author : rinrin
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【アダルトチルドレン】ブログの紹介~生まれなおし~
2009-09-30 Wed 07:00
今日は、ブログの紹介をしたいと思います。

いつか、ここで、皆さまに、ご紹介したいなあと、思い続けてきたブログです^^
昨日、管理人さんの、許可を、頂きましたので、さっそく、ご紹介しますね。


エルのいる毎日―モラのいない毎日


管理人のまるこさんは、中尾カウンセラーのカウンセリングを受けながら、
つい最近、ACを卒業されたばかりの方です。

まるこさんの、9月27日の記事を、読んだとき、
「ああ、壁を壊されたんだなあ」って、理屈ではなくて、直感的に、
すんなりと、心に入ってきました。

私が、まるこさんのブログを読み始めたのは、
今年のはじめくらいでしょうか。
管理人のまるこさんとの交流は、今の今まで、全くなかったのですが、
ほぼ、毎日更新される記事をずっと、読みながら、
何か、予感めいたものを、ずっと、感じていたのでしょうね。
私には、珍しく、沈黙を守りつつ、ブログを見続けていました。

ブログに、孤独と向き合う苦しい様子が、書かれていても、まるこさんの天才的なギャグ?で、文章の上で、気持ちの転換がなされているご様子に、不謹慎ながらも、うまいなあと、感嘆したものでした。

また、理論ではなく、ご自分の感覚で、感情を掴まれていく、そのご様子が、私には、とても、新鮮に感じました。最後は、感覚なんだなあと、改めて思わせてくれた、ブログです。


理論や、理屈が、先走りがちな昨今ですが、このまるこさんのブログを、是非、皆様に読んで頂き、「気持ち」を感じてほしいなあという、思いが、やっと、かないました。
そして、回復のために、戦っておられる方々の後押しになるだろうと、思っています。

どうぞ、「開いた心」の心地よさを感じて頂きたいと、心より思います。


管理人のまるこさんより、頂いた言葉の中に、
一人でも多くの方に、気づきのきっかけになれば嬉しいと・・・お返事頂きました。
そして、幸せが一人でも多くの方に連鎖していけば
どんなに生きやすい社会になっていくことでしょうと。

私が、この文章を読んで、どんなに、嬉しかったか・・・
負の連鎖を、止めたい・・・
ずっと、私も、願っていたことを、まるこさんも、書いて下さっていました。


まるこさん、本当に、ありがとうございました(*^_^*)
心より、感謝いたします。


.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+。.:*・゚+。.:*・゚

最近・・・思うことが、あります。
壁を壊す、井戸掘り、越える・・・いろいろな表現がありますが、
越えてみると、いがいに、「なんだあ・・・こういうことだったのかあ~」って、
気抜けするほどの、ことなんです。
何が変わった・・・というわけでもないのですけど、
実は、私などは、越えたことすら、よくわかんなかったもんね^^;
(ただ、文章が、変化したことだけは、確かでしたけど)
だから、「こんなことだったのか~」って、肩の力を抜くくらいが、丁度いいんだと思います。
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【アダルトチルドレン】【不登校】心の基盤(2.自分の居場所)
2009-09-29 Tue 11:38
「子育てサークル」、「親の会」、「AC自助グループ」、「不登校掲示板」、「ブログ」・・・

それらを、経験してきた過去を振り返って、私が感じたことを、率直に、
語ってみたいという欲求が、ずっと、ありました。
が、当時、書くことで、誰かを傷つけるかもしれない・・・
そういう思いが、ずっと、欲求を押しとどめて、いました。

でも、今なら、しがらみが、何もない一匹オオカミ状態なので、
出来そうな気がしましたので、書いてみようかと思います。


.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+。.:*・゚+。.:*・゚

人には、自分の心と体を守るために、「所属する欲求」が、本能的に、備わっているんじゃないかと、思います。

安心したい場所。
安全である場所。
自分のステータスを、認められる場所。


母親にとって、まず、「公園デビュー」が、その第一歩だろうなあと、思います。
幼稚園仲間、近所の同い年のお母さんとのつながり。
そういう仲間は、現代の核家族にとって、とても、助けになりますよね。

助けになる反面、同時に、互いの境界線の、せめぎあいも生まれます。

私なぞ、新興住宅地だったので、まわりには、同じような世代のお母さんが多く、子育て中、そういう意味では、孤独ではありませんでした。

でも、面白いことに、「派閥」が、次第に、できてくるんですね。
こっちの公園は、A派、あっちの公園は、B派って(汗;

その中で、あからさまではないけれど、いがみあったり、敵を作ったり、「あ~、女だ~」って、思うこと、多数ありました。
敵を外に作ることによって、自分たちの派閥の結束を守るということ、やっていたんじゃないかと、思います。そういう手法は、結構、よく見られるんじゃないかと。。。
でもね、そんな結束というのは・・・とても、もろいということも、知りました。

子育てサークルに、所属していた頃も、似たようなものでした。
今度は、そういう派閥を作らないよう、距離をもって付き合うということをしてみました。
そうなると、今度は、一人、力の強い人が、必ず出てきました。強い力を持つ人は、大体において、支配的な言動、行動で、グループを引っ張ろうとします。
その力は、まわりの気持ちを封じ込めます。
ある日、子育てサークルを卒業した人が、ポツリと、言った言葉を、私は、今でも、忘れません。。。

「あのとき、○○さんは、これが正しいのよ、と、言っていたけど、私は、それぞれに、生き方があるんじゃないかと、違和感を感じた。」

あの頃、私は、その力のある人と、それに引っ張られる人たちの、両方を、守ろうと、自分を犠牲にしていました。

その子育てサークルを、私も卒業した今・・・私の手元に残ったものは、月一回発行していた、60冊ほどになる、会報誌の原稿と冊子でした。
その頃の会報誌には、「座談会」と称して、ひとつのテーマに添って、皆が、定例会で、発言したことを、まとめたものが、数ページにわたって、載せてありました。
その会話の編集をしていたのは、私だったのですが、
「力の強い人」の発言力が、あまりに、強すぎたため、それに添うような発言しか、書かれていないものに、なっています。そこでは、判で押した「正しい事」のオンパレード。
気持ちを抑えられ、本音を押さえられた場所に、自分の居場所なんて、人は、感じられないでしょうに。
冊子を、編集していた私も、その葛藤に、苦しみながら、やっていたことを、思い出します。


そういうものは、不登校親の会にも、感じましたし、
今となれば、ACの自助グループにも、感じました。
あるいは、子どもが不登校になって、縁があった「鹿○島親の会」という不登校の金字塔のようなHPでも、感じました。
あるいは、宗教でも、感じました。

先に、理論があり、その理論に、自分を当てはめる。
その理論に、当てはまらない考え方は、その人が、ゆがんでいるという全体思想。
先に書いた「鹿○島親の会」などは、不登校・ひきこもりの、「極的」な、思考を感じ、ずっと、昔、掲示板に一度だけ書きこみしたことが、ありました。あえなく、撃沈・・・(笑;
かつて、カウンセラーさんとこにも・・・ひきこもり引き出しやの、長田小百合さんの親派のところにも・・・ああ、不登校支援の人にも・・・あった気が・・・ヾ(-_-;) オイオイ
どんだけ~・・・って( ̄▽ ̄i||;;)ハハッ  思い出したら、ネットでの、恥しい過去です。
そんなところは、割に、熱血ですね、りんりんさん(爆)
「こうしないと、いけない。その他は、間違ってる」ということを感じさせる正統な主義主張にすごく、違和感を、感じていた頃だったと思います。

それらに、共通するのは、安心を求めて、居場所を求めて、所属したはずなのに、そこに、また、主義、主張、理論で、いつの間にか、安全でない場所になってしまっていることに、気づかされてしまう。

それで、私のようなタイプは、最終的に、「黙って去る」ということを、何度も繰り返すはめになるんですね^^;

いい加減、学べよ!過去の自分!って、思います(汗;
。(* ̄∇ ̄*)エヘヘ

で、今は、ちょっぴり気楽な、独り身なんですけどね^^

振り返ってみると、全部同じパターンが、あることに、気がつかされます。


強い理論、強い人に、巻き込まれてしまうってことですね。
もちろん、その強い理論は、決して、悪いことではありません。
自分を支えることの基盤が、無い私みたいな人には、一時期、絶好の場所でした。
余計なことを、考えずに済むし、
「この方法が、一番だ~」って、突っ走ることの、快感も、また、今までに、不遇を味わった分、ワラをも掴む気持ちにも、なるというものです。
それを、依存といいますね。

立場的に、強い人を、共依存者。弱い人を、依存者。
それは、場所と、位置で、常に、変化しますね。


ただ、私は、性格的に、自他共に、飽きっぽくて、がっつり味わい尽くすと、「ぽいっ」と、捨てる癖があるようでした(汗;

この「味わい尽くす」ということは、後に、私のキーワードに、なったのですが、
とても、大事なことだと思います。

もともと、基盤が、希薄なアダルトチルドレンは、よそから基盤を借りてくる時期は、必ずあると、思います。それは、とても、必要なことです。私にも、必要なことでした。
でも、その借り物の基盤は、本当の自分のものでは無いということ、わかる時期が、必ず、来るんじゃないかと思います。

心の基盤は、結局、自分で作るしか、ないんだあと、そう思うのです。

借り物の基盤のままじゃ、サイズの合わない洋服を無理やり着ているようなものだもの。
ぶかぶかだったり、窮屈だったりね。

そのとき、借り物の基盤に、「嫌悪を抱く」か、「今まで、ありがとう」と、感謝とともに、手放すことが、できるかは、*味わい付くした度合いに、比例するのかもしれないなあと、思ったりします。

