author : rinrin
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何かが満ちてくる
2009-07-29 Wed 08:00
息子が、変化している。
正確には、変化しようとしている。
「なんだか、説明しずらいけど、感情が動くんだ」と、息子は、言う。

彼は、不登校から以前の自分の感情の記憶を覚えていないと言う。
押さえつけてしまった感情。。。

幼い頃、転んだ子どもに、「なんで転ぶんだ!」と、否定した言葉かけしか出来なかった私。
痛いと泣く子に、「痛かったんだねえ、よしよし」と、
優しい言葉かけができなかった私。

自分自身の暴れる感情を抑えつけることに必死で、
子どもの泣いた姿が、私のパンドラの箱の蓋を押し上げることが、辛かった。
だから、子どもたちの感情の発露を、禁止しようとした。

そんな話を、今、息子に、している私。

そして、今、息子は、楽しそうに、通信制の高校に通っているけれど、
シニカルで、冷静な物の見方をするのが、気になっていた。
結構な理論派です。

自分の感情を閉じ込めて、感じないようにする、
生き残るために、理論で、自分を納得させるしかなかったのか・・・
自分が傷つかないための手っとり早い方法。

このまま、彼は、気づかないで、行ってしまうのか、
いつか、壁を突き破る時がくるのか、
私は、こうして、ブログを通じて、ずっと、ひとりの人間として、彼を見つめ続けてきた。

彼は、今、言う。
以前、自分が、どう感じているのか、わからないんだ、と、
大切な犬が亡くなった時も、泣けなかった。
そんな自分を、責めているのでもないのだが。

「そういうの、わかる?」と聞いてくる。

「わかる気がする」と、答える。

「いつぐらいから?」と聞いてきた。

「自覚があったのは、6歳の頃から・・・かな。自分の中に、醒めたもう一人の自分がいたよ。
何をしても、醒めた自分がいた。生きているというリアルな感覚が、欠如していた」

と、恐らく息子の感覚と、私の感覚が、連動しているなら、
同じ感覚を息子が、持っていても不思議ではないので、そう、説明した。
彼は、共感をもって、その言葉に、うなずいていた。
全く同じ感覚ではないにしても、彼が今感じている、得体のしれないものの正体に、
彼が近づくことが、できるよう、より具体的な、説明を試みてみた。

「今も、そういうの、あるの?」と、興味深そうに、さらに、聞いてきた。

「あなたが、不登校に、なってから、小さい頃、押し込めた、ほんとの自分が出てきた」
と、正直に答える。
それから、いろいろな感情が、動くように、なったと。

そして、彼が言う。
今、自分が感じている、それが、一体、なんであるのか、さっぱりわからないけれど、
なにか、とても、大切なもののような気がしていると。
今、おかあさんに言葉にして、話せるのは、自分の力では、ここまでが、精一杯だけど、
今度、A先輩に、話してみようと、思っている。
ちゃんと、自分で、わかったら、また、いつか、話すよ。と。。。
待ってて。


親と子は、連動しているというのが、私の持論だと、かつて、息子には、話したことがあった。
でも、感情を閉じ込め、苦しんだ期間に比例して、その回復には、時間がかかると、思っている。
私の感情は、解放されつつあるけれど、今、やっと、カイの、時間が満ちてきているんだと思うよと伝えた。

「それは、喜ばしいことだよ。赤飯で祝っても、いいくらいだね。
存分に、自分と、向き合うといいよ。」と、笑って付け加える。

「うん。今まで、感じたことのない、感じなんだ」と、息子が笑う。

「そっか、今まで、ゆっくり、歩んできたから、見える景色なんだね。
このまま、レールに乗って、大学行って、「おれ、何やってんだろ」って思うより、
今、十分、足踏みして、自分と向き合って、感情を取り戻すことの方が
人生では、ずっと、大事だよ」

「う~ん、おれ、もう一年、高校、残ろうかなあ」

「それも、いいと思うよ~」
(息子の通信制は、残ろうと思ったら、わざと、単位落として、いつまででも、残れるんです)


「おかあさんが、同級生やったら、いい友達になれたのになあ」と、ぼそっと言う。

「ええっ?Σ( ̄ロ ̄|||)
友達になるには、ちょっと、年代が違いすぎたかねえ」と、大笑い。

「今度、生まれ変わったら、友達になろう」

という、冗談とも、本気ともつかない会話で、着地しました。


不登校から、4年。
彼の心は、確実に成長しています。
無くした自分を取り戻そうと、もがいています。

この無垢な子を、「普通」と思われる軌道に、乗せることなど、
私には、とても、できない。
彼の成長を、世間の「普通」で、止められない。
これからも、そんな、彼の心の行く末と成長を、見守っていきたいと思う。

なお、今回の記事は、息子さんの許可をちゃんと、取ってます。
それだけ、彼にとっては、今までにない、とても、重要な、局面なんだろうと、察します。

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変化のとき~コーリング~
2009-07-28 Tue 14:00
今日のは、ほぼ、独り言です。

えええぇっ、いつもですって!!??   ・・・・(´・ω・`)ショボーン

な~んちゃって(*^_^*)


日食が過ぎてから、身辺が、変化を求められている気がするのは、
考えすぎでしょうか。

あの人も、この人も、「魂の呼び声」に、抗いがたく、
悩み、悩みつくされて、いらっしゃるのを、胸キュンで、
黙って、見守るしかありません。


娘の話を、しましょうか。

娘は、小さい頃から、保母さんになりたいと、
そんな夢を持っていました。
今の大学も、保母さんと幼稚園教諭の両方取れるのですが
それとは、別枠で、神戸にある、提携大学で、
小学校の教諭も、通信で、取得できます。
そのためには、実習の関係で、保育士を、諦めねばなりません。

本人は、悩んでいました。。。

ずっと、悩み続けていました。

就職を考えると、保育士を選択した方が、ずっと、有利なこと。
しかし、小学校の教諭も、あきらめきれない思い。
小学校免状は、神戸まで、スクーリングを毎年受けに行かなければならないこと。
などなど・・・いくつかのハードルを、どう整理つけるのか・・・

どのように、結論を出すのか、じっと、見ていました。

先日・・・

天職と、適職という話を、娘にしました。

天職というのは、心が喜ぶこと。
そのために、生まれてきたこと。
魂が生まれる前に計画した、コーリング。

適職というのは、その人に、合っていそうな、
生活の糧のための、もの。

若いんだもの。
後悔のないよう、選びぬきなさいと。


娘は、晴れ晴れとした顔をして、頷いていました。


実際、魂のコーリングを選びますと、
経済的には、非常に、不安定であるということ、多いです。
犠牲にするものも、大きかったりします。

年をとって、地盤を固めて、卒なくやるというのは、
なかなか、難しいことです。

コーリングは、いつでも、やってきます。

「やれ」と、
容赦なく、迫ってきます。

後悔のないように。。。


私自身、仕事を、10月で退職することになりました。
体調と、やりたいことが、どうしても、かみ合わなくなりました。
また、子ども二人、大学生を抱える予定のこの先、
経済的なことを考えると、実際、めちゃ不安です。
でも、抗えないものが、「行け」と、言います。
変化のときは、ほんとに、苦しいです。


気持ちでは、いつでも、応援してますから。
どのような結果であろうと、
あなたが、あなたのままで、いてくれること、
私は、望んでいます。

だから、私も、気持ちのままに、呼ばれるままに、
未知の海へ乗り出します。

大した、未知でも、ないんだけどね。(*≧∀≦) てへっ

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3代目で、変革の時期がくる
2009-07-24 Fri 18:56
本日の、福岡は、大雨模様です。
雨音で、癒されます。


河合隼雄さんの、「父親の力 母親の力」を読んでます。
その中に、「厄介者があらわれるのは」の章で、ありましたね~~


家族には、必ずあるパターンみたいなものがあります。それを引きずりながら、生活してきたわけですが、そういうパターンを長い間続けていると、必ずひずんでくるものです。そのひずんできたところで、問題が浮上してくるという言い方もできます。
そうなると、それまでは、うまいこといっていたけれども、三代くらいたつと、そのパターンに合わない、あるいは、合わせることができない子どもが出てくることがあります。そこの家でいうところの「厄介者」になるわけです。そして、実は、その子が改革へのきっかけを与えてくれるのです。



この家族のパターンというのは、深く魂に染みついたもので、
河合さんは、「家族の魂」と呼ばれてます。
そのネーミングは、なんとも、素晴らしいなあと、感嘆しました。

ほんとに、誰が悪いというわけではない。
けれど、そういう時期に出くわした、不登校の母としての経験は、
家族の流れを変える、とても、良い経験だったと、思います。


親が、期待していた、大切な日に、学校を休むと言いだす子。
他の日は、休んでもいいから、この日は、行かなきゃいけないだろうと、
そういう、親の懇願に似た気持ちを、あっさりと、裏切る子どもたち。

子どもに、とっては、この日を休むことに、意味がある。
とても、大きな意味がある。

そこに、大人がくみとらなきゃいけない、大きなメッセージがある。

親の仕事は、子どもを、矯正し、しつけることではなく、
子どもの、メッセージを、読みとり、受け取ること。

方法ではなく、心を共有すること。

子どもの発するメッセージを、形で受け止めるのではなく、

自分の魂で、受け止めようと努力すること。

そして、親の意識を変革していくこと。
河合氏は、これらは、一種の意識の超越体験だと、言われていました。
なるほどなあと、ほぼ、想像可能。

超越体験というのは、自分の枠を超えるということですから。

人生観が、がらっと変わるほどのものです。

今まで、自分に取り付いていた、がらくたが、

ガラガラと、崩れていく瞬間です。

思いこみ、執着を、手放す時です。


出来ることは、それだけしかない。
それが、家族パターンを、変えられる唯一の方法。
私たち親に、この他に、何が出来るというのでしょう?
子どもたち、あるいは、家族の問題は、
今までの、その思考回路の限界を知らせているのですから。

そして、それが、自由への、翼になるのです。
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たった一つの間違いを。
2009-07-24 Fri 01:48
今日、仕事が終わって後、仲のいい同僚と雑談した中に、
どんなに、尽くして、相手のことを、思って、やった行動でも、
たとえ、それが、9割あったとしても、
たった、1割の不信を抱かせる行為で、
今までの、9割さえも、すべて、忘れ去ってしまう人の話を二人で、してました。

人生経験の少ない、若い子はしょうがないけれど、
大人だって、そんな人が、多い。

そんなもんです。。。

9割の、信頼できる行動があるのなら、
1割の不信の行為は、許せるものでは、ないかと、思うのですが、
AC的な人にとって、
それは、許せない、裏切りなんですねえ。

それは、職場関係の話だったんですけど。。。ね。

だから、自分も、きついんじゃないかって、
生きづらいんじゃないかって、
思うんですけどねえ。


気持ちは、分かるんです。
不安になるってことは。
でも、自分の不安をね、
「許せない」と、責任を、相手に転嫁するのは、
そりゃ、筋違いなんだよね。

人間だもの。
いいところもあって、悪いところもあって、
当たり前なんじゃないかと。

9割の良き行為じゃなくても、
5割の良き行為でも、
やはり、人間だもの。。。

互いに、許されて、生きているんだもの。

怒りや不安は、正当な人に向けなきゃ。

代理戦争を続けても、誰も幸せにはなれないんだ。
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ACの作られ方
2009-07-20 Mon 17:41
すっかり、忘れてしまっていたことを、

