author : rinrin
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あなたは、もう、許されている
2009-06-30 Tue 23:18
もう一つのブログ、

「心おだやかにいきるために」の、

本日アップした記事を紹介します。


この「マグダラのマリアの物語」には、

実に、感慨深い思い出があります。

今日は、その頃のことを、懐かしく、思い出しながら、

アップしました。


私は、当時、インナーチャイルドのエクササイズの、ひとつの佳境に入ったころでした。

そして、どうしても、越えられない山を迎えていました。


それは、「罪悪感」。


ここを、越えられなくて、

身もだえするような気持ちを持て余していました。

理屈では、自分を必要以上に責めることは、

何の益も無いことなど、分かっていました。

しかし、理性では、越えられない、壁が立ちふさがっていました。

それは、アダルトチルドレンたちが、陥る、

成育歴による間違った刷り込みによるものであると、

分かっていてもです。

理屈では分かっていても、感情が、納得できなくて、

ずいぶん、苦しんだ記憶があります。


そんなとき、tatsuさんが、書いてくださった文章が

この「マグダラのマリアの物語」でした。


この物語を読んだ時、

私は、パソコンの前で、号涙していました。

そして、ずいぶん、長い時間、泣いていたと思います。

いろいろなビジョンが、頭の中に浮かび、

私自身が、罪を犯したマグダラのマリアに共鳴していました。

いえ、共鳴・・・という、生易しいものではなく、マリアそのものでした。


「さあ、行きなさい」

そうイエスに言われた、ボロ布をまとった、マリアの心情を思うと、

今でも、泣けて、泣けてしょうがありません。


人生を生きていくなかで、その道中に、

誰もが、罪を背負っていかざるを得ないこともある。

そういう理不尽と思われる人生の中で、

必死で、生き残ってきた人々・・・

それが、マグダラのマリアであり、傷を負った人たちであり、弱さであり、

アダルトチルドレンたちだと、そう、思うのです。


聖書の中では、ほんの短いお話でしかないのですが、

tatsuさんオリジナルの、このマグダラのマリアに、

この頃の私は、ずいぶんと救われました。


物語は、人を癒す力を持つこと、

信仰は、人を強くすることを、

許すこととは、どういうことか、

それらを、この圧倒的な、慈愛の物語で、

追体験して、知った時でもありました。



「さあ、行きなさい」


この力強い、言霊の力に、浄化されていきました。


そして、さらに、次回アップする予定の(2)において、

>「私は、あなたの罪を許します」

という、イエスの言葉に、打ちのめされるように、

ぼろぼろに、泣き崩れてしまったのでした。


ワタシの罪を許すことのできる、あなたは、ダレ?

根源的な問いが、

私の、心の奥から、湧き出てきたのを、今でも、鮮やかに、覚えています。

その問いは、疑いではなく、暖かく、やさしく、穏やかに、

確信をもって、私の中から、現れたのでした。


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支えるもの~ジュピター~
2009-06-30 Tue 13:48




ずっと、迷っていたことがあります。

私が仕事を始めたのは、ほぼ、2年くらい前でした。

それ以前、身近な個人的な問題や、家族の問題で、疲弊し、

ほぼ、ひきこもり主婦していたのでしたが、

仕事を決めたころには、インナーチャイルドのエクササイズも、ひと段落し、

自分を実社会で、試してみたいと、単純に、そういう気持ちが湧いてきていました。


もちろん、経済的な部分の理由もかなりあったのですが、

そうして、働き始めて、2年過ぎました。


それまでは、私自身、自己肯定感が低く、

しかも、もろもろに、精神的に弱い部分があり、

そういう負の遺産を、どこかで、解消したいと、思っていました。

そして、霊的な部分が強すぎたためか、

社会生活の中でも、ずっと、

違和感を感じて生きてきました。

幸い、主婦でしたので、男性のように、

家族を養うために、働かねばならないという部分がなくてすんだことには、

ほんとに、感謝してます。

私が、男であったなら、きっと、今以上の

社会的な負荷に、海の藻屑と化していたかもしれません。


いや、笑いごっちゃなくて・・・ほんと。



で、そういうアンバランスな傾向性をどうにかしたいなあ~、

と、現実社会に飛び出したのが、2年前でした。


そして、いろんなことを発見しました。

楽しい経験もさせてもらえました。

しかし、今、職場は、いろいろ、本社の意向が変化し続けて、

当初の契約は、反故にされ、

このまま居続けたら、壊れそうな気配がしてきました。

人間関係の調整も、もう、限界になってきました。

ひとりひとりが、抱えている仕事が、キャパを超え始めたとき、

職場の人間関係の、崩壊が、すでに、始まっているような感じを受けます。

あまりのストレスに、

最近では、デパスのお世話になっちゃいまして^^;

