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歩いていこう

author : rinrin

あなたは、もう、許されている

もう一つのブログ、

「心おだやかにいきるために」の、

本日アップした記事を紹介します。


この「マグダラのマリアの物語」には、

実に、感慨深い思い出があります。

今日は、その頃のことを、懐かしく、思い出しながら、

アップしました。


私は、当時、インナーチャイルドのエクササイズの、ひとつの佳境に入ったころでした。

そして、どうしても、越えられない山を迎えていました。


それは、「罪悪感」。


ここを、越えられなくて、

身もだえするような気持ちを持て余していました。

理屈では、自分を必要以上に責めることは、

何の益も無いことなど、分かっていました。

しかし、理性では、越えられない、壁が立ちふさがっていました。

それは、アダルトチルドレンたちが、陥る、

成育歴による間違った刷り込みによるものであると、

分かっていてもです。

理屈では分かっていても、感情が、納得できなくて、

ずいぶん、苦しんだ記憶があります。


そんなとき、tatsuさんが、書いてくださった文章が

この「マグダラのマリアの物語」でした。


この物語を読んだ時、

私は、パソコンの前で、号涙していました。

そして、ずいぶん、長い時間、泣いていたと思います。

いろいろなビジョンが、頭の中に浮かび、

私自身が、罪を犯したマグダラのマリアに共鳴していました。

いえ、共鳴・・・という、生易しいものではなく、マリアそのものでした。


「さあ、行きなさい」

そうイエスに言われた、ボロ布をまとった、マリアの心情を思うと、

今でも、泣けて、泣けてしょうがありません。


人生を生きていくなかで、その道中に、

誰もが、罪を背負っていかざるを得ないこともある。

そういう理不尽と思われる人生の中で、

必死で、生き残ってきた人々・・・

それが、マグダラのマリアであり、傷を負った人たちであり、弱さであり、

アダルトチルドレンたちだと、そう、思うのです。


聖書の中では、ほんの短いお話でしかないのですが、

tatsuさんオリジナルの、このマグダラのマリアに、

この頃の私は、ずいぶんと救われました。


物語は、人を癒す力を持つこと、

信仰は、人を強くすることを、

許すこととは、どういうことか、

それらを、この圧倒的な、慈愛の物語で、

追体験して、知った時でもありました。



「さあ、行きなさい」


この力強い、言霊の力に、浄化されていきました。


そして、さらに、次回アップする予定の(2)において、

>「私は、あなたの罪を許します」

という、イエスの言葉に、打ちのめされるように、

ぼろぼろに、泣き崩れてしまったのでした。


ワタシの罪を許すことのできる、あなたは、ダレ?

根源的な問いが、

私の、心の奥から、湧き出てきたのを、今でも、鮮やかに、覚えています。

その問いは、疑いではなく、暖かく、やさしく、穏やかに、

確信をもって、私の中から、現れたのでした。


支えるもの~ジュピター~





ずっと、迷っていたことがあります。

私が仕事を始めたのは、ほぼ、2年くらい前でした。

それ以前、身近な個人的な問題や、家族の問題で、疲弊し、

ほぼ、ひきこもり主婦していたのでしたが、

仕事を決めたころには、インナーチャイルドのエクササイズも、ひと段落し、

自分を実社会で、試してみたいと、単純に、そういう気持ちが湧いてきていました。


もちろん、経済的な部分の理由もかなりあったのですが、

そうして、働き始めて、2年過ぎました。


それまでは、私自身、自己肯定感が低く、

しかも、もろもろに、精神的に弱い部分があり、

そういう負の遺産を、どこかで、解消したいと、思っていました。

そして、霊的な部分が強すぎたためか、

社会生活の中でも、ずっと、

違和感を感じて生きてきました。

幸い、主婦でしたので、男性のように、

家族を養うために、働かねばならないという部分がなくてすんだことには、

ほんとに、感謝してます。

私が、男であったなら、きっと、今以上の

社会的な負荷に、海の藻屑と化していたかもしれません。


いや、笑いごっちゃなくて・・・ほんと。



で、そういうアンバランスな傾向性をどうにかしたいなあ~、

と、現実社会に飛び出したのが、2年前でした。


そして、いろんなことを発見しました。

楽しい経験もさせてもらえました。

しかし、今、職場は、いろいろ、本社の意向が変化し続けて、

当初の契約は、反故にされ、

このまま居続けたら、壊れそうな気配がしてきました。

人間関係の調整も、もう、限界になってきました。

ひとりひとりが、抱えている仕事が、キャパを超え始めたとき、

職場の人間関係の、崩壊が、すでに、始まっているような感じを受けます。

あまりのストレスに、

最近では、デパスのお世話になっちゃいまして^^;

