author : rinrin
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別窓 | スポンサー広告
小学6年生の子殺しに、思うこと
2008-09-30 Tue 12:31
TVを見ていないので、詳しいことは、知りません。


不登校・対人関係が苦手・・・か。

このような事件がおこると、

ある方は、発達障害に結びつけるだろうし、

ある方は、まわりが、助けていたら・・・と言うだろうし。



いつも、いつも、言われること。






聞きあきた。




もう、まわりが気づくほどの、器量は、今の日本には、
ほとんど、無いに等しいことを、
再認識してほしいと、思うのだ。
昔のノスタルジーに浸るのは、やめてくれと・・・

そうして、箱ものを増やしたり、昔遊びとか名うって、
地域活性化を、ねらったり、
行政のやることの、無駄なこと・・・

意識を、変えなきゃ、何を作っても、
何をやっても、かわらない。



不登校、自殺、引きこもり、数十万。




変わろうよ。

意識を、変えようよ。




この、私の怒りが、伝わるでしょうか・・・

この悔しさが・・・






共依存。

子どもと、自分の境界線が、あいまい。

子供は、自分の一部ではない。

大切な、預かりもの。

なによりも、自分自身も、大切な預かりもの。

どうか、

どうか、

助けを求めてください。

私は、こんなに辛いんだと、

大声で、叫んでください。

社会の片隅で、捨てられた子猫のように、

あきらめないでください。



その声は、きっと、きっと、

届くから。



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別窓 | 不登校を考える
【親と子】嫉妬とは何か?
2008-09-30 Tue 11:22
嫉妬と、共依存は、深くつながっていると、私は、思っています。

一般的に、「嫉妬」といいますと、男女が、恋愛関係において、

使われることが多いですね。

私は、主婦なので、わかりやすい例でいいますと、だんなさんのメールを

盗み見て、「ムキーッ」と、なったり(笑)、

恋人なら、相手が、自分よりきれいな(笑)女の子と、楽しげにお話していたら、

「私と、あの人と、どっちが大事なの!」と詰め寄ったり、

嫁と姑でも、だんなさんが、姑の味方をするような言動を聞いて、

「私は、姑に負けた」と、がっくり、してしまったり。

はたまた、職場では、自分より仕事ができない人が、店長のお気に入りだったり、

と、まあ、いろいろな生活の場面で、「嫉妬心」を掻き立てられる場面は、あるわけです。

それらの場面では、大体、「嫉妬をしている、醜い自分」というものを、

多かれ少なかれ、自覚しているものです。


ところがですねぇ、

子育てに、おいて・・・親子関係や家族関係においいても、

大きなウェートを占めているのではないかと、言うと、

大概の方からは、「えっ?んなわけないじゃん」と怪訝な顔をされるんですね。

それほど、親子関係というのは、

客観的に見ることができないほどの、密室となっているのですね。


私が、それを、はっきり理解できたのは、

夫の言動で、気づかせてもらえました。


息子が、学校へ行けない状態に、なりはじめた頃、

夫は、子供に、言ったのですね。

「人生、嫌なことがあっても、我慢して、やらなきゃいけないんだ」

「自分も、会社を休んだり、やめて、ゆっくり寝てくらしたいと、思うけれど、
家族を食べさせてやるために、行っているのだ」



子どもは、ますます、荒れました。

壁に、自分の頭を打ち付けて、リストカットしました。

夫は、いまだに、この言葉の裏側にある、自分の気持に、気づいていないのですが、

ちょっと、私流に、どのように、息子に伝わったか、後の息子の話と合わせて、解明してみますね。

『自分は、本当は、自分の好きなことをして、自由に生きたいと思うけれど、
家族がいるために、それが、できない。だから、無理をして、嫌だけど、毎日会社に行っているんだ。
自分が、このように、嫌なことを、おまえのために、やっているのだから、おまえも、少々、嫌でも、我慢して、学校へ、行かなければならない。そうでない、おまえは、ダメなんだ』

という風に、伝わっています。

夫は、小さい頃から、自分の親に甘えられる環境ではありませんでした。

どちらかというと、不在の父親に代わって、母親の夫がわりを、やっていました。

また、小学校にはいる前までは、親子別々に、暮らし、祖父母の家で生活していました。

彼の中の心情には、自分は、ひとりで頑張ってきたのだという、自負があると思います。

だから、息子の行動が、甘えた行動に、見えているのでしょう。

そんなことは、許せないわけです。

現実生活でも、楽して、楽しそうにしている人を、彼は、嫌いながらも、

でも、自分が幸せな家族を演じることには、最大限の努力をします。

今でも、その「演じる」というところから、抜け出せていないのですが、

そろそろ、気づいて欲しいと、妻としては、思うのです。


夫の息子への、この言動は、

演じる家族からの離脱を認めないこと、を息子に伝えたわけです。

また、別の見方をすれば、彼の潜在意識にある、インナーチャイルドは、

自由になりたい、と願っていることを、暗に示唆しています。


「自分は、こう、育てられた。どうして、お前は、それを崩すのだ」

「自分だって、もっと、自分のままで、自由に生きて、愛されたかったんだ」

「だから、おまえが自由に生きることは、許さない」


彼の中の、閉じ込められたインナーチャイルドは、そう言っているんです。



これは、とても、わかりやすい例で、私も、客観的に分析しやすいので、

夫に、登場してもらいましたが、

これは、私自身にも、ありました。


私の実家は、とてもわかりやすい、

父親のDVと、母親の依存で出来上がった機能不全家庭の典型でありました。

ところが、最近、一見、機能不全と、わからない、

真綿で首をしめるような、微妙な機能不全家庭が、多くなってきたように思います。

これが、今の親世代の特徴なのではないかなあと、思うところです。

現実、私の今の家庭は、夫のDVがあるわけでもなく、

子供の不登校が、おこるまでは、普通の家庭だと、思っていました。

しかし、私自身は、「なんで、生きているんだろう?」

「どうして、こんなに生きるのが、辛いのだろう」

そんな風に、心の闇を抱えていました。


この微妙な機能不全家庭でおこりやすいことは、

あいまいな、共依存です。

支配し、支配され、「見返り」と、「与える」が、交差していた気がします。


この根本の近くにあるのが、

インナーチャイルドの、「嫉妬」ではなかろうかと、思っています。

「嫉妬」は、どういうことを、起こさせるかというと、


「早くできないの?」
「勉強はしたの?」
「片付けしたの?」
「進路はどうすんの?」



(最近、この類の言葉を使ってなくて、言葉を思い出せなくなっていることに、
はたと、気づくのでした・・・・笑)