この不況時・・・そんなことも言ってられないというのが、

本当なのですけどね。


子どもたちには、いつも、「無理は、したらだめよ」と言う私に、

「おかあさんもね。」と見透かされてますね。


自分を大切にすることや、自分を守ることと、

社会で、働くということは、すごく矛盾することが、多いのですが、

その中で、自分を保つということの、難しさを感じます。


当初の、社会で、自分を試すという実験は、もう、終わったんでしょう。

今度は、自分を守りながら、そして、生活も、大切にしながら、

さらには、精神生活も、充実させたいと、

そんな、ことを思うようになりました。

おそらく、今年いっぱいで、今の仕事は、いったん、引き上げる

そんな、気持ちでいます。

まだ、あと、半年ほど、ありますけれど、

引き時も、大切でしょうか。

そんな気持ちでいます。


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かわゆい(*≧∀≦)
2009-06-29 Mon 02:46
CA3C0050.jpg

近所のコンビニの屋根の下で。

お父さんとお母さんを待ってる子たち。


か、かわゆい

元気に育てよ~。


.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+。.:*・゚+。.:*・゚ >

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遊ぶ
2009-06-25 Thu 22:30
もう、あと2カ月ほどで、息子さんは、18歳になります。

今年度が、卒業年度で、受験でもありますけれど、

遊びも、それ以上に、とっても、熱心です。

最近、お泊りで、友達のうちで、夜を明かしたり、

平日も、お呼びがかかったり、とても、楽しそうにしています。

昨夜も、

夜の8時に、携帯から、電話してきて、

「今、箱崎の公園~」と、はしゃいだ声。
(↑D地区のたまり場と化している)

「遅くなるよ」と。

「いいよ~」

誰と、どこで、何をしてるのか、こちらから、聞きもしないけれど、

息子は、ひとしきり、楽しそうな声で、しゃべる。

「うんうん」

「あ、そうなの~」と、聞いていると、

なんだか、こっちまで、嬉しくなる。

そして、結局、今朝になっても帰宅しなかったようで、

一応、仕事に行く前に、

「生きてる~?」と、メールを入れると

「ばりばり、生きてる~」だって。

私は、にやりと、笑って、仕事に出かけた。

仕事が終わって、家に帰ると、

昨夜から、今朝にかけての様子を、

待ってましたとばかりに、キッチンに立つ私の横で、

楽しそうに、話してくれる。

ひとしきり、話し終わると、満足げに、ゲームをやってる。

そういうところは、まるで、小学生?(笑)


う~んと、バカやって、う~んと、遊んで

はめはずして、そんな遊び方は、今しかできない。

また、明日は、役員フルメンバーで、香椎浜で、

花火をする予定になっているそうだ。

たぶん、明日も、帰ってこないとみた(笑)


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自分をディスカウントしない
2009-06-24 Wed 08:47
宮崎県知事で有名な○○原知事のニュースが、朝のワイドショウを賑わしている。

自民党からの出馬要請に対しての返答の一部に、

「私を総裁候補として戦う覚悟はあるか?」との返答。

大阪の橋本知事は、「度胸があるなあ」と言われていた。

古参の自民党議員は、「ふん、ばかばかしい」と一言。



賛否両論は、いろいろあるだろうけれど、

今の政治というシステムを熟知しておられるからこその発言だと、

感じるのですよね。


今までの、宮崎県知事としての、動きをみてきて、

ただの、名誉欲とは、とても、思えない。

自民党(に限らず)は、派閥やら、しがらみやらで、

肥大しすぎて、さっぱり、身動きができなくなっている。

票が伸び悩むこの時期、票獲得の一部の歯車にするべく思考回路の、

打診は、素人でもわかる。

たとえ、自民党から出馬したとして、

当選しても、新人の議員には、なんの権限もなく、

ただの、派閥の構成員の一人にしか、ならない。

知事は、そういう現実を、知っておられるのだろうね。

そして、駒のひとつになるだろうことも。

それでは、日本は、変えられないということも。


それは、まるで、

親が子に対して、

先生が生徒に対して、

力の強いものが弱いものに対して、

「おまえは、何も、自分で考える必要は、ないんだ。

黙って、言うことをきけ。そうしたら、安泰な、未来を約束する」

と、言うようなものだろう。

日本社会や教育は、自分の頭で物事や、考えることを、

否定するシステムが出来上がっている。

そんなシステムから、脱して、

「歯車なんかには、ならない。私は、私の想いで生きていく」

と、表明することは、すごく、すごく、勇気が必要で、難しい国だと、思う。

出る杭は、打たれる。

長いものに巻かれよ。

な~んて、言葉に、それが、あらわれている。


そういう意味で、今回、自分をディスカウントしなかった、

宮崎県知事には、拍手を送りたい。


今や、自民党と民主党、どちらも、にたりよったりの、

古い時代の遺物となりつつあるのかもしれない。

そして、今や、行き詰ったアメリカも、欧米も、日本も、

アクエリアスの時代・・・、霊性の時代に入り、

これまでの唯物的な考え方だけではなく、

新しい思想が、必要になっているのだろうと、強く、感じる。

時代が、変わりつつあるのかもしれません。


しかしね・・・、自分の頭で考えるなという教育や、

変な平等思想が、パワハラや、いじめを誘発しているのではないかと、

私は、思う。

もともと、日本の教育は、戦前後の、富国強兵が、根っこにあるんだよね。

戦争が終わったら、

今度は、それらは、働きアリに、姿を変えられたけどね。

どちらも、国の歯車としての役割には、変わりない。


もっと、ひとりひとりが、大切にされる社会に、なればいいねえ。

目覚めなきゃね。












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小さな小さな子どもたちへ
2009-06-22 Mon 01:29
職業がら、小さな子どもが、お客様であることも多い。