ひょんなことから、思いだした。


「おまえは、ケチだ」というのが

母の口癖だった。


このような、大事なキーワードを、どうして、忘れていたのか、と思うほど、

忘れ去ってしまっていた。


この言葉の意味は、今となっては、どういう意味だったのか、

母に問うことも、ないけれど、

ことあるごとに、皮肉のように、母は、私に言っていた。


念のために、言っておくけれど、

私が、幼少~思春期の頃なので、

子ども独特の感性において、

自己中であったことは、私には、どうしょうもない。

母に対して、出し惜しみをした記憶もなければ、

言いつけられたことを、しなかったという感覚も、

機能不全家庭において、必要以上に発達する、

相手の機嫌や、動向を、観察することに、長けていた私には、

実に不本意な言葉だった。


さらに、ここ10年において、強・共依存関係であった、

Tさんこと、田中さん(仮名です)にも、

「出し惜しみするな」と、言われ(物理的<精神的)

「私は、ケチなの?親にそう言われてたんだ」 と問うと

「言われるだけの、理由があると思うよ」


と、私のようなケチな子どもを持った親に対して、

同情的な、田中さんの言葉に、かなりのダメージを受けた。


共依存関係という、閉鎖された空間での、

そのような自己否定は、逃げ場がなくて、

結構、辛いものがあった。


その頃、

私は、専業主婦であったので、自分の稼ぎは、なかった。

しかし、若い頃からの貯金は、少しだけなら、あったので、

それらを、物理的に、田中さんとの付き合い・・・

ボランティア、子育てサークル等に、密かに、つぎ込んでいた。

田中さんとの付き合いが、終焉を迎えるころには、

わずかな貯蓄ではあったけど、底をついていた。

加えて、少々、体調が悪かろうが、点滴をしながら、

会合や、冊子を作っていたものでした。

田中さんに、認められたい気持ちが、そうさせた。



それらの無為な行為を、

支えたのは、最初の、「おまえはケチだから」という、親の言葉。

私は、ケチなんだ。。。

だから、ケチじゃないように、しなきゃ。


頼まれたことも、断ったりしたら、いけないんだ。

自分より、人を、優先しなきゃ。



そういう、しばりが、私の行動、思考回路を支配していた。


田中さんとの、長い、共依存関係の終焉のさい、

私が、ある方から言われた言葉があった。


「それは、相手の方も共依存ですよ」

「え、そうですか?違うと思いますけど」と、私は答えたと記憶する。

その頃、自分が依存的だということは、知っていたけれど、

田中さんが、依存者であるとは、思いもしなかったのだ。


それほど、共依存は、分かりにくく、閉鎖的である。

そして、依存者の強者の言葉は、いとも簡単に、弱者に影響を及ぼすのです。

このような、関係は、不登校・ひきこもりの、親子にも、多く見られることでは

ないかと、思います。


親子の、言葉のやりとりの中で、あなたの口癖は、なんですか?



でも、気づいたら、書きかえることができるのです。


私が、記憶の書き換えの、救いになったのは、

「まず、あなたが、幸せになりましょう」

と、言ってもらえたことだ。

その言葉が、私をチンケな、魑魅魍魎の餓鬼道から、

救いあげてくれた。

この言葉で、当時のわたしが、どれほど、救われたか

言葉では、到底、表現できない。

闇の中に光を見た気がした。


そして、この言葉が、

親や、共依存者の刷り込みを、消し去って

今の私をずっと、支えている。

これからも、きっと、そうだろう。




今日の記事は、こちらに、示唆を頂きました。
↓↓↓

二つの共依存 壊れた心を取り戻す

勝手にリンクもらいました。m(_ _)m
サンクス!きんたろうさん。

.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+。.:*・゚+。.:*・゚


ここんとこ、体調が悪く、寝込んでいました。

仕事も、連休で、忙しいのですが、休みを無理やり、もぎとって(笑)、

きょうは、だいぶ、回復してきました。

といっても、行こうと思えば、今日は、行けたのですが、

休みたいという気持ちを優先しました。


一日、うつらうつらと、寝て、目がさめて、PCなど、その合間に、

ながめつつ、過ごしています。

明日まで、ゆっくりしようと、思います。


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学校に行きたいけど、行けない、という独特のジレンマ
2009-07-18 Sat 22:24
昔の話です。

不登校になったばかりの頃、息子が、

「行きたいのに行けないんだ」と、

地団太踏んで、声をふり絞るように、かつて、言った。


私も、我が子の願いをかなえてやろうと、必死に、

あれこれ、方策を練っていた頃でした。


実は、これは、不登校の子供が陥る、ねじれた独特のジレンマだったと、

分かったのは、ずっと、後のことでした。


この言葉の意味は、不登校の、ほぼ、核心に近いもので、

これが、分かれば、からまった糸が、すっと、ほどける。

それほどの、力を持つと、思っています。


今回は、解説は、しません。

代わりに、

この意味が、なんとなくわかったような気がするようになった、

きっかけのブログを、紹介してみたいと思います。

「ミルクティー」


「不登校我が家の場合」のドキュメントは、

一読の価値があると思います。


当時の私は、このブログの意味を、半分も理解できていなかったと思います。

けれど、わからないながらも、目が離せなかったのです。

どこか、心に訴えてくるものを、感じていたのでしょう。


今は、もう、更新されておらず、

私も、その存在自体、すっかり、忘れていました(汗;


お気に入りのリンクも、PCの買い替えのために、残っておらず・・・

「学校へ行きたいけど行けないんだ」と、

そういう言葉を、最近、どこかのブログで目にして

ふと、このブログの記憶が蘇ってきました。

散々、検索して、やっと。。。見つけ出しました。



わたしは、このブログに、出会えて、

ラッキーだったと、思います。


興味のある方は、どうぞ、一読、ください。


.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+。.:*・゚+。.:*・゚



こうしてみると、私は、ほんとに、たくさんの、人たちの言葉に支えられて、

いますね。



それにしても・・・、

つなげ、結び、育てるということは

なんと、孤独な作業なのでしょうか・・・

過去に積み上げてこられた壮大な孤独に、

思いを馳せますと、身がすくむ思いがします。


私は、先人たちの、その孤独を、

自分の強さに、できるのか、

いまだ、迷いもあり、自信もありませぬ。

それでも。。。



最近、世代間連鎖・・・三代続くと、語ってくれた人がいます。

三代目で、その重荷を、持ち切れなくなるのだそうです。

その言葉を心で何度も、反芻しながら、

二度と・・・私と同じような、生きづらさを、

子どもたちに、手渡しては、いけないと、

そう、思う気持ちだけは、手放すことは、できそうにありません。



世代間連鎖・・・100年続いた連鎖を、

数か月や、数週間で、切ることは、不可能。

自分を見つめることの、難しさ。


でも、あきらめない。

絶対、あきらめない。

その気持ちが、あれば、

きっと、明日は、少しだけ、変わってくる。

そう思うのです。


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からかわれやすいですか?
2009-07-16 Thu 23:22
今日は、職場の話を。。。

いえ、今回は、愚痴じゃないですよ~(汗;


職場で働いていましたら、

後ろから、急に抱きつかれました・・・

「わわっ


「○○さ~ん!!!」(私のこと)

(↑なぜか、ちゃんとした名前で呼ばないで、自分で作った、あだなで、呼ばれる)

彼女は、私が、パートで入社した頃からの、お客さん。

そして、最初の頃は、強烈な、クレーマーさんで、有名な人でした。

ひょんなことから、ご指名を受けるようになり、

週に、数回、店に来て、

次第に、個人的な、いろんな話をしてくれるようになりました。

友達のこと、仕事のこと、家族のこと。。。

今、やっと見つけたバイトの仕事を頑張っている様子。

「顔、見にきちゃった!^^」

最近は、彼女も忙しいようで、なかなか、店に来ないなあと思っていたところでした。

その笑顔が、なんだか、うれしくて・・・

いろいろあるけど、頑張ってるねえ^^


そして、

商品の注文を受けたお客さんに、入荷のお知らせの電話を、

するのですが、

そのお客さんの場合、品物が確定できなかったので、

とくべつに、キャンセルOKでしたので、そのように、先方に伝えたら・・・


お客に、「え。。。キャンセルだけなの?」と言われてめんくらう。

「????え・・・・?」

お客「違ってたら、ほっぺた、叩いていいとか~?」


私「・・・・いえ、それは、困ります???」


お客「カン○ョ○して、いいとか?」(←すでに、電話の主は、笑ってる)


私「・・・それは、だめです。キャンセルのみです」(汗;;;;


お客「だめなの~?ほっぺたも?」


私「それも、だめです!キャンセルだけです」(←私もすでに、笑い転げている)


その強い語調に、まわりに居た、スタッフの視線が、電話口の私に集まる。。。(恥ず・・)

お客は、「だめか~」と言いながら、

納得なさったご様子。

はあ~~。



はて・・・私は、からかわれやすい体質なのか!?

まだ、いるぞ、そんな客・・・

いつぞやは、おじさんに、ハワイに一緒に行こうと、言われたり・・・(笑)

かわりに、ミカンとハイチュウ、もらっちゃったけど・・・




変な、職場です。。。

はい。

でも、一番嬉しいのは、そんな、不思議な人たちに、

あんたに会いにきた、と、言われた時です。

別窓 | 日々徒然 | コメント:0 | トラックバック:0
とある、不登校ブログ。
2009-07-16 Thu 00:12
ちょっと前から、熱心に、見ているサイトがある。

もちろん、不登校ブログ(汗;

たぶん、ここに来られる方は、ご存知ない場所です。


小学生の不登校のお子様をかかえた方。

一時期、学校復帰されたというところから、

ブログは、始まっている。



ちょっと、一人劇場風

 りん:それは、いいことじゃないの~?

 りんりん:まあね。


 りん:でも、お母さんは、なんだか、浮かない顔してるね。

りんりん:な、なんで分かるのよ。ヤレヤレ(´-ω-`)

              あんたには、なんでもわかっちゃうからねえ。


 りん:きっと、おかあさんの事だから、ブログの文章を読みながら、
         あれ、変だよ~って思うこと、いっぱいあったんでしょ。



 りんりん:むむむ・・・。実はそうなの。
          で、やっぱり、しばらくしたら、子どもさん、学校へ、行けなくなっちゃった。

 りん:ねえ、どうして、そう思ったの?

 りんりん:じゃあ、少しだけね。
        プライバシーっていうのが、あんたには、関係ないことだけど、
        現実の世界には、あるからね。
        そのまま書くわけには、いかないから、そこは、勘弁してね。

 りん:それぐらい、わかってるわよ。


 りんりん:いい子ね~。
        あのね、そのお母さん、学校へいくことが、
        不登校の克服だと思ってる節があるのね。

 りん:そりゃあ、行けないより、行けた方がいいと思うけど、
           それも、子ども次第ってことね。

 りんりん:はいはい、賢い子ね~。
           子どもの気持ちを尊重するってことよね。

           で、二度目に行けなくなった時、
           このお母さん、変はこと、言うのね。

 りん:え~、どんなこと~?

