author : rinrin
AC話【2】とりあえず、最終。 [ 子ども・不登校の1年間 ](126)
2006-04-28 Fri 14:13

娘が生まれて2~3日した頃、主治医に呼ばれた。

そこで、娘が多肢症だと告げられた。

生まれたばかりの娘の足の指は、人より一本ばかり多かった。

もう、本人は覚えていないが、3歳のとき、手術をした。

私は、周りには、強がっていたけれど、ほんとは、辛かった。

何が辛かったかというと、人と違うということが、辛かったんだ。

たった、指一本だったが、その手術跡は、いまも残っている。


プールの授業時間、同級生から、言われたりもしたようだ。

しかし、救われたのは、

「手術したんだ」と娘が言ったら

「私も手術して、失敗したんだ」と、ヘルニアの跡を見せてくれた同級生の存在。

子供って、すてきだなあって、思った。

しかし、私には、子供に背負わせてしまった、負い目が残っていた。

私が早期教育に走ったのは、この負い目もあった。

今、思うと、私自身にこそ、差別の感覚があったんだ。

優劣でしか、物事を判断できなかった愚かさ。

勝ち、負けしかなかった、私の子供時代の遺物。

それを私に教えるために、娘は一つ多くの指を持って、この世に生まれてきた。



その娘が、小学校へあがると、よく、泣いて帰ってきた。

理由は、その時は、分からなかったのですが、

後の6年後、娘との話のなかで、少しずつ明らかになっていった。



算数がわからなくて、悲しかった。。。。

本人にとっては、はじめての挫折というやつだったのでしょう。

また、この頃、同じ夢を繰り返し見たという。

公園に、置き去りにされて、夕暮れになっても

お母さんが迎えに来ないという夢でした。

その夢をみるたびに、泣きながら、目がさめたそうだ。

そのとき、支えてやれなかった親でした。



そして、バレエを習い続けていた娘が

ある日、「行かない」と言い出した。

泣き叫びながら、クッションを投げつけてきた。

初めての、意思表示でした。

そして、私の早期教育熱は、それ以後、一気に冷めてしまった。

習い事は、娘が好きなピアノだけ。

カイの習い事も全部やめてしまいました。

これで、私の理想の子供像の押し付け、コントロールは

終わったかに見えました。

しかし、ソラがだめなら、今度は、カイで。

それでも、懲りずに、下心いっぱいで、カイには、接していたような気がします。




その頃、私は、学級委員をしていた仲間と

子育てサークルを立ち上げていました。

定例会に会報作り、年3回のレクレーション、年一回のお泊りと、結構、ハード。

また、その運営資金を作るために、年に数度のフリマ。

この段階で数名が離脱していきました。

企画、運営から、雑用、会報、連絡等

手分けして・・・と言いたいところですが、

実際は、私と、もう一人のお母さん、@さんとでやっていた。

でも、どんなに忙しくても、私は、@さんの役にたつ自分が嬉しかった。

親育ての「子育てサークル」であったのに、

私は自分の子供のことは、後回しにすることが多くなりました。



同時に、知り合いから、相談をされる事も多くなりました。

私は、@さんになりきって、偉そうなアドバイスをしていたと思います。(苦笑;)

だんだん、相談も依存度を増し、

相手の役にたつ自分であろうと、完璧を装った結果、

ある人から、毎日電話に追いかけられる日々になってしまいました。

夜中だったり、朝早、夕食時。。。毎日。

私もその人が立ち直るよう、必死でした。

しかし、これは、完全な共依存でした。

相談されることに酔っている私がいました。

かわいそうな、あなたを救いたい、りっぱな私でした。

う・・・・自分で書いていて、辛いなあ。



この頃は、もう、ほんとに子供たちには、気持ちを全然向けてあげられませんでした。

カイも、今になって思えば、担任と相性が悪く、

先生から殴られたりしていたようでした。

そのときの事を、最近詳しく知りました。

やがて、このような生活に疑問がでてきました。

最初は、小さな点。

それが、だんだん、大きくなっていきました。

私は、相談から逃げ出しました。

もう、精神的にギブアップでした。

人の荷物を、自分の力以上に持つものではない。

汝、自らの限界を知れ!って感じでした。



しかし、@さんは、「まだ持てる」と言います。

持てない私は、@さんに嫌われたくないばかりに、

今度は、持てるふりをしなければならなくなりました。

でも、それには、絶対的に無理がありました。

心の底では、望んでいないのに、

やらなければならないのですから。

きついよ・・・

その思いは、閉じ込めても閉じ込めても漏れてきました。

まるで、不登校児のようです。

やる気が全く出なくなってしまいました。

私は、たぶん、これと同じことを、カイにしていたような気がします。

だから、@さんとの関係は、見事な、共依存でした。

そして、私がカイにしてきたことも、同じ共依存。

だから、カイは、不登校にならざるを得なかったんだと思います。



カイと私は、シンクロしていました。

やっと、ほんの最近、それを認めることができました。

ここまで、認めるのに、かなりの時間がかかりましたが。。。

認めたくなかったんだ。。。。

@さんと私は、似すぎていたんだ。

そろそろ、精神的に@さんから離れる時期がきているのかもしれない。


まあ、こうして書いて見ると、私には、色々な面がある。

繊細だったり、雑だったり、きびしかったり、甘かったり、わがままだったり、

強かったり、弱かったり、冷たかったり、暖かかったり、理不尽だったり、

論理的だったり、差別的だったり、正義漢だったり。

カメレオン以上に、多面的だと思う。



しかし、いまや、もう、人が私のことを、どう判断しようと

かまわない気がしてきた。

以前よりは、自分がそのとき、一番ベストだと思った感情や感覚を

そのまま大切にしていいんだと、ちょっぴり思うことができるようになった。

そして、自分はこういう人だとレッテル貼りをするのも、止めたいと思った。

自分のままでいることが、自分を大事にすることなんじゃないかな。

わざわざ、自分を一つの言葉で限定することもないだろうし。



完全な人なんて存在しない。

未完成でいいんだ。途上で、いいんだ。

その方が、ずっと自由だもの。

そして、きっと、カイもソラも、ずっと自由になれるはずだ。

おわり~~~~。

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AC話(1) [ 子ども・不登校の1年間 ](125)
2006-04-25 Tue 14:09



AC話です。危ない方は、素通りお願いします。

  :::::::::::::::::::::::