この不況時・・・そんなことも言ってられないというのが、

本当なのですけどね。


子どもたちには、いつも、「無理は、したらだめよ」と言う私に、

「おかあさんもね。」と見透かされてますね。


自分を大切にすることや、自分を守ることと、

社会で、働くということは、すごく矛盾することが、多いのですが、

その中で、自分を保つということの、難しさを感じます。


当初の、社会で、自分を試すという実験は、もう、終わったんでしょう。

今度は、自分を守りながら、そして、生活も、大切にしながら、

さらには、精神生活も、充実させたいと、

そんな、ことを思うようになりました。

おそらく、今年いっぱいで、今の仕事は、いったん、引き上げる

そんな、気持ちでいます。

まだ、あと、半年ほど、ありますけれど、

引き時も、大切でしょうか。

そんな気持ちでいます。


かわゆい(*≧∀≦)

CA3C0050.jpg

近所のコンビニの屋根の下で。

お父さんとお母さんを待ってる子たち。


か、かわゆい

元気に育てよ~。


.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+。.:*・゚+。.:*・゚ >

遊ぶ

もう、あと2カ月ほどで、息子さんは、18歳になります。

今年度が、卒業年度で、受験でもありますけれど、

遊びも、それ以上に、とっても、熱心です。

最近、お泊りで、友達のうちで、夜を明かしたり、

平日も、お呼びがかかったり、とても、楽しそうにしています。

昨夜も、

夜の8時に、携帯から、電話してきて、

「今、箱崎の公園~」と、はしゃいだ声。
(↑D地区のたまり場と化している)

「遅くなるよ」と。

「いいよ~」

誰と、どこで、何をしてるのか、こちらから、聞きもしないけれど、

息子は、ひとしきり、楽しそうな声で、しゃべる。

「うんうん」

「あ、そうなの~」と、聞いていると、

なんだか、こっちまで、嬉しくなる。

そして、結局、今朝になっても帰宅しなかったようで、

一応、仕事に行く前に、

「生きてる~?」と、メールを入れると

「ばりばり、生きてる~」だって。

私は、にやりと、笑って、仕事に出かけた。

仕事が終わって、家に帰ると、

昨夜から、今朝にかけての様子を、

待ってましたとばかりに、キッチンに立つ私の横で、

楽しそうに、話してくれる。

ひとしきり、話し終わると、満足げに、ゲームをやってる。

そういうところは、まるで、小学生?(笑)


う~んと、バカやって、う~んと、遊んで

はめはずして、そんな遊び方は、今しかできない。

また、明日は、役員フルメンバーで、香椎浜で、

花火をする予定になっているそうだ。

たぶん、明日も、帰ってこないとみた(笑)


