author : rinrin
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【不登校回復の為に】昼夜逆転
2010-02-27 Sat 12:30
今回は、不登校・ひきこもりにおける昼夜逆転の意味について
考えてみました。

不登校になると、学校の先生や、下手な相談所では、
「昼夜逆転にならないように、朝はきちんと起こして、
生活にめりはりをつけてあげてください。
特にゲームなどは、時間を区切って、一時間程度に」
と、言われることも多い。


しかし・・・
「もしもし・・・もう、昼夜逆転してますけど・・・(@_@)」
「す、すみませ~ん、ゲーム三昧なんですけど(ToT)」
ということ、多いんじゃないでしょうか。


そこで、昼夜逆転の意味を考えてみようと思います。

昼間起きていると、窓の外は、人が通り、
話声が聞こえたり、
電話が鳴ったり、(学校からか?とか)
セールスのチャイムが鳴ったり、
ましてや、学校通学途中の子供たちの声が聞こえたり
隣のおばちゃんたちの気配が、あったり
そうすると、やっぱり、子供としては、辛いのだろうと思います。

この頃の子どもは、無理に無理を重ねて五月雨登校をしたあげく、
頭痛、吐き気、腹痛、めまい、などの症状を体で訴え、
すでに、心のエネルギーを使い果たし、空っぽ状態に感じます。
この状態は、軽いうつを経験された方ならわかると思いますが
TVの音、ラジオの音、ドアを開ける音・・・等々
音に、とても敏感になりますね。
外部の刺激が、心にざわめきと波紋を広げて、
昼間起きているのは、とても、辛い状態になるようです。
そのうえ、朝起きていたら、親からの無言の言葉・・・
あるいは、ため息、悲しい顔、「学校は?」という言葉なき問い、
そういうものを敏感に察知し、3トンくらいの重荷がのしかかり、
心をつぶしていくのでしょう。

この状態をおおまかに、三段階に分けて言えば、
恐らく、五月雨登校を始めるころには、もう、すでに
プラスマイナスゼロの状態であるのだろうと思えます。
そのゼロの状態に、強烈な責められ感が上乗せされるのでしょう。

息子が現在、語るには、
「大丈夫?」という気遣う言葉さえも
「おれは、どうせダメな奴なんだ」と脳内変換するほどの
責められ感であったようです。
そのような何気ない他意のない言葉であっても、
不登校の子どもにとっては、凶器に思えるのだろうと思います。

そして、ゼロの状態から、次第にマイナスの状態へ移行するのかもしれません。


ところが、夜は、どうでしょうか・・・。
外は、真っ暗で、静かです。
夜の闇は、自分を守ってくれます。
少しだけ、気分が楽になります。
昼間張りつめた気持ちも、少しだけ緩んできます。
学校の同級生も、世間の人も、家にいるのが当たり前の時間であればあるほど
次第に心は、プラスマイナスゼロに、近づいてきます。

マイナスでありながらも、気分は上向きになるのではないかと思います。
そうしたら、なんだか本人も明日はちょっと頑張ったら、
学校へ行けそうな気がしてくると感じてしまうようです。

学校へ行く準備をしている我が子を見て、
「行ってくれるの?」
そういう期待が周囲に走るのを、子どもは見逃しません。

先ほどまでの、高揚しかかった気持ちが急速に萎えていきます。。。

深夜・・・明日のこと、いろいろなことを考え出すと
今度は、眠れなくなってきます。
次第に、頭が混乱してきます。
悪いことが、頭の中では、エンドレスに繰り返されます。
先読みの不安と、自己処罰のさざ波が、たえず心に押し寄せます。
そして、容量のピークに達します。

そこで、リストカットという手法で、気持ちを
治める(紛らわす)ときもあるのだろうと思います。
実際、リストカットは、痛みは感じないと息子は言います。
切ったら、パンパンに膨らんだ風船が、ぷしゅ~と
縮むような感覚があるそうです。
実は、私も経験者なので、その感覚が、わかります。
死ぬつもりはないのです。
ただ、逃れたいのです。
(絶対、真似はしないでください!約束!)

