豊かになっていく、兆しの時代。

時代に勢いがあった。
多様な人たちに囲まれて、育った1960年代。

知らず知らずのうちに、雑多なものを肌で感じさせてくれていた混沌とした時代だった。
家族以外の息吹、互いの価値観を惜しげもなく共有できたころだったと思う。
この毛穴から、入り込む時代の勢いを、感じて育っていったことが、
後の生きる力の「かけら」となっていたのではないかと思う。

だからと言って、昔が良かったとか、昔に戻りたいなどとは、私は、少しも思わない。

この時代の勢いで、失くしたものも、たくさんあったのだから。

たくさんの放置された子どもたち・・・心を喪失した時代でもあったのだから。

しかしながら、これらの体感した記憶が、今の私・・・
多くの今の大人の礎になっていることには、間違いはないと思う。

こういったことが、ACの回復へ向けた原動力にも、なっている気がする。
負けず嫌い、前に進もうとする力、本能、沈んでも這い上がる力。
そういう底力が、かすかにだけれど、あったのだと思う。


今の時代を見れば、何もかもが、お金で買える時代になった。
路地裏は、どこかに隠され、怪しげなものは、闇に追いやられ、
健全な青少年育成で、汚いもの、変なものが、淘汰されていった。
志村けんではないが、「へんなおじさん」も、覆い隠された。

スマートさが、売り。
表面の美しさに、価値がおかれ、
頑張るなんて、恥ずかしいこと。

濃い生き方、一生懸命な生き方、転ぶこと、つまずくこと
泥の中、すべて、排除されるようになった。
一生懸命は、すべて、スマートに、スポーツ中継で、疑似体験できる時代。

何もかもが、骨抜き。
ただ、観衆として、そこに参加する。

今の子どもたちの現状は、私たちよりも、多様であるように見えて、
実は、選択肢は、多様ではなくなっている。

そんな気がする。

以前、世代間連鎖の記事で、「3代目」に覆いかぶさる荷物の大きさを書いた。
その荷物の大きさは、下の世代になればなるほど、より大きく、
雪だるま式になっていると感じるのだけれど、
それ以上に、現代の子どもたちの、この骨抜き状態にも、
因があるのだろうと感じる。

温室で、与えられ、閉じ込められ、遮断されること、
反対に、欲しいと思ったら、すぐに手に入る。

人も物も、同列。

そうして、こらえ性、待つ力、踏ん張る力、
本能的なもの。
そういうものは、どこか、毛嫌いされる。

これは、うちの子どもたちにも、同じ匂いを感じる。

反対に、子どもたちの研ぎ澄まされた感性には、目を見張らせられる。
退化したのか、進化したのか、そこのところはよくわからないのだが、
その感性の素晴らしさには、はっとさせられることも多い。
失敗を許されない、ぎりぎりのところで、生きてきている証でも、あるのだろう。
動物的本能が、すべて、感性に集約されたのは、
それが、自分を守る術になっているからだとも、感じる。

物事には、常に二面性がある。光と影。裏と表。

大人が失ったもの、子どもが失ったものを、お互いに学びあう・・・
もしかしたら、そういう時代の境目にきているのかもしれない。

そんな感じがする。

…*☆*……………………………………………………………

その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ

おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールを任せるな

 中島みゆき 宙船より

http://www.youtube.com/watch?v=xkZ_PqRjN2Q&feature=related
↑あえて、TOKIOバージョン
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続・不登校の軌跡【不登校】
2010-07-31 Sat 12:32
【不登校になる過程】


不登校の軌跡を、昨年書きました。

(カテゴリー 「不登校の軌跡」よりまとめ読みできます)

あれから、ずいぶんと日にちが経過して、
また、いろいろなことが、膨らんでは消え・・・していました。

書けば、誰かを傷つける気がして、ずっと筆が止まってしまいました。
が、やはり、書き遺しておくべきことなのだろうと思うところがありました。


不登校になる背景には、いじめ、学校に合わない、などの

それぞれのきっかけがあると思うのですが

やはり、それは、きっかけにしか過ぎないことだと思います。

先日の報道で、ひきこもりが、70万人
予備軍150万人。
と報道されていました。

なぜ、不登校になるのか。。。ひきこもりが、増えるのか・・・

その背景を、母親としての立場から、書いていきます。


まずは、母親が、孤立しているということ。

孤立というのは、友達がいないとか、相談する人がいないとか

単に、一人ぼっちであるという簡単な話ではありません。


言い換えれば、おかあさんの心が自由ではない。

そう感じます。

心が、不自由。


「こうなければならない」

かなり、脅迫的にそう思いこんでいる気がします。

「怒りをため込んでいる」

この怒りについては、追々、書いていきます。

「信頼したり、されたりする関係性の体験がない」

単に体験の問題であるのですが、大人になるにつれて根深い不信感が育ちます。

「家族を、自分のルールで縛る」

これが、不登校最大の問題。
自分の自由でない心のままに、同じように、子どもたちに
接していきます。
子どもたちは、次第に狭い囲いの中に追い込まれ、
手足をもぎ取られた状態になります。

これが、子どもが立ち止り動けなくなった状態ですね。


「逆転現象」

追い詰められた子どもは、ある一定のバランスを取ろうと
必死に自分を制御しますが、ある一線を越えたときに、
今度は、親に反撃します。

自分のルールに、疑問を持たない親には、
突然、子どもたちが、変わってしまったように、見えます。

いきなり、リストカットをはじめたり、
暴力という形であらわしたり、さまざまだろうと思います。

これもまた、後に詳しく、記事にしていきたいと考えています。


これらは、おかあさんの心の不自由さによる
「ルール」の押しつけ、たくみな無意識の強要・操作によるものが
大きいと思っています。

心の不自由さは、体が不自由ということと
同列に私は、考えます。

心の不自由さから、どう、社会性を身につけ、
視野を広げ、バランスよく
生き生きと、人生を謳歌できるようになるのか
その回復の過程は、
生半可なものではないと思います。

自分が子どもにしたことを、覚えていること

ひとつひとつ認めること

心から、謝罪できること



でも・・・は、要りません。

だって、こう言われたから。

そう言われたことを選択した自分は、どこにいるのでしょう。




自分を振り返る勇気が、ありますか?