自分をディスカウントしない

宮崎県知事で有名な○○原知事のニュースが、朝のワイドショウを賑わしている。

自民党からの出馬要請に対しての返答の一部に、

「私を総裁候補として戦う覚悟はあるか?」との返答。

大阪の橋本知事は、「度胸があるなあ」と言われていた。

古参の自民党議員は、「ふん、ばかばかしい」と一言。



賛否両論は、いろいろあるだろうけれど、

今の政治というシステムを熟知しておられるからこその発言だと、

感じるのですよね。


今までの、宮崎県知事としての、動きをみてきて、

ただの、名誉欲とは、とても、思えない。

自民党(に限らず)は、派閥やら、しがらみやらで、

肥大しすぎて、さっぱり、身動きができなくなっている。

票が伸び悩むこの時期、票獲得の一部の歯車にするべく思考回路の、

打診は、素人でもわかる。

たとえ、自民党から出馬したとして、

当選しても、新人の議員には、なんの権限もなく、

ただの、派閥の構成員の一人にしか、ならない。

知事は、そういう現実を、知っておられるのだろうね。

そして、駒のひとつになるだろうことも。

それでは、日本は、変えられないということも。


それは、まるで、

親が子に対して、

先生が生徒に対して、

力の強いものが弱いものに対して、

「おまえは、何も、自分で考える必要は、ないんだ。

黙って、言うことをきけ。そうしたら、安泰な、未来を約束する」

と、言うようなものだろう。

日本社会や教育は、自分の頭で物事や、考えることを、

否定するシステムが出来上がっている。

そんなシステムから、脱して、

「歯車なんかには、ならない。私は、私の想いで生きていく」

と、表明することは、すごく、すごく、勇気が必要で、難しい国だと、思う。

出る杭は、打たれる。

長いものに巻かれよ。

な~んて、言葉に、それが、あらわれている。


そういう意味で、今回、自分をディスカウントしなかった、

宮崎県知事には、拍手を送りたい。


今や、自民党と民主党、どちらも、にたりよったりの、

古い時代の遺物となりつつあるのかもしれない。

そして、今や、行き詰ったアメリカも、欧米も、日本も、

アクエリアスの時代・・・、霊性の時代に入り、

これまでの唯物的な考え方だけではなく、

新しい思想が、必要になっているのだろうと、強く、感じる。

時代が、変わりつつあるのかもしれません。


しかしね・・・、自分の頭で考えるなという教育や、

変な平等思想が、パワハラや、いじめを誘発しているのではないかと、

私は、思う。

もともと、日本の教育は、戦前後の、富国強兵が、根っこにあるんだよね。

戦争が終わったら、

今度は、それらは、働きアリに、姿を変えられたけどね。

どちらも、国の歯車としての役割には、変わりない。


もっと、ひとりひとりが、大切にされる社会に、なればいいねえ。

目覚めなきゃね。












小さな小さな子どもたちへ

職業がら、小さな子どもが、お客様であることも多い。

今日の小さなお客様は、黄色いTシャツを着た男の子。

「あの~、カットバン、ないですか~?」

小さなお客様をご案内すると、

「キャラクターのがいい」

とのご注文。

「こちらに、○○のカットバンがありますよ」

と、声をかけると、

その小さなお客様は、「それがいい」

と、いかにも、満足そうな笑顔を浮かべて、

品物を手にする。


お客様とは、それっきりのお付き合いが多いのですが、

また、あの小さなお客様が、やってきて、

「やったーマンの、笛が届かないから、取ってちょうだい」とのこと。

高い位置にあるから、小さなお客様の手が届かない。

見ると、色が2種類。赤と青。

小さなお客様は、それらを、手にとって、難しい顔をして、一生懸命悩んだ。

そして、「これ」と、、お選びになったのは、赤い笛。

また、満足げな顔で、にっこり笑って、去っていった。


私も、なんだか、満足。


そして、再度、しばらくすると、

「やっぱり、これにした」と、

今度は、青色の笛を手に持って、見せてくれた。


「青にしたのね」

「うん」

笛の色を変えたことを、広い店内を探して、

私に、わざわざ知らせにきてくれたのだった。


そして、お母さんのところに、帰っていく、小さなお客様。

その後ろ姿を見送りながら、

なんだか、ふいに、涙が出そうになった。


あの小さなお客様に、まっすぐに、人を信頼している気持ちが

あふれているのを、感じた。

少年を通して、見えたのは、たくさんにつながっている、子どもたちの光。


子どもたち、子どもたち、

これからの苦難を、必ず、乗り越えていけと、

心から、祈らずにはおれない。

君のその輝きを失うことなく、

そして、忘れることなく、生きていけと、

そう祈る。

小さな子・・・誰の中にも、生きているはず。


小さなお客様・・・ご来店ありがとうございました。


ひきこもり2~メモ

ひきこもりの方に不登校経験者が多いのは確かですが、私は「不登校がひきこもりの原因になる」のではなく、「しっかり不登校をしなかった、させてもらえなかった」ことが、ひきこもりの背景にあるように思われます。休息が必要なときに、十分休むことができず、エネルギーが溜まりきらないうちに動きだしたために、気力も体力も続かず、今度は普通に生活するために必要な、いわば基礎的なエネルギーまで取り崩して、動けない状態になってしまった、というケースが多いように感じています。

我が子が不登校で教えてくれたことより抜粋


何度も、何度も、何度も、これまで、私自身も、これと、似たようなことを、

書いてきましたし、

不登校経験者の方も、似たようなことを言われます。

ひきこもり、不登校の根本は、小学生でも、中学生でも、高校でも、そして、

大人でも、変わらないんだと、私は、思っています。



それでも、子どもを、動かしたいと思いますか?

それが、愛情・・・なんでしょうか?

私には、よく、わかりません。。。



「校門タッチ」を、ねっとで、ぐぐってみました。

「タッチ登校」とも、呼ばれていて、

学校や文部科学省が、不登校を減らすために、推奨しているらしいですねえ。


不登校の定義は、年間、連続、30日以上、学校を休めば、

不登校と、定義されます。

しかし、校門タッチを、年間、12回すれば、

出席と認められ、不登校ではなくなるようです。

おお~。

スクールカウンセラーは、教育委員会のまわしものに、なっちゃったのか・・・。

よって、その努力のかいあって、

不登校は、前年より、減少していると、報告されている。

これで、不登校ゼロって、お上に、報告するんだよ~。

どこかの、某独裁者国家みたいじゃな~い??


ふざけた話だなあ。。。

これじゃあ、誰のための、教育で、何のための、学校なんだろうと、

思っちゃいますね~。

きっと、校長先生の地位のためと、退職した後の天下り先への、

ご機嫌取りのための、学校になったんだろうね。





ひきこもること


ひきこもり、不登校、あるいは、ニート。

まるで、小椋修さんブログみたいな、(笑)タイトルですけど。

不登校、ひきこもりには、理由が、ちゃんとあるって、

そう思うのです。

そうせざる得ない、のっぴきならない理由が、ちゃんと、あるんだと思うのです。

そこで、一番大事なのは、

「いいじゃないか、とことん、ひきこもれ!」と、

あきらめでも、前向きでも、後ろ向きでも、

子どもが、今やりたいこと、子どもに、今必要なことを、

認めるっていうか・・・親の今までの教育に対する考え方を、手放すっていうか、

ようするに、乱暴な言葉ですけど、「あきらめる」って、ことです。



「あなたが、ひきこもるのは、そりゃあ、もう、無理はないよ。」(←理解)