または、頭を休めるために、ひたすらゲームに没頭します。
息子も、無心に取りつかれたように、ゲームをしました。
一晩かけて、マイナスをゼロに戻して、
そして、明け方、やっと眠りにつくというパターンが
多いような気がします。

そして、翌朝は、ゼロの状態からはじまります。

起きれません・・・・。
これが、子どもの昼夜逆転の意味ではないだろうかと、
感じています。

子どもの気持ちがプラスになるには、
一体どうしたらいいのでしょうか。。。

息子が、五月雨登校をする3か月前から
ほとんど、眠っていない状態であったことを、
不登校になって、はじめて知った母でした。


【追加記事】2011.9.30

子どもたちが、家族と真逆に生活をするということは

親と顔を合わせたくないという大きな理由があります。

子どもは、自分の部屋に引きこもっていながら、

親の気配を敏感に探っています。

ドアを閉める音に怒りやいら立ちが含まれていないか?

家の中を歩くお母さんの気配に、悲しみはないか?

お茶碗を洗う食器の音に 自分を責められるような気配はないか?

電話の応対、インターホンの対応の言葉の中に

トゲトゲしい雰囲気はないか?

訪問してくれたご近所さんと玄関先で楽しげに話していたのに

ドアを閉めたとたんに「はあ~」と無意識のため息を聴き逃しません。

世間に向ける顔と家族に向ける顔の落差に、子どもは 大人のいやらしさを感じます。
(これは誰でもあることですが、子どもにとって慢性的なトラウマ化するほど
 必要以上に世間体を取りつくろう大人たちの滑稽さに子どもたちは
 成育歴の中で悩まされ続けてきた結果だと思います)

これら、家族の雰囲気が、耐えられない限界にきたとき

子どもたちは、自室にひきこもり、自分を守ろうとします。

実は、もうひとつ 引きこもる理由に無意識の大きな理由があります。

それは、自分が引きもこもることで

家族を守っているんですね。


大人たちへの不信感がどんなにあろうとも

大好きなお母さんを傷つけたくない・・・
その気持ちは、どの子も共通してあると思います。

大好きだけれど、分かってもらえない失望感を味わうことで

人は、相手に対して 究極の悪意を抱きます。

失望感が、積りに積って、現状があると考えても過言ではありません。

人とはそういうものです。


「これ以上、自分もお母さんに悪意を抱きたくない、失望させないでくれ!!」

そんな血を吐くような叫びが、

昼夜逆転、ゲームに取りつかれた子どもたち、沈黙を守る子どもたちの心に

絶えず こだまし続けているのではないでしょうか。

表面の「子どもの拒絶」だけに 振り回され、おろおろするのではなく

子どもが一番欲している 心の傷を 感じて頂きたいと願っています。

子どもたちは、引きこもり(拒絶)しながら、

親(愛する人)がいつか 変わってくれることを

ずっと、待っているのだろうと そう感じるのです。


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別窓 | 不登校を考える | コメント:10 | トラックバック:0
許すこと【アダルトチルドレン】
2010-02-26 Fri 17:33
「エルのいる毎日」のまるこさんより、リンク許可頂きましたので
記事をご紹介します。(ありがとうございました^^)
↓↓↓
【私はブラックホールだった】


共依存の仕組み、それによる怒りの貯め方、
そして、自分を見つめることで、
許しへと、導かれている過程が
一筋の道として、
とても、わかりやすく書かれていると思いました。

しかしながら、記事の行間に含まれているであろう、
「どうして、許さないといけないの?」
「許さない!」
「私も苦しかった!!」

そのような気持ちから、

「私もハラッサーだった」と認めるまでの

苦しさ、歯がゆさ、強烈な悔しさ・・・
同じ経験者として、すべてが凝縮して見えました。

そして、最後の


>私みたいなブラックホールの作り方、一番気持ち悪いよ、おぇ~

ここが、回復への大切なポイントなのだろうなあと感じたのです。

「気持ち悪いと感じられる感覚」を作ることではないかと

人が悪心を訴えるとき、一時期はすっきりした気分になるのですが、
その感情は、決して消えたわけではなく、
さらに、潜在意識の中で、増幅されるのではないかと、そんな気がします。
そこには、「歪んだ基盤」の操作があるのだろうと感じます。
そして、「引き戻し」、「記憶の操作」で、
自己正当化を図ろうとするのが、かつて私も常でした。

