author : rinrin
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 「自立させない場所」~宗教・セミナー・サークル【AC・不登校】
2009-12-27 Sun 17:13
私自身、ここ10年ほど、ずっと宗教に身をおいてきた。

アダルトチルドレンとして、ひとりで生きていくには、

それが、必要だった・・・としか、今は、言えない。


宗教依存・・・

空洞の心には、優しい言葉、力強い言葉、前に進む力、

自分の背骨となる借り物の力を必要とした。

自分で感じる力を失っていた、あの頃・・・、

強い力に、自分を引き上げてもらわなければ、

生きていられなかった。

自分を越えた力、自分では、コントロール不能な力に人生を翻弄されてきたと思っていたのだから、

自分を越えた力で、自分を正しく、コントロールしようとした。

一時期は、取りつかれたように、生活すべてが、宗教になってしまったこともあった。

思考、行動、言葉が、宗教に影響を受けた。


こういう傾向性は、特に宗教でなくても、現代では、

疑似的なスピリチュアル、小規模のセミナー、母親サークル、

などでよく見られるのではないだろうか。

しかし、次第にその場に違和感を感じた人たちは、概ねだが・・・、

反対意見は言わず、そっと静かにその場を去っていく。

残された人たちは、さらに、結束を固める。

サークルやセミナーで作られた言葉たちは、独り歩きをはじめ、

新たな意味が加えられ、いかにも、斬新であるかのように語られる。

少し前に、とある方の

「ありがとう」

の連発に、幸せへの道だと、多くの人が講演会に殺到し、本が何万冊も売れた。

「ありがとう」・・・昔からある言葉。

それほど、哲学的な言葉でもないのだけれど、

新しい師匠に、意味を解釈され、広められ、多くの人が、「ありがとう」と合言葉のように言う。

一見、無害な言葉のようで、思考力を、奪われていく。

そう見えた。

いろいろな、集まりの中で・・・・

その中でしか、通用しない会話がかわされる。

実は、似たような言葉、言い回しは、過去の名もなき人たちが、語っているものが多い。

問題は、「その中でしか通用しない価値観」に、多大に問題があるところだろうと感じる。

時に、抜けようとする仲間を、涙ながらに説き伏せたり、

落ち込んでいる仲間を癒しの言葉で、守ろうとする。

そこは、とても居心地のいい、ある種、安全な場所ではあるが、

しかし、その世界から一歩出たら、社会では通用しないことは、みんな心のどこかで、知っている。

理論があるようで、ない、あいまい世界。

まことに不思議な世界だ。

その中で、私は、約10年過ごしたのだった。


加えて、子育てサークルの運営者の一人として、

参加者に、「うそ」と「幻想」を、伝え続ける立場に5年いた。

最初は、「私の求めていたものは、これだ」という実にAC的な勘違いに突き動かされて

純粋に、子育てを通じての親育てを伝えていきたいと思っていた。

生の子どもは、置いてきぼりで、理論だけが、先走った。


しかし・・・自分の子どもが不登校になり・・・

自分のウソツキ度と、欺瞞、作られた幻想に、気づかされた。


誰も、自立しないシステム。自律出来ない世界がそこにある。


健全な人には、そのようなシステムがなくても、

自分で自分を構築する力がある。

自分で、悩む力がある。

誰かに、人生を肯定してもらわなくても、自分で自分を肯定できる。


しかし、私などのように、基盤がそもそも、透明で、ゆらいでいるACは、

視野の狭さ、思考の歪み、思いこみの強さで、

人生の途中、どうしても、自分より偉大な何か・・・形のないものでありながら、

形のあるものを、とりこまずには、生きていられなかったのだ。



今、ACから卒業し、

私は対等な対話や、会話の中、記憶の中から、

自分の言葉を引き出せるようになった。

普通の何気ない会話の中から、感動を感じる言葉を

知ることができるようになった。

特別な人の御神託である必要はなく、

誰からか、与えられた言葉も、必要でなく、

意味を一方的に与えられ、解釈された言葉ではなく、

皆が一斉に感動を誘われるものでなくてもよくなった。


自分で、自分の感情を言葉でつむげるようになった。

自分で考え、自分で心を満たし、自分で心を治めることができるようになった。


なぜか・・・?