「そりゃあ、ひきこもりたくもなるさね」(←共感)

「でも、私は、あなたにしてやれることは、な~んにもないよ」(←自立)

「あなたが、もう、気が済むまで、やったらいいんだよ」(←子どもに、人生を返す)



な~んて、呪縛を解き放たれれば、

本人、意外と元気になっちゃったりする。


でもねえ。。。

そう言ったら、そうしてやったら、元気になるだろうなんて、

浅はかに、そして、中途半端な気持ちで、口にする言葉でもない。


親が、ある意味、まじに、へこたれて、

とことん、落としこまれて、地の底に、突き落とされて、

「もう、なんだか、いいや~」

ふと、思ったりする。

そして、「あ、もう、いいんだ」と、すっきりと、晴れ渡った空のように、

笑って言えたら、ほんとに、親も気が済んだし、

子どもも、自由になれるんだろうな。


それって、本当の意味で、執着を、手放した時なんですね。


自我で力任せに生きない

って、無色透明というブログの中に、そんな光のkimiさんの言葉がありました。

あれをしよう、これをしよう、

あれを、してもらいたい、これをしてもらいたい、

このように、生きてもらいたい、

私の子どもならば・・・

これくらい、普通に、。。。


というのが、親としての「自我」

そして、自我が、肥大していけば、弱いものから、詐取しようと、「依存」していく。

これは、大体において、強い人が、弱い人に依存するという形態がなされる。

そこんとこを、今度は、

加藤諦三さんの、本の一節より、「安心感」についての章から引用してみます。


自分より強い立場にある人が強烈な依存心をもっているとき、

人は安心感をもてない。



人は、自分の悩みや、心配ごとを、人に聞いてもらったら、

問題は、解決しなくても、癒されることが多いですね。

気持ちを、受け入れてもらうだけで、安心感を持てるんですよね~。

転んだ子どもが「痛いよ~」と泣く。

親が、「痛かったね~、よしよし」と、抱きしめて、答えれば、子どもの安心感は、

どんなにか、高まって、安心して、わんわん泣けるだろう。

それを、「おまえが、ぼ~っとしてるから、転ぶったい!」(←博多弁)

「男の子なんだから、我慢しなさい!」

なんて、言われたら、そりゃあ。。。ねえ。

辛さ、百倍ですね。

男だって、泣いていいのにね。




んで、次の一節。


強い立場にある人が依存心を持っているとき、

弱い立場にある人は、所有されることはあっても、

受け入れられることはない。

また、利用されても受け入れられることはない。

他方、弱い立場にある人は、

相手に役立つことによって評価されようとする。

そして、相手に評価されようとして、

もっと相手に役立とうとする。


この種の人が、基本的に誤解していることがある。

受け入れられないことの原因を自分に求めてしまうのである。

受け入れられないのは、相手に受け入れる能力がないからである。

この理解がたいせつである。

安心感を求めている人が、もし、この理解を欠けば、

いつまでも無駄な努力をして、自分を傷め続けることになる。

相手に役に立つことで受け入れられようと努力する人が、

その役に立つことに失敗すると、

家庭内暴力や登校拒否のようなことになる。

また、役に立つことに成功している限り、

その間違った努力を続けておとなになって神経症などになる。


安心感を持てない人は、幼いことから多くの人に「所有」はされたけれど、

「受け入れ」られることがなかった人であろう。

自分にとってたいせつな人に、

自分が受け入れられないことによって、

自分で自分を受け入れることができなかった。

したがって、安心感が持てなかった。

そして、自分にとってたいせつな人に、

他人を受け入れる能力が欠如しているから、

自分が受け入れられないのではなく、

受け入れられないのは自分がより役に立たないからだという、

決定的な誤解の上に生きてきたのである。




先ほどの親子の模擬会話で、

「おまえが、ぼ~っとしてるからだ」

と、言われた子どもは、やはり、「自分が悪いんだ」と、

誤解していくうえに、

自分は、ぼ~っとしてて、役に立たない人間なんだと、

さらに、自分に、マイナスのレッテルをはってしまうことになるでしょうねえ。


で・・・なんの話だったでしょう・・・

話が長すぎて、先に書いた文章を忘れる私。。ヾ(・_・;)チョット‥


おお、思い出した!