振り返る勇気があって、はじめて、扉が開かれる・・・そんな気がします。




申し訳ありませんが、コメント返しは、めちゃくちゃ遅いです^^;
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【不登校・それぞれの軌跡】(10)不登校の先にあるもの(TOMORROW)
2009-12-22 Tue 12:00
2005年6月、中学二年から、不登校になった息子は、
適応指導教室を卒業し、
(といっても、三分の一くらいしか行ってない気が^^;)
2007年4月、県下に1つだけある県立の単位制高校の通信課程に進学しました。
まだまだ、この頃の私は、息子に自分の心配を背負わせる癖があり
より手厚く面倒をみてくれるサポート高校を、彼に何度か薦めたのでした。

この通信制を卒業することが出来るのは3割と言われ、
そう、学校の先生たちは、口々に、同情とともに、暗い顔された。
「しょうがないですね」
親としては、その心無い言葉が、プレッシャーだった。
(3割って・・・うち、くじ運悪いんで。。)
誰も、「大丈夫」って言ってくれない不安との戦い。。。
これで、いいのだろうか?

私は、そんな自分の不安を治めるために、息子に、何度も確認の作業をした。

「レポート、ちゃんと進んでる?」
「忘れ物ない?」
「楽しかった?」

「んな、わかるわけないじゃん」と息子。

そりゃ、そうだ・・・
また、やっちゃったよ(-_-;)
あ~あ。懲りない母・・・、りんりん^^;
わかっていても、確認せずにはおれないジレンマで自己嫌悪(-"-;Aふぅ・・・
まだまだの母でした。

当時、同時進行していた、私自身の執着を手放す作業、インナーチャイルドのエクササイズも、
終盤戦にさしかかってきました。
理論は、わかった。
しかし、いくら理論を積み上げても、実践で通用しなかったら、意味がない。。。
どこまで、リアルで自分が通用するのか、人間関係を築けるのか、無性に知りたくなった。
パートに出た。
へこむことも多かった。
まだまだ、昔の癖が、自分を支配しているのを肌で感じた。
しかし、何か・・・自分が変わっているのも感じていた。
もちろん、職場では、感情的な行き違い、喧嘩、色々ありました。
きれいごとだけじゃありません。女ばかりの職場なので^^;
でも、「人が好きだ」という気持ちは、基本的に揺らぎませんでした。
まわりに、うそを言う必要も感じなくなった。
自分を偉くみせる必要も感じなくなった。
そのままで。
仲間の中で、怒るときは、目いっぱい怒り、笑うときは、思い切り笑った。
そういう自分が好きだと感じた。
私が今まで知っていた世間より、新しい世界は、ずっと優しかった。

そして、それに呼応するように、息子も変わっていった。
役員に誘われて、地区の行事に、頻繁に参加するようになった。
人が好き、人を求めている、昔の彼が、次第に戻ってきました。

高校2年時の頃・・・「バイトしようかなあ」と、彼は、つぶやくようになった。
しかし、それは、試しの言葉。本能的に、感じた。
「どちらでもいいよ~。」
私は、いつのまにか、躊躇なく、さらさらと、そう答えられるようになっていた。

結局、当時、彼は、言うだけで、何も自分から行動しなかったけれど。
何も出来ない自分に自己嫌悪を起こしながら、
自分を責めてくれる言葉を、私から引き出そうとする。
(その手には、乗らない( ̄ー ̄)ニヤリッ)

それは、もう過去のパターン。
私が、過去に、子どもたちに、繰り返したパターンだった。
自分のやったことは、必ず、子どもが、やり返してくれることを痛感する。

自分が今、ダメなこと、不幸なことを言いわけにしたいために、
人は、自分のダメさを、相手に強化してもらい、納得し、
動けない理由を作りたがる。
これは、典型的なAC手法。

問題を子どもから奪い取らず、子どもに返すために、自分を観察し始めた私。
職場で、この手法は、より、強化され、自分の問題と他者の問題を分けて考える訓練になった気がする。
なぜなら、職場は、相手の非を責めようと思えば、いくらでも、できる場所だった。
しかし、問題は、「相手ではなく、どのように感じる自分がいるか?」だ。
私にとっては、そのための、実験的パートだったと言っても過言ではない。

子どもは、言葉を発する親の、微妙な表情、声のトーン、行動をじっと見つめ、感じている。
監視するように。
しかし、私は、私のことを楽しげにやる。
だれのことも、自分のルールで、縛らない。
そんな能天気な親を見て、子どもは、次第に「試し」の行動を諦めていく。
やがて、息子は、「問題」を自分に戻すのだった。

相手に巻き込まれない。
相手の感情は、相手のもの。
その境界線をふみこえない。


その頃だっただろうと思う。
「お母さん、顔が穏やかになったね。昔は、怒っているようだった」
そう息子が、言った言葉に、この数年が、集約されている気がします。

今年に入って、コンビニのバイトをはじめたカイ。
何度かの、試しの言葉「バイトしようかな」。

「どちらでも^^」

期待もせず、失望もせず、ただ、穏やかに見守る。
やがて、彼は、ほんとに、バイトを自分で探して、さっさと、決めてきた。

そして、明日、息子は、大学の推薦入試です。
(このブログの下書きを書いている時点:12月5日)

「どちらでも、いい」

これが、今の私の答えです。
来年、高校4年生になり、留年組仲間も、まだまだ楽しそうにみえる。
合格しても、それはそれで、これから彼が、乗り越えて行かなければならないものもある。
今の正直な気持ちです。


12月22日現在

この記事の下書きを書いてから、半月以上過ぎてしまいました。
息子は、大学試験、見事に落ちました^^;
そして、落ちたことにより、高校の仲間から、大変喜ばれました(笑)
担任の先生より、「○○大学落ちた、カイくん」と、おちょくられ、
落ちて喜ばれるって、複雑・・・と、苦笑しながらも、
もう一年、仲間と過ごせることに、本人も安堵しているように見えます。

高校4年生。

ゆっくり、大人にな~れ。
急がなくていい。
失った過去の時間を、今、十分に楽しい時間に変えられるように。
暖かい仲間のうちで、傷ついた翼を癒すように。
これから、息子は、どのように変化し、
不登校の先に、一体何を見つけていくのでしょうか。

            ☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆

【不登校・それぞれの軌跡】シリーズ、これで、終わります。
約2か月にわたって、我が家で起きたことを、熱心に読んで下さった方々、大変ありがとうございました。
たくさんの応援に、とても、とても、励まされました。
そして、このシリーズ記事に、対話を通して、たくさんの示唆をくださった、きんたろうさん、
ブンブン ヾヾ(^-^) ありがとぉございました♪

これからも、懲りずに、回復へのヒントを、書いて行きたいと思います。
どうぞ、よろしくお願いします。m(_ _)m               by りんりん


                    岡本真夜 TOMORROW
  


.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+。.:*・゚+。.:*・゚
(1)嫌悪の連鎖
(2)記憶の操作と罪悪感(娘編)
(3)記憶の操作と罪悪感(息子編~1)
(4)壊れていく心(息子編~2)     
(5)壊れた心(息子編~3)
(6)番外編(息子編~4
(7)病名:小児うつ病(息子編~5)
(8)子ども心を受け止める
(9)大丈夫という言葉の意味