答えは、簡単だ。


高いお金を払わなくても、言葉をこねくりまわさなくても、

理論で自分を固めなくとも、

真実は、自分の中にあると、知ったからだ。

これは、最強であり、そして、とてもシンプルで、何より、気持ちが悪くない。


今運営している、コミュニティさえ、

いつでも、手放せる用意がある。

大切ではあるけれど、そこにあるもの・・・それだけのことだと感じている。


といっても、信仰的な部分が、全くゼロかと言われれば、ゼロではない。

しかし、それは、人に伝える部分ではなく、恐らく、普通の人が心の奥底に持つ

太陽信仰的な、原始的な信仰と重なりを持つものに似ているのではないかと、感じている。



長々といろいろ書いてきましたが、
今回、最後に、この記事を書くきっかけとなった ぽあんさんの記事を
ご紹介いたします。

「ネットカルトは出会い系と同じ匂い」

実に鋭い視点で書かれた記事で、ぐうの音も出ませんでした(汗;
すばらしい記事だと思います。
リンクの承諾も頂き、今回は、こちらでご紹介できること、嬉しく思います。
ぽあんさん、ありがとうございました。


そして、もうひとつの記事リンクです。
以前、きんたろうさんが書かれた記事ですが、当時・・・まだ、
宗教依存していた私は、読んだとき、かなり落ち込んだ記事だったということを覚えています(笑)
読んで、隙がない文章だったので、逃げるしかない記事だったこと、そのことは、今でも印象深く私の中に残っています^^;

「色々な共依存のかたち【新興宗教・母親のグループ】」

こちらも、記事リンク、承諾してくださって、ありがとうございました。

おふたりの記事をあわせて読んでくださると、より理解が深まると思いますよ^^

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リラックス呼吸法~腹式呼吸と数息観(すそくかん)
2009-12-26 Sat 12:02
いつも、ぐるぐると悩みの多い方・・・
緊張状態でいることが、日常茶飯事の方、
知らず知らず、肩に力が入っている方、
気持ち悪い思考に頭を占領されている方、

そういう方に、多いのが、肩で息をしている状態。
呼吸が浅い状態。

呼吸が浅ければ、行動も、地に足付かず。
なんだか、せわしくしていないと、落ちつかない。
そうして、空まわり。
同時に、頭の中も、ふわふわと、
あっちに、飛んだり、こっちに、漂ったり、
落ちつきがない。
テンション高くて、まわりを振り回す。

足をとめて、しっかり、踏みとどまり

まわりの状況を把握することが、できない。。。


試しに、静かに座って、
自分の呼吸に意識を当ててみてください。

ちょっと、吸って、すぐ吐いて、
そんな、せわしない呼吸ではありませんか?
もし、そうなら、あなたは、もしかしたら
普段の行動は、落ちつくことがなく、
絶えず、しゃべり、たえず、思考が変動し、
せかせかと、焦りによって、動かされているかもしれません。
もしかしたら、相手の姿も捉えられず、
ひとりよがりの一方的な精神状態であるかもしれません。

一般的に・・・
心が穏やかでないときは、
呼吸が浅いと、よく言われます。

人は、緊張したとき無意識に深呼吸をして、自分を落ち着かせようとします。
これは、呼吸を深くすることで、心が落ち着くことを、
経験的に、知っているからでしょう。

呼吸法は、この作用を利用した、訓練法です。
グランディング・・・地に足をつける訓練だと思って頂けたらいいと思います。
深いところで、息をする。

人は、腹式呼吸をすれば、自然と心が落ち着くように、できています。

これらを、習慣づけていくことで、
自分を落ち着かせる、という効用があります。
落ち着いてくれば、今まで、見落としていた、周りの状況も見えてきます。


「数息観」というのは、仏教的な修行の要素を持っています。
自律訓練法や、瞑想的手法を使う前の、ウォーミングアップにもなります。
しかし、今は、心を落ち着かせる技術のひとつとして、
習得されることを、おすすめしたいと思います。


呼吸を意識する・・・
なかなか、難しいことですが、習慣の問題でもあるので、
特に、今、自分との過去に取り組んでおられる方には、
一つの技術として、知っておかれても、損はないかと思います。