などの(と、ごまかす)、質問形式ではあるけれど、
それは、相手の状況を、いかにも、心配し、助けようとする言葉たちではありますが、
今、現在の私で、翻訳してみますね。

「片付けろ!この~、片付けもできない愚図じゃん!」
「勉強しろ!しないと、ろくでもなくなるじゃない。そうでないと、私の自尊心が
満たされないじゃない」
「早くして!まったく、のろまなんだから。」
「進路、早く、ちゃんと、お母さんが満足するところに、きめてよね」


否定、否定、否定。

質問形式で、すでに、否定とコントロールが、入ってるんじゃないか~。(笑)


たとえばですね、

これが、子供じゃなくて、家事育児にいそしんでいる、主婦の場合でしたら・・・(想像中)

「部屋、ちゃんと、掃除した?」・・・な~んて。

現状は、できていない、という「否定」。
でも、掃除していない、あなたを「非難」。
しぶしぶ、やる。
でも、心の中には、怒りや不満が残る。


これらを、「7つの習慣」(スティーブン・R・コヴィ著)でいえば、

WIN・LOSEの法則になります。

WINが、奪い取る側
LOSEが、奪い取られる側 と、とりあえず、理解していいと思います。

人がうまく、行くには、WIN・WINの法則が大切です。

どちらも、感情的に、納得している状態ですね。

この辺、詳しく、お知りになりたい方は、本読んでね。(笑)


残った怒りや不満は、積もっていくものです。

否定された気持は、降り積もる雪のように、心に壁を作っていく。

閉じ込められた怒りは、自分が許されなかったことを、

人がいともたやすく、していることに、無意識に嫉妬する。

本当に、なりたかったのは、壁の向こう側。

嫉妬の相手は、本当は、自分がなりたい姿。

子供を自分の道具にしちゃ、いけませんね。

真実の心配する言葉は、必ず、相手に届くはず。

自分の不安を、子供に丸投げしちゃったら、子供は、それを、

抱えようと、必死になります。

でも、できない自分も、知ってします。

子どもの優しさに、甘えないよう、乗っからないよう

私も、これからも、気をつけていこうと思います。





わかっちゃいるけど、「進路は?」「将来は?」「学校は?」「宿題は?」と、

口をすべらせて、子供を心理的に追い込んでしまうことが、

多かった過去の私でしたけれど・・・・ね。

もう、必要性が、なくなりました。



私の中の子供が、くすりと、笑って、言うのです。

「まあ、あんたも、がんばったんじゃない」ってさ。


「そうだよ、だれかに、自分の人生のかわりをやってもらうのは、もう、おしまい。」

そう、私は、自分の中の子供に、親指を立てて、笑って、答えるのでした。

だって、自分の人生は、自分で背負っていくのだから。


別窓 | 不登校を考える | コメント:15
新しくリンクをつけました
2008-09-29 Mon 02:08
この記事、親には、辛いけれど・・・

文句のつけようもないくらい、

もう、そのまんま、私自身の信条と同じだったので、紹介させてもらいます。

http://nakaosodansitu.blog21.fc2.com/blog-entry-1276.html#more

中尾さんという、カウンセラーさんのブログですが、
経歴が、なかなか、ユニークです。


http://nakaosodansitu.blog21.fc2.com/blog-entry-1260.html#more


これを読んでいて、胸の奥から、込み上げてくるものがありました。

子どもの言葉は、本当は、自分が言いたかった言葉だったね


不登校というものを通して、

私は、自分のインナーチャイルドを、癒すきっかけを、

得ることができました。

息子と、娘が、生まれてからこの数十年、

私のかわりに、肩代わりさせてしまっていた気持ちを、

私は、自分の問題として、取り戻した。


子供たちには、ほんとに、感謝しかありません。

今まで、肩代わりしてくれて、ありがとう、ごめんね。

子どもって、どこまでも、親が好きで、しょうがないんですね。


それに、甘えて、いつまでも、乗っかっていたら、いけませんね。

自分の荷物は、自分で持つに、限ります。


別窓 | 不登校を考える | コメント:5
久々、怒りに身をまかせる
2008-09-28 Sun 21:26
夕飯時。。。

電話が鳴った。
番号を見ると・・知らぬ番号。

セールスかあ・・・


にしても、しつこい。

ので、つい、出た。

母「はい」

相手「○○会社の▽△です。」

母「結構です。」がちゃん。




再び、電話が~。

同じ番号。


しつこいので、迷惑電話、撃退ボタンを押す。


再度、同じ、番号が~。




しつこいぞ!!!!!こらっ




母「はい、失礼でしょ!」怒り気味で。

相手「失礼は、そちらでしょ!結構って、なにが、結構なんですか!」


母「はあ~?何いってるんですか~?いらないから、いらないって言ったんですよ」

相手「そちら、○○さんでしょ?」

母「そうですけど。お宅、非常識でしょ」

相手「そちらこそ、そうでしょ。」

母・・・切れた。

母は、本気で切れると、無口になる。

おっと~に電話を変わった。「出てよ」


夫「どうして、うちの電話番号、知ってるんですか」

相手「上場企業の社員名簿からです。お宅、アルバイトじゃないですよね」

夫「アルバイトが、名簿に載ってるわけないじゃないですか」(怒)

相手「マンションを、購入しませんか?というお知らせです」

夫「必要ないです。もう、電話するな」がちゃん。


男の人が出ると、やっぱ、さすがに、かけてこないのね。怒!

