author : rinrin
【不登校】深く理解することと、信じること
2011-10-13 Thu 17:49
不登校やアダルトチルドレンの回復に必要なこと


自分を深く理解すること


信じること?

どうやって信じればいいんでしょう・・・

本当は、信じることが出来ないから、

信じることに固執しちゃう


本当は、信じちゃいないのさ

まずは、そのことを知る事からしか始まらない。


自分を深く理解したら、

相手も深く理解できる



信じなきゃと思わなくても

がまんしなくちゃと思わなくても

黙っておかなくちゃと無理に抑え込んで、がんばらなくても

自然とわき出てくるもの。


ただ、ひたすら自分を見つめ続けること


子どもたちの調子が悪くならないように

信じようとするふりをするのは、子どもには通じない。

いつか、必ずボロが出る。

子どもたちは、真実の言葉だけを待っているのです。
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【不登校・ひきこもり】なぜ、お風呂に入らない?
2011-10-13 Thu 01:19
「お風呂に入らないんです」

はい、うちもそうでした

不登校や引きこもりのご家庭では、男女関係なく

「着替えない」、「お風呂に入らない」という現象が起こるようです。

これに付随していくのが、昼夜逆転、ゲーム、PCとなりますが

全部、親ごさんが 子どもにやって欲しくないトップ10みたいな行動です。

つい、親は、ゲームをやめさせようとか、お風呂に入れさせようとか

表面のことに目を奪われて、肝心な子どもの気持ちを見落として行きがちです。

そして、お風呂に入る、入らない、ゲームやめてくれ~と、

内心そこばかりに囚われてしまって、「DO」(動かす)に執着していきます。

子どもは、余計親の動かそうという力に抗おうとします。

で、ここで、大切なポイントです。


なぜ、子どもは、親に抗おうとしているのか?

ここを見落とさないでくださいね。

次に「私の育て方が悪かったから」と自責に逃げないでくださいね。


ここんとこを見逃していくと、子どもは、完全に部屋に籠城してしまいます。

子どもが引きこもるのは、ある意味、まゆに入るようなものだと思います。

人は、自分のアイディンティティを脅かされると

自分の最低限の領域を守るために、引きこもるのではないでしょうか。

省エネモード・・・PCでいえば、スリープ状態?


では、どうしたら、スリープ状態を解除できるか・・・


もし、子どもさんが18歳なら、

18年分の親への不信感を取り戻す、逆行作業が必要になります。

逆行作業は、もう一度、信頼を取り戻すことと同義語ですね。

子どもが気楽に、親に話ができる、

笑って冗談を言える、

リビングで一緒にいて、柔らかい空気が流れる

そんな他愛のないことですが、これが実に難しいのです。


不登校・引きこもりに即席ラーメンのような解決法はありません。

親ごさん自身が親子の信頼を修復する為に、

親のコミュニケーション力の向上

親の思考の癖をとらえる力の養成、

人と関わる力を育てていくことが必要だと感じます。

信頼関係の再構築まで時間もかかりますし、エネルギーも必要です。

親ごさんの「思考の癖」や、「コミュニケーションの癖」は

時間をかけて丁寧に修正していかなければなりません。


え、不登校・引きこもりって、子どもの問題ではないんですか?

とおっしゃる方もいて、自分が頑張らないといけないとわかると、

残念な事ですが、去って行かれる方もいらっしゃいます。

それはそれで、いいかと思います。

親御さんの時期がまだ満ちていないという事もあると思います。

それよりも、頑張るふりをし続けられるほうが、

こちらも心苦しく感じたりもします。



信頼を回復するということは、相手の心の痛みを感じ、知り、

理解するということかもしれません。

これは、到底、頭で理解し、理屈でわかっただけでは、

出来ないことかもしれません。

親ごさんが、自分の癖を、心で納得し、腑に落としこみ、

やっと、子どもへのアクションを修正できるのではないでしょうか。

親の沽券や世間体に こだわればこだわるほど

腑に落とし込むことは遠くなると思っていいかと思います。


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不登校の子が年齢が上がると回復しにくい理由(2)【不登校】
2011-10-07 Fri 14:09
年齢が上がると回復しにくい理由(1)【不登校・AC】