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【不登校・それぞれの軌跡】(9)大丈夫という言葉の意味
2009-11-30 Mon 21:46
息子が、中学時代、学校カウンセラーさんと、二度ほど、対話したことがありました。

その頃、私も不登校とは?という本やネットで山もりの知識だけはありましたので、
カウンセラーさんが、求める言葉を先回りして、発していた気がします。

「私は、大丈夫です、私は、こんなに、知ってます。」

このような行動は、心理学用語で、「陰性抵抗」と言うのだと、最近カウンセリングの勉強をやって知りました。
クライエントと、カウンセラーの間に起こる、「抵抗反応」の一種で、にこにこしているが、話のポイントがずれていたり、同調するが、行動に移さなかったり、また、クライエントが、カウンセラーに不信を抱いたり、心を開いていない状態だったり、反対に、カウンセラーの注目を、自分にずっと、引き付けて置きたい、褒められたい、そういった自分でも無意識の「抵抗」が、働くのですね。
当時私がやっていたのは、これだったのだなあと、思う昨今です。

それが、私を支える、不登校プライドでした。
正確に言うと、物心ついたころから、自分を守るためのACプライドというものですね。

あえて、学校カウンセラーと話をしたのは、自分の今の位置を確認するためでした。
「私は、まちがっていないですよね」と承認をもらいたかったのでした。
自分自身を、相手の攻撃から守るための、身に付いた防御システムと、おずおずとした位置確認だったのでした。
当時は、子どものことは、おろか自分のことさえ、何もわかっていなかったと感じます。

なつかしくもあり、恥ずかしくもある、トゲピーりんりんの、ずっと、昔の話です。


もうひとつ・・・私が、ずっと、翻弄された言葉があります。
それは、世間でよく言われる、「あなたは、そのままでいいんだよ」という言葉。

が、そもそも、「そのまま」って何?
私は、誰? ここは、どこ?の バリバリのACですから・・・

では、今、心が壊れた人は・・・、今、辛い人は・・・、そのままでいいのか?
それは、あまりに、辛すぎるじゃないか。。。
本には、そんなことまで、書いてありませんでした。

救いようのない話に聞こえました。

私も、一時の痛みを逃すために、この言葉を、自分に言い聞かせていた時期もありました。
しかし、いつしか、私は、かつて大好きだった、この言葉を次第に、使わなくなっていきました。
この状態で、「そのままでいいんだよ」って、子どもに言っても、説得力が、全くない・・・

自分が救われていないのに、
「そのままでいいんだよ」なんて、
到底子どもに言えないじゃ~んΣ(T▽T;) ぐわわぁぁ~ん!

わかっちゃたんですね、そこが・・ついに。。。

それから、問題は、子どもじゃなかったって、つながっていきました。
全部、私のACにつながっていたんだ・・・と。

自らの操作性、ずるさ、いじわるさ、卑怯さ、傲慢さ、プライドの高さ、
間違っていた、たくさんのACプライド。
ひとつづつ、認めていくしか、ありませんでした。

だから、あなただけでは、ないのですよ。
自分の中の汚さは・・・

否定しようと思うから、辛くなる。
隠さなければならなくなる。
ごまかさなければならなくなる。
ごまかすために、また、にせものをつみあげなければならなくなる。
それが、本当のあなたを、覆い隠して、壁になる。
その痛みは、誰よりも、誰よりも、私は、わかるつもりです。

もう、隠さなくていいんだよ。
それは、あなたのせいでは、ないのだから。

かつて、嫌いなものを、嫌いと言えなかった子ども時代。
辛いことを、辛いと言えなかった。
寂しかったのに、さびしいと、言えなかった。
悲しいことを、悲しいと言えなかった。
苦しかったのに、苦しいと言えなかった。
だから、あなたは、全部「なかったこと」にしてしまった。
全部、終わったことにした。
抑え隠してしまった。
それが、どれほどの、残酷な過去だったか・・・
わたしには、わかるよ。
痛いくらい、わかるよ。

でも、今、あなたは、見つけてしまった。
でも、見たくない。
きれいなままの、セルロイドの人形でいたかった。
でも、セルロイドの人形の心は、誰とも心を通わせられない。
辛さも感じないかわりに、暖かさも感じない。
そのまま、表情のない人形のままで、いたいですか?

だからね、押し込められた気持ちを、救い出そうよ。
そこにある、気づいた気持ちを、隠さずに、自由にしてあげようよ。
そして、本当の自分を、ブラックホールから、助け出そうよ。

もう、パンドラの箱は、開けられた。
箱からは、たくさんの災いが出てきた。
でも、パンドラの箱から、最後に出てきたものは、 「希望」
希望とは、あなたの魂の真実。

真実は、自分の中。

神話は、なんと、無意識に通じているのだろうと、感嘆します。


自分を救わずして、誰も助けられないんだもの。

かつて・・・、私は、ある不登校で悩むお母さんに、
元気になって欲しいと思うあまりに、
「大丈夫だよ」という不遜な言葉をかけたことがありました。
これは、今にして思えば・・・
とても、申しわけなかったと、思っています。
当時は、はっきり意識していなかったのですが、
言った自分への違和感を、ずっと、ぬぐえずにいました。
何をもって、大丈夫だと、言えるのか・・・
そして、「大丈夫」って、なんだろう?って、ずっと考えていました。

そして、ずっとずっと、考え続けて、その答えを書いた記事が、
これです。>>「春」


丁度、このころ、私は大切な犬を病気によって安楽死させました。
苦渋の決断の中、何を優先させればよいか、必死で考えました。
病で痛み苦しむ犬が、身を呈して私がやるべきことを、教えてくれました。

自分が選ぶ。自分が、決める。
決めた気持ちに、ゆらがない。
「今」、なにが、大切か。
心の焦点が 生まれてはじめて、ばしっ と、はまった瞬間でした。
私の人生の中で、自律的に、感情と行動と思考が一致したことは、
恐らく、はじめての経験でした。

手の中で、呼吸が消えていく犬を見送りながら、
消えていく命と引き換えに、私は、命の重みを感じた。
喪失の意味。
記憶のぬくもり。
そして、応援してくださった、仲間の暖かさ・・・
自分で引き受けたことの重さと覚悟の中で、
私の中で、「自分の存在」が、ぐるりと、変わった瞬間でした。

それ以降の記事は、自分への視点、他者への視点が
急激に穏やかになっていきました。

「私は 私のままで、いい」

この頃から、自分を受け入れはじめました。

長い間、たくさんの人に、見守られ、抱きとめてもらった感覚が、
私の中で、やっと芽吹きはじめていたのでした。


だから、大切にしたい。

自分と、自分にかかわる人たちを。

大丈夫だよと言った言葉の真意は、

いつか、それが、分かるからという、

そんな意味を込めて、贈るのです。


大丈夫だよ・・・あの頃のわたしへ。



ありがとう。
しおりを入れてくれて。
この、しおりが、私の道しるべになっていました。
この時が、私が、心を開きはじめた瞬間でした。
今ならわかります。いまだから、わかることもあります。