*私の思う、「味わい尽くす」ということは、ノウハウではなく、感情を動かすということですね。
借り物の基盤は、ノウハウであり、doingですけど、
それが、自分を助ける方法でも、ありますけれど、肝心な「感情の座」は、なかなか、置いてきぼりになりやすいのだろうね。

つけ加えますと・・
「味わい尽くす」と、簡単に書きましたけど・・・
恐ろしく、孤独な作業です。

そもそも「私」という存在は、孤独である、と認めるのが・・・ね、かなり、辛いね。
みもだえするような、七転八倒の、苦しみです。



でも、孤独と向き合えた人だけが手にする、歓びが、
いつしか、感謝になり、共感になり、自分の基盤に、なっていくのだろうと、
そう、感じます。

ただ、誤解しないでほしいことがあります。
時々、勘違いされるのですが、
私、ACを卒業したと、自認しながら、
こうして、ぼんや~りと、ブログを細々と書いている今の私ですが、
やはり、孤独の葛藤は、今でも、当たり前にあるんですよ。

私は、完璧な人でもないし、聖人君子でもないです。
                 (↑字、間違ってたね(◎_◎;)アセアセ

それでも、私は、自分の人生に、イエスを、言う自分で、ありたい、
心が自由でありたい、そして愛したいと・・・
私自身の基盤、あるいは、チャイルドが、言うのが、聞こえます。

この声が聞こえている限り、私は、自分に、「大丈夫」と、
いつでも、言ってあげられると、そう感じています。



あなたは、あなたの居場所を作っていいのです。


この西尾和美さんの言葉は、私をずっと、支えてきた言葉です。
私の原点になった言葉です。
自分を守るためには、逃げていいんだ、

そういうことを、教えてくれた言葉でした。

実に、まとまりのない、長い記事を放り投げずに、読んで下さって、
ありがとうございました。
ちょっと、実験的に書いている部分もあるので、申し訳ないです。

でも、ぽちっの応援して下されば、かなり嬉しいです。
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【不登校】ずっと、待ってる(待ち続けた子)
2009-09-27 Sun 22:00
もう、僕は、待ちすぎるくらいに、待った

その扉が、いつ開くのかと・・・

最初は、期待の言葉と共に。

花開く、未来を夢見て。

いつか・・・いつかと、何十年も待ち続けた。




次第に、失望の数が、多くなった。

それでも、かすかな希望とともに、黙して待った。


やがて、・・いつか・・・いつかと、想う時間が、少なくなっていった。



最後に。。。粉々に、砕け散った夢の傷痕。

砂の城。


僕は、暴れるしかなくなった。

僕は、暴れながら、自分の手首を傷つけることしか、できなくなった。

心に、嵐が吹き荒れる。

だれか、助けてと、もがきながら、

差し出された手を、振り払う。

何度も何度も、差し出された手に、失望し続けてきた。

誰の手も、信じられなくなった。

自分の手さえも。


眠れない夜・・・

僕は、もう、眠ることが、できない。

夜通し、ゲームをした。

陽が昇ると、僕の時間は、終わりだ。



ある日、気がつくと・・・ゲームをする僕の隣に、

僕と同じ目をした人が、座っていた。

いつの間にか、ゲームをしながら、この人と気持ちを

共有していた。

僕は、素知らぬふりをして、コントローラーを握る。

来る日も、来る日も、僕たちは、ゲームをやり続けた。

ゲームで、心をたどり、振り返った。


ある日、崩壊した世界に、光が輝いた。

最後のエンディング・・・

再生への、道しるべ。

これが、僕たちの見た夢。

僕たちの旅だった。


僕たちは、それぞれの道を歩き出すことにした。








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【アダルトチルドレン】心の基盤 (1.偽物の安心な場所)
2009-09-25 Fri 16:05
かつて、私がまだ、確かな自分の居場所を作れないでいる頃、

共依存の相手のA子が、言った。

「あなたは、悩むのが、好きなのよ」

強烈な一言。
反論も、できず、しかし、納得もできず、その時、私は、ただ、黙り込むしかなかった。

その頃、私は、何で悩んでいたのか、よく分からない状態に、よく落ち込んだ。
何が、こんなに、私を落ち込ませるのか・・・
その尻尾さえ、自分で捕まえられないでいた頃だった。
そんな自分を、「ダメな自分」だと、責めて、責めて、
迷惑ばかりかける・・・消えてしまいたい・・・
ベクトルは、すべて自分へ、向いた。
この癖は、幼い頃からの、私が会得した、ひとつの方法だった。

本来、家庭における、親の存在は、子どもにとって、
安心の基地であるはずである。
親に、依存し、愛されている感覚を享受し、楽しかった記憶も、悲しかった記憶も、
いつか、暖かな記憶に変わるはずだった。
その記憶が、大人になったとき、自分の基盤を作るのだろうと今は、思う。

しかし、家庭の人間関係が、いびつで、歪んでいる場合、
自分の基盤が、あやふやで、不安定に、なっているということを、アダルトチルドレンの回復の過程での、体験で、納得できました。

そして、その経験から、
幼い頃、私自身が、構築していたらしい心の法則に・・・
ある一定の法則があることに、気がつきました。


幼い子どもは、まだ、「自我」というものが、薄く、
親に、その全存在を、依存していますね。
これは、私などが、うんちくを語らずとも、今は、発達心理では、
証明されている事実です。
しかし、その依存するべき親が、不安定で、あったならば、
もし・・・子どもが、親に、全存在を依存するということが、できなかったならば、
子どもは、自分を納得させる、なんらかの基盤を、自ら、作らなければならなくなります。

その時、子どもは、自分を守るために、
または、「親」という幻想の相手を守るために、
自分の全力を尽くして、
「親は、私に、このようなことを、望んでいるのだろう」
「親は、こうしたら、私を受け入れてくれるだろう」
「親は、こうしたら、喜んでくれるだろう」
そういう思いのアンテナを、親に精一杯、向けようとします。
そこには、「自我」は、存在しません。
あるいは、親の言動によって、封じ込められてしまうか、
かすかに、自分の中で感じる自我を、自分で封じ込めようとします。
また、その自我を、感じることは、親を傷つけることだと、
そして、自分をも、絶望の中に落とし込むことだということも・・・
私たちACは、無意識ながらも、知っていました。

ありませんでしたか?
いつも、泣いている母親、怒っている母親を笑顔にしたいという気持ち、
一緒に、喜んで欲しいという気持ち・・・
それが、子どもの持つ、いえ、人が根源的に持つ、「自分の大切なものを守りたい」という、本能的な気持ちなのではないでしょうか。


そうやって、生まれてから、思春期の頃まで、
「自我を抑え込むこと」「自己否定すること」そして、「自分の人生をあきらめること」
それが、幼い子が、機能不全の家庭で、生き伸びることに、必要なことでした。

しかし、思春期になっても、なお、現代の子どもたちは、自我を抑え込もうとするのですね。
自分の人生を、親のために諦めた子たちは、
その方法に、あまりにも、慣れ親しみすぎてしまいました。

それが、心の法則となって、大人になっても、なお、
心が解き放たれない理由となっているのではないでしょうか。。。

その心の法則は、本当は、今まで、自分を守ってくれたことは、なかったんだと、気づかないままに、自分を守ってくれると、いつまでも、いつまでも・・・思い違いをしてしまうのでしょうね。
そして、そこが、ひとつの、自分の安心の心の基盤になってしまうのだろうと、思います。

私は、そう、自分を振り返って、思います。


「どうせ、私の悩みなんか・・・」

そんなことは、ありませんよ。。。
基盤がないということに、気づいたあなたは、
大切な、自分の人生の、一歩を踏み出そうとしているのです。


自分の中のインナーチャイルドの声に、耳を傾けてください。

心の中で・・・

春には、笑顔で、野原をかけまわる、チャイルド。

夏には、水遊びに夢中になって、真剣な顔をしているチャイルド。

秋には、枯れ葉を踏みしめて、その感触を、びっくりした表情で、感じているチャイルド。

冬には、白い息を、空に吹きかけて、わくわくしているチャイルド。


そんなチャイルドたちが、

「私はここにいるよ」「私を受け止めて」と、

あなたの心の扉を、叩いている音が、聞こえませんか?


.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+。.:*・゚

この「心の基盤」は、シリーズになる気がしましたので、
とりあえず、(1)と題名につけてみました(〃▽〃)

なお、コメント、こころより、お待ちしてます。
共に、考えるブログでありたいと、思っています。
しかしながら、↓の状態も、多いので、

カキカキ○O0o。。。.φ(_ _).。o○グウウウ

^^;

コメント返し、お時間くださいませ~。
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パートタイマーの一日【日々徒然】
2009-09-23 Wed 00:31
今回は、かなり、趣向を変えて、パートタイマーの一日と題して、
私が、日頃、どのような仕事をしているのか、書いてみます。
というのは、来月で、退職するので、自分の足跡として、こういう記録も、
記念に、いいかなあと、思っただけです。

出勤・・・9時頃
寝ぼけた頭で、家から、車で15分の職場へ。

また、月に何回か、鍵当番っていうのが、まわってくるので、
そのときは、皆より、ちょっと、早めに、出勤して、PCを立ち上げたり、
ポットのお湯を沸かしたり、してます。

9時20分に、タイムカードを、一斉に切り、それぞれ、朝の開店準備をいたします。
レジを開ける人、
カートを店頭に、出す人、
前日の売上金を、銀行への入金へ行く人。
トイレ掃除をする人。
これらを、交代で、やっていきます。

それが、一通り済むと、開店10分前に朝のミーティングが、始まります。
前日のラストメンバーからの連絡事項、
本社からの、連絡事項、
お客様からの、注文の確認など、いろいろです。