 りんりん:体調が悪いとか、お腹が痛いとか、学校へ行こうとしたら、
              そうなるわけよ。わかる~?

 りん:うんうん、わかるよ~。
            私も小さい頃(今でも小さいけどさ)ほんとに、お腹痛かったもん。
            でも、お父さんとお母さんは、ズルだと、思っていたみたいだったけど。

 りんりん:そうそう、そのお母さんもね、だいぶ体調は良くなったのに、
              子どもがそういうこと言うから、
              きっと、怠けだと、決めつけちゃったのね。

 りん:あちゃあ、そりゃ、また。。。。

 りんりん:でも、そういうこと、多いのよ。
             お母さんが、子どもを追いたてて、
             「あ~、学校へ行くようになった」と、安心したばかりだったのに、
             また、休むようになって、きっと、がっかりしちゃったんだね。

 りん:そっか、がっかりしちゃったのか~。
            どうして、お母さんが、がっかりするの~?
            行けない子どもが、がっかりするなら、わかっちゃうけどなあ。

     
 りんりん:こ、この子は、また、難しい質問して~。
          その話は、長くなるし、別の話になるから、また、今度ね。
          
 りん:わかった!絶対、また、今度ね!

 りんりん:はいはい。約束。
       
 りん:それで、どうなったの?

 りんりん:あのね、体調の悪さは、見た目は、前より、ずっと良くなってたから、
              お母さんには、そのこが、ズルをしてるように、見えたんだって。

              だからね、甘えと、狡さが、子どもに感じられたんだって。
              心を鬼にして、学校へ連れていったんだって。

 りん:ふ~ん。甘えと狡さかどうか、わかんないじゃない。

 りんりん:お母さんの心の中には、学校をさぼると、
               それは、甘えとか、狡さとしか、見えない思考回路を
               持っていたんだよね。
               それは、きっと、子どもだけじゃなくて、
               自分も、さぼったらだめだ、そういう人間は、
               甘えた人間だと、そのお母さんのご両親から、
               植え付けられた価値観なのよ。                 

 りん:じゃあ、お母さんが、そういう、考え方を変えたら、
            平和な、楽しい家庭になるのねえ♪

 りんりん:りんちゃんの思考回路、かなり、単純なのねえ・・・

 りん:失礼ね~。だって、そうじゃないの~。


 りんりん:いや、実は、りんちゃんが、言うことって、
              正しいのよ(汗;
 
             話すすめていい?

 りん:は~い。

 りんりん:学校へ行った、その子は、元気に帰ってきたのね。
           それで、そのお母さん、
            「そういう甘えや、狡さは、通用しないよ」ってことを、
            子どもにしつけたいと、言ってたのよ。

 りん:わお~~~。ねえねえ、子どもって、しつけるもなの~?
            なんだか、日本式わんこのしつけ方、みたいねえ(汗;
            だから、やたら、吠えるわんこや、咬むわんこさんに、
            なっちゃうんだよね。                  

 りんりん:そうそう、そこが、今回のお話の大事なとこよ。
            子どもってさあ、りんちゃんも、そうだけど、
             しつける必要は、全然ないんだよね。
            一緒に、生活してたら、子どもって、親に似てくるしね、
            言葉で、教えてもいいし、
            しつけるっていう言葉には、なんだか、
            やな感じがするんだよねえ。

 りん:なんだか、難し言葉で、尊厳だっけ?
           踏みにじられそう><;


 りんりん:難しいことば、知ってるのねえ。意味分かってる?

 りん:う~ん。なんか、eggiが、言ってたよ。

 りんりん:し~っ。りんちゃん、eggiのブログのまねして、
          こうやって、あたしたち、話しているんだからさ~、
          ばらしたらだめよ~。

 りん:もう、ばれてると思うよ♪

 りんりん:・・・だよね。
           まあ、 そういう経緯があってね、
            やっぱり、子どもさんは、行けなくなっちゃったの。

 りん:かんたんなことなのにな~。
           子どもの心を感じたらいいんだよ♪

        
 りんりん:そうなんだけどね。それが、なかなか難しいのよ。
            あたしだって、二年は、かかってるしねえ。

 りん:え~、まじ!そんなに!
            
 りんりん:そ、そんなに、驚かないでください。照れますから。

 りん:おかあさん、ほめてないよ(・`ω´・)

 りんりん:これでも、頑張った方なんだけどなあ。

 りん:おかあさん、頭、石頭だったの?

 りんりん:うん、昔は、こちこちの、石頭だったよ~。
              でも、りんちゃんと、お話するようになってから、
               ちょっとは、進歩したと思うけどなあ。

え・・・ちょっ、りんちゃん、なにやってんの?

げっ、それ・・・金づちじゃない~~~(@_@)

 りん:叩いてみたら、わかるかなあと、思って、持ってきたよ~、おかあさん

 りんりん:いえ・・・遠慮しときます。


というわけで、

子どもを自分の所有物ではなくて、
金づち少女、りんちゃんが言っていた、「尊厳」ある存在として、
感じてみることは、心の思考回路の変換に、とても、役に立ちます、という、
そんな、ひとり劇場でした。

そこが、不登校を受け入れられるか、受け入れられないかの
分かれ道なんだと思いますよ。


よその子の制服姿を見るのが、辛い?
ちゃんちゃら、おかしい。
そういう私も、そんな時期がありましたけど(笑)
それこそ、甘いです。
それは、果たされなかった、親の学生時代の夢を子どもに託しているだけ。

自分の子だって、う~んと、笑顔にしてやればいいんだよ。
幸せであれば、なんだって、出来るんだもん。

制服?
それがどうした!
社会人になっても、制服なんて、着られるぞ~。
メイドカフェとか~
看護婦さんとか~
自衛官とか~
執事とか~

りん:おかあさん、あまり興奮したら、血圧に悪いよ・・・
   大体なに? その貧弱なエロい発想は。

りんりん:はっ。。。
     り、りんちゃん、お願いだから、その金づち、どこか、しまってね。

りん:♪


                        
                   
          
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2009-07-15 Wed 19:51
仕事から帰宅したら、子どもたちは、まだ、それぞれ、学校。

一人の貴重な時間を満喫しながら、夕飯の支度を、ゆっくりと、整える。


ふと気付くと、先ほどまで、雨が降っていた外が、茜色に染まっている。


もしやと思って、窓の外を見上げると、

虹が!


しかも、二重の虹が、狭い住宅街の空を、鮮やかに彩っていた。


CA3C0059.jpg


あわてて、携帯を持ちだして、撮りました。

外側の虹は、どんどん、うすくなっていきました。

たちまち、空が、うす暗くなってくる中、


CA3C0060.jpg


それでも、鮮やかに、虹が残っている。


自然は、いいね。

最近、とんと、虹には、縁がなかったけど、

久しぶりに見た虹は、

心を潤してくれた。


自然は、ただ、そこにある。

人間は、それを、ただ、驚嘆する。

一体、だれが、こんな美しいものを、創造したのだろうか。

そんなことを思う。







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職場のこと
2009-07-14 Tue 09:00
今年中に、職場を去るという決意をした、りんりんです。

ここ、一年の、流れとしては、

不景気→売り上げが落ちる→人員カット→サービス残業

という流れがありました。どこでもある話ですね。



最近、本社から

「あなた方は、販売員ではありません。商売人になってください」と、

長い長い文書が、本社からきてました。

まるで、脅しの文面。

ぷちっと、切れました。。。笑

そして、本社が、馬鹿みたいに高値で仕入れた在庫を、

下々の、パートに後始末をさせる。

これは、いつものこと。

ひとことたりも、本社の人間の謝罪はなし。

そして、遠い店舗に、出張に行かされ・・・、

要するに、人員の使いまわしね。

(経費がかからないように)

以前は、子会社のグッドウィル(事件を起こして、倒産した派遣会社)

に、依頼されていたのですが。



さらに、時間のかかる、意味の無い、書類ばかりが、突発的に大量に、まわってきて、

その処理に追われて、本来の仕事ができない。



問い合わせをすれば、電話はたらいまわし。

この会社は、一体、どこに、責任の所在があるのか?


乳がんで、手術して、長期休養した人には、

あるはずの、有休も、出そうとせず。。。

ここ、数か月、こういうことが、頻繁に起こっていた。


次第に、職場を愛せなくなった。

仲間たちは、大好きなのにね。

守りあっても、守りあっても、

本社は、また今日も、わけのわからない、お達しを、してくる。

本社のミスを、末端にかぶせ、始末書を書けと。

おそらく、誰が悪いのでもないのだろう。。。

そういう、システムなのだから。

あれですね、

「ごめんなさいと言いなさい!」と、子どもをしつける親に似ている。

子どもは、意味もわからず、納得もできず、

親の怒りが怖くて、

「ごめんなさい」と言う。

冤罪で、「お前がやったんだろう!言ったら楽になるぞ」と言われ続けて、

その場の苦しみを逃れたいがために、

「やりました」と、言ってしまう。

そんな、脅しの心理に似ている。


「ばっかじゃねえか、本社、頭、悪すぎ!」

文書を見ながら、思わず感情を口にする私。


これ以上、ここにいたら、病む。


どこまで、人を詐取すれば、気が済むのだろう。

誰も、責任を取らない本社。


規則ばかりが、どんどん、増え、

しめつけが、厳しくなればなるほど、

スタッフの、意欲は、減退していってるのに。



で、新しい店舗をどんどん、つくる。

互いに、利益を食い合う。

末期症状にみえる。



まるで、今の学校や、家庭のようだ。

病む教師と、病む親と、病む子どもたち。


こういう企業の手法は、今、日本の至るところで、

横行している。

そうやって、多大な債務をかかえて、倒産していった

企業の多さ。

学校は、なぜか、倒産しない。

(素朴な疑問・・・)

そして、人の心を詐取していく。

病む人の多さ。



今日、10月一杯で、退職する意思を、伝えた。

共に、歓び合い、悲しみ合い、今まで、一緒に、職場を

いちから、立て直してきた仲間たち。。。

あの頃は、サービス残業とて、楽しかった。

毎日、売り上げが伸びていくことが、みんなの励みだった。

自分たちのお店、という、自負があった。


残していく、仲間のことは、とても、とても、気がかりだけれど、

職場に、心がなくなってしまったのは、

もう、どうしようも、なくなった。


日本の企業が、人間らしさを取り戻すことが、できるのは、

いつだろうと、そんなことを思う。


いい経験になったと、自分では思っている。

これが、今の日本の、行き詰まりに、感じてしょうがない。

企業とは、洗脳集団か、はたまた、宗教団体?