今日の小さなお客様は、黄色いTシャツを着た男の子。

「あの~、カットバン、ないですか~?」

小さなお客様をご案内すると、

「キャラクターのがいい」

とのご注文。

「こちらに、○○のカットバンがありますよ」

と、声をかけると、

その小さなお客様は、「それがいい」

と、いかにも、満足そうな笑顔を浮かべて、

品物を手にする。


お客様とは、それっきりのお付き合いが多いのですが、

また、あの小さなお客様が、やってきて、

「やったーマンの、笛が届かないから、取ってちょうだい」とのこと。

高い位置にあるから、小さなお客様の手が届かない。

見ると、色が2種類。赤と青。

小さなお客様は、それらを、手にとって、難しい顔をして、一生懸命悩んだ。

そして、「これ」と、、お選びになったのは、赤い笛。

また、満足げな顔で、にっこり笑って、去っていった。


私も、なんだか、満足。


そして、再度、しばらくすると、

「やっぱり、これにした」と、

今度は、青色の笛を手に持って、見せてくれた。


「青にしたのね」

「うん」

笛の色を変えたことを、広い店内を探して、

私に、わざわざ知らせにきてくれたのだった。


そして、お母さんのところに、帰っていく、小さなお客様。

その後ろ姿を見送りながら、

なんだか、ふいに、涙が出そうになった。


あの小さなお客様に、まっすぐに、人を信頼している気持ちが

あふれているのを、感じた。

少年を通して、見えたのは、たくさんにつながっている、子どもたちの光。


子どもたち、子どもたち、

これからの苦難を、必ず、乗り越えていけと、

心から、祈らずにはおれない。

君のその輝きを失うことなく、

そして、忘れることなく、生きていけと、

そう祈る。

小さな子・・・誰の中にも、生きているはず。


小さなお客様・・・ご来店ありがとうございました。


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ひきこもり2~メモ
2009-06-18 Thu 21:56
ひきこもりの方に不登校経験者が多いのは確かですが、私は「不登校がひきこもりの原因になる」のではなく、「しっかり不登校をしなかった、させてもらえなかった」ことが、ひきこもりの背景にあるように思われます。休息が必要なときに、十分休むことができず、エネルギーが溜まりきらないうちに動きだしたために、気力も体力も続かず、今度は普通に生活するために必要な、いわば基礎的なエネルギーまで取り崩して、動けない状態になってしまった、というケースが多いように感じています。

我が子が不登校で教えてくれたことより抜粋


何度も、何度も、何度も、これまで、私自身も、これと、似たようなことを、

書いてきましたし、

不登校経験者の方も、似たようなことを言われます。

ひきこもり、不登校の根本は、小学生でも、中学生でも、高校でも、そして、

大人でも、変わらないんだと、私は、思っています。



それでも、子どもを、動かしたいと思いますか?

それが、愛情・・・なんでしょうか?

私には、よく、わかりません。。。



「校門タッチ」を、ねっとで、ぐぐってみました。

「タッチ登校」とも、呼ばれていて、

学校や文部科学省が、不登校を減らすために、推奨しているらしいですねえ。


不登校の定義は、年間、連続、30日以上、学校を休めば、

不登校と、定義されます。

しかし、校門タッチを、年間、12回すれば、

出席と認められ、不登校ではなくなるようです。

おお~。

スクールカウンセラーは、教育委員会のまわしものに、なっちゃったのか・・・。

よって、その努力のかいあって、

不登校は、前年より、減少していると、報告されている。

これで、不登校ゼロって、お上に、報告するんだよ~。

どこかの、某独裁者国家みたいじゃな~い??


ふざけた話だなあ。。。

これじゃあ、誰のための、教育で、何のための、学校なんだろうと、

思っちゃいますね~。

きっと、校長先生の地位のためと、退職した後の天下り先への、

ご機嫌取りのための、学校になったんだろうね。





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ひきこもること
2009-06-17 Wed 23:10

ひきこもり、不登校、あるいは、ニート。

まるで、小椋修さんブログみたいな、(笑)タイトルですけど。

不登校、ひきこもりには、理由が、ちゃんとあるって、

そう思うのです。

そうせざる得ない、のっぴきならない理由が、ちゃんと、あるんだと思うのです。

そこで、一番大事なのは、

「いいじゃないか、とことん、ひきこもれ!」と、

あきらめでも、前向きでも、後ろ向きでも、

子どもが、今やりたいこと、子どもに、今必要なことを、

認めるっていうか・・・親の今までの教育に対する考え方を、手放すっていうか、

ようするに、乱暴な言葉ですけど、「あきらめる」って、ことです。



「あなたが、ひきこもるのは、そりゃあ、もう、無理はないよ。」(←理解)