↑私が一番好きな歌です。

次の記事で、軌跡シリーズはおわりです。
不登校だった息子の今現在をシリーズの最後とします。
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【不登校・それぞれの軌跡】(8)子どもの心を受け止める(息子編~その6)
2009-11-27 Fri 12:52
2005年12月
丁度その頃・・・市町村合併によって、適応指導教室が、出来ました。
担任のすすめもあり、教室がしまりかけた夕方、気乗りのしない息子と見学にいきました。

ゆうこ先生との出会いが、ここから始まりました。
明るく、おしゃべりで、ジョークが絶妙、子どもたちから、絶大な信頼をされている、破天荒な先生。
そして、正義感の強い、まっすぐな先生。
しかも、おしゃれで美しい。(笑)
私たち親子にとって、「暖かく、そして厳しい人」の最高のモデリングでした。

私には、「心を受け止める」というモデルを実践リアルで見させてもらうことができたのは、大変な収穫でした。

たまたま教室に息子を迎えに行った私も、
なぜか、子どもたちと混ざって、収穫した枝豆の皮むきを
させられたりして・・・(-ω-;)ウーン
「なぜ、私は、ここにいて、枝豆の皮むきなぞ、やっておるのだ・・・」
と思いながら、せっせと、手を動かしていました^^;

このときの私の様子は、「千と千尋の神隠し」にあった、「顔なし」が、魔女のおばあちゃんから、糸を紡ぐ手伝いをさせられている姿と合致しています。
なんで、こんなことをしているのだろう?
でも、なんだか、心地いい。うれしい。開放感。居場所。
息子もきっとそうだったのでしょう。

当時6人くらいいた適応教室では、ひがな一日、トランプをしたり、雑談したり、外で野球や、バトミントンをやったり、野外活動、料理、釣り、海への散歩、芋ほり、わらじ作り、クリスマスリース作り、いろいろなことを経験させてもらいました。

また、不登校が始まって以降、息子と私は一緒に料理をすることが多くなりました。
今考えると・・・、一緒に台所に立ち、親と子で、一緒に何かを共有することで
形になった喜びや失敗を笑い合い。。。
当時の私は、全くの無意識でしたが。
不器用ながらも、私の本能的な行動でした。


この頃、たくさんの本に書いてあったことがありました。

「子どもを受容する」・・・

それは、一体、どういう状態をさすのか、ずっと、考え続けていました。
楽天日記でも、そのテーマで、何度も、書いた記憶があります。

子どもの言いなりなるということなのか?
わがままと甘えは、どうちがうのか?
まだ、はっきり、答えが出ない当時の私でした。
そして当時の私は、迷いながらも
「子どもの気持ちを受け止める」、ということは、
子どものやることに、口答えをせず、ひたすら
「OK」を出すということを、
受容だと、結論付けていました。
それが、償いだと。

申し訳ないことをした・・・
かわいそう、だから、「OK」を出すから、許してね。



が・・・、適応教室のゆうこ先生は、「だめなものは、だめ」と、きっぱり言うのでした。
そういい切ってもなお、ゆうこ先生への子どもたちからの絶大な信頼は崩れない。
それが、さっぱり、わかりませんでした。

ゆうこ先生は、あっさりと子どもたちに言います。
「定期試験は、学校で受けなさい」
エッ? (;゜⊿゜)ノ マジ? そ、そんなこと言っていいの?
子どもは、傷つかないの?

しかし、子どもたちは、一瞬動揺しながらも、「ゆうこさんの言うことならしょうがない」
しぶしぶ、学校へ試験を受けにいくのでした。
そんな渋顔の子どもたちのために、朝早くから、中学校へ出向き、
校門の前で待って、冗談をかましながら、子どもたちを出迎えて、背中を押してくれる。
子どもは、苦笑しながら、教室へ行くのでした。

私には、その理由がわからない・・・。
その頃・・・不登校から一年たっていました。

そのままを受容するということは、一体なんだろう。

私の想像していた受容と、ゆうこ先生の受容は、どうも、違うようだ・・・
ずっと、考え続けました。

それまで、体験的な受容を、私も息子も知らなかったので、
ひどく、混乱しました。


やがて、・・・その謎が解けました。

私が、自分の過去を振り返り、親との関係、夫の関係、
子どもとの関係を振り返り、自分のゆがみに気づき始め、
自分の中の支配性、依存性と向き合い、境界線を考え、
怒りから開放され恐れを手放し、・・・自分を許し、
人生を受け入れることができたとき・・・
「受容」の意味が、すんなりと入ってきたのでした。


受容とは、子どもの言いなりになることではなかった・・・!

それは、ただの形にしかすぎなかった。
「かわいそう」という憐みの気持ちで、受容なんか出来ない。
「かわいそう」なんて・・・子どもに失礼だ・・・。
償いとは、言いなりになることではなかった・・・

それが、おぼろげにわかった頃・・・不登校から2年近く過ぎていました。
そして、息子のリストカットも、幻聴も、幻覚も、夜毎の怯えも、すべて、無くなっていった頃でした。

実は、ここで、懺悔をしておきたいと思います。

楽天ブログ時代と、FC2ブログの最初の一年くらいは、
自分を殺して、子どもが望むことを、やってあげることだと、私は、大きな勘違いをしていました。
決して、目をつりあげて、私が、全部やってあげなければならない、ってことではなかったのです。
子どもを不機嫌にさせないために、親が黙って我慢することでは、ないのではないかと。
「だめなものは、だめ」そう言っていいんだと、感じます。

だれかが、我慢して、その我慢の犠牲の上でなりたつ平和は、
本当の平和ではないのと一緒ですね。
北朝鮮がそうであるように。
それは、「極」から「極」の思考。
何も変わっていないのと同じこと。
ただ、主従が、逆転しただけ。
私は、子どもの召使いではないし、子どもも、王様ではない。

それは、誰も幸せにしない、システム

その証拠に、あの頃、私は、まだ、自分を許せずにいた。

やさしい顔を隠れ蓑にして、隠れた威圧的怒りを内在させていた。

あの頃の記事を自分で読めば、すぐわかることでした。



受容すること。

子どもの辛かった気持ちを、そのままを受け取り
「大丈夫だよ」と、暖かなまなざしで、受け止め、感じること。
受容するとき、人は、その瞳は、とても、やさしく、暖かく、穏やかで、そして、見返りも必要としません。

形ではなく、心で感じること。
どんなに学歴があろうと、知識があろうと、
そんなこたあ、全く関係ありません。

ゆうこ先生が、やっていらしたことを、今振り返ると、ほぼ、それと一致していると感じます。

ということで、遅ればせながらですが、
私、今ここで、過去の間違いを訂正させて頂きます。
ごめんなさいm(_ _)mスマン


今、受容が、私自身、できているかどうか、わかりません。
でも、今、自分の瞳が、どのようであるかを確認すれば、
そんなことなぞ、自分ですぐにわかることですね。

どのような言いわけを積んでも、自分にだけは、ウソは、つけません。

自分を許したとき・・、自分の手の中に、自然に生まれ出るもの。。。
形や方法で、手に入れようとすれば逃げてしまい、諦めたら、手に入らないもの。


あなたは、自分の心と向き合っていますか?