執着や、依存をやめて、「手放しなさい」って、ことを、書きたかったんだった!うんうん。


そうだ、そうだ。



ひきこもるには、ひきもこる理由が、あるんだと、私は思うのでした。


でも、くれぐれも、本人に、「理由を言ってちょうだい!」って、迫ったりしないでね。

だって、本人は、「自分が悪いんだ」って、誤解してるんだから・・・

誤解の上でなりたった、理由には、なんの意味がないってこと、

わかるよね~。

ネコだって、居心地のいい場所は、本能的に、知ってるものだ。

そういう場所に、無防備に、お腹を出して、ひっくり返って、ぐーすか寝てる。

かといって、ネコに、あれこれ、求めないでしょ。

求めても、しょうがないけどさあ~、

いてくれるだけで、ありがとうな、存在ですよねえ。



案外、人間も、安心できる居場所が、あれば、元気になれるんじゃないかしらね。


あ~、長い記事だった・・・

長くて、スンマセンm(_ _)mでした。






今度の選挙は、面白い・・かも

個人的に、今度の選挙は、非常に、面白く感じております。

興味の無い人は、スルーしてね。



投票率を上げたら、組織票率が、低くなる、と言われます。

組織票とは、なんぞや?

自民党にしても、民主党にしても、労働組合とか、会社団体とか、

宗教団体とか、まとまった確実な票は、とても、美味しい。

だから、票が、ある程度読めて、お決まりの、結果しか、出ない。

結果、何も変わらない。

けど、投票率が上がるってことは、

きまった支持政党が無い人たちの、どこに入れるかわかんない、「浮動票」が、

選挙の結果を、左右するってことになります。

この支持政党が無いって人たちを、どう取り込むか、

各政党、力を注いでいるんですが、

なんせ、こういう方たちは、政治自体に、興味が薄いので、選挙に行かない。

よって、体制が、いつまでたっても、変わらない。

悪循環。

政治が悪い、社会が悪い、何も変わらないとあきらめるんじゃなくて、

「自分が変えよう」と思わない限り、世の中は、永田町には、タヌキとキツネが横行して、変わんない。


某国から、ミサイル向けられて、飛ばされて、「衛星が、飛びました」とか、

言葉遊びに明け暮れて、

挙句の果ては、領海侵犯されて、「当たらなくて、良かった、良かった」と、

ほっと胸をなでおろす国って、一体、どうなのさ。

「自立」って、自分の身は、自分で守るってことだね。

これって、勇気がいることだ。

誰かが、守ってくれるって、それは、甘え。

でも、気分的に、とっても、楽だよね。



いじめられたら、身を守るってのが、筋でしょ。

いじめを無くそう、と、言っても、

家庭内虐待を無くそう、DVを無くそうといっても、

喧嘩は、しちゃいけませんって、いっても、

なくならないのが、現実・・・。

戦争は、いけません、なんて、みんな知ってるのに、なくならない。

なぜだ~?



精神面と、物質面の、両方からの、自立へのアプローチが必要。

これもまた、どちらかに、偏っちゃ、だめだよね。

愛と許しも大切。

しかし、自分を守る盾も、大切。

なんて、考えてみた。

標準




今年は、空梅雨らしい。



朝、起きるなり、ひっどい頭痛で、どよよ~~ん、としております。

最近の仕事休みの時は、いつもこんな感じではじまります。(〃_ _)ガァーン

「庭に花を咲かせましょう運動」は、いつも、そんなで、とん挫しております。(←(。・_・?)ハテ?いつから、そんな運動が!)


夫が、赴任先から、面白いもの買ってきました。
東急ハンズで、購入した「アロマUSB」ってもので、
USBに、アロマを仕込んで、パソコンに、合体させたら、
電気の熱で、アロマの香りがするって、やつです。

こ~んなの。↓

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夫と娘の会話

夫「学校、面白い?」

母の心の声(また、微妙な質問してからに・・・)

娘「・・・うん」

娘が返事に困っているのが、手に取るように分かるのでした。


母、苦笑。

もし、「面白くない」という返事がきたら、
その答えを受け止める、心の準備があるのだろうか?

ボールを投げるだけ投げて、返ってきたボールは、受け止めない、
そんな繰り返しの中で、
投げられたボールは、受け止められないことを、
子どもたちは、心に刻みつけていくのだろうか。

息子が、ずっと以前に言った
「言葉のキャッチボールじゃなくて、ボールの投げっぱなし。」

そして、「拾え」と、いわんばかりの、優しい姿をした、「強制」。
子どもの背中に抱えた、カゴは、たちまち、ボールで、あふれかえるだろう。

夫よ、子どもより先に、まず、自分を救いなさい、と、
心で思う、りんりんでした。

本人には、言いませんよ~、そんなこと~。

気づきは、本人の人生だもの。

今の日本では、夫は、特別じゃなくって、ごく、普通の、標準な人です。

「標準」な環境や、人の中にいたら、それが、標準になります。

多くの、子育て中のおかあさんにも、こういう「標準」が、まん延しているのが、

と~っても、気になります。

気になる、気になる。笑

「学校へ行く」が、不登校克服じゃあ、ないのと同じくらい、気になる・・・。

「生きる力」が、得意なことを伸ばそう、じゃあないことくらい、気になる。


通信制高校の生活

通信制の高校、定時制ってどんなとこ?