「そりゃあ、ひきこもりたくもなるさね」(←共感)

「でも、私は、あなたにしてやれることは、な~んにもないよ」(←自立)

「あなたが、もう、気が済むまで、やったらいいんだよ」(←子どもに、人生を返す)



な~んて、呪縛を解き放たれれば、

本人、意外と元気になっちゃったりする。


でもねえ。。。

そう言ったら、そうしてやったら、元気になるだろうなんて、

浅はかに、そして、中途半端な気持ちで、口にする言葉でもない。


親が、ある意味、まじに、へこたれて、

とことん、落としこまれて、地の底に、突き落とされて、

「もう、なんだか、いいや~」

ふと、思ったりする。

そして、「あ、もう、いいんだ」と、すっきりと、晴れ渡った空のように、

笑って言えたら、ほんとに、親も気が済んだし、

子どもも、自由になれるんだろうな。


それって、本当の意味で、執着を、手放した時なんですね。


自我で力任せに生きない

って、無色透明というブログの中に、そんな光のkimiさんの言葉がありました。

あれをしよう、これをしよう、

あれを、してもらいたい、これをしてもらいたい、

このように、生きてもらいたい、

私の子どもならば・・・

これくらい、普通に、。。。


というのが、親としての「自我」

そして、自我が、肥大していけば、弱いものから、詐取しようと、「依存」していく。

これは、大体において、強い人が、弱い人に依存するという形態がなされる。

そこんとこを、今度は、

加藤諦三さんの、本の一節より、「安心感」についての章から引用してみます。


自分より強い立場にある人が強烈な依存心をもっているとき、

人は安心感をもてない。



人は、自分の悩みや、心配ごとを、人に聞いてもらったら、

問題は、解決しなくても、癒されることが多いですね。

気持ちを、受け入れてもらうだけで、安心感を持てるんですよね~。

転んだ子どもが「痛いよ~」と泣く。

親が、「痛かったね~、よしよし」と、抱きしめて、答えれば、子どもの安心感は、

どんなにか、高まって、安心して、わんわん泣けるだろう。

それを、「おまえが、ぼ~っとしてるから、転ぶったい!」(←博多弁)

「男の子なんだから、我慢しなさい!」

なんて、言われたら、そりゃあ。。。ねえ。

辛さ、百倍ですね。

男だって、泣いていいのにね。




んで、次の一節。


強い立場にある人が依存心を持っているとき、

弱い立場にある人は、所有されることはあっても、

受け入れられることはない。

また、利用されても受け入れられることはない。

他方、弱い立場にある人は、

相手に役立つことによって評価されようとする。

そして、相手に評価されようとして、

もっと相手に役立とうとする。


この種の人が、基本的に誤解していることがある。

受け入れられないことの原因を自分に求めてしまうのである。

受け入れられないのは、相手に受け入れる能力がないからである。

この理解がたいせつである。

安心感を求めている人が、もし、この理解を欠けば、

いつまでも無駄な努力をして、自分を傷め続けることになる。

相手に役に立つことで受け入れられようと努力する人が、

その役に立つことに失敗すると、

家庭内暴力や登校拒否のようなことになる。

また、役に立つことに成功している限り、

その間違った努力を続けておとなになって神経症などになる。


安心感を持てない人は、幼いことから多くの人に「所有」はされたけれど、

「受け入れ」られることがなかった人であろう。

自分にとってたいせつな人に、

自分が受け入れられないことによって、

自分で自分を受け入れることができなかった。

したがって、安心感が持てなかった。

そして、自分にとってたいせつな人に、

他人を受け入れる能力が欠如しているから、

自分が受け入れられないのではなく、

受け入れられないのは自分がより役に立たないからだという、

決定的な誤解の上に生きてきたのである。




先ほどの親子の模擬会話で、

「おまえが、ぼ~っとしてるからだ」

と、言われた子どもは、やはり、「自分が悪いんだ」と、

誤解していくうえに、

自分は、ぼ~っとしてて、役に立たない人間なんだと、

さらに、自分に、マイナスのレッテルをはってしまうことになるでしょうねえ。


で・・・なんの話だったでしょう・・・

話が長すぎて、先に書いた文章を忘れる私。。ヾ(・_・;)チョット‥


おお、思い出した!