歪んだ基盤の一例として、
数年前まで、私は、「ごめんね」という言葉を、
服従の意味で使っていたような気がします。
子どもにも同じように使っていました。
「服従に使う」こと・・・これがそもそもの歪みなのですが、
「認める」ということも、恐らく私にとっては、同義だったと思います。

私も、元すさんだ世界の住人でしたので(笑)、
まっすぐに、相手の言葉を受け取ること、
さらに納得して、心から現実を認めるには、
大変な葛藤があることは、容易に想像できます。
あのころ、まじ辛かったです^^;


で、その基盤再生のために必要となる材料が、
「楽しいこと」「やりたいこと」「好きなもの捜し」
「暖かい記憶を呼び覚ます」という
「ねばならない」から、「したい」へと、心をゆるやかに
解放していくことなのだろうなあと思います。
これらの材料を組み合わせて、ふかふかのクッションを作るって
ことかもしれませんね。

エルのいる毎日のまるこさんも、渦中では、ネイルアートを、
本当に楽しんでされていたことを覚えています^^

心の中に、気持ちのいい感覚を呼び覚まさせることが、
自分を見つめることによる、痛みを受け止めるクッションに
なっていくのではないだろうかと感じます。

気持ちがいいか、

気持ちが悪いか


もしかしたら、たったそれだけのことなのかもしれません。

AC回復の途中でどうしてもぶち当たるのが、
母親に対する恨みの気持ちですが、
残念ながら、私の場合もご多分に漏れず、
相手が私の気持ちを受け止めてくれることは、生涯ないだろうと思っています。
しかし、そう思いながらも、「許さない」という気持ちは、
心の中でくすぶり続けて次から次へと、別の怒りを生んでいったような気がします。

この状態は・・・
「許さない」という言葉は、決して相手に届くものではなく、
たとえ届いたとしても、跳ね返されて受け止めてもらえるはずもないと
それが、わかっている鋭い感性を持っているゆえに、
際限なく自分の中で繰り返され、それはまるで、
呪いのアファメーションのように
肥大していくのかもしれません・・・。
これが、記憶の操作につながるのだろうと感じます。

ある大脳生理学のデータでは、自分が思い続けている思考は、
自分の脳が一番聞いていると、聞きます。
そして、脳は、次第に「自分を許さない」と錯覚してくるのだそうです。
脳は、こうやって騙されるのだそうです。

脳も騙されるんですねえ。
おどろきです。

脳の話は、さておき^^;


辛い経験をしたあなただからこそ、

誰かの気持ちをわかってあげられることもある・・・

あなたにしか、助けられない人が、身近で待っているかもしれない


だから、回復された「エルのいる毎日のまるこさん」も
ブログや、講演会を通じて
たくさんの方にご自分の経験を語り、
発信されているのだろうと、そう思います。

これが、「許すこと」の最終形態ではないだろうか・・・
私は、彼女をみて、そう思うのです。

ちなみに、ごめんなさい」の本当の意味は、
「自分を許して」ではないそうですよ^^
別窓 | 回復のやじるし | コメント:1 | トラックバック:0
私を売り込む?だ、だれにΣ( ̄ロ ̄|||)
2010-02-24 Wed 19:53
ただの、遊びです。
娘が、やってたので、私もやってみました。
大笑いしました^^;


http://salesman.hanihoh.com/r/?k=10022423794b8502e60a759


おたくで、変人みたいです。あはは。

ものは、言いようって気がします。

じぶんを笑い飛ばしてみませんか
別窓 | 日々徒然 | コメント:4 | トラックバック:0
心が満たされる時【回復のやじるし】
2010-02-18 Thu 13:45
現在コミでは、心の傷を回復させるために、
「自分の無意識に埋もれた暖かい記憶を探る」というエクササイズを
行っています。

そして、当初は「自分には、いい記憶なんて無い」と言われていた方が
仲間に触発されて、どんどん、暖かい記憶を思い出しておられています。
そして、暖かい涙を流されます。
では、暖かい記憶は、どうして人の心を、回復へ向けるのでしょう。