私も、息子が入学するまでは、さっぱり、想像もつかなかった高校でした。

大方の子どもたちは全日制に通う昨今ですが、

先日、とある知り合いから、「通信制の高校って、授業料は、どれくらいするの?」と聞かれました。

現在、進学先をいろいろと考えられて不安に思われている方向けに、

少し、ご紹介してみようと思います。


公立の定時制は、大体、各県に一校くらいしかありませんねえ。

息子の通う、高校は、定時制と、通信制の両方を持つ、県立高校です。

定時制は、自分で時間割を決め、卒業に必要な、必須科目を履修し、

なおかつ、決められた単位数を取れば、卒業できます。

息子の学校の定時制は、一部(朝から授業)、二部(昼から授業)、三部(夜の授業)と、

生徒のライフスタイルに合わせて、部を選べます。

不登校の子たちや、起立性障害などで、朝が弱い子たちは、二部、三部が、多いようです。

また、他の専門的な学校(美術、音楽、演劇学校、等)に通ったりしながら、

高校卒資格を取れるので、自分の目標をしっかり持っている子たちも、

かなりの高率で、いるようですよ。

学費は、普通の県立の授業料と大体、同じです。

まあ、授業形態は、l大学みたいなとこです。


そして、通信制は、すでに、就職していながら、学校へ通いたい人、

若くして子どもを育てながら、学ぶ人・・・

高校を中退したのち、再度、入学してくる人、ほんとに、様々ですね。

長い人で、9年も、在籍している人もいるとか。

息子は、試験の面接で、髪の毛が、赤や黄色の、鶏のとさかみたいな人たちや、

超ミニスカート、露出系のおねえちゃんに、カルチャーショックを受けたそうです。笑

定時制と一番違うのは、「年齢に幅がある」ということです。

息子は、中学まで、学年で仕切られていた世界で、閉そく感を感じていたので、
そこからバラエティに富んだ、異年齢の中に入って、
その、ゆるい人間関係が、息子を、かなり、癒してくれたと思います。

年上の人たちから、かなり、かわいがってもらっているようです。

そして、最初「こ、こわい、ヤンキーさんや・・・」と思っていた人たちは、
みかけとは、違って、とても、いい人たちだったのでした。

最近の傾向としては、中学から、直で、通信制に入ってくる子たちが、
増えているそうです。
そういう子たちは、互いに、中学や小学校で、心に傷を抱えている子たちだと、
わかっているので、そういう、部分には、触れないらしい。

毎年、1000人近くの生徒が入学してきます。が、
卒業生は、毎年、300人くらい。

3年で卒業する子もいれば、7年、8年かけて、ゆっくり、卒業していく子もいる。
形態は、様々です。

授業は、土日。
息子の学校は、水曜日のみ、地区に分かれて、学習会が、夜に開かれています。
学習会の運営は、ほとんど、生徒でされています。

息子が、通信制に入ったころ、はたして、レポートをちゃんと提出していけるのか、
母は、とても、不安でした。
私の不安から、サポート校を勧めたことも、あったけれど、
息子は、頑として、そういう類の学校は、拒否しました。

半年たち、次第に友達ができはじめました。
レポートも、遅れたり、忘れたりしながらも、出してたようです。
「ようです」というのは、最初の2~3か月くらいは、心配していたのですが、
その後は、ほとんど、関知しませんでした。
「わかんな~い」というのが、正直なところです。

卒業は、何年かかっても、いいし、
ゆっくりと、自分のペースでやってくれればと、
それが、基本形でしたので。
何よりも、自分を取り戻す時間に、して欲しいと思っていました。

今だったら、わかりますねえ。
それまで、息子の心を受け止めることをせず、看守のように
逐一、監視することだけに、力を注いできたから、
不登校という形で、心身症に、なったのだと。


話それました。(汗;

74単位取れば、卒業可能なので、
3年間の予定でしたら、一年で、25単位~28単位取れば、ほぼ、3年で卒業可能ですね。
4年計画でしたら、もっと、少なくてOK。

授業料は、一単位の履修で、2~300円だったかと思います。
たぶん。
授業料も、教科書代込みで、一年間で、5万あれば、十分というお安さです。

しかし、これが、私立の通信制やサポート校になると、お高い値段になるようです。
知り合いによると、私立高校と同じか、それよりも、ちょっと、高いと言っていました。

サポート校か、通信制のみか・・・悩むところではありますが、
うちの息子のように、同年代だけの集まりが、きついと感じるお子様は、
サポート校も、きつく感じることがあるかもしれません。

それは、もう、「運」と「出会い」ですね。


また、行事には、まめに顔を出したら、知り合いなど、増えるのですが、
一人じゃ、なかなか、、難しい部分もあるかもしれません。

反対に、息子は、中学の知り合いがいない気楽さのためか、
割に精力的に、行事に参加しているうちに、役員さんたちと、仲良くなり、
いつの間にやら、総務に引きづり込まれ、役員をやるようになりました。