.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+。.:*・゚+。.:*・゚


1.へその下3センチぐらいに、「丹田」と呼ばれる、体の中心があります。
 まず、呼吸をするとき、「丹田」に意識を置きます。
 
 そして、まず、息を深く吐くことから、始めます。
 体の中の悪いものを、すべて吐き出す気持ちでゆっくり、細く、長く吐きだします。


2.次に、ゆっくりと息を吸いながら、お腹を意識してふくらませるように、
 鼻から吸って、いきます。


3. そして、息を口から細く、長く、吐きだしていきます。



以上が、腹式呼吸の基本です。


腹式呼吸は、無理なく、自然に出来るようになるまで、日にちをかけて
やってみてください。
最初は、呼吸に意識をすることで、そのぎこちなさで、
パニックになる方もいるかもしれません。
それだけ、自分の内側に、意識を置いたことがないという、
証拠かもしれません。
あまり、根をつめずに、気楽にやることが、長続きのこつかもしれません。
完璧にやろうとしなくても、OKです。


さて、腹式呼吸になれてきたら、つぎは、「数息観」です。




① 呼吸を吸う時・・・1・・・2・・・3・・・で、ゆっくり吸っていきます。 

② 4・・・5・・・で、息を止めます。

③ 6・・7・・8・・9・・10・・と、吐いていきます。


これを2~3回繰り返します。


この要領になれてきたら、次に進みます。



椅子か、床に座り、背筋を、ピンと伸ばしてください。


そして、頭の頂点から背骨~尾てい骨にかけて、金色の糸がまっすぐに


貫いているように、エネルギーを感じてください。


胸の前で合掌、あるいは、手を膝の上に置いてください。


合掌は、手のひらでエネルギーを感じるので、やってみたい方は、試してみてください。


そうして、頭から、体の下へ向かって、順々に、力を抜いていきます。


頭・・・首・・・肩・・・腕・・・背中・・・腰・・・

足・・・つまさき・・・


そして、丹田に意識をおき、①②③の要領で、ゆっくり、頭のなかで、数を数えながら、


腹式呼吸をしていきます。


これを数回繰り返し、終了します。




体から、心へ働きかける、呼吸法、

心の旅を続けるあなたのお役にたちますように。

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【不登校・それぞれの軌跡】(10)不登校の先にあるもの(TOMORROW)
2009-12-22 Tue 12:00
2005年6月、中学二年から、不登校になった息子は、
適応指導教室を卒業し、
(といっても、三分の一くらいしか行ってない気が^^;)
2007年4月、県下に1つだけある県立の単位制高校の通信課程に進学しました。
まだまだ、この頃の私は、息子に自分の心配を背負わせる癖があり
より手厚く面倒をみてくれるサポート高校を、彼に何度か薦めたのでした。

この通信制を卒業することが出来るのは3割と言われ、
そう、学校の先生たちは、口々に、同情とともに、暗い顔された。
「しょうがないですね」
親としては、その心無い言葉が、プレッシャーだった。
(3割って・・・うち、くじ運悪いんで。。)
誰も、「大丈夫」って言ってくれない不安との戦い。。。
これで、いいのだろうか?

私は、そんな自分の不安を治めるために、息子に、何度も確認の作業をした。

「レポート、ちゃんと進んでる?」
「忘れ物ない?」
「楽しかった?」

「んな、わかるわけないじゃん」と息子。

そりゃ、そうだ・・・
また、やっちゃったよ(-_-;)
あ~あ。懲りない母・・・、りんりん^^;
わかっていても、確認せずにはおれないジレンマで自己嫌悪(-"-;Aふぅ・・・
まだまだの母でした。

当時、同時進行していた、私自身の執着を手放す作業、インナーチャイルドのエクササイズも、
終盤戦にさしかかってきました。
理論は、わかった。
しかし、いくら理論を積み上げても、実践で通用しなかったら、意味がない。。。
どこまで、リアルで自分が通用するのか、人間関係を築けるのか、無性に知りたくなった。
パートに出た。
へこむことも多かった。
まだまだ、昔の癖が、自分を支配しているのを肌で感じた。
しかし、何か・・・自分が変わっているのも感じていた。
もちろん、職場では、感情的な行き違い、喧嘩、色々ありました。
きれいごとだけじゃありません。女ばかりの職場なので^^;
でも、「人が好きだ」という気持ちは、基本的に揺らぎませんでした。
まわりに、うそを言う必要も感じなくなった。
自分を偉くみせる必要も感じなくなった。
そのままで。
仲間の中で、怒るときは、目いっぱい怒り、笑うときは、思い切り笑った。
そういう自分が好きだと感じた。
私が今まで知っていた世間より、新しい世界は、ずっと優しかった。

