author : rinrin
【不登校】新学期へ向けて 「ひまつぶし」~星の王子様より
2009-08-31 Mon 21:01
「あんたが、あんたのバラの花をとても大切に思っているのはね、そのバラの花のために、ひまつぶしをしたからだよ」


きつね流に言えば、
「ひまつぶし」とは、無償の愛

受け止めること。
見えないものを見ること。


私も、経験しましたが、
不登校の子を持つ親御さんが、持つ葛藤のひとつに、
「子供の要求を受け入れるだけでいいんだろうか」
という迷いあります。
おそらく、皆さん、もれなく、一度は、必ず経験されることだろうと思います。

そんな不安にかられると、
つい、「受け止める」から、「させたく」なりますよね。
特に、新学期をひかえた、この時期。
子供に、ばれないように、巧妙に、しかけをして、
動かしたくなりますねえ。

でも、子供は、そんな大人の心なんて、お見通しなんです。
いくら、もっともらしい言葉で、言い訳したって、わかってるんです。
見透かされているということを、
大人は、もっと、真摯に受け止めなければならないのかもしれません。

それが、わかっていても、乗ってくる、心優しい子たち、
違和感を持ちながら、「させられる」を、「自主的に、する」という形に、
いつの間にか、親に摩り替えられたり、
あるいは、反発したり、
まだ、そんな時じゃないんだと、体の症状で訴えてきたり、
それは、子供の回復の時間によってさまざまだろうと、思えます。


やはり、十分に「受け止める」が、先なんだと
星の王子様の、きつねも、言っているような気がします(笑)

大人であっても、私の気持ちを誰もわかってくれないって、
思うことあるでしょう。

子供だって、そうなんです。

子供の心と、「ひまつぶし」、してますか?


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歩いていこう 3
2009-08-27 Thu 12:10
不登校を考え続けて、5年過ぎようとしています。

共依存を考え続けて、もう、それ以上の、年月がたとうとしています。


朝方、夢をみました。

大切な猫が亡くなった夢。

そして、再生。

小さな手のひらに乗るくらいの生まれたての子ネコ。

いとおしい。



昨年、亡くなった犬と散歩をしている夢。

当時、散歩というと、図体が大きいハスキーだったので、

散歩紐を短くもって、私も犬も、なんとも窮屈な散歩だった。

夢の中では、どこまでも、伸びる紐で、その犬は、楽しそうに先を歩く。

幸せな光景。

穏やかな私たち。

握りしめた紐を、手放して・・・、どこまでも手離していく。


破壊と再生。

常に、私につきまとう。

軽々と、壁を破壊していく。

いつまにか、そうなった。

それは、たぶん、破壊がもたらす、次の再生の喜びを知ったから。


ここで、また、ひとつの破壊を。

3年ほど、住み着いていたミクシーを本日、卒業します。

いつも、そうやって、私は、前にいこうとする。

その方法しか、しらない。


ただ、ひとつのことを除いて。

たったひとつの私の金貨。

今は、心の宝石箱に、入れておこう。

それが、私の生きる証になるように。

私が先にすすむ力になるように。

私が立ち止まらないように。

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ジェラシー、じぇらしー、嫉妬心【AC】
2009-08-26 Wed 01:09
ここんところ、ずっと、これを考えています。

嫉妬とは、なんぞや?
今更、なんですけど(笑)


自分に興味のない分野とか、かけ離れてすごい人などは、

「尊敬」という気持ちが、わきますけど。

でも・・・

ある日、親しい隣人が、宝くじで、一億円当たった!とか

ついこの間まで、肩を並べていた同僚が、出世したとか、

おめでとう!と、素直に、言えない気持ち、あるよねえ。

私だって、もう、ダークになるほど、山もり、てんこ盛り、お腹いっぱい、今まで経験してきました。

はい(ノ_・。)凡夫ですから。


うちの具体例でいえば、不登校の子どもと比べて、普通に学校へ行ってる子を目にすると、なんだか、もやもやっっと。

嫉妬は、身近で、比較級が生じれば、当然、人として、起こりうる感情だと思う。

特に、こういう、身近な比較級は、胸をかきむしられそうになるほど、とても、辛いもんです。

ある説によると、人間の子は、生まれて3カ月で、嫉妬を感じるように、なるとか、ならないとか。

単純な話で、いくと、嫉妬は、向上心の現れとも、言いかえることが、できるような気がする。

ある本で、嫉妬を克服するには、相手を祝福しなさいと、最初は、嘘でも違和感があっても、そう自分の潜在意識に、落とし込むまで、やり続けたら、次第に、祝福できる、自分になれると。
えらい、精神科の先生の本などにも、このように、書いてあるのを、今日も、また見つけました。

うん、なんだか、素敵な自分になれそうだ!



うそ、です(笑)。

これも、まあ、ひとつの方法論では、あるのですけれど、割に、健全な家庭で、育った人なら、効果的かも、しれません。
しかし、これが、アダルトチルドレンだったら・・・
嫉妬の、メカニズムまで、いまひとつ、届いていないのじゃないかと、
そんな風に、今、自分の中の嫉妬心を、見つめながら、私は、感じています。
あるところまでは、行けるような気がしますけど・・・根本が、解決されていないと、そう、思います。
そのような、表面の方法では、自分の違和感は、ますます、もやもやと、苦しむか、
やがて、克服したつもり、感じないつもりで、良い人を演じるか・・・
でも、それにも、限界がある気がしてます。

いつしか人は、自分の本心に、気づくときが来る。

では、嫉妬の、根本にあるものって、なんだろうと・・
そんなことを思うわけです。

アダルトチルドレンの嫉妬は、おもに、「内なる子」の声なのでは、ないかと。
内なる子・・・成育歴の中で、子ども時代を、子供らしく無邪気に暮らせず、
本当は、親から擁護される時期に、反対に、親の面倒をみたり、心配をしたり、なだめたり、一触即発の生活の中で、自分の子どもらしさを失ってきた子。
閉じ込められ、放置されてきたインナーチャイルドの、声。

私を、認めて。
私を、ないがしろにしないで。
私を、大切に扱って。

自分には、決して向けられなかった、親の笑顔が、
なぜか、他所の子や、他の兄弟に向けられる。
なぜだろうと、子ども心に、悲しかったに違いない。

そうだね、悲しかったよね。
とても。

だから、存在の不安を感じながら、他者と自分を比べながら、
いつも、サバイバルしてきた。

でも、自分の中に巣くう、内なる親は、鬼の顔で言う。
「人に、焼きもちをやくなんて、なんて、情けない子なんだ」と。
その言葉が、内なる子どもの気持ちを、打ち砕く。

やっぱり、私は、駄目なんだ。
嫉妬心を感じる、私って・・・最低だ。
私には、そんな、権利もない。
嫌な、私。

こんなしぼんだ、気持ちになっちゃいます。
しかし、そのしぼんだ状態のまま、人は、永遠に、生きていけないもんです。

反対に、相手が、自分より、明らかに「下」の状況だと感じたら、
その嫉妬心は、今度は、傲慢さに変化していきます。
密やかに・・・甘い蜜の味を求めて。

押し込んだ気持ちは、いつも出口を探しているんですね。
形を変えて。

このバランスで、私は、いつも、上がったり下がったりしていました。
嫉妬というのは、言いかえれば、「所有したい」「欲しいけど、手に入らない苦しさ」が、他人の言動によって、揺れ動くのではないかと思われます。