前回では、大人の事情を中心に書いてみましたが、
今回は、不登校や引きこもりの子たちが年齢が上がると
なぜ、回復しにくいのか?を書いてみたいと思います。


●不登校や引きこもりの状態に親子で慣れてしまう

子どもが不登校になった時、子どもを動かそうと、
最初の数か月は、あたふたと色々手を尽くします。
が、テコでも動きそうもない、
または、アクションを起こすと子どもが荒れる
これを繰り返していくと
次第に親は腫れものに触るよう子どもに接するようになることが
多くなるのではないかと感じます。

「これ、言っていいかな」
「これ、やったら、また荒れるかな」

びくびくしながら、心は、「どうすりゃいいんだ!」
と、万策尽きた感じでしょうか。
言いたい事も互いに言えず、親子お互いに監視し合っている膠着状態。

さらに、時が進むと、その状態が普通の状態になっていきます。
当たらず障らずで、家で機嫌がいいなら、それでいいかも・・・
そのうち、動き出すかもしれない。
もちろん、初期のころは、「休ませること」は鉄則です。
が、疲れたままで、10年、20年・・・
では、いつ、疲れがとれるのか?

このような慣れた状態を、正当化する言葉が、
「時間が解決する」
「今は、疲れてるのよ」
「ゆっくり休ませる時期なのよ」で、
さらにまた、子どもたちの自力を奪っているのではないかと
感じます。

なんらかのきっかけなくして、子どもが自分から動き出すということは、
無いと、思います。
このような「信じて任せる」行為を推奨されるお医者様や、支援者もいますが、
今現在、ニートや、引きこもりが減る事がない現状を知っておられるのだろうか?と
多大な疑問を抱きます。

ある種、宗教的な「信じて任せる教 他力本願寺」にすがってる人たちを
増やし続けるだけではないかと感じてしょうがありません。


●子どもを取り巻く環境(繊細さをぶち壊す)

いじめで凹む子ども、立ち直りの出来る子
同じ担任でも、担任と気が合わないと学校拒否する子
そこそこ、しょうがないなあと、合わせられる子
どちらが、自力をつけていけるか・・・
そんな事を考えると、

「繊細な子たち」というキーワードが浮かびます。

生きていく上で、物事を深く考えたり、繊細であることは
確かに大切ではあると思います。
しかし、繊細過ぎることで、コミュニケーションのズレや人間関係に支障がでてくれば
今後の課題として繊細さをぶち壊す力を自分で身につけていくしかありません。

「繊細すぎる」性質(たち)と呼ばれるものは、
性格や気質もほんの少し影響するのかもしれませんがおおかた、親からの強烈な
「過干渉、過保護、不安の植えつけ、操作」の結果ではないかと感じます。

「繊細すぎる癖」だと捉えていけばいいのだと思うのです。

ここに、スピリチュアル系でよく言われる、インディゴチルドレンとか、
選ばれた子どもたち、とか、くっつける必要は無い(きっぱり)と思います。
私たちが子どもたちに望むことは、地球を救ってくれるような
インディゴチルドレンと呼ばれる子どもたちを育てることではなく、
(もしかしたら、これはインディゴチルドレンの母というステータスを得るための策謀か?
と私は、思っているほどです。まるでアイドルスターの母みたいに)

子どもたちが、子供らしく生きられ、
社会に出ても、社会の人間関係に負けない打たれ強さを身につけ
人間関係を構築する力をつけることに尽きるのではと・・・


と、私は感じます。



●棚上げしたい大人たち(現実から目をそらしたい気持ち)

失敗したくない大人たちとも言い変えていいかもしれません。
これまでの人生で失敗した回数だけ、学んできたことを
なぜか忘れてしまっている大人。

だれか、助けてくれないかな・・と白馬の王子様を待ってるだけ。
何も、変わりようがありません。

自分を見つめることは、怖いですよ、ほんとに。
何が出てくるか、わからないのですから。
しかし、自分の痛みを感じずして、子どもが今抱えている痛みが分かるとは
私には、どうしても思えないのです。