そして、接客7大用語唱和って、のがありまして、
「おはようございます」とか、
「ありがとうございました~」とか、
「お待たせいたしました~」とか、
店内の、端から端へ広がって、叫ぶんですね。

これで、かなり、テンションを、あげます。
あげないと、やっていけない・・・(-_-;)

いつもの私は、こんな人じゃないって感じで、
違う人格に、なります(笑)

それが終わる頃には、その日の荷物が、○○通運によって、どさっと、きます。
荷物が、少ない日は、ラッキーなんですけど、多いと、まじ、大変です。

広いBR(バックルーム)が、みるみる荷物で山積みに。
足の踏み場も、無い状態になります。
10時に開店したら、荷物の仕分け担当をBRに残して、
他は、フロアへお客様を、お迎えしながら、それぞれの、担当箇所の商品整理。

朝の時間は、お年寄りが多いので、よく、商品の場所を聞かれます。

自分で探せよ・・・チッと、舌打ちしたくなる、悪魔のささやきを、軽く押さえて、
にこやかに、ご案内します。

時には、
「あれ、あれは、ないの?ほら、四角くて・・・」と、身振りで伝えようとするツワモノのお客さまも、多いです。

あれって、なんじゃ?
日本語、勉強してから、出直してこい!という、悪魔のささやきを、
抑えつつ、にこやかに、
「お客様、それは、紙でできたものですか、それとも、プラスティックでしょうか?
何に、お使いになるのでしょうか?」
と、連想ゲームの世界に、なります。

中には、炊飯器は、ないか?という、勘違いのお客様も、いらっしゃいます。
先日などは、靴は、ないかと・・・

100均に、求めすぎちゃうんか!と、心で激しく、突っ込みながら、
顔は、にこやかに、今のところ、取り扱っておりません、と、丁寧に、笑顔で、対応。

えらいぞ、私。
自分を、ほめながら、やっていかないと、心が、すさんできます。

そして、レジの時間が、やってきます♪
レジは、一時間ごとの交代なので、一日のシフトを、頭に叩き込み
いつ、荷物を売り場に出して、発注して、一日、2回のレジをこなして・・・と、
夕方、5時に、仕事が、終わるよう、組み立てます。

が、大体、予定は、未定で、おわります(@_@;)

大きなお客様クレームが、入ったりしたら、アウトです。

いつぞやは、ボールペンの替え芯が、ないと、一時間以上、ごねた、お客がおりました。
「うちは、基本、使い捨てなので」、と説明しても、納得されなくて、
「買う時に、レジで、ちゃんと、このボールペンは、替え芯がない」ということを、
言わなかった、従業員が、悪いと、怒り狂った、50代の男の方でした。

100均に、何をもとめる・・・ホイ  (ノ-.-)ノ....((((((((((((●~*

他にも、不良品だったから、家まで、交換しに来いだとか、
たった、100円の品を一個だけ・・・・
ええ、行きましたとも。ラジャ!( ̄- ̄)

で、一番、楽しいのは、やっぱり、お昼休み~♪
お客様の愚痴やら、個人的な、愚痴やら、唯一、吐きだせる場所です。
でも、愚痴を愚痴で終わらせないで、笑いで、消化しちゃうんです。
この時間があるから、気持ちの転換が、できるのでしょうね。

私が、一番、面白いと思うのは、レジ打ちです。
最近、普通のレジ打ちから、ポスレジに、変わったんですけど、
あの、ピコン♪って、やつですね。
バーコードを探すのが、大変っす。
機械操作に、まだ、慣れなくて、みんな、四苦八苦している最中です ヤレヤレ(´-ω-`)
一番困るのが、バーコードが外れている、商品があったりすると、
お手上げです。

そういうときは、レジに付いている、ボタンを押すと、
「ぴろろろ~♪」と、ヘルプを呼びます。
それを、聞いたら、売り場にいるスタッフは、レジへ、ダッシュ。
途中、障害物(ほぼ、お客さん)を、よけながら、最短距離を、計算して、走ります。
なんせ、うちの店は、周辺では、一番の大規模店なので、広いんです(汗;
何度か、試しに、万歩計を使ってみたら、軽く、一万歩、超えました(-"-;Aふぅ・・・

でも、レジにいると、いろんなお客さんの様子を観察できて、面白い♪
始終無言の人・・・40代~の、おじさまや、おばさまに、多いですねえ。
お金を、畳んだまま、出す人。(広げろよ~(;-_-) =3 フゥ)
お金を投げてよこす人・・・(何か、怒ってんの?と、突っ込みたくなります)
そして、割り込みして来る人。
これ、50代以降のおばさんに限らず、男の人も、かなり、多いです。

反対に、若い人は、マナーがいいんですよ。

むかつくのは、100円商品を一個買って、
一万円を、黙って出す人・・・
今は、両替も、手数料が、必要なんですよね。
困ります・・・
「ごめんなさい、一万円しか、ないのよ、いい?」と、一言、言ってくだされば、
好感度は、かなり、アップします。
ちょっとした、コミュニケーションって、大事だよなあって、痛感します。

加えて、携帯電話で、話ながら、精算されるお客さん。
なんとなく、感じ悪いので、わざと、大きな声で、「○点ですね~、お会計は、○円で、ございます」と、
言っちゃいます。(笑)
レジを通るときくらい、かけなおすとか・・・できないのでしょうかねえ。


今、娘と息子も、それぞれ、販売業のバイトやってるので、
変なお客シリーズで、話が、盛り上がったりして、面白い。

変なお客・・・います。
じっと、女性用、下着を、ながめている、おっさん。。。
朝早くから、○ん○ームを、買いに来る、おっさん・・・
従業員捕まえて、下ネタを、昼間っから、しゃべるおっさん。

定期的にやってきて、店内を、じっと、物色して、
きれいな、スタイルのいい女性のあとを、ついてまわる、おっさん。

そういうときは、「業務連絡、9番お願いしま~す」と、
注意を促す、放送をかけ、従業員同士で、監視します。

これ、結構、楽しい。

要注意は、学生たちが、集団で、やってきたとき。
なんど、万引きされたことか・・・(;-_-) =3 フゥ

あとは、タクシー呼んでくれだの、
疲れたから、椅子を持ってきてくれだの、
気分が悪くなったから、救急車、呼んでくれだの、
子どもがおもらししたから、拭いてくれだの、多種多様です。
他には、お客様に、宗教の勧誘されたことも、あります^^;

また、ここ数日は、シルバーウィークのため、販売促進が、強化されまして、
九州全店舗における、販売のランク付けが、毎日、本社から、送られてきます。
今、現在のキャンペーン強化商品は、「甘栗!」。

先日の、売り上げランキングが、どん底に落ちたため、
スタッフリーダーが、地区長に、怒られてしまいました。

これでは、いけない!と、本日は、全員、ひとりノルマ、10個売れ!と、
指令が飛んできて、レジで、全部のお客様に、おすすめしました。
中国産だから、いらないって方、
甘栗、甘栗って、うるさいんだよ、と、切れる人、
なんだか、大変そうねえと、義理で買っていく方が、
まるで、光輝く、天使のように、見えます。

レジでも、手があくと、店内放送を、交代で、ガンガン、かけまくり、
荷物を出しながら、「いらっしゃいませ~、甘栗は、いかがでしょうか~」って、お客を洗脳していく(笑)


のどが、ガラガラになります。

ということで、昨日は、今までの、最高記録を達成することが、できました~。
どんな手を使ってでも、売れ!という、地区長からの、プレッシャーは、胃が痛くなりますけど、
達成したあと、みんなで、BRで、ばんざ~いと、歓びあうのも、また、いいもんです。

そんな、乗りなんで、うちの、職場は、体育会系ですね。

そうこうしているうちに、朝メンバーは、5時に、退勤となります。
その頃、夜メンバーの学生たちが、出勤してきますので、業務は、バトンタッチ。

しかし、すぐには、帰れません(-"-;Aふぅ・・・

本社指示業務を、担当別に、事務処理し、
それから、やっと、落ち着いて、発注業務を、やるんです。

発注も、これが、売れる、売れないを、把握していなければ、
不必要な在庫を抱えるはめになります^^;

何十万というアイテムを覚えて、把握するというのは、
2年や、そこら務めたって、なかなか、できるわけが、ありません。
そこで、いろいろと、裏技を使います。

ようするに、ごまかす・・。笑

現在は、電気小物関係、文具、プラスティックの担当なので、退職に向けて、後任のスタッフに、引き継ぎをやっている最中です。
基本的に、私は、細かく指示を出す方ではありません。でも、観察は、しっかり、してます。
で、タイミングを見計らって、ポイントだけを、押さえるという、省エネタイプ。
基本的には、やさしいです。(自分で言うのも、なんだけど、たぶん、そう)

なかには、ぎゃんぎゃんと、細かいことを、言ったり、ヒステリックになる人も、いるのですけど、そういうのは、信頼関係を、壊すもとに、なるので、嫌いです。
怒られた本人は、委縮しちゃって、フロアでも、笑顔で接客できないように、なるのは、
ちょっと、なあと。。。

で、大体、夕方、6~7時すぎまで、職場にいるはめに、なります。
サービス残業って、やつです^^;

時には、店舗の、近くの自動販売機の付近を、たまり場にして、いろいろ、互いに、気持ちを発散させたり、癒したり、お菓子を広げて、宴会状態になることも、あります。
誰かが、落ち込んでいるときに、自然と、みんなで、集まるんですよねえ。