               ~~~~~~~~~~~

>>>この記事は、【不登校・それぞれの軌跡】の続きです。
(1)嫌悪の連鎖
(2)記憶の操作と罪悪感(娘編)
(3)記憶の操作と罪悪感(息子編~1)
(4)壊れていく心(息子編~2)     
(5)壊れた心(息子編~3)
(6)番外編(息子編~4
(7)病名:小児うつ病(息子編~5)


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【不登校・それぞれの軌跡】(7)病名:小児うつ病(息子編~その5)
2009-11-24 Tue 10:47
6月の下旬。
最初は、ただの疲れだと思っていた。
しばらく、ゆっくりしたら、熱も下がるだろうと。
しかし、朝38度あった熱は、夕方には、平熱になる。
夕方になると、元気になって、明日の準備をはじめる。
しかし、次の朝は、吐き気、腹痛、熱。
調子のよさそうなときは、車で送って行った。
最初は、週3回休み、次の週は、行ける日が少なくなった。
不登校という自覚は、全くなかった。
思いもしなかった。

息子を、かかりつけの小児科につれて行った。
そこで、はじめて、血圧の病気ですと、告げられた。

「起立性調節障害」

多くの不登校に内在する、心因性の病気。
当時は、まだ、メジャーではなく、マイナーな病名だった。
医者に、すぐに直る病気ではなく、長くなりますと告げられた。
「どれくらい・・・?」心が凍りつきそうな暗澹たる気持ちで聞いた。
「早くて、高校卒業くらい・・・」そう言われた。
出された血圧の薬だけをもらって帰った。

私は、共依存のA子に、とあるファミレスで、息子のことを話した。
A子は、血相を変えて、目を鬼のようにして、私のことを口汚くののしった。
子どもを、不登校にし、心因性の病気にしたのは、あんたのせいだと、言われた。

「不登校になったの・・・だなあ・・・」A子にののしられながら、どこか冷静な自分がいた。
もう、だめだな・・・
もう、終わりにしたい。
この人から離れよう・・・ぼんやりと思った。
私の中で、必死に守っていた何かが、がらがらと、くずれ落ちていった。

7月。
息子は、ついには、布団から、起き上がれなくなった。
食べるものも、ゼリー類を口にするだけ。
赤ちゃんのように、抱きかかえて、口元に、スプーンでゼリーを運ぶ。
息子が一口、一口をごくりと飲み込むたびに、安堵した。

生きることを拒否している・・・本能的にそう感じた。
ずっと、死にたいと思っていたのは、私のはずだったのに、
自分の子どもが、今、目の前で、死に掛かっている・・・

恐怖・・・。
助けたい。。。
この子を助けるには、どうしたらいい?
パニックに陥りながらも、それだけを、私のつっかえ棒にした。
そうしなければ、一瞬でもろともに、おぼれてしまいそうになった。

かと思うと、結構に、強気な私もいた。
楽天で、ブログをはじめたのもこの頃。
毒を吐きながら、強気を押し通す。
押し通しながら、砕けそうになる心を守った。
あの頃の記事には、そういう思いが、ぎゅっと詰められている。
懐かしさと、痛みとを感じながら、時折自分の書いた文章を読む現在。


その後、息子には、いろいろ試して、ホットケーキなら、食べられることがわかった。
小さなホットケーキを毎日焼いた。
一生懸命、必死で焼いた。
ホットケーキの苦い思い出。。。
息子が、ホットケーキを食べられたのは、
恐らく、子どもたちが小さな頃に焼いてあげた記憶に、
互いに助けられたのだろう。

すりおろしのりんごにも、助けられた。
私が、幼い頃、熱を出しすと、母と祖母が必ず作ってくれた。
病気のとき、いつもは冷たく感じていた母の愛情を、確認できた数少ない思い出。
それらが、つながって、私は、うつになった息子に、すりおろしりんごを、食べさせる。
かすかな、暖かい思い出が、私と息子をつないでいたのかもしれない。

息子は、後になって言った。
「おれ、固いせんべい好きだ。」
息子が、幼稚園の頃書いた母の日の私の絵。
息子が書いた私の絵は、両手にせんべいを持っていた。
「どうして、せんべいなの?」
つい最近、聞いてみた。
「昔、おれが、熱をだしたとき、何も食べられなくて、
でも、そのせんべいが、すごくおいしくて、記憶にのこっている」
記憶・・・
忘れていた記憶・・・おぼろげに覚えている記憶をたどる。
せんべい好きの息子に、食欲がないときに、買ってきたもの。
お茶につけて、柔らかくして、食べさせた・・・
そんな、親との記憶が、子どもに残り、わずかばかりの暖かさを伝えていたのかと、驚かされた瞬間。

そんな話をした次の日、息子は、草加せんべいを、一袋買ってきて、おいしそうに平らげていた。
こんな私を許してくれるのかと・・・息子と共有する記憶の暖かさに、救われる気持ちがした。
彼は、幼い頃から、かすかにそれを覚えていたのだろう。


その頃は、もう、学校は、とても無理だった。
学校なんか、どうでもいいと思った。。。
いや・・・元気になったら、行けると思っていた。きっと、必ず。

毎日、「今日は休みます」と学校に連絡を入れる。
この面倒なシステムは、不登校の親にとって、多大なストレスになる。
毎日、自分の子どもが学校へ行けないことを、自分に思い知らされながら伝えなければならない。
その確認作業は、別のプライドを作らなければ、とてもやっていけることではなかった。

不登校・・・

学校や、友達、担任、そこから抜け、別の道を行く、・・・誰もが知らない道。
それが、私を支えるプライドになった。

学校で学ぶものなんかない。
こんな、薄汚れた社会で、健全に育つはずがない。
担任の無力を、あざ笑った。
そんなとこは、まっぴらだ。
こちらから、おさらばだ。
精一杯の、プライドだった。
不登校プライドというものが、あるとしたら、きっと、そういうものだろう。
みんな、行ってる学校へ、自分の息子が行けない。
そういう悲しみを、外を攻撃することで、ごまかした。
当時の楽天ブログには、そういった気持ちが、たくさん吐露されている。