●心が動かない(あきらめ感)

こうして、数年放置された子どもたちは、何もとっかかりがないままに
義務教育を終えてしまいます。
義務教育の間は、「学校」というストレスが
多少なりとも、子どもの押し出しのきっかけになることもあります。
しかし、学校や圧力がかかるものが全くなくなると。。
親子で、一緒に考えることも、きっかけもなくなります。

子ども自身も長期化すればするほど「あきらめ感」は強くなります。

このままずっと過ごしていける感覚から抜け出すことが難しくなっていくのではないでしょうか。

人間、安定したら、このままの生活をずっと続けていきたいと
思ってしまうのは、自然なことです。
人とのつながり、摩擦の中にいて、はじめて「どうにかしたい」という気持ちも
出てくると思うのです。

よっぽどの信念がなければ、今を継続していく毎日の方が安全で良いに決まっています。
過保護、過干渉で 安全な道だけを親が提示してきた結果だろうと思うのです。


年齢を重ねると、さらに、安全思考は固まってきます。

親側も、相変わらず、「過保護過干渉」に気づかず、
おなじことを繰り返している毎日。
不登校、引きこもりになって少しだけ影をひそめただけ。

子どもたちは、変わりようがない毎日。
どうしようもない無力感だけが、日々募るだけ。

無力感の中に、喜びや希望を探してさまようだけの日々。

突破口を求めても、ドアが見つからない。

やがて、あきらめていく・・

自分への言い訳、責任転嫁、ごまかしていけばいくほど、
自分の気持ちは、迷路にはまりこむ。


突破口のカギは、親が握っていると、私は思うのです。

親の心と行動が変わった分だけしか、子どもは変わらない。

もし、子どもが回復していない状態なら

親自身の心が未だ修正されていないということを示しているだけの事だと思うのですよ。

子どもは、親を映す鏡
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【不登校・AC】「子どもが動き出すまで待て」でいいのだろうか?
2011-10-01 Sat 18:12
前の記事のコメントで、質問を頂きました。

不登校の対応として「何もせずに子どもが動き出すまで待て」

ということは、よく言われることです。

これが、果たして正しいのかどうなのか?

という質問でした。


答えは、○であり、×でもあると感じます。

これは、その親子関係の状態で決まる気がします。

あまりに、過干渉すぎるお母さんの場合は

援助者は、そう言うしかありません。

しかし、放任の場合は、そうもいきません。。。

また、子どもさんの時期やお母さんの時期によって、

押し出す時期は、ある と思います。


そのことを念頭に 経験を交えて 記事を書いてみました。


参考になれば幸いです。

.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+。.:*・゚+。.:*・゚


今に思えば、大層なことでは無かったことでした。

小学校、中学校時代、自分と他者のズレが際立ち

どうも自分は、周りと話が合わない・・・


物事の感じ方が人と違う・・・

そんな事を感じていたと思います。

その大元は、TVやご近所、果ては友達選びから

遮断された家庭環境にありました。

その家庭でしか、通用しないルールズ。

自分の常識、他人の非常識が多過ぎることが

まわりとの違和感を強め 他者の間に埋められない

疎外感を感じざるを得なくなっていったのだろうと感じます。

簡単に言えば、許された物事が 極端に少ない環境に生きてきたということです。


これは、AC家庭、不登校の家庭でもよく起こっている事ではないかと感じます。


「人と話が合わない」

家庭で、禁止されたことが多すぎて、それが当たり前すぎて
(例えば、TVを見せてもらえなかった、NHKしか見れなかったとかあります)