人を育てるということ、

人を、道具に仕立てるということの違い、

その違いがわかる人を、社会に送り出し、育てていくために、

私たち、母親の、責任は、重い。

いつか、のびやかな社会に、なるよう、

ひとりひとりの意識が、広がり、変わること、

とらわれから、自由になること、

そんなことを感じるのでした。





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Beautiful World
2009-07-11 Sat 21:51


エヴァ、見たの。

DVDになったら、また、見ます。
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歩いていこう
2009-07-11 Sat 03:42
私は、2006年1月より、約半年間、エクササイズをやってきましたが、
一朝一夕に、自分を見つめ、回復していくのは、
難しいことだと、感じています。

私は、今、40代後半になりましたが、
私が自分をACだと、自覚したのは、30代前半の頃でした。

もう、ほぼ、ひとめぐり以上の前のことです。
子どもたちが、2~3歳の頃でした。


今まで、いろいろな方法に挑戦し、
本を読み、
友達に相談したり・・・・
講演会に出向いたり、
ひきこもりになり、
うつ症状にも、なり、
失敗も多々あり、
15年の間に、ほんとに、たくさんの歴史がありました。

どうして、こんなに生きにくいのだろう・・・
私は、どこから来て、どこへ行くのだろう・・・

そう思い続けてきた15年でした。

こんなに長く、自分と戦い続けるとは、思ってもいませんでした。
暗い夜道を、手探りで、歩いてきました。

どこかに、出口はないのだろうか、
絶望に、かられる時も多かったと思います。
いえ、絶望の方が、圧倒的に多かったと思います。


今、穏やかに、暮らせていること、
不思議に感じるほどです。

このような、私でも、回復の道を歩めたのですから、

同じ、道を歩む方たち、
どうか、
希望を捨てず、
自分を信じて、
傷つくことを恐れずに、
自分の人生を、歩いて行って欲しいと
思います。

たくさんの葛藤が、あなたを人として、育てていきます。
たくさんの悲しみが、あなたを豊かにしていきます。
そして、宝石のような、歓びを、時に手にすることもできます。

あきらめないで。

決して、あきらめないで、
絶望と孤独と戦って、
歓びと、穏やかで自由な心を取り戻して欲しいと願っています。


ブログを通じてのささやかな応援ではあります。
そして、自分の無力さに、腹が立つことも多いです。
迷い、迷いながら、書きつづった、つたない文章です。
本当のことを言うと、これまで、何度も、ブログから、撤退しようと、思いました。

それでも、
書き続けろと、応援してくれる人がいます。

出会いとは、妙なるものですね。


これから、私もまた、変化していくでしょう。
そして、何かと、戦い続けることでしょう。
そういう性分なのは、自分でもよくわかっています。

見守ってくださっている方、
私を、ここまで、育ててくださった方、
その意思を継ぎながら、
今後も、歩いていこうと思います。

感謝を込めて。
ありがとうの気持ちを受け取ってください。

しばし、充電します。
怒りの解放は、当時の思いとシンクロするので、
思ったより、疲弊しました。^^;

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怒りの解放(6)~怒りを越えて・・・赦し~
2009-07-11 Sat 01:31
「怒りの解放」を終えた後、

私は、孤独と、怒りの残り火のようなものを、感じていた。



他者に向ける怒りは、お祭りさわぎ。

他者への怒りは、心が騒がしい。

怒りにしがみついた、思考回路。

怒りによって、生きつづけ、

怒りを、支えとした人生。



大きな怒りが静まり、しんと、静まり返った心ではあったが、

まだ、何かが残っている。。。


そんな気分にさせた。



寂寥感?


いや、ちがう。





私は、残り火が何であるか、わからないまま、あてもなく、

たつさんに、手紙を書きつづった。

チャイルドの声を聞きながら、何度も、何度も、書きなおした。




父母への恨み、殺意。

それは、確かにあるけれど、

私は、利己的で、

目の前のものを、ちゃんと見ようとせず、

逃げてばかりいました。

父母に、優しいことばも、かけられないでいました。

友人との確執。

恨み。

それに惑わされていたのは、私自身でした。

あるときは、まぶしいものに対する、嫉妬となり、

比較となり、

彼らに、勝ったとき、

くちでは、慰め、

心では、さげすんだ。


負けたとき、彼らを遠ざけた。

それは、信頼に足りない、行為でした。

わたしに、信頼を置かない友人たちの

裏切りは、自らが、招いたこと

友の窮地に、見てみぬふりをして、

しかし、お世話をすることで、

いかにも、善人ぶった。

あの子が去ったのは、

私があの子を利用したから。

あの子を大切に思うことなく

自らが、楽になるために、利用したこと。

もっと、大事にするべきでした。

妹に傲慢であったこと 。

彼女を、踏み台にして、

小さい優越感にひたった。

それを、生きる糧とした。

それは、卑しい、ことだった。

彼女が、心ひそかに

わたしを恨むのは、

私の彼女に対する、さげすみが

彼女自身を傷つけたから 。

私の方こそ、赦してほしい。



そこまで、過去の回想で、

思いつくまま、書きつくしていった。

でも、まだ、先がある。これだけじゃない。そう思った。

数日の間、ずっと、心の細部を見つめ続けた。




そして、インスピレーションのように、降りてきた言葉。

それは、「腑に落ちる」

という感覚だった。


あ~、そうか、そうだったんだ。。。と。

それは、自分への「怒り」だった。

言いかえれば、自虐的精神。

わかってみたら、簡単ではあったけど、

たどりつくまで、数日かかった。

灯台もと暗しとは、よく言ったものだ。




最大にして、最強の敵。

そして、最後の怒りの、源。

それは、わたし自身。

わたしは、自分を傷つけることで、

哀れみが欲しかった。

わたしの最大の虐待者は、わたし自身。

それは、一番、卑怯な手段。

そうやって、自分で、自分を、

いじめ、暗いところに、追い込んだ。

それは、わたしの怒りであり、罪。


わたしを、許してくれますか?

わたしは、わたし自身を、

自分ですすんで、ないがしろにした者です。

もし、願いがかなうなら、

どうか、おっしゃってください。


わたしを、「許す」と、言ってください。

ここから、自由にしてください。



どうか、お願いがあります。


私のチャイルドに、「赦す」と、言ってくれませんか?




怒りの、最後の残りを、みつけた私は、この手紙をたつさんへ送った。


私の中に、自分に怒りを向ける自分がいる。

そう、私の世界をゆがめる目である、自虐的な精神は、ここから、始まっていると感じた。

しかし、チャイルドは、自分への怒りを

手放すことを、強く拒んでいた。



丁度、その頃、

たつさんが、マグダラのマリア物語を、

エクササイズの一環として、文章を書きあげてくださった。


そして、その物語の後尾に、

このように、書きしるされていた。


「あなたの罪をゆるします」

行き行きて、

触れあうまわりの人を、

あなたが許されたごとく、許しておあげなさい。

あなたが愛されたごとく、愛しておあげなさい。

これからも、一人でも多く、愛してあげてください。



この言葉を読んだ瞬間、

暖かいものが、胸の内に入り込んできた。



いま、許された存在で、いられるなら・・・

そう思ったら、だれかに怒りや、憎しみを持ち続ける理由なんて、

どこにもないじゃないか。

そういう想いが、さらさらと、音をたてるように、

心に流れ込んできました。



当時の私は、そう、表現しています。

怒りの解放で、自分自身を父母から、取り戻したあと、

私は、「赦し」を享受し、自分への愛を、取り戻したのでした。




この時、私のまわりには、小さなきらきらした、

霧の光が、漂っていました。

これは、瞑想中ではなく、

現実に起こった出来事でした。


最初は、目の錯覚だと思いました。

念のために、掌に、光のつぶを乗せてみようとしました。

水の光の粒は、ふわりふわりと、上から降ってきては、

私を包んでいきました。

それは、まるで、山頂のダイヤモンドダストのようでした。

粒が降っている場所と、降っていない場所の区別も、

ちゃんと、つくくらいでしたので、

幻では、ありませんでした。

やがて、それは、薄くなって、消えていきました。


後に、たつさんからは、「それは、洗礼かもね」と、言われました。

私は、きっと、誰かに、祝福されたのだろうと、思うことにしました。



その後・・・チャイルドの様子を、

当時、書きしるしたものを、コピーして、

「怒りの解放」シリーズ、エクササイズを、終わります。




チャイルドは、自分のことを、反省しています。

今まで、人に対して、怒りで接していたけれど、

それでは、自分が、なりたい大人になれないと

理解したみたいです。

父母に対しては、自分と父母とは、違う存在なんだと分かったようです。

彼らの結婚に、自分は責任を負う必要はないと、

すっきり整理できているようです。

自分が、今まで、父母から教えてもらえなかったことを、

教えてくれるか?と、大人の私に、たずねてきました。

もちろん!と返事をしました。

私は、10歳のチャイルドの肩を抱いて、引き寄せ

一緒に歩きます。

チャイルドは、心を許したように、こちらに頭を傾けてきました。

今まで、一人で、頑張って、がんばって、

突っ張っていた、チャイルドの体から、

力が抜けていくのが感じられます。


小学校が見えてきました。

チャイルドは、私から離れて、歩き出し、

ちょっと、振り返って、にっこり笑ってみせました。

そして、学校の長い階段を、駆け足で、のぼっていきました。


私は、私を許します






数日にわたって、長い文章を、お読みくださって、
ありがとうございました。
私の経験が、少しでも、皆様のお役にたちますように、
心から、願っています。

りんりん & りん より。



追記

この頃から、不登校であった、息子のリストカットや
自虐行為が、次第に、治まってきたことを、追記しておきます。
子どもは、母親の心の姿を反映しているのだと、
思ったことでした。

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怒りの解放(5)~殺りくの現場~
2009-07-10 Fri 00:10
この怒りの解放について、

何か有効な資料はないかと、色々、本やネットを、探しまくった。

先人たちの言葉を探しているうちに、不思議な符合の一致に

気がついた。



「怒り」の対局にある「赦し」。

しかしながら、この「赦し」という言葉には、非常に惹かれながらも、

多大な嫌悪感も募った。


試しに、怒りを検索してみてください。

結構、対の言葉として、「怒りと赦し」という言葉が、

ひっかかってきます。



聖書の言葉が引用されたり、しています。

しかし、回復途中のACにとっては、毒にしかならない。


「右のほほを打たれたら、左のほほを差し出せ」なんて、

腹がたって、できない。

打ち返したくなる気持ちが、ふつふつと、湧き出てきました。



それは、私の気持ちなのか、チャイルドの気持ちだったのか。。。

その気持ちは、次第に、心の声になっていった。


.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+。.:*・゚+。.:*・゚


「どうして、赦さなければならないんだ?」

「たとえ、赦しても、相手は、何も変わらないじゃないか」

「あたしは、苦しい思い、悲しい思いを溜め込んでいるのに、
 
お父さんとお母さんは、何も知らずに、一生を過ごし、

そのまま死んでいくなんて、 絶対、ゆるさない!」

「復讐したい。許すなんて、できない」

それは、内面から湧き出る、激しい抵抗でした。


感情が、少しずつ出始めていました。


私は、このまま・・・一気に、怒りの解放へと持ち込みたい気持ちで

後に続く、怒りを自分の中から引き出すチャンスを、覗っていました。


丁度その頃、スーザン・フォワード著の、「毒になる親」という本を読んでいて

本の中の、「親との和解」のエクササイズに目が留まりました。

怒りの浄化の方法として、

“気持ちが、どうしても治まらなかったら、

カラのイスに、憎んでいる相手が座っていると想像して、

新聞紙で、ぽこぽこ殴りなさい“

というエクササイズが、あった。




なんか・・・、それでも、甘っちょろいな・・・

笑っちゃうな・・・

でも、探していた、方法としては、これが、一番、

近いかもしれない。


ああ、でも、こんなもんじゃ、だめだ。

新聞紙では、だめだ。

だめだ。

チャイルドが失望しているのが、わかる。

もう、チャイルドの怒りは、出口を求めて、

そこまで、噴き上げてきている。


あとは、準備が整うのを、待つだけだ。


どうしたら、いい?