執着や、依存をやめて、「手放しなさい」って、ことを、書きたかったんだった!うんうん。


そうだ、そうだ。



ひきこもるには、ひきもこる理由が、あるんだと、私は思うのでした。


でも、くれぐれも、本人に、「理由を言ってちょうだい!」って、迫ったりしないでね。

だって、本人は、「自分が悪いんだ」って、誤解してるんだから・・・

誤解の上でなりたった、理由には、なんの意味がないってこと、

わかるよね~。

ネコだって、居心地のいい場所は、本能的に、知ってるものだ。

そういう場所に、無防備に、お腹を出して、ひっくり返って、ぐーすか寝てる。

かといって、ネコに、あれこれ、求めないでしょ。

求めても、しょうがないけどさあ~、

いてくれるだけで、ありがとうな、存在ですよねえ。



案外、人間も、安心できる居場所が、あれば、元気になれるんじゃないかしらね。


あ~、長い記事だった・・・

長くて、スンマセンm(_ _)mでした。






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今度の選挙は、面白い・・かも
2009-06-16 Tue 11:53
個人的に、今度の選挙は、非常に、面白く感じております。

興味の無い人は、スルーしてね。



投票率を上げたら、組織票率が、低くなる、と言われます。

組織票とは、なんぞや?

自民党にしても、民主党にしても、労働組合とか、会社団体とか、

宗教団体とか、まとまった確実な票は、とても、美味しい。

だから、票が、ある程度読めて、お決まりの、結果しか、出ない。

結果、何も変わらない。

けど、投票率が上がるってことは、

きまった支持政党が無い人たちの、どこに入れるかわかんない、「浮動票」が、

選挙の結果を、左右するってことになります。

この支持政党が無いって人たちを、どう取り込むか、

各政党、力を注いでいるんですが、

なんせ、こういう方たちは、政治自体に、興味が薄いので、選挙に行かない。

よって、体制が、いつまでたっても、変わらない。

悪循環。

政治が悪い、社会が悪い、何も変わらないとあきらめるんじゃなくて、

「自分が変えよう」と思わない限り、世の中は、永田町には、タヌキとキツネが横行して、変わんない。


某国から、ミサイル向けられて、飛ばされて、「衛星が、飛びました」とか、

言葉遊びに明け暮れて、

挙句の果ては、領海侵犯されて、「当たらなくて、良かった、良かった」と、

ほっと胸をなでおろす国って、一体、どうなのさ。

「自立」って、自分の身は、自分で守るってことだね。

これって、勇気がいることだ。

誰かが、守ってくれるって、それは、甘え。

でも、気分的に、とっても、楽だよね。



いじめられたら、身を守るってのが、筋でしょ。

いじめを無くそう、と、言っても、

家庭内虐待を無くそう、DVを無くそうといっても、

喧嘩は、しちゃいけませんって、いっても、

なくならないのが、現実・・・。

戦争は、いけません、なんて、みんな知ってるのに、なくならない。

なぜだ~?



精神面と、物質面の、両方からの、自立へのアプローチが必要。

これもまた、どちらかに、偏っちゃ、だめだよね。

愛と許しも大切。

しかし、自分を守る盾も、大切。

なんて、考えてみた。
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標準
2009-06-16 Tue 10:48



今年は、空梅雨らしい。



朝、起きるなり、ひっどい頭痛で、どよよ~~ん、としております。

最近の仕事休みの時は、いつもこんな感じではじまります。(〃_ _)ガァーン

「庭に花を咲かせましょう運動」は、いつも、そんなで、とん挫しております。(←(。・_・?)ハテ?いつから、そんな運動が!)


夫が、赴任先から、面白いもの買ってきました。
東急ハンズで、購入した「アロマUSB」ってもので、
USBに、アロマを仕込んで、パソコンに、合体させたら、
電気の熱で、アロマの香りがするって、やつです。

こ~んなの。↓

CA3C0048.jpg





夫と娘の会話

夫「学校、面白い?」

母の心の声(また、微妙な質問してからに・・・)

娘「・・・うん」

娘が返事に困っているのが、手に取るように分かるのでした。


母、苦笑。

もし、「面白くない」という返事がきたら、
その答えを受け止める、心の準備があるのだろうか?

ボールを投げるだけ投げて、返ってきたボールは、受け止めない、
そんな繰り返しの中で、
投げられたボールは、受け止められないことを、
子どもたちは、心に刻みつけていくのだろうか。

息子が、ずっと以前に言った
「言葉のキャッチボールじゃなくて、ボールの投げっぱなし。」

そして、「拾え」と、いわんばかりの、優しい姿をした、「強制」。
子どもの背中に抱えた、カゴは、たちまち、ボールで、あふれかえるだろう。

夫よ、子どもより先に、まず、自分を救いなさい、と、
心で思う、りんりんでした。

本人には、言いませんよ~、そんなこと~。

気づきは、本人の人生だもの。

今の日本では、夫は、特別じゃなくって、ごく、普通の、標準な人です。

「標準」な環境や、人の中にいたら、それが、標準になります。

多くの、子育て中のおかあさんにも、こういう「標準」が、まん延しているのが、

と~っても、気になります。

気になる、気になる。笑

「学校へ行く」が、不登校克服じゃあ、ないのと同じくらい、気になる・・・。

「生きる力」が、得意なことを伸ばそう、じゃあないことくらい、気になる。


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通信制高校の生活
2009-06-14 Sun 02:00
通信制の高校、定時制ってどんなとこ?