合わないゆえに友達と共感できることも また少なく

疎外感だけが、肥大していく。

コミュニケーション以前のゆゆしき問題となります。


子どもは、そんな事とは、全く分からないまま

人と共有することも出来ず、自己肯定感を貶めていくのでしょう。

不登校のお子様が、「友達が欲しい」のに

「友達ができない」「中に入れない」

と、聞きます。

うちもご多分にもれず、そうでした。

そして、私自身も同じように、子どもと同じ悩みを抱えて数十年

苦しんできたACの過去がありました。

これが、世代間連鎖として、子どもに伝わっていったことであるのなら

親が 視野を広げ 変わることで、

子どもの世界を広げられる可能性があると思うのです。

親が生きやすくなれば、子どもも、生きやすくなる。


方程式のように連動しています。


しかしながら、この年になって(汗;

失ってきた感覚、ズレた感覚を修正していくのは、

短時間では決して出来ないことです。

そもそも、自分が何を失ってきたのかさえも覚えていないのですから。

時間をかけてしか取り戻す事が出来ないことだろうと思います。

一枚一枚、薄紙を重ねるように、

繰り返し 根気よく ズレを修正していけば

感覚として、自然に毛穴から子どもに伝わっていきます。


かといって、これは子どもに対して「何もしない」

ということを指しているのではないですよ。



親が変われば、親の思考の方向が自然に変わっていきます。

行動が変わってきます。

言葉が変わってきます。

親子関係が変わってくるということですね。

途中、親の変化していく過程において、

子どもたちは、色々と抵抗を示します。

「なんで、今更!真逆のことを示すの??」と混乱もします。

「前のお母さんがよかった!」という言葉も出したりします。

(そこで 親側が おろおろさせられることもあります)

子どもが親の変化を「いい感覚」「心地よい感覚」

としてキャッチしていくことで楽になることを実感するまで

「なにをいまさら~」という抵抗を示してくる事があるかと思います。

ここで、めげないことでしょうか。。。

親側が方向性の軸をぶらさない、

ゆさぶられない

この感覚を親が身につけていくことで

子どもが次の一歩を踏み出す力になって

行くのではないかと感じます。

 
世の中には、色々な 理論があるかと思いますが

なにより、子どもの違和感のズレを

少なくしてあげられるのは

子どもより自力のあるお母さんにしか出来ない

大仕事だろうと思っています。

以上のことから、

何もせずに放っておいて、子どもだけ変わるということは

有り得ない・・・
と私は考えています。

もし、何もせずに 子どもが回復したのなら

それは、知らず知らずのうちに 

お母さんが、人の助けを借りながら、

自分自身を緩ませ、心を自由に解き放つことが

出来た証なのではないでしょうか。
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【不登校】昼夜逆転の意味 (文書を追加しました)
2011-09-30 Fri 12:12
前に書いた「昼夜逆転」の記事に、文章を追加しました。

読んでみてくださいね^^


http://acnokosodate.blog80.fc2.com/blog-entry-808.html
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年齢が上がると回復しにくい理由(1)【不登校・AC】
2011-09-20 Tue 09:21
私自身が 30代後半の頃の事です。

子育てサークルを運営している頃、

不登校関係の仕事をされている方から

「変わるなら30代に変わっておきなさい!