やって、いいのか・・・?


殺っていい?

殺っていい?


そう、ささやいてきた。


その時、

仮の親が、言ってくれた。


「おやりなさい」と。

「やっておしまいなさい」



GOサインが出た。

チャイルドが、小躍りしながら、怒りを、発動させた。

そのときの大人の私も、

その一言を、心から熱望して、じりじりと、待っていたのだった。



瞑想・・・


場所は、実家。


アンソニーさん(援助者)が、でてきた。

そして、場にそぐわない明るい顔で、

幅の太い剣を、チャイルドに渡す。


白い狼が現れた。
(この狼は、私が過去、小さいころに、作りだした、別人格です)


私は、チャイルドに意識を重ねる。

剣をもって、家の中に入る。

狼もすぐ、そばに一緒にいてくれる。


おとうさんとおかあさんが喧嘩をしているシーンが再現されている。


この状況でも、やつらは、自分のことしか考えない。



狼が、そろそろと、音もなく、父親近づいていく。


大人の私の中で、再現された言葉が、こだまする。

最後に、父親と大ケンカして、殴られた日、

「こいつは、いつか、親を殺す!」

と、ヒステリックに、叫んだ父親の言葉。


悲しい予言。


狼が、いっきに、飛び上がって、父親の首に噛み付いていった。

父親が、叫んで倒れる。

狼の口は、赤い血で、汚れている。

傷口をおさえて、うなりながら床に倒れこむ父親。

すかさず、チャイルドは、剣を振り上げて、

そのまま、父親に向かって、振り下ろす。




血が四方に飛び散る。

ぬるぬるとした、血の感触が、リアルだった。


血だらけの父親が、何か言った。


「おまえ、親を殺すのか」


チャイルドは、一瞬ひるむ。


私も、重なっているので、チャイルドに、力を送る。




「自分のしてきたことさえ、しらないって言うんだ。

私がどういう気持ちだったなんて、知らないっていうんだ」

チャイルドは、そう叫んだ。



そして、最後に、父親の腹に、剣を突き立てる。


床の上、


父親らしき人が、剣を突き立てられて、うめき声を上げている。


哀れに見えた。


自分が何をしてきたのか、何も知らないでいる。


もう、いい。

それでもいい。



「さようなら」

チャイルドと私が、重なって、言う。


父親は、動かなくなった。




今度は、母親。

母親は、怯えていた。

何が起きたのか分かりもせず、

知りもせず、

我が子を、恐怖で見つめていた。

この人も、自分の罪が分からずにいた人。


(アンソニーさんが、もう一本剣を投げてよこした)


少し、ためらった。

ためらわせるもの、それは、

偽物の愛情。


アンソニーさんが言った。


「やっちまうんだ!」


声に促されて、母親を剣で、刺した。

父親と違って、心臓だけを狙って、貫いた。

壁に剣が刺さってしまって、そのまま、母親は、死んだ。


その様子を認めてから、

私たちは、今まで育った家を出た。


私は、チャイルドから分離して、

血だらけのチャイルドを抱きしめた。


チャイルドが、泣いている。

私も、泣いている。


やり遂げた、思い。

満たされた思い。


しかし、さらに、

アンソニーさんが、剣を、私に、くれた。

まだ、残っている。


もう、止められないのだ。


その場を離れます。



そして、夫。

「あなたは、私に、必要ない」

私は、そう言った。

そして、夫を剣で切ってしまいました。

まるで、作業のように、淡々としています。

あっけなく、彼は、床に転がった。


そして、「T」。

勢いが付いているので、怯まなかった。

彼女は、止めさせようと、愛情深く、こちらへ向かってきた。

しかし、思い切り、剣を振り上げた。

「もう、おわりにしよう。さよなら」

そう言って、彼女を二度、三度、頭から、切ってしまって、殺した。





復讐。。。


すべて、終わり。

これで、おしまい。











ああ、わかった。

すごく、納得した。

「殺す」ということは、執着を切るという事だったのだ。


アンソニーさんが、剣を受け取る。

そして、しっかりと、肩を抱いてくれた。

チャイルドも、誇らしげに、微笑んでいる。

お互い、血だらけなのに、

とても。。。。




とても穏やかです。



やっと、自分の心を取り戻せた。

私のものが、私に戻った。



白い狼が、ふわりと近づいてきた。

私には、狼が別れを告げにきたのだと、分かった。


「長い間、私のそばにいてくれて、ありがとう」

そう、抱きしめて伝えた。

そうして、狼は、手の中で、消えていった。




願いは、果たされた。



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怒りの解放(4)~実践編・・・それでも、足りない~
2009-07-09 Thu 19:43
歩行期の怒りを吐き出せたことで、

脱力とともに、しばらく、小康状態を保つことができた。


しかし・・・

それでも・・・


何か・・・




残ってる気がした。



エクササイズをすすめながら、

やがて、学童期へはいった。


学童期と言えば、小学校、高学年。

精神的に早熟な子は、多感な思春期へと、はいる頃です。

私は、早熟とは、ちょっと、違ったのかもしれませんが、

機能不全家庭の後遺症のためか、

この頃、「本当の私を知ったら、みんなから見捨てられる」

という、恐怖を持っていました。


「いい子」では、ありましたけれど、

世間とは、ズレた、感覚に、悩まされていました。

それは、その後、私のこれまでの人生を、

ずっと、支配し続けてきたものでした。

私の内部に触れる人は、憎しみの対象になりました。


自分が、自分でない感覚。

消滅したい感覚。

滅びの感覚。

破滅・・・。


そういうぎりぎりのところで、

精神を保つには、

自分と感情を切り離す必要があったのです。



そうして、思春期に差し掛かったエクササイズを行ううちに、

私は、再度、行き詰まりを感じてきました。

学童期のチャイルドに、

かける言葉が出てこなかったのです。


幼児期の自分には、十分に、

愛情を表現できたはずなのに、

大人になりかけた、チャイルドには、

「私を信じて」と、言えなかった。


私の幼児期のエクササイズは、幼稚園なみな、

素直な感情表現ができた。

しかし・・・

学童期のチャイルドは・・・

大人の私の嘘や、虚構を見抜くように、

鋭く、私をむこうから、見つめるのだった。


「うそつき」

いじわるく、そう言う。


私は、このチャイルドを前にして、

手も足も出なかった。


幼児期のチャイルドの怒りとは、レベルが格段に、違った。

学童期のチャイルドの射抜くような、怒りのまなざしは、

大人の私と同じだった。


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怒りの解放(3)~実践編~
2009-07-09 Thu 02:10
以前、私は、歩行期のチャイルドとの出会いを書きました。

その中に、怒りのエクササイズの第一弾がありました。

歩行期といえば、私は、小さな、おむつが取れたばかりの

よちよち歩きの、小さな、小さな、女の子です。


私は、このブラッドショーのエクササイズにのっとって、

小さな女の子になり、追体験をはじめました。

その際、チャイルドは、私の体に、枝を突き刺し、

怒りあらわにして、私に向けてきました。

覚えていらっしゃるでしょうか(汗;

しかし・・・

大人の私自身に戻ると、怒りが、出てこないのです。



そこで、ブラッドショーのエクササイズにのっとり、

怒りを出すという、瞑想を何度も、繰り返し、

行ったのでした。


「怒ってもいいのだ」という許可は、仮のおとうさんから、すでに、出ていました。

しかし、はて・・・

「何に怒ればいいんだろう?」


そういう迷走状態がしばらく続きました。

それくらい、怒りがわからなくなっていたのですね。


そして、ある日の瞑想で、突然、

鉛筆を持った手に、パワーが、宿ったように、

紙に字を書き始めました。

いや、書きなぐりはじめたという方が正しかった。


それが、以下の文章?です。

ブラッドショーは、手紙は、意味をなさなくてもいいと、

最初の説明で、してましたが、

一旦、感情が発露しだすと、

実際のところは、手がつけられないほどの、

支離滅裂で、強烈な怒りがわき出てきました。


小さな子どもの、言葉というより、「感情」の断片だと感じます。

多少、意味が通じるように、後で手を加えました。



.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+。.:*・゚+。.:*・゚

(2006.2.22.水)


だれも、いない。


だれもきてくれない。


いつも いつも いつも いつも かなしい。


あたしなんかを  大事にしてくれる人 がいなかった。


さびしいよ。


さびしいよ




さびしいんだって!






あんたには、あたしなんか、いらなかったんだよ。


みんなしんじまえ!!!!



あんた、要らないと言った。 だめといった。





おまえなんか死んでしまえ。



みんな死んじゃえ!



あたしを笑った。


あんた、私を冷たい目で見てた。


あざけりで、あたしをみてた。



死んでしまえ!



お ま え な ん か、 い ら な い。




許さない。


あたしを傷つけて、楽しんでいた


満足してたじゃない



知ってるよ、あたし。























暖かい手が欲しかったよ。

抱いて欲しかったよ。

かわいいといって欲しかったよ。

抱きしめてほしかったよ。

ただ愛して欲しかっただけだよ。



愛してよ




でもいらない。



あんたの汚い手で あたしをさわるんじゃない!





欲しいものは何もくれなかった。


大嫌いだ。


大嫌いだ。

生まれなきゃよかった。

私なんか生れなきゃよかった。



そう思わせたのは、あんただよ。

飾ることが愛情?あんたは馬鹿だ。

かわいそうな人を演じて

あたしに、罪をおしつける。



あたしは、生きていいはず。

なのに、あんたは私を殺そうとする。



何度も何度も。

あんたのココロは氷のように冷たい。


ちっともかわいそうじゃない。

あんたは好きでそこにいるんだって。

あんたなんかいらない。




あたしはあんたにとって、悪い子、恥ずかしい子。

あのとき、あんたは、あいつに味方した。

あれほど、きらいな あいつと 同じ顔をしていた。



あのとき、

あのとき、





あたしは、すましたあんたが大嫌いだ。



.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+。.:*・゚+。.:*・゚





「あんた」と呼んだのは、母のこと。

「あいつ」と呼んだのは、父のこと。

「あのこと」というのは、

私の、幼児期を代表する、強烈なトラウマ。

文章の支離滅裂さは、子どものゆえのこと。




キライなのに、愛されたいと願って、願って、

願いつくして、かなわなかった夢。

それが、幼いころの私の怒りでした。

どうして、隣のあの子は、幸せそうに笑っているんだろう・・・

そんなことを、思っていました。



3歳~5歳の子どもでも、これくらいの怒りは、

ちゃんと、感じていることを、知って欲しいと思います。

その頃から、ずっと、私は、本当に、笑わない子でした。




今振り返って、書いていても、怒りの感覚が戻ります。

ただ、愛されたかった小さな子どもに、

なんの罪があったのでしょうか・・・


今、どこかで、泣いてる子どもたちを思うと、

泣きそうになります。



続きます・・・


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怒りの解放(2)~実践方法~
2009-07-07 Tue 21:04
■怒りのエクササイズ