一月ほどして、息子は、精神科を受診することを望んだ。
「この苦しさが、楽になるんだったら、なんだっていい。病院へつれていって」と。
ふたりで、思春期科がある、近くの病院へ行った。
そこで、「小児うつ」という病名がつけられた。
その後、彼は、3ヶ月、思春期病棟に、入院を希望し、そして、彼は、入院した。

当時のことを・・・息子は、言う。
「家から離れたかった」
私の監視の目、ダブルバインド、形だけの家庭。それらから逃げたかったのだろう。
そして・・・親を傷つけそうになる気持ちを、離れることで、逃したかったのだろう。

入院先は、車で10分の場所であったので、ほぼ毎日のように、彼のところへ行った。
行って何をするというわけでもなく、海に散歩にいったり、病院を抜け出て、本屋や、つり道具を買いにいったり、他愛のない話をしたり・・・
穏やかな時間だった。
学校を思い出さない限り、私たちの関係は、良好にみえた。
息子にとっては、母親に甘えられた時間だったろうと感じる。

しかし、その頃から、彼がリストカットをしていたことに、はじめて気づかされた。
最初は、押しピンだった。
夜中に、看護婦詰め所に、押しピンで刺した手を血だらけにして、やってきた息子。
翌日、看護婦さんから、手首に包帯をしてもらった彼を抱きしめて泣くしかなかった。
死にたいという息子。
「・・・切りたいなら、お母さんの手首を切りなさい!」
狂乱して、そう言い放ったことを覚えている。

その後1年くらい、彼は、何度も手首を傷つけた。
そのたびに、泣きたい気持ちを抑えて、ただ、黙って、手首に包帯を巻いた。
どうにもしてやれない無力な親としての自分。
そのたびに、「どうして?」と無言の問いかけをし、哀れな目を息子に向けた。
困惑の目を息子に向けた。
同時に、息子のリストカットが、私に向けられた「拒否」だと感じた。
親として、否定されている・・・そう感じた。

なぜ、否定するの?
こんなに、心配してあげてるのに。
私を否定しないで。
こんなに、悩んでいるのに。
なぜ、いじわるするの?
あなたのことが、心配なのに。


この欺瞞が、おわかりになるでしょうか・・・
この欺瞞が、私自身をごまかし、私の歪んだ基盤から発せられていることが。
そして、歪んだ基盤から発せられた気持ちは、息子に、確実に届いています。

「お母さんは、ぼくのことを、心配していない。心配なのは、自分だ」
そういうメッセージを子どもは、直感的に受け取ります。

いつまでも、自分を受け止めてもらえない子どもは、
ずっと、ずっと、訴え続けていかなければならないのです。


否定されたと感じたのは、私の間違ったプライド。
それが、当時の私には、わからなかった。
息子をここまで、追い込んでもなお、私の傲慢さは、消えなかった。

「なぜ?どうして?おかあさんを、苦しめるの?」
あるときは、「勝手にすれば!」と、失望と、投げやりになる気持ち。
黙って手首を傷つける息子の訴えに、自分のプライドが傷つけられる気がしたのだった。

そして、退院した。
最初の病院の主治医は、入院中も学校へ行けと、何度も息子を促した。
息子は、確かに行こうと努力した。
一日は行けた。でも、次の日は、行けなかった。ずっと行けなかった。
家の洗面所で、ひざを抱えて、過呼吸を起こし、泣いているのを発見した。
募る挫折感。。。

私の中に、行って欲しいという気持ちと、行って欲しくないという気持ちが、入り交ざりはじめた。
行かせるのが、正解なのか?
それとも、休ませるのが、正解なのか?
さっぱりわからなくなった。
私が、混乱するから、息子も混乱するのか?

迷いに迷った時期だった。

息子は、「誰かが自分を殺しにくる」と毎夜のように、泣き騒ぐようになった。
ただ、抱きしめて、「大丈夫だから」と、押さえ込むしかなかった私。
夜中に、パニックになって、外に飛び出し、何時間も帰ってこない子。
誰かが、僕を呼ぶんだと、怖がる子ども。
壁にガンガンと、頭を打ち付けて、泣く子・・・。
好きなゲームも、一切する気力もなくなった息子。
ただ、眠っているか、食べているか、自分を傷つけるか・・・そのどちらか。
昼夜逆転も、逆転の逆転で、昼か夜かさっぱりわからない。
恐らく、統合失調症発症すれすれだった。

その頃、もっと専門的な病院へと、県外にある病院へ移った。

担当医に、可能性として、これから先、統合失調症の発症の可能性は、否定できないと告げられてた。

先の見えない泥沼。
息子の心が、わからなかった。
なきたいほど、分からなかった。
どうしていいかわからなかった。

一方で、私は、時間だけはあったので、ネットで、不登校のことを、存分に調べた。
本も、片っ端から読んだ。
とにかく、ここからの回復の方法が知りたかった。
なんでもいい、誰か教えてほしいと。
でも、ほとんどの本やネットには、解決法は、書いてなかった。

解決法というのは、いかに学校へ戻せるかという手法と、
東京シューレのように、学校は、とんでもない場所だから、自分の道を進もうという手法に分かれているように、感じた。
このふたつの手法の間でゆれ続けた。そんな一年間だった。


私は、息子が不登校になる前の一年前に、犬の病気の助け合いHPを作っていた。
そこで、かなり、救われていた私は、ネットの可能性というものは、身にしみて実感していた。
今、思うと、私がネットに入り込んだのは、今は亡き犬のおかげ。

私は、同じ不登校のお母さんと、交流をしようと思い立った。
そして、今のことを書きとめておきたいと思った。

2005年、8月 楽天にブログを作った。

その頃、不登校になる前・・・半年ほど前に、読んでいた、あるブログに魅せられていた。
それは、ひとつの布石だったのだろう。
後に、私に、インナーチャイルドのエクササイズを教えてくれた、たつさんのブログ。
その読者となり、コメントも数回書いたりしていた。
そのブログには、心に問題を抱える人たちが、たくさん集まっていた。
子どもが不登校になり、それ以前の布石があったこともあり、たつさんから
声をかけられ、チャットで話すようになった。
私が一番苦しいときに、声をかけてくれた方でした。
その後・・・何度も、折れそうになった時、絶妙のタイミングで
声をかけてくださり、そのたびに、救われた。
なぜ、苦しいのがわかるのだろう・・・
この人は、どうして、人の心を読めるのだろうか?
突っ張っていた私には、それが、不思議に思えた。