40代以降になると考えが固まって安定思考になっていくから難しくなるよ」

と耳タコで脅されて・・・いやスッパリと(汗 

言われていました。

思い返せば、30代の頃 ひどくいびつな性格の私

結局、もがいたものの30代では大して変われなかった私でした。

人間、何かのっぴきならない出来事が起こらないと

「変わる」っていうのは、かな~り難しい事を痛感します。

実際のところ 私も、我が家の不登校の問題が勃発したからこそ

崖っぷちに追い詰められ

「変わるのか」、「変わらないのか」

子どもから日々突きつけられるはめになり

やっとの思いで 自分を見つめざるを得なくなったというところです。


自分を見つめるということは、それほど難しいことなのです。

家庭的、社会的に、ある程度安定してくると

安定をどう保つかという思考になっていきます


これは、もうどうしようもない人間の性というやつです。

年齢を重ねるにつれて「もういいや」と

段々、月日を重ねるだけになっていく・・・

「変わりたい」と思うきっかけも数少なくなくなっていきます。

何か 事件が起こると

「あ~、逃げたい、めんどくさい」

「誰も何も問題を私に持ってこないで」

とばかり考えていた30代、40代前半でした。

丸投げしたい心境、バリバリ。

逃げながらも、違和感だらけで非常に苦しいんですが

幼い時から、慢性的に苦しい状態が継続してるので、

慣れてしまっているというのもあります。

もうひとつは、親から物理的に抑圧されていた幼い頃よりも

結婚し家庭を持ったら 比べ物にならないくらい自分の自由が利くので

それよりは、ずっとましという気持ちもあるかと思います。

「安定しているつもり」と錯覚を起こしていたんですね。


こういう状態の時は、他者攻撃、愚痴愚痴オンパレード

それか、自己否定、自虐のどちらかに逝っちゃうんですが

それもまた、数十年のなじみの場所なので

できるだけ人との心の接触を避けて生きたら

どうにかやり過ごせてしまうもの。

ほどほど 困らずに過ごせていたら

自分の本質を見つめるとか 自分の核心部分にたどりつくという事は

安定思考で「今さら」心の危機をわざわざ蒸し返したくはないものです。

そのためには、いくらでも正当な言い訳を作れるんですね。
(上のことは、私自身を振り返っての経験話です^^)



たとえば、このブログを読んで下さる方の中には、

自分の父母世代(60代~80代)に「こういうところを変えて欲しい」と

進言して、撃沈した方もかなり多いのではないかと思います。

年齢を重ねると、固定概念、安定化思考が より一層強くなりますし

よりよく生きることよりも、「死」の方が強く意識され

日々安定することに強い執着をしはじめます。


悔しいことに、当の父母世代が変わる必要性を感じていなく

自分自身は何も 困っていない状態なわけです。

苦情を訴えても のれんに腕押しになること、請け合いです。


世代間連鎖とは、問題意識を持ち 苦しいと感じたもの(私たち)が、

変えていくことしかできないものなのでしょう。


次回は、同じお題で、現代の子ども世代のことについて書いてみます。

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子どもを褒めるには?【不登校】
2011-09-17 Sat 16:51
人間 誰しも 褒められたらうれしい^^

確かにうれしい


が・・・

ツボを外されると、がっかりする

子どもたちも同じ


褒めて育てよ!


とよく、世間では言われますが

子どもを褒めるツボがわからないことってありませんか?

私も長い間、そうでした。

だから、とりあえず、目につくとこを褒めてみる・・・

子どもから、無視される・・・


ほめ上手な人と自分は どう違うんだろう??

どうもこうも、わからなくて、比較されそうで劣等感に悩んでしまう。

あげくの果ては、ほめ上手な人のあらさがしを始めて遠ざける

なんて事も 昔、私もありました

それは、また別のお話しなので、話を戻します。


褒めるには、

相手の良さを感じるってことがわからなかった(汗;;

では、感じるには 「どういたらええんじゃ~~



まずは、お母さん自身が自分の良いとこを認めることからですね^^

自分の成長を感じることが出来なくて

子どもの ちょっとした日々の変化は

わかんないんです




「え~、私なんか~、大したことないし~」

とか、若者言葉を使ってる場合ではありません。


自分で、自分の事を「大したことない」と宣言すると

現実は、大したことない方向に向かうんですね~。

↑これ、スピリチュアルでもなんでもないです。

なんとかの法則でもありません。



もし、不登校で悩んでいるお母さん方がいらしたら

自分の褒め方の点検をやってみてね。


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選択する力【不登校】
2011-09-17 Sat 16:24
世の中、情報が氾濫しすぎていることが、

子どもたちにとっては よくない

一理あると思います。

それは大人であってもそうだろうと感じます。

しかし、情報が多いことが問題ではないのではないかと思うんですよ。

情報が多いから、道を間違えるなんて

実はそんなことはない。

人には修正力もあるんですね。

そして、自分で選択したいという意思も

持っているものなのです。

が、選択する練習のプロセスをすっ飛ばして

「こうしなくちゃならない」

で、育てられた時代背景が、私たち大人は多いんです。

練習のプロセスは、言い変えたら 「失敗を経験する」ってことですね。


昔の父親というものは、まじで怖かった

大人に口答えしたら いけない時代でした。

ちょっと前までは、戦時体制だった日本ですから^^;