「私はものすごく怒っている」を手紙に書く。

 はじめにはっきりさせておきたいことは、

この「私はものすごく怒っている」の手紙はほんとうに出すためのものではありません。
この手紙を書くことはあなた自身の癒しのためです。

誰かに伝えるためのものではありません。


自分の頭のなかで誰かがしたことを何度も繰り返し考えてしまって、

何度も繰り返し怒ったり、動揺しているとき、

この怒りの対象が、このエクササイズで焦点をあてるのに適切な人物になります。


その人は今、あなたをさえぎったり、脅したりできません。

「私はものすごく怒っている」を手紙に書く作業は、

もしかしたら1日以上かかってしまうかもしれません。

経験したことをじっくり考えてみたり、

ありったけの考えや気持ちを書き出すにはたくさんの時間が必要です。

このエクササイズは20分のエクササイズですが、

自分で満足のいく手紙を書き上げるまでに、

このエクササイズを3~5回ほど繰り返すことになるかもしれません。


鉛筆かペン、そして自分にとって書きやすい紙をたくさん用意してください。

机の上で取り組むのがいい人もいますし、

寝転がって枕を抱きしめながら書く人もいます。

とにかく、自分にとって書きやすい姿勢で座ってください。

姿勢はいつでも自分が心地よいように変えてかまいません。


●ステップ1:

 エクササイズの始まりです。

 まず、心を落ち着けて、

 あなたのためだけにとっておいた時間と空間に入っていくのに、

 はじめの3分間を使ってください。

 自分の呼吸に意識を向けてください。特に息を吸うことに。

 そして2分間、とても力強いエネルギーを恵と共に取り入れているような、

 そしてそのエネルギーを自分の書くほうの手に送っていくような、

 そんなイメージを思い浮かべてみてください。

 だんだん手が温かくなった感じがしたり、

 まるで手が大きくなっていくような不思議な感覚を持つかもしれません。


●ステップ2:

 あなたがこのエクササイズで対象にしている相手に関して、

 とても怒っていること、その出来事を思い浮かべてみてください。

 怒リが沸々とわき上がって、

 自分のなかで膨らんでいくにまかせてください。

 強い怒りが溢れんばかりになったら、書きはじめてください。

 エクササイズの残り時間を念頭において、

 最後の3分間もエクササイズを終わらせるための儀式に残すのを忘れないように、

 書いてください。
 

 「(怒りの対象の名前)」から書きはじめてください。
 
 そして、

 「私は・・・・のことにものすごく怒っている」という形で書きつづけてください。

 すべての文をこの形で書いてみてください。

 「・・・・」の部分は、具体的にあなたの思いを書き綴ってください。
 
 ただ、書きつづけてください。

 意味が通じるかどうかなんて、気にしなくっていいんです。

 そして、書いたことに対して、自分にとって励ましの言葉をかけてあげてください。

 例えば、「これはほんとうだね」とか、

 「少なくとも私は自分のなかからこの怒りを出しているんだ」などです。


●ステップ3

 元の世界へ戻ります。

 最後の数分を使って、息を静かに吸って、今度は吐き出す急に注意を向けます。

 息を吐き出すたびに、

 今まであなたが怒りのために抱えていた、

 張り詰めた感覚もー緒に吐き出してしまうような、

 そんなイメージを思い浮かべてみてください。

 もうすべて書き出してしまったのです。

 もう頭のなかで繰り返し考えたり思い起こしたりする必要はありません。


怒りの感情がわき起こる出来事を思い出すたびに、

この手順を必要なだけ繰り返してください。

そして、いずれすべての傷ついた体験を書き出せるでしょう。


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以上が、おおまかな方法論です。

>この「私はものすごく怒っている」の手紙はほんとうに出すためのものではありません。
この手紙を書くことはあなた自身の癒しのためです。
誰かに伝えるためのものではありません。

とありますね。

これは、手紙を出したところで、相手が変わることは、
経験上・・・ありません。
残念ながら・・・。

自分のために、自分の怒りを吐き出すことが、
このエクササイズの目的ですね。

それだけでも、かなり・・・生きやすくなります。

これは、経験した者として、断言できます。

次回から、私のエクササイズの内容を、
UPしていきます。


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怒りの解放 (1) 概論
2009-07-07 Tue 21:01
ちょっと、思うところがありまして、


人の負の感情・・・

つまり、世界を見つめるレンズが、ゆがんだ根本原因になったものを、

私が、どのようにして、エクササイズを行い、

怒りと対峙したのかを、順を追って、書いていこうと思います。

たぶん・・・そうとう長くなりますので、記事を分けます。


そして、まだ、その段階に無い方、

強烈なので、あまり、読むことをお勧めしませんので、

どうぞ、そこんとこ、ご理解しながらご自分を、守ってください。




まず、全体概論です。


これは、ジョン・ブラッドショーが書いた

「本当のあなたを取り戻す方法」

インナーチャイルド

という、かなりの分厚い本の手法にのっとっています。

(私がやった、インナーチャイルドエクササイズは、ほとんど、
このブラッドショーの手法で、行っています。
興味のある方は、本を入手されてくださいね)



■怒りを感じ解放する


怒りは大切な感情です。

怒りは、自分が傷つけられていたり、

何かがうまくいっていないことを知らせてくれる信号です。

怒りは、自分にとって何が大切かを教えてくれます。

もし、あなたが幼いとき、

はじめて怒りの感情が体のなかから沸々とわいてくるのを経験したとき、

誰か大人がそれに気づいて、

「あなたは、今とても大事な気持ちを感じているのね」と受け入れ、

抱きしめて、肯定してくれていたら、

どんなに違っていたことでしょうか。

女の子から少女へ、大人の女性になっていく道のりで、

怒りを感じるのは悪いことなのだろうか、

それは何を意味しているのだろう、

私はどこかおかしいところがあるのだろうか、

と、少女たちは怒りの感情を疑い、

目をそむけ、それを飲み込み、

喉の奥に押し込めて生きることが多かったのではないでしょうか。


人は幼いときから、自分の感情にかかわり、

肯定してくれる人を必要としています。


ここでは、最もあなたが力強く感じられる過程、

すなわち怒りの体験とその意味、

怒りを自分自身や他人を傷つけない形で創造的に表現するにはどうしたらいいかを、

一緒に考えていきたいと思います。


怒りの始まりは、時として、自分自身に対する怒りかもしれません。

「どうして私はこういう目に遭うのか」などの、

自責や自己嫌悪の形で自分に向けられるかもしれません。

しかし、時間が経つにつれて「怒りを持つこと自体は悪いことではない」、

けれど「怒りは自分に向けることではない」ということに気づいていくでしょう。


そして、それを向けるべき対象「加害行為をした人への怒り」として感じ、

(直接加害行為をした人に、間接的に友人やセラピスト自助グループ、文章・絵などで)

表現することが正当であることに気づくでしょう。


怒りは、癒しへの重要なステップです。


怒りは、とても複雑な感情です。単純に一つではありません。

怒りの背後にはさまざまな感情がひそんでいます。

怒りが純粋な状態で表れることは少なく、

普通は、悲しみ、恥、罪悪感、不安などの感情を伴ってやってきます。


怒りをいつ、どのように体験するかは、それぞれ違います。

だから、「どうして私は怒れないんだろう」と不安になるかもしれませんが、

大丈夫です。


今の自分を大切に、自分のペースやリズムで、

ゆったりと旅路を歩んでください。



●創造的に怒りを表す

怒りを癒しの原動力として肯定的に受けとめる女性は、

ごくわずかではないでしょうか。

女性は昔から礼儀正しくやさしく振る舞うよう教えられ、怒りを表せば、

「男嫌い、男勝り、イヤな女」などというレッテルを貼られることが、

今でも多いと思います。

このため、多くのサバイバーが怒りを抑圧し、内向させてきました。

しかし、怒りそのものは抑圧すべきものではなく、

破壊的であるとはかぎりません。

むしろ侵害に対する健康な反応であり、状況を変革するエネルギーなのです。


●怒りと自己評価

怒りは虐待に対する当然の反応ですが、虐待された当時は怒りを感じ、

表し、行動に移すことができなかったり、

その権利があることさえ気づかなかったかもしれません。

むしろ、さまざまな形で怒りを抑え込み、屈折させてきたかもしれません。


しかし、怒りの矛先を虐待者に向けないと、

怒りのエネルギーは別なところに向かいます。


・サバイバーの多くは、怒りを自分に向け、抑うつ状態や自己破壊に陥ります。

 「自分が悪い」「自分には価値がない」と思ったり、

 自殺したくなることもあるかもしれません。

 過食によって怒りを抑え込んだり、薬物で感覚を麻痺させたり、

 病気になる人もいます。

 自分を責めることを身につけたサバイバーは、

 傷つけられたこと、自分を守れなかったこと、
 
 愛情と関心を求めたこと、性的に興奮したことなどについて、

“内なる子ども”に怒りをぶつけるかもしれませんが、

“その子”には何の罪もないのです。


・サバイバーのなかには、

 怒りをパートナーや恋人・友人・同僚や子どもたちなどに、

 向ける人もいるかもしれません。

 怒りを抑えきれず、子どもや恋人に向け、

 時に暴力を振るってしまうこともあるかもしれません。
 
 暴力が生活の一部になっていて、

 人や自分を傷つける形で怒りを表現しているなら、

 すぐに誰かに相談しましょう。

 怒ることは正当ですが、暴力は違います。

 身体的暴力を振るわなくても、

 言葉でケンカをしかけたり、人のあら探しをしたり、

 些細なことで相手を怒鳴ったりののしったりしていませんか。

 言葉による暴力も破壊力を持つものです。


●向けるべきところに怒りを向ける

怒りを、心理的ダメージを快復する鍵にするためには、

まず怒りを、向けるべき対象に向けることを意識してみてください。

時には、自分自身や子どもや、

時には援助者に対して怒りを誤って向けていることがあるかもしれません。

しかし、今まで書いたような、エクササイズ等の過程で、

喪失を嘆くなかで諸々の感情を直視する作業をていねいに重ねていくと、

怒りは自分を攻撃する手段に使われることが少なくなり、

逆に自分を大切にするために使われるようになります。


最初は難しいかもしれませんが、

虐待の責任と自分の怒りを、確実に、

そして正当に、虐待者に向けていきましょう。


●自分の怒りに触れる

いざ怒ろうと思っても怒りが出てこないとき、

自分の怒りに触れる方法はいろいろあります。

そのなかのいくつかを紹介しましょう。


・自分のためより他人のために怒るほうがたやすいときもあります。

 はじめはそれでもよいでしょう。

 「自分の子どもが自分と同じ目に遭ったら」
 
 と想像したり、さまざまなサバイバーの手記を読んだり、

 サポートグループでの人の話を聞いてみましょう。

 人の悲しみの表情を見て心を動かされ、

 激しい怒りを耳にすると、自分の気持ちも刺激を受けます。


・怒りを態度で示すのも助けになります。

 体で怒りを表したり

 (こぶしを振り上げるなどの動きから、

 壊れて、ケガしないもの〈布団など〉を叩くなど)、

 脅す格好をしたり、しかめっ面をすることで、ほんとうの怒りを呼び起こすのです。


・セラピーやサポートグループは、怒りを引き出すのに適した場かもしれません。

“ロールプレイ”も怒りに触れる効果的な手段の一つです。

 セラピスト・友人・グループのメンバーに、

 自分が怒りを向けたい相手役を演じてもらい、

 その場面を再現します。

 それに対し怒りで反応し、解放感と安全感を味わうのです。


 この種のエクササイズを安全に行うには、

 かかわる人々が信頼でき強い感情を受けとめられる人でなくてはなりません。

 また怒りを表現する際は、人も自分も傷つけないなど、

 何らかのガイドラインが必要でしょう。

 そして、もう十分だと感じたら、いつでも止められるようにしましょう。


・文章を書くことも怒りを引き出す方法の一つです。

 虐待の影響と思われることを箇条書きにしてみましょう。

 これをていねいにやっていると、大抵怒りが出てきます。


・虐待者に対する怒りを、より正当化しやすい怒りに便乗させるのは、

 自分の内部で無意識に働く

 “怒りへの自己検閲”