愛着【忘れてしまう理由】

↑の記事で、なぜ心痛める人が、昔の記憶を無意識の底に閉じ込めて
記憶を消してしまうのかという、そのシステムを書きました。


私は、今思う事があります。

人は、どんなに悲惨な人生を送ってきたと思いこんでいても、
たとえ、どんなに、人に傷つけられた人生を送ってきたとしても、
どんなに、悲しく、裏切られる人生を送ってきたとしても、
誰でも、暖かい記憶が、必ずあるのではないかと。

私もかつては、「なぜ、私は、こんな家庭に生まれてきたのだろう」
「あの人は、どうして、笑っていられるのだろう」
「死にたい」
「消えてしまいたい」
「私は、一体、何者なのだろう」

ずっと、幼い6歳のころから、そう思って生きてきました。
それなのに、今も、どうして生きているのだろうか・・・。

その矛盾を埋めるために、
たくさんの理論を学びました。
たくさんの、趣味を作りました。
そして、たくさんのものを、捨ててきました。
仕事もしました。

気持ちは、外へ外へ、餓鬼のように、「欲しい、欲しい」と
地団太踏んでいました。

しかし・・・、心の飢えを満たしてくれるものは、
なに1つ、見つかることはありませんでした。
何で心を満たそうかと、そればかりを思っていました。


ある転機がありました。

A子との共依存。
不登校。
そして、犬の闘病。


深く自分をみつめる時期が、やってきました。
今まで避けていた、「自分との対峙」
今まで散々、逃げ続けてきたものとの対峙。
目の前に突きつけられた、自分の「歪んだ基盤」

それでも、認めたくない、みたくない。
今度は、そのために、自分を正当化し、守るための壁を
強がりで、強固にしていきました。

やがて、不登校の問題、共依存の問題は、相手が問題ではなく、
「連鎖」による、私自身の問題だと知りました。


心の回復・・・誰もが、心から欲しいと思うもの。
それなのに、子供を道具にし、
人に依存することで、自分を満たそうとしていた
自分に気づいたとき、愕然とする思いでした。

自分を自分で満たす方法を知らなかった私は、
それでも・・・その事実を打ち消そうと、必死に
もうひとつの逃げ場所をせっせと作っていました。
(往生際が悪かったのでした)

参考記事:たったひとつの間違いを


不登校から3年過ぎました。
介護した大切な犬が、亡くなりました。
安楽死させた犬の「命」を、私は、受け取りました。
あのときから、私の心は、変化しました。

犬たちがくれた、命の暖かさ・・・
悲しいけれど、共に過ごした、楽しい思い出、
介護の辛さを共有してくれた仲間。

命の暖かさ・・・人の暖かさ。
もらった暖かさを、誰かに伝えたいと
そう感じたのだろうと無意識に思ったのだろうと思います。
かけがえのない、愛しいと思う気持ちは、
人の心に希望と勇気を与えることを知りました。


そして、最近、子供たちが生まれたばかりのことを思います。
夕飯を作りながら、ぐずる子供を、お昼ね用のラックに寝かせ
足で揺らしながら、家事をしたり、
赤ちゃん用のお菓子で、顔中べったりなった子供の顔。
離乳食のとき、食べながら、寝ている子供。
積み木で、きゃっ、きゃっと歓声を上げている子供。
はじめての動物園で、大きなゾウさんを見て、ちょっと怯える子供。
お母さんと一緒をいっしょに見ながら、歌と踊りを披露してくれる子供。

そんな暖かい記憶の中の子どたち。
だから、私は、その暖かさに守られて、今も生きているのだろうと思います。

そして、その暖かさを、思い出すたびに、
あたたかい涙と慈愛にあふれます。

暖かい、記憶・・・
過去の辛かったことも、恨みも、憎しみも、怒りも、嫉妬も、執着も
これらの暖かさには、かないません。
それが、人を回復へ導くのだと、感じています。

この暖かさを、今、私は、苦しんでいる誰かに伝えたくて、
こうして、ブログを書き続け、
人と対話をしているのかもしれません。

あなたの記憶に残る、失われた暖かい気もち、
思い出してみませんか?
きっと、それらが、あなた自身を、救うのではないかと
そう思います。

もう、これ以上自分を責めないでください。
誰も、悪くは無かったのだから。
別窓 | 回復のやじるし | コメント:26 | トラックバック:0
娘とのメール 【子育て】
2010-02-17 Wed 20:00
先月の入院中、娘が精神的に、激落ちしたことがありました。