私も、息子が入学するまでは、さっぱり、想像もつかなかった高校でした。

大方の子どもたちは全日制に通う昨今ですが、

先日、とある知り合いから、「通信制の高校って、授業料は、どれくらいするの?」と聞かれました。

現在、進学先をいろいろと考えられて不安に思われている方向けに、

少し、ご紹介してみようと思います。


公立の定時制は、大体、各県に一校くらいしかありませんねえ。

息子の通う、高校は、定時制と、通信制の両方を持つ、県立高校です。

定時制は、自分で時間割を決め、卒業に必要な、必須科目を履修し、

なおかつ、決められた単位数を取れば、卒業できます。

息子の学校の定時制は、一部(朝から授業)、二部(昼から授業)、三部(夜の授業)と、

生徒のライフスタイルに合わせて、部を選べます。

不登校の子たちや、起立性障害などで、朝が弱い子たちは、二部、三部が、多いようです。

また、他の専門的な学校(美術、音楽、演劇学校、等)に通ったりしながら、

高校卒資格を取れるので、自分の目標をしっかり持っている子たちも、

かなりの高率で、いるようですよ。

学費は、普通の県立の授業料と大体、同じです。

まあ、授業形態は、l大学みたいなとこです。


そして、通信制は、すでに、就職していながら、学校へ通いたい人、

若くして子どもを育てながら、学ぶ人・・・

高校を中退したのち、再度、入学してくる人、ほんとに、様々ですね。

長い人で、9年も、在籍している人もいるとか。

息子は、試験の面接で、髪の毛が、赤や黄色の、鶏のとさかみたいな人たちや、

超ミニスカート、露出系のおねえちゃんに、カルチャーショックを受けたそうです。笑

定時制と一番違うのは、「年齢に幅がある」ということです。

息子は、中学まで、学年で仕切られていた世界で、閉そく感を感じていたので、
そこからバラエティに富んだ、異年齢の中に入って、
その、ゆるい人間関係が、息子を、かなり、癒してくれたと思います。

年上の人たちから、かなり、かわいがってもらっているようです。

そして、最初「こ、こわい、ヤンキーさんや・・・」と思っていた人たちは、
みかけとは、違って、とても、いい人たちだったのでした。

最近の傾向としては、中学から、直で、通信制に入ってくる子たちが、
増えているそうです。
そういう子たちは、互いに、中学や小学校で、心に傷を抱えている子たちだと、
わかっているので、そういう、部分には、触れないらしい。

毎年、1000人近くの生徒が入学してきます。が、
卒業生は、毎年、300人くらい。

3年で卒業する子もいれば、7年、8年かけて、ゆっくり、卒業していく子もいる。
形態は、様々です。

授業は、土日。
息子の学校は、水曜日のみ、地区に分かれて、学習会が、夜に開かれています。
学習会の運営は、ほとんど、生徒でされています。

息子が、通信制に入ったころ、はたして、レポートをちゃんと提出していけるのか、
母は、とても、不安でした。
私の不安から、サポート校を勧めたことも、あったけれど、
息子は、頑として、そういう類の学校は、拒否しました。

半年たち、次第に友達ができはじめました。
レポートも、遅れたり、忘れたりしながらも、出してたようです。
「ようです」というのは、最初の2~3か月くらいは、心配していたのですが、
その後は、ほとんど、関知しませんでした。
「わかんな~い」というのが、正直なところです。

卒業は、何年かかっても、いいし、
ゆっくりと、自分のペースでやってくれればと、
それが、基本形でしたので。
何よりも、自分を取り戻す時間に、して欲しいと思っていました。

今だったら、わかりますねえ。
それまで、息子の心を受け止めることをせず、看守のように
逐一、監視することだけに、力を注いできたから、
不登校という形で、心身症に、なったのだと。


話それました。(汗;

74単位取れば、卒業可能なので、
3年間の予定でしたら、一年で、25単位~28単位取れば、ほぼ、3年で卒業可能ですね。
4年計画でしたら、もっと、少なくてOK。

授業料は、一単位の履修で、2~300円だったかと思います。
たぶん。
授業料も、教科書代込みで、一年間で、5万あれば、十分というお安さです。

しかし、これが、私立の通信制やサポート校になると、お高い値段になるようです。
知り合いによると、私立高校と同じか、それよりも、ちょっと、高いと言っていました。

サポート校か、通信制のみか・・・悩むところではありますが、
うちの息子のように、同年代だけの集まりが、きついと感じるお子様は、
サポート校も、きつく感じることがあるかもしれません。

それは、もう、「運」と「出会い」ですね。


また、行事には、まめに顔を出したら、知り合いなど、増えるのですが、
一人じゃ、なかなか、、難しい部分もあるかもしれません。

反対に、息子は、中学の知り合いがいない気楽さのためか、
割に精力的に、行事に参加しているうちに、役員さんたちと、仲良くなり、
いつの間にやら、総務に引きづり込まれ、役員をやるようになりました。