そういう意味では、うちの、職場の人間関係は、ばつぐんだと、思います。
この中で、私は、育ててもらったんだなあって、感謝感謝です。

退職まで、あと、ひと月あまり。
お世話になった職場で、最後まで、悔いなく、精一杯、やっていこうと、思います。


【おまけクイズ】
ダイソーの一番の、売れ筋商品は、なんでしょう?
別窓 | 日々徒然 | コメント:4 | トラックバック:0
バトン!【AC】記憶が、欠ける
2009-09-22 Tue 12:19

自己紹介バトン

Q1 あなたのお名前は?
A1 りんりん
Q2 生年月日・星座は?
A2 19○1年2月生まれ  水瓶座
Q3 血液型は?
A3 「B」でしゅ。
Q4 好きな食べ物は?
A4 サクサクの、天ぷら
Q5 逆に嫌いなのは?
A5 お酒(ほぼ飲めない^^;)
Q6 異性のタイプはどんなひと?
A6 情熱を持ってる人
Q7 いま好きな人か付き合ってる人いる?
A7 いま~す♪ヘ(..、ヘ)☆\( ̄∇ ̄) ベシッ
Q8 異性のどんなしぐさにグっとくる?
A8 笑顔
Q9 好きな映画は?
A9 いろいろあるけど、「海猿」は、印象に残った。マトリックスも、何度も見た。今いる世界は、作られた世界。真実の世界を取り戻せというメッセージが、良かったなあ。
Q10 好きな色は?
A10 パステル色の紫系・・・けど、似合わない^^;
Q11 趣味は?
A11 ネット。ゲーム。(さ、寂しい・・・( ̄▽ ̄i||;;)ハハッ
Q12 兄弟は?
A12 4つ年の離れた、妹
Q13 ペット飼ってる?
A13 猫3匹。
Q14 なんか習い事やってる?
A14 今は、やってないけど、小学生の頃、オルガン(*^▽^*)ゞ習ってた。バイエルくらいなら、弾ける。
Q15 いまバイトしてる?してるとしたらなに?
A15 接客業~♪
Q16 いまの身分は?(学生・社会人など)
A16 主婦だね。
Q17 携帯どこの使ってる?
A17 あう!(ど○もは、みんな、使ってるから、嫌)天の邪鬼っす。その前は、PHSでした。
Q18 何年くらい使ってる?
A18 う~ん、「あう」は、4年くらい。PHSは、トイレにポチャンするまで、2年くらい、でせうか・・・(-_-;)
Q19 S?M?
A19 大体において、いじられタイプ。Mか?!(- .-)ノ” ナンデヤネンッ!
Q20 身長いくつ?
A20 159せんち。
Q21 体重は?
A21 おい、それは、女性に聞いちゃ、だめだろ・・・フンッ!(ノ ̄^ ̄)ノ ┳┳ ┣ ┻┻ ┫ ┳┳ たぶん、普通です。
Q22 足のサイズは?
A22 ジャイアント馬場より、ず~っと、小さいぞ。(そんなこと、誰もきいてねえ・・・)
Q23 好きなマンガは?
A23 昔は、萩尾望都の、「ポーの一族」
Q24 好きなテレビ番組は?
A24 最近では、秘密の嵐ちゃん。「ザ・クイズショウ」以来、桜井くんが、かわゆい。
Q25 何時に寝る?
A25 ほぼ、夜中、一時くらい。
Q26 何時に起きる?
A26 休みのときは、7時30分くらい。仕事のときや、お子様の学校のときは、6時半。
Q27 持病ある?
A27 貧血。あと、記憶喪失ヾ(・_・;)チョット‥
Q28 鞄のなかにはいつも何が入ってる?
A28 手帳、財布、通帳や、診察券。あと・・・レシートがああ。
Q29 いまの待ち受けは?
A29 好きな絵の作家さんの画像。一度、友人から、無理やり、美輪さんの画像が送りつけられてきたが、パス。
Q30 いまの着信音は?
A30 ファイナルファンタジー10の、テーマソング(息子にもらった)
Q31 パソコンには強い?
A31 かなり、偏りがある・・・と思う。
Q32 ブログを始めたきっかけは?
A32 それまで、日記をノートに書いていたけど、ブログが便利そうだったので、自分の記録を残したいと思った。
Q33 ブログを通じて友達がほしい?
A33 昔は、ネット友達が、欲しくて、交流を積極的にしていたけど、今は、マイペース。
Q34 特技は?
A34 特技・・・ブラインドタッチ。
Q35 質問長い?
A35 まあ、こんなもんかと。
Q36 資格は何かもってる?
A36 医療事務3級
Q37 これからとりたい資格ある?
A37 カウンセラー資格
Q38 実は自分は○○○だ。
A38 実は、私は、突っ込みどころ満載の、おちゃめな奴だ。(´・ω・`)ショボーン
Q39 子供のころの夢は?
A39 実は、今明かす秘密。作家になりたかった。中学のころ、尊敬する動物作家の「椋鳩十」さんに「どうやったら、作家になれるんですか?」って手紙書きました。返事もらったけど、家出したため、消失(ノ_・。)
Q40 今髪の長さどれくらい?
A40 肩くらい。パート先が、厳しくて、伸ばせない。でも、退職したのちは、また、伸ばす!
Q41 何色?
A41 黒色。これも、パート先が、だめって言うから・・・退職したら、染め直す。
Q42 スリーサイズをどうぞ
A42 え、スリーサイズって、なに? |(-∇-)| キコエナ~イ♪
Q43 チャームポイントは?
A43 鎖骨・・・かたえくぼ・・・(- -;)そんなものしか、思いつかないぞ。
Q44 今ままで生きてきて一番恥ずかしかった事件は?
A44 通帳を作ろうと思って、郵便局に入ったつもりが、そこは、ガス会社だった・・・窓口で、「通帳作りたいんですが・・・」「お隣ですけど」と・・・ぎゃあ!
Q45 得意料理は?
A45 こ、これは!苦手分野だ!・・・・焼き魚・・・・だめ?(。_°☆\(- - ) バシっ!
Q46 大分あなたのことがわかってきた気がしますが?
A46 しません、しません。
Q47 正直、ここまで答えるのに疲れた?
A47 疲れた・・・
Q48 正直、手を出したことに後悔している?
A48 少し。二度と、しない。
Q49 このバトンをまわすひとの名前を5人どうぞ
A49 無理。 友達、少ないもん。 そこのあなた、拾ってください。。。
Q50 最後にひとこと!
A50 自分、がんばれ!(((\( ̄ー ̄)/))) ATフィールド ゼンカイ・・・あ、違った・・・
今まで、数年、ブログを続けていて、バトンをしたことのなかった、私。

今更ながら、自己紹介も、かねて、やってみました。


面白いことに、気がついたわよ!


ACを自認する、私ですけど、
記憶が、ばらばらなんですねえ。

とにかく、日々、相手の顔色をうかがうことに、全精力を使い果たしておりましたので、
思考の枠、興味の枠が、非常に、飛び飛びで、狭い・・・

好きなものって、なんだっけ?

ん~、好きな本って、なんだっけ~?

本は、小さい頃から、好きで好きで、よく読んでいたんですけど、
要するに、現実からの、逃避のように、読んでいたので、
記憶が、抜けてる・・・

そんな、まだらボケのような状態なんですよね。

AC、恐ろしや・・・(汗;


ひとつ、思い出したことは、
小学校の図書館で読んだ
「ナル二ア国物語」シリーズ、これは、今でも、大好きです。
私を、異世界ファンタジーの世界へ、導いてくれた、大切な本です
(最近、映画化もされてますね)
あと、小野不由美さんの、「十二国記」シリーズ、
これも、大好きです。名作です。
でも、ここ、数年、続巻が、出ません。。。(悲)

って、ことで、バトン、興味深かったです。

自分の好きなもの、
好きなこと、
キライなもの、
楽しいと思うこと・・それが、よくわからない。

よって、何かを決めるってことも、苦手です。

ACさんは、成育歴によって、そういうものが、とても、あいまいなのでしょうね。

作られた記憶、操作された記憶、
背景には、そういうものが、ある気がします。

私なんか、好きな音楽っていうのも、苦手な質問で、
親が、演歌や、歌謡曲が、好きだったのですけど、
それに、対抗して、演歌なんて・・、日本の歌なんて、大嫌いだ~って、
洋楽に、走った時期ありました。

そうやって、「真逆」に走るから、本当に、自分の好きなものが、
さっぱり、わかんなくなっちゃうんでしょうね。
真逆じゃなくて、自分の感性を使って、好きなものを、聞けばよかったんです。

それを、「極」から、「極」の思考といいます

あなたの好きなものは、なんですか?

一度、考えてみるのも、面白いですよ。

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【日々徒然】こんな、近くに・・・あった(不登校・ひきこもり支援者のためのブログ)
2009-09-20 Sun 22:51
ネット徘徊が、ほぼ、趣味と化している、りんりんです^^;


実は・・・福岡にも、こんな、すごい活動をされているところが、あったのか!と、
しみじみと、感慨深く、ながめた、サイトがあります。

http://www.interbrain.co.jp/blog/


(いつか、ここに、必ず、つながるぞ~と、野望を燃やしてしまった、りんりんさんでした^^)

不登校の子を持つ親、ひきこもりの家族、

支援する側が、知識を持つ、あるいは、変わることが、どんなに、大切が、

よくわかるサイトだと、思いました。

今日の、記事は、ほぼ、自分メモと、日記ってことで。

興味があったら、ご覧になってね。

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【アダルトチルドレン】あなたは、孤独ですか?
2009-09-18 Fri 16:00
ある人に、聞かれました。

「りんりんさん、今、孤独を感じますか?」  と。

しばらく、考え込みました。。。

その時は、唐突な質問に感じて、あやふやな返事で、にごしてしまいました。


ずっと、以前、私が、ブログをはじめた4年前。

その頃の私を、こう、表現してくれた人がいました。

「暗い部屋で、ひざを抱えて、泣いているような感じを受けた」と。




かつての孤独は、私を苦しめた。

誰も、心を受け止めてくれる人は、いない、

私を理解してくれる人は、この世には、いないだろうと、そう、思っていた。

その思考が、なお一層、私の世界を頑なにしていた。


なんのために、生まれてきたのだろう。

なんのために、生きているのだろう。

私は、どこへ行けばいいのだろう。

そうやって、いつも、ひざを抱えて、耳を塞いで、顔をうずめて、眠っていた。


そのころの、私がよく使っていた、象徴として、

丸い玉に、閉じ込められた月の画像をブログでも、使っていた。

icon-moonincrystal.jpg


いつだったのだろうかと思う。
mixiでの画像が、天使の少女が、光を大切に手のひらに持っている、
この画像をいつしか使うように、なりました。


cut_wish_star_w_blue200.jpg

おそらく、心が、少しずつ、開放されていた頃だったのだろうと、思います。


で、今、私は、孤独を感じているのでしょうか?