娘はブログを持っているので、(息子さんは、現在休止中)
入院中は、ブログを通して、心の交流を図っていました。

(親子してネット家族・・・って(-"-;A)


娘には、大切な夢があります。
しかし、就職や自分の今の実力を考えたとき
自分には無理かもしれない、出来ないかもしれない、
そういう先の苦難を考え・・・
グルグルと迷い、苦しんでいたのでした。

以下は、娘が悩んでいるときの、親子のメールでのやりとりです。



最初のメールは、「親不孝でごめんね」から始まりました。

母の心の声「意味がわかりませ~ん(-"-;)」


娘「受講届け、明日までなんやけど・・・どうしよう」

母「そうなん。どのくらいかかるん?」

娘「○○くらい」←お金の話です

母「最初から、そのつもりで今の大学入ったんやろ?」

娘「そうやけど・・・説明会に出たら・・合格率が数パーセントって」

(↑泣き泣きのメールです)

母「そうか~。」

娘「勉強会の受講届けが、明日までなんよ」

母「ど、どうしよ~(汗;」

娘「どうしよう~」

この「どうしよう」やりとりが数回。


娘「朝、早いし、結構厳しいって。でも、先輩の話を聞けるいいチャンスなんよね」


母「う~ん、迷うね~」

娘「迷うね~、明日の朝までなんよね」

母「あわわっ」

娘「ほんと、どうしよう(T_T)(T_T)(T_T)」

母「どうしたい~、わんこ!」(←意味不明メール^^;)

娘「○○ちゃんに聞いたら、○○って、言ってた」

母「そうか~」

娘「うん」

母「こまったね。えっと~、やけくそ(汗;?」
(ここで、お下品な、うんPをたくさん並べて送信)

娘「・・・よし、決めた!! やる。がんばらんば」

(うんP・・・スルーされました。 ( °°)ノ ° ポイ)

母「え、マジ!?」

娘「せっかく、決めたのに~、マジって(笑涙)」

母「ちゃんと、わかってたよ~、受講するって。」
 
娘「ほんとかよ~(笑)明日、受講届け出してくる!」

母「なんで、うんPスルーするんだよ~」

娘「どうしよと思ったけど、スルーしてみた(笑)」

母「が~ん」

というわけで、元気になりました。。。とさ。
うんP効果、恐るべし・・・違うか・・・(-_-メ)

娘の場合は、対話で自分の気持ちをじっくり
整理するという方法が、合ってるようです。
答えは、娘の中にあると、野生の感は告げていました(爆)
今回は、解説なしです。
いろいろ、想像してみてくださいね。

別窓 | | コメント:0 | トラックバック:0
息子と話す~不登校から5年の今【不登校】
2010-02-16 Tue 14:16
あれから5年・・・・

息子が、昔の自分のことを語るときがあります。

青・・・息子
紫・・・りんりん母


あの頃は、すべてが、ひねくれていたんだ。
ストレートに、人の言葉を受け取る力がなかった。
根底に、「どうせ、誰も自分のことをわかってくれない」
そういう気持ちがあって、それが、フィルターとなって、
人の言葉が、ねじまがって、聞こえた。
あの頃、おれ、人をバカにした目で見てたけど、
本当は、自分が、精神的にみんなより幼稚だったんだと、思うんだ。

(客観的に自分を見つめる力)


そういう風に、君を追い込んだのは、
お母さんやけんなあ。
あの頃、辛かっただろうなあと、思う・・・
今、考えたら、きみは、SOSをいっぱい出していたのに、
気づかなかったんだものなあ。

(罪悪感を感じず、ただ事実を受け入れる)


息子は、私が言い終わるのを待って、
一息ついてから、笑いながら、また話を続ける。


気づかないふりをしていたんだよ、お母さんは。
(どこまで、理解をしてくれているかの、試し)

そうやね。。。その通りやね。。。ほんとに。
(ちゃんと覚えているよ、メッセージ・・・記憶の共有)