・・・・・・・


会社の名前と、相手の名前で、相手の会社のHPに行きつく。

このやろ~・・・

きれいなブログなんか作りやがって。


ちょっと、脅してやろ。

カキカキφ(・ω・´)...ポキ!"☆_/o(・ω・`)ショボーン・・

な、なんだと!

承認制だと!  エェッ!?(* □ )~~~~~~~~ ゜ ゜


むき~~~っ。

ああ、久々、怒りに燃えた数分でした。



その番号、数日前から、よく、かかってきてる番号だと、

娘ちゃん。

なおさら、いかん。


知らない番号は、出ないに、限ります。反省( ̄▽ ̄i||;;)ハハッ

いや、反省してないぞ。


次は、もっと、相手してやる!

○○氏、かかって、こい!  ヾ(・_・;)チョット‥


煩悩、丸出しの、りんりんでした。笑

別窓 | 日々徒然 | コメント:0
予想・・・失言内閣
2008-09-28 Sun 00:09
今日は、ど~でも、いい話です。

国土交通相さんが、就任五日で、おやめになったそうな。

今回の内閣・・・失言、続出な気がするよ。

なんせ、ヘッドが、失言閣下の、麻生さんだもの。


お口は、禍のもとですな。(-_-;)


いつ、麻生さんが、失言されるか、ちょっと、楽しみにしている、

わたくしです。



でも失言といっても、もとは、本音がそうであるから、
ぽろりと、こぼれるのでありまして、
どんどん、失言なさって、次の総選挙の礎にされたら、いいかと(笑)



わかっちゃ、いるけど、「おまえ、勉強は?」「ダメじゃない」と、言ってしまう
失言かあさんも、同じかもね。
そのたびに、母は、きっと、株価を下げてしまっていたのだろう。

ああ、これは、私の過去の話っす。

そんな過去を、「すまんかった」「ごめんさない」と、心から、土下座して(気持ち)、
私、子供に、謝罪したもんね~。


親であっても、悪かったと思ったら、子供に、直接、
頭下げても、いいんじゃないかな。

だって、そこから、「対等」が、発生するんだもの。
頭下げる前は、「教えてやる」目線だったのよね。


子供に、頭を下げるなんて・・・
と、思われたら、もう、その時点で、対等では、ないんです。

私も、「どうして、私が、子供に謝らなくちゃいけないのよ」と、
しばらくの間、どうしても、子供に、謝罪の言葉を、言えなかったのよね。

そんなことが、あったなあと、ふと、謝罪会見などを、見ながら、
思い出したのでした。

でも、謝っただけで、同じことを、繰り返していたら、
さらに、株価が下がりますので、
そこんとこは、大事です。

謝るってことは、悔い改めるってことですから。。。
子供にとっては、今まで、裏切られ続けてきたわけですから、
「ほんとかいな?」と、疑惑の心がありますね。

裏切らないってことは、人と付き合う上で、最低限のルールでしょう。
子供とて、同じことだろうと、思います。

別窓 | 日々徒然 | コメント:3
へたれの薦め
2008-09-25 Thu 22:06
別題名、「ひきこもりの勧め」とも言いましょう。

息子さんが、中学2年の運動会明けの、6月下旬から、不登校になり、
「うつ状態」と、診断され、ほぼ、引きこもり状態になって、半年後くらいから。。。
息子さんと一緒に、ゲームに熱中していた、母でした。

そのころ、私も、身心のバランスを失い、
今思うと、うつ状態であったのだろうと、思います。
出かけるのは、夜になってからです。

昼間は、家事をしたり、瞑想したり、本を読んだり、
そして、寝てるか、子どもと一緒に、ゲームしてるか。。。

すっかり、昼夜逆転していたのは、息子だけではなく、
母も、そうでした。

夜中から、朝方まで、ひたすら、二人で、RPG・・・
FFしたり、テイルズしたり、
ほぼ、完全引きこもり状態。
暗くなって、やっと、買い物に、出かけては、
ささっと用事をすませて、
帰宅したものでした。

たぶん、その行動は、夫には、奇異に映ったことだろうと、思います。
でも、有無を言わせぬ、迫力で、(どんな迫力だよ( ̄▽ ̄i||;;)ハハッ
ただ、ひたすら、引きこもり続けた気がします。

不思議と先の不安は、なかったんですよね・・・
結果として、ただ、世間との接点が、まるで無かった時期ではありましたけど。
今も、時々、息子と話すのですが、
あのときが、一番、楽しかったなあと、言うと、
「僕も同じ」と、言うところを見ると、居心地がよかったのだろうと、思います。

あの頃、娘は、ちょうど、高校入試の時期で、
私たちの、ゲームのストーリイと、音楽を見ながら、
せっせと、試験勉強を、していました。

今、娘が、言います。
「お母さんたちが、夜、ゲームを始めると、あ、勉強しよう」と、
そういう気分になっていたそうです。

ゲームミュージックなどを聞くと、そのころのことを、思い出すそうです。
彼女は、試験勉強は、後にも、先にも、あんなに勉強したことは、なかったし、
とても、楽しかったと、言っていました。

(念のため、引きこもり中の母は、彼女に、勉強のことは、全く言いませんでした)