失敗したら、かな~り怒られる

んで、怒られないようにやる思考回路が

強化されていったんではないかと思うのです。

ということは、

「選ぶ」練習を奪われてきたということではないかと思うんです。

こうしたら こうなるから、こうするべし

これでは、いつまでたっても人は「選択」する力は付かない

現代の社会問題となる引きこもりの問題は

そういうところとも 関係しているのではないかと感じるのです。

もし、情報が氾濫しているから 最近の子どもたちが おかしくなったと

そういう説が、あるとしたら

子どもの問題を 何かのせいにしているだけの

モンスターペアれんツと 何ら変わらない。

何かのせいにすることで

子どもが「選択」する力をつける責任を放棄しているとしか思えない。

子どもに「選択」をする力をつけさせてやる事が出来るのは

やはり 養育者(主にお母さん)しか

出来ないことなのではないかと思うのです。


というのも、選択する練習は、ささいな日常の生活の中で出来ることなんです。


例:食事風景



子「これ、おいしい!」
母「うん、おいしいね」



子「これ、おいしい!」

母「うわ~!!ほんと おいしいね


①と②ちょっとした違いです。


子どもの 「おいしい!」という選択を意識づける言葉は

①、② どちらでしょう~。

①は、上の空 棒読み(視線は下向き)

②は、感情をこめて 声に出してみてください(視線上向き)

――――――――

違いがわかるでしょうか?

①は、感情がさらさらとこぼれて、否定されたのか承認されたのか

よくわかりません。

ここから、承認を求めて、果てしない旅がはじまっていきます。

しかし、それも力尽き・・・がっかり感と無力感。

やがて、自分の虚無感に押しつぶされ、人生あきらめていきます。

あなた任せの人生が始まります。


②は、お母さんから、強調されたことで、

子どもは「おいしい」という選択をしたことを承認されます。

承認されたことで、次の場面で「選択」が出来るようになります。

「選択」をするということは、自立的な回路を持てるということですね。


ええっ、こんなことが??~~と思われるかもですが~

こんな会話が 生活の中で 出来るのは、

学校の先生でも 塾の先生でも ないんです。

一番子どもと接している、お母さんだけができる特権なんですよ

お得だと思います
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子どもに避けられる【不登校】
2011-08-31 Wed 16:58
①子どもと話をしたいけど

子どもが、親をさけている・・・

話すことを拒絶している


割に初期段階に多いパターンです


どうして、話し合いのテーブルにのってこないのか?

親御さんの疑問がありますね。


では、自分が、人と話すことを避けるとき

どういう状態の時が多いでしょうかと、逆を考えてみたらいいかと思います。


・どうせわかってくれないから


・正論で押さえつけられるから


・話し方に 責められる雰囲気があるから


・ほんとのことを言っても無駄だと感じてるから


色々あるんじゃないかと思います


では、どんな人となら、話したいと思うでしょうか?

そこが重要になりますね^^

一度、自分の話し方の癖を点検してみるのもいいかと思います。


次に、

②必死で訴えてくる

暴力をふるう、自傷行為、手を10分おきに洗う、トイレから出てこれない等々

そんな子どもたちもいます。



こちらは、子どもの容量をこえて

大人側が 無理やり侵入し続けた結果だと感じます。


たとえば、説教を7時間正座させられたらどう感じます?


限界を超えたところで


暴れたくもなるでしょう。


①のパターンは、

子ども自身が 臨界点に達しないように

原子炉に近づかないよう

自分を抑えようとしている状態でもあるかと思います。

原子炉(親)に 恐怖を感じている時ですね。

できるなら①の段階で、互いに話を聴ける状態になることが、

望ましいと思うのですが、いかがでしょうか。


長年家族の間で つちかった癖は、

自分だけでは、なかなかわかりませんね。


親御さんが変わるために、

私たちは、お手伝いをさせて頂いています。

無料でのお試しを設けていますので、

お話してみませんか^^
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