その謎は・・・、今ならわかります。
ブログには、その人の波動が、感じられるのです。
というと、とても、スピリチュアルな感覚ですが、
苦しい場所を通り抜け、そこから回復してきた人は、
必ず、自分を振り返り反省することをやってきています。
そこには、絶対認めたくないこともあったでしょう。
しかし、認めてしまわないと、そこから先に進めないのだと、
私は、エクササイズをやりながら、後に、思い知らされました。
自分を振り返り、自分を知ることで、人の痛みが、自分と共鳴し、
そこに、包み込む愛が、生まれ出ることを、たつさんから教えてもらいました。

その頃、子育てサークルも抜けて、A子と離れはじめた頃で、
息子の不登校と一緒に、完全に引きこもってしまった私でした。
人と会うのが、怖かった。
ここにまだ、自分の弱さをさらけ出せない、プライドの塊の私がいました。

プライドだけは捨てられない癖に、宗教問題と、A子の問題と、子どもの不登校と、AC・・・親への恨みで、私の頭は、ぐちゃぐちゃで、何が問題か、もう、さっぱり分からなくなっていました。

先が見えない・・・
不安・・・
苦しい・・・
さびしい・・・
死にたい・・
誰か助けてよ。
いつも、チャットでは、そう訴えていた私がいました。
そして、たつさんからは、方向性を示してもらいながら、かろうじて、正気を保っていた気がします。

その頃は、もう、愚痴のオンパレードで、たつさんも、受け止めることは、大変だったと思います。
やがて、愚痴というのは、不快の訴えであり、それは、何も解決を生まないことを知りました。
不快さは、結局のところ、自分を守るための一時の処方にしかなりません。
言えば言うほど、増大し、心は、不快さで覆い隠されてしまいます。
それらは、自分への言い訳であり、自分は悪くない、そういう記憶の操作をしていくのです。

一度、自分が訴えたい不快なことを、紙に書き出してみてください。
どれほど、気持ちが、自分以外の方向に、向き他者を攻撃しているかを、
確認できるのではないかと思います。
そして、それは、自分の心に、暗闇を作ります。
同時に、自分を守る盾になるのですね。


しかし、訴えたところで、相手は変わりません。
一生訴え続け、言い訳し、自分の人生を無駄にし続けますか?
他者に目を向けていても、それは、ごまかしであり、幻です。

そうやって、私も、ずっと・・・、数十年も、訴え続けてきました。
でも、何も変わりませんでした。

子どもの不登校で、そういうことを学びました。
たつさんとの会話で、そういうことを教えてもらいました。

私は、どうしたいか?
私は、なぜ、こう感じるのか?
その感情は、なぜ起こるのか?
執着とは、何か・・・
何を手放せばいいのか?

インナーチャイルドのエクササイズを行って、
子どもの気持ちを知りたかったら、自分を振り返ればいい。。。
それが、うっすらとわかってきはじめたのは、その2年後でした。

そんな情けない時代が、私にもあったのです。。。
今は、こんな、おおぼけ母ですが、暗く、寒い、氷河期が。

話、戻ります^^;

楽天ブログを書き始めて、それから、半年・・・、
ガイアックス(今はありません)に、不登校のHPを作ってみた。
楽天以外に、本音を書く場所が欲しくなりました。
そこは、不登校というより、A子との関係をクリアにしてみたいという気持ちもあって、ダークな吐き出し場所として使っていました。依存関係と言われても、何が、依存で、共依存なのか、さっぱり分からなかったから、書いて整理つけようと思ったのでした。
(ちっとも、整理にはなりませんでしたけど・・・当たり前ですが、不快の訴え場所で、終わっちゃいました)^^;

2006年春・・・。
そのガイアックスHPで、きんたろうさんの書かれた衝撃的な文章に出会いました。

なんだろう、これは!?
なんだか、よくわからないけれど、暖かい・・・
よくわからないけど、この文章に書かれたことは、真実だ。
当時、あまりクリアではなかった私でしたけれど、数ある不登校、心の問題を扱うサイトを読みつくしていた私が、本能的に、そこに書かれていることは、人の心を解き明かす仕組みだ。。。それだけは、直感的にわかりました。とても感動的でした。
やがて、いてもたってもいられなくなり、「ここにいるよ」という思いを無性に伝えたくなり、はじめてBBSに書き込みました。
それが、きんたろうさんとの出会いでした。
実は、恥ずかしながら、最近になるまで、そのことさえ、忘れていたんです^^;
(ごめんなさ~~~い、あはは)^^;
その後・・・、きんたろうさんとの交流の中で、こてんぱんに、撃沈されました(笑)
でも、めげない私。。。いや、めげたんですけどね。ほんとは。
認めることが、できなかったんですね。
私には、そんな感情はない!って。
「くそ~~っ」と、対抗意識を秘めて、ブログを書いていました。
何度も、何度も、撃沈しながら、挑み、でも、きんたろうさんの文章には、すきがなく、全く、それは、無謀な戦いでしたけど。完敗して、すごすごと、退散したことも、何度もありました。
が、何気に助けてもらい、何度となく、支えられ、気づきをもらい、
ずっと、トゲ女を、見守ってくださり、私にとっては、ブログでの交流が、一等楽しい時期でした。
トゲを投げたら、自分の投げたトゲがそのまま返ってくるので、あれは、参りました^^;
でも、そのおかげで、知らず知らず、自分を見つめるきっかけをたくさん、もらっていました。
それらが、私を育ててくれたと思います。

そして、もうひとつ、
nakkoさんが、運営する「パーラーカフェ」という楽天ブログとの出会いがありました。
そこは、起立性調節障害が原因で、不登校になった親御さんたちのネットワークがありました。
今、現在「NPOアリス~起立性調節障害親の会」のさきがけとなったブログでした。
そこで、いろいろな人のコメントを読み続けました。
記事も、nakkoさんの人柄が出ていらして、ほんとに、やさしく語りかけてくるような、安心できるブログでした。そして、その暖かさに惹かれて集まってこられる方々のコメントとして残される言葉をひたすらロムしていました。ロムしながら、この人は、なぜ、こう思ったんだろう?なぜ、回復されてきたのだろう?この人は、どうして、回復しないのだろう・・・じっと、見続けました。

回復する人と、しない人に、何の違いがあるのだろう・・・

それを知りたかったのです。(当時の皆さん、大変すみません)
でも、その経験が、後に、私を回復へ向かわせた礎になっていると思います。
このような幸運な出会いが、あったことが、今につながっています。

とは言っても・・・、当時の私は、楽天ブログで、必死に突っ張って、自分の辛さをだれ彼となく、ぶつけていました。
とにかく、毒の強い、強気のトゲ女でした(笑)
それは、きんたろうさんが、一番よくご存知です。
(当時は、大変ごめんなさい^^;)