あの時、先の不安が、どうして、なかったんだろうなあと、
思ったりします。

おそらく、今までの人生、先の不安に恐怖を抱き、
過去のことを、後悔をし、
そういう風に、ずっと、不安と恐怖を抱えて、生きてきた人生のリセットを
したかったんだろうと、思うのです。
たぶん、子供も、そうだったろうと思います。

ゲームをしている時間は、「今」だけの時間しか、動いていないのです。
「今」「安心して、ここにいる時間」を、味わっていたのだろうと、思います。

次第に、息子のリストカットも、おさまり、
急に、落ち込んだり、暴れたりという行為も、少なくなりました。

でも、そういう効果を望んで、ひきこもりをやったわけでもなく、
ただ、本能のままに、親子、引きこもっただけですので、
これは、あくまで、私たち親子の方法です。

ゲームを、明け方まで、したのち、
また、さらに、いろんな話を、息子がしました。
人生のこと、
自分の考えていること、
友達のこと、
悲しかったこと、
主に、過去のこと・・・自分の存在を消したいと、言ってることが、多かったと思う。
そんな話を、聞いて、時々、相槌を打ったり、
たまに、質問をしてみたり・・・
いつの間にか、お互いに、眠っていたり。

こんなに、子供と、密につながったことは、今まで無かったなあと、思うくらいでした。

息子の方も、吐き出したい気持ちを聞いてもらい、
たぶん、引きこもりの時間は、今までの、親と子の距離の遠さを埋める時間だったのだろうと思う。


けれど、それは、夜であるから、できたのだろうと思います。
昼間・・・世間が活動している時間というのは、
起きていたくなかった。。。

ざらつく、とげが、体に刺さってくるようで、
昼間に起きているのが、苦痛なんです。
苦痛ゆえに、つい、言ってはならないことを、
子供に言ってしまって、子供との関係が、あやしくなったり、
したものです。はい・゜゜・(≧◯≦)・゜゜・ 。

夜の静けさや、月や星の静かな光に癒された・・・
そんな気がします。

心が弱っていると、
昼間の荒々しい波動は、とっても、強烈に感じ、
苦痛さえ感じるのです。
だから、寝ていたいんです。
かすかなエネルギーが、体から、奪われないように、
じっと、昼間が終わるのを待つのです。

だから、引きこもりをしたい気持ちは、とっても、よくわかります。
これは、傷ついた、猫や犬が、穴倉で、傷をいやすのと、同じで、
おそらく、本能的なものでは、ないかと、思います。

ゲームや、ネットがいけないと。。。
昼夜逆転が、いけないと。。。

そういう常識的なことは、誰もが知っています。
子供だって、知っています。

でも、ひきもる必要が、あるときは、
じっくり、引きこもってもいいんじゃないかと、
私は、思うのです。

これには、大切な条件があります。
安心して、引きこもれる状態であるってことです。
安心して引きこもれる状態とは、
誰も、責めないってことです。
自分が、安心して、自分の本能に、
従える状態が、あるってことだろうと、思います。

皮肉なことに、ここで、外部が
「そろそろ、出ておいで~」と、手をつかんじゃったり、
誘い言葉をかけると、
心に葛藤が起こります。

少しだけ、たまったエネルギーが、その葛藤で、
また、奪われてしまうんです。
いつまでたっても、エネルギーが、貯まりません。。。
無理やり、引き出さない、誘導しない、
将来のことを、話題にしない。

また、エネルギーが、だいぶ、貯まったようにみえるからと言って、
「これ、やってみたら?」と、押し出すのも、やめて欲しいです。

経験からいうと、それをやられると、
怒りと、罪悪感が、入り交ざった、妙な感情に、突き動かされて
つい、過去のパターンでしてきたとおりに、心と体が、
言いなりになろうと、反応してしまいます。

反応ですから、一時期、うまくいきそうだと見えても、
また、突然、ストンと、止まってしまいます。

私、自分の経験でも、
息子の経験でも、思うのですが、
「あきっぽい」と、よく、親から、言われていました。
そして、息子にも、「頑張りが足りない」「あきっぽい」と、
私も、言っていました。

きっと、本当の自分は、右へ行きたいのに、
親が、「左」というと、意に反して、左を、向いていたのだろうと、思います。
もし、左を向かなければ、ご褒美が貰えないからです。


でも、自分の「右へ行きたかった」自分を、抹消し、
本心ではない、「左」を選択しなくちゃいけない・・・
これは、人にとって、とても、辛いことです。
だから、長続き、しないのだろうと、思います。
それで、「あきっぽい」と、言われた日にゃ、
「ああ、自分は、何をやっても、ダメで、物事を最後まで、やりとげられない
ダメなやつなんだ」という刷り込み、思いこみが、出来上がってくるのでしょうね。