でも、おれ、人が、好きやったんよ。
ずっと、誰か自分をわかってくれる人が欲しくて、
たまらんかったんよ。
でも、そんな人、おらんと思っていたんよね、あの頃。
だから、通信高校で(現在通学中)
いろいろな人に出会えて、本音を話せて、
気持ちを受け止めてもらえて、
そして、自分も、人の気持ちを受け止められるようになった。
昔は(不登校時代)は、世間が狭かったんよ。
そう、つくづく、思ったよ。

(息子のこの言葉は、気持ちを整理しながら
自分の方向性を無意識に表している)


ああ、人を好きという感覚。。。わかるなあ。
お母さんも、どんなにひねくれてても、最後は、
人が好きってところに、戻るんだよね・・・

(私の方向性を示しながら、息子の気持ちに
栞をおく)

この長年の繰り返しで、人を信じることへ
互いに、方向性を確認し合ってきた気がします。


これから先、どんな人になりたいの?
(提示)

今までの、自分の経験を人の役に立たせたいと思う。
(宣言をすることによって、息子の強化される気持ち)

笑・・・18歳で、自分の経験を生かしたいって、
今まで、どんな人生送ってきたんだよって感じやね(笑)

(緩ませながら、軽く受け止めるふりをしながら、息子に宣言を返す)


これから、進路は、どうするん?
(重くもなく)

う~ん、心理系の大学、いろいろ調べてるけど、なんか、無理だなあって・・
(レベルが高すぎて)
いろいろ考えていると、なんだか、やる気がなくなってね。

(提示)

なるほどね~。それ、わかるよ。
先のことを考えすぎて、今、こんなことしてていいのか?とか
なんか、自分には、無理な気がして、手も足も出なくなったりするかもね。

(オウム返しによる、気持ちの整理)

あ~そうそう。それ!
先のことが、不安になって、動けなくなる。

(息子の自己確認)

そういうときって、どうしたら、いいんだろうねえ。
(操作)

う~ん・・・やらなきゃって、わかっちゃいるんだけどねえ。
(宣言すると、自分がきつくなることを、息子は知っているので、誤魔化す行為)


先のことを考えても、しょうがないんだよね。
お母さんだって、先のことは、自分でもわかんないもん。
でも、「そうなりたい」という気持ちで、とりあえず、やってみてるよ。
なんの保障もないけど、それもまた、楽しいよ。
先のことは、誰にも、わかんないことだし~。
目標を明確にすること、諦めないことかもね~。
今できることをするしかないんだよね~。

(ちょっと、ここ大がかりな操作で、背中を押してます^^;)


どうしても、消去法になっちゃうんだよね


つまんない人生やねえ、後悔するぞ~
(上の言葉に、同調せず、相手の意図を、ひっくり返す)

・・・あれだね・・・、
きみは、今まで、たぶん、人のためになら、動けてきたんだよね~。
これからは、自分のために、動くことを経験しなきゃいけないんじゃないかねえ。
やっぱり、自分が幸せにならなきゃ、人は助けられないかも~。

(気づきを促す、操作入ってます)

そうそう!ほんと、人のためなら、やれるのに、
どうしてか、自分のために、やれないんだよな~。先延ばしにしちゃう。

(新しい自分の発見)

自分を大事にするってことは、大事かもよ^^


ほんとやね


恋をしなきゃね~( ̄ー ̄)ニヤリッ
(意表を突くことで、会話を印象つける)

いや・・・まだ、それは~・・・
好きって気持ちが、わかんないのに、まだ無理や~(汗;



という落ちでした。笑

早く、恋をして欲しいと願う母でした^^
恋は、親密さと人との距離を自覚する、最高のチャンスだからです。


この会話が、18才の息子の心の中に、どういう風に残っていくのでしょうか。
かつて、自宅警備員だった息子と、
こんな会話ができるようになるまで、二年ほど、かかっています。
人の心は、面白いと、興味深々の、親子です。

娘との会話も・・・
近いうちに、アップします。
別窓 | 息子 | コメント:11 | トラックバック:0
掲示板を付けました
2010-02-12 Fri 16:18
「歩いていこう ぷち掲示板」