 を打ち破るのにいい方法です。

 世界のいろいろな不当な出来事に自分の心の傷を重ね合わせることで、

 心の底からほんとうに自分のために怒れるようになるかもしれません。


・まだ自分の怒りにしっかり触れていないとき、

 他人が自分のために怒ってくれるのをうれしく思うこともあります。

 自分のために身近な人や第三者が怒ってくれることが支えになり、

 内に秘めた怒りを感じる助けになることもあるのです。


●「怒りが怖い」場合

サバイバーの多くは過去に怒りにまつわるいやな思いをしてきたために、

怒ることを恐れます。

家族のなかで制御できない破壊的な怒りを見てきた人もいるでしょう。

身近で破壊的な怒りを体験していなくても、

「いったん自分に怒りを許したら人を殺めるのではないか」

と恐れる人もいます。


でも、あなたは怒りを、自分が納得いく新しい形で表現することができます。


子どものころ加害行為をした人に、怒りを暴力的にぶつける女性はまれです。

怒りは感情の一つであり、それ自体は誰も侵害しません。

「怒りを感じること」と「その怒りを行動で表すこと」の違いを、

はっきりさせる必要があります。


自分の怒りを認めると、

次は「それを表現したいか、どんな形で表現したいのか」を選ぶようになるでしょう。

怒りは決して制御できない感情ではなく、

それを進んで受けとめ馴染むことで、自分の望む方向へ向けられるようになります。


サバイバーの多くは、自分の怒りの根深さを知っているだけに、


「いったんそれに触れたら永久に怒りの渦に巻き込まれ、

敵意と苦痛に満ちた人生を送る羽目になるのでは」と不安になります。


しかし、怒りが“執念”となるのは、

それを抑圧したり誤った方向に向けたときだけです。


心を開いて自分の怒りを受け入れ、

それを名づけ、熟知し、適切な方向へ導けば、

怒りは自分を解放する真の力となり、

新しい生活をつくり出すエネルギーに転換されます。


●怒りと愛情

怒りと愛情の関係について「怒りは愛情を壊すもの」と時に誤解され、

滞っている感情の解放を妨げます。

身近な人や楽しい体験を共有した人に虐待を受けた場合、

その人との関係や子ども時代の楽しい思い出まで否定したくないために、

自分の怒りを認めたくないこともあります。


しかし、怒りは大事にしたい思い出まで否定しません。

怒ることでなくなるのは「加害行為をした人が何もしていない」という幻想だけで、

よい思い出はそれとして残せるのです。


●復讐したいサバイバー

サバイバーは、自分をひどく傷つけ加害行為をした人に、

復讐したいという思いに一度は駆られることが多いものです。

殺人などの夢を見ることもあるかもしれません。

復讐したいと思うのは自然で正常な衝動です。

心ゆくまで空想してもよいでしょう。

復讐を思い描くことを自分に許すことで、かなりの満足感が味わえます。


でも「空想を実行に移したい」と思いはじめたら、

その行動が自分の将来に与える影響を考えてみましょう。


現実的に考えて、暴力的仕返しは賢明ではないと思われます。


虐待の連鎖を断ち切るかどうかを、決めるのは、あなた自身です。


仕返しは自分のすることではないと考えるサバイバーもいます。

何よりも、自分が健やかに生きることが最高の仕返しになることもあるのです。


●怒りを安全に出すこと

怒りを経験し表現するのに慣れるにつれ、それは日常生活の一部となります。

押し込めさえしなければ、怒りは“恐ろしい怪物”ではなくなり、

さまざまな感情の一つになります。加害行為をした人と対決するときも、

一人で自分の怒りに向き合うときも、何らかのはけ口をつくることが大切です。


例えば、こんな方法があります。

・人前で口に出してみる。

・加害行為をした人に手紙を書く(実際に送らず、ただ書くだけでもよい)。

・安全な場所で叫ぶ。友人に一緒に叫んでもらう。

・壊してもかまわないもの(古い食器・段ボールなど)を壊す。

・クッションやベッドを叩く(自分がケガをしないように)。

・武道教室に参加する。
 エアロビクスをやりながら、
 あなたに加害行為をした人を想像上で殴ったり蹴ったりする。


このほかにもさまざまな方法があります。

創造的に怒りを表すことで、怒りは癒しにつながります。


●怒りから行動へ

怒りは加害行為をした人との関係を断ち切るきっかけを与えます。

また、現在の生活でも、横暴な上司のいる職場を離れたり、

暴力的なパートナーと別れたり、

薬物やアルコールの依存から立ち直る糸口になったりします。

怒りに的確な焦点を当て、その矛先を自分から加害行為をした人へと移すことで、

自分を受け入れ、育み、前向きに行動する道が開かれるのです。


.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+。.:*・゚+。.:*・゚


これらは、本のコピペですけど、

実にさらさらと書いてありますが、

実際、やってみると、

血反吐を吐くような、そんなエクササイズでした。


自分が傷だらけになりながら、

でも、這ってでもやらなければと、

そんな状態でした。

当時、私の姿は、とても、自虐的に見えたかもしれません。



その課程は、後ほど、まとめて行きたいと思いますけれど、

これをやるには、本当に信頼できる、

同じ道をゆく仲間(慰めあいではなく)、

そして、先ゆく人の強力なバックアップが、必要でした。

幸いにも、私には、それが、両方揃っていたことは、

感謝しかありません。

続きます。
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探し物はなんですか~、あれです(T T)不登校<機能不全家庭<AC
2009-07-07 Tue 11:09
自分のアホさが、悲しくなる。

ずっと以前に書いた、「怒りの解放4連発」記事が。。。

どこに行ったのやら、わかんない。

楽天から移転したときに、消しちゃったのか、あたし!ヽ(^o^)丿

うわわ~~ん(T_T)/~~~

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でも・・・

今日は、なんだか、ほっこり、幸せ気分です(*^_^*)




それは、置いといて、

「怒り」ってことに、少しだけ書いておきたいと思うのです。

私は、基本、自分の経験上から、


不登校<機能不全家庭<AC



という流れがあるんじゃないかと、思っています。



参考までに、ACの環境定義とは、大体、以下のようなものです。

・アルコール依存症の家庭

・深刻な慢性病を抱える家庭(たとえば、長期の入院が必要な家族がいるとか)

・両親の不和、暴力(DV)

・離婚や死亡によって親を失う(強烈な喪失)

・親から子供への虐待(体の危害や言葉の暴力、放置、過保護・過干渉)

・家族が、ギャンブル、アルコール、異性関係等に「のめり込み」(嗜癖)

・親がワーカーホリックで、何よりも仕事を優先

・子供が「親から愛されていない」「生まれてこなきゃよかった」と思うような家庭環境

・親の愚痴やお説教が、過度に批判的、
 審判的で子供を つぶしてしまう家庭環境

・大きな災害や戦争



大体、こんな感じですね。


こうして、文章にすると、そんな不幸な家庭があるのかなあと、

客観的に思えるのですが、

その中に自分が、ひとつでも、びしっと当てはまると、

感じた人は、今まで、だいぶ、自分に、向き合って来られた方だと、思います。


感情というのは、個々に受け取り方も違うので、

ひとくくりには、なかなかできないところもありますけど。。。

子どもが不登校になると、

それがきっかけとなって、母親は、自分と向き合うことになります。

で、これら、ACのおおまかな、環境定義がありますが、

このような家庭環境ならば、そこで育つ子どもたちは、

一体、どのような感情が先にくるのでしょうか。


たとえば、会社の上司が、理不尽なことを、毎日、毎日言う人だったら・・・

たとえば、夫が、ギャンブラーで、明日食べるコメが無かったら。。。

いつも、暴力暴言にさらされていたら。。。


人の一番根本にあって、素朴な負の感情は、

私は、悲しみだと思っています。


悲しみが心に、雪のようにつもり、

そして、、次第に、腐敗して、今度は、憎しみか、怒りに変わります。


なので、怒りの下には、深い悲しみが、内在しています。

怒り、そのものは、すごく強い感情なので、

あらゆるものを弾き飛ばしたり、捻じ曲げたりする、強力な力を持っています。

悲しみに、触れられたくないのですね。

長年、そうやって、自分を守らなきゃいけなかったのですから、

そうしないと、生きていられなかったんですから。。。

しかし、それをやっている限り、

・・・怒りがある限り、穏やかな心は、訪れることは、ないとおもうのです。


その怒りをはぎ取る作業が、

「怒りの解放」だと、私、思っています。

私も、自分の中にある、怒りを解き放つことに、四苦八苦しました。

ほんとに。

そんなことを考えながら、上の記事を探していたのですけど、、、


ない!


あ~、という次第でした。がっくし。


でも、やっぱり言います。

子どもの問題は、親の問題。


子どもが問題なのではなく、親の思考回路のどこかに、

行き詰る要素があると、そう思います。


不登校、せっかく、もらったチャンス。

チャンスは、活かしていきましょう。




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お誕生日
2009-07-05 Sun 21:57
本日は、娘の19の誕生日。

19年前の、あの暑かった夏を思いだします。

今日は、ケーキとちらし寿司で、ささやかに、お祝い。
単身赴任中の夫からは、サプライズの、アロマセットが、娘に送られてきていました。
(なかなか、やるじゃん、夫)

これは、私も全然知らなかったのね。

私が子どもと夫の仲介するよりも、こうして、夫が、自分の頭で考えて、
自分の気持ちを、直接子どもに、伝えるって、大切だと思います。
今までは、私を介して、夫→私→子どもでした。
たぶん、私が、そのように、仕向けていた部分もあったかなと反省。
今は、夫→子どもに、なるように、
夫と子どもの関係の中には、私は、入らないでいる。
そうしたら、自然と、夫→子どもに、なるんだねえ。

要するに、昔は、私が、中心にいて、
一家を、操作していた、とも、なるかもしれない。

それでいて、「夫が子どもを理解しようとしない」と、
そんなことを、不満に思っていたりした。

私が仲介する限り、その形態は、崩れなかった。

もうひとつ言えば、私が、家族を操作するのを、辞めた時から、
次第に、変わっていったのかもしれない。

また、単身赴任という、距離のあるところで、
夫も自分で考えなきゃ、しょうがない状態になったのかもしれない。

何が、幸いしたのか、よく分からないけれど、
まあ、結果オーライで。

適度な距離が、心地いい。

一緒に夕食を取ったら、息子は、役員の書類作りのために、
先輩のうちへ、泊まり込みセットを持って、出かけていきました。


そういえば、、、かつて、姑は、よく、
愚痴やら、悪口やら、私を捕まえて、話したがっていました。
同居していないので、まあ、寂しいのだろうと、思っていましたが、
これって、聞けば聞くほど、キリがない。
でも、私の方は、「いい嫁、いい人」でなければならないという、
なんだか、わけのわからない使命感(?)で、たいそう消耗しました。
夫は、お気楽に、人ごとのように、してました。
(これが、また、さらに、むかつく)
その頃は、夫の実家に行くと、姑さんは、待ってましたとばかりに、私に付いて回って
誰かの愚痴やら、悪口を、繰り返し、繰り返し・・・。(〃_ _)σ∥ガァーン
これじゃあ、ファービー人形(知ってるぅ?)でも、いいんじゃないかと。。。