そして、それに呼応するように、息子も変わっていった。
役員に誘われて、地区の行事に、頻繁に参加するようになった。
人が好き、人を求めている、昔の彼が、次第に戻ってきました。

高校2年時の頃・・・「バイトしようかなあ」と、彼は、つぶやくようになった。
しかし、それは、試しの言葉。本能的に、感じた。
「どちらでもいいよ~。」
私は、いつのまにか、躊躇なく、さらさらと、そう答えられるようになっていた。

結局、当時、彼は、言うだけで、何も自分から行動しなかったけれど。
何も出来ない自分に自己嫌悪を起こしながら、
自分を責めてくれる言葉を、私から引き出そうとする。
(その手には、乗らない( ̄ー ̄)ニヤリッ)

それは、もう過去のパターン。
私が、過去に、子どもたちに、繰り返したパターンだった。
自分のやったことは、必ず、子どもが、やり返してくれることを痛感する。

自分が今、ダメなこと、不幸なことを言いわけにしたいために、
人は、自分のダメさを、相手に強化してもらい、納得し、
動けない理由を作りたがる。
これは、典型的なAC手法。

問題を子どもから奪い取らず、子どもに返すために、自分を観察し始めた私。
職場で、この手法は、より、強化され、自分の問題と他者の問題を分けて考える訓練になった気がする。
なぜなら、職場は、相手の非を責めようと思えば、いくらでも、できる場所だった。
しかし、問題は、「相手ではなく、どのように感じる自分がいるか?」だ。
私にとっては、そのための、実験的パートだったと言っても過言ではない。

子どもは、言葉を発する親の、微妙な表情、声のトーン、行動をじっと見つめ、感じている。
監視するように。
しかし、私は、私のことを楽しげにやる。
だれのことも、自分のルールで、縛らない。
そんな能天気な親を見て、子どもは、次第に「試し」の行動を諦めていく。
やがて、息子は、「問題」を自分に戻すのだった。

相手に巻き込まれない。
相手の感情は、相手のもの。
その境界線をふみこえない。


その頃だっただろうと思う。
「お母さん、顔が穏やかになったね。昔は、怒っているようだった」
そう息子が、言った言葉に、この数年が、集約されている気がします。

今年に入って、コンビニのバイトをはじめたカイ。
何度かの、試しの言葉「バイトしようかな」。

「どちらでも^^」

期待もせず、失望もせず、ただ、穏やかに見守る。
やがて、彼は、ほんとに、バイトを自分で探して、さっさと、決めてきた。

そして、明日、息子は、大学の推薦入試です。
(このブログの下書きを書いている時点:12月5日)

「どちらでも、いい」

これが、今の私の答えです。
来年、高校4年生になり、留年組仲間も、まだまだ楽しそうにみえる。
合格しても、それはそれで、これから彼が、乗り越えて行かなければならないものもある。
今の正直な気持ちです。


12月22日現在

この記事の下書きを書いてから、半月以上過ぎてしまいました。
息子は、大学試験、見事に落ちました^^;
そして、落ちたことにより、高校の仲間から、大変喜ばれました(笑)
担任の先生より、「○○大学落ちた、カイくん」と、おちょくられ、
落ちて喜ばれるって、複雑・・・と、苦笑しながらも、
もう一年、仲間と過ごせることに、本人も安堵しているように見えます。

高校4年生。

ゆっくり、大人にな~れ。
急がなくていい。
失った過去の時間を、今、十分に楽しい時間に変えられるように。
暖かい仲間のうちで、傷ついた翼を癒すように。
これから、息子は、どのように変化し、
不登校の先に、一体何を見つけていくのでしょうか。

            ☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆

【不登校・それぞれの軌跡】シリーズ、これで、終わります。
約2か月にわたって、我が家で起きたことを、熱心に読んで下さった方々、大変ありがとうございました。
たくさんの応援に、とても、とても、励まされました。
そして、このシリーズ記事に、対話を通して、たくさんの示唆をくださった、きんたろうさん、
ブンブン ヾヾ(^-^) ありがとぉございました♪