もう、やめたいんだ。

疲れちゃったんだ。

だって、自分の人生なのに、人の言うことばかり

尊重しなきゃならないなんて、

生きてる意味がないじゃないか・・・

自分は、もう、生きている気がしないんだ。

だから、存在を消したくなるんだ。






我が家の場合は、そんな中の
うつ、あるいは、不登校では、なかっただろうかと、思ったりもします。



たぶん、ひきこもりは、そういうことからへの、
カミングアウト。


ゲームをひたすらやっていた、息子。

ただ、ひたすら、今のことに集中していた。
これって、ある意味、グランディングみたいなものではないかと、
思っています。

だから、私と、息子を、何も言わず、
(まあ、不機嫌そうにながめてはいましたが)
放っておいてくれた、おっとーには、ちっとばっかし、感謝してます。

半年過ぎて・・・一年すぎ、
私は、ふと、働きに行こうと思いだしました。

なんだか、すっかり、満足したんです。

ゆっくり、「安心」できたので、
外に出たいという欲求が、むくむくと、自分の中から、自然に出てきました。

そして、今に、至ります。
根拠はないけれど、もう、大丈夫だと、
自分が、自分に、確信を持てたんでしょうか。

外に出て、自分を試してみたくなりました。
同時に、息子も、活動の場を、次第に広げていきました。


ひきこもりは、今だに、怠けだと、言われる方もいらっしゃるようですけど、
大きな間違いです。

それぞれの、引きこもりがあります。
いろいろな、理由があって、引きこもってしまうのです。


私は、引きこもり、楽しかったよ。
あれが、あったからこそ、今の私があります。
私流、引きこもりのすすめ・・・カキカキ○O0o。。。.φ(_ _).。o○グウウウ


今日も、長い記事になっちゃったね。
読んでくださって、ありがとう。

おやすみ~。
別窓 | 不登校を考える | コメント:13
本当のきもち
2008-09-21 Sun 23:24


本を読むことも、大切。

知識を入れることも大切なこと。

人の体験を聴くことも、大切。


けれど、自分で経験し、

その経験より得たことから、

自分のスピリットが感じたことが、

最高の学びだと、感じます。

だから、自分のことばで、語る人をココロから敬愛します。

その言葉たちが、

私の中の壁を突き崩し

前へ進む道を照らしてくれます。


でもね、そんな、言葉は、おしなべて、

決して、優しくは、ありません。

時には、毒で、しびれて動けなくなるときも、あります。

ココロが、とまってしまう時もあります。

でも、そういう言葉との出会いは、人生の見方を一変させます。

まるで、人生は、そういう、連続で成り立っているかのようです。




出した答えは、互いに、違うかもしれません。

それは、当たり前のことです。

人それぞれ、支えている基盤や、学ぶものが違うのですから。


でも、嫌いになったりしません。

相手の歩みを、心から、尊敬し、讃えます。

私自身の歩みを、心から、讃えます。




嫌なこと。。。

本当の気持ちをごまかすこと。

見ないふりをすること。

他人や環境のせいにすること。

自分と向かい合わないこと。


ほんとはね、答えは、自分の中にあるんだよ。

自分で出した答えだから、納得できるんだよ。



ほんとの気持ち・・・

何が、邪魔してる?



゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆


きんたろうさんの、今日の記事より、
言霊を頂きました。
ありがとう。
別窓 | 不登校を考える | コメント:8
自信をつける・・・の落とし穴
2008-09-16 Tue 12:37
ずっと、ず~~~っと、疑問に思っていました。

不登校を経験した方、または、親御さんなどは、
一度は、言われたことがあるでしょう。

自信になるものがあれば・・

得意なものを身に付けたら、自分に自信がつく。

そうしたら、生き易くなる。

って。


果たして、そうなんだろうか・・・と、ずっと疑問に思っています。
もちろん、得意が、人生を切り開くことがあるということは、
知っていますけど。。。常識的な範囲として。
それがあれば、強みになるって分かってもいます。

でも、ひねた言い方をすれば、いくら自信をつけても、
上には上がいるわけでして。

今の高度に複雑な情報社会では、得意なものを身につけるという
その、「得意」の範疇さえ、あやふやになりつつあります。
また、「得意」は、自分で、得意!って思うわけでもなく、
第3者に、褒められて、役にたつことを、喜ばれて
それが、「得意」とう感覚になるのだろうと思います。

ということは、認めてくれる第3者の存在が、必須になります。



私・・・自己肯定とは、そのような、安易なものでは無い気がします。

認めてもらえるからOK。

そうなんだろうかなあ~。

ほめてもらえなかったら、どうするんだ??

う~ん。

だから、そういう大人が必要って言うのかなあ。

いや、世の中、いない方が、むしろ多いだろ。



中途半端な記事ですみませんm(_ _"m)ペコリ

もし、ご指南いただけたら、嬉しいです。(人´∀`).☆.。.:*・°




上の記事を書いた後、息子にも、質問してみました。

「無いね」

あの、PCとゲームの腕前は、我が家では、最強(笑)を誇っている

おたく少年の言葉です。

「上には、上がいるって」


ははっ。。。


親子似てますけど・・・orz

不登校経験者の彼も、同じ意見だとしたら・・・

ただの、マイナス思考ですかねえ。


でも、仮定として、もしかしたら、得意なことで、自信をつけるは・・・

大人の勘違い理論だとしたら、どうだろうか。

それとも、思春期以前の子どもなら通用するかもしれません。


思うに・・・、その手法は、表面しか感じられない感性じゃなかろうかと。

そうそう、これって、私と、息子にとっては、ただの「手法」なんです。



そこんとこ、ずっと、違和感があります。

得意なことで、自信をつける・・・

って、一体、どういうことなのでしょうか・・・


おしえて~~~~。





こっそり、リンクが増えてたりしてます。笑
お暇な方は、ど~ぞ~。(自嘲気味な汗;
別窓 | 不登校を考える | コメント:16
待つってことは、何もしないってわけじゃない。
2008-09-11 Thu 23:40
じゅんこkaaさんが、いい記事書いておられたので、リンク引っ張ってきました。
『「待つ」ということ』

これは、言い換えれば、「見守る」とも言います。
不登校初期の頃、見守っていてくださいと、よく、四方八方から言われます。
で、一体、見守るとは、なんぞや??と、
私も、これで一時期ひどく、混乱して、山ほど、不登校を解説した本を読んだものです。

今、思うのは、
「見守る」とは、包み込むというイメージがあります。
或いは、女神が愛しい我が子を
笑みを浮かべて、抱きかかえるような、そんな、
ぶっとんだイメージが浮かびます。