不登校の我が子を見るにつけ、

いかに完璧思想に汚染されているか、

はっとさせられることが多いというところから出発します。


それは、思春期の非常に不安定な時期だということを引いたとしても

その、不必要な完璧主義は、本人を痛めつけているように見える。


このような彼の思考回路に寄り添いながら、

私自身、自分を振り返るという機会に、幸か不幸か、多いに恵まれます。

それは、私だけではなく、多くの子育て中のお母さんにとって、

そのような経験をすることは、日常茶飯事のことだと思います。

ある意味、このことは、親が親として成長する、

とても意味のある、いいチャンスになっていることもあると思うのです。

そこまで、ストイックに考えなくても・・・悩まなくても・・

多くの人から、そう言われたりします。(笑)


しかし、ACサバイバーの私にとっての子育ては、

子育て中におきる、感情を手がかりに、

自分の子供時代を、再体験しているような気もするのです。


なぜかというと、子育て中、子供との葛藤や、追体験の中で

それまで、私が小さな頃から、押さえ込んできた

得体のしれないパンドラの箱的感情を知り、その開放につながり

それは、自分の感情をわかるということの

第一歩になっていると気づかされることが多いからです。


俗に言う、「子育ては、自分育て」ですね。


この辺は、もしかしたら、健全な人には、

とても分かりづらいかもしれませんが、

私は、自分で自分の行動の意味がわからない

どうして、このように不安になるのかわからないという心の状態が

一番、苦しいのではないかと、経験から、思っています。


さらに、それによって、自分にも、他人にも被害が拡大してしまい、

一番大切にしなければいけない、自分自身を

痛めつけるしかないところに、追い込まれていきます。

そう、したくて、しているわけではありません。。。

そう、自分の意思に反してそうなるのです。

このパターンには、抗いようがありません。

それを、健全な人たちから、弱いから、とか、甘えているという言葉で

ひとくくりにされたら、本当に、情けない気持ちになります。。。


まあ、ここで、子供と出会えたこと、本当に

ありがたかったと心から感謝しています。



本当のことを言えば・・・私は、子供が好きではなかった。

そして、結婚してから、5年間は、子供がいませんでした。

それまでは、積極的に、そのような環境を選んだといえます。

しかし、いざ・・・そろそろ、子供を・・・と思っても

流産したり、お腹の中で死産して、だめでした。

そして、その後、2年間、不妊治療を受けていました。

子供が、欲しくても、欲しくても、出来なかったわけです。

どうして、そのように、急に子供を熱望するようになったのか。。。

(子供を欲しいという表現はあまり好きではないのですが・・・物じゃないから)


当時、義母や実家からの初孫に対する期待と圧力が相当なものでした。。。

このあたりの辛さは、不妊経験者は、

同じように、感じると思います。


また、未熟な私も、子供ができたら、全て、変ると思っていました。

そして、自分自身の空虚感を、子供が埋めてくれると

心のどこかで思っていました。

まあ、世間並みに、子供がいたら。。。という打算もあった。

愛情には、程遠いものだったと思います。

実際、第一子が生まれたとき、私は、

こころのどこかで「しめた!」と思ったんです。

これで、ふつ~になれる!。(ふつ~って、なんだよ!? 汗;)

そう思ったことは、確かにあるんだよ。

未熟な私が、母になった瞬間でした。

でもね、いろんな事を他にも感じたと思うの。


もちろん、打算もあったが、愛情もまるっきり無かったかというと

そうじゃない。

人って、いろんな、思考をする。

一瞬のうちに、3000個の考えが、浮かぶのだそうです。

そのうちの一つが、そのときの状態、くせによって

クローズアップされるだけのことです。

それらの思考のどれを選んでいくか、その人の、背景や状態に

多いに影響されるんだと思うのです。



この続きは、あした・・・かな?



で、最初の完璧思想について書きたかったはずなのに(汗;

このように、とんでもない方向へ、話は行ってしまったのでした。。。

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AC話【2】 [ アダチル的試行錯誤 ]
さて、待望の娘が生まれて、私の空虚感は、埋まったのだろうか?

第一子の、娘は、逆子のため、帝王切開で生まれました。

しかし! 今まで、乳児を抱いたことさえなかった私が、

突然、この手に赤ちゃんを授かったわけです。ましてや、子供が嫌いだった私です。

その惨憺たる子育ての様子、修羅場は、ご想像にお任せします(笑)


カラス、なぜ鳴くの~って、「カア~」って、私が泣きたくなる場面ばかりでした。

そのころ、アパート住まいだったのですが、独身や共働きの新婚さんばかり。

気がついたら、一日、誰ともしゃべって無いということも多かった。

そして、私の育児指南は、もっぱら、本や雑誌でした。

当時、ネットなどという手段は、一般的では、なかったし、

友達とも距離を置いてしまっていたので、「孤独」でした。


しかし、例に漏れず、子育ては、本の通りにならない!

子供は生き物だということが、根本的に抜けていたんだと思います。

私にとって、夫も子供も「家族をする」ための、

道具に近かったのではないかと思います。


「家族をする」・・・ほら、TVのドラマやCMであるでしょう?

幸せそうな家族。。。

だって、私には、家族のモデルが無かったのですから、

思い切り、理想の家族を頭で思い描いき、それを必死で演じました。


「こうあらねばならない!」


このACならではの思い込みは、以前からありましたが、

よりいっそう強化されたと思います。

そして、年子で、息子が生まれました。

さらに、修羅場です。


このころ、郊外に戸建てを購入しました。

これが、今の住処ですが、ここは、新興住宅地で、同じくらいの子供を持つ

母親たちで、あふれていました。

せっせと、公園へ通いましたとも。ええ、朝、夕・・・と。

こぼれ落ちないように、グループからはずれないように、どのお母さんも必死でした。

そして、私も必死でした。


そのうち、特に仲の良かった、お母さん方とお茶したり、

お互いの家を行き来しているうちに

一緒に、早期教育にはまっていったのでした。

まず、鈴木メソッド、それから、七田、

そして、ディズニー英語、ソニーの英語、くもん、えほん・・・etc.

乗り遅れないように、次々と高いものを購入しました。

そして、幼稚園は、モンテッソーリを採用している、カトリック系。(^^;
(幼稚園なんて、どこでもいいんだよ。今はそう思います)

夫は、反対するどころか、推進してくれましたので、

まあ、夫婦で はまり込んでいたわけです。

今、考えると、「はあ~、もったいない・・・」の一言に尽きます。



なぜ、そういうものに、はまり込んだか。。。

今だったらわかりますよ。(笑)


子育てに自信がなかったからです。

不安だったからです。

子供と直接向き合うことが、できずに

何かを媒体としてしか、子供と付き合えなかったのです。

何かを子供にさせることで、自分が安心したかったのです。


そして、周りのお母さん方と競うように

娘にはバレエ、ピアノ、息子にはバイオリン、水泳。

このころ、お母さん方の輪から、離れていった人もいます。

賢い人ですね~。(笑)



しかし、私の教育熱とは、反対に、

これだけ完璧に習えば、すばらしい子が出来上がっているはずなのに

子供たちの表情から、だんだん笑顔が消えていきました。

しかし、それさえも、気がつかない、馬鹿な親でした。


また、お母さん同士の付き合いの中で、特に仲のよかった、2人から、

お互いの悪口を聞かされることが多くなってきました。

最初は聞くだけにしておきました。

しかし、つい、同調してしまって、一緒に悪口を言う結果になってしまいました。

それが、また、お互いに誤解が誤解を生み、

3人の仲が険悪になってしまい、結局、ケンカ別れのような形になってしまいました。

このとき、知らなかったんです。


自分の境界と相手の境界線の境目を。


今では、申し訳なかったなあって反省しています。

一人は、遠くに引っ越していきました。

苦い思い出です。

しかし、それは、今だから、言えることです。


その後も、人の感情に巻き込まれる癖は、どうしても治りませんでした。

その事で、手痛い目に何度もあっていてもです。


なぜなら、私自身が、自分に一体、なにが起こっているのか分からなかったからです。

悔しいのですが、やはり、「相手が悪い」と責める気持ちの方が圧倒的に強かった。

今思うと、特に、一人のお母さんは、AC的要素が濃く、

「比較、コントロール」をチラつかせていたのではないかと推察します。

私にも、同じような癖があります。

これは、私が大嫌いだった親からされたことです。。。

それに、お互いが、見事に反応してしまったんですね。

はまってしまったというやつです。


また、子供に早期教育させているという、

私自身の愚かな、おごりがあったと思います。

完璧に・・・完璧な子育て=幸せな家庭


それは、自分の小さい頃には、かなわなかった夢であり、

ある意味、私の実家への復讐もあったと思います。

自分が得られなかった、家庭。

欲しくて欲しくてたまらなかった穏やかな家庭。

どうして、幸せな家庭ではなかったのだろう?

恨み、憎しみ、悲しみを心の奥に抱えこんで。。。。

そして、反対に、自分は、いい家庭を作ってみせる!という意気込み。

自分では、全く意識に上らない感情に気がつかないまま、

「こうありたい、こうあらねば、こんちきしょう~」

という気持ちが、焦りのように、早期教育に走らせたのだと思います。


「子供のこころ」を置きざりにしたまま、

私は、TVで見た、本で読んだ、CMで見た、

幼い頃かなえられなった「家庭」を夢みていたのでした。

「こうあるべきはずの家庭」を必死で作ろうと奔走したのでした。

そこから、はずれるなんて、考えるだけでも怖かった。


で、私の空虚感は、埋まったのか?

いえいえ、ますます、むなしくなっていったのです。

ええ、まわりのお母さん方に相談しましたよ。

しかし、反応は、

「病院へ行った方がいいんじゃない?」

「そうねえ、そういうこと、だれでもあるから」

「大変ね」

相談するときは、相手を選ぶという事をこの頃、私は知らなかった。

ACの方なら誰でも経験があると思います。

誰でもいい、「たすけてほしい」「自分をとめてほしい」

自分の空虚は、誰にもわからない。。。と。


私は、だんだん、このお母さん仲間を、嫌悪するようになっていました。

同時に、浮いていったんですね。。。

夫に相談しても

「気にするな」の一言で終わり。

そうか、気にする私がいけないのか・・・。


今だったら、暴れます~(ウソウソ^^;


これが、子供には非常に申し訳なかった、

小学校入学前のおはなしです。


もちろん、今では、早期教育なんて、くそくらえ!ですよ。(笑)

いえ、念のため、全てが悪いわけじゃないのです。

その動機と使用方法ですね。

薬も処方をちゃんと守らなくちゃいけませんね。(笑)

しかし、夫が影が薄いなあ~、自分で読み返したら、今更ながら、思うのです。


まだまだ、続きます~。
ふう~。

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AC話【3】 [ アダチル的試行錯誤 ]
埋めても、埋めても埋まらない空虚感。

これは、私の生育暦にも関係することでもあります。

物心ついてから、ずっと、

「人はどこから来て、どこへ向かうのか」が、私の心のテーマだったと思います。

「生きる意味」ですね。

後々、知ったのですが、AC傾向が強いと、自分の存在について

非常に疑問をもちやすいらしいのです。

小さい頃の、生育暦が、そのような方向に、思考をむけさせるのでしょうね。

その気持ちは、振り払っても振り払っても、湧いて出てくるのです。

でも、誰に聞いても、答えてくれる人はいなかった。


丁度、子供が小学校へ入ったころ、ACという言葉が爆発的に日本中に知られました。

それは、ACサバイバーの人たちに、熱狂的に受け入れられる言葉になりました。

そのかわり、妙な誤解も受けることも多くなるのですが。


その頃、私は哲学本、自己啓発本、簡単な宗教書を読み漁っていました。
(今では、さっぱり忘れてしまってますが・・・)

子供の通う幼稚園の教会にも通ってみました。

なかでも、シャーリー・マクレーンさんの自伝的本、

「アウト オン ア リム」によって、精神世界なるものを知りました。

ニューエイジと呼ばれる、思想の流れですね。

今でも、かなり、この本に影響されている部分が多いと思います。

また、やはり印象に残っているのが、橘由子さんの書いた

「子供に手をあげたくなるとき」と「アダルトチルドレンマザー」です。

特に前者の本は、著者自身の子育てを通して、

AC回路をルポ風に克明に分析されていて、

同じように、子育てをしている私にとって、

非常に参考になる本でした。


子供の教育に熱をあげる筆者と私が重なってみえました。

といっても、すぐに、路線を変えるということは、

融通のきかない性格なので、できませんでしたが。


さて、前置きはここまでで(まだ、まえおきかい!)本題に入ります。

この頃は、子供に対しては、高圧的で、厳しかったと思います。

また、子供の気持ちを汲むなんて、自分の気持ちもわからないのに

出来るはずがありませんでした。

ある新聞記事で読んだことがありますが

「人は、自分の感情を手がかりとして、

相手の感情を感じていくもの」という言葉があったんですが、

その通りだなあって思います。



ただ、ひたすらに

「こうしたら、こうなるはず!」

「こうすれば、こうならなきゃいけない!」

の公式にあてはめて、

それからはずれないよう、子供を囲いに追い込む母だったと思います。

結局、自分が親からされていた事と、なんら変りが、なかったんです。

ある人から、「マニュアル本みたいだね」と言われたことがあります。

その通りでした。



しかし、マニュアルでは、対処できないこともあったのです。

例えば、子供が泣くと、自分が痛い気持ちになる。

そして、理由もなく、イライラする。

だから、泣く子供を見たくないので、

子供を外へ出してしまったりしてました。。。(ごめんよ~TT)

そして、時間がたち、感情の渦が引いていくと

後悔で、がっくりして、自分を責めるのです。


これは、後々に分かったことですが、

「私は、小さい頃、親の前で、子供らしく泣くことさえ許されなかった」

という私の切ない思いが、子供の泣き声でよみがえり、

私の中から、イライラを引き出しているようでした。

そして、泣く子を前に

「私は、小さい頃、泣くことなんて許されなかったのに

 あんたはどうして、それが許されるの!」

そんな感じでしたか・・・。

子供の頃に消化できなかった感情は、無意識の嫉妬や怒りに形を変えて、

子供を感情で叱ったり、叩いたりさせたのです。

この分析は、後々に、理解できたことで、その時は

わけのわからない感情でしかありませんでした。

今ではちゃんと、自分の気持ちの出所がわかるので

一時、かっとなっても、どうにかこうにか

自分で処理できるようになってきました。

が、疲れていたり、油断すると、ACパターンが、出現しますので

まだまだですが(汗;

全く分からなかった、あの頃より、ずっとましです。




そして、私は、空っぽの気持ちを抱えて、

お母さん方と付き合いでは、適当にあわせることを少し学んだと思います。


しかし、心の空虚感は、ますます広がっていきました。

病院へ行くしかないのか?と自問自答しているところに

近所に、引っ越してきたのが、@さんでした。

子供が同じ年齢だったので、すぐに打ち解け、

会話をするようになりました。

私は、自分の気持ちを理解してくれる人に心底飢えていたので、

すぐに、自分の生い立ちや自分の空虚感、

人間関係でのトラブルをぐちりはじめました。

たぶん、会うたびに、同じようなグチを何度も何度も言ったと思いますよ。

時には、泣きながら。

誰かに、分かってほしかったんです。相手は誰でもよかったんです。

しかし、今まで、気持ちを分かってくれた人はいません。
(今なら、当たり前だと思っています)

ところが、@さんは、一緒に泣きながら話をきいてくれたのです。

これは、当時の私には、とても信じられないことでした。

「え?え~??人のために、泣けるの??」

@さんの涙ぐむ姿が、私には、非常に感動的でもあり、不思議でもありました。

そして、「つらかったね!」と共感してもらったこの経験は

「わかってくれる人がいたんだ!」

と、歓喜の気持ちとなり、本当に嬉しかったことを覚えています。

それから、彼女に全信頼を置いてしまった私は

寝ても覚めても、彼女の事を第一に考えるようになっていきました。


これが、依存の一歩、でした。

やがて、小学校に上の子が入り、そこで、@さんと一緒に

学級委員をすることになりました。

あたたかい@さんを通じて、仲間ができました。

ずっと、孤独で、さびしかった私です。

そりゃあ、もう、うれしいに決まっています。

PCは、もともと、データ入力の仕事を一時やっていたので、

小学校の配布文書を作ることは、苦になる仕事ではありませんでした。

@さんの片腕きどりで、どんどん外へ出ていきました。

有頂天とは、このことでしょうね(汗;


そのころ、私は、こんな会話を@さんとしています。

「どうして、そんなに人のことを、大事に思えるの?」

「自分の隣の人が、不幸だったら、自分も幸せじゃなくなるじゃない」


@さんの明快な答えでした。


「人は、なぜ生きるの?」

「自分の与えられた使命を果たすため」


そっか。。。これが、答えなのか?そうなのか。

それにしても、私のまわりで、このように、すっきりと答えをくれた人は

生まれてはじめてでしたので、非常に感動しました。

こんな私でも、生きる意味があるのか・・・と。

しかし、補足すれば、本当にその言葉の意味が分かってはいなかったと思います。

ただ、@さんのそばにいたかったというだけのことでした。

そして、彼女と同化してしまいたかったので

わかったような気になっていたのだと、思います。

自信のない私が、自分を信じて、前向きに生きる@さんが

うらやましくないはずはありません。

彼女のように、ふるまいたい、生きたい、と熱望しました。


~私は、親から生きるという根本を教えてもらっていなかったので

これは、もう、しょうがない出会いだったんだと思います~


しかし、心は、からっぽのままでした。

今なら、よくわかりますよ。。。

自分の中に、@さんを取り込んでしまっていたんですね。



これで自分の悩みは、消えた!

私は、成長したんだ!


そこには、劣等感から一転して、恐ろしい、傲慢と勘違いがあったのです。

今思うと、非常に恥ずかしいかぎりです。。。笑


そうやって、夫も、子供も、放り出して、私は@さんに傾倒していきました。

飢えた子供が愛情を求めるように。

それとは、反比例して、家庭に目が行かなくなっていきました。

もう、夫にも興味がわかなくなっていったのです。


そんな頃、上の娘に異変が起こり始めました。。。


         ~つづく~

このへんになると、現在の未消化部分があるので、
思ったよりきついなあ~・・・





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家庭訪問かぁ~ [ 子ども・不登校の1年間 ] (124)
2006-04-24 Mon 14:07

タイトルから、いかにもやる気の無さが伝わってきています。

今度の木曜日。

今の、担任の先生、いいんだけど、一生懸命なんだけど

一生懸命の割りには、空まわりしてるよ、先生。。。

という風に感じられます。

無関心よりいいと思いますが、親子で戸惑っています。


今日は、夕方から、カイの3週間ぶりの病院です。

学校で、彼を拾って、そのまま、隣県へ高速で直行っす!


高速といえば、最近、高速道路が、どんどん延びています。

しかし、うちの実家といえば、高速道路に縁のない場所なので、

せっかくの恩恵に預かれないところ。


高速代、高いので割引のある、ETCを考えているところです。

家庭訪問から、高速の話に引っ張ってしまいました。

我ながら、すごいぞ・・・。

給料日前日なので、切実です。(TT)ううっ。


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父のこと [子ども・不登校の1年間](123)
2006-04-23 Sun 14:05

最近の私は、思考が泡のように、飛んでしまうのを防御するために

書くことで、それを必死に引き止めているのかもしれません。

なんだか、そのように思えてきました。


前置きは、このくらいで、純粋にACのことを

どうしても書きたくなったので、書くことにしました。

もし、フラッシュバック等で、嫌な気持ちになられる恐れがありましたら

これ以上、読み進むのは、おすすめしません。ご了承をば・・・。



以前も書いたと思うのですが、

私の実家は、父(酒乱)母(共依存)の機能不全家庭です。

小さい頃から、父は怖い人

母は、可愛そうな人だと、思ってきました。

しかし、ここ数日、その思いに、変化が現れてきました。


もしかしたら、私は、父と和解したかったのではないかと。

私にとって、父は非常に怖い存在でしたが、

時折、愛情の片鱗をみせてくれたのも父でした。

言葉にして、「りんりんは、○○が、上手い」と、

100年に一度くらい、(おおげさか。。。)

私を誉めてくれたのは、父では、なかったか?と。

その父の誉め言葉が、うれしかったのではないか?


では、どうして、母ばかりを擁護し、父を嫌いになっていったのか。

それは、やはり、母の刷り込みと洗脳、

そして、母の私への依存だったのですが。


私から見たら、母は、完璧で、すばらしい、母です。

決して、家事には手を抜く人ではなかった。

世間とのお付き合いでも、常識的な人だった。

しかし、小さな頃、この母から、

認めてもらうような、誉め言葉を聞いたことがないということに気がついた。

また、母は、子供を監視し、囲いに入れておこうとする人であった。

自分から、子供が離れていかないように。。。

それは、いかに、自分が子供のことを心配しているか

親身になっているようにみせかけ、

深層心理の部分では、子供が自由に生きることを

禁止していたと思う。


また、私自身、母に対して、あまり、思慕の念が

湧かないということにも気づかされた。

これは、今の私にとって、ひとつの重大な発見への糸口になった。


冷静に、考えてみたら、母は、非常に無機質な人だった。

暖かいという感覚を人に与えない人だった。

私自身も、そのように感じながら、

父から殴られる、いじめられる、かわいそうな母という

刷り込み的な感覚でしか、見ることができていなかったと思う。

また、その母を守れなかったという罪悪感もあった。



では、親に対する、愛情に執着する気持ちの求めどころは、

一体どこにあったのだろうといぶかる。

それは、最初は、一つの可能性、仮説としてたてたのだが、

もしかすると、一番、怖いと感じ、憎いと思っていたはずの

父だったのではないかと。


この考えに至るまで、ここ数日、内面的な葛藤を繰り返し、

心中、非常に穏やかではなかった。

しかし、どのように考えても、

この、父への気持ちが、一番しっくりくるのだ。


そして、その気持ちを、私は、

全く方向違いの方向へ求めてしまっていた。

それは、現実のある人との葛藤と重ね合わせて考えると

実に、納得のいくことだった。

「キライ、ハナレタイ」

「ソバニ イテホシイ」

が、同居し、矛盾した感情に、へとへとになる思い。

つらい思いをしても、いつかは、優しい言葉をかけてくれるかもしれない。

そういう、淡い期待で、自立ができないでいる、

まさしく 同じではないか?


これは、また、一人の人に限ったことではなく、

あらゆる、対人関係に 応用されてきたのではないか?


また、先日の日記にも、

「学生時代、男の子としゃべる方が好きだった」と書いた。

これも、父の投影をやっているのではないか?


そうして、これを書きながら、やはり、確信に近いものを感じるのである。


わたしは、父が、好きだった。。。

怖かったけれど、未だに、わけの分からない父だけれど、

時折見せる、私へのきまぐれな愛情に、一縷の希望さえ抱いているのだ。

父親に、気にいってもらうことは、私の、至上命題だったのだと思う。

期待に添えば、私は、見捨てられないと思っているのだと思う。

その思考回路は、今も 私の中で息づいている。


もう、たくさんだ。。。

理性では、そう思うのだ。

しかし、パターンは、なかなか変えられない。

ここまで、分かっているのに、なんか、悔しいぞ~。

どうして、変えられない?



う~ん、さらに、新たな葛藤を抱える。


また、暖かく見守ってください・・・笑
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性善説と性悪説 〔子ども・不登校の1年間〕(122)
2006-04-21 Fri 14:04


と、すごいタイトルですが、内容は大したことない(笑)。。。


数十年前だったか、夫と 人の本質は本来「善」か「悪」か

ということで話をしたことを思いだした。


夫は、「悪」派でした。

自分が、そのように、良きものに思えないし、

他人だって、「善」だけで、できているように思えない。

だからこそ、教育・勉学において、

「善」を学んでいかなければならない・・そんな事を言っていた。

なので、子供に対しても、「教える」「指導する」というスタンスでしか

接することができない人なのでした。

その結果、子供たちから、疎ましがられていましたが・・・。

そのことで、何度も夫婦で、話し合い(バトル)をしましたが、

平行線のままです。



私は「善」派。

人は、もともとは、良きものを持っている。。。

当時は、何も根拠が無かったし、

自分自身も、日々の生活の中で 良きものの成分だけで 

出来上がっているとは、とても思えないはずなのに、

どうして、そのように 思っていたのか よくわかりません。

そこに、どうして、至るのか・・・

いつから、そう思っていたのか?

わかりません。はい。(笑)


思うに、若かりし頃、接した、

手塚治氏の「火の鳥」「ジャングル大帝」「アトム」

または、石ノ森章太郎氏の「サイボーグ009」

(少年マンガが好きでした)

椋 鳩十さん(鹿児島在住の動物作家さん)の本やまんが等からの
(↑ファンレターまで出した記憶がある)

メッセージを受け取って、ごく自然に「人=善」と

結びついていたのかなあとも思えます。

それとも、人はそういうものだと、

ただ、信じたかっただけなのかもしれない。


性善説と性悪説は、大昔の中国の儒教の先人たちが

考え出したものであるという事以外、詳しいことは、私も知りません。


今は、スピリチュアル的なものが、受け入れられ

人の本質は もともと「良きもの」であるという考え方は

一般的に受け入れられつつ、あるのではないかと思います。

個人的に言えば、とても、すばらしい事ではないかなあと思っています。


今、思えば、

私にとって、子育ての経験は、ある意味

この「善」への信頼を 確認するような

作業でもあったかと思うのです。(まだまだ、現在進行形中ですが)


私自身「性善説」を掲げているとはいえ、

現実的には、対人恐怖、機能不全が所々で、派生して

苦しい状態になるので、

「わたしなんか・・・」と

自暴自棄になることだって かなりの頻度であります。

今後もきっとあるでしょう。


そして、子育ての中で、不登校という事態は、

私の人生で、最大の、アクシデントでした。

子供の流す涙は、私の涙でした。


しかし、現時点で、振り返れば、

息子との対話を通し、

また、息子と私を支えてくださる

まわりの援護射撃は、

「性悪説」を裏付けるものは、何一つ なかったと思います。

それどころか、人の本質は「善」であるという確信は

不登校の恩恵ではなかったかと思うほどです。

また、このことを、はっきり、意識に上げて下さった方々に

心から感謝しています。


子供は、本来、「良き魂」である。

信じてみても いいのでは ないかなあ?

と思っています。

そして、わたしも・・・



今、子供のことを悩み、苦しみ

自分との闘いの真っ最中のおとうさん、おかあさんも・・・。

今は、辛いね、苦しいね。。。


子供を叩いたり、怒鳴ったりしちゃうことだってあるよね。

「この子がいなければ・・・」と現実の情けなさに、そう思うことだってあるよ。。。

「先が無い・・」と、絶望でがっくり、肩を落とすことだってあるよね。


それでもね、その経験は、とても尊いのではないかと思うのです。

辛いけどね、めげそうになるけどね。。。

どこかにつなっがっていると私は信じたいのです。

お母さんの流す涙は、きっと、明日の糧に変わると!

その苦しさの中で、いつかきっと、

こどもの中の、「良きもの」を見つけ出すことができると。

そして、それが、自分自身の発見へつながっていると。

せっかく、出会った、親子だもの。。。



こういう私も、まだまだ、子供とともに 

日々、葛藤&バトルを繰り広げているところです。

しかし、渦中の割には、だいぶ、肩の力が抜けたような気がします。

ただ、逃げているだけなのかもしれませんが。(笑)


最後は、抽象的で、わかりにくくなってしましましたね。

「性善説」「性悪説」から、こんなところまで

きてしまったよ。。。

思いついたことを、思いついたまま書いちゃうので・・・

なんといっても、ここは、自分の日記なので(^^;


まあ、これは、あくまで、私自身の思いをつづったものなのでして

「そんな わけない」という方々も、いらっしゃると思います。

それは、それで、よろしいかと・・・はい。(笑)

私もまだまだ、試行錯誤です。。。

がんばれ、みんな!
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個の会 [ 子ども・不登校の1年間 ] (121)
2006-04-20 Thu 14:01

トップページに 私が お世話になっている

不登校 親の会「個の会」の方の

快いご了承を得て、

リンクを貼り付けさせていただきました。

実は・・・まだ、一回しか、行っていないのですが(汗;

せっぱつまった気持ちで参加した私たち夫婦を

暖かい雰囲気で、受け入れてくださったこと、

本当に感謝いたしております。

(また、足を運びますので よろしく お願いします~)


で、昨夜、息子とバトルした私です。

猫のことで・・・

お互い、感情的になって、言いたい放題いいました。(汗;

「お母さんが、そんな 人だとは 思わなかった!」

(むかっ!)

「どうして、私が、あんたの 

 思い通りの人にならなくちゃ いけないの!」


お話は、数時間前にさかのぼって、うちの猫が雨の中、脱走したの。

その、脱走させた張本人は 息子なんだけど。

私は、帰りたくなったら 帰ってくるだろうと思っていた。
(いつものことだから)

息子は

「雨の中、猫がかわいそうだ!
 
 ほら、泣き声が聞こえる」と言い出し外へ探しにいった。

確かに、耳をすませば、うちの どらねこの声。

「き、聞こえなかったんだから しょうがないじゃない!」

と、冒頭の話にもどるのでした。


その後、お互い、ぷい!なんてやって。

でも、幸いに、お互い、根気が無いたちなので

いつの間にか、普通にしてる。

こんなものです。親子って。


さらに、今度は、娘から、追い討ちをかけられた。

「今日、学校で講演会があってね」

「うんうん」

「講演する人が、子供が男の子と女の子のふたりいるんだって」

「はいはい」

「それで、その人が『どの母親もそうですが、

男の子の方がかわいいんですよね~』って

言ったんだ。うちもそうだな~って思った!」

そ、そんな・・・



こらこら! どこのどいつだ~、(TT)

そんな、家庭崩壊の種をまくような講演者!

どっちも、かわいいに 決まってるよ!!!!

講演の内容は、「言葉とコミュニケーション」だったとか。

うそだろ~・・・。

「言葉による家庭崩壊の方法」の間違いじゃないのか???



昨夜は、なんだか、がっくり、テンション落ちました・・・。

親の苦労も知らんと。。。

こんな日もあるんですね。。。長く親子をやってると。



息子は、今日は、学校へ行った。

今は、週3日が、登校限度のように見える。

卓球部は、楽しいらしい。

時々、適応教室へ行って、息抜きしてま~す。

私も息抜きが欲しい。。。

母のつぶやきでした。
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対話~自分の感情を感じる~ [ 子ども・不登校の1年間 ] (120)
2006-04-18 Tue 13:59

昨夜、低空飛行中のカイと、対話をしていました。

り「自分が好き?」

カ「うん、たぶん」

り「そうなの。でも、自分のことを人がどう見てるかって
  気になってるよねえ」

カ「ああ、うん。」

り「その評価で、自分が傷ついたりすることあるよね」

カ「ある。」

リ「お母さんもあるよ。よくあるんだよ。カイは、心に傷つきの穴がたくさん
  できちゃったんだねえ。そしたら、どうなるかなあ」

  (りんりん母さん、下手な絵で、心に穴が開いている絵を描く)

カ「う~ん、すかすかになる・・・かな?」

り「そうだね。そしたら、エネルギーが、そこから
  もれちゃってね」

カ「うん」

り「元気が出なくなるのかもしれないね」

カ「ああ、そういう感じ」

り「カイは、周りの人の。。。例えばお母さんとか、お父さんとかの
  愛情を信じてる?」

カ「うん、それは、信じてる」

り「そうか・・でもね、穴のあいた心にね、いくら
  『愛情』や『優しさ』のエネルギーを入れても
  一杯にならないねえ」

カ「ならない・・・か」

り「たぶんね、カイは、そんな状態に見えるんだけど・・・」
  
カ「じゃあ、どうすればいいの?」

り「疲れたときは、いっぱい、休むが、一番。
  でもね、お母さんも、経験あるけど、そんな時は、休んでも
  休んでも、心は修理できないんだよね」

カ「わかった、人の目を気にしないこと」

り「うん、そうだね、だけど、それが分かっても
  気にすることを止められない・・・」

カ「そうそう。できない」

り「じゃあ、さっき、カイがね、自分を大事にしているって言ったよね。
  今の話からね、もしかして、自分より、相手の気持ちや
  感情を大事にしているように感じない?」
  
カ「ああ、そうかあ。。。」少し黙り込む。

ここで、彼の中に矛盾が生じる。。。

それが、葛藤となる。。心のうち。

り「カイは、自分を大事にしていると言いながら、
  人の目も大事にしてるよね。
  ある程度は、それも大事だけど、
  まず、自分が自分を認めたらいいんだよねえ」

カ「そりゃ、そうだけど、それができたら苦労はしないって」

り「あのさ、お母さんも教えてもらったんだけどね、
  心の隙間を埋めるにはね、
  自分は大切な存在なんだって、心から
  信じて、納得することなんだよね・・・
  これは、お母さんも今、この課題をね、考えている最中なんだけどね」
  
そこで、さきほど書いた、心の絵の下に、

簡単に無意識のことを説明した。

り「この心ってね、やっかいでね、表面が少し出てるだけで、
  普通、人間はすごしてるんだよね。
  ほら、氷山の一角みたいに」

カ「うん、それは、前もきいたことある」

り「いくら、カイがね、「自分は大切」だと思っても
  たぶん、表面でしか、思えていないのだと思うのね」

カ「そっかなあ。それって、心理学だろ?うさんくさいなあ~」

り「うん、カイがもっと大人になって、
  高校や大学になったら、もっと深く考えられると思うけど
  今は、簡単にね、説明しただけ。
  このふか~いところで、自分の感覚を感じなきゃいけないかもね」

カ「そんな、無理って・・・」

り「それが、できるんだなあ~」

カ「ふ~ん」(疑いのまなざし)

り「それは、またね、今お母さんも勉強中だから、詳しくは
  説明できないけれど、
  要するに、その深いところにいる自分はね、
  氷山の一角の今のカイの心に、思った以上に影響するんだよね。

  例えば、カイが、だれかに、悪口を言われたらね、
  「辛い」って感じるでしょ?」

カ「うん、最初は、辛いけど、気にしないようにする。忘れる」

り「忘れたようでもね、本当はね、その辛さは、ちゃんと、心の下にあるんだよなあ」

カ「う~ん。あるのかなあ」

り「それが、下の方の心で暴れて、「出してくれ~」って言うんだよね。
  カイは、なぜだかわからないけど、「人が怖い」って思ったり、
  汗がじっとり出てきたりするでしょう?」

カ「ああ、そうか。それは何となくわかる」

り「忘れようとしても、ちゃんと、辛さはあってね・・
  だから、その辛さを下に沈めたりしたら
  それが、積もってね、余計、辛くなるんじゃないかなあ」

カ「そうなのか。。。」

り「だから、今自分が感じている感情を押し込めたり、無かったことにするのじゃなくて
  もっと、出していいんじゃないかなあって、思うけど」

カ「うん」


り「まあ、自分を大事にすることの第一歩は、
  自分の感じている感情を、自分でわかるようになるのが
  いいかもしれないね」

カ「おお、そうかあ」

り「そしたら、悲しみで抜け落ちた、スカスカの心を拾って、
  また、こねこねしてね、心の穴に埋められるかもしれないねえ」

カ「そ、そうか~」笑


こんな、会話で、どこまで、彼が理解してくれているのか

よくわからないが、

昨日の会話の一部です。

時々、ふたりで、こんな話をする・・・。

そして、私自身も、どのように説明したらいいのか

迷うことも多々ある。

話しながら、自分でも気づくことも多い。

未知のこともある。

でも、何か、感じてくれたらいいと思う。  
  
何かの手がかりになれば、と思って、そんな話をしてみる。

試行錯誤は続くのであった。  


今日は、学校へ、遅刻しながら、行った。

学校は・・・体壊してまで、いくところなんかじゃない。

でも、「行きたい」気持ちがあるのなら、挑戦しておいで。

そう言って、送り出した。

違反だが、携帯電話を持たせた。

今、メールを送った。いつか、見るだろう。

つながっているよ、応援してるよ、

彼の挑戦に対しての、祈りでもある。


「無理するな!きつかったら、帰ってこい。

 でも、辛かったら、こらえろ!」

なんか、ひどく矛盾してますが・・・ね。

前半は、体に対するいたわり。

後半は、彼が学校に みんなといたいという気持ちに対する応援。


強くなろうね。。。君も私も。。。

いつか。。。必ず。



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あがったり、さがったり [ 子ども・不登校の1年間 ](119)
2006-04-17 Mon 13:58

あ、私のことではないんです。汗;・・・(笑)

カイのことです。

昨夜は、落ち着かない様子で、うろうろ、ざわざわ。

なんだか、心が器に収まらない様子。

ふ~ん。。。明日、落ちるかなあ~と見守っていたら

はい、やっぱり、今日は、エネルギーが切れちゃったようです(苦笑)


私、やっと、カイのあがりとさがりが、

リアルタイムで、見抜けるようになりました。

先日、自分が、まさにそれで自覚できたのもあるかな?

お昼から、適応へ行きました。

まあ、ゆっくり、マイペース。

今更、あせってもね・・・ってか、

全然、焦っても、動じてもない自分が、最近怖すぎますが・・・。

だって、カイは、この一年振り返って、

今、一番、元気で、楽しそうなんだもん。


これから、高校のことも、少しずつ視野に

いれておかなきゃならない時期。

彼には、どうしても行きたい高校がある。

病気があるので、朝からは、無理だと、本人も自覚がある。

県立定時制の単位制高校、情報科 夜間クラス。

制服なし、クラスなし、規則なし・・・

年齢層、さまざま。

ただし、倍率、めちゃ高し。

ただ今、高嶺の花です。(爆)こういう落ちです。(笑)

浪人しても、入りたいという。

そう、かれは、この一年で、自分のなりたいものが

変化しました。

以前は、獣医さん、なんて、かわいいこと言っていたのが

今は、ゲームのプログラム作る人になりたいのだそうです。

いいんです。子供のたわごとでも。

夢が希望になって、彼が、前に進めるなら。

まあ、そのために、塾だけは、休まずいくのだそうです。

いいんじゃない?

自分で決めた道だもの。

私はもう、子供を操作、コントロールしないと決めたもの。

ここまでに、至るまで、ほんと長かったなあ。。。

途中、めちゃ、しんどかったもの。

今は辛かったと言えるけれど、渦中の時は、辛いもなにも・・必死だった。

そんなときに、この楽天に、ふらっと帰ってきた。

泣きながら、日記書いたことも何度もあった。

辛い中ではあったけど、親子で、たくさんの愛情に支えられた。

感謝で一杯です。

それを思うと・・・ほんと、うるうるします。

ありがとう。。。


まずは、自分を幸せにしよう。

いつか、ご恩返しができるよう(今は小さな声でしか言えませんが;;)

だから、これからも、ぼちぼち歩いていきます。

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人生に間違いはない [子ども・不登校の1年間 ](118)
2006-04-16 Sun 13:56

娘が、3泊4日の高校の合宿から 帰ってきた。

話の中で、その合宿が、大変にハードだったことが

想像できた。

「この学校に 入ったの 間違いだったかな、って、思ったでしょう」

と いうと

「思ったよ~~!」と叫んでいた。

でも、違う高校の様子を

友人から聞いて、

「どこも いっしょみたい」と言っていた。

笑・笑・笑

人生に間違いはない。

例え、こけても、しまった!と思っても

それは 間違いでは ない

それは ひとつの経験にしか すぎない
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親と子/やくそく [ 子ども・不登校の1年間 ](117)
2006-04-13 Thu 13:54

目を閉じると、むかし、むかし、はるか昔のことが思い出される。

まだ、わたしの魂が、この世に無く、光のなかに、

喜びとともにあったときのこと。

私は、だれかと大事な約束した。


でも、現世に生まれ落ちると、忘れてしまうかもしれない。

それで、私は、カイのたましいにお願いしたんだ。

「あのね、わたし、今から生まれるんだ。

そしてね、お母さんと、お父さんをね、

助けるって約束したんだ。

だけど、もしかしたら、

わたしは、あんまり辛すぎて、

その約束を忘れてしまうかもしれない。

だから、あなたに頼みがあるんだ。

わたしが、約束を忘れてしまったら、カイがね

思い出させてくれないだろうか」


カイのたましいは、きらきら輝きを増しながら

「わかったよ。ぼくは、あなたの子供に生まれるよ。

そしたら、きっと、

あなたに約束を思い出させてあげるよ。

これは、ぼくと、あなたの約束だよ」


そうして、わたしたちは、約束をした。


そして、その言葉通りに、

はるか遠い昔の約束をカイは、忘れずにいてくれた。

誰かを愛すること、誰かを受け入れること

愛より価値のあるものは、

ほかに無いことを、教えてくれている。

彼は、私の子供として生まれ、

今、私を導く人となった。



はるか昔の夢・・・・


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うちのおばあさん [ 子ども・不登校の1年間 ] (116)
2006-04-12 Wed 13:53

☆歴史問題

問:○○の時代に活躍した人物の名前を書け

答:うちのおばあさん

☆理科の問題

問:湿度は何%か?

答:元気100%


今日の実力テストの実際に書いた答え・・・だそうです。

大笑いしました。

うちの子、天才だわ!(ほぼ、やけくそな母・・・)

放課後、卓球をして、帰ってきたのが、夜7時。

ほんとに、卓球部に入るらしい。

なぜなら、3年の部員が3人しかいないので、

レギュラーになれるのだそうです。

そして、例の子、今日もわざわざ、同じ事を言いにきた。

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せつない [ 子ども・不登校の1年間 ] (115)
2006-04-12 Wed 13:52

カイが学校へ行き始めて、今日で4日目。

昨夜、彼は泣いていました。

「毎日来ると、うざい」

そう、言われたそうです。

そして、他のクラスの不登校をしていた子に

「あいつ、不登校!きもい!うざい!」と

まわりの子が、言う言葉を耳にして

何も言えなくて、あの子を守れなかったと泣いていた。


よく、がんばったよ。。。




それでもね・・・彼は、今日、学校へ行ったんだよ。。。

それでも

朝の送りの車の中で

「そろそろ、自分で歩いて行かなきゃなあ」と。


「今は、甘えていいから・・・親に甘えなさい」と私。


そして、今日は、実力テストの日。

適応指導教室の先生から、応援メールが、朝届いていました。

「感でいけ~」と。


暖かさと冷たさのはざまで、

彼は、今、闘っています。
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娘の高校の入学式 [ 子ども・不登校の1年間 ] (114)
2006-04-08 Sat 13:49

4月7日、娘の高校の入学式へ行きました。

今の公立高校とは、まあ、こういうものなのでしょうか。

規則が厳しく、先生たちの長く、くどくどした、ありがたくも無い講和は、

規則、規則、規則・・・ばかり。

私たちの時代のおおらかな高校生活とは、大違いです。

疲れた・・・ただ、ひたすら疲れた。

ぐったり、げっそりとは、この事だわ・・・。


親の消耗とは反対に、ソラは、嬉々として、部活見学へ行ってしまった。

ソラは、ある程度、枠があるところが好みのようです。


こういうところ、カイには、絶対合わないなあと感じた。

今年のカイの高校受験は、また、ソラとは別の意味で、悩みます。

カイは、中学3年になった現在、とりあえず、始業式、次の日と学校へ行きました。

そして・・・

「おかあさん、おれ、卓球部入る!」

・・・「(目が点)」の、おかあさんでした。

だって、あんた・・・と言いかけて、止めました。

もう、好きにしておくれ・・・。

元気ならそれでいいよ。相変わらず、びっくり箱のカイでした。

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