嫉妬が、傲慢さに変わるとき、「ほら、私は持ってるのよ」と、さびしい子どもが、ひけらかすのに、似ている。
その後の自己嫌悪感も、悲しいほど、自分を苦しめることを、知りつつも・・・
本当は、そんなことしなくていいはずなのに・・・

という、繰り返しをやり続けてきた、りんりんさんの体験談。

インナーチャイルドの課題をやりながら、この嫉妬心は、私の課題として、最後の最後まで残りました。

今であっても、克服したと、あまり、言えない状態ではありますが、
昔と違って、ちょっと違うのは、その状態から、抜けるのが、多少、早くなったということでしょうか。
そして、自分でも、その感情をごまかさず、自覚をしているということでしょうか。
それほど、嫉妬という感情は、扱いが難しいのだろうと思います。

嫉妬という感情には、「私は私のままでいいのです」という、言葉も、空に吹っ飛びますから。

思うのですが、
嫉妬をしない人間は、たぶん、どこにも、いないんじゃないかと思います。
けれど、嫉妬を、恥ずかしいとか、駄目だという否定的な受け止め方ではなく、
自分も、少しでも、そういう人間になっていこうと、そう、努力する方向に、持っていきたいと思うことが、今の私を助けているのだと思います。
いや~、ありますよ。
自分より、素晴らしい文章を書かれるブロガーさんに、出会ったら、
そりゃ、ねえ、「おぬし、やるな」と、やはり、思いますよ。
やっぱ、悔しいっすよ。
特に私などは、書き流しタイプなんで、理論的、かつ、美しい文章に出会うと、
嫉妬、します。
きれいな女性を見たら、そりゃ、「負けた」って(爆)いや、もともと、素材が違うんで、嫉妬もありゃしないんですけど(涙)

           .。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+。.:*・゚+。.:*・゚
      
最後に、元気になる歌。
私、アニメおたくですので、ワンピースの主題歌を。

アラバスター編、泣きましたよお。




(歌詞抜粋)著作権の問題が、あるかもしれないので。


未来だけ信じてる

誰かが わらっても、かまわない
走っている情熱があなたをきらめかせる
まぶしすぎ でもみつめていたい
どっか美学 感じてる

誰にも似てない夢の背中を
追いかけて 追いかけてく
夜明けを よびさますような燃える気持ち
あとさきなんて いまは  しらない
・・・・・
・・・・・

山積みの問題を 軽めのノリで かわしちゃう
この道は戻れない あなたのプライドだね
トラブル続き弱気な夜は、
ぎゅっと 抱いてあげるよ
I wanna be with you


誰にも見えない夢の形を
つかまえて つかまえてく
わたしは ついて行くから 熱いきもち

つじつまあわせ 別にいらない
ありふれた日常 よりも
パラダイスめざして走れ
Belive in wonderland

誰にも似てない夢の背中を
追いかけて 追いかけてく
夜明けを よびさますような燃える気持ち
あとさきなんて いまは  しらない
・・・・・・
・・・・・・

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【日々徒然】自分の書斎が欲しい・・・
2009-08-24 Mon 15:36
と、切に、思います(;-_-) =3 フゥ

私のパソコンは、リビングに置いてある、デスクトップ。

リビングには、ゲーム機や、ピアノ、

それに、娘と、息子のお勉強道具が、あちこちに、

積まれています。

やつらは、自分の部屋は、物置と、寝るところ、にしておいて、

このリビングに、ほぼ、住み着いている。(- .-)ノ” ナンデヤネンッ!

何度も、この状態を改善しようと、試みたが、結局、

やつらの、恐るべき、侵略には、かなわなかった。


その一角に、私の資料が、なんじゃら、かんじゃらと混在している・・・。

だから、私も、リビングに、彼らと共生している状態。

気がつくと、大事なPCでさえ、乗っ取られること多々あり。Σ( ̄ロ ̄|||)


最近、この状態、もう、やだっと、思い出した。
(遅い?)

そろそろ・・・・この部屋、おいとまさせて頂こうかと。

二階に自分の部屋、作ってみようかと。。。。

どうして、今まで、それを思いつかなかったかなあ~。


自分だけの落ちつける場所。

レッツ、トライ!

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NPOいじめから子供をまもろう【講演会】
2009-08-22 Sat 21:48
CA3C0062.jpg



準備風景を、撮ってみました。

すべて、手作りのため、講演会前の緊迫感が漂っています。

ボランティアスタッフ、約50名。

講演会の内容は、後日詳しく、アップします^^

一般参加者、100数十名でしたけど、

とっても、内容の濃いものだったと感じました。


私は、場内整理が、終わると、すぐに、

タイムキーパーのお仕事。

講演者の時間を区切っていく仕事で、

「あと、5分」「あと、3分」「終了」という札をもって、一番前のスタッフ席へ。

一番前のど真ん中で、義家さん(ヤンキー先生)の姿を間近に見ることが、

できました

TVで、見るのと、生で見るのと、印象が、かなりちがいました。

やはり、TVというものは、キャラクターを、デフォメルして、作るんだなあって、思った。

ヤンキー先生は、思ったより、小柄で、

子どもに対しては、すごく、熱く、温かく、なにより、情熱が、感じられた。

その目は、とても、まっすぐで、自らも、大人の世界で、傷ついた心を、

たくさん持っておられるのだと、伝わってきた。

(そのような話は、されていませんけどね)

だからこそ、このような仕事をされているのだなあと、感じる。

時々、のぞきこまれるような、感覚に、おちいった。

講演者のすぐ近くでなければ、恐らく、経験できないことでした。


前日の打ち合わせには、行かれず、
途中、各学校や、教育委員会等への、啓蒙、ポスター掲示・・・
なかなか、身動きのできなかった私でしたが、
今日、ボランティアスタッフの一名として参加できて、感謝。
みなさま、お疲れさまでした。
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父親の役割
2009-08-18 Tue 16:33
我が家も、そうでしたけど、長年、父親が、母親化していたと感じます。

父親が、細かいこと・・・たとえば、子どもの学業のこと、

生活態度、朝子どもを起こす、家事の仕方等、「小うるさい」。


実は、私は、朝、頼まれた以外は、子どもを起こさない。

それは、たぶん、昔からでした。

遅刻しようが、困るのは、子どもたち。

そう思っていても、なぜか、夫は、毎朝、二階の子ども部屋に向かって、

目覚まし時計のように、正確に起こしに行く。

子どもたちは、不機嫌そうに、起きてくる。

そういう風景が、毎日繰り返されていた。

過去、そのことで、何度も、夫婦で話し合ったけれど、

夫は、起こさない私を、理解できず、

私は、夫の起こすという行為が、過干渉に思えて、理解できない。

今は、夫は、単身赴任であるので、

子どもたちは、私が起こさないということを知っているので、

たいていは、自分の都合で起きてくる。

息子などは、授業のある日は、六時くらいに、自分で起き、

時間があったら、目玉焼きなども、作る。

朝、「親が起こす」、という行為の、無為さを、感じる。

もしかしたら、グータラな妻に代わって、夫の方が、子育てに熱心だった気がする。

*確かに、私は、グータラではあったのですが、
夫の望むことを、無意識に再現していたのは、私も、同じですね。
だから、疲れちゃった(;-_-) =3 フゥ
夫の側に言わせると、きっと、同じことを、言うでしょうね(-_-;)


とあるサイトに、こんな文章を見つけた。

父親の役割は、子どもを母親から引き離すこと。

そうだなと思う。

でも、父親が、母親化していたら、どうしようもない。。。


そのために、子どもを外に連れ出すのです。

父母子そろっての外出も楽しいですが、

父親は積極的に、子どもだけと外出する必要があります。



夫は、いつも、家族で動きたがっていた。

私は、それに、違和感を感じながらも、同意していた。

夫にとって、私が、いないということは、かつて、その範疇に無かったのではないだろか?