学習会でも、できるだけ、一人で、しょんぼりしている子が出ないように、
役員さんたちも、気を配っているようです。


しかし、いろいろな事情をかかえている子たちが多いのも、事実で、
時々、「○○地区の子が、自殺したらしい」と、そんな悲しい話も聞きます。

よって、学校へ行くことが、きっかけとなり、いい方向へすすめば良いのですが、
普通の高校でも、通信制でも、定時制に行くにしても、
「高校くらいでていなければ、恥ずかしい」
「高校出ていなくて、どうするの」という親の思いが、
子どもたちを苦しめることも、多々あるということは、
知っていて欲しいなあと思います。

学校へ行く前に、まず、そういう気持ちがあるか、ないか、
親の方が、自分の心の点検は、しておきたいものです。
それから、子どもが、自分で、行きたい学校を選ぶのです。
あるいは、自分に学校が、必要がどうか、ですね。

ストローク飢餓の子どもたちは、ついつい、
親の奥底の気持ちをくみ取って、
いい子を演じるので、本音がわかりにくいところがありますが、
私は、思うのですよ。
親は、本当は、我が子を見ながら、
違和感を抱いているんじゃないかなあと。
子どもの気持ちが、本当は、見えているのに、
親の気持ちを押しつけたいばかりに、見えないふりをしているんじゃないかって。
だから、少しでも子どもが不安を見せたり、
黙りこんだりしたら、あせって、自分の描いた軌道に、乗せちゃおうって、
しちゃうんじゃないかあなあって。

あ、また、話が、それました。


もどりま~す。


そうそう、通信制高校、部活も、ありますよ。
多くは無いですけどね。

年間行事も、体育祭、予選会、全体遠足、地区遠足、修学旅行、クラスマッチ。
学習会では、歓迎会、クリスマス会などもやってますね。

行事は、結構、多いのです。

定時制と通信制、それぞれ、いいところ、あるわけですが、
人生観変わったと、息子が言うので、行ったところが、いいところだったというのが、
本日の落ちで。



今、生徒総会の準備で、忙しい息子が、面白い話をしてました。

生徒総会で、学校への要望という、コーナーがあるのですが、
新入生のアンケート要望の中に、
「○○地区の役員の人が、とても、怖いです」
というのが、結構な枚数あったそうな。
その地区は、息子の地区では無かったのですが、
その地区の役員さんたちは、ド派手な人が多いらしくて、
たぶん、中学から直で、入ってきた新入生には、強烈だったのでしょうね。
そのアンケートは、総務の中で、かなりの、笑い話になってたようです。
息子さん「気持ちはわかるけど・・・。話せば、そう無いんだけどなあ」と、苦笑してました。