学習会でも、できるだけ、一人で、しょんぼりしている子が出ないように、
役員さんたちも、気を配っているようです。


しかし、いろいろな事情をかかえている子たちが多いのも、事実で、
時々、「○○地区の子が、自殺したらしい」と、そんな悲しい話も聞きます。

よって、学校へ行くことが、きっかけとなり、いい方向へすすめば良いのですが、
普通の高校でも、通信制でも、定時制に行くにしても、
「高校くらいでていなければ、恥ずかしい」
「高校出ていなくて、どうするの」という親の思いが、
子どもたちを苦しめることも、多々あるということは、
知っていて欲しいなあと思います。

学校へ行く前に、まず、そういう気持ちがあるか、ないか、
親の方が、自分の心の点検は、しておきたいものです。
それから、子どもが、自分で、行きたい学校を選ぶのです。
あるいは、自分に学校が、必要がどうか、ですね。

ストローク飢餓の子どもたちは、ついつい、
親の奥底の気持ちをくみ取って、
いい子を演じるので、本音がわかりにくいところがありますが、
私は、思うのですよ。
親は、本当は、我が子を見ながら、
違和感を抱いているんじゃないかなあと。
子どもの気持ちが、本当は、見えているのに、
親の気持ちを押しつけたいばかりに、見えないふりをしているんじゃないかって。
だから、少しでも子どもが不安を見せたり、
黙りこんだりしたら、あせって、自分の描いた軌道に、乗せちゃおうって、
しちゃうんじゃないかあなあって。

あ、また、話が、それました。


もどりま~す。


そうそう、通信制高校、部活も、ありますよ。
多くは無いですけどね。

年間行事も、体育祭、予選会、全体遠足、地区遠足、修学旅行、クラスマッチ。
学習会では、歓迎会、クリスマス会などもやってますね。

行事は、結構、多いのです。

定時制と通信制、それぞれ、いいところ、あるわけですが、
人生観変わったと、息子が言うので、行ったところが、いいところだったというのが、
本日の落ちで。



今、生徒総会の準備で、忙しい息子が、面白い話をしてました。

生徒総会で、学校への要望という、コーナーがあるのですが、
新入生のアンケート要望の中に、
「○○地区の役員の人が、とても、怖いです」
というのが、結構な枚数あったそうな。
その地区は、息子の地区では無かったのですが、
その地区の役員さんたちは、ド派手な人が多いらしくて、
たぶん、中学から直で、入ってきた新入生には、強烈だったのでしょうね。
そのアンケートは、総務の中で、かなりの、笑い話になってたようです。
息子さん「気持ちはわかるけど・・・。話せば、そう無いんだけどなあ」と、苦笑してました。