私は、長年、それが、とても、苦痛だった。

たとえば、夫の実家に帰省するとき・・・

二泊三日とか・・・、夫の祖母のいいなり。

小さな子を抱えて、数少ない休日を、気を使いながら、過ごすのは、

結構、体力も精神力も使うことだね。

今では、日帰りで、さっさと、済ませるんだけど、

そのときは、そういうことも、考え付かなかった。


どこでも、家族一緒というのは、私には、無理そうだ。。。


夫は、幼い頃、家族が、ばらばらの時期がおおく、さびしかったのだろう。

その淋しさ、叶えられなかった夢を、現家族に、求めたのだろう。

夫自身は、無意識だったと思うが。


子どもが不登校になり、

私は、次第に、夫と子どもの間に、入らないように、意識的にふるまうようになった。

夫は、不満そうだったけれど、

私を仲介しての、家族とのつながりではなく、

彼、個人と、子どもとのつながりを、しぶしぶながら、少しずつ、作れていった気がする。

わずかでもいい、そんなつながりが、大切だと、思う。

おかげで、私のイライラも、激減した。

私は、夫の人間関係の輪から、撤退できたことが、

ただ、楽になれた。





子どもが初めて接する社会は、父親なのです。


まあ、この通りだとは、あまり、思わないですけれど・・・、

女性の中にも、母性と父性が、両方存在していますし、

男性の中にも、然りです。

だから、絶対、父親が!とは、思いません。


夫婦・・・ボタンの掛け違えとはいえ、

互いに、見えなくなることも多いですね。


お盆の休暇で、夫婦、または、家族で過ごす時間が多く、

普段とは、ちがって、いろいろな、ことに、気づくことのできる時期ですね。


父親も、また、自立しなきゃいけない時期にきているのでしょう。

それを手助けできるのは、

先に、気づいた方しか、できないのかもしれませんね。

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回復の過程(心の奥底にある感情を素直に出す)第三段階【AC】【不登校】
2009-08-16 Sun 00:50
私は、今、とある100均(笑)で、販売業に従事していますが、

そのお陰で、母親と、子どもの会話を、目にすることも多い。


子「あれ、かわいいね~。」「これ、おいしそうだねえ」
「これ、○○ちゃん(妹か、弟)に買ってやれば?」
親「そうだねえ~」と、チラ見して、違う商品を品定めしながら、通り過ぎる親ごさん。
このパターンが一番多いかもしれない。

子どもは、「これ、欲しい」って、ストレートに言えないかわりに、
まわりくどく、母親の同意を求める。
子どもの側は、これまでの生きていた年月の経験で、
ストレートに自分の欲求を母親に、伝えることは、
否定されるだろうと、すでに予想し、それを、会得しているように見える。

欲しいという気持ちを、理解されないまま、
取り残され、あきらめる。

親の方は、もしも、そこで、
「うん、かわいいねえ。」と、同意すると、
子どもが、「欲しい」と、言い出しかねないので、
気づいていても、無意識に同意もせず、否定もせず。

「欲しい」と、子どもが、自分の気持ちを言ったとき、
その子どもの気持ちと向き合うことが、面倒なのかもしれない。

私も、たぶん、子どもが幼かった頃、似たようなことを、やっていたに違いない。

この例は、ただの、店での一こまでは、あるのですが、
おそらく、生活全般でも、子どもの気持ちと、向き合うことを、
避けてしまっているのだろうと、そんなことを感じる。

そうでなければ、子どもは、回りくどい方法で、親に、気持ちを
おずおずと、伝えたりしないだろう、そんなことを思う。

その小さな積み重ねではあるけれど、
もし・・・
幼い子どもが、気持ちをストレートに伝えるということをして、
怒られたり、叩かれたり、否定されたり、馬鹿にされたり、
冷たい視線で見られたり、にらまれたり、
あげくの果ては、おまえの育て方が悪かったと、夫婦喧嘩に発展するならば
子どもは、自分の気持ちを正直に表すことは、いけないことなんだと、
きっと、そう、理解するだろう。

そうして、次第に大きくなっていく過程で、
正直な感情を、押し込めたり、隠したり、捻じ曲げたり、
そして、いつの間にか、自分の心を見失ってしまうのだろうか。

見失った感情の代わりに、一番身近な親の言葉、行為、気持ち、感情を真似ていくしかないのだろう。

もしも、その真似る対象である親が、実は、自分の心を見失った親なら・・・
子どもも、それを、真似るしかないわけですが・・・。

しかし、子どもの心は、大人の出来あがったつもりの、感情より、ずっと、やわらかい。
子どもは、その成長の過程で、子ども自身の誰にも犯すことのできない本来の自我が、親の作った
言葉、行為、気持ち、感情
を、何度も何度も、ぶち破ろうとする時がくる。

これを、思春期と言いますが、
その激しさは、親の作った殻(言葉、行為、気持ち、感情)の厚さに比例するのでは、ないかと、そんな風に思います。

本当なら、思春期という、激しい心の葛藤の時期は、
とても、喜ばしいことなのでは、ないかと、思ったりします。
親の殻をぶち破らないと、真実の自我へ、届かないのです。

その殻が、あまりにも、分厚いと、
外向的な子は、非行という形になるでしょうし、
内向的な子は、不登校、ひきこもり、リスカ、対人恐怖、うつ・・・等々。

もしかして、心を受け止めてもらえないという環境は、子どもにとって、とても、致命的な傷を心に、負わせるのではないだろうかと、そう思います。

このブログでも、自分の経験から、何度も、書いていますが、
不登校や、子どもに問題が起きたとき、
問題は、子どもではなく、親が変わることが、
遠回りなようで、一番の近道なんだと、

そういうことを、伝えていきたいのですが、
ここのところが、どうしても、理解して頂けないことも、
多いと感じています。

この根本にあるもの・・・
親も、子も、「感情」あるいは、「情緒」というものが、
ステレオタイプに、なってしまっている。。。
あるいは、苦手。。。
気持ちを受け取らないように、している、もしくは、気持ちを差し出さないようにしている。
そんな気がします。