息子が通っている、通信制って、そんなとこです。

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疑似親
2009-06-09 Tue 11:41


今日のBGM^^に、どうぞ。



日々の暮らしの中で、揺れることやブレることは、多々ある。

落ち込むこともあるし、悩むことも多々。

しかし、以前と違うのは、中心は、ぶれないでいられることだろう。

私の中心というのは、自己肯定であり、自分を信じる力であり、

自分の中の幼き魂・・・大切なインナーチャイルドを守れるってことだ。

世の中は、実の親を筆頭に、他人を詐取しようとする人々で、

満ちあふれている。

かつては、奪われた「核」を取り戻さんと、

おもちゃを横取りされないように、幼児のように、必死にもがいていた。


しかし、奪われたものは、何一つないのだと、気づいたころから、

気持ちが、自分の中に、ストンとはまった。

気づきにも、いろんな段階があるのだろうと思うが、

最初は、知識として、きづく。

それから、体験として気づく。

その後、実際に、気持ちが、ストンと落ちる。

「AHA体験」とも、呼ばれますが、

点と点が、つながって、線に、なる瞬間。


しかし、現実の親(あるいは、世間の常識)というものは、変わりようがない。

大体において、自分をACと自認する子どもたちにとって、

「親に変わって欲しい」という願いは、無視されるか、スルーされる。


たとえば、みのもんたの「朝ズバっ」で、

秋葉原事件一年の特集をされていたそうだが、

カウンセラーの中尾さんのインタビューを、

みのは、心で聞けないらしい。

中尾さんは、「なぜ、その事件が起こったのか」

「どうしたら、悲惨な事件を防ぐことができるのか」

心のコップのメカニズムをもって、そういう、話をされたのではないかと思う。

思う・・・というのは、私は、残念ながら、そのTVを見逃してしまったので、

視聴された方の感想を、拾ってみたら、

なんだか、情景を、見ずとも、目に浮かぶような気がした。

おそらく、出演した、中尾先生も、そのようなことは、

事前に知っておられることだったろう。

「こういう時代では、道も安全に歩けませんね~」

という、みのの、コメントに、私は、変わろうとしない親の立ち位置を重ねる。




気づいたものにしか、変えられない、

その役割を担った人々・・・ACの定めは、

ひどく重く残酷だ。

しかしながら、私は、楽観もしているところもある。

かつては、「なぜ、私の代で、世代間連鎖を断ち切る役目なんだろう」

自分の役目が、悲しく、つらく、重かった時期もあった。

しかし、この変革の時期があったからこそ、

次に手渡せる荷物は、少しでも軽くできる。

連綿と続く、世代の受け渡しの中で、

私の役割が、あるのなら、そして、そういう人々が、

苦しみながら、悩みながら、血反吐をはきながら、

歩む行為は、未来の希望へとつながっていると信じることができる。

今は、私は、変革を起こす(した)役割者として、誇りを持っている。


人によっては、親を見限らなければならない自分と、

親に愛されたいチャイルドの狭間で、それぞれの答えは、違うこともあるだろう。

自分に折り合いをつける方法も、また、様々だろう。


今、振り返ると、

私には、二人目の父親と、二人目の母親のモデルがあった。

疑似親ともいうべき人たちの存在だ。


父親のように、おだやかで、ただ、そこに居てくれる人。

見守る人、日だまりの人。

失敗をしても、決して、非難したり、怒り狂ったり、しない人。

私は、時々、たつさんのことを、冗談めかしながらも、情愛を込めて「お父さん」と呼ぶ。



そして、母親のように、やさしく、受け止めてもらえる、お母さん。

時には、姉妹のように、

時には、おろおろしながらも、黙って見守ってくれる、お母さん。

時には、小言も、言い、時には、一緒に笑いあい、抱き合い

互いのドジぶりも、半端なく、飾らず、

特別ではなく、普通のお母さん。

彼女の思春期の子育てを身近でみながら、

私も、ほっこりとした気持ちになれる。
(こちらは、会社の人です↑)



二人とも、何を言ってくれるとか、何をしてくれたとか、そういうものでもなく、

ただ、「そのままの私」を、そのまま、見守ってくれる。



このお父さんとお母さんに出会えたことは、

私にとっては、「核」となるものだった。


親って、何もする必要は、ないんだよね。

必要なとき、必要なだけ、そばにいてくれたら、

それで、いいんだ。

歩きやすいよう、目の前の小石を拾って、

道を整える必要もなく、

ばれないように、後ろから、押すことも、する必要もなく、

人は、じぶんの歩く道は、自分が一番よく知っているものなのだから、

親の存在は、おだやかに、ただ、安心できる場所で、あればいいんだと、思う。

心配という言葉は、自分を格づけるためには、

格好の言いわけだけれど、

自分の気持ちさえ、ままならぬ状態で、子どもの心配もあったものでも、

なかろうに。

幸せであるということは、

「子どもが、思ったとおりに育ち、世間並み」であることでもなく、

「海外に旅行へ行く」ことでもなく、

「お金がたんまりある」ことでもなく、

「すてきな仕事ができる」ことでもなく、

自分が、自分のままで、いられること。

労災の理由が、心の病が過去最多に、なった昨今。

薬でごまかすのではなく、

なぜ、そのような状態になったのか、

心の悲鳴に、耳を傾けるチャンスでもある。





そんな簡単なことなのに、

いろんなものをくっつけて、

いろんな言いわけを作って、いろんな言葉をつくって、

いろんな、借り物の納得を作って、

自分の孤独を、ごまかそうと、

子どもや家族や人を、そして、自分を利用するなんて・・・

そんな悲しいことを、するものじゃないって、

おとうさんと、おかあさんの、背中を見ながら、思うのだ。


私も、かつては、寂しさで、いっぱいの心を埋めるために、

底なしの沼に、何かをせっせと、一生懸命詰め込んでいた。

千と千尋の神かくしの、顔なしのように。

大きく見せよう、えらく見せよう。

だから、「私を愛して」。



ほんとは、なんにもいらないって、わかった今。

シンプルに。

ただシンプルに。

子どもたちを見守る。

家族を見守る。

そして、シンプルに、自分と共に歩む。


おとうさんに、出会えてよかったよ。

おかあさんに出会えてよかったよ。

そうやって、私の中の「お父さん」と「お母さん」のイメージは、

壊され、何度もリロードされるのだった。


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ありがとう part 2
2009-06-01 Mon 22:14
eggiさんの、ディクシーちゃんが、昨夜、虹の橋を渡りました。

http://blog.livedoor.jp/dixie1996/


たくさ~んのありがとうを、送ります。




私の人生の転換期は、

犬の病気が、すべてのはじまりでした。

私が、「ひいらぎ」に、なった時でした。

私のネット生活がはじまりました。



たくさんの友達に出会いました。

たくさんの勇気をもらいました。

たくさんの知恵をもらいました。

あの時から、人生の、何かが、変わり始めました。

「闘病」とは、言いますが、

楽しい闘病でした。

そのおかげで、出会うべく人たちに、出会えたのですから。

きっと、eggiさんも、同じように感じておられることでしょう。


たくさんの、ありがとうを、出会った方に、

これから出会う方に。


「ひいらぎ(柊)」は、西洋の聖なる魔よけの印。

「りんりん(鈴々)」は、日本では、魔を払う鈴。


私は、無意識に、こういう名前にひかれたのだなあと、

改めて思うのでした。


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