ある時期から、これを非常に、苦痛に感じはじめて、
姑は、夫に、まかせ、
私は、子どもたちや、いとこたちと、遊ぶようにしました。
(こっちが、断然、楽しいもん)

ほら、
自分は、自分の居所をつくっていいのです
って、西尾和美さんも言ってたしね。

あれっ(汗;・・・娘の誕生日の話から、こんなところまで・・・

いつものことですから、お許しを~。


とにも、かくにも、


本日生まれの方々、


お誕生日、おめでとう~

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ここが変だよ、不登校克服論
2009-07-04 Sat 23:18
時々、不登校のキーワードで、検索をかけるのですが、

今日は、サポート校らしきところにあった、「珍言」をみつけました。


ルールは厳しすぎてもいけませんが、ゆるすぎてもいけません。 ゆるすぎるルールや、こどもの好き勝手を許すのは、親のことなど無視しなさい、と言っている様なものです。

ルールがほとんどない家庭で育つと、その子供は他人の気持ちがわからない子供に育ちがちです。

自分と他人との役割や、していい事としてはいけない事の違いがわからなくなり、自己中心的な無責任な子供に育つ可能性が高いです。



どこがおかしいか、わかります~?

んで、次の章に、こんなこと、書いてありました。



大人は、常に子供をルールで縛り付けます。

家庭でも、学校でも。

それはある意味、当然のことです。何故なら社会はルールの上で、成り立っているからです。

しかし、幼児の頃は、親のルールにすべて従っていた子供も大きくなってくると、ルールを守らなくなります。ルールを厳しくすればするほど、抜け道を探してルールを破るようになります。

このことに焦ってはいけません。これは大人から独立し、自分自身で生きていこうとする、自然な成長の姿なのです。絶対にルールを守らせる姿勢をとるのではなく、ありのままを受け止めなければなりません。



なんだか、支離滅裂だと、思っちゃいました。

じゃあ、どうしたらいいんだ!と、混乱するに、決まってます。


私も、かつて、子どもの不登校の時期に、散々、こういった、
不登校本を読みまくりました。
でも、ここに、代表されるように、
こんな、矛盾を、平気で、書く人、いるんですね。


ルールが無いというのは、おそらく、放任主義のことを、言っているのでしょう。
しかし、おおむね、最近の不登校の家庭というのは、
経験上、それほど、放任家庭は、多くないのですよね。

むしろ、一生懸命で、まじめなお母さんが、多い。

で、まじめなお母さんたちが、このような文章を読まれたら、
森を見ずして、木を見るように、
すわ、お昼からでも、行かせなきゃ、
怠け者になってしまう!
根性なしに、なってしまう!!
な~んて、あれやこれや、進路を提案してみて、
それが、結果的に、深い溝を親子に作ってしまうことになりかねない。

最初から、怠け者の子どもなんて、いませんよ・・・。

>こどもの好き勝手を許すのは、親のことなど無視しなさい、と言っている様なものです

まったく、どこのどいつだ、こんな文章書いたのは。。。と、ため息が漏れる。
子どもは、本来、親が大好きなんです。
親が嫌いな子どもなんて、私には、想像もつきません。
暴力をふるう子どもだって、
「気持ちを受け止めてよ」という心の叫び。

アダルトチルドレンであっても、親をいくら憎み、恨んでも、
やはり、それは、「わかって欲しかった」という、気持ちの裏返しと失望。

>しかし、幼児の頃は、親のルールにすべて従っていた子供も大きくなってくると、ルールを守らなくなります。ルールを厳しくすればするほど、抜け道を探してルールを破るようになります。

で、これ↑は、一体なんだ??

子どもをちっとも、信頼していない。
親から、信頼されない子どもは、そりゃ、暴れたくもなりますよ。

そして、最後に、だから、サポート校で、
ある程度のルールの中で、訓練する必要があるのです、とな。

笑止!

訓練ですか・・・

子どもは、親や、大人の背中をみています。
子どもの姿は、大人の心の反映にしか、すぎません。

相手を信頼することのできない人たちは、
「訓練」することが、大好きです。

「ありのままを受け止める」ということと、「訓練」と、
矛盾したことを、平気で、書く、厚顔無恥。

私には、わからない。。。世界だ。

こういうのは、不登校を商売にする輩の文章だ。

一部では、あろうけれど、
このように、不登校で苦しんでいる人や、親を、
さらに、迷わせるようなことを書いている輩は、
猛省して欲しい!


枠のなかでしか、生きられない人々は、
子どもを檻の中に閉じ込めようとやっきになる。

まず、不登校云々を語るなら、自分が枠から出ることでしょうね。

それと、短期間で、不登校克服って、よく見ますけど、
あれも、商売だよ~。

不登校とは、親と子が、本当の意味で、
心が通い合うようになることだもの。

和解するってことだもの。

それには、親が変わる必要がある。
そんな、15日や、そこらで、短期間で、親が、手軽に変われるのなら、
みんな、悩んだり、苦しんだり、しないですよ。。。

心を変えるということは、時間もかかりますし、
はっきり言って、そんなスマートにできるもんじゃないです。
血反吐はくような、苦しさの末に、手にするものです。
だから、大切な宝物に、なるのです。

貧しい中で、毎日、こつこつ貯めて、やっと買えた、ダイヤモンドと、
誰かから、ポンと、買ってもらったダイヤモンドは、
同じダイヤモンドですが、価値は、やはり、前者にあるんじゃないでしょうかねえ。


もっと、突っ込みたいところあるんですが、
ほとんど、全文。

時間がいくらあっても、足りないわ~ヤレヤレ(´-ω-`)

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エヴァンゲリヲン
2009-07-03 Fri 20:21
ただの趣味です。。。

本日、エヴァンゲリヲンが、TVで放映されます。




かつて、はまりにはまった、エヴァ。(パチンコじゃないっすよ)

DVD、買った!(*・`ω´・)

録画準備!(*・`ω´・)

ターゲット、ロックオン!(*・`ω´・)


逃げちゃダメだ!逃げちゃダメだ!(`・ω・´)


もう、今から、碇シンジくんの、台詞が頭の中で、こだましてます。


意味不明やね。。。

分かる人には、わかる。


自尊心と生きる背骨が無かった主人公が、

父親との確執、母親への思慕、

心の傷をかかえて、生きる道を探す。

主人公をとりまく人々もまた、依存したり、

誰かを取り込もうとしたり、

愛されたかったり・・・




私自身も、膝を抱えて、一日中、繰り返し繰り返し巻き戻して、エヴァを見ていた時期がありました。

エヴァの中に生きる人々の心の傷に、自分を重ねて見ていました。

そんな時代がありました。
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本と著者様のご紹介
2009-07-03 Fri 19:48
本日は、ブログで、日頃から、お世話になっている方々の、

本を、ご紹介をさせていただきたいと思います。

これからご紹介する本たちは、

すべて、自費出版されたものです。

画像は、手元にあるものを、自写したものなので、

画質は、よくないけど・・・$%$’’’&#”・・・・ということで。(笑)


まず、こちらね!


CA3C0055.jpg



この冊子は、北海道身体障害者団体の「のほほん工房」さんが、毎月、
制作されているものです。
そういちさんが所長をされています。ご存知の方も多いかな?
とある縁で、私のつたない文章や、サテライトブログの「心おだやかにいきるために」の文章を、のっけて頂いております。
ありがたいことです。

本の内容は、毎月、工房に所属されている皆さんの力が結集されて、
すごく、濃い内容になってます。
一生懸命、生きているってことが、ひしと伝わってきます。
応援も、したくなります。


うらんちゃん、いつも、読んでますよ~^^>私信


しかし、本を毎月出版するのは、ほんとに、おカネが、かかります。
私も、子育てサークルの時代、
冊子を作っている側でしたので、
どれほどの経費がかかるか、そりゃもう、想像できます。
どうか、興味があられましたら、皆様、


賛助会員

に、なってみませんか?

お問い合わせは、画像をポチしたら、のほほん工房HPへと、飛びます。
どうぞ、力になってくださいね。



お次は、こちらです。

CA3C0057.jpg


はい、「壊れた心を取り戻す」のきんたろうさんが、
今まで、ブログを通じて発信されてきた記事を、
本にされたものです。
アダルトチルドレンや、不登校、暴れる子ども、機能不全家庭について、
その心理や、心の動きを、深く、解析・洞察されていますね。

なかなか、いいですよ。
昔、アダルトチルドレンのことで、検索をかけて
きんたろうさんと、出会いました。
ブログを読んで、その鋭い、分析力に、感動とともに、食い入るように、読みふけったものでした。

くわしくは、きんたろうさんのブログへ、飛んでってみてね。

それにしても、自主出版って、大変でしょうねえ・・・



最後は、こちら。

CA3C0056.jpg



こちらは、先月できたてのほやほやです^^

tatsuさんが、「心おだやかに生きるために」の一部を、小冊子として、
まとめられました。

きれいな、青色の表紙に、うっとり~(*≧∀≦)    ・・・ヤレヤレ(´-ω-`)

疲れたとき、人生がうまくいかないと感じたとき、
ふと手にとって、見られるような、そんな本です。

ページをひらけば、今、あなたに必要なことばが、
心に、飛び込んでくるかもしれませんね。

読んでみたいなあという方は、
HP心おだやかにいきるためにに、メルアドありますので、
そちらから、申込みお願いします。

この本は、tatsuさんのライフワークの一環ですが、
今回は、基本編ということでした。
今後、さらに、小冊子シリーズとして、少しずつ出版するという感じになるでしょう。

(ただし、かなり、スローペースだろうと、予想中)

こちらもね、只今、賛同者さんのカンパ金を大いに、募ってます。


とにかく、自費出版は、お金がかかります。
でも、その壁を越えて、誰かを助けたいという、熱い心を抱いた方々を、
応援していきたいと、私は思っています。

それが、このすさんだ世の中や、人の心を変える、力になると、
信じてやみません。

どうか、皆様、ご協力お願いします。


最後に、3人のみなさま、勝手に本のご紹介をして、ごめんなさい~。(´・ω・`)




by ひいらぎ


日本では、残念ながら、大衆受けするものしか、本になりません。
批判になるかもしれませんが、
村上某の「IQ○○」が、ハードカバーの高い本にも関わらず、本屋では品切れが続出しています。
けれど、私は、どうも、触手がうごきませぬ。
そういう人間がいても、いいんじゃないかと^^
今回の記事では、こうして、地道に、自らの信念に乗っ取って、自主出版をされる方々も、いるのだということを、皆様に、お伝えしたいと思った次第です。

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