そこには、許しと、和解と、心の平和、そして、融和を感じます。

しかしながら、「見守る」、「待つ」に、
「何もしない」という説がありますけれど、
決して、そんなことは、ありません。

見守る時間は、愛を放っているんですね。

「わたしは、あなたを、愛してるよ」
そういうエネルギーを放っている瞬間or時間であると、
私は、思うのです。


話、かわって、これも、不登校にありがちなんですが、
後悔(自分を責める)ということと、
反省ということを、まぜこぜに、してしまうことも、
よくあります。

後悔とは、過去に生き、前に進まないことですね。
反省とは、前に進むために、過去の過ちを、どう改善したらいいのかと、
思考をめぐらすことですね。

私は、不登校の原因が、親であろうと、学校であろうと、友達であろうと、
それらを恨んだり、責めたり、くよくよと、落ち込んだりすることは、
親子にとって、あまりいい状態ではないと、思うのです。

一時期は、そのような葛藤に巻き込まれることもあろうかと思いますけれど、
できるだけ早くに、そこを脱出し、
親子ともに、楽な状態になる必要性を、感じます。

不登校の原因探しに、意味は無いと言われますけれど、
でも、物事には、原因があって、結果が、必ずあるわけです。

親子、・・・特に親御さんが落ち着かれたら、
冷静に、分析することも、大事かと思うのです。

うちの場合は、親である、私の言動や、
子どもをコントロールする癖、あるいは、私自身のマイナス思考が、
子どもの負担を強いたことが、大きかったのではないかと思います。
そこのところを、振り返って、反省しつつ、

正語・・・正しく語るという、

仏教で言うところの、八正道のひとつですね、
これを、かなり意識しました。

それと、やはり、言葉だけでは、ダメでして、
その言葉の奥にある、自分の行動の動機を、
あぶりだすという、まあ、面倒くさいことを、
地道にやって、それを、ブログに、ちまちまと、書いていったんですね。

言葉や行動の裏にある、行動の動機は、
巧妙にしくまれた罠のようで、
実に・・・、自分と向き合うには、絶好の機会となりました。
自分自身の弱さ、壁、汚さ、どろどろしたもの。
時には、かなり、へこむこともありました。

そのたびに、まわりに助けられながら、
ひとつひとつ、自分を囲っている、壁をつぶしてきた気がします。

一年たち、二年たち・・・気がつけば、
子どもも、自分も楽になっていたという、おまけがついてきました。
そして、次第に、子どもの一挙一動に、振り回されなくなっていました。

私と子どもの心理的分離が、達せられたのだろうと思います。


かつて、今日は、学校へ行くだろうか?
今日は、朝起きるのだろうか?
将来、大丈夫なのだろうか?

そんなことを、思っていらいらしたり、情けなく思ったり、
つらいと思ったり、そういう気持ちが、子どもに対して、消滅してしまいました。
そして、自分と向き合えば向き合うほどに、
相手に、「こうして欲しい」という欲求も低下していきました。

私の「待つ」時間は、自分が人として、成長する時間でした。

逆説的ではありますが、私にとって、「待つ」ということは、
親が、子どもを待つのではなく、子どもには、とりあえず、休んでもらって、
その間、私が、子どもに待ってもらっている時間でした。

また、「見守る」という感覚は、
なかなか、一朝一夕で、できることではないのだと、思います。
「見守る」とは、手を出さない、口を出さないということではなく、
愛を放つという、静かで、穏やかで、神聖な行為そのものではないだろうかと、
私は、思うのです。

そして、「見守る」・・・とは、私には、かなり、宗教的にも思われます。
精神科医や、カウンセラーが言うように、
そうそう、簡単では、無いことです。
心のマネジメントを怠り無く・・・、そして、静かな水面に映る月の光のように、
慈愛のきらめきを放つことのように、思えるのです。

そして、例え、小さくても、ひとしずくの、慈愛の心は、必ず、まわりを幸せにしていきます。
私は、そう信じています。


今回の記事に、インスピレーションを下さった、
ののさん、じゅんこさん、そして、きんたろうさん、
感謝します。

別窓 | 不登校を考える | コメント:12
【人が嫌いだったわけ】&1位??;
2008-09-11 Thu 01:20
ランキングを見てみたら、なぜか、不登校部門で、1位になっていました(汗;
ど、どういったわけでしょう~。

私の知らないところで、何かが起こっているぅぅ~
アセアセ(゚_゚i)タラー・・

でも、ぽちっと、愛のクリック、ありがとうございました。

と、前置きは、このあたりで。

今日の本題です。
(というほどのものでもないか)

私の学生時代(それは、10年くらい前と言っておきます)オイオイヾ(・_・;)チョット‥ 計算あわね~。

その頃から、私は、人が嫌いでした。
自分では、主体的に、1人がいいと、かっこよく、思っていたのだけれど、
実は、違ったのですね~。

いわゆる、機能不全家庭で、いびつに育てられた人によく見られる、
拒否されるのが、怖いというやつです。
人間、拒否されるかもしれないと恐怖に思ったら、
「けっ、てめーらなんかと、一緒にすんじゃねえ」と、
先に、拒否ってしまった方が、かっこがついて、いいんですね。
自分も、納得させられるわけです。

でも、そんな自分が、ちょっぴり、寂しかったりしますけど、
それも、また、リスクではありますけれど、
相手から、拒否されるよりは、ずっと、ましなんです。

この「拒否されることの恐怖」は、恐らく、
幼い頃、自分が愛情を求めている対象に、
山ほど、拒否されて、深く傷ついた経験から成り立っており、
さらに、自分を守るために、
「けっ!」と、いう言葉に、含まれているように、
自分を高みにおくことで、
かろうじて、プライドを保てている状態でもあります。

ひどく、アンバランスな状態ですね。

息子さんが、そのアンバランス真っ盛り(不登校真っ盛りとも言う)の頃、
回復しても、なお、しばらく、
この、相手を見下すような視線や言動がありました。

この気持ちは、すごく分かりすぎるくらいに、理解できたので、
それは、それで、受け入れていました。

息子さんの場合、身体的虐待をしたわけではなかったのですが、
私自身が、息子さんを、丸ごと認めてやれなかったという、
なんとも、涙なしでは、語れないような、
残酷&非道なことを、知らずにやっていたのです。

「知らずに」というのは、ちっとも、免罪符には、なりませんけど、
当時は、本当に、「良かれ」と思って、
手出し、口出し、やっていたんですね。

その頃、私自身も、自分のAC(アダルトチルドレン)的な素養のため、
非常に、人嫌いでした。
人と話すということに、非常に、緊張を強いられ、
本当の自分を出したら、「破滅だ~」と、そんなことを感じておりました。
人と、ランチを食べに行くということが、苦痛でしょうがなかったです。

でも、これも、慣れですね。
今は、人前で、食事をするのも、かなり、慣れてきました。
少なくとも、苦痛ではなくなりました。

お~っと、話それました。

人嫌いの話でした。。。

その、人嫌いは、幼少の頃の、基本
つまり、親子関係に、ネックがあることが、多いですね。

そして、なぜか、人嫌いゆえに、人に嫌われないよう、細心の注意をはらう。
人嫌いなら、嫌われてもいいんじゃないかと思うのですが、
そこが、その・・・複雑なところです。
ほんとは、人嫌いというより、あれですね~、
人怖いなんですね。

その場合、自分の生きやすいところで、
すこしずつ、訓練するのは、とても、いい訓練には、なります。
でも、同時に、「怖い」と思い込むに至った、経緯を
振り返って、ゆっくり、解きほぐす作業も必要な気がします。

息子さんの場合、よく、対話しました。
夜中・・・何時間でも。
昼間、車の中・・・

不登校の初期の頃は、親なんか、拒否されちゃって、
ほんとに、落ち込みました。
けれど、少しずつ、少しずつ、
子どもを、自分の懐にいれて、暖めて、
氷が解けるのを、待ちました。
時には、待ちきれなくて、心無い言葉を吐いた母ですが、
それも、もう、時効でしょう。
約二年かかりましたけどね。

人は、表面は、拒否っているように見えても、本当は
誰かに、つらい気持ちを分かって欲しいのです。
分かってもらえたと、心から思えたとき、
人への恐怖が、薄れてきます。

そして、必要のないプライドも、大きな壁も、
自分で取り崩す力が、出てきます。

人への恐怖が減れば、人を嫌いでいる理由がなくなります。
もちろん、合う合わないの、個性の問題は、ありますが、
それは、健康な人でも、よくある範囲になります。

人で、傷ついた心は、人の温かさでしか、癒せないのかもしれません。


また、「恐怖」というものは、
「理解」ということで、埋められる気もします。

子どもが不登校になったとき、
親は、理由がわからないのです。
私も、なんだか、違う世界に踏み込んでしまう、恐怖がありました。
順調にいっていたはずの家族(そう思い込んでいた)が、
次の日から、なんだか、異世界に、投げ込まれた
そんな感じがしたものです。

子どもも、パニックしますけど、
親も、それ以上に、パニックになります。

でも、メカニズムを理解したら、
かなり、落ち着いて対処もできるようになるでしょうね。

嫌い、拒否、見下す視線、それらは、全部、
自分の心を守るために、自分で作った防御壁です。
不登校の子どもの、防御壁は、高く、厚い。
アダルトチルドレンも、同じこと。

求めるものが、いつも、指からすり抜けていってしまった経験。
欲しいと望んでも、望んでも、得られない経験。
幼い頃の悲しく、苦い記憶。

こんなにツライなら、誰もいらない・・・・
誰も、信じない。

そうして、私は、人嫌いになったのでした。
こうして、息子さんは、人間不信になったのでした。


ヾ(〃^∇^)ノ あ、でも、今、ぜんぜん、ちゃうよ~。


拒否されても、いいじゃん。
でも、人、好きって。
時々、めんどくさいこともあるけれどさ。


と、親子で変わっちゃったのでした。

(人´∀`).☆.。.:*・°

だから、ピンチは、絶好のチャンスなんですよ~。
かみちゃまが、
「おまえは、ほっておくと、怠けてばかりいるから、
ちょっと、人生勉強、しなはれ」と、問題集を、プレゼントしてくれたのよ。
感謝ですね。

んっ?今日は、そんな話だったかいな??
ま、いいかっ。



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kokoro odayakani ⇒久々、更新しました。
こちらも、よろしく~。


別窓 | 不登校を考える | コメント:3
ありがとう~再生する力~
2008-09-02 Tue 12:15
昔の記事なんか、振り返ってみたりしています。
最近は、よそのブログをじっくり読み込む時間があまり取れなくて、
ご無沙汰&疎遠になった方も、多いなあ。。。
そして、この頃の、自分の文章を読むのは、すご~く、恥ずかしかったりします。

息子が不登校になったばかりの頃。
怒りを抱えて、生き辛い!と、マックス思っていたころ。
友人との共依存のこと。
宗教のこと。
焦り、怒り、悲しみ、いろんな感情が、混在しています。

でも、なんだか、必死だった自分が、そこにいます。
恥ずかしいけれども、とても、いとおしく感じます。
突っ張ったり、はじけたり、引っ張ったり、ぶった押したり。
そのとき、そのときで、ブログのコメントの相手も次第に変化しています。
次第に、道がわかれ、今は、それぞれの場所でみんな頑張っています。


今、渦中にある方も、いるでしょう。
でも、悩み、苦しみ、自分で考え、経験したことは、決して無駄なことではないと、
胸を張って言いましょう。

暗闇にいるときは、そんな日が来るのか?
ずっと、このままなんじゃないか?
そう、思うことも多いですね。むしろ、そう思うことが、毎日続きます。
でも、いつか、必ず、出られます。

かつて、ブログをはじめたころ・・・(もう、何年たったんだろう?)
たくさんの人に支えてもらい、
たくさんの方から、励ましてもらい、
歩いてきました。

なぜか、今は、その頃の支えの中心であった、大御所の御二方からは、
「心配してませんよ」
「卒業です」

と、投げやりな(笑)言葉や、卒業証書を投げつけられ(笑)
自分で歩いていけ!と、出口を示され、追い出されつつありそうです。
私が、それで、落ち込むなんて、想像もしてもらえないらしい(涙)

な~んちゃって。(笑)


いまや、自分の力で、歩けるほどに回復してし・ま・い・ま・し・た。
う~ん、残念です。
寂しいなんて、思ってないんだから、こんちくしょ!

暖かいふところに、一時でも、入れてもらえた時間、
私にとっては、とても、大切な時間でした。
そして、これらが、これからの私の人生を支え続けることだろうと思います。

ありがとう
今更ながら、そう、心からお伝えしたいのです。

この経験から、私は、無条件に肯定されること、
掛け値なしの愛情を手渡されるということは、
人が、再生する力を得るのだと、わかりました。

これらは、「私は生きていていい」と、そう思わせてくれました。
そして、その経験が、見事に、息子に反映されたと、私は思っています。
私の体験したことが、子どもに伝わる。
命のリレーです。
そうやって、人は、つながっていくのですね。

私は、あなた方に教えていただいた、愛情を、今度は、別の人に
手渡していきたいと、思います。
それが、これから、私のやりたいことなのです。
できるか、どうか、それは、わかりません。
でも、一生懸命、生きて、生き続けていきます。

これからも、どうぞ、ご指南、お付き合い、よろしくお願いします。



このブログの題名は、最初の頃から、ずっと、変わっていません。
どうして、歩いていこうなんて、つけたか、覚えてもいません。
けど、暗闇を、ただ、諦めずに前を目指して、歩いていきたいと、
きっと、そう思ったにちがいありません。

今、苦しんでいる方、
決して、諦めないでくださいね。
生きて、生きて・・・生きてください。

別窓 | 日々徒然 | コメント:0
最近の若いもんは、という前に
2008-09-02 Tue 09:52
何の因果か、間違いか、元社会不適応の私が、今、サービス業に従事しております。
最近の若いものは・・・云々と、年長の方は、よく口にされますけれど、
サービス業に従事するようになり、
この言葉は、嘘だと、実感するようになりました。

一日に、数回、レジに立ちますが、
お金を投げてよこす人・・・
横割りする人、
いきなり、切れたり、怒り出す人・・・
要するに、非常識というか、マナーが悪いというか、困ったちゃんですね、
そういう方は、若い人には、ほとんど、いらっしゃいません。

どんな年代の人に多いかというと、40代~60代です。
はい。
これは、私だけではなく、うちのスタッフの経験則からの、大方の見解です。

趣味?か嫌がらせか、分かりませんけど、毎度のクレーマー常連の方も、この年代です。
いつの時代も、年寄りは、「最近の若いもんは~なってない」と口にしますけれど、
これがもし、当てはまるならば、育てる側の問題ではないかと、思われます。

レジでお客さんと接する時間は、ほんの数分ではありますが、
そんな短い時間でも、その方の背景が、垣間見えたりします。

いつでしたか・・・
お店でボールペンを買われた方が、換え芯はないか?と来られました。
もちろん、○イソーは、使い捨てが基本なので、あるわけない。
それでも、そのような、無理難題を言われるお客さんには、
丁寧に接して、説明し、一応、商品検索して、調べてみる努力は、するわけです。
その上で、「申し訳ありません、ただいま、そのような、品物は、ないようです」
と、お答えするわけですが。。。

「そんなこと、品物を買うとき、言われなかった」
「大体、品揃えが、悪い」

(そんなこと、言われたって・・・ボールペンを買うとき、これは、換え芯はありません、なんて、
いちいち、レジでやってたら、たまりません)

その後、一時間、スタッフに、文句を延々言われた方が、おりました。

たった、100円のボールペン!買えよ!
どんだけ、貧しいんや・・・この人。。。

その後、そのスタッフが余りにかわいそうになって、しょうがないので、私、
自分で購入して、そのクレーマーに差し上げましたのよ。。。(泣)
(ほんとは、NGなことなんですけど・・・後で店長に怒られました。
でも、店長、いないんだもん・・・)

また、何度も返品・交換に来るお客。
勘弁してよ・・・

レジに置いてある、募金箱を、抱えて、盗もうとするお客・・・
オイオイ、待てよ、おっさん!
危ういところで、学生バイトの子が、奪還しました。

陳列してある、化粧品を、試供品でもないのに、使ってるやつ。

油断も隙も、ありません。。。


うちは、店舗としては、かなり広いので、よく、迷子に遭遇します。
小さな泣きじゃくる子の手をひいて、お母さんを探すのですが、
見つかっても、親は、心配してない・・・ちゅうか、心配していない。
ありがとうも、ない。

これは、若いお母さんに多いですけど・・・

いいお客さんも多いのですが、
大丈夫か、日本!って思うことも、多々あります。

現在、40代~60代の方って、私もそうですが、日本が、経済成長期の申し子たちですね。
この年代というのは、なんだか、
心が育っていないなあと、感じることが多いのです。

当然、その年代の人たちの子どもがいるわけで、その子どもたちが、20~30代くらいとすると、
今時の子は~、なんて、うんちくは、言えない。

自分達が育ててきた年代だものねえ。
そこんとこ、もっと自覚すべきだと、思うのですよ。


というか、ご存知でしょうか?
近年、少年犯罪より、50代、60代の殺人事件件数、その他の事件の件数の方が
圧倒的に多いのですよ。

そして、自殺も・・・ね。



別窓 | 日々徒然 | コメント:0
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