たとえば、不登校の子供の気持ちを、受けとめるということは、ただ、単に、「あなたの気持ちが、わかるよ」と言うことではないのですね。
(↑とても、微妙な表現なんですけど、今の文章力では、私には、これが、精一杯^^;)
たぶん、こう、言ったら、子どもから、「お母さんは、なんにもわかってない」と、言われるか、思われるのが落ちなのではないかと、思ったりします。(経験談ですけど)
まあ、そう言われる方が、少しは、ましだと思います^^;
ましてや、いじめられた子どもに変わって、親が、いじめた子を憎いと思うことではないのですよね。
いじめられた目の前の子どもの気持ちを、受け止めることの方が、大切だろうと思うのです。
ついね、相手、憎しになっちゃいますけど、そういうことは、子どもは、本来、望んでいないんだろうと思えます。おそらく、親が、相手憎しになるのは、親の心にある、何かが、同じ状況を呼び覚ますのだろうと、思います。その何かの多くは、自分の親との葛藤の中で、生じたものだろうと、思います。その恨みを、子どもは、ちゃんと、感じて、真似をしているだけです。
不登校の影には、ACあり、と、私が感じる理由です。


話、もどります。
やっと、本題ですね^^;

そういうことで、(どういうことじゃ??(*^▽^*)ゞ)
感情を素直に出す練習というもの、
かつて、私、やりました(*・`ω´・)

いや、そんな、えばッたもんじゃないのですが、
ただ、その時、その瞬間、自分が何を感じたか
瞬間的に、言葉に出すって、やつを、やったんです。

たとえば・・・普段、人のまえでは、絶対言ちゃあいけないような、
禁句を、ばしばしと、出すんです。

人間って、結構、すましていても、
押し込んでいる感情って、表面と違いますよね。
裏と表ってやつです。

ACの人は、本音や、感情をなかなか、出せません。
いえ、うわっつらの感情は、出てきますよ。

幸せ~とか、ふつうに笑ったふりとか、そんなことも、一応、できますけど、
でも、内面と外面の違和感が、苦しいのです。

こんなの本当の自分じゃないって、ちゃんと、真実の心は、知っているんです。
本当の気持ちを、感じないようにしているから、苦しかったりします。

で、その練習で、一番、適しているのは密室・・・笑
車の運転中。
ハンドル握ると人格変わるって・・・
そう、私のことです(爆)
あわわ・・・それほどでも、ないですけど・・・(遅いって)

その後、それが、どんどん、発展?していって、
自分は、きっと、そうとう、性格悪いんだって、思ってしまった時期もありました。まじで。
これは、誰かに、八つ当たりするのとは、意味が、違います。
ただ、出すんです。心の中で、か細い声を出している、声の断片を拾いだし、かき集め、
形にする作業です。

興味深いことに、息子にも、それを、私は、促していたと思います。
いえ・・・、正直に告白します^^;
この点では、私は、息子を誘導しました。はい。自覚があります。

ついに、ある日、ある時期、息子が言いました。
「おれ、すっごく、性格、悪いかも」って。
それに答えて、私は笑いながら、「感情にいいも、悪いもない」って、言い続けました。

さらに、そんな時期を通りこして、まあ、今、怒りも、悲しみも出しつくして、穏やかな(笑)今があります。
といっても、私の天の邪鬼は、そのままですけどね。そんな自分も好きなんで、残しておきます^^
そして、不思議ですね。
負の感情が出尽くしたら、「大好き!」「愛してる!」「ありがとう」そういう言葉が、違和感なく、出てくるようになるんです。
これが、インナーチャイルドの言葉です。
心の底からの、直球の感情です。
なんにも、混ざりッ気なし、MADE IN りんりんの言葉です。
どうぞ、もし、言われた方、迷惑がらずに、素直に、受け取ってくださいませ(笑)

昔は、そういう言葉は、偽善にしか、聞こえませんでした。
表面の言葉でしか、ないと思っていました。

でも、誰の心にもあるんですよ、心の奥底で、ずっと、出番を待っている真実の心が。
見つけ出して、救いだしてくれる人を、ずっと、待ってるんですね。

でも、それが、できるのは、あなた自身しかいないのです。
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たったひとつの奇蹟
2009-08-14 Fri 16:34
The Little PrinceThe Little Prince
(2000/05/15)
Antoine de Saint-ExuperyRichard Howard

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星の王子様を、読み返す。

キツネは、王子さまに言う。

「お願いだ、おれを飼いならしてくれ」

それは、素朴なキツネ流の、表現。

「飼いならす」とは、人間流に言うと、「絆」を結ぶこと。

きつねが、誰かの特別な、一匹になること。

何十万、何千億の中から、たったひとつの愛おしいものになること。

きつねは、金色の麦畑のたとえをもって、素朴な言葉で、それを語る。



私は、幼い頃から、遠い月の輝きを見つめていた。

機能不全の家庭にそだち、自分がずっと世界の中の異分子だと感じていた。

今は、友達もそれなりにいる。

心をこめて、大切にする家族もいる。

ブログで私を支えてくれる友達もいる。

満たされている、穏やかな心も。


そう思いながらも、

キツネの言う、「絆」を、ずっと待ち続けていたのは、

私だったのかもしれない。

私は、絆を、私流に、「魂の絆」と言いかえる。


それは、一瞬にして、世界の一部が変容するのに似ている。

今まで、何十万の一つであり、

それが、なくても、あっても、困らないものだったのに、

いつの間にか、ただの「麦畑」が、愛おしい存在に変わる。

なんの変哲のない「麦畑」が、色鮮やかな、銀色に変わる瞬間。



そういうものが、あったのだと・・・

絆とは、そういうものだったのだと、

大人の心に、思い出させてくれる。

私も、銀色の麦畑を、ずっと、待ち続けていたのかもしれません。

人生とは、特別な「絆」を求めて旅するようなものなのかもしれません。

それが、私が、幼い頃、見続けた「月の光」だったのかもしれません。

たったひとつの奇蹟で、私の世界がまた、変容する。

出会えた歓喜は、「アイシテル」を、遥かに超えるもの。

この気持ちを、果たして、わかってもらえるだろうか。。。


ずっと、待っていたよ。

そして、ずっと、待っていてくれて、ありがとう。

互いに、ずっと、ひとりぼっちだったね。

よくここまで、たどりついたよね。

今は、ただそれを喜び合おう。


大切なことは、目には見えない

        .。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+。.:*・゚+。.:*・゚

         読みなおすと、また、違った感覚で、よめました。
         読み手の変化で、本の意味の捉え方もまた、
         変わるのでしょうね。

別窓 | 本の紹介 | コメント:4 | トラックバック:0
ハイヤーセルフと、インナーチャイルドと、アダルトチャイルド
2009-08-12 Wed 19:35
ハイヤーセルフの声は、穏やかで、慈愛に満ち、
そして、静かでありながら、力強い。

その声を聞くと、私は、ハイヤーセルフに、ひれ伏す。
彼女のバイブレーションは、賢者の銀色の光。
ハイヤーセルフの言葉は、
理屈は何も必要ないほど、心に、ストレートに伝わってくる。

インナーチャイルドとは、私自身でありながら、
ハイヤーセルフにつながっている内なる神。
やわらかく、にっこりと笑う。
にぎやかな色を発し、楽しげに、語りかけてくる。