実は・・・孤独を感じない人は、誰もいないということを、ここ数年で、はじめて知りました。
(信じられないでしょ?ヤレヤレ(´-ω-`))

しかし、昔、私が感じていた孤独と、今の孤独を比較すれば、
全く質が違う気がしています。

かつて・・・感じていた孤独は、身も、心も焼き尽くし、果ては、まわりも焼け野原にしてしまうような孤独。そして、この世で、自分は、一人ぼっちだという、愛に飢え、絶望をともなうような孤独。
または、私が、インナーチャイルドエクササイズの、学童前期で、表現した、丸い鉄の玉に閉じ込められた内なる子ども、または、地獄の餓鬼のような、「欲しい、欲しい」と、喉の渇きを必死で訴えるような、孤独でした。

今は、どうなのだろう・・・?
その問いがあってのち、自分の心をのぞき込みながら、
孤独の質が明らかに、変わっていることに、「あら~」と、気が付き、
なんだか、新鮮な、驚きを覚えました(☆∇☆) キッラ-ン!

穏やかな孤独。
豊かな孤独。
静かな孤独。

なんと表現したらいいのか・・・と、語彙不足で、困ってしまいますけど^^;
慣れていないもので(* ̄∇ ̄*)エヘヘ

かつて、ある方が言いました。
自立とは、一本の木が、しっかりと、大地に根をはることだと。

表面からみると、一本の木は、一本でしかないのですけど、
土の中の根は、大地で、互いに、影響しあっている。
今は、その豊かな土壌の中の、互いの鼓動が感じられる。

暗いところで、膝を抱えて、泣いていた私は、もう、どこにも、いない。

まっすぐ、大地に立ち、天を仰いで、
手を空に伸ばす。
まるで、映画、シャインのようだね。(あの映画は、感動した)


奪うこと、奪われる世界を脱し、

与える喜びの世界へ。


一人では、あるけれど、ひとりでは、ない。

孤独ではあるけれど、豊かな世界。

私は、そういう風に、生きたいと思っている自分に気がつく。

孤独は、誰の心にも、必ず、ある。

でも・・・

そうだね、いつの頃からか、孤独に、囚われない自分がいることに気がついた。

それでも、昔ほどではないけれど、時々、古い思考に、スイッチが入ることも、ある。

それは、孤独というより、幼いころの、記憶の隅から、

「見捨てられる怖さ」が、強烈に蘇り、発動した時だと、感じる。

それも、また、やがて、変わっていくのだろうと、思う。


いろいろなことを、気づかせてくれて、ありがとう。

合掌(-人-)

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【アダルトチルドレン】「右」と「左」~自分との和解~
2009-09-16 Wed 01:07

記事の前に、ご紹介したい場所があります。
私のブログにも、リンクが付いていますけれど、
私が、大変、信頼している友人の記事です。
彼女は、日本で、一般的に言うところの、犬の躾の先生なのですけれど、
彼女の場合、犬というよりも、飼い主さんの指導に、重点をおく、
特別なドッグトレーナーさんです。
ブログでの愛情深い表現力に、私は、いつも、感嘆させられます。

そういう彼女のブログで、わんこ育てを通じて、
自分が幸せでないと、犬も幸せでないということに、
気づかれた方も多く、さらには、自分を見つめなおすということを
始められた方も、現れ始めました。

この記事は、彼女の人への、想いが、たくさん詰まっていると、
そう感じます。(もちろん、わんこへの、愛もそうですけど)
Eggiさん、リンク許可、ありがとうございました~。

こちらからどうぞ


自分の心で、感じること。

自分の頭で考えること。

彼女の言葉は、問題行動を起こす(?)わんこさんたちの
飼い主さんに、そのことを、訴えて
おられるような気がします。

私たちは、つい、これが正しいという思い込みに、
はまりこんでしまいがちです。
そのために、大切なことを見失ったりします。

犬のしつけの本や、
子育ての本等、マニュアル本を読んでも、
その通りに、いかないのが、現実です。
犬でいえば、「おすわり」「お手」って、
なんのためにあるのでしょう。
赤ちゃんでいえば、
「トイレトレーニングが、早かった、遅かった」
「断乳は、早めに」とか・・・
それに、なんの意味があったのでしょうか。

私たちは、いつからマニュアルを欲しがるように、
なったのでしょう・・・
いつから、方法や、やり方を、欲しがるようになってしまったのでしょうか。
いつから、自分で感じることを、やめてしまったのでしょう。
いつから、それほどまでに、自分の心を、信じられなくなったのでしょう。

うつぶせ寝がいいと聞けば、みんな一斉にうつぶせ寝。
やっぱり、仰向けがいいと聞けば、一斉に、仰向け寝。

私が、乳飲み子の赤ちゃんと、格闘している頃、
そんな時代でした。



前回の記事で、「上」か「下」かを書きました。
子どもへの評価。
親としての評価。
世間の評価。。。


そして、もうひとつの、仕組みである

「極」から、「極」。

「右」から、「左」。

そういう思考が、世の中には、あります。


これは、正しい。
これは、間違い。

○か、×か。

私が、悪い。
相手が悪い。


そういう評価や価値観は、私たちの心を狭め、窮屈にします。
そして、卑屈にしていきます。
人と人との関係も、ゆがめられていくかもしれません。
「右」の人が、「左」の人をみると、許せなく感じるかもしれません。

いつの間にか、私たちは、
「縦」と「横」に、縛られて、なんと、苦しいことかと。

幸せに生きる方法なんて、ほんとは、誰もしらない。
成功する生き方なんて、誰にも、わからないんだもの。



もっと、おおらかに、

もっと、のびのびと、

もっと、ゆっくりと、

感覚を広げ、

耳をすまし、

言葉を暖かくし、

そういう、まっすぐな瞳のままで生きていきたいよね。


きっと、答えは、自分の中に、あるはず。

あなたが、見つけ出してくれるのを、じっと、

待ってくれているはずだから。

それらを、私は、「自分との和解」だと・・・

思っています^^


【参考までに、簡単な自分癒しの方法】


自分の腕で、自分を抱きしめる。

自分の手のひらのぬくもりが、

じんわりと、肩(腕)を伝ってくるでしょう。

ぎゅっと抱きしめる。

そっと、抱きしめる。

どちらでも、好きな方で。

自分の中の幼い子どもを抱きしめるように。

愛情をこめて。

子どもが望むままに。

「大好きだよ」

そう、伝えてね。

自分の中の子どもが、言って欲しがっている言葉が
あれば、声に出して、言ってみてくださいね。

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【アダルトチルドレン】【不登校】高いところからのプライドを突き崩せ
2009-09-15 Tue 09:55
幼い頃、源家族では、抑圧的に育てられた私は、
自分の身を守るために、
無意識にではありますが、
相手の気持ちを敏感すぎるほどに、感じる力を得ました。

母親の突然の、不機嫌や無視、
父親の誰に向けられるかわからない、
いつなんどきか、はじまる暴力、暴言の原因を、常にキャッチするアンテナを
張りめぐらせていなければならない、
そんな緊張した子ども時代でした。

そんな子ども時代の中で、自分独自の人生の生き方のパターンを身につけていったの
だろうと、思います。
(これは、多くのACの方に、共通して、見られるの傾向であることも、後に、理解しました)

当然、その時、身に付けた、パターンの中で、後に、大人になり、社会に出たとき、
大きな弊害に、なることが、たくさんありました。
そのことで、生きづらさを感じ、自己の背骨の無さに、うちひしがれ、それと同時に、世の中を恨み倒すほどの、肥大した、ゆがんだプライドが、私を大きく苦しめたと感じています。

たとえば・・・その頃の私は、・・・
「私は、みんなと、違うのよ」
「私の辛さは、誰にもわからない」
という尊大な考え方をしていました。
一見、立派に、孤高を保ち、自立した思考のように、見えますけれど、
他者を、見下し、そこに、自分の生きる価値を見出す手法ですね。

幼い私にとって、理不尽に、毎日暴れる親を、高い場所から、嫌悪の目で見ることで、
自分を、保たせていたという経験が、そういうパターンを作ったのだろうと、感じます。

その肥大したプライドは、大人になって、
いろいろな場面で、負け惜しみ的に、私を助けてくれたのですが、
しかしながら、それらは、他者に対して
比較、競争、嫉妬、憎しみを、強化し、
生きづらさを倍増させていたと思います。
また、それが、更に、生きるための信条を、強固にしていくのでした。