これからも、懲りずに、回復へのヒントを、書いて行きたいと思います。
どうぞ、よろしくお願いします。m(_ _)m               by りんりん


                    岡本真夜 TOMORROW
  


.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+。.:*・゚+。.:*・゚
(1)嫌悪の連鎖
(2)記憶の操作と罪悪感(娘編)
(3)記憶の操作と罪悪感(息子編~1)
(4)壊れていく心(息子編~2)     
(5)壊れた心(息子編~3)
(6)番外編(息子編~4
(7)病名:小児うつ病(息子編~5)
(8)子ども心を受け止める
(9)大丈夫という言葉の意味

別窓 | 不登校の軌跡 | コメント:6 | トラックバック:0
奴隷か支配者か【不登校】
2009-12-15 Tue 10:06

「不登校の子供を受容しましょう」のスローガンに、間違った受け入れ方を感じるときがあります。

不登校になるまえは、親は子供の支配者だった。
しかし、子どもさんが不登校になり、100パーセント受け入れるをどこぞの本や講演会で仕入れる。いそいそと実行する。
これらは、不登校克服委員会の定番になりつつある感じがしています。

じつは、かつて私自身、これをやり続けたことがありました。
皆さんも、我が身の事として、ふりかえってみて下さいね。

それが、いいとか、悪いとか、論争をしたいわけではありません。

それを、やって居るときの偽らざる正直な自分の気持ちに目を向けて頂きたいなあと設問を立ててみました。

よろしければ、コメント欄に書いて頂ければ、嬉しく思います。

携帯で、しかも、出先からなので、片手落ちな記事で申し訳ないです。コメントの状況を見ながら、次回記事に反映させてみたいと思います(≧∇≦)

どうぞ、よろしくお願い致しますm(_ _)m
別窓 | 不登校を考える | コメント:28 | トラックバック:0
僕のことを覚えていて欲しい【不登校】
2009-12-07 Mon 17:33
息子と、いつもの、病院への道すがら、
車の中で、メンタルな話で、盛り上がる。

今は、二ヶ月に一回になってしまった病院通い。
今日は、体調が悪かった私は、車の中で、休んで、
息子だけ、面談を受けてきた。
睡眠導入薬も、さらに、少なくなり、先生と、楽しく会話できたようで、
そのまま、岐路へつく。

高速途中の、パーキングで、思い思いのものを食べながら、
感情を取り戻すには、どうしたらいいかという話題で
盛り上がった。

カイいわく、
過去の記憶というのは、
悪い記憶の方が強烈で、いい記憶っていうのは、
あまり残っていないんだよね、と。
そして、
悪い記憶ってさ、
繰り返し蘇って、
「自分が悪かったんや~」とか、
「やつが悪いんだ」とか
そんな風にしか、思い出せないんだよねえ。

ゲッ・・・18歳にして、そんなことわかってるのか・・・
と、内心思いながら、


しれっとして、「そうだよねえ」と、相槌をうちながら、
「じゃあ、どうやったら、いい記憶って、思い出せるんだ?」と聞くと
「仲間が、いてくれたから」と言う。

通信制に来る子たちは、みんな、それなりの過去を抱えている。
普通の子たちの方が、浮くほどに。
そういう仲間たちの、壮絶な痛々しい過去に触れる。

若い子たちは、大人と違って、恐れを知らない。
遠慮なく、感情でぶつかることができるのかもしれない。
泣いたり、笑ったり、怒ったり、そのときの感情を出していく。

カイも、数回、女の子、泣かせたと言う。

「そ、それは、あれかね、いじめたのかね~?」と、私。

「いや、その後、カイさん、優しすぎますと、二人に言われたから、
ちがうような気がするよ」

「げっ・・・そ、そうだったのか」


でも、感情の無い人は、わかるよ、とカイは、いう。

「笑顔が、張り付いてる。目が笑っていない」と、あっさり言う。

じゃあ、不登校ってのは、どうして起こると思う?