アダルトチャイルドの声は、ざらざらしている。
バイブレーションは、とても、重く、
その言葉は、こざかしい老婆のよう。
飲み込まれると、いっきに、ダークサイドへ、ようこそになる。

本当は、誰でも、聞くことができる、ハイヤーセルフと、インナーチャイルドの声。
それを、邪魔するのが、アダルトチャイルド。
電波障害を起こすように、インナーチャイルドを閉じ込めようとする。
ハイヤーセルフの声も届かなくなる。

しかし、アダルトチャイルドの役目は、もう、終わった。
終わったのだと、知ら示す。

私が、このブログで、「光」と表現するものは、
ハイヤーセルフと、インナーチャイルドのこと。

彼らを感じると、喜びが湧きあがり、涙が、こぼれる。

私の中の内なる神。

その神は、内側に広がり、

同時に、宇宙に広がる。

私であって、私でないもの。

すべては、ひとつ。


by りんりん
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回復の過程(支えるもの)第二段階その2【AC】
2009-08-12 Wed 13:42
先の記事で、ACの人とどう、付き合えばいのかという質問を頂きました。
私なりの、現時点での考え方、を、書いてみたいと思います。


AC本人が回復に向かうには、まず、何より最初に、自分の今の状態が、
アダルトチルドレンであると、認識しなければなりません。

体の病気もそうですが、どこが、痛いのか、悪いのか、検査をしたり、病院へ行って、
現状を把握しなければ、その対処法も、薬の処方も、
出来ないということと、同じことだろうと、思います。

しかしながら、心は、体と違って、見えないので、その自覚を持つということが、
現状では、大変難しいことだと、感じます。
支える側(主に家族)としては、このジレンマは常に付きまとうことでしょう。

いつでしたか・・・息子が不登校になってから、
私の夫が、一般のカウンセリングの本を、読んでいるのを、
数回、チラッと、みかけました。
そして、私が夫に対して、いらいらしているとき、
まるで、教科書を読んでいるように、
その本に書かれていたらしい、いつもと違う対話応答をしはじめました。

残念ながら、そのような、取ってつけたような、対応など、
私にとっては、さらに、いらいらを増幅させる元となりました。

ふ ざ け ん な よ!

夫は、おおまじめで、本に書いてあったことを、やってみただけなんですけどね。
その後、どうなったか、ご想像にお任せします(笑)
いや、私は、暴れたりなんかは、しませんよ^^

そのとき、私が欲しかったのは、方法や、対処法や、正しい答えや、分析ではなく、
「きみの味方だよ」、という、その気持ちだけで良かったのです。
私を変えようとしないでください、という気持ちでした。


また、不登校の息子との対応で、学んだことも多くありました。
「DOING」という言葉があります。
何かを 「させる」、「する」、「動かす」、「働きかける」という対応は、
幼い頃から、「DOING」を、親によって、散々、されている息子にとって、
それらは、もう、疲れ果てて、出来ないことでした。
それらは、息子のエネルギーを奪うばかりでした。
これは、幼いころ、同じことをされていた私にとっても、同じことでした。
他者が、私に、何かをして欲しい、させようとしている気配には
異様に敏感にセンサーが、「危険」と、アラームを鳴らします。

といっても、この「DOING」は、主に、システム化された会社や、社会では、
かなり、効果的なものです。
その対価として、賃金という見返り、
地位という見返り、人に認められるという、見返りがあるからですね。
しかし、それもまた、とても、流動的なものであり、
あやふやな価値観であることだとは、思いますけどね。

しかし、人の心は、システム化されるものではありません。
家庭や人との関係は、心の触れ合いで作られています。
ACが作られる家庭の多くは、このシステムとしての・・・、マニュアルとしての「DOING」が、家庭に入り込んでいるのだろうと、今、私は、思っています。

「DOING」が、能動的であるのに対して、その対局にある言葉が、受動的「BEING」ですね。
「愛する」「共にいる」「寄り添う」「見守る」。

息子の不登校、うつの経験は、この「DOING」と「BEING」を、考えるための、
時間であったと思います。

親は、子どもに対して、無力だと、そう、とことん感じたとき、
本当は、なにも、しなくていいんだということが、わかるのだろうと思います。
ただ、愛すればいいと。
好きだよ、大好きだよ。
それ以上、子どもに対して、親が、してやれることが、あるでしょうか?
子どもを抱きしめるたびに、
同時に、私自身も、癒されていった気がします。
子どもを抱きしめながら、私の中の子どもを抱きしめていたのだろうと、
そんなことを思ったりします。

子どもの将来が心配・・・、受験は・・・?
それは、子どもの心配ではなく、親である私の心配でした。
自分の心配を、子どもに、背負わせようとする、愛情のすり替え。
何かをさせて、自信をつけさせたい、
きっかけになるかもしれない。
そして、あわよくば、子どもが元気になるという見返りをもらいたいですよね。

そういうことも、あるでしょうけど、
それらは結局は、「DOING」の思考回路の域を出ません。

そんなこと思ったりします。

そして、これらを、ACの人との付き合いかたに、あてはめると
まあ、基本は、同じなのではないかと思います。

けれど、子どもと違って、大人は、また、長年の積み重ねで、
ひと癖も、ふた癖も、ねじれた思考回路をします。

支える側としては、覚悟がなかったら、最初から、手を出さないことでしょう。
下手に、踏み込んだら、余計、ねじれてしまうことも、多くあるのです。
共倒れで、互いに、傷つくことも、多い。
中途半端に手を出して、不信感を煽ることも、多いでしょう。
恐ろしいくらいの、覚悟のいることですね。

もと、ACとして言えることは、家族であれば、
「普通に接して欲しい」と、感じます。
怒っているようであれば、まるで怒っていないかのように。
無視しているので、あれば、無視していないかのように。

そして、回復に必要なもの。

掛け値なしの、愛情。
取引なしの、見守り。
まっすぐな、見つめる心。

・・・難しいですよね。

私も、無理っす・・・ヾ(-_-;) オイオイ


私もでしたけど、ACたちは、愛情を試すために、
まわりに、いろいろなゆさぶりを、かけます。
「これでも、私のことを、見放さないですか?」と。
ここで、見放すくらいなら、最初から、やめといた方がいいと、断言します。
問題がもっと、深くなちゃいます。
しかし、他人なら、離れればいいことですが、家族となると、
なかなか、難しいものもあります。

悲しいですね・・・。

今、思うことは、支える家族の、サポートが必要だなあと、思います。
これは、現在、本当に、切実な問題だと、私は思います。
時には、家族であっても、逃げ出したいと、思うときも数多くあるでしょう。
「かんべんしてよ、まったく。付き合いきれないよ」
そう思うのが、普通だと思います。
そうなって、当たり前です。

そういうとき私は、何度も、思いなおすのです。

自分の中の、小さな光を信じるがごとく、
相手の中の、光を信じ続けてくださいと。

だから、まず、自分の中にある、暖かい光に気づくこと。
その光と、いつも、共にあると、信じること。

他者の心に触れるとは、そういうことではないかと、
私は、そう思いますし、これからも、そう、努力していこうと思っています。
自分の光を信じずして、誰を助けられましょうか・・・