本当は、誰の人生においても、勝ち負けなど、あるわけがないのですが、
そのことは、十分、自分でもわかっていながら、
この不必要なプライドが、あったゆえに、人と人との間に、
厚い壁を、自分で、せっせと、建設していたように思います。

そんなおバカさんでした。

常に、心の中は、「上か下か」、「比較」の思考回路に占領されていました。
子育ての最中(今も子育て中ですけどね^^;)
穏やかに、子どもたちと、接するということが、
できるわけが、なかったなあと、振り返って思います。

そういう状態で、子どもの心を感じるということ、
「共感」ということ・・・できませんでした。
そもそも、「共感」ということが、どういうことか、分からなかったのですよね。

それまで、私の頭の中の辞書には、
上(高慢)であるか、下(自己否定)であるかしか、存在しなかったわけですので、
他者と同等である位置を、探すというのは、至難のわざでした。
幼い頃に得た、不必要なプライドは、そういう弊害をもたらしていました。

そして、「おかあさんには、ぼくの気持ちは、わからない」と、
子どもに言われてしまった、私でした。(ノ_・。)
わかって、やってあげてるつもりだったのに~
なんで、そんなこと、言われにゃならんのだ~って、
悲しかったです(ToT)
同時に、子どもに対して、腹が立ちました。
こんなに一生懸命やってんのに!ってね。


やってるつもりが、一番怖い。
それが、わかったのは、もう少し、後のお話。

4年前の、自分の書いた昔の過去の記事なんか、みたら、
もう、冷や汗ものです。

な、なんて、高慢なやつだ~。
って、自分で自分を、思ったりします。
こんなやつ、友達にしたくねえと、自分で思ったり、します(〃_ _)σ∥ガァーン

そういう、幼い頃の過去の経験で、自分で作りあげた張りぼてのプライドは、
実は、とても、もろく、矛盾だらけで、
本当の感情である、悲しみや孤独を覆い隠すためのものでした。
今は、過去の自分に、ただただ、恐れ入りますという、感じです。

そして、
不必要なプライドは、幼い子どもが、自分を守るために、作り上げた
過去の遺物
だと、わかったとき、
新しい、自分のプライドを、見つけ出すことを、意識しながら、
これは、必要、
これは、いらない
そういうことを、今も、続けているところです。
それが、自分の*背骨を作るということではないでしょうか。

*自分の思考の癖に気づき、それらを、自分の過去につなげ、
その出所を確認し、そこから、書き換えていくという、作業。


次回の記事は、
「上」であるか、「下」であるかに付け加えて、
「右」であるか、「左」であるか、を、書いてみたいと思います。
たぶん(笑)


@誤字脱字、少し修正しました。
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【アダルトチルドレン】【不登校】孤独と共依存の罠
2009-09-11 Fri 13:10
これまで、私は、散々、このブログで、過去の私自身の身に起こった、「子育てサークル」、「宗教」、「A子さん」との共依存について、書き散らしてきました。

自分の身に、いったい何が起こったのか、それらを、納得したいがために、
そして、その苦しさは、一体、どこからくるのか、過去に問い、現在に問い続けてきたようなところがあります。

また、私の「共依存体質」は、さらに、過去の生育暦・・・幼い頃の親との関係に、基盤が作られているということも、最近では、点と点が、つながるように、一本の線に、なってきたように、思います。
その線は、からまった毛糸のようであり、たぐりよせて、すぐに、しっぽが見えるというわけでもなく、幾重にも、からまっていて、本質を見えにくくさせていました。
それらを、ひとつひとつ、ほどいていく作業を、「井戸掘り」と、多くの人が呼びます。

それは、まるで、過去の遺物の糸と糸をつむいで、出来上がった、古い一枚のタペストリーを、
もういちど、糸をほどき、古い糸は、捨て去り、今度は、新しい糸と、混ぜ合わせながら、自分だけのオリジナルのタペストリーを、作り上げる作業のように、思えます。
新しい糸とは、新しい価値観であり、自分を支える言葉であったり、人の暖かさだったり、するわけですね。
これらのタペストリーは、出来上がってみないと、どのように、織りあがるのか、さっぱり、わかりませんけれど、織る苦しさもあり、喜びもあり、いびつながらも、新しい自分が、生み出されていくのでしょう。

その苦しさと、比例するように、織りあがる喜びも、また、自分への、最大の宝石となって、いつまでも、心の中で、輝くことになることでしょう。


しかし、この作業を、阻む、最大の敵・・・が、いると、感じています。
ゲームで言うところの、ラスボス。

なんだと、思います?





「孤独」


過去の幼い頃の記憶・・・

裏切られた気持ち・・・

理解されなかった残り火、

悲しい思い、

抱きしめられなかった悔しさ、


私は、それら、全部が、「孤独」というキーワードに、凝縮されているような気がしてなりません。


私が、インナーチャイルドのエクササイズを終えるにあたって、
その終了を、ずっと、阻んでいたものが、ありました。

この課題を超えたら、「私は、ひとりになる」という思いでした。
エクササイズの終了間際の頃、それを、自分でも、はっきり、自覚していました。

新しいタペストリーを紡ぎ出したら、古い糸とは、お別れしなければなりません。
(共依存の関係を、古い糸と、表現しています)

幼い頃の源家族は、口々に
「そんな、ところにいないで、戻っておいで」と、甘い言葉で、過去から呼び戻しに、きます。
「ひとりは、さびしいよ」と。
それでも、言うことをきかなかったら、今度は、
「おまえは、一人で生きていけないぞ、後悔するぞ」と、脅しにかかります。

この刷り込みこそが、今の自分の辛さを倍増させ、
子どもを、不登校に、追い込んだ元凶であるにも、かかわらず、
なじみ深いものに、連れ戻そうとする力、それが、共依存なのですけどね。

その声は、とても、強力であり、抗いがたい力があります。
今まで、自分を支えてくれていたものであり、パワーでもありますから、それは、当然といえば、当然です。

それらを、私自身の、過去を、振り返ってみると、
共依存の関係というのは、「孤独を感じないですむ」関係なのだろうと、推察できます。
私自身、過去の、子育てサークル、宗教、A子さんとの関係を洗い出してみれば、
共依存関係で、苦しんで苦しんで、自分の心さえも、奪われ、壊される状態なのに、
なぜ、そこから、脱出できないのか、自分でも、最大の謎でした。

子どもとの関係でも、同じで、母子密着、過保護、過干渉など、
苦しいのに・・・、わかっているのに・・・、なぜ繰り返すのか・・・と、自問自答してきました。

同じく、カウンセリングも、また、いわゆる、依存関係で、成り立っているのだろうと、思えます。

「井戸掘り」というのは、ひとつの、自立へ、向けた行動ですが、
自立したくない、または、自立が怖いという、ジレンマも、同時にあるわけです。

それらが、回復を遅らせているのではないかと、思うのです。

実際、私も、新しいタペストリーを織るとき、
「あなたは、このサークルを、抜けたら、究極の孤独を感じることになるだろう。
究極の孤独こそ、恐ろしいものは、ないんだよ。だから、あなたの、居場所は、ここしかない」
「私のもとを離れたら、ひとりぼっちになる。それでもいいの?」
という言葉を、宗教や、A子さんから、実際言われ続けていました。
それらの言葉が、私の無意識に浸透し、

「孤独は、恐ろしい」

という、縛りの言葉に、ずっと、自分の身を、置くようになるのだと思います。

A子は、この言葉に表現されるように、ずっと、さびしかったのだろうと、思います。
その寂しさ、孤独感を、埋めるために、互いの孤独感を、利用し、
わたしたちは、身動きとれない窮屈な関係になってしまったのだと、感じます。
源家族とて、同じことだろうと思います。
「あなたのことが、心配なのよ」「大丈夫なの?」「どこへ行くの?」
そういう一見、優しさあふれる言葉で、相手は、自分の孤独を、
相手で、埋めようとしかけてきます。
これらは、互いの孤独を忘れたいための、一種のゲームです。
実際、このゲームの最中は、退屈では、ありません。

そして、これら、突発的な、事象は、孤独を、忘れさせる強力な、パワーを持っています。

それが、どんなに、理不尽なことでも、理屈に合わないことでも、
このゲームが始まりさえすれば、孤独が、薄まり、忘れさせてくれるのです。
その無意識のゲームは、まわりの人を、良くも、悪くも巻き込み、
ぐるぐると、わけのわからない力に、翻弄されながら、
古いパターンを、繰り返しているのだろうと、感じます。

これらは、自分を支配する、「内なる親のパワー」と、表現しても、いいかと思います。

しかし、心の中にいる、インナーチャイルドは、
「もう、いやだ、助けて」と、悲鳴を上げています。

自分をそこから、救い出すということは、
今までの、なじみのゲームから、抜け出すということですね。
ゲームから、抜け出すということは、
無意識の基盤にある、「孤独は、怖い」という感覚を大きく揺さぶります。

そして、さらには、ゲームから、降りるということは、
自分が今まで、一番恐れていた、
孤独と向き合わざるを得なくなる、ということも、本能的に、わかってくるときがきます。

それが、わかっていたから、どうにも動けない状態が、私も、ずるずると、それらのゲームを、続けさせたのだろうと思います。
孤独と向き合うくらいなら、見捨てられるくらいなら、
苦しいけれど、ゲームをやってる方が、まだ、ましだ。
そういう、納得できない気持ちと、すり替えられたご褒美との葛藤の中に、常に身を置くのですね。
(この辺は、とても参考になる、『壊れた心を取り戻す』のきんたろうさんの記事がありますので、こちらを、参考にされたら、お勉強になると、思います)*勝手にリンクもらいましたキラ~ン 
 
騒がしい、ゲームの中に、いるか、
それとも、孤独と向き合う覚悟を決めて、自分を救い出すか・・・
選ぶのは、残念ながら、本人しか、決められません。
パワーゲームは、孤独を忘れさせる蜜の味。