を作ってみました。
新しい試みですが、やるだけやってみたい気持ちだけで、作りました^^;
コミに入る自信がない方、諸事情でFC2ブログを作れない方のために、
まじで、気軽に書ける場所を作ってみました。
携帯からも、見れますので、PCが無い方でも、参加できます。

書くことで、変わることができるかもしれませんね。
別窓 | 回復のやじるし | コメント:3 | トラックバック:0
愛着【忘れてしまう理由】
2010-02-10 Wed 15:46
数年前、一時期、テンプレートを週単位で、変えていた時期がありました。
最近、私は、ブロガーが、選ぶテンプレートには、その人の無意識が
隠されているのではないかと、感じるようになりました。

私がテンプレートをころころと、変えていた時期は、
満たされない気持ちや、表現できない気持ちを
テンプレートで、表現しようと無意識にやっていたことでした。

しかし、実際は、変えてみると、違和感が次第に膨らんで、
また、変えたいという衝動を覚えるのでした。

自分の気持ちにピッタリ合うものを、模索葛藤していた時期と
重なるのだろうと思います。

いろいろ、リセットしたあげく・・・
最初のテンプレートは、一体、どういうものを使っていたのか・・
忘れてしまっていました^^;
いや、一部はかすかに覚えているのですけど・・・。

これは、私のそれまでの生き方をとても、
象徴しているのではないかと感じます。
心に傷を持つ人に多いのが、記憶をリセットしてしまう癖が、
あるのだなあと最近思います。

実際、昔の記憶をたどるとき、
嫌な記憶は、何度も心に刻みつけていますから
いつでも、瞬時に引き出せるのです。
その上、それらの嫌な記憶は、人の噂と同じで
次第に、妄想と、歪みで、膨らんでいく。
記憶の書き換えが行われているのですね。

反対に、いい記憶は、思い出すことに、とても苦労する上に、
なぜか、記憶から消えている。
不思議なシステムだなあと思う。


コミュニティ「あなたの心をまもりたい」では、
良い記憶を辿る方法として、
記憶が、今、自分の好きな物、愛着を持っているものに、
つながっているのではないか?ということで、
無意識から、良い記憶を引き上げ、思い出していく作業をやっています。
いい記憶は、次第に心を満たしていきます。
誰かのものを奪わなくてもよくなります。
そして、妄想と歪みで膨らんだ嫌な記憶を小さくしながら、
良い記憶で、すさんだ心を暖かさで満たしていく・・・
きっと、それが、人を雪解けに導くのでしょうね。



テンプレートに限らず、私の記憶自体も、


何か出来ごとが起こる

嫌なこと、良いこと一瞬で、全部消す

嫌なことが消せないので不快

恨みの刻印を刻み続ける

嫌なことだけが、肥大化

苦しい気持ちだけがクローズアップ

被害者であり、かわいそうな自分でいることを選ぶ。

私は人とは、違うんだ(優越意識)


このような流れで、忘れられてしまったと感じる。


うん・・・、確かにかわいそうだったな・・・昔の私(-"-;)


人の気持ちも、思いも、何もわかっちゃいなかった。
人の暖かさを平気で忘れ、愛情を踏みにじってきた。
私の中は、いつも、空っぽだった。

だから、

何かで自分を埋めようとしていた。

誰かの言葉・・・誰かの答え

誰かの気持ち・・・自分の満足より、他者へ気持ちが向く

誰かの道具・・・子ども・家族・地域

誰かの理論・・・本、宗教、人、○○の会。



合わなくなった洋服を脱ぎ棄てるように、
何度もリセットし続けても、ダークな自分を「手放す」ことなんか出来なかった。
そもそも、自分に合わない洋服を着ようとしていたところに無理があった。
だから、リセットし続けるしかなかった。
そうやって、自分を消し去ってしまいたい衝動には、かなわなかった。
いつまで続くのだろうと・・・
死ぬまで続くのだろうか・・・
そう思っていた、あのころ。。。


今・・・思うこと。

大切なものまで、手放さなくてもいいのではないかと。
大切なものを、大切だと素直に思っていいのではないかと。
愛着を持つってそういうことなんじゃないか?