だれもが、本来は、愛し、愛されたいと思っているはずです。
愛は、強制しません。
相手を変えようとしません。
しかし、愛は、自然に、人を、変えていきます。

相手に問題があるように見えても、問題を問題と、感じた方が、
問題を自分のものとして、解くしか、ないのだと、思います。

私は、そう思います。

ある人の言葉を最後に、今日の記事のしめくくりとします。

周りを変えようとする(doing)のではなくて、 自分が純粋な一滴である(being)ことで 周りは自然に変わっていきます
by ∞Taiki∞

次回は、感情を素直に、表現する練習について、考えてみます。

           .。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+。.:*・゚+。.:*・゚

        お盆ですねえ。皆様、楽しいひとときをお過ごしくださいね。
        親戚集まって、飲み会なんかも、あるでしょう。
        お盆期間は、相変わらず、仕事と、自宅の往復という
        さびしい、主婦りんりんに、応援のぽちっを^^;        
                
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回復の過程(感情の表現方法)第二段階【AC】
2009-08-10 Mon 21:36
第二段階は、ふたつのパターンが、あるような気がします。

ひとつは、一瞬、怒りの渦に巻き込まれても、
自分で、嵐を治めてしまうタイプ。

たとえば、美味しいものを食べたら、気が済んだ、とか、
一晩眠ったら、どうでもよくなったとか、
友達に、愚痴ったら、すっとしたとか、
深呼吸して、ストレッチしたら、気分がすっきりした
という類です。

問題は、もう一つの方。
コップの嵐を止められず、コップの中の水をはじき飛ばし、
隣のコップに、影響を与えるタイプですね~。

(↑俗に、切れるっていいますけど)
自分じゃ、ブレーキが利かないんです。ほんとに、どうしようもなく、
ダメダメなんですよ・・・


前者は、割に、自然に・・・心が、健康な人は、
このような処理をされているんじゃないかと思います。

問題は、後者ですね^^

とりあえず、力尽きるまで、
水を、はじき飛ばしてしまうので、
まわりのコップさんは、次第に、離れて逝っちゃいます。

気がついたら、
「Σ( ̄ロ ̄|||)なんだか、ひとりぼっち・・・」
(´・ω・`)ぽつ~~~ん、ってな状態も、多いんですけどね。笑


それは、今は、置いといて・・・、
その、はじき飛ばす時の表現方法について、考えてみました。
その表現方法は、その人の成育歴によって、様々なのではないかと思います。

怒りに任せて、罵詈雑言で、どなる人。
無視する人。
何時間も、こんこんと、説教する人。
物を投げる人。
壊す人。
暴力を振るう人。
泣き叫ぶ人。
何年も何十年も前のことを、しつこく持ち出して、繰り返し責める人。
リストカット・・・等々。


私は、父親が、暴力、罵詈雑言、物を壊す人、しつこく人を責める人だったせいか、
それらを、反面教師として、心に刻んだ節があるので、
そのような、選択は、しなかったのだと思う(たぶん^^;)

それよりも、一番効果的方法を、母親から学んだのでした。


無視する


今でも、私は、世の中に、これほど、強烈で、
効果的で、冷たい感情表現は、ないんじゃないかと思います。

小さい子どもにとって、無視をされるということは、
見捨てられるのと、同義語ですから・・・

私がこの選択をしたのは、その抜群な効果を、自分の母親から学んだからですが、
同時に、私自身が、子どもの時代に、そういう、強烈な見捨てられ体験をしたという
事実があったことを物語っています。

また、皮肉なことに、見捨てられる恐怖が、
反対に、しがみつくことを、選択させてもいるのです。
子どもは、見捨てられないように、必死の努力をするわけです。
そして、それによって、少しだけの、つかのまの、休息を得られるわけです。

わかりやすく言いなおしますと、
無視という武器で、相手をコントロールし、依存させる人。
見捨てられないように、しがみつき、依存する人。

これを、「共依存」と、呼びます。


かつて、無視されないように、必死の努力をした依存者の私は、
今度は、大人になって、無視という武器を使って、
相手を依存させる側に、なりました。

依存のゲームですね。あんまり、楽しいゲームじゃあ、ないけど。

すごいぞ、世代間連鎖!って感じです。

「無視」という言葉を、「暴力」「罵詈雑言」「説教」という言葉に置き換えても、
全然、違和感は、ないですね。

でもね、これが全部、悪いわけでは、ないんですよ。
それが、生き残るために必要だったから、方法として、
会得しただけのことです。
だって、それが、幼い頃から・・・長年、家庭で、生き残るための・・・、
自分の心を守るための・・、必須方法だったのですから。

この方法を会得していなければ、今頃、私は、
海の藻屑と化していたことでしょう。(T_T)/~~~笑
(終わりよければ、すべて良し!ってことで)


しかしながら、この、ラピュタの城、嵐の要塞で居続けるには、
やはり、賞味期限があります。
それに、我が家のように、「不登校」「うつ」などの、
症状として、子どもに「大変だ、こりゃあ~」ってな状態が
あらわれてきたりするところも、少なくないのではないでしょうか。

その上、多大なエネルギーを必要としますので、
生きづらくって、しょうがないんですよね。
私は、過去、具体的症状のひとつに、異様に疲れやすいというのが、ありました。
なんせ、ほとんどのエネルギーを、嵐に使ってしまっているので、
視界も、前方10°くらいしか、見えないんで(汗;
効率的には、たぶん、ジーゼルエンジン並みかもしれません。

まあ、心が健康であれば、
このような日常の突発的な嵐の状態は、自然におさまってくるものだろうと
思います。
しかし、後者の場合、この状態が、絶えず、続いている状態ですので、
嵐の上に、また、別の嵐が覆い隠すように、発生し、
その繰り返しで、内側の自分の感情を、より抑え込んで
「真実の自我」を、地下の牢獄に、閉じ込めてしまうように、なるのでしょうね。

この嵐の状態は、「心の癖」や、「反応」として、
いつまでも、私自身の物事への対応の仕方として、
根強く、残りました。

これを、一般的には、認知のゆがみと、言います。

どうして、こんな風に物事をとらえるんだろう?
どうして、こんな場面で、落ち込んでしまうのだろう?
どうして、ここで、怒りが湧いてしまうのだろう?
どうして、嫉妬をしてしまうのだろう?
他の人は、楽々と飛び越えてしまう関門を、どうして、自分は、
越えられないんだろう?

本当は、友達を心から、祝福したいのに。
本当は、もっと、素直になりたいのに。
笑って過ごしたいのに・・・
そうなりたいと、こんなに、願っているのに。

でも、出来ない・・・。
どうしてだろう?

そうだ、こんなことを「する」相手が悪いんだ。
こんなことを、言う、やつが、悪いんだ。
あいつさえ、いなければ。
もっと、別の人と出会っていれば。
私の気持ちをわからない、あの人が、悪いんだ。

そう思わなければ、
そう、憎まなければ、
自分を守れない・・・。
私は、私のままで、いいし、悪くなんかない。
そうだ、世界がおかしいんだ。
最後のプライド。
どこかで、世界をせせら笑う。

過去の私は、自分を無理やり、そう納得させるしか無かったのですね。
そして、それが、自分のポリシーになっていました。

やな、やつですね(笑)

きっと、人生のいろんなところで、いろいろな人が、
そういう、認知のゆがんだ、傲慢な私に、「変だよ」と、示唆の言葉を、
くれたと思います。
でも、残念ながら、私の心には、その気持ちと、言葉は、届きませんでした。

恥ずかしながら、
はじめて、好きになった男の子から(片思いね。笑)
「あなたは、自分の枠に自分を閉じ込めている」と、
なんとも、哲学的な言葉をもらって、失恋したという、悲しい過去(爆)
(↑中学の時です^^;)

その言葉は、その後、ずっと、私に、問いかけていたような気がします。


残念ながら、嵐で囲われた私は、数年前まで、
その言葉の意味を、はっきり、自覚できませんでした。

でも、それでも、「無理やり」どこかに、押し込めた、真実の自分は、
深いところで、そんな自分を、悲しんで見つめていました。


*インナーチャイルドのワークはこのような、
からまった嵐の状態を、解きほぐし、真実の自我を助け出す作業に、
なるのだと思います。

はて、それほどまでに、守りたい、嵐で囲んだ、ラピュタ城の中には、
一体なにがあるのでしょうねえ。

あなたの、守りたいものは、なんですか?

.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+。.:*・゚+。.:*・゚
拍手、たくさん頂き、本当にありがとうございます。
しょうがないな~って、義理で押してくれた心優しい方も(笑)
大変、お手数おかけしています。
間違って、自分でも、踏んでしまい、自分に拍手してしまった、
おまぬけ、りんりんです。ヤレヤレ(´-ω-`)
今後とも、よろしくお願いします(*^_^*)
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回復の過程(一粒のしずく)第一段階【AC】
2009-08-08 Sat 12:12
ひとつの言葉が、しずくのように、コップの水の中に、ポトリと落ちてくる。

たった一粒のしずくが、まるで、異分子のように、増殖しはじめ、

はじめからあった、コップの水は、全力で、異分子を排除しようとする。


一粒のしずくは、外部からの侵入者。

コップの水は、排除することが、無理だと感じると、

いっきに、コップの中心にある、「守りたいもの」「聖域」を、

瞬間に、凍結させ、他の水たちで、中心を守るようさらに、

強固な嵐を作る。

まるで、嵐に守られたラピュタ城のようになってしまう。

嵐は、様々なものを拒否し、弾じこうとする。



現実生活で、このような心の状態を、私は、頻繁に経験する。

職場でも、人間関係でも、親子関係でも、夫婦関係でも、ありとあらゆる

人との関係。


「一粒のしずく」というのは、その関係の中で頻繁に起こる、心動かされる言葉たち。


その過程では、まず、反発が湧きあがる。

当然であると思う。人は、自分を守らなければならないのだから。

自然な防衛反応であると、そう思う。

この時の防衛反応の状態のとき、私は、心臓が、ドクンと、

波打ちながら、次第に渦を巻いてくる。この感覚。なじみの感覚。

きた~という感じ。

まさに、ラピュタの城状態。

そこで、そのまま、ラピュタの城を守るもよし、ラピュタの秘密に

手を伸ばすのも、自由だ。

選択権は、私にある。


決意のないまま、準備のないまま、不本意に、渦に巻き込まれてしまうよりかは、

時が満ちるのを、待つというのも、いいかと私は、思う。

この渦を巻いている状態というのは、

「自己防衛」であるので、他者を踏み込ませない。

なにより、悲しいことに、自分も踏み込むことができない。

イメージとして、よく、アニメTVのシーンであるが、(主にエヴァ)(*^▽^*)ゞ

シールドを張れば、自分を守る盾でありながら、同時にそれが、他者への攻撃にもなる。

なんて万能なんだ!


人の心理状態でいえば、恐らく、誰かのせいに、している状態であるかもしれない。

もしくは、自虐的になる状態であるかもしれない。


まあ、これは、文献を調べたわけでもなく、

自分の心の風景をながめながら、

それを、忠実に、表現してみただけですので、

人、それぞれ、違うかもしれません。

嵐の状態というのは、防衛反応の、拒否と、攻撃であり、

もっと簡単に言ったら、「怒り」だろうと、思います。

この心の状態は、すぐに、体に反映されます。

胃が、重くなります。体が、固くなります。呼吸が浅くなります。

そして、心は、ゆるやかに、感情が、止まっていきます。

自分が、シールドに覆い尽くされたように、フィルターがかかります。

動くのは、反発と怒りだけ。

このような状態は、瞬時に行われます。

そうやって、スローモーションのように、なじみの感覚は、

~~~ヾ(^∇^)やあ♪ と、やってきます。


私をよく知る人は、

手に取るように、わかるんじゃないかと思います。(笑)


次の記事は、第二段階。たぶん。(^▽^;)ゞ


.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+。.:*・゚+。.:*・゚

お試しに、拍手を、のっけてみました。
気が向いたら、ぽち、してくださいませ。
必ず、喜びます。(*^_^*)
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ピアス
2009-08-05 Wed 00:35
以前、ずっと以前、深夜のTVで、ひきこもりの女の子が、
刺青入れたり、ピアスを何か所も付けることで、外に出られるようになったという
そんな、ドキュメンタリー番組を見たことがありました。
「自分を励ますもの」と、そのとき、その10代の女の子は、言っていた。
少しだけど、その気持ち、わかるような気がするのです。

私が、はじめてピアス穴を空けたのは、19歳の頃だった。

当時、短大にすすみ、はじめて、念願の親元を離れて暮らすということができたはずなのに、孤独感に身をよじらせていた私でした。

親という監視者から、生まれてはじめて、逃れられたはずなのに、私の中には、悲しいほど、親に支配され、また、求めている自分を感じていたのだろうと思います。

大学一年の冬。
ある日、ピアスをしてみようと、思い立ち、自分で、バッチンと、やったわけです。

親から、もらった体に傷をつけるなんて、
という、罪悪感が、募りに募りました。

けれど、それ以上に、湧きあがった感情がありました。
なんだと思います?

「もう、思い通りにならないよ」という、
親にあっかんべ~をした、解放感のある自分でした。

その後、出会う人に、ことごとく言われました。
私は、本来、ピアスを付けるような人に見えないらしく
(よく分からないけど)
「そういうタイプに見えない」と。

(´・ω・`)ショボーン

どういうタイプなんだよォォ~(涙;;)

と、落ち込みなど、全然しなかったんですけど(笑)
自分の体を傷つけることによって、
自分の心を支配する親を、切り捨てたいと、無意識に思ったのだと思います。

ピアス穴を空けるというのは、当時の私にとって、
親からの精神的離脱の宣言の儀式だったのだろうと思います。

といっても、当時は、そんなことを、考えて
やったわけではなく、ほんとに、無意識の衝動で動いていましたので、
その後、何度も、そういう儀式を潜り抜けなければならないのですが(汗;(#^.^#)

だから、ピアスや刺青を入れて、違うものに、なりたいと、
そう思った女の子の気持ちを、とても、共感して、TVを見たという記憶があります。


今も、時々、無性に、新しいピアスが欲しくなったりします。
使いもしないのに、買ったりします。(あほ~)
そして、新しいピアスを付けるとき、また、新たな気持ちに、なります。

そして、数十年の時を超えて、あの時の気持ちが蘇るのを
すがすがしい想いで、感じている自分がいます。


ん・・・ということは、精神年齢は、まだ、10代なのかもしれません。


.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+。.:*・゚+。.:*・゚


★おまけ

娘のブログより、見せてもらった記事より。


【今週のお題】

あなたが「言った」「聞いた」信じられない寝言を教えてください。




「に、にげろー・・・・!」

ってお母さんが(=∀=)爆



は!? って思ったぞww



いったいなにから逃げてたんだ?

.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+。.:*・゚+。.:*・゚



いや・・・ほんとの話です。。。

まじ・・。半年ほど前の話ですけど。


書くなよ・・・(T_T)/~~~

娘、夜中に、笑い転げたそうです。

何から逃げていたんだ・・・私。

.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+。.:*・゚+。.:*・゚

★おまけのおまけ

今日(5日)に、カイくんが、女の子を家に連れてくるそうな(爆)

そそくさと、仕事のシフト表を眺めた、りんりんでした(笑)

「あんた、なに、たくらんでるう~?」と、息子から、声をかけられたりんりんさん、

「いや~、ちょっと、ねえ~(#^.^#)おほほほ・・・」

「勘違いすんなって。ただ、話をするだけだから。そういうのじゃないし」と、釘を刺されました。

ちっ・・。

違うのか・・・。


とりあえず、今日は、大掃除しました!

お菓子とジュース買いました!


昼寝しました!・・・ヤレヤレ(´-ω-`)フゥ~


昨日、職場の同僚に、そのことを、言ったら、

みんなから、休みのシフトを交代してあげるよと、言われて、困りました。


カイくん、はじめての連れ込みか!?(〃▽〃)きゃ~。(*^▽^*)ゞ

でも、娘も、夏休みで、家にいるんで・・・ねえ。

私は、残念ながら、普通に、仕事に、行きます~、はい^^
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I believe
2009-08-03 Mon 02:08



迷ったとき、

一人でさびしくなったとき、

一日中、リバースで、聞いていました。







インナーチャイルドのエクササイズをしている頃、

この歌が、ずっと、私をはげましてくれていました。



深いところで、人は、つながっているんだと、思っていても、

現実の世界は、とても、過酷です。

時には、崩れそうになります。

しかし、それゆえ・・・、なおさら、つながりを、信じていたいと、人は思うのでしょう。


死にたいは、生きたい。


死のふちを、見た人は、その感性ゆえに孤独で、苦しむ事も多い。

心の飢えです。


けれど、一度、共鳴を起こし、魂の本質に、触れた者同士の

喜びは、深く心にきざまれます。

別々の人生を歩んでいても、いつでも、共にあります。

出会えた歓びと深い感動と共に、

響きあう魂たちは、強く結び付きます。

魂の結びつきとは、そういうものです。


ひとりじゃない。


本来、それが、自然なはずのことなのに、

誰もが気づかない。

今は、まだ、見えないかもしれないけれど、

誰の中にも、それは、あると、そう信じられるのです。



あなたに、出会えた喜びが、支えになる。


そのことを、忘れてしまわないように、

私は、この歌を、聞き続けるのでしょう。



ひとりじゃない。いつも、共にある


私は、この人生で、そう、教えてもらい、そう、学びました。

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NPOいじめから子供を守ろう~シンポジウムのお知らせ~と、いじめ考
2009-08-01 Sat 23:12
☆福岡で初のシンポジウムが開催されます。

■□「いじまも」シンポジウム九州上陸! 福岡でシンポ開催□■

来たる8月22日(土曜日)、福岡市の都久志会館にて、
義家弘介先生(元教育再生会議担当室室長・参議院議員)に基調講演をいただき

「いじめから子供を守ろう! ネットワーク シンポジウム in 福岡
~いじめ撲滅が未来をひらく!~」が開催されます。

日 時 : 2009年8月22日(土) 13時~16時 (開場:12時)
会 場 : 都久志会館 (住所:福岡市中央区天神4-8-10)
アクセス: 地下鉄「天神」駅から徒歩8分
基調講演 : 義家弘介氏 (元教育再生会議担当室室長・参議院議員)
パネルトーク: 義家弘介氏(元教育再生会議担当室室長・参議院議員)、
        伊藤文一氏(福岡女学院大学教授、福岡市教育委員会委託員)、
        井澤一明(いじめから子供を守ろう! ネットワーク代表)
        現職教員の方、保護者代表、ほか
入場料 : 1000円(学生・子供 無料)
後 援 : 福岡県教育委員会、福岡市教育委員会、北九州市教育委員会、古賀市
教育委員会

どなたでも参加できます!
参加希望の方は、お名前、参加人数、連絡先を明記の上、下記まで、
FAX または E-mail で、お申し込みください。

《お申し込み送信先》
FAX : 093-671-3008
E-mail: kodomo.mamoro.fukuoka@gmail.com

皆様のご来場をお待ちしております!!


.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+。.:*・゚+。.:*・゚

当日は、私も、スタッフとして、会場で、お手伝いしております。

特に、いじめ問題をサポートされる方々に、是非、お越し頂きたいですね。


.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+。.:*・゚+。.:*・゚


しかしながら、いじめ問題は、このような講演会ひとつで、消えるような、
生易しい問題では決してありません。

かつての、当事者と、その親としての立場で、言わせてもらえば、
当人が、「いじめられている」という自覚さえ、持とうとしないのが、現状です。

また、ただ、「逃げなさい」と、言って、解決する問題でもありません。
逃げられないから、困っているのです。
反対に、「立ち向かいなさい」と、言ったところで、
それも、また、出来ないところに、問題点があります。

クラスで、話し合いを持つということも、昨今されるようになりましたが、
力のない担任だと、逆効果ということも、大いにあります。

いじめのトラウマで、歩けなくなり、
ハイハイして、移動する子・・・
そんな子たちが、今も、苦しんでいます。
いじめる方、いじめられる方、双方の
いじめの輪は、共依存の輪でもあると、私は思います。
そして、また、
機能不全家庭の連鎖でも、あると思います。

そこまで気づいている方は今は、まだ、少数ではありますが、
このような草の根運動が、広がることにより、

世の中の、大人の意識が、少しでも、変わっていくことを、切望します。

(注;子どもの意識ではありません。
子どもの意識に、一番影響を与えているのは、
大人の側の潜在意識です。
よって、子どもを変えようとしても、大人の意識が
変わっていなければ、元の黙阿弥になります。
この原理は不登校の原理と同じです。)
 

特に、サポートする側の知識の必要性を、痛感します。

なぜなら、当事者は、心にダメージを受けすぎているため、
まわりの、暖かい心が、必要になってくるからです。
その暖かい心と支援が、多ければ、多いほど、
当事者も、救われていく可能性が高いのです。

私も、微力ながら、お手伝いできることを、
ありがたく、思っております。

福岡方面の方、どうぞ、お気軽に、足をお運び、くださいませ。

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