「親」

にやりと、笑いながら答える。

「そうやな、親やな」と私。

「子供は、親の鏡」と、カイくん、えらそうに言う。

ふふっと、互いに、うどんと、牛丼を食べながら、そんな話をする。


「おかあさん、いつか、本出したいんや」

「ふ~ん。なんで?」

「生きた証を残したいと思ってねえ」

「それ、わかるなあ。でも、そんな証よりも、誰からも忘れ去られてしまうことが、
一番悲しいよね」

と、カイ。

「誰かの記憶に残って、時々思い出してくれれば、うれしい」


おい・・・いつから、こんなに、詩人になったんだね、君は。
時々、この子には、驚かされる。



泣きそうになったじゃないか、母は。

はよ、彼女、つくり~と、涙を拭きながら、笑ってごまかす。



覚えていて欲しいとカイ、
覚えているよ、私。

君の通った道を。

ああ、私もそうかもしれない。
誰か・・・一人でいい、誰かが、自分の真実の道を
覚えていてくれたら、
それだけで、生きる証になる。

それだけで、生きた意味がある。
ずっと、そう思ってきたのかもしれない。

きっと、人生とは、そのようなものなのだろう。


今日は、子供に、教えられた日でした^^
そんな、彼は、昨日、大学入試試験がおわったばかりです。
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【不登校】過去は、変えられる
2009-12-05 Sat 09:30
友人たちや、家族との会話で、

「あれ、覚えてる~?」と、なつかしさに、話を振ったとき、

「そんなの覚えてないよ」

と、あっさり言われた時の悲しさ。

だれでも、覚えていて欲しい記憶がある。


以前、不登校だった息子に、小学校、中学校時代の話をふると、

きょとんとして、「記憶がない」と言うばかりだった。

思いだしたくない記憶、それらが、一切がっさい、いい記憶も悪い記憶も

封じ込めてしまっていた。

正確にいうと、そういうことが、あったかもしれないと感じているが、

そこに、「嬉しかった」「悲しかった」等の付随する感情がない。

感情がないということは、こういうことなんだなあ、まざまざと、当時、感じたものだった。


最近になって、娘と息子と3人で、話をしているとき、

彼の記憶が、かなり、戻ってきているのを感じる。

息子「あれ、恥しかった~><」

娘「そうそう^^;おかあさん、最悪やもんね」

私「げっ・・・(-。-;)」

息子「あれは、一生忘れん」

私「あはは・・・・^^;」


記憶の共有は、なんと、ここちいいものかと感じる。
そうやって、人と人は、記憶の積み重ね、感情を共有しながら、
感情の基盤を作っていくものなのだろう。

あのとき、こうだった。


不登校の子どもは、よく、母親に訴える。

訴えながら、お母さんに、忘れられてしまった記憶を再現させようとする。

「覚えていてよ!」

そう、全身全霊で訴える。

あのときの、記憶から生じた感情を取り戻し、決着をつけるように。

同じ状況を無意識に作り出し、

相手から、過去に言われた言葉を再度、引き出そうとする。


母親自身が、抑え込んだ亡霊を解放するために。

しかし、母親には、記憶がない。

ただ、ただ、無性に罪悪感だけが、掻き立てられる。

罪悪感を否定、否定、否定・・・。

次第に子どもに、腹が立ってくる。

「どうして、こんなに、私を苦しめるの」

と、子どもを攻撃してしまう。

こんなことを、いつまでも繰り返していたね、我が家も。



子どもは、ただ、覚えていて、欲しかっただけ・・・。

人は、忘れられてしまうほど、悲しいことはないんだね。




AC回復をして後、

記憶を取り戻すことは、私の新たな課題になった。

ずっと昔に、基盤の歪みで、書き換えられた嫌悪の過去を、

感情を伴う、新しい過去に、変えていく。

あたたかい涙とともに。

新しい基盤に流れ込む・・・暖かい記憶も、苦い過去も、

私の宝物になっていく。


思いだすこと。

覚えていてあげること。

一緒に、そこにいたこと。



それだけが、

忘れられていなかったこと・・・、愛の証。

自分が、そこに、いたという、生きている証。

共に、歩いた、確かな記憶。


罪悪感は、勝手に自分が抱いた幻想にしかすぎないもの。

手放す。。。


手放せば、過去は、変えられるんだよ。

過去は、変えられないという人もいるけれど、

今が変われば、過去の意味もすっかり、変わってしまうだろう。

きっと。

必ず。

    .。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+。.:*・゚+。.:*・゚

ボヘミアン・ラプソディ  by QUEEN





 .。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+。.:*・゚+。.:*・゚

当時、日本語訳がなくて、歌詞翻訳した、懐かしい記憶が~(汗;
フレディの名曲だと、今でも思ってます。

混乱した心象風景と、生きたいという熱望、死への憧憬、
愛されたいという、こころの葛藤が、
歌詞は、わからずとも、曲に、とても、惹きつけられました。

 

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