落ち込んだかと思うと、プライドを塗り替えて、「ちくしょ~」と、立ち上がっていきました。
私は、こうなきゃ、いけない、
私は、こうしなきゃ、いけない
私は、私は、私は~、って、・・・・息子のことは、どこ行っちゃッたんでしょ・・・・^^;
執着、怒り、嘆き、憎しみ、傲慢、嫉妬、プライド・・・そんな、負の百貨店みたいな私でした。

そうしながらも、
「子どもを受け入れるって、いったいなんや~??」と、
トゲだらけの心で、暴走したヤマアラシみたいに暴れていました。

そのトゲの大きさは、それまで、生育暦の中で、私が傷ついてきた分のトゲの大きさでした。自分を守るためのトゲでした。

それが、わかるのは、もっと後の話・・・

次は、「適応指導教室での出会い」です。


>>>この記事は、【不登校・それぞれの軌跡】の続きです。
(1)嫌悪の連鎖
(2)記憶の操作と罪悪感(娘編)
(3)記憶の操作と罪悪感(息子編~1)
(4)壊れていく心(息子編~2)     
(5)壊れた心(息子編~3)
(6)番外編(息子編~4)



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【不登校】それぞれの軌跡(6)番外編(息子編)
2009-11-19 Thu 11:12
設問へのコメント、ありがとうございました。
みなさんが、それぞれ、感じられたこと、それは、自分の心を紐解く大切な鍵となります。
大切に付箋をつけておいて頂きたいと思っています。

さて、息子は、なぜ、そのような行動をするようになったのでしょう。
我が家の場合を書き記しておきます。

我が家には、無数のトラップがあったと、前の記事で書きました。
このトラップは、今振り返ると、恐ろしいほどの矛盾がありました。

たとえば、お刺身の醤油の話が出ましたので、そのことを例にとりますと、
夫は、たっぷり醤油をかけます。私は、少しかけます。
で、夫に「かけすぎでしょ、それ」と、私のその一言で、ゲームがはじまります。
それから、夕食の場が、ゲームの場になり、台無しになっていきます。
子どもたちは、「また、はじまった」と、そそくさと、自室へ消えていきます。
別の日・・・息子も、無造作に、醤油をたくさん皿に注ぎます。
夫とのゲームに気が治まらない私は、言います。
「かけすぎ!」と。
しかし、私のかけ過ぎという感覚は、息子には、どれくらいが、かけ過ぎなのか、わからないわけです。
どれくらいかというと、それは、私のその日の感覚でしかないので、日によって違います。
子どもは、次第に混乱していきます。
一体、何が「丁度いい」のか、母親の顔色を伺うようになります。しかし、その日によって違う母親の気分は、「丁度いい」という感覚を探る息子は、次第に疲れてきました。
そして、「何もかけない」という選択をすることが、身を守ることになると、無力感、抑圧感とともに学ばざるを得なくなりました。

また、あるときは、サラダ。息子が好みのものをかけます。私は、最初に、「これは、このドレッシング」と、決めています。息子には、私の思う「このドレッシング」は、一体どれか、わからないわけです。
しかし、私の中では、作った段階で、決まっているので、思っていたのと違うものを先にかけられたら、違和感が、起こります。その違和感は、次第に怒りとなって、不機嫌さや怒りに変わります。

この違和感は、「私のもともと持っているルール」が、基盤になっていることから、出現しています。
私自身の歪んだ基盤の中には、源家族が、同じようなルールで、過ごしていたことを思い出させます。それらが、日常生活で、慢性的なトラウマを呼び起こします。

世代間連鎖。

その繰り返しを積み重なることで、息子は、「何もしない」ことが、「何も起こらない」ことを、学んでいきました。
そうして、いつしか・・・彼は、何もかけないことを、選択しました。
しかし・・・何もかけない状態は、やっぱり、おいしくないわけです。
そこで、彼は、記憶の操作をしました。
自分に言い訳を作りました。
「素材の味が楽しめる」と。
「カロリーが高くなる」と。
そう記憶を書き換えた時点で、かけないで食べることに、自分を納得させることに成功しました。
彼には、自分の心を守るために、誰にも攻撃されない、りっぱな大義名分が必要だったのです。
そして、それが、彼のルールになりました。
今、家庭の中のルールは、取り払われ、一人一人が尊重されるように、なりました。
世代間連鎖の内在した怒りは、ほどけつつあります。
息子は、やっと・・・自分で好きなものを、サラダにかけて食べることができるようになりました。
息子の奪われた心は、世代間連鎖の終焉とともに、息子のもとに、もどったということです。

これは、我が家の象徴的なことです。
なにも、調味料だけの話ではありません。
そのことを踏まえて、振り返りの参考にしていただければ、幸いです。


頂いたコメントに、「我慢」という言葉がありました。
ただ、我慢することは、人は、なかなか出来ないものだと感じます。
「我慢」を、自分に納得させるために、
「自分の歪んだルール」を作るのだと感じます。
そして、ルールは、昔からそこにあったように、記憶を書き換えます。
当たり前のように。空気のように。

しかし、こっそりと押し込めた我慢は、無意識に人にも我慢させることを、強要しようとします。
「感じないようにしよう」「見えないことにしよう」

だけど!

「だから、あなたも、そうしなさい」

これは、エネルギーの法則だと感じます。
入れた負のエネルギーは、負のエネルギーとして、放出され、
正のエネルギーは、正のエネルギーとして、出る。

世界は、そういったエネルギーの交換で、できているのではないかと、
そう感じます。

かつての被害者が、加害者になりうる、ということ。
それが、世代間連鎖の特徴だと感じます。

「どか食い」について、コメントにありましたので、追記しておきます。
息子の場合は、また、別のところでの、発散だったように、思います。
息子も、不登校をはじめた頃、
スナック菓子と、炭酸で、かなり、まるまるしたぷ~ちゃんになりました。
素材の味どころか・・・、当時は、もう、めちゃくちゃな食べ方でした^^;
鬱屈した気持ちを、お菓子でごまかすように。

今は、食べたいから、食べる程度になりました。
まるまるとした体型は、すっかり、スレンダーになりました。

食べるという行為は、
「欲しい」という心の飢餓の象徴ではないかと、思うこともあります。
心と体は、密接に関係していると、息子を見ながら、
今、本当に思うことです。
「食べる」行為は、一時を忘れさせてくれます。
人を無心にさせます。
しかし、その後の自己嫌悪が、また自分を落ち込ませます。
食べることを、やめさせようとしても、それは、また、別のところで、代価を払うことになるでしょう。
過食・・・(欲しい)、拒食・・・(殺したい)、リストカット・・・(生きたい)
結局、生き残るための、究極の方法として、与えられてしまった最後の方法なのだろうか・・・と感じます。

死にたいは、生きたい。

殺したいは、愛したい。


根本は、同じ。

今、そう感じています。

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