自分が大切にしているもの・・・

相手が大切にしているもの・・・

心を寄り添わせながら、

気持ちを互いに受け取りながら、

その意思と、力が、

次世代に、伝えわっていくのかもしれない。


もう、物では、心は満足出来ないのではないかと、思うのです。


それが、自分を大切にするということではないのかと思うのです。

別窓 | 回復のやじるし | コメント:2 | トラックバック:0
犬がいなくなった日【はじまりは わんこ】
2010-02-10 Wed 08:32


ちょびが、亡くなって、ちょうど二年になりました。
もう、インシュリン注射も打つ必要もなく、
散歩も必要なく、
犬のいない生活が、2年過ぎたということです。

闘病生活だけが、大きく記憶に残っていますが、
ちょびのぬくもりは、いまだに、家族にいろいろなことを
伝えてくれていると思います。

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17年ほど前に、ちょびはうちにやってきた・・・
1歳になったばかりのちょび、
子どもたちと一緒に散歩した公園。たんぼの道。

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今は、もういないけれど、ちょびにたくさんの
人と人のつながりをもらいました。
そして、それは、今も、私の宝物になっています。
もう、写真も増えることはありませんが・・・
いつまでも、ちょびをわすれないでいてあげることが、
残された者が、唯一できることなのでしょう。

そして、私にできることは、ちょびの残したものを忘れないでおくことなのでしょうね。




二年前のあの日、私は、愛する犬を「安楽死」させました。
回復する見込みのない状態、苦しみ泣き叫ぶ犬に
自然死という選択は、出来なかったのでした。

とうに、覚悟ができていたとはいえ・・・
悩みぬきながらの、苦渋の決断でした。

私の手の中で、静かに呼吸がとまる、ちょびの息づかいを
いまでも、はっきりと思いだせます。

これは、私が覚えていなければならない記憶だと、
いまでも、思っています。
それが、命を引き受けた者の、重みだと思うからです。

あのとき・・・犬のHPを通じて知りあった、
多くの方から、お悔やみのメッセージを頂きました。
ちょびが、HPを通じて、つないでくれた、暖かい人と人の輪でした。
ひとつひとつのメッセージを泣きながら読んだことを思い出します。

今でも、私の、原点は、犬の闘病HPにあると思っています。
もう、訪れる人も少なくなってしまったHPですが、
あの数年間、私は皆さんに育てて頂いたのだと思っています。
そして、いつもみなさんに、甘えさせてもらっていましたね、私。

たとえ・・・、今こうして、偉そうに不登校や、心の問題を書いていても、
私の中では、やはり、ちょびがすべての始まりだったのだと思っています。
今は、掲示板しか動いていないHPですが(汗;
あのころ・・・一生懸命だった私が、あそこにいます。
私が、「ひいらぎ」と名乗っていた頃です。

あの頃・・・愛情を下さった皆様へ・・・心からの感謝をこめて。

ありがとうございました。

ちょびも、私も、幸せです^^



ちょびの3回忌によせて。2月11日


by ひいらぎ
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テルーの唄
2010-02-02 Tue 19:22


           失うことの恐怖を、知りました。

           
          申し訳ありませんが、しばらく、体調調整のためと、心の不調のため、
          ブログ休みます。
          メールも体調をみながら、お返事になりますので、かなり遅れます。
          ご心配おかけして、ごめんなさい。             
別窓 | 自分のこと | コメント:1 | トラックバック:0
白と黒が好きな理由
2010-02-02 Tue 00:03
私は、心の中に人を、一人くらい軽く殺せるくらいの黒い悪魔を飼っています。
同時に、どこまでも透明で慈愛あふれた白い天使もいます。

かつて、私の中は、黒い悪魔で占領されていました。
そして、たつさんから、天使を見つけてもらいました。
当時は、とても、弱々しい天使でしたけど・・・
やがて、天使と悪魔は、勢力争いの末、次第に力が拮抗していきました。

その後、「自分が心地いい選択」と、「心地悪い選択」という言葉で
その勢力争いは、終結を迎えました。

昔からご存知の方は、知っておられると思いますけど、
私のブログの背景は、今まで、黒が多かった気がします。
しかしながら、いつかそこに、光が届きますように・・・
そういう、願いと、祈りを意識的に込めