author : rinrin
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転換
2008-08-13 Wed 22:43
ダークりんりんです。

笑!(*^-゜)vィェィ♪

こんなこと、やってられっかよ~

と、投げやりな日々を過ごしております。

職場での、人間関係ね・・・。


先日、長崎に行ったおり、

あまりの暑さに、ふらふらと、入ったお店が、

「オーラ診断します」という看板のお店でした。

今では、特殊な機械で、オーラを見ることが出来るとは、

知ってはいましたが、

入ったついでに、これも、何かの縁だと思い、

オーラ写真撮りました(笑)


息子と夫は、実に似てました。

楽しいことが、したい。

そういう、天真爛漫な、黄色が、鮮やかに出てました。

縛られるのがきらい。

自分の好きなことをしたいという欲求。

そして、カードを引かされて、出てきたカードが

「あなたの今は、あなたの想いが作っているのです」

という、そんなカードまで、同じ。

カードと言っても、10枚以上ある中から、選ぶのですが、

この二人、何から何まで似てます。


娘は、赤が強かったですねえ。

やると、決めたら、やる。

行動力、思いの力が強い。

でも、知らぬ間に疲れすぎて、ストレス溜めますから、

適度に、楽しんでねと、言われてました。

恐ろしいほど、的確でした。

オーラって、あなどれませんよ。ほんと。

引いたカードは、

「楽しいことをしよう」でした。

そして、赤のオーラのまわりが、黄色。

なんでも、楽しむ子です。。。


この3人は、まだ、自分中心に思考が動いているそうです。


そして、私。

オーラが、家族で、一番、でかかった。(笑)

そして、茶色が中心に出てました。

分析的、考えすぎるところがある。

そして、右にブルーが広がり、

左にグリーンが鮮やかに出てました。


ブルーは、こうありたいなあと感じていることらしい。

穏やかで、保護者的な気持ちらしい。

グリーンは、調和の色。

まわりの人ととの調和、自分との調和を考える。


引いたカードが。。。




「自分に、OKの許可を出そう」




でした。


「何か、自分を許していないことが、あるんですか?」と、

お店の方に聞かれました。

わははは・・・・はう~。


その話から、今日の話へと続いていきます。


今日、仕事を終えて、しばらく、同僚とおしゃべりしていたの。

ダークな私は、最近、無口で、

物事を、悪い方に受け取るから、

怒りっぽいんだよ~なんて、言っていたら、

同僚も、「そうそう、りんりんさん、最近、そうだもんね~」

私「なんでだろうねえ」

なんて、よた話してたんです。

「珍しいよね、りんりんさんが、そうなるのも。

でも、もともと、私と怒るつぼが違うしねえ」

なんて言われて、

ふと、自分の口から出た言葉が、

「私なあ・・・誰に怒っているんじゃなくて、ほんとは、無力な自分に怒っているんだよ・・・

あ~たが、休んでる間、会社では、いろんな、いざこざが起こりすぎて、

でも、あの人、この人、心理状態が、わかっていたのに、

自分が忙しくて、フォローする余裕が無かったんだよ。

みんなを守って上げられなかったと・・・

それでね、自分に怒っているんだよ」


そういう言葉・・・かっこつけ過ぎな台詞が、さらさらと、

口から出てきたのでした。

その言葉を、口にしてから、

帰る車の中で、

ふと、「自分にOKの許可を出そう」という言葉を思い出す。

自分が、自分に怒っているって、

私は、たぶん、前から、知っていたんだろうな。

だから、それを、言葉にして、私に、みせるように、

守護霊さんたちが、あのカードを引かせてみせたんだろうな。


腑に落ちるなあ。



物事の転換。

ここ最近、ずっと、怒りっぽくなっていたけれど、

私は、誰にも怒っていなかった。

ただ、無力な自分を責めていた。


これは、昔からの、私の癖。


誰も、悪くはないんだ。

必要なことが、必要なときに起こるだけ。

みんなを守るなんて、出来はしない。

高みから、守ることなんて、できはしないのだ。

その傲慢さゆえに、勘違いをする。


降りておいで、私。


でもね、よく、頑張ったねえ。

そう言ってあげるよ。

自分を、ほめてあげるよ。


よしよし。

ひとりで、がんばらなくても、いいんだよ。

そのために、仲間がいるんだから。






で、オーラなんですが、

家族で、一番、色とりどりで、にぎやかな私でした。

きっと、私の中は、にぎやかなんだろうなあ(笑)


また、機会があったら、やってみたいです。




えっ?長崎ですか~?

懐かしかったですよ~。

昔、住んでいたところは、りっぱなマンションになっていました。

相変わらず、坂と階段と墓が多い街。

でも、九州では、一番、好きな街です。


平戸、大浦、浦上と、教会に、行きました。

そして、なつかしい諏訪神社散策。

子どもたちも、教会や、神社仏閣めぐりが、好きです。

特に、息子は、好きですねえ。


お昼は、唐津で、イカ料理。

夜は、長崎名物、卓袱料理を食べました。

そして、なぜか、宿屋で、トランプで、盛り上がり、

ババ抜きで、息子と、私の一騎打ちで、なかなか勝負がつかず、

最終的に、娘の裏切りで、私が、負けました。。。笑

息子は、温泉宿で、卓球を探していましたが、

さすがに、無かったです。。。


いろいろ事情があって、小学校、中学校時代に、出来なかった、家族旅行。

高校生になったら、家族で、旅行なんか行けないよと、

一般的に、よく、まわりから聞かされましたけど・・・

そんなことは、ありませんですね。。。


楽しい二日間でした。





あっ、そうそう。
遅くなっちゃいましたけど
まだ、間に合うよね。




暑中お見舞い申し上げます


ということで、視点の転換も、終わったようですし、

また、ゆるゆると、マイペースで、いきます。

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別窓 | 日々徒然 | コメント:2
明日から
2008-08-08 Fri 23:26
2連休取りまして、一足早い盆休みです。家族で長崎へ、旅行に行ってきます。
長崎は、短大を卒業して以来ですので、何年ぶりかしら。

ちょうど、原爆の日に当たりますので、平和公園行けるかなあ…

平戸まで足を運べたらいいけどなあ、と思ってます。

相変わらず、行き当たりばったりな予定です。
また、息子が、ブログアップすることでしょう。
彼は、不思議といい写真を撮る。

会社が、今日1日大変でした。
ミスやトラブルが続いて、処理に追われた感じです。
やれやれっす。

別窓 | 日々徒然 | コメント:0
他人のアラが気になるとき
2008-08-05 Tue 10:12
職場、家庭、地域にて、

人のアラが、気になって気になって、

そこに、気持ちが囚われてしまうことがあります。


長年の経験と、いろいろな本、霊的な知識より、

それらは、結局のところ、自分の中にあるものの延長線に、つながっているものと

ご存知の方も多くなったことと思う。




4次元以降の世界では、

「愛せずにはいられない」という世界。

我が魂も、かつて、そこに、存在した。

どのような方でも、今、現在、生きている方であれば、

かつて、4次元以降の、愛を基調とする世界を、

心の奥底では、もれなく、知っているはず。

葛藤もなく、悪と呼ばれるものもなく。

ただ、思いの世界。

念じれば、通じる世界。

すべて、透明で、お見通しの世界。

ただ、忘れているだけ。


こんな例え話がある。

地獄の住人は、いつも、飢えて、やせ細っている。
天国の住人は、色つやもよく、幸せに満たされている。

しかし、両方とも、同じだけの食べ物がある。
この違いは、何か?

地獄の住人は、先を争って、食べ物を奪い合う。
天国の住人は、まず、相手に、食べさせようとする。


それだけの違い。




この、3次元では、どうだろう。

わが身を振り返ると、どうも、地獄的な生き方が多い。

なんと、不自由な世界だろうか。。

肉体に、かぶせられた、他人の思考は、不透明であり、

霞のむこうに、ぼんやりと見えるだけ。

そんな中で、自分の器としての、肉体を守らねばならない。

次第に、物質がすべてと思い込まされる。

3次元的、物質的な思考回路とでも、言いましょうか・・・。

目に写ったものを、そのものと思い込む。

耳で聞いたものを、全てと思い込む。

そして、心が、閉じていき、狭い隙間穴から、

世界を恐々と、のぞき、それが、世界の全てだと思い込もうとする。

人と人は、分断され、遮断されていると、感じる。

違和感のある、孤独を感じながら、しかたなく集団に身を置く。

そうしながら、天国的なこととは、縁遠くなり、

不信、拒否、嫉妬、苦しみに、悩まされる。

自分の思い込みの世界へと、はまり込む。


この世は、よくなりたいと願っている。

未来永劫、愛へ向かい続けている。

でも、止まった時間の中の、小さな穴から見えるものは、破滅。


この世は、トラップだらけ。

どうして、こんなにトラップが多いのだろうと・・・

こんなはずじゃなかったのにな。



どん底に落ちて、はじめて考える。

わが身を振りかえる。

こんな生き方をしたかったのだろうか?


他人のアラが気になるとき。

気になって、気になって、しょうがない時。

それは、自分の姿。


私は、このようなものでは無いと、

高いところから、いくら叫んでも、

やっぱり、姿は、自分と同じ。

バランスを崩している自分の姿。


怒りには、怒りを。

否定には、否定を。

悪言には、言い返し、ねじ伏せ。

復讐し、自分の正当性を納得させる。



それでいいのだろうか?

目には、目を、歯には、歯をの時代は、もう、終わっている。

血と肉を、傷つけあう時代は、もう、終わりにしたいと、

誰もが、心の奥底で思っているはず。

でも、おのれの無力の時代が長すぎた。

無力の時を、あきらめにしてしまった。


では、相手が変わったら、私も、変わろう?

相手なぞ、一ミリたりとも、変わっちゃくれない。

そもそも、変わりたくないのだから。


子どもを変えよう、家族を変えよう。

職場を変えよう。


無理。


結局、変えられるのは、自分しかいないわけだ。

自分の自由になるものといえば、自分しかないわけだ。

自分以外のものを、変えようと思うのは、執着。

自分の正当性を表現するために、

人を変えようとするのは、思い上がり。


まわりの人々は、結局のところ、自分の姿を映し出してはくれるが、

自分そのものではない。


互いに、自分の棘を削り取る、砥石。

それぞれの役割をはたしているだけ。

相手の課題は、相手のもの。

自分が問題と感じたものだけが、自分の課題になる。



たずねられたら、こう言おう。

「私は、こう感じている」とだけ。

受け入れるのも、受け入れないのも、自由。


私も、自分の、役割を果たすだけ。

それぞれの課題。

課題の順番が違うだけかもしれないね。

30番から解く人もいれば、87番から解く人もいるだろう。

または、前世で、30番は解いているかもしれないし、

今世では、32番あたりから、始める人もいるだろうし、

来世で、63番をやる予定の人もいるのだろう。

それだけのこと。

今だけで、相手を判断しないことだ。

それは、相手の神に任せればいい。

一年たっただけで、変わる人だっている。

変わらない人も、いる。

無用な期待をしないことだ。

期待は、自分にかけることだ。





浮かんだ思考をつかまえて、

言葉にする。

うまく、的確に言葉にできないもどかしさ・・・。

修行が足りませぬね。



職場でね、

今まで、仲良しで、やってきた人たちがいるのだけれど、
先日、そこから、離脱すると、宣言したのね^^;

だからと言って、嫌いになったとか、もう、しゃべらないとか、
(そんな子どもじみたものじゃないっす)
別のグループに入るなんて気は、毛頭ないのですけれど。
喧嘩したわけでもないし、仲はいいしね。^^;

ただねえ、そのグループ内で、思考が、固まってしまい、
物の見方が、一方向になったり、
自由に動けない弊害の方を危惧した。
固まって、仲良しごっこというのは、
どうも・・・窮屈で。

たぶん、あたしは、飼いならされるのは、
嫌なんだろう。
それは、あたしの、素養だね、たぶん。

全体を見る力をつけたい。
一点集中の時期は、もう、終わった。

油断すると、すぐ狭くなる、隙間穴。
これも、訓練か・・・。


長くてすみませんでした。
読んでくださって、そして、貴重な時間を下さって、
ありがとう。

別窓 | 日々徒然 | コメント:0
進路の決め方(我が家編)
2008-08-05 Tue 01:11
実は、なにげに、今年は、娘が受験生です(笑)

娘には、小さい頃から、保育士になりたいという夢があって、
親としては、まあ、かなったらいいねくらいで。

高校に入って、途中、人間関係や、勉学で疲れ果てて、
「学校、行きたくない」と、そんな時期もあって、
すわ、兄弟で、ダブル不登校か?と。
いや、まじで、そう思ったもんね^^;

そういう時、息子の経験から、
それなら、それでいいさ、
やり直しは、いつでも出来るのさ、と
娘は、自宅休養を、数日取った後、
ぼちぼち、また、自ら、登校を始めたのですが、
(親としては、心と体を壊してまで、学校は行くところじゃないと
そういう気持ちが、すっごく強かった~)

まあ、今は、無事、部活も責任を全うし、引退し、
夏休みは、課外と、体育祭の応援団の衣装作りで、
なんだか、忙しくしています。

部活、引退直前の最後のコンクール一週間前、帰宅するなり、突然泣き出して、
部活の部長と、喧嘩したみたいな・・・
気持ちのすれ違いみたいなもんですけど。

そんな時、彼女を支えたのは、部活の仲のいい、友達でもあったわけですが、
それよりも、不思議なことに、
いろんな先生たちに、可愛がられ、守られていて、
それ以後、職員室に、用もないのに、遊びに行ったり、
先生たちに、手作りクッキーを配りに行ったり、
そんな、変な子になってしまいました^^;

高校3年生の夏なので、
一応、進路予定を提出しましたが、
あちこちオープンキャンパスなんか、自分で調べて、
友達と行ったり、
積極的に、質問したり・・・・
親が出る幕なんて、ほんとに、無い。

親が心配するのは、「授業料」をどう捻出するかだけで・・・笑

最初は、勉強が嫌いだから、短大でいいとか言っていたのですが、
どこぞから、情報を集めてきたのか、
「4大」に行きたいと、言い出したのが、2年の頃。

そして、先日、射程距離に入るくらいの、
こじんまりしたF女学院に、決めたらしい。
昨年行った、県下では、保育学科で有名な大規模校のN学園よりも、
F女にするのだそうだ。


恐らく、大人としての、見解を、娘に言えといわれたならば、
「N学園」がいいんじゃないかと、言うだろうか。。。
就職率と知名度は、抜群にNの方だけど、
私が、行くわけじゃないんで、そういう、野暮なことは言いません。はい。
それに、知名度や就職率ちゅう、統計は、意外とあてにならないというのも、
知ってるわけで^^

娘が学びたいと思うのだったら、
娘さんの行きたい学校でいいわけです。

これが、一番、大事ですね。
もしも、行きたくないというのも、それは、それでいいわけです。


で・・・息子さん、現在、2年次の、前期が終わったようで、
あとは、盆あけに、前期テストがあります。
なんだかんだと言っても、
2年次ともなると、本人も、手馴れたものになりました。
自分のペースで、レポートも出し、
地区役員の仕事も、ぼちぼちやって、友達の輪が広がっているようですし、
家にいるより、学校へ行ってる方が、楽しいと
スクーリングの日は、自分でちゃんと起きてます。

私の出る幕なんて、ちっとも無いわけです。
私の仕事は、帰宅した子どもたちの話を聞くだけになりました。


来年になると、また、息子も、高校3年次。
進路は、どうすんだろうな~と思うこともあるけれど、
息子から、どんなものが出てくるか、
楽しみでもあります。


「進路、どうするの?」
なんて、子どもを焦らせて、答えを無理やり引き出すことが、
いいことだとは思わない。

「授業、ちゃんと受けてるの?」
なんて、言わない。
それを聞いても、何の益もないことを知っている。

自分で出した答えに対して、自分で責任を取るということは、
確かに、「これは、自分で出した答えだ」と、
本人が、しっかり、自覚していなければならないのではないかと思う。

どこかで、違和感を覚えるような、
生き方をして欲しくないんだなあ・・・・

だから、私は、子どもより強い立場から、
子供が、なびくような、誘導は、しない。
巧妙なすり替えの罠も、無し。

進路の選択も、その通過点。
その通過点で、
自分の人生は、自分で歩く以外、ないんだよと、
自分で納得できる生き方を・・・と、
それだけを、伝えたい。


話は、飛ぶけれど、
例の子育てサークルの「Tさん」との壮絶な(?)葛藤によって、
今思うことがある。

「T」は、良かれと思い、私の幸せを願い、
私の生活に、ぐいぐいと、侵入してきた。
自我の確立が遅かった私には、
それは、心地よく、「愛されている」と錯覚するには、充分なものだった。

けれど、時間とともに、次第に、それは、苦痛に変わっていった。
「T」の思い通りになることは、自分を殺すことだった。
自分が無くなっても、愛されたいと願う、その矛盾。

でも、私のどこかにある、「本当の自分」は、「T」から、離脱したがっていた。
反面、「自分は、もう、いい・・・、Tの思い通りに生きなきゃいけないんだ。」という、
恐怖に縛られた、人生をあきらめたような、死んだような気持ち。

その二つの気持ちの狭間で、私は、病んでしまった。

私にとって、愛とは、代償を伴うものだった。
それは、幼いころからの、刷り込みだった。

その刷り込みを、大人になっても、なお、繰り返した。


きっと・・・息子の不登校も、これと、全く同じだったのだろうと思う。
自分の経験や気持ちをなぞれば・・・
息子にも、同じような経験を、私は、させたんだろう。

だから、もう、誰も、自分の思い通りに生きて欲しいと思わない。
人が人の心を、支配することを、やっちゃいけない。
それは、間違ってる。

自分は、自分の心を支配するべきで、
そして、自分の王国の、主に、ならなければならないんだ。

人を、善意(と思っているもの)で、牢獄に閉じ込めない。

二度としない。そう思っている。

たとえ、どんなに、嫉妬があったとしても、
憎しみがあったとしても、
たとえ、それが、愛であったとしても、
つなぎとめる鎖を私は、持たないだろう。

そして、誰にも、私を、支配させない。

そう生きようと、そう生きたいと、心から、切望する。


~おまけ~

今、ジャンプ連載中の、過去のBLEACHの映像を、ネットで、ずっ~と、見ているんだけど、
バウント編で、裏切り者の死神の、市ノ瀬まきに、
ザラキが、言う台詞が、頭に残る。

「おめ~はよ~、誰かによっかかっていなきゃ、生きていけないんだ。
変わっちゃいねえなあ~。
おめ~は、誰かのやりたいことを、やってるだけで、自分のやりたいことは、何一つ、やっちゃいねえ。
自分の意思ってもんが、ないのさ」

なんて、かなり、正確さに欠けてますが、
この台詞・・・痛かったなあ。
原作の、漫画の方を読みたくなりました。

明日は、ブックオフへ、ゴーか~?笑



~おまけのおまけ~

今日、職場のレジに居るとき、高校生2人組が、
「バイト、募集していないのですか?」とやってきました。

う~ん、今は、募集していないしなあ。
それに、高校生は、ダイソーは、雇わないんだよなあ。

なぜかって?

ダイソーは、仕事のマニュアルがあって、
職場全体の仕事を、すべてマスターしなければならないからよ。
仕入れ、仕入れのパソコン入庫処理、品出し、レジ、月末処理、商品処理、
商品の発注。特注の仕方、本社との連絡。
よそのお店への応援もあるし。
それに、挨拶、レジも、本拠地での研修があって、それに合格しなきゃ、レジに立てないし・・・ねえ。

めんどくせ~こと、この上ないんだなあ・・・。
直営になってから、お客の質も変わってきたような気がするんだが・・・
(悪くなったってことです)

フランチャイズが、良かったなあ・・・

今、私、発注担当箇所も、すべて入れ替わってしまって、
次々と、新しいところに、投入されてますが。。。

これが、ひとつの、疲れの原因です。
そのたびに、商品を覚えなきゃなんない・・・
何千個とあるんですよね。

人間関係も、最近、特に、疲れてます。。。

あの~、同僚同士で、頭ごなしに、ヒステリックに、注意をするっていうのは、
どうなんでしょうねえ。
私は、はたから見てて、とても、嫌悪感を抱いちゃいます。
ふつ~に、言えばいいんじゃないのさ・・・。
と言っても、言ってる本人は、そんなに、きつく言ってるつもりは、無いんだと。

みんな、怖がってるんだけどなあ・・・

病院の調剤薬剤師さんに、「最近、調子は、いかがです?」と聞かれるのと、
同じくらい、嫌だ。(どういう比較だ^^;
調子は、と聞かれても、あ~た、医者に、症状は伝えているし、
医者からも、薬の説明は聞いているんだし、
再度、話す義務は、ないでしょ~ってな感じでして。
早く、薬、ください!こっちは、病人ですから、一刻も早く、帰らせてください!
と、薬もらうたびに、思うわけです。
天邪鬼なので、聞こえないふりして、「いくらですか?」と、即座に返している私は、
意地悪な、奴です。笑



話、ずれてるよ・・・orz



~おまけのおまけのおまけ~

そろそろ、楽天の方、再開しま~す。
また、よろしくお願いいたしまする。


別窓 | 不登校を考える | コメント:2
たかが10日ほどのことなのに
2008-08-01 Fri 10:55
すっかり、PCから遠ざかっていました。
長い間、文章を書くということからも、遠ざかっていた気分です。

書かなければ、日常の深い奥底に流れる言葉が、
表面から蒸発していって、手の中から逃げてしまうような、そんな気にさせられます。

書くということは、やはり、自分との対話を推し進める、
強力なツールなのでしょう。
日常を、ただ流されて生きることへの、ささやかな抵抗でしょうかねえ。


今日は、仕事が休みなので、朝から、部屋の大掃除をやっております。

手付かずだった・・・・昔、子育てサークルをやっていたころの資料、
原稿、記録、その他もろもろ・・・。
その大量さに、ゴミ袋が、すぐに、いっぱいになっちゃいます。
もう・・・捨てても、いいよね。
と、思いながらも、それでも、捨てられないものも、あるのでした。
いつか、これらが、いい思い出に変わって、
そして、ぎりぎりで頑張っていた自分を、微笑ましく思える時が来るのだろうかと
そんなことを思いながら・・・

少しずつ、整理しながら・・・

手放していいもの、まだ、手放せないものを、再確認している状態です。
まだ、後悔があるのか?
悲しさがあるのか?
自立できているのか?
自分を確認しているのであります。


さて、前置きは、これくらいで(ながっ!!)
先日、怒りのことについて、
考える記事に、2件出会いました。

怒りというより、自分の中に沈みこんだ、
「あくまちゃん」と、どう、折り合いをつけていくかという
そんなことを、考えさせられました。

かつて、インナーチャイルド療法をやっていた頃、
私の中の「あくまちゃん」は、
殺意を持っていました。

でも、その療法をするまでは、自分がそれほどの、怒りと、地獄的心を
持っているという自覚が、ほんとに無かったのです。

その無自覚の「あくまちゃん」は、ときに、社会正義を振りかざしたり、
他人の言葉や行為に対して、意味がわからない突然の怒りを
湧き上がらせたり、ある時は、被害者の顔をして、自己レンピな気持ちにさせたり。


自分でも、コントロール不能な状態に追いやられることも、度々ありました。
療法を続けているうちに、
主に、自分を傷つけてきた(と思い込んでいた)人たちに対して、
復讐せずにはおれない気持ちを抑えられなくてねえ。困った。
しかし、それは、あれだね。。。
やっちゃあいけない!という、制御も、一応あるわけでして。

自分の気持ちを正直に出すということは、
自分が傷つくことだという
そんな、幼い頃からの洗脳もあり、
ここは、自分でも、苦しんだところです。

まだ、心の自立には、ほど遠かった私でしたので、
どうしても、保護者的立場の人の
「やっていいよ」というgoサインが、必要でした。

一応、念のために、言っておきますけれど、実際に、犯罪を犯すということではなく、
インナーチャイルド療法というものは、ほぼ、瞑想とカウンセリングで
できていますので、これは、想念上の、「殺す」です。^^;

で・・・想念の中で、やっちゃったわけです。
自分でも無意識に、ここを超えないと、次に進めないということも、
それまでの、療法の経緯から、知っていたのだろうと思います。

想念の上では、相手を具体的に思い浮かべるわけですが、
瞑想という手法を使っていたので、かなり、リアリティものですね。
具体的に書くには・・ちと・・・う~ん、というくらい、
残虐な殺人でした。


俗にいう、親殺しって言うんでしょうか?
普通は、健全なら、反抗期というものを通ることにより、
無意識の親殺しをやるわけですが、
ACは、親から、「おまえは、おまえで、いてはいけない」と、
強く・・・強烈に刷り込まれているゆえに、
それが、出来ないわけです。

私の「あくまちゃん」は
黒く、餓鬼の子どものようでした。
それが、「怖い、怖い」といいながら、
怯えながらも、暗い目をして、隙あらば、噛み付こうと・・・
そんな感じでした。
私の今までの人間関係をみれば・・・、
この、あくまちゃんのように、
常に、お腹をすかせ、誰かに、「ちょうだい、ちょうだい」と、
取り付いている・・・
まさに、象徴的なものでした。

飢えた子・・・ですかね。


妖怪沼女も、親を殺せなかった、残り火のようなものかもしれませんね。
やっと、それが、浮上してきたということで、
それは、とても、喜ばしいことなのだと、
私は、思ったわけです。

私の「あくまちゃん」も、沼女も、もとは同じだろうと思うのです。


「私は、ここにいるよ。ずっと、あなたが、気づいてくれるのを待っていたのよ」

宿主が、気づいてくれないから、
捻じ曲がった怒りとして、表現されたり、
誰かを、詐取しようとしたりして、そう訴えているのだろうと、思うのです。

沼女を、しっかり、抱きしめてやってください。
どこまでも、どこまでも、追いかけて、
「ごめんね」と、愛をこめて、
何回でも、何度でも、言って欲しいのです。

沼女の顔が変わってきますよ^^

私の妖怪あくまちゃんも、今では、きれいな女の子になりました。
言いたいことを、言いたい時に、伝えてきます。
無視すると、「私を無視しないで」と、怒ってきます。
かわいい、私の一部です。


あくまちゃんでさえ、ちゃんと、認めたら、
無垢な存在に変わるのですね・・・


私は、それを、心の統合ではないかと思っています。
幼いころ、正当な愛情をもらえなくて、
分裂してしまった、自分。
親のかけはなれた矛盾した行為により、
怒りと、正義を、分けなければ、生きていけなかった子どもの頃。

否定された、自分の一部。
それが、妖怪なのだろうと、思っています。

また、おそらく、多重人格というのは、そうやって、できあがっていくのだろうと、
想像します。

人の心は、「良くなりたい、成長したい」と思うように、
そういう風に、できています。
なぜだか、わかりますか?

心というものは、もとより、善でしかないのですよ。。。
だから、自分の中の、善になれない部分を無意識に感じて、
辛くなったり、悲しくなったり、苦しくなったり、
自分を責めたり、人を責めたりしてしまうのでしょう。

人生を、よくしたいと思うからこそ、
感情に、苦しみが、発生するのではないかと思うのです。

でも、100%善ではないことに、罪悪感を抱く必要は無いと、私は思うのです。
もとより、善・・・仏の一部である。そのことを信じていさえすれば、
前を向いて生きていけると、私は、思うのです。
性悪説・・・性善説、と捉えるならば、
性悪説→人間は、もとより、悪い生き物だから、ムチいれて、きたえ治さなきゃならないとするか、
性善説→人は、仏の一部であるから、本来は、善である。が、生き続けているうちに、それらを忘れ、
いつのまにか、日常の波に翻弄され、思考の「癖」ができてしまう。
その「癖」こそ、その人の、今世の宿題であり、存在の理由ではないかと、私は、思うのです。
もとより、善であるからこそ、「乗り越えたい」と熱望するのではないだろうか?
その乗り越え方が、非常に短絡的であれば、犯罪となるのかもしれないし、
深い、仏の知恵と共にあるならば、善きことに変わるのだろうね。

また、そのゆがみは、私たちの人生に、深みを与え、
相手を思いやる心を育て、
自分を大切にすることを教えてくれる。

なぜ、ここに、私たちが、存在するのか?
誰にも、わからないけれど、
でも現実に、ここに生きて、存在するのなら、
豊かに生きていきたいものです。
私のために。
そして、あなた自身のために。





追記

朝方、幸せな夢を見ました。
神に会いました。。。^^;
かみちゃまが、笑顔で、
大きな右手で
しっかりと、包み込むように
私の右の手のひらを握られ、
墨で書いた、烙印をもらいました。
印刷みたいで、すごかった(笑)
夢の中で、感動しておりました。


それが。。。残念なことに、なんと書かれていたのか、
忘れてしまって・・・

あ~肝心のとこ、忘れちゃったじゃない!!

私の、ばか~~~~。


・・・こんなリアルな夢。
久々だ。

しあわせ (人´∀`).☆.。.:*・°


別窓 | 日々徒然 | コメント:2
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