息子が通っている、通信制って、そんなとこです。

疑似親



今日のBGM^^に、どうぞ。



日々の暮らしの中で、揺れることやブレることは、多々ある。

落ち込むこともあるし、悩むことも多々。

しかし、以前と違うのは、中心は、ぶれないでいられることだろう。

私の中心というのは、自己肯定であり、自分を信じる力であり、

自分の中の幼き魂・・・大切なインナーチャイルドを守れるってことだ。

世の中は、実の親を筆頭に、他人を詐取しようとする人々で、

満ちあふれている。

かつては、奪われた「核」を取り戻さんと、

おもちゃを横取りされないように、幼児のように、必死にもがいていた。


しかし、奪われたものは、何一つないのだと、気づいたころから、

気持ちが、自分の中に、ストンとはまった。

気づきにも、いろんな段階があるのだろうと思うが、

最初は、知識として、きづく。

それから、体験として気づく。

その後、実際に、気持ちが、ストンと落ちる。

「AHA体験」とも、呼ばれますが、

点と点が、つながって、線に、なる瞬間。


しかし、現実の親(あるいは、世間の常識)というものは、変わりようがない。

大体において、自分をACと自認する子どもたちにとって、

「親に変わって欲しい」という願いは、無視されるか、スルーされる。


たとえば、みのもんたの「朝ズバっ」で、

秋葉原事件一年の特集をされていたそうだが、

カウンセラーの中尾さんのインタビューを、

みのは、心で聞けないらしい。

中尾さんは、「なぜ、その事件が起こったのか」

「どうしたら、悲惨な事件を防ぐことができるのか」

心のコップのメカニズムをもって、そういう、話をされたのではないかと思う。

思う・・・というのは、私は、残念ながら、そのTVを見逃してしまったので、

視聴された方の感想を、拾ってみたら、

なんだか、情景を、見ずとも、目に浮かぶような気がした。

おそらく、出演した、中尾先生も、そのようなことは、

事前に知っておられることだったろう。

「こういう時代では、道も安全に歩けませんね~」

という、みのの、コメントに、私は、変わろうとしない親の立ち位置を重ねる。




気づいたものにしか、変えられない、

その役割を担った人々・・・ACの定めは、

ひどく重く残酷だ。

しかしながら、私は、楽観もしているところもある。

かつては、「なぜ、私の代で、世代間連鎖を断ち切る役目なんだろう」

自分の役目が、悲しく、つらく、重かった時期もあった。

しかし、この変革の時期があったからこそ、

次に手渡せる荷物は、少しでも軽くできる。

連綿と続く、世代の受け渡しの中で、

私の役割が、あるのなら、そして、そういう人々が、

苦しみながら、悩みながら、血反吐をはきながら、

歩む行為は、未来の希望へとつながっていると信じることができる。

今は、私は、変革を起こす(した)役割者として、誇りを持っている。


人によっては、親を見限らなければならない自分と、

親に愛されたいチャイルドの狭間で、それぞれの答えは、違うこともあるだろう。

自分に折り合いをつける方法も、また、様々だろう。


今、振り返ると、

私には、二人目の父親と、二人目の母親のモデルがあった。

疑似親ともいうべき人たちの存在だ。


父親のように、おだやかで、ただ、そこに居てくれる人。

見守る人、日だまりの人。

失敗をしても、決して、非難したり、怒り狂ったり、しない人。

私は、時々、たつさんのことを、冗談めかしながらも、情愛を込めて「お父さん」と呼ぶ。



そして、母親のように、やさしく、受け止めてもらえる、お母さん。

時には、姉妹のように、

時には、おろおろしながらも、黙って見守ってくれる、お母さん。

時には、小言も、言い、時には、一緒に笑いあい、抱き合い

互いのドジぶりも、半端なく、飾らず、

特別ではなく、普通のお母さん。

彼女の思春期の子育てを身近でみながら、

私も、ほっこりとした気持ちになれる。
(こちらは、会社の人です↑)



二人とも、何を言ってくれるとか、何をしてくれたとか、そういうものでもなく、

ただ、「そのままの私」を、そのまま、見守ってくれる。



このお父さんとお母さんに出会えたことは、

私にとっては、「核」となるものだった。


親って、何もする必要は、ないんだよね。

必要なとき、必要なだけ、そばにいてくれたら、

それで、いいんだ。

歩きやすいよう、目の前の小石を拾って、

道を整える必要もなく、

ばれないように、後ろから、押すことも、する必要もなく、

人は、じぶんの歩く道は、自分が一番よく知っているものなのだから、

親の存在は、おだやかに、ただ、安心できる場所で、あればいいんだと、思う。

心配という言葉は、自分を格づけるためには、

格好の言いわけだけれど、

自分の気持ちさえ、ままならぬ状態で、子どもの心配もあったものでも、

なかろうに。

幸せであるということは、

「子どもが、思ったとおりに育ち、世間並み」であることでもなく、

「海外に旅行へ行く」ことでもなく、

「お金がたんまりある」ことでもなく、

「すてきな仕事ができる」ことでもなく、

自分が、自分のままで、いられること。

労災の理由が、心の病が過去最多に、なった昨今。

薬でごまかすのではなく、

なぜ、そのような状態になったのか、

心の悲鳴に、耳を傾けるチャンスでもある。





そんな簡単なことなのに、

いろんなものをくっつけて、

いろんな言いわけを作って、いろんな言葉をつくって、

いろんな、借り物の納得を作って、

自分の孤独を、ごまかそうと、

子どもや家族や人を、そして、自分を利用するなんて・・・

そんな悲しいことを、するものじゃないって、

おとうさんと、おかあさんの、背中を見ながら、思うのだ。


私も、かつては、寂しさで、いっぱいの心を埋めるために、

底なしの沼に、何かをせっせと、一生懸命詰め込んでいた。

千と千尋の神かくしの、顔なしのように。

大きく見せよう、えらく見せよう。

だから、「私を愛して」。



ほんとは、なんにもいらないって、わかった今。

シンプルに。

ただシンプルに。

子どもたちを見守る。

家族を見守る。

そして、シンプルに、自分と共に歩む。


おとうさんに、出会えてよかったよ。

おかあさんに出会えてよかったよ。

そうやって、私の中の「お父さん」と「お母さん」のイメージは、

壊され、何度もリロードされるのだった。


ありがとう part 2

eggiさんの、ディクシーちゃんが、昨夜、虹の橋を渡りました。

http://blog.livedoor.jp/dixie1996/


たくさ~んのありがとうを、送ります。




私の人生の転換期は、

犬の病気が、すべてのはじまりでした。

私が、「ひいらぎ」に、なった時でした。

私のネット生活がはじまりました。



たくさんの友達に出会いました。

たくさんの勇気をもらいました。

たくさんの知恵をもらいました。

あの時から、人生の、何かが、変わり始めました。

「闘病」とは、言いますが、

楽しい闘病でした。

そのおかげで、出会うべく人たちに、出会えたのですから。

きっと、eggiさんも、同じように感じておられることでしょう。


たくさんの、ありがとうを、出会った方に、

これから出会う方に。


「ひいらぎ(柊)」は、西洋の聖なる魔よけの印。

「りんりん(鈴々)」は、日本では、魔を払う鈴。


私は、無意識に、こういう名前にひかれたのだなあと、

改めて思うのでした。


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