そういうことを考えると、
孤独とは・・・、見捨てられ不安とは・・・
なんと、悲しい記憶の操作なのだろうと、愕然とします。


しかし、今、私は、思うのです。


孤独を、見据えて、はじめて、不毛のゲームから、自分を救い出すことが、できるのではないかと。
さらに、自分を救い出すことに、成功したとき、

「ああ、自分は、決して一人じゃなかった・・・」と、
思い出させる「新しい力」を得ることが、できると。


その力こそ、インナーチャイルドが、生まれた瞬間なのだと、感じるのです。
しかしながら、生まれたてのチャイルドは、とても、不安定です。
甘え、ごね、わがまま、時には、わんわんと、泣き叫び、
そして、誰かに、受け入れてもらいたがります。
大人の私は、そのチャイルドに、かなり、翻弄されたりしますけれど、
ある日、チャイルドが、キラキラした瞳で、にっこり笑う日が、やってきます。
そういう過程の中で、チャイルドの持つ、「新しい力」を育てて、いくのだろうと思います。

今、私の中にも、豊かな人とのつながり、
あたたかさ、
新しい力が、芽生えています。
大切な・・・

それらが、いつか、過去のものになろうと、
きっと、私は、いつでも、鮮やかに、その暖かさを、思い出すことが、できるでしょう。

出会った、ひとつ、ひとつの糸。
色鮮やかな、歴史の糸が、新しいタペストリーを、織り上げる。
中島みゆきの、「糸」という詩に、あるように
織り上げられた布は、
きっと、今度は、誰かを暖める布に、変わるのでしょうね。

一本の糸は、たしかに、離れ離れで、孤独では、あるけれど、
私の思いは、誰かの糸になり、
あなたの思いは、私の糸になる。

孤独を感じない人は、この世には、いない。

けれど、それを、埋めるために、他人のタペストリーをごっそり、詐取し合っても、
自分の作った作品では、ありませんね。
それは、まるで、夏休みの自由研究を、親がやってしまうようなもの。
自分の書いた作文を、コンクールに入選するために、
先生が、書いた文章に、なってしまい、自分のものではなくなるのと、似ている。

織りあがる、タペストリーが、私の喜びとなり、
誰かの喜びとなることが、さらに自分の喜びになる、
私は、そういう風に、豊かに、自分の布を、織り上げていきたい。

そんな、ビジョンと、方向性が、私自身の、孤独の壁を突き破る力になっているのだろうと、
そんなことを、感じています。

あなたは、決して、ひとりでは、ないのです。暖かい記憶が、きっと、あなたを暖めてくれるはずです

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【不登校】【アダルトチルドレン】内なる親の引き戻し
2009-09-08 Tue 13:50
知り合いから、切羽詰った声で、電話が入った。

「子供が、苦しんでいて、病院を探している」

と・・・。


母親のC子さんの息子さんは、少しだけ、発達障害が、見え隠れしながらも、
中学までは、特別室や保健室登校し、
その後、この4月から、サポート高校へ進学している。
母親のC子さんは、そこまで、息子さんを、今まで、必死で導いてきた。
もちろん、同居の祖父母の絶え間ない干渉もあってのことだが。

しかし、ここへきて、息子さんが、
学校へ行きたいけど、行けない状態となったそうだ。
前期の試験も、一日だけ行ったっきり、
朝、おきられない状態となった。

いろいろな、町のカウンセラーに、相談し、現在の先生にも、相談して、
やっと、その県の県庁所在地がある、市内に、
思春期を専門に扱っている、病院を、紹介してもらった。

子供は、入院したいと、親に告げているようだ。
そして、死にたい。
勉強したいのに、集中できない。
辛い。
と、言っている。

C子さんは、そこまで、興奮した口調で、高い声で、一気に、一人でしゃべっている。
私は、うん、うん、と、答える暇しかない状態で、
バラバラなC子さんの、話を頭の中で、整理しながら、子どもの置かれている状況を、組み立てる。

状況的には、うちの4年前と似ているなあと思いながら、
このC子さんの、まわりを、弾き飛ばすような、勢いの良さは、いったいなんだろうと、
違和感を覚える。

言葉のはしばしに、子どもを助けたい、どうにか、したいという気持ちも、汲める。
加えて、よっしゃ、私の出番!
でも、私が!、私が!、私が、辛いのよ。

おかあさん、子どもより・・・あなたが、辛いんじゃないか。
と、言いたくなるが、それを言っちゃあ、
相手が、怒りはじめるだろうと、口をつぐむ。
言っちゃあいけない、禁句。


「病院じゃ、子どもは、直らないよ、たぶん」
やっと、ぽつりと、言えた言葉が、それだけだった。

気持ちは、親子で楽になることは、あるだろうけれど、
それをきっかけに、親子、家族の建て直しをするほうが、もっと、大変なんだということ、
伝えたかったのだけれど・・・

そして、いっきに、まくしたてるように、しゃべる彼女が、やっと、一段落した頃、
私は、発達障害と、不登校・うつの関係を、ゆっくり、説明に入った。

発達障害に、原因を求めるなら、それは、違うとういこと。
もともとの感受性の高さが、家庭環境によって、より感性が、研ぎ澄まされてきて、
そのことが、さらに、普通の人には、なんでもない言葉が、普通の10倍20倍に増幅されて
感じられること。

C子さんの、家族は、同居の祖父母を含めて、
互いに、過干渉であることは、以前から、指摘していたのだけれど、
そのことも、ずっと、以前から、改めたほうがいいと、進言してはいたけれど、
しかし、それは、すぐに忘れ去られて、家族の引き戻しのパターンの憂き目にあうのだった。

それを、子どもが生まれて、16年間、親の洗脳や、行動、言動を考えると、
すぐに、「学校」「成績」「将来の仕事」を心配するC子さんの、
今、やるべきことは、
子どものことよりも、
なぜ、過干渉になる自分がいるのか?
なぜ、私は、こういう考え方をするのか?
という、一連の、アダルトチルドレンの回復に役立つソースなのだと思う。

しかし、子どもの問題と、自分のアダルトチルドレン問題との関連を、
心で、わかるとういことは、至難の業だと、私も、何度も、自分の経験で、思い知らされている。

そうそう、数分の会話で、理解できるわけもなく・・・
加えて、何度も、何度も、そういうことを、今まで、C子には、話してきたのだけれど、
一瞬、理解しても、「現家族」の、引き戻しは、とても、強く、
結局、子どもが、少しでも安定し始めたら、もとに戻るという繰り返しであった。
C子さんの「心配心」は、子どもをDOINGさせることに、すぐ、戻ってしまう。

一度、C子に、なぜ、戻るのか?とたずねたことがあった。
彼女は、「祖父母のせい」だと、自己弁護をした。
自分を見つめることが、できるようになるということは、
多大な勇気が、必要だということは、私自身、身をもって知っているので、
自分の内面から、目をそらし続けるC子を、責める気にもならない。
私の、核心に触れる言葉を、C子は、弾き飛ばし、怒りの原動力とすることもある。
怒りの原動力に、されてしまうくらいなら、黙って聞いてやることしか、できない。

自分を見つめることからしか、回復は、はじまらない。

そのお手伝いは、できるかもしれないけれど、
今は、溜まった言葉を、逃してやるくらいしかできない。
C子にとって、受け入れられる経験の、一旦を担えればと、
そう、思ったりする。

引き戻す力に打ち勝つものは、
やはり、人の暖かさなのだろうなあと、ぼんやり、考える。
しかしながら、ささやかなそれらは、引き戻しというブラックホールに吸い込まれて、
宇宙のチリ・・・藻屑も、残らない、
跡形もなく、しまいには、抹殺されてしまう経験を
何度もすると・・・途方にくれる。

待つしかないのだろうと、思い知らされる時。

それにしても、そのC子さんの、言っていた、カウンセラー・・・
問題は、子どもではなく、親だと、言ってくれ・・・と、淡い期待をする私。

出会う人の、誰もが、そう言ってくれたら、きっと、
考えざるを得ないではないか・・・?
無理か・・・
カウンセラー自体が、そのことを知ってる人が、少ないのだから。

いつものことだけど、一気に、気持ちを電話で吐き出して、
あ、用事ができたと、嵐のように、去っていった、C子さん。
取り残された私は、携帯の受話器を、じっと、ながめながら、
しばらく、嵐の後の静けさに浸っていた。

む・・・無力だ・・・。(汗;
はたから見たら、きっと、笑える構図だな・・・。と自嘲する。

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【息子のこと】18歳になる。
2009-09-06 Sun 01:30
不登校だった息子、昨日で、18歳に、なりました。

当の息子さんの、今日の足取りは、

朝は、友達に誘われて、学区内の、M高校の、体育祭を見に行かれました。

そののち、通信制の友人たち7~8人で、香椎浜の花火大会。

その後、ゲーセンで、太鼓の達人(←彼は、今、太鼓の達人に、はまっている^^;)

彼が、ゲーセンで、太鼓の達人をやれば、ギャラリーが、

彼の周りに、集まってくる。(娘、証言)

そこで、メルアド、交換してくださいって申し込まれることもあるらしく、そんな知り合いが、数人いるようだ。

で、夜中の、12時帰宅ってな具合でした。

おうちでも、ささやかに、ケーキで、お祝い。

そんな、一日でした(*^_^*)


先月あたりから、少し不安定さを、ちらちらと、見せながらも、
進学は、推薦狙いの、彼は、後期の成績は、もう、どうでもいいらしく、
今年、はじめて挑戦した、正月のバイト代も底を突きはじめた事もあって、
先月から、本格的に、バイトを探し始めた。
1回目は、電話をしたら、もう、すでに、決まったと断られた。
2回目は、高校生は、ちょっと、と言われて、断られた。

その後、妖しいホテルの、ベッドメーキングのバイトなんかを言いだした時は、
さすがに、笑っちゃって、
高校生には、向かないんじゃないかと、それだけは、ちょっと・・・と(笑)
ドキドキしました。

それから、毎朝、新聞のチラシを、ながめるのが、彼の日課でした。

そして、3回目にして、やっと、面接にこぎつけて、近所の、
某コンビニに決まった。

そんな、18歳。

先日、久しぶりに、過呼吸一歩手前になった。
心が揺さぶられると、どうやら、きついらしい。
息子を見ながら、人は、過去の感情を封じ込めている方が、
楽なのかもしれないと、そんなことを、感じた。
彼が、ひと月前に、「感情が動くんだ」と、私に告げたことと、つながっているのだろうと、
私には、そういうおぼろげな、推察しか出来ない。
あれから、彼は、数人の信頼のおける年上の友人に、心の内を、相談をしたようだった。
けれど、彼の方から、私に、言ってこない限り、私も、彼に、何も聞かない。
私ができることと言ったら、息子が、自分で、答えを探そうとしていることを、邪魔しないことだ。
彼が、十分に、自分と向きあえるよう。
私ができることは、それだけだ。

あとは、彼が自分で選ぶ世界が、彼を育ててくれる、そう、感じる。

とにも、かくにも、18歳、おめでとう。



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【AC】暖かさの記憶
2009-09-04 Fri 19:58
本日、お仕事、お休みだったので、
最近、気になって、気になって、しょうがない、あるものを、
子供たちを誘って、ゲットしに行きました。


CA3C0065.jpg


名称:福岡風しろくま(?)
    直径20センチ

とても、一人で挑戦するには、無理そうなので、3人で、食べたわけですけど、
それでも、最後は、「うっ」と、なりそうな量でした。

「白くま」は、本来、鹿児島名物なんですね。
私は、鹿児島出身なので、小さいころ、夏になると、
祖母に連れられて、「白くま」を、食べに行った記憶が
鮮やかに、よみがえります。
なんせ、幼かったので、食べきれないのですけど、
それでも、祖母は、一人前、頼んでくれました。

本場の白くまは、カキ氷の中も、フルーツが、どっさり入っていて、
これよりも、もっと、小さいお皿に、うずたかく、荒削りの氷が、乗っかって、
砂糖と、練乳が、たっぷり、かかっていました。

子供心に、祖母との時間は、とても、幸せでした。
私を、暖かく見守ってくれた祖母は、もう、いませんけど、
その、やさしい記憶が、私の中に、しっかりと、残っていることを、
嬉しく思います。
争いが絶えない家庭を離れて、祖母と過ごす時間は、
ただひとつ、私が、心安らぐものでした。
祖母が私に残してくれた、暖かさだと、思います。
その暖かさに、もう一度・・・、触れたい気持ちと、共有したい気持ちが、
今の私に、残っているのだろうと思います。

おばあちゃん、ありがとう、
おばあちゃんの、残してくれたもの、
ちゃんと、受け取ったからね。

生きてる間に言えなかったけれど、
きっと、私の声、聞こえてるよね。


誰の中にも、セピア色の思い出、きっと、ありますね。

ちなみに、福岡では、カキ氷のこと、「フラッペ」って、呼ぶんですけど、
今でも、なじめません(^^;

フラッペって、なんや~、それ、って感じです(笑)
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【AC】【不登校】自分を救い出す決意をする
2009-09-01 Tue 12:11
不登校を、子供だけの問題と、とらえることは、大きな間違いだと、
私は、経験則から、思っています。

不登校というものは、結局のところ、「家族のゆがみ」が、
家族の一番弱いところに出現しただけのことであるでしょう。

「家族のゆがみ」とは、現家族だけの問題ではなく、
その親世代、そのまた、親世代の、ゆがみが、つもり積もって
出来上がったものだと、そのように、考えることが、
もっとも、すんなりと、不登校を、理解できることだと、
私自身が、これまで、経験してきたことから、思っています。

しかしながら、親たちが、
現家族の、ゆがみを、感じられない場合、あるいは、
感じることを、禁止している場合、
どうしても、子供を動かそうとすることから、
気持ちが離れられない場合も、
あることも多いということも、感じます。
そこには、人それぞれに、いろいろな理由があるのだと思います。

「禁止」というのは、
自分にとって、親は、「頼れる、いい親」であり
慈愛あふれる人たちであると、思い込まされていることも、
あるということ、
また、多少は、いろいろ問題もある親であったけれど、
今は、特に問題を感じないという場合は、
不登校という問題に直面するとき、
その矛先は、不登校のこどもにしか、目が行かない。
よって、子供が、学校へ行った、行かないとか、
さぼりか、怠けか、とかで
一喜一憂するわけですが。

それは、しょうがないことだろうと、思っています。

しかし、不登校が、長引くと、
特に、中学から、義務教育を抜けた高校へとなると・・・
否応でも、母親は、葛藤をしながら、その矛先を、
自分自身へと向けざるを得ない状態となるでしょう。

そして、やっと、子供の問題を一旦、別のところにおいて、
子供の問題と、自分の問題を、分けて考え始めるところが、
本当の出発点なのだろうと、私は、思っています。

しかしながら、自分を振り返り、見つめはじめると、
ほんとの話、子供の問題よりも、
自分の抱えている問題の方が、数倍、何十倍も、
重いことに、気がつくときがきます。

この気づきを促すために、
私などは、「瞑想」という手法を、使ったのですけれど、
残念ながら、瞑想は、万能ではありません。

なぜか?

人は、自分を見つめたり、自分の感情をストレートに感じることは、
とても、辛いことだと、本能的に、知っているからです。

辛いことは避けたい。
誰もが、思うことです。

多少の生き辛さや、なんらかの問題があっても、
そこに目を向けることは、せず、
まあ、そこそこ、ごまかして、必要とされることを、
生きがいに、子育て、家事、仕事なんかで、生きてこれたのですね。

今まで、そうやって、
本当の感情をすりかえて、きたわけです。

しかし、自分と向き合うということは、
何もない、自分からの出発になります。

夫、家族、こども、それらを取っ払って、

私って、何だろう?
私は、誰だろう?
私は、本当は、何をしたいのだろう?
私は、何を、ほしいのだろう?

ということに、目を向け始めたら、
今までの、築き上げてきた人生そのものを、
一旦、ちゃらにしなくちゃいけなくなります。

心の中で、崩壊が起こります。

この崩壊が、怖くて、
自分に目を向けられないということ、
とても、わかります。

怖いですよね。
恐怖です。

しかし、私と、一緒に、これまで、ブログでの交流があった方、
私は、ともに、戦ってきた仲間たちと、思っているのですけれど、
そういう方たちと供に、励ましあい、支えあい、そういう、崩壊を何度も、
経験してきたと、そう、思います。

ここで、言う「励ましと支え」というのは、
相手の気に入る言葉を、かけあうというものではなく、
慰めるわけでもなく、
ただ、互いに、前へ、進もうという、同じ気持ちで、
たがいに、見守って来た感じがします。
ひとりが、壁を破ると、互いに、喜びを分かち合いました。
私は、そういう、戦友たちに、恵まれていたと、本当に感謝しています。
時には、暖かい、逃げ場にも、なってくれました。
戦うには、暖かさも必要ですから。
しかし、それに、甘えてばかりも、いられませんね。

私にとって、それらは、とても、すばらしい、経験でした。

そして、なおかつ、後ろから、ずっと、支えてくれた人たちも、ありがたい存在でした。

でも、それらは、私自身が、自分を救い出す決意をしなければ、
何も始まらないことなのです。

最初は、結局のところ、「自分」なのです。
決意のないところに、変化は、おこりません。
自分を変えられるのは、ほかの誰でもなく、自分しか出来ないのです


自分を救い出す

たったそれだけのことなのですけれど、
この決意ができるまで、
私は、子供には、長い間、待っていてもらいました。

時には、その決意も、ゆらぎます。
人間ですから、当たり前です。
そのとき、私自身を支えてくれている人の言葉を思い出します。
そして、何度でも、決意をしなおします。
決意というものは、時に、死のふちを歩いているようなときも、多いからです。
それほど、私にとって、ひとつの決意をするということは、恐ろしいものです。
しかし、その決意が、生まれないことには、
何をしようが、どんな、すばらしいといわれる方法を用いようが、
何も、変わりはしません。(←言い切ってしまって、ごめんなさい)
それは、まるで、傷の多さ、深さに比例するかのようです。

私が、ときどき、「歩いていこう1、2、3」という題名で、
記事を書くことがありますけれど、
わかっていらっしゃる方も多いかもしれませんけど(汗;
それは、決意のやりなおしであり、
揺らぎの断ち切りと、方向性の修正と、決意表明の証なのです。

自分を救い出せないで、どうして、こども(人)を、救い出せるでしょうか。自分と向かい合わずに、どうして、子供と向き合えるでしょうか

私は、今、そう思っています。

その結果、大崩壊が、始まったとしても、
それは、私が、心の底から、望んだことだと、思えます。

しかし、崩壊のあとには、必ず、再生が、やってきます。
「風の谷のナウシカ」で、腐海の底には、美しい砂と、水がありました。
そして、新しい芽が、光をあびて、育ちはじめていました。

「ラピュタの城」にて、
破滅の言葉のあとには、
世代連鎖を断ち切った、新しい世代の若者の姿を見ました。

私は、いつも、そのシーンを、希望とともに、思い出します。

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