author : rinrin
人を変えようと思うな、自分が変わった方が早い
2008-05-30 Fri 21:57
と、たいそうなタイトルでございますが^^;

これは、どんな時も、通用する気がします。

子育てでも、言われますね、「親が変わると子が変わる」って。

でも、この、「変わる」という定義が難しい。

また、多くの人が誤解をしているのが、ここの部分でもあると思われる気がする。


たとえば、昨日まで、靴下を、右足から履いていたのを、

今日から左足から履いてみる。

まあ、これも、確かに変えたわけですが、

だからと言って、足が細くなるわけでも、運がよくなるわけでもないよなあ~。
ただ、やり方を変えただけで、「靴下を履く」行為の意味が変わったわけじゃない。
不登校でも、同じこと。

「朝、挨拶をしましょう」と、決めて
しつこく、是が非でも、子供を起こして「おはよう~」と、カーテン開けて
窓をあけてみる。

朝ごはんを食べようということになって、
今まで、すっかり手抜きになった朝食に力を入れてみる。
う~ん、それも、まあ、大事だったりするかもしれないね。
でも、それで、何が変わるのだろうか・・・かなり疑問(笑)

不登校最初のころ、
私は、このような「方法」を教えて欲しがっていた。

半年たって・・・子供、大して変わらず。
でも、私も、少し、落ち着いて状況を考えられるようにはなってきた頃でもあった。

それで、山のように、不登校関係の本を大量に読んだ。
それから、アダルトチルドレン、家族関係の本も。
ネットで、友達を得た。
そして、知識だけは、山のごとく、大量に得た。
でも、どれも、ピンとこないのだった。

そのころ、一番しっくり、きはじめたのは、
親と子は、思考がつながっているという一文だった。
つながっているのなら、自分を変えたらいいんや~と思った。

丁度そのころから、自分と向き合うチャンスに恵まれた。

瞑想、アファメーション、インナーチャイルドの癒し、
過去を振りかえる、そして、怒りの解放、
繰り返し、繰り返し、何度も・・・

自分が、楽になってきているのに気づくと同時に
比例して、子供の状態が、少しずつ安定していることに気づく。

あれ?
なんで?

たくさんの言葉の意味が飲み込めた頃だった。
それが、不登校から、一年半たっていた頃。

親が、自己肯定できるようになったら、子供も、自己肯定が進む。

これだ!と思った。
方法じゃない。やり方じゃない。
子供は、ただ、症状を出しているだけ。
変わるのは、親だよ・・・。そう思った。


でも、これは、私だけに通用する法則だろうか?
もしかしたら、他の人は、違う方法かもしれない。そう思った。

しばらく、いろいろ、不登校関係のネットをさまよい、
意識して、色々な人の状態、経験を、見るにつけ、
その確信は、ますます、深まった。

ある年上の友人がいる。
当時27歳の不登校から引きこもりになっている息子さん。
その友人が
「親が人生を楽しまなきゃ、いけないのよ~」と
趣味をはじめていた。
私も、勧められたけどね。ご遠慮しました。
でも、その友人も、また、方法としての「人生を楽しむ」という感じを受けた。
いまだ、その息子さん、家から出られないと聞く。
今、思えば、その友人は、とても、依存性の高い人だった気がする。
そして、言葉の端々に、子供を操作するような
ところがあるのを、強く感じた。

違う・・・
そう思った。

もっとシンプル。

コントロールがない、相手を変えようとしない、
相手を変えるための手段として、自分の行動を変えることでもない。

かといって、ただ、放っておいても、子供は変わらない。


もっと、深いところ・・・

潜在意識。

潜在意識は、面白い。
自分では、わかっていないことでも、行動や言葉や文章に出る。

最近、あったことで、印象に残ったものがある。

私は、ある抽選に応募した。
その応募の文章に、「試しに、やってみます」と書いた。
ほんの無意識の言葉だった。
常識の範囲の言葉だと思っていた。

そして、その方から、返事がきた。
「試しに?どういうこと?」

それで、考えた。
「当たるか当たらないかわかんないし、外れるかもしれなし、、、
それが、自分にふさわしいことかどうか、わかんないし~
はずれても、しょうがないし~」

まあ、色々。

よく、文章を見てね、全部、ネガティブでしょ?笑
当たらないことを前提に、はずれて、自分が傷つかないように、
自分を守っている。

ストレートに、「これが欲しいです♪」と言えなかった自分。
卑屈になっていた自分。
傷つきたくなくて、自分の気持ちをごまかした自分。

潜在意識は、時々、そういう、いたずらをしかける。
思ったより、怖いですよ。
言葉ひとつ、言い訳ひとつの出所に、潜在意識が、必ず隠れている。
今回のことで、まだまだ、修行が足りないなあと、痛感して、少しへこんだ。


犯罪の影に女あり!ってやつです。笑


普段、私たちは、子供がいるので、親の役割をやらせてもらっていますが、
子供より、高い位置にいる気でいるけれど、
実は、純粋な子供側からみたら、そんな潜在意識は、お見通しだったりする。

だから、不登校の子に、小手先の方法は、絶対通用しない。
その表面の裏側にあるものを、しっかりキャッチしてしまうからだ。

「学校なんか、休んだらいいのよ」
(元気になったら行けってか?)



「あんたが、好きなとこ、どこでも、いいんだけどね、ここなんか、どう?」
(レベル落として、代替え案か~?しかも、猫なで声やめて~)

そう思っちゃうんだなあ。


で、結局、表面でなくて、根っこから、変わる必要があるわけです。
心底、嘘いつわりなく、
「学校へいかなくても、いいんだよ」
といえるように。
その真実の言葉、気持ちで、子供は、ストンと、腑に落ちるようです。

そのためには、親自身が、
自己肯定感を高めなきゃいけない。
自己肯定感を高めるということは、
「自分が、自分のままでいい」ということ。
「自分を自分で愛している」ということだ。
「自分を大切にする」ってことだ。

それらが、分かり始めると、子供って、
連動するように、変わってくる。

今でも、子供に、問題が生じると
「あ~ここが、私もまだ、未熟なところなんだ」と
そう、思うことにしている。

そして、私自身が、そこを自分なりに克服しようと
意識を向けだすと、
子供も、また、成長をはじめる。

問題を解決する必要はないんだ。
問題を意識で、捉え、解決していこうと思うだけで、それだけで、
子供の思考回路に、それが影響してくる。

面白いくらいの、連動だよ。
何度も、私は、経験していること。

だから、何度も、言うんだよね。

親が変われば、子供が変わる。ってさ。

この言葉を、単なる、標語か、ただのスローガンみたいに、
表面だけで捉えないで欲しいと思うのだ。

この親子の連動というのを経験するにつけ、
親子って、ほんとに、霊的なつながりが、深いのだなあと、しみじみ思うのです。

自己肯定感、高めましょうね。
自分は、大切な、愛されている存在だと、
心の深いところに、刻み付けて、いきましょう~と、思うわけです。

おそらく、これは、私だけの経験ではなく、
もしかしたら、みなさんにも、共通のことなんじゃないかと思ったのでした。
はい。

長くなりました。
読んでくださって、ありがとうございました。^^
別窓 | 不登校を考える | コメント:9
リンク追加のお知らせ
2008-05-30 Fri 09:10
新しく追加しました。

【いじめから子供を守ろうネットワーク】

こちらは、以前も、リンクしていたのですが、
昨年、リンクを全削除したときに、消えてしまい、そのままでした^^;


【元・引きこもりがかたる引きこもりからの脱出日記】

こちらは、よーえつさんという方が管理人をされているブログです。
題名、そのもの・・・^^;の方らしい(笑)
現在、カウンセラーをされているとのこと。



【おしゃべりワンコの物思い】

こちらは、ワンコのカウンセラーさんですね^^
私が、もっとも信頼する、ドッグトレーナーのeggiさんよ♪
そこんじょ、そこらのトレーナーさんとは、ちと違う。
問題犬と呼ばれる不幸なわんこたちを、いっぱい幸せにしてきた方。
犬を飼っている方は、ぜひ、読んで欲しいの。
もしかしたら、小さな子供を持っておられる方にも、参考になるかも。
わんこと人間の関係は、子供と親の関係に、似てるんだ~。
現在、ドイツ在住。
もうすぐ、トレーナーは引退されるけれど、
素敵なおしゃべりは、ず~っと、続けて欲しいのよね。
eggiさんが頑張っているから、私も頑張れる・・・そんな素敵な方なの。


どうぞ、肩の力を抜いて、訪問よろしゅう~、お願いします。



==こちらアップしました== kokoro odayakani
お話は、いよいよ、佳境に入っていくのでありました。^^


近況:
とにかく、なんだか、忙しくて・・・
コメント・メール、まともに、お返しできず、すみませんm(_ _)m
kokoro odayakani の記事アップだけは、命かけてやってます。(←大げさです)
いえ、これは、貼り付けるだけなので・・・ルイスさんのお陰です。はい(* ̄▽ ̄*) ~♪
ちょっと、言ってみたかっただけです。

では、では。

別窓 | 覚書 | コメント:2
言い換えの妙
2008-05-28 Wed 08:53
うちには、自宅警備員が、おります。

時々、世界の平和を守るため、自転車で、町の警備に出かけます。

「世界平和を守るため、出かけてくる」

そう言って、でかけます。

最近は、自宅警備も、少し飽きたようで、

職場を抜け出して、町の平和を守るために、

仲間を募集しておられます。


と、言い換えたら、なんだか、軽くなる。

楽しくなる。


この警備員さん、もっと、前は、おうち大好きっこと、呼ばれていました。

少しでも、前向きになれたらいいよね。

少しの進歩を、ほめる。

認める。


出来て、当たり前じゃない。

誰だって、認めてほしい。

ありがとうって言ってほしい。

だね。



別窓 | 日々徒然 | コメント:0
不登校経験者のアドバイス
2008-05-27 Tue 19:19
ひょんなことから、息子さんの不登校を経験された方とお話できた。

とっても、参考になって、感動してしまいました。


息子より、5歳年上の息子さんの話を・・・かいつまんで聞きました。


ポイントとして、(単純なわかりやすい例えを使います)


人は、生まれるときに、課題を持って生まれてくること。

家族関係、特に、夫婦のことで、解決できない問題があるとき、

夫との問題は、子供に出たりすることが多い。

たとえば、責める傾向の強い奥さんなら、夫を変えようととして、

うるさく言ったり、愚痴を言ったりする。


この傾向性を修正しようと、課題を持って、生まれてきた場合、

その課題を修正するに、一番いい相手・・・縁ある人と結婚するわけです。

そこで、夫に対して、自分自身が、その責める傾向性が強いと自覚し

自分を反省し、相手を受け入れる練習をできれば

問題は、小さいのでしょうが、それが出来なくて、問題から、目をそらし、

相手のせいに、し続けた場合・・・・

問題は、より大きく、逃げられない問題として、子供に出る場合があるということ。

極端な話、夫は、他人なので、代替えがききますが、

子供は、そういうわけにもいかないのですね。

課題を突きつけられるんでしょうね。



この辺までは、私も、一通り、経験したので、

とっても、よくわかります。


その後、言葉とイメージの力のことを言っておられました。

たとえば・・・人に自分の子供のことを話すとき、

言葉というものには、力が宿っているので、

辛かった頃の話とか・・・要するに、子供の負のイメージを

連想させるような話は、しないということ。

もちろん、子供がそばにいる場合もそうですが、

その場に、いなくても、イメージとして、思い起こせば

すぐさま、それは、重圧となって、子供に、入り込むのだそうです。

そして、離れていても、子供の体調が、悪くなっちゃったりするんだそうです。

人に話すときは、知り合いのお子さんが~、という程度で、

さらりと、とどめておいた方がいいんですよと。

これって、なんだか、子どもだけでは、なく色々な場面にも、使えそうな気がしました。



なんだか、すご~~~く、理解できたんで、納得~でした。


うちの息子もそうですが、

一番、辛かったころのことは、もう、半分以上、忘れているようです。

そして、それは、それで、いいんだそうです。

無理に、思い出させたりすることは、

そのときと、同じような気持ちを呼び起こし、

過去に、つながってしまうので、

まだ、回復の過程にある子には、きついだろうと・・・。

きっと、これをやるには、かなり強い、バックアップが必要だろうと、私自身も、思いました。

それよりも、今、過去の悪いイメージを、断ち切ってやるということが大事なんだそうです。



それにしても・・・・分かっちゃいたけど、

言葉・・・イメージ、思いの力って、すごいなあ。。。

心配は、無用ってことですね。

良かった。。。

私、あまりに、能天気なのかしらと・・・、

ちょっと、先行きを、心配したほうがいいんだろうかと

すこ~し、不安になっていました。




過去のことは、いい。

今からで、いい。

今、この瞬間を明るく、生きることなんだなあと、思いました。



霊的に、敏感な子は、悪い波動に影響されやすいけれど、

反対に見れば、よい波動も受けやすい。

それが、その方の子供さんの様子が、うちの息子と、そっくり状態で

「同じでした~」と。

私的には、ずっと前から、密かに、インディゴチルドレン、あるいは、クリスタルチルドレン、あるいは、ライトワーカーだと思っている。

(どこまで、親ばかなんだか^^;


そうなると、困る方たちが、いらっしゃるようです。

だからね、小さいうちに、つぶそうとする勢力があるんだよね。

そのインディゴチルドレンたちを、産み、育てている、お母さんたちもまた

とても、尊い役目を頂いているんですね。

そんな子どもたちをお預りし、育てさせてもらっているのですから、

守っていきましょうねと、言われ・・・

あ~、その通りです、先輩!ってな感じで、かな~り、嬉しかった私でした。


アセンション・・・2012年に何かが起きるとスピリチュアル界では言われていますけど、

特別な何かが起こるわけではなく、

人の心が、シフトしていくということで、

それは、超自然的に誰かが、何かをしてくれるわけでもなく、

やはり、私たちひとりひとりの

意識の変革が求められているんでしょうね。

時代は、変わりつつあり、流れが速くなっているのは、

敏感な方なら、わかるかな。

参考までに「あやん」さんの日記、貼り付けておきます。mixiですので、
会員じゃなきゃ、読めないですけど・・・


興味があられましたら、どうぞ~。


ということで、その方の子供さんは、

現在、東京で、アニメーターの修行をされているそうです。


最後に、言われましたね、時間がかかりますよと。

少なくとも、うちは、5年くらいは、かかってますよと、言われていました。

それには、深く同意です。

焦らず、心配せず、淡々と、私は、自分の課題に取り組むことでしょうね。

また、あしたから、頑張れます~^^



そうそう、うちの、息子さん、本日、病院でしたが、

来月あたりから、抗うつ剤をやめてみようということになりました。

ほんとは、今回からでも、良かったのですが、

月末に、学校の遠足があるので、

役員さんは、事前準備があるらしい。

とりあえず、この大きな行事が終わるまでは、

飲むということになりました。


元気が何よりです^^

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選択権
2008-05-27 Tue 09:46
いろいろ、過去の苦しかった状況を振り返ってみますと、

自分に選択権があるか、否か、、、と、自覚があったかということは

私自身のキーワードだった気がします。


そもそも、私自身が「選ぶ」ということが、昔から、非常に苦手でありました。

だから、どうしても、消去法で、選んでいた気がします。


これは、周りから、ダメだと言われる、或いは、思われるだろう。

この選択は、あの人の気に入るところではないだろう。

これは、あの人が欲しいと思いそうだから、私は、こちらを選ぼう。

「残り物に福があるんだよ」なんて、心密かに、言い訳してみたり。

まあね、それは、自信のなさの現われだったり、

自分で選択することを放棄するかわりに、責任というものから逃れられる方を選んだりという、

積極的な、「自分で選ばない」であったりすることも、多かった。

自分で選ぶということには、責任というおまけがついてくるからねえ。


だから、少々苦しい立場であっても、我慢しちゃう方が、楽だった。

「あなたのためを思って」

そう愛情深く言われた言葉に、抗えなかった。

でも、いつしか・・・次第に、

苦しさにも、蓋をしとけないようになって・・・我慢も限界になって、

自分のシンプルな「欲求」を、隠しておけないようになってしまい、

心を病んでしまった気がする。


私の引きこもりの時期は、息子の不登校と見事に重なっていた。

自分のそんな経験があって・・・、

からみつく愛情を、すごく、疑問に思いだした。

母のこと、友人のこと、サークルのこと、

一時期、心の中で、責めたりもした。


そして、引きこもり中、自分の「やりたい」と、欲求が出てきたことしか

私は、しなかったと思う。

あの頃、本当は、ひきこもりたかったのは、息子ではなく、私だったかもしれない。

それまで、外へ外へ、気持ちと体が向いていたのが、

一転して、内へ内へと変わった。

犬と、息子と、自分の生活。

ネットと、ゲームと、眠り。

おだやかな、小さい世界で、癒された気がする。

不思議に、焦りはなかった。


あの頃と、多少は、変わったのだろうと思うけれど、

大きく、意識に上っていたのは、

「自分が自分であること」だった。

自分が選ぶ。

自分が、好きなもの。

自分が、楽しいもの。

自分が嫌いなもの。

感情のひとつひとつを確認していった時期。

今でも、そのことは、続いているのかもしれない。

私は、「大好きだよ」と

そう、誰にでも、ストレートに言う。

(一応、危険なので、相手は選びますけど^^;


最近では、

犬の死を通して、ささやかながらではあるが、自分の気持ちに責任を取るということを学んだ。

失うことは、真に失うことではないと、わかった。





時々、人と語る。

自分の経験をもとに、話したりもすることもある。

でも、それを、押し付けはしない。

これが、正しいとは、言わない。

祈りもするし、応援もするが、心配はしていない。

選ぶのは、相手。

自由でいて欲しいと願う。

幸せであって欲しいと願う。


私は、人の正解なんて持っていない。

惑わされちゃいけない。

あるのは、自分の正解だけ。

その選択に、いいも悪いもない。


人は、自分の中に、ちゃんと、正解を持っているのだ。

ただ、ごちゃごちゃになって、片付けられなくて

大切なものが、埋もれちゃっているだけ。


そして、ちょっぴり楽になれば嬉しい。

考えるきっかけになれば、それでいい。

私は、息子をはじめ、家族、まわりの人には、そんな風に思っている。

私も、人から、そうして欲しいから。



私は、迷ったら、自分の守護精霊と、心の中で、会話する。

小さいはかない少女のようであり、

成熟した愛情深い女性のようでもあり、

力強い男性のようでもあり、

ふわりと暖かい、羽のようであり。


世迷言・・・?

でも、暖かいぬくもり。



本日、2個記事アップしました→kokoro odayakani
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西の魔女
2008-05-26 Mon 08:44
『西の魔女が死んだ』 梨木香歩著

かなり前に図書館から借りて読んで、その後、自分でも文庫版で購入した本。

月並みな言い方ですが、すごく・・・いい本です。



「あんたなんか、生まなきゃよかった」

母親の言葉。


「おばあちゃん、愛してる」

「I know」



6月21日、映画公開です。




>>kokoro odayakani アップしました
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息子へのインタビュー
2008-05-25 Sun 03:35

息子に聞いてみました。

「もし・・・この先、進学したとして、自分に合わない場合、そう思うのに、どのくらいかかる?」

息子「2日あれば、十分!」

私「短か!一年くらい、行ってみないとわかんないとか・・・ないの~?」

息子「ない。たとえば、小学校から中学校へ行くと、環境も変わるし、先生も変わるから、よし、がんばるぞ~って思っていくんだけど、一週間あれば、あきる」

私「え~飽きるの?^^;」

ずっこけました。。。

息子「そう」(平然と)

私「ふ~ん、そうなんだ。授業料高いんだけど・・・」

息子「う~ん、それなら、授業料ぶんは、行こうと思うかな。でも、たぶん、行かないだろうなあ」



そして、ちょっと、どきどきしながら、聞いてみました。

私「今は、どんな感じなの~?」(ただいま、通信制高校の2年です)

息子「今、別にやめる理由がないもん。朝起きるのが辛いけどね」

と言いながら、レポート書きに、いそしんでおりました。


まあいっかと、気を取り直して、もうひとつ聞いてみました。

私「じゃあさ、このさき、進学とかするときさ~、おかんが、いろいろ情報やパンフを持ってきて、これなんかどう?と薦めたら?」

息子「選ばない」(きっぱり)

私「^^;?」

息子「それには、進学しないという選択は、ないの?」

私「じゃあ、あんたの選択の中には、何もしないという選択が「アリ」なんだ」

息子「当たり前じゃん」

私「なるほど~」

息子「それは、自由じゃないじゃん。おかんの持ってきたものの中から選ぶってことは、
自分で選んだことにはならないよ」

お見通しのようで・・・。


私「あの~、お話は、重々わかりましたけど、
  最後にお聞かせくださいませ。
  この先、不安になったり、心配になったりしないんですか?」

息子「どうにか、なるような気がする(笑)」



ご協力、どうも、ありがとうございました。


インタビューを終えて・・・

実は、私も、不安じゃないんです^^;
16歳の息子が言った言葉、そのものが、私の気持ちなんです。

不安といえば、ニートになっちゃうんじゃないかとか、
就職できないんじゃないだろうか、とか
ひとり立ちできるのか?とか、
ほんとに、考えたらきりが無いんです。

けれど、でこぼこで、いびつかもしれないけれど、
16歳の自分のままの意見を持って、
自分で考えている。
時折、ちんぷんかんな正義感で、意見を言ったりするけれど、
それを否定も肯定もせず、笑って聞いてる。
(以前なら、私、否定して、こんこんと正しいことを教えようとしてたわ)

昔、辛いと言って、涙を流し、布団から出られなかった彼が、
自分の手首を傷つけて、生きている証を確認せずとも
今を生きていけるのは、嬉しいことだ。

リスカをしている頃、自殺の話をして聞かせたことがある。
自分は、地獄へ行くだろうと、恐怖で震えていたっけな。

人生は、何度でも、やり直しはできること。
光は、いつも、自分と共にあること、
そんなことを、繰り返し、繰り返し・・・
毎日、そんな話を彼に、したっけな。


昨年は、通信制の仕組みが親子ともに、分からなかったので、
レポートや、授業の、計画表を私が、
作ってあげたりしたのだが、
今年は、もう、私の出番はありませんでした。
全部、自分で組み立ててやってるようです。
教科も自分で選んで、提出しました。

昨年は、スクーリングの日、筆箱を忘れて、
授業をぜんぜん、受けられなかったと
落ち込んで、学校から帰ってきたこともあった。
事務室で、えんぴつを借りようとしたら、断られたと。
それで、忘れ物チェック表を作ったけれど、
いまじゃ、知り合いも増えて、借りれるようになった。

今年から、役員として、地区のイベントがあるときは、
その準備に大変そうですが、
仲間から「たろちゃん」と呼ばれて、楽しそうです。
ほんとの名前は、たろうじゃないんですけど。。。
息子が、隣の人に名前を聞かれて「田中太郎」と言ったら、
それから、たろちゃんって、呼ばれるようになって・・・
後に、それは本名じゃないと言っても、
たろちゃんのままで・・・。
居酒屋に連れていかれたり、先輩のデートのだしに、使われたり、
カラオケに、連れられていったり、
なかなか、スリリングな、日々のようです。


授業のある日は、自分で起きて、とっとと出かけていきます。
そもそも、今では、起こすという発想が、私には、ないし、
息子にも、起こしてもらうという、発想が無いらしい。

学校から帰ると、
台所にやってきては、愚痴や、可笑しかったこと
頭にきたこと、おしゃべりしていきます。

私は、ただ、それを、笑ったり、相槌打って、聞くだけ。
心を静かにして黙って聞く。
批判は、なし。
教え諭すこともなし。
ただ、受け入れる。
一緒に、笑い、怒り、気持ちを共有する。

心で聞くためには、自分が静かでなければ、聞けない。
息子には、聞いていないときと、聞いてるときの違いがわかるらしい。
気持ちがざわついていると、「聞いてないなあ」と、言われる^^;


不安や心配は、伝播する。
でも、不安を感じないようにしようと頑張ると、
余計、不安に敏感になったりする。

どうして、不安になる?
そう、自分に問いをしてみるのもいい。

答えは、自分の中に、必ずあるはずだから。

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名前の意味
2008-05-24 Sat 12:58
私、自分の名前って、あまり好きじゃないんですけど、

最近、ちょっと、好きかも。笑


ある人から、「○○○って名前は、聖書に出てきますよね。喜びの多い人っていう意味があるんですよ」と、言われた。

そ、そうなのか。(* ̄▽ ̄*) ~♪

ちょっと、嬉しかった。

聖書の何ページだ?


聞けば良かった。。。


で、ついでに、ネットでの、一番最初のHN「ひいらぎ」ってをしらべてみた。

このハンドルネームは、犬のHP関係で使っています。


魔よけの木だってことは、知っていたけど・・・



英名が、「holly」だって。

おお~。

なんて、大層なハンドルネームだったんだ。。。



ついでに、

りんりんは・・・

特に無かったんです。意味は^^;

楽しそうな響きがしたんで・・・


両方とも、ありふれた、HNなんだけど、

陰と陽という・・・そんな感じが、今更ながらします。

両方とも、好きなんですよね。

統一した方がいいのかなあと思ったりするけれど、

このままで、いいや~と。笑(ただ、単に面倒くさい・・・)


犬関係や、昔からの知り合いの方からは、ひいらぎさんと呼ばれますし、
ここ2年あまりで、お知り合いになれた方は、りんりんさんと読んで下さいます。

名は、体を現すって、そうなんでしょうかねえ。

ある方も、名前そのまんまの、守護をもらっている方いらっしゃいますし。

無意識って、面白いです。


って、なんてことない、雑談記事でした^^



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わがままと、自己肯定
2008-05-24 Sat 10:42
鈴ちゃん  「あのさ~、ひとつ聞きたいのよね」

ひいらぎ 「なに~?」

鈴ちゃん 「『自分がやりたいと思うことをしましょう』とか、っていうのが、あるんだけどさ~、その言葉どおりにやっちゃったらさ~、家庭崩壊したり、友達無くさない~?」


ひいらぎ 「その疑問、わかるなぁ。大体、自己啓発書や、スピリチュアルな本には、
そういう事書いてあるよね~」

鈴ちゃん 「でしょ!でしょ!」

ひいらぎ 「言葉の受け取り方になるんだけどさ~。鈴ちゃんが言っているのは、我慢なんかしないで、好きなことやったらいいんだと、受け取った場合だねえ」

鈴ちゃん 「え~、そうじゃないの~?ちぇっ・・・」ヾ(・_・;)チョット‥

ひいらぎ 「みんなが、好き放題やったら、困るじゃない~

鈴ちゃん 「じゃあ、なんでさ~、そんなこと書いてあるの~。勘違いするじゃない!あたしさ~、何でも好きなことして、言いたいこと言って、やりたいことやって、楽しいことばかりやっていたら、いいんだって思っていたんだけどな~残念だよ」

ひいらぎ 「それはねえ、そういう生き方もあるんだけど、大体、そういう人は、自己啓発の本なんか、読まないわよ。人生に行き詰ったり、困った問題が出てきたときに、読んだりするじゃない?楽しくやっていられたら、問題なんか無いわけだからさ~」

鈴ちゃん 「じゃあ、お姉さん、一体、この意味って何なのよ。
 あたし、つまんなくなっちゃったぁ・・・」


ひいらぎ 「鈴ちゃん・・・・自分で一番最初に言ってたじゃない。
「その言葉どおりにやっちゃったら、家庭崩壊したり、友達無くさない~?」って。
鈴ちゃんが、思ってることには、「わがまま」、ということと、混ざっちゃってんのよ。
何でも、やりたい放題だったら、人を傷つけたり、自分も悲しい思いをするってこと、
鈴ちゃんは、分かっているのよね。えらいね、よしよし」

鈴ちゃん・・・(*^^*)ぽっ・・・「じゃあ、わがまま、とどう違うの~?」


ひいらぎ 「『自分がやりたいと思うことをしましょう』というのは、その時点で、生き辛さを抱えた人に対しての、救いの言葉なのよね。私もそうだったんだけどね、なんだか生き辛いなあって思っている時って、人の非難の言葉を受けたり、人から否定されたり、他にも、世間の常識という枠を、正しいと思い込んでしまって、自分は、ダメだ・・・と落ち込んでいるときに、その言葉が必要なのよ。落ち込んでいるときって、視野が狭くなったり、自分だけの自分ワールドにいるのよね。そして、物事におしつぶされて、自分の本来の感情が見えなくなっちゃうのよ。
そんなとき、「自分がやりたいこと」という言葉で・・・つまり、自分以外のものに、振り回されて、固まってしまっている心を、やわらかくして、自分に戻してやるという効果があるのよね」


鈴ちゃん 


ひいらぎ 「も、、もしもし?鈴ちゃん・・・」


鈴ちゃん 「え、あ、何?良く寝た~。だって、子守唄みたいで、気持ちよかったんだもん~」


ひいらぎ 「そりゃあ、どうもありがとう

ま、そういうことで、悩み多き人の場合、まず、自分を取り戻すってことが、大事かもね(ふう~)」



アップしました>>kokoro odayakani


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心おだやかに
2008-05-22 Thu 03:43
アップしました→kokoro odayakani


~心おだやかにいきるためにより~

憎むよりは愛することを

悲しみでなくよろこびを

怒りよりも許しを

怒るよりもほめることを

人の陰口ではなく、ほめることを

破壊するより、創造することを

あきらめるよりは耐え忍ぶことを

傷つけることより、癒すことを

先送りよりは、行動することを

停滞よりは、成長することを

絶望でなく希望を

約束をやぶるよりは、守ることを

批判よりも模範を

問題をつくりだすのではなく、解決することを

他人の弱点や欠点を批判するのではなく、

慈しみ深い目で見ることを

悪いところを見つけるよりも、

良いところを見つけることを

奪うより、与えることを

愛されるよりは愛することを

慰められるよりは慰めることを

理解されるよりは理解することを

嫉妬よりは祝福を


*☆*゚・*:.。. .。.:*・*☆*゚・*:.。. .。.:*・*☆*゚・*:.。. .。.:*・*☆*


この言葉のもとになっている、「平和を求める祈り」を世に知らしめた
聖フランシスコは、私のあこがれの方ですの(*^m^*) ムフッ

かなり、ず~~~っと以前、このブログに、
原文と、そのことを書いたことがあるんだけど、
覚えている方、いるのかなあ(笑)
自分でもいつ、書いたのか、さっぱり覚えていないのだけど。笑ヾ(・_・;)オイオイ‥

キリスト教というのは、自分の人生では、あまり、なじみが無いと思っていたんだけど、
自分の人生を振り返ると、
結構な頻度で、キリスト教とは、ニアミスしているようだということを、改めて認識したところです。


そういや、「マザー・テレサ」が言っていたね~。
この国は、豊かだけれど、心が貧しいと・・・

恥ずかしい。。。


上にアップしたものは、
ルイスさんの書いたものですが、

身の回りの人に対しての基本的な心構えでは、ありますが・・・
自分に対しても、そうして欲しいなあと、思ってるわけです。

心が、穏やかであるということは、
決して、鉄や氷のように硬くて、へこまなく、傷つかなくってことではないんですよ。
鉄のサッチャー?

う~ん、そりゃ、ちと違う σ(._ ・;*)ゥーン... 。
ただの、頑固者だわww。笑

思うのだけど、どんな頑固者でもさ、暖か~い、情感があってさ、
辛かったり、悲しかったり、するんだよね。

でも、その対処法として、そこを見ないふりしたり、無かったことにしたりする人もいれば、
痛みを感じながら、でも、また、立ち上がることが出来る人。
そこで、へたりこんで、自殺しちゃう人・・・。

いろいろさ~。


私は、何度こけても、泣きながら、また立ち上がる、そんな幼子のようでありたいなあと
そう思うのだよ、ワトソン君。ヾ(・_・;)チョット‥ ダレ?


私は、私という人間を理解して欲しいとは、これっぽっちも思わない。
それよりもタイセツナなことがある。

ただ、少しでも楽になる方法を、今、不登校や、アダルトチルドレンで苦しんでいる方に・・
ささやかながらですが、私という人間の経験を通して、
そして、私と息子の会話を通して、
また、kokoro odayakani を通して、
少しでも、お伝えできればいいなあと、そう、思ってる。

息子が不登校になったとき・・・
自分の長年の自殺願望・・・

一歩も前に進めず、
ただ、ひざを抱えて、うずくまっていた数年。
人が、怖い、嫌い。
引きこもり、昼夜逆転していた頃。(息子じゃなく、私です)

あの時の・・・地獄の苦しみを思えば・・・
(いや、ほんと、私、地獄にいました。。。)
今は、天国です。
死なずに良かった、生きていて良かった・・・


だから・・・二度と・・・あそこへは、戻らない。
誰も、行ってほしくない・・・と思う。

その時の地獄から、這い出す、きっかけは、
私にとっては、すごく単純だけれど、「信仰」でした。

苦しみが、信仰に変わっただけかい!と、突っ込まれそうなんだけど、
信仰というものは、本来、自然に人間にあるんじゃないかと思ったりします。

お天道様に手を合わせた昔。
ごはんを食べるとき、手を合わせて「いただきます」ということ。
亡くなった方がいれば、手を合わせる。
神社にお参りに行く、
お葬式をする、
これが、信仰心でなくて、なんだろうと思う。
ただの習慣?
そうなの?
ただの習慣で、意味もわからず、やってるの?
みんながやるから?
普通だから?

う~ん・・・
ま、そこんとこは、人それぞれの捉え方があるからね。

あ、そっか、信仰というきな臭い言葉を使うから、いけんのか~
では、「感謝すること」と、言い換えてもいいかもしれないね。

別に、特定のものをすすめているわけでもなく、
(そういうものは、嫌いです。某団体のように、選挙お願いしません^^;)

ただ、きな臭いということで、一緒くたにして、本当に大切なことを見落としてしまうのは、
非常に、残念なことではあります。

でも、まあ、それも、個人個人の考え方なので、はい・・・・
特に、なんとも、ですね^^




ちゅうことで、

kokoro odayakani の方は、「方法論」も、今日で、終わりました。

そして、来週?映画、「コンスタンチン」がTVであるらしいと耳にしまして、

私の好みで、過去のルイスさんの記事より急遽、抜粋して、

「コンスタンチン」を霊的に解説!という内容の記事の

番外編を入れてみたいと思います。

勝手に、カテゴリーを決めてますが(笑)

楽しみにしてくださ~い。ただいま、編集中です。


私、この「コンスタンチン」は、映画館でも見てて、
マトリックスのキアヌが、どういう演技をするのか、
すごく楽しみで観た記憶がございます。



つ~か、一体、どういう時間にアップしてんだ、私・・・。
昨晩、早く、寝すぎて・・・3時に目がぱっちりと・・・

これから、どうしよう~Σ(゚□゚ノ)ノ

ね、寝たら、起きれないと怖いなあ・・・

別窓 | スピリチュアル | コメント:0
傾き加減
2008-05-21 Wed 08:05
朝起きて頭に浮かぶのは、・・・最近あった、会社でのこと。

数日、そういう感じが続いている。


会社での、人間関係は、色々、ありますが、まあ、特筆するようなものでもなく、
どこの職場でも、あるだろうこと。

ただ・・・ね。

仕事の失敗は、痛かったなあ。


失敗と言っても、

クレーマーなお客さんへの、対応だったんだけど、

30分、店内で、ごねられたんだ。

他のスタッフが、対応をしていたのだけれど、

いよいよ、怒り出して・・・

その対応の締めを、私がやってしまったんだ。

スタッフも助けたい、

クレーマーも、どうにか、したい。

結局、私が、怒られ覚悟で、すべて、収めた。


その方法が・・・ね。

自分でも、と~っても、まずいやり方とは、分かっていたけれど、

それで、他のスタッフも解放され、

クレーマーも満足され・・・



しかし、私には、後で、一仕事、店長報告が待っていた。


そりゃ、怒られたんだけどね。

そこまでは、いいんだ・・・



でも、「結局、それで、損するのは、あなただよ」

そう言われて、ほんとに、その通りだと。


表面で、みんなを助けたつもりでも、

私の中には、後悔がずっと、残っていた。



自分さえ、犠牲になったらいい。

じぶんさえ、我慢したらいい。

そんな思考回路、今までと変わらないじゃん。

でも、放っておけなかった。

しかし、誰も、学ぶことはなく、

得をしたものも、なく、

ただの、その場しのぎだった。



自分の中に、納得できない、怒りが見える。

「どうして、○○のとき、誰も、助けてくれなかったんだろう」
「私だけが、どうして、悪者にならなければならないのだろう」
「どうして、自分は、自分を大事にしないんだろう」


その場にいた、皆は、「助かった」と言ってはくれるが、
私は、誰も、護っていないし、
自分さえも守れていなかった。

馬鹿だなあと思うよ。

失敗よりも、自分を大切にしながら、まわりを守れる方法を
取れなかったのが、悔しいのだ。


そんな気持ちのわだかまりが、ずっとあって、
自分が、ちょっと、辛い。
いや、かなり、辛い。
辛いのは、自分で自分を責めてしまうんだあなあ。
「おまえ、アホやん」ってさ。

なかなか、「自分が正しいワールド」から、出られずにいる。

起こってしまった過去は、変えられない。
悔やんでも、現実は、なにひとつ変わらない。
思い煩っても、アリの一歩たりとも、良くならない。

悪い思いに、囚われ、ただ、動けない自分。
情けない自分。



「癖」
「捕まる」
「重い」


去れ!と心で、力をこめて、叫んでみる。


ふっと、軽くなる。
胸のあたりが、暖かくなる。

ごめんね、自分。
自分を大事にしてなかったね、私。
これから、大事にするよ。


今から、仕事です。
行ってきま~す♪



。o○。o○゚・*:.。. .。.:*・゜○o。○o。゚・*:.。. .。.:*・゜。o○。o○


昨夜、満月でした。

我が家の、数少ない、水晶たちを、
セージの葉の煙にくぐらせた後、一晩、月光浴させました。

水晶、浄化&エネルギーチャージの日でした。

今朝、朝露にぬれた、きらきらの水晶たちを、回収しながら、
少し、幸せな気持ちになりました。




別窓 | 日々徒然 | コメント:4
新聞切り抜きより
2008-05-20 Tue 10:42
[心の在り方を学ぶ場教育に]
江藤 美奈子
熊本日日新聞2008年 4月23日

先日、驚いたことがあった。五歳の娘が片付けをしないのでしかりつけたときだ。彼女は大泣きして私に謝り、何やら書いた。そして「お母さん。手紙」と私に持ってきた。開いてみると「お母さんいつも私に優しくしてくれてありがとう」と書いてある。
私はやられたと思った。仏教書に言葉がある。「怒りに対して怒りを返してはならない。怒りに対しては穏やかな言葉で答えなさい。厳しい批判には対しては、沈黙で答えなさい。笑顔を忘れてはならない。忍辱(にんにく)の心を忘れてはならない。耐え忍びの心を忘れてはならない。耐え忍びの心こそが徳というものを積ませるのだ。怒りに対し、怒りを持って答えるようではけして徳ある人間とはなれないということを知れ」という一節だ。
ここまで心をコントロールすることは難しいが、一度身につければ自らの心に苦しみが残らない。相手に反省は促すものの傷つけることもない。しかし、私は驚いた。
五歳にしてこの心の法則の一端を身につけたか(笑)と。現在、宗教と教育は分離されているが、後を絶たないいじめ問題を聞くにつけ、ぜひ「宗教」という「心の在り方を学ぶ」場を教育界に取り入れてほしいと願う。


。o○。o○゚・*:.。. .。.:*・゜○o。○o。゚・*:.。. .。.:*・゜。o○。o○

素敵な記事だわ~♪
つい、転載しちゃった。
私も、反省しつつ、5歳の子に、教えられ・・・わははっ(汗;;;

メモメモ“〆(^∇゚*)カキコ♪

別窓 | 覚書 | コメント:3
完全無欠
2008-05-20 Tue 09:48
*アップしました。→kokoro odayakani


完全無欠なんて、なれなくて当たり前なんだと思う。

白か、黒か、

○か、×か。

分ける必要もないと思うんだ。

グレーもあり。

中途半端も、あり。

極に、分かれる必要もない気がする。

ただ、いい加減なだけ?(笑



執着や依存は、結果として、そうなるだけのこと。

いわば、自己申請の世界。

でも、生き辛く感じるのだったら、

修正をかけなければいけないのだろうね。

それで、幸せであれば、あえて、手を加える必要もない気がする。

執着が、悪いことだけでもないね。


と、一般ピープルの私は、思ったりする。



とある、ブログで、

起立性調節不全のお子様を持つ方。

専門のお医者様に、家庭でできる対処法を聞かれ、

それを、書かれていた。(すみません、勝手に記事書いて^^;)

うん、うん、そうだなあと、思った。


”子供が、低調のとき、無関心でいなさい”


一見、そんな馬鹿な~と思われるような、感じですねえ。

他に、自分の生活を楽しみなさい。

というのも、あったかな?



私も、経験あるのですが、
自分が不安で、悲しくて、辛いとき、
相談者や、身近な人が、一緒に、不安になると、
余計不安が増大しちゃうんです。

夫の話になりますが、
夫は、「大丈夫かねえ」と、結構口にするタイプで、
その度に、私は余計、不安を掻き立てられ、無性に腹が立ったことがあります。
気持ちは、分かって欲しいのですが、
一緒に、落ち込んで欲しくないんです。(超わがままですね^^;


そんな時は、「大丈夫だよ!」という、力強い、バックアップの言葉が欲しい。
一緒に、不安になって欲しくないよなあと、思ったり。


娘が小学生の頃、話の流れで、友達に、
「どうして、○○ちゃんは、お母さんに相談したりしないの?」と聞かれ、
「お母さんに話しても、お母さんが困るから(=悲しむから)、出来ない」と、言ったそうです。


その話を、相手のお母さんから、聞いたとき、
かな~り、ショックでした・・・。

子供が、悩みさえ、話せない親なんだなあと、
そんなに、子供の気持ちを受け止められないように、見えていたんだなあ。

その頃、私は、子供たちから、相談されたりしても、
確かに、気持ちが動揺して、受け止められなかったのも、事実だもんね。
自分が、ず~んと、落ち込んじゃってねえ。


今は、やっと、「今から、愚痴を言うから、聞いてね」と、
機関銃のように、おしゃべりしてくれるので、ほっとしています。

息子も、GWが終わった頃、「あ~、五月病だ・・・やる気が出ない」とか言って、
寝てました。

「五月病かあ~、遊びすぎたねえ(笑)遊びも、ストレスだね。
元気が出るまで、ゆっくり、した方がいいよ~」と、私も、軽く受け止め
それは、そこで、終わったんですが。
(ホントは、まじ、きつそうでした。こういう時は、大体後ろ向き発言が多い彼です)

そして、何か話したいようで、不安な気持ちになるのか、
気がつけば、そばにいたりして、笑えました。
また、今、抗うつ剤の量が、少しずつ、減らされている最中なので、
その副作用も、主治医から、言われていましたので、それも、考えましたけれど、
こういう時は、一緒に、巻き込まれたり、しないで、
私は、私のことに、専念しておいたほうが、復活は、早いというのが、
今までの私の経験です。

主治医からも、そのように、指示されていますしねえ。



それから、だいぶ経ち、「五月病から、復活した!」と、報告されました。

上がったり、下がったり、子供たちも、私も、日々あるのだけれど、
無関心に見せて、何気に、気にかけるのが、うちの家族では、
一番合っているんじゃないかと思ってる。

また、無関心が、助かるときもある。


これから、また、臨機応変に、家族は、変化していくのでしょう。

これは、家庭によっても、子供の性質によっても、違うのでしょう。

これが、正しいなんて、ないのですから。

基本的に、人間って「自分が正しい」生き物だもんね(爆)^^;

経験が生き方を作っていくのだろう。

~(* ̄▽ ̄*) ~♪

それで、いいかと。

いい加減・・・良いかげん ^^

別窓 | 日々徒然 | コメント:0
自己肯定感
2008-05-19 Mon 08:27

大地に根ざすもの


初めから、終わりの時まで、


共に在るもの


造るものではなく


気づくもの


自分への深い感謝と賞賛。


そして、畏敬の念。


抱かれる、安心感と、豊かさへの驚嘆。



日々起こる、事象に左右されず


嵐の時も、麗しき時も


ただ静かに大地に在るだけ。


そのようなもの。






かつて、私は、悩みたい人だった。
悩むことが、自分を支える方法だった。
幼いときからの罪悪感。

幸せになったら、いけない気がした。



あるとき、

「光一元」と、そう教えてもらった。


この世は、光のみ。

人は、もともと、光から生まれてきた存在。


最初は、んなことあるか~と、たかをくくっていた。

しかし、よくよく自分を掘り下げたら、

自分で作った罪悪感に追い立てられていた。


光一元。

罪悪感もなし。

自己犠牲もなし。

今、この瞬間、光と共にある。

私は私でいい。

いいも、悪いもない。

人間の小さな基準で、判断しない。


今朝、思い浮かんだ、気持ちでした。

何が、自分にストップをかけているのか

考えてみるのも、悪くない。


そうなろうと、そうなったつもりでいても、

揺り返しは来る。

それは、真の意味を捉えきれていないのかもしれません。




別窓 | 日々徒然 | コメント:4
意識
2008-05-18 Sun 00:47





昨日、息子さんと、ふと、思い立って、近所の神社の山に、登ってみました。

途中、たこ焼きをほおばりながら、ぺちゃくちゃおしゃべりしながら、

二人で珍道中をしました(笑)

森林浴をして、いい気分転換になりました^^



意識を変えること。

考え方を変えるのは、ただの表面の方法にしか過ぎない。

努力も、そう。

努力をしているうちに、少しだけ、意識が変わることもある。

けれど、良くなろうと、努力をすることさえも、

ひとつの執着。

いずれ、執着を脱ぎ捨てて、

意識が根本から変わらなければ、

どうしても、破れない壁にぶち当たるだろう。

どう変えるのか、どう変わるのか。

心静かにして、自分の中の真実の声を聞くことだろうか。

思い込みや、思い違い、

過去の本の言葉、人の言葉、

そういう言葉遊びの「分かってる、つもり」、

表面の意識を突き抜けて、

自分の中の神なる領域へ。

別窓 | スピリチュアル | コメント:3
自立すること
2008-05-16 Fri 12:48
前記事からどうぞ。

http://acnokosodate.blog80.fc2.com/blog-entry-505.html
オーラの泉、西川きよしさん編を見られた方は、
ご存知かもしれません。
私は、最近は、仕事の関係で視ていませんが、
キレイの魔法http://plaza.rakuten.co.jp/hanagasakuで、
読ませてもらってます。^^;

西川さんの漫才の相方、
横山やすしさんのことに、言及されていたのですが、

やっさんは、未だ、西川さんに、くっついていらっしゃるようで・・・
要するに、亡くなってから、あの世へ行ってなくて、
江原さんによると、「西川さんが傍に、いなければ、生きていけないんだ」という風に、
おっしゃっているようでして。


これは、失礼ながら、憑依の典型だろうと思います。


美輪さんが、おっしゃってますね。

「だから成仏するというのは、仏の心になるということだから、自分で精神的に成長していって
進化させてね、大人になっていかないと、仏の心にはなれないじゃありませんか。
いつまでも、4つか5つのやんちゃ坊の子供のまんまストップして
そこに自分が甘えているっていうこと、それを自己改革しないといけないんですよ。
ところが自己改革しないで、相変わらずやんちゃ坊のままで許されるみたいなね
甘えがあるから。そうすると成仏できないんですよ」


思うに、江原さんは、はっきりは、言っていないけれど、
やすしさんが、西川さんから、離れない理由に、
やすしさんの甘えもあるけれど、西川さんの方にも、
やすしさんの、おもりをずっとしてきたので、
手放すことができない気持ちがあるんじゃないかと思う。

波長は、反発するところには、惹かれないので、
互いに、引き合う理由があるんだろうと思います。

互いに「執着」しているんだろうと思ったりしました。
やっぱり、亡くなっても、人は、「自立」を求められるものなんだと思います。

親も、子に執着しないで、子の自立を妨げない覚悟は、必要だと思うなあ。
「よかれ」と思ってしたこと、

果たして、それは、純粋に、愛だったのか? 自分の欲求ではなかったか?
よく反省することは、大切なことだと思うのですよ。


社会主義でもね・・・
人民に「よかれ」と思って、規制を加える。
でも、人々の心の中には、「自由への渇望」がある。
抑えられた気持ちは、不満になり、不安になり、他者を攻撃する気持ちになり・・・、
その思念エネルギーは、ひとつひとつが集まって、
膨大な負のエネルギーとなる。

そして、もともと地球は、「善き方向」へ向かおうとする、意思を持っている。
その善きエネルギーと負のエネルギーが反発して、均衡を保とうとする。

それが、天災となったり・・・してしまう。

私は、そう思っている。

だから、ひとりひとりの、心の向かい方が、
どんなに、大切なことか、分かるような気がするんだ。

今年に入って、
何か、変革がおきているような気がしてならない・・・。
変わろう、変えようという意識が、気持ちを揺さぶる。
意識が、非常に、不安定にもなる。

光が強くなると、闇も強くなる。
手放すことも多い。
手放して、手放し続けることだろうね。

そして、自立する、ぶれない心、そういうものを求められている気がする。
(かなり、ぶれてますけど・・・^^; 私も、必死なんですけど)

揺れるのは、地震だけではない気がする。
人の気持ちも、また、揺れている。


まあ、その勢いで、ひとつの「卒業」を果たしたんで。。。

気のせいかな・・・。私の絵空事かもしれない。
この感覚が、よく、わからないでいる。



>>kokoro odayakani記事を2個、アップしました。よろしかったら、どうぞ^^

別窓 | 日々徒然 | コメント:0
諦めて
2008-05-16 Fri 11:45
私ごとになりますけど・・・
親と同居している頃、私の行動を監視したり、
口をはさんだり、こっそり探ったり、
そういう状態の頃、
よく思ったのは、
「消えたい」という気持ちでした。

この消えたいは、死にたいではなく、
存在が跡形も、無くなればいいと思っていた。
死ぬのは、怖い。
親が悲しむだろうこと、
まわりの人に、迷惑をかけること、それくらいは、想像できたので、
いっそ、「消えたかった」なあ。

今、思えば、その「消えたい」と、同義語で、
「私のことをあきらめてくれ」という気持ちも
あったかと思います。

諦めるというと、なんだか、放置したような、投げ出したような、
そんな無責任な言葉なんですけれどね。

親が、自分の思うとおりの子供になって欲しくて、
こっそり、監視したり、行動を制限したりする
そんな気持ちがうざくて、
「自由」が、欲しかったんです。
でも、そこを、親と直接対決して、打ち破るだけの力が無かった。

父親は、暴力というとても、分かりやすい行動で、
(短絡的では、ありしたが)
母親は、「あなたの味方よ」という顔をしながら、
ねっとりと、まとわりついてくる・・・2重メッセージ。
蛇みたいな感じ。。。

この母親が、なんとも・・・私自身に、罪悪感を植え付ける元となった気がする。
自分を押し殺して、
感情を封印して、
母を助けようと思っていた時期もあった。
けれど、それは、私が、私らしくすることを否定することでもあった。

否定しても、否定しても、
私の中の罪悪感は、消えず、ますます増大し、
押さえた感情の行き場所を、
自分を攻撃することに、持っていくしかなかった。

今は、もう、私が結婚して、20年以上も同居していないので、
すっかり、諦めてしまったのだと思うけどね。

その後遺症で、どれだけ苦しんだか・・・


私のそういう経験は、息子の不登校を理解する上で、
すごく、重なっていた気がした。

私の母は、自分が助けていかなければ、この子は、いい人生を送れないとでも、
思っていたのだろうか。

それとも、自分の意にそぐわない結婚をした自分より、
より、未来がある、子供の私に、希望を託したのだろうか。

それも、あるのかもしれない。

しかし・・・・、実際、私が感じていた生の母親の感情は、
「嫉妬」ではないかと感じていたこと。

人間は、親子であろうとも、子供の幸せを願いながらも、
嫉妬の感情を野放しにしたら、
現実では、無意識に、相手を自分と同じにしようと、
そう行動することもあるのだ。




もちろん、これには、必須条件がある。

「自分を好きになれない場合」である。


自分を好きになれない場合、
相手の真の幸せを願えるわけがない。
「子供の幸せを願う」という気持ちは、自分の中から出てきた気持ちではなく、
世間から、後付された、ただの表面の意識であろうと思う。

私の母も、戦時、親に甘えることもできなく、
弟たちの面倒を見ながら、育った人だ。
自己肯定感も、へったくれも、無い時代だっただろうと思う。

今、平和な日本にいられることは、
その、ゆがんだ戦時の思考を、正しなさいということだろうと思う。

天皇が神だと言われた時代。
個人より、日本という国が大事とされた時代。
個が滅せられた時代。

その昔の遺物からの、復活が、今の時代なのだろうと思う。



話が、おおきく、なりすぎた。。。ね。


ともあれ、一旦、諦めていいんじゃない?
裏メッセージなんて、すぐに、見抜かれる。
人に自分以上の期待をすることは、間違ってんじゃない?

同じ苦労をさせたくない?
それは、子が選ぶこと。

密かに、応援するっていうのも、「呪」の一種。


良き方向に行かせるために、
気づかれないように、支える?
演歌じゃないんだから・・・。

正々堂々とやっちまえと思う。

言葉どおりの人でいたい、とそう思わないかい?


だから、苦しいんだよ。
そのからみつく、思念が、言葉にならなくてもね、縛るんだ。
その監視するような視線が・・・
その優しさにカモフラージュされた、思いが、悲しいくらい重たいんだ。

これを、人に「依存」するっていうんだ。

それらのメッセージが、何を発しているか分かります?


「おまえは、おまえのままでいたらいけない」
「私の思うとおりに、生きてくれなきゃ嫌だ」
「私の苦しさは、あなたが、そういう風だから、苦しんだよ」
「私は、寂しいんだ。かまってよ」


このようなメッセージを送られる側は・・・
自尊心、ずたずたで、
自己肯定感も、生まれては、海の泡となっていく。
自分は、邪魔で、生きてちゃいけないとさえ思う。



そんな親になりたかないよね。。。

「私を変えようとしないでください」
「私の人生の選択権を、私に返してください」

私の中のインナーチャイルドは、そう言っていますけど。



学校へ行く、行かない、
大事なことでしょうか・・・

もっと大事なことがあるんじゃないでしょうか。

ひとりひとりが(親も子も)、自分の人生を生き切ることができるってこと。

そう思うんだけどな。


知ってる?
人ごみを、犬を散歩させるとき、短めにリードを持つと、
犬は、とっても、ストレスを抱えるんだって。
飼い主からすれば、人に迷惑をかけたり、犬が踏まれたりするので、
最善の措置をとって、短く持って、制御しているつもりなんだけどね。

ところが、犬との信頼関係があって、日ごろから、緩いリードで、
慣れている犬は、人ごみでも、飼い主の動向をしっかり見て、
悠々と、歩けるんですよ。

これって、人間と同じじゃない~?

もっと知りたい人は、おしゃべりワンコの物思いへどうぞ♪

管理人のeggiさんは、ドイツ在住のわんこたちの先生をされている方です。
でも、日本で販売されている「しつけ」の本とは、かな~り違いますよ。
犬を飼われている方は、必見だと思いますよ。

「しつけ」って、なんだか、嫌な言葉じゃないですか。
押し付けなんですから。
しかも、犬の特性を無視して、人間の都合のいいようにね。
eggiさんは、そういう、「しつけ」法に、疑問を持ち、独自の犬との付き合い方を
開発された方なんですよ。

私の信頼するネットお友達です。

あえて、犬も人も一緒くたにしちゃうんだけど、
愛ってさ、相手を縛ったらダメなのよ。

それは、愛じゃなくて、「依存」です。

愛は、ただ、ひたすら、見守るだけ。
「いい」とか、「悪い」とかを判断せず、
そこにあるだけ。

羽毛のように、やわらかく、
空のように、大きく、
海のように、深く
大地のように、強く
宇宙のように、果てしなく。
光のように、暖かく。

まずは、自分から・・・、そんな、見守りの愛に抱かれてみようよ。

>>続きます
別窓 | 不登校を考える | コメント:3
泣けない理由
2008-05-13 Tue 17:21
ちょびが亡くなって、3ヶ月たちました。

でも、家族に、共通なんですが・・・寂しくて泣いたり、しんみりしたり・・・
無いんです。。。

うちの家族、変?と、ちょっと、不安になるんですが。

今日、息子と、その事を話していて、
ちょびが、亡くなって、ホッとした部分が大きいのかもしれないと、そう思う。

5年の闘病で、5年前とは、家の中の様子は、すっかり変わっていき、
すべてが、ちょびを中心に、家族が動かざるを得なかったこと。

慣れたこととは言え、いつ、ちょびの低血糖が起こるのか、出かけていても、
たいへん神経をすり減らして、急いで、帰宅し、元気そうな顔を見て、ほっとしたものだ。

動物が好きな家族ではあるが、
病犬介護は、お金と、時間と、手間がかかることは、
ただの「好き」や「愛情」を超えて、責任感に変わる。

好きだけでは、看病など、できない。

ちょびが亡くなって、一番落胆して泣いていたのは、夫だった。
週末の散歩は、夫の仕事だった。
それでも、夫の場合、常に仕事が優先であった。

誰かが、言っていた。

一番、介護をした人が、一番泣けないんだよ。。。と。
中途半端に関わった人は、無責任に泣くんだよ。。。と。

誰が、言った言葉か、もう、忘れてしまったけれど、
そうなのかもしれないと思うし、
そうじゃないのかもしれないと思う。


でも、ちょびの、最後の様子を、未だHPにアップできないのは、
単に忙しいからということだけでは、あるまい。

今朝、ちょびの夢を見た。

美しい白っぽい毛並みで、若かった頃のちょびだった。
目が輝いて、しっかり、視力もあった。


犬と一緒の生活をすることは、もう、当分は、無いだろう。
ネットを通して、犬の病気が、人間並みに変わってきていることを痛感する。
また、最後まで、看取る勇気と、ともに過ごす十分な時間は、今の私には、無い。

080212_1102~00020001


ちょびの、最後の写真です。
いつものように、眠っているようです。
毎日、注射や検査で、痛い思いを一杯したね。
ごめんね。

散歩が大好きだった子。
無邪気で、近所でも、お転婆で有名でした。
脱走の名人で・・・雷が大嫌いで、
破壊大魔王に手を焼いて、怒っちゃったことも多かったね。

目が見えなくなっても、リードの合図をちゃんと、感じてくれて、
チュチュの合図も、理解が早くて。

最後は、私の手の中で、安らかに行かせてあげられたことだけが、
私からのギフトでした。


phototyobi-6.gif


14年と8ヶ月、楽しい時間と、暖かさをありがとう。

大好きだったよ。

別窓 | わんこ | コメント:2
頂きもの
2008-05-12 Mon 22:36
20080512223805



ブログでお知り合いになった、そういちさんから、送っていただいた冊子です。

そういちさんは、北海道在住で、NPO法人「のほほん工房」という、
知的、身体、精神の障がいを持つ方たちの、作業所所長さんです。
(合ってますかねえ^^;)

以前から、ブログは、読ませて頂いていたのですが、
今年に入ってしばらく経ったころ、
私の記事の中の詩 (汗; もどきを、月刊誌に載せて下さるということで、
ご連絡を頂きました。

上の写真が、出来上がった、ハッピーライフ43号、4月号の冊子です。
今月は、表紙に力を入れられたと、おっしゃっていました。。。

冷や汗が出そうになりました。

私の文章に合わせて頂いたのだろうと思える、版画絵が
とても、美しく・・・
恐れ多かった・・・です・・・。

ありがとうございました。m(_ _)m

手作りで、月刊誌を出すのは、本当に、大変な作業だろうと思います。
私も、かつて、子育てサークルで、サークル誌の作成に携わっていた経験から、
その苦労を、お察しします。

でも、少しでも、自分たちの活動を知って欲しいという思いや、
のほほんで、頑張っている姿が、いきいきと書かれていて、
楽しく読めました。

特に!所長さんと、キュースケさんと、ナオヤくんの対談が・・・、
ナオヤくんが、とっても、キュートでした。

それと、風俗パート2。
ちょっと、お二人が、可愛そう・・・でも、笑えました。


~冊子より抜粋~

生きることに真剣になることは、勇気も要るし痛みも生じます。
ですが、その苦労の中にやり甲斐や楽しさ、そして前進できたという、
生きる喜びがあるのではないでしょうか。
読者の皆さんの中にも、生きることに前向きになれない人も
いると思います。だけど、一日ひとつだけ些細な事でも、頑張る。
そこから芽生える生きる希望というのもあるはずです。

今年度も皆さんに生きる意味が沸くような記事を送ることが
僕たちの生きがいになっています。



私の父親は、もう、20年ほど前から、車椅子生活です。
甥っ子は、アスペ。
息子は、だいぶ回復してきたとは、言え、「うつ」持っています。
私自身は、うつなのか、アダルトチルドレンなのか、
そういう危うさの中に、身をどっぷり置いていたこともあります。

障害というと、大げさなのですけれど・・・ね、

私、障害と健常の境目って、無いような気がしてます。
人間というものは、常に、狂気が身近に存在している気がします。

でも、息子の経験を通じて、感じることは、
心の病に罹って、一旦、今までの人生を降りた人よりも、
すれすれで、必死に世間にしがみついて、
鎧を体中にまとって、完全武装して、
生きることを、苦しいと思いながら、降りられず、
それでいて、リタイアしちゃった人を攻撃する人たちの方が、
よっぽど、人間的に、なっちゃいないと思うのだけどねえ。


「私も、辛いのを頑張っているんだから、あなたも頑張んなきゃ」
と言われたら、

「私が頑張れないように見えるのは、あなたの嫉妬です。途中下車してみます?」

な~んて、言っちゃうのは、どうだろうなあ~。



PS 思ったより今回の記事に時間がかかって
   先の記事に、コメントつける時間がなくなっちゃいました。  
   明日、コメント、お返しします。ごめんちゃいね。
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共感のできる居場所
2008-05-11 Sun 22:12
今日は、mixiで知り合った、Yさんの娘さんの日記を読んで、
とっても、嬉しかった~。

気持ちが、ちゃんと、前に向き始めている。



不登校や引きこもりでは、
ネット依存、ゲーム依存、昼夜逆転は、
大概、親や医者が問題とするところなんですけど、

私は、ぜんぜん、かまわなかった。
むしろ、それらを後押しした。

心が傷ついて、ずたずたになっているときは、
昼間に起きていられないことは、
自分が経験したので、分かっている。
昼間は、あまりに、刺激が強すぎるのだ。

だから、皆が寝静まった、夜中が、
居心地がいい。
夜の闇の静けさに、安心する。

ネットで知り合い、共感してもらえることは、
自分の自己肯定感を、少しずつ、打ち立てていくには、
とても、役にたった。

起きていると、心や感情が騒いで、
心が傾いてくると、
ゲームに没頭した。
ただひたすら、ゲームが楽しかった。

買い物は、夜にしか行かなかった。
昼間に知り合いに会うのが、嫌だったからだ。

これらは、息子の経験ではなく、私の経験だ。

でも、時に、親の顔に戻って、
寝てばかりいる息子に、苛立ちもすることもあった。
心無い言葉を、ぶつけてしまうことも多かった。
心配するような顔をして、
いつ寝て、いつ起きているのか、気になった時もあった。


私事になるが、あの頃、夫に監視されるのが嫌だったなあ。
「もう、寝るよ~」と言われたら、
「勝手に寝てろ!」と心で毒づいていたものだ。
「もう、寝るよ」と夫は、何気に言うのだろうが、
言葉の中に、強制を感じていた。
「もう、寝なさい」と言われた日にゃ、切れていた私。

私を管理しないで、と、言った日もある。
私は、あなたの「物」じゃない。私をコントロールしないでと、
そう言ったこともある。

わがままだったかもしれない。
けれど、それは、私自身の回復には、どうしても、必要な時間だった。

コントロールしたがりの夫は、息子が不登校になって以来、
うつや、不登校のことをそれなりに、勉強した後、
すっかり、なりをひそめてしまったよう。

でも、決して、私や家族を管理したがる癖が治ったわけではない。
酒が入ったりすると、たちまち、元にもどる。

ただ、我慢しているだけのことだろうと思う。
今でも、やはり、「私の領域を侵さないで」と、油断無くしている私がいるのだ。

そういう、私自身も、子供をコントロールばかりしてきたのだが、
まぁ・・・そんな気持ちを、そのまま、息子に当てはめると、
今は、ただ、ただ、息子の気持ちに、共感することぐらいしか、
できることは無いと思っている。

「どんな時も、味方だよ」と。
「あなたは、あなたのままでいい」


そういう、親と子で、いいと思っている。

それが、私が幼い頃、一番、欲しかった親子像だろうと思う。

こlれから、どうなるかは、わかんないけど・・・ね。


久々に夫登場の話でした。
出演料がいるかなあ~^^
男って、一日の大半を会社で・・・、しかも家庭より多くの時間を過ごしているから、
な~んにも、考えないまま、そのまま、会社を家庭に持ってくるんだよなあ~。





息子さん、この週末は、忙しかったようで、
新入生のHRで、D地区、役員募集のお願いをして回ったそうだ。
D地区は、一番、人数が多い割に、役員の人員不足で、
困っているんだそうだ。
「誰か、俺に、卒業の仕方を教えてくれ」と言う会長さん。(笑)
コンビ二のバイトで、客に切れて、何度も首になった役員さん。
とっても、楽しそうよ^^;
今年の歓迎遠足は、「どんぐり村」らしいです。

レポートは、着々と、すすんで・・・・いないようです。(爆!!)


娘さんは、進路を考えながらの、中間テスト二日前の日々を
送っています。
大好きな英語の先生から、「●●は、もしかして、天然なのか?」と
言われたそうです。
はい、娘は、思いっきり、天然です・・・。

まとまらない話で、ごめんちゃい、でした。
別窓 | 日々徒然 | コメント:5
言葉の力
2008-05-10 Sat 23:26
→【kokoro odayakani】アップしました。


不登校中期・・・安定期の頃。

息子との会話の中で、よく出てきた言葉が、
過去の自分を恥ずかしいという言葉でした。

そこにはまり込むと、
身動きが出来ないようで、
「昔のことを、考えても、しょうがない」という
母の励まし?の言葉も、
糠に釘、馬の耳に念仏、豆腐一丁・・・すみません。。。(-_-;)

気を取り直して~、

昔の出来事が、今現在、起こっているように、感じるんですね。

これは、私にも経験が、た~くさんありまして、
過去が、今目の前で、現実に起こっているような。。。
そんな感じになるんです。

こういう時、いくら励ましても、無駄でありまして・・・
非常に、親子で、苦労したところでありました。

そういう時の息子は、
ただひたすら、寝てました。
落ち込んで。。。励ましすらも、害になるほどでした。

そういうことが、発作的、周期的にやってくるようで、
「うつ」とは、そういうものだと
思い知らされる経験でした。

思うに、これも、ひとつの、思考の「癖」なんだろうと思います。
現に、今現在、親子共々、過去の恐怖から、解き放たれつつあります。

こういう状態は、今現在に、過去を呼び起こす、
なんらかのスイッチが、ある気がします。
過去ベースで、現在が、動いている証拠だろうと思います。

ということは、現在を、過去と連動させることを、
やめたらいいんだと、思い当たりました。
それで、自分が過去に縛り付けられている原因をさぐり
現在を、過去とは、違う方法や、環境にするということに
苦慮しました。

息子の場合、
親からの否定
「こう、あらねばならない」
「~ができない自分は、嫌いだ」

など・・・
親の思い通り、まわりの期待に沿おうとして、
それが、出来ないことへの、自己否定が強くありました。

それで、
肯定の言葉、
肯定の気持ち
「自分の思うとおりでいいんだよ」

というメッセージを、母は、思い切り送ったと思います。

同時に、「今」ですね。

「今」を、楽しくしようと、地道に、努力、働きかけをした気がします。
それは、現在も、続いていることですが、
「今」を過去に奪われないで、過ごすことですね。

私も、くよくよ悩む癖が、本当に強くて、
これは、かなり、難しかった課題でした。

かつて、ルイスさんから、教えてもらった、

「これから毎日あらゆることが
いっそう良くなる!
必ず良くなる!」

この呪文?の言葉を、日に何度も唱えたものでした。
今は、時々になっちゃいましたけど、
この作業は、
否定的な気持ちを、とりあえず、無理やりにでも、前に向ける、
そういう方法では、あると思います。

無理やりにやっていても、続けるうちに、
型にはまってくるもんですね。
ほら、正座って、日本人しか出来ないでしょ?
でも、小さい頃から、
「行儀良くしなさい」としつけられて、
正座が自然に、生活の一部になると、
正座の方が、楽に感じるってこと、ないでしょうか。。。
年代的なものも、かなりあるとは、思いますけれど、
バスや車の中で、おばあちゃんたちが、椅子に、正座してたり、
見たことありませんかねえ。(笑)

あれは、正座の方が、楽なんですよね。

これと、似ているんじゃないかと思うんです。

過去をくよくよ思いわずらうのは、
ひとつの、習慣なんじゃないかと思うわけです。
それで、それを、後ろを向いている顔を、ひっつかまえて、
前を向かせる・・・

言葉には、そんな力があるんじゃないかと思うのです。

言葉の力は、あなどるなかれです。すごいですよ。

うちの職場では、朝、朝礼なるものがありますが、
そこで、全員の、テンションを上げるために、
やはり、言葉の力を借りています。

「おはようございま~す」からはじまって、
接客用語の復唱で、終わり、
最後に、気合を入れるために、
「今日も、一日がんばりましょ~、よっしゃ~」と、叫びます。

これをやるか、やらないかで、かなり、雰囲気が変わります。

でも、あまりに、落ち込みが激しいときや、
本当の、うつ状態のときは、オススメしませんよ。
まじ、辛いですから。

でも、気分の落ち込みくらいなら、これで、
かなり、浮いてきますので、テンションというのは、
ある程度、コントロールできるようになるのだろうと思います。


また、息子や娘が落ち込んでいるときは、
とにかく、お馬鹿なことを言ったり、大げさにドジを、やってみせたり、
「クスリ」と笑わせてみるのも、手ですね~。

あんまりしつこいと、嫌われますから、ほどほどにね(笑)

表面的な方法としては、こんな感じでしょうか。
「今」が、楽になったり、楽しいと感じたら、
過去から戻れますよ。

とりあえずはね。

毎朝、飽きもせず、同じ曲を大音量で、聴きながら、職場に向かっている私です。
これを聴いたら、元気になる!って曲を持つのも、いいのかな~。


>それで、自分が過去に縛り付けられている原因をさぐり

ここんとこは、もっと、高度な技が必要になりますけど。。。


別窓 | 日々徒然 | コメント:2
マザー
2008-05-09 Fri 09:20
SEAMOのマザーという曲をよく耳にする。

ラップ調ながら、自分の母への思いを歌にした曲です。



私は、実家で自分の母と暮らしている頃、

歌にあるように、「うぜ~」とか、生の感情を、感じたことがなかった。

反対に、愛情をもらったという感じも、未だに無い。

感覚的に、世間のいう、「母親」というものの、暖かさが、よく分からないでいる。

かと言って、昔のように、恨みつらみは、もう、全く無い。

育ててくれた人ではあるので、恩知らずな娘かもしれない。

かわりに、おばあちゃんの存在は、

亡くなった今でも、暖かい気持ちを呼び起こす。

それで、いいのかもしれないと思ったりする。

歌にあるように、

反発しながら、母親に愛情を感じているマザーの歌詞を聴きながら、

残念ながら、母親って、そういうものなのかなあと、私には、想像するしかない(汗;

うちの息子が、私を母親として、どういう風に感じているのか、分からないけれど・・・

「昔のお母さんは嫌いだったけれど、それは、自分への愛情だったんじゃないかと、
最近思う」
と、のたまうところを見ると、彼の「母」像は、少し変化してきたのだろうか。

私だって、昔の自分は嫌いさ~。(笑)

生の感情を出せるきっかけになったのが、不登校だったなんて、

きつい思いをさせたなあと、息子に、心密かに懺悔してみる。

自分のその時々の感情を、出せる場所、暖かい陽だまりの場所

それが、マザーという場所なのかもしれないね。

私は、経験できなかったけれど・・・、

子供らにとって、暖かい「母」でありたいと、

改めて、思った、母の日近し日の心境でした。

別窓 | 日々徒然 | コメント:0
心模様
2008-05-07 Wed 22:45
楽天アップしました >>こちら

自分の責任と受け止めるのは、実は、ほんとに難しいことだと
つくづく思います。はい。

まず、心に浮沈して、発酵しているものを、
整理整頓しないことには、
かなり、難しいっすよ。

人生、長く生きていても、短く生きていても、
誰でも、何かしら、小骨のように、引っかかっているもんがあるものです。

それらに、どう「けり」を着けるのか・・・


昨日の電話の主が、
「健康な人には、分からない」と言った言葉。
気になっています。。。
確かに、それは、そうなのです。

でも、この「健康」をいろんなことに置き換えてみたら、
どうなるでしょうねえ。

「金持ちな人には、貧乏な人の気持ちは分からない」
「子供がちゃんと育っている人には、不登校の親の気持ちは分からない」
「前向きな人には、落ち込んでいる人の気持ちはわからない」
「離婚した人の気持ちは、普通の人には、分からない」
「働いている人には、働けない人の気持ちは分からない」
とか・・・

まあ、色々ありますけれども・・・
その後、そうやって、そこに、とどまってしまうことも、
これじゃあ、いかんと、這い上がろうとする人、
色々あると思いますけれども、
私自身、これらの言葉を出したら、負けだと思ってる節があります。

思うに、もしかしたら、これらの言葉の出所は、「嫉妬」なんじゃないか?と思ったりします。

その類の言葉を聴かされると、気持ちが萎えちゃって、
では、お互いに、頑張りましょうって、早々に退散します(汗;

「負け」と書きましたが、
私、転んでも、「負」を自分の肥やしにしたいって、思うのです。

どんなに、悪いことに見えることでも、
必ず、得るものが、ある。。。
むしろ、得るものの方が大きかったと、
そう、思っています。

嫉妬という感情は、
もう、そこで、動きを止めてしまわせるものなんです。
嫉妬をしていても、何も、得るものは、無いんだよね。。。
そこに、気持ちを置き始めたら、
邪で、ぐるぐるな気持ちに、心を奪われてしまう。

私だって、子供が不登校になって、よその子が、羨ましいと思う時もありました。
でも、不登校になったお陰で、いろいろな人の温かさを知りました。
それは、私の宝物です。

あの人も、宝物を見つけられたらいいなあ。

で、なんでしたっけ?σ(._ ・;*)ゥーン...

自分の責任と受け止めるってことは、
いつまでも、「被害者」のままでいたら、だめだよってことなんだと思います。

被害者・・・傷つけられた者、害を受けた者。

そんな人生で、一生を終わりたくありませんね。


別窓 | 日々徒然 | コメント:2
小旅行
2008-05-06 Tue 23:42
関門海峡を通って、秋吉台へ、そして、山口市内観光してきました。


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有名どころですね。




秋芳洞入り口です。
冒険コースっていうのを、体験したら、めちゃ、キャッチフレーズどおり、
小さな勇気、大きな冒険でした。
スカートで行ったのが、まずった・・・^^;

美しい、洞内。














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はい、な~んにも、見えませんね。σ(._ ・;*)ゥーン...


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県庁のすぐそばにある、有名な禅寺っす。
室町時代に建てられた、五重の塔。


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ここが、良かったなあ~。
ザビエル記念聖堂。



ここの一角に、マリア像がありまして、
あまりに、恐れ多くて、写真取れませんでした。

マリア像の前で、静かに手を合わせて祈る、家族の姿がありました。

ザビエルさんが、ここに、布教へ来た時、
当初、辻説法をやっていたそうです。
でも、だ~れも、耳を貸そうとしなかったらしい。

ある日、1人のおとこが、ザビエルさんたちに、
つばを吐きかけたのだそうです。
でも、何事も起こらなかったように、説法を続ける彼ら。
とある、お偉い人が、ちょうど、そこを見て、
侮辱されても、罵詈雑言言われても、怒りもせずに、神の愛を説く
彼らの信じている神とは、一体どんな神なのだろうと、
興味を持ったそうです。
そこから、山口のキリスト教布教が、広がっていったそうです。

信念とは、すごいですね。

私の友人には、山口出身の、牧師さん一家がいます。
そして、身近にも、クリスチャンがいっらっしゃいますけど、
自分の中に、揺らがない信仰を持つ人は、
本当に、強いなあと、いつも、感じています。

その身近なクリスチャンというのは、
職場の子なんですけど、
なんとなく、他の人のように、
流されて生きているように、見えなくて、
普通の会話の中で、唐突に、こちらから、「何か信仰しているの?」と聞いてみたのでした。
そうしたら、クリスチャンですとの返事。
(これは、たぶん、私以外、誰も知らないことです)

ああ、やっぱり、どこか、違うんだなあと、思ったものでした。

反対に、昨日、知り合いから電話があって、
エホバの証人の勉強をしていると言っていました。

エホバは・・・う~ん、まっとうな、宗教じゃあないんだけどなあ・・・

でも、惹かれてしょうがないのだと、言うので、
否定もせず、自分の感性を大事に、してねと、答える。
以前からも、エホバのことを、言っていたので、
それ、やばいよと、言ってはいたのですが、
本人が、どうしても、惹かれるのなら、これは、もう、どうしようもないことです。
エホバによると、江原さんは、サタンだそうです^^;
終末思想で、有名なエホバですけど、
彼女は、体が少々、悪くて、
こんな、苦しい人生なら、滅びてしまったほうが、いいと言い切ります。

「そりゃ、困ります、私、まだ、生きていたいんで」と、言うと、
「あなたは、健康だから、そう思うのよ」
と、言われたら、もう、返す言葉がございませんでした。
健康で、ごめんなさい・・・(;-_-) =3 ふぅ

不幸比べしても、前には、進めないのです・・・。
世の中には、いろんな宗教があるけれど、
その人の、今の、心境にあったところに、引き寄せられてしまうのだろうと
思ったりします。


昨日は、気を取り直して、久々に、
庭で、バーベーキューをやりました。
ほんとに・・・・家族で、ゆっくりした時間を過ごせたGWは、
久々でした。
子供たちも、楽しかったのでしょうね。
息子も、自分のブログに、GW中のことを、書いてます。
書いたものを、読ませてもらいました。
面白いです^^



ここへ、来るまで、いろいろ、ありました・・・

そうそう、最近、疲れがひどいので、かなり、PCをセーブしてます。
昨日は、ほとんど、寝てました^^;
でも、充電、少しできたので、また、ぼちぼち、
あちらも、更新していきます。


さて、今から、出勤です。
行ってまいりま~す!



別窓 | 日々徒然 | コメント:0
明日は♪
2008-05-03 Sat 23:39
久しぶり、日帰り、家族旅行を予定しています。

秋吉台~湯田温泉くらいに、行こうかと・・・。

リフレッシュしてきます~。


連休は、仕事休みが、明日と、6日、取れました♪


今、仕事が忙しいのは・・・連休のせいもあるけれど、
それ以上に、担当箇所の什器入れ替えで、
四苦八苦しているせいです。。。はい。。。(;-_-) =3 ふぅ

商品発注どころか・・・
商品整理が進みません。
私には、ディスプレイのセンスは、ありません。。
(自分の家でさえ、片付け下手なのに~)

連休明けから、また、売り場作り、
ぼちぼちやっていきます。

とりあえず、リフレッシュが先だ~~~~~。

*☆*゚・*:.。. .。.:*・*☆*゚・*:.。. .。.:*・*☆*゚・*:.。.

【kokoro odayakani】は、←こちらから。




別窓 | 日々徒然 | コメント:0
忙し過ぎる
2008-05-02 Fri 22:51
連休で、仕事がかなり、い…忙しい。
取りあえず、今度の日曜日に、温泉!を目標に、が、頑張りますp(´⌒`q)
サービス業界は、稼ぎ時です。(*_*)
別窓 | 日々徒然 | コメント:0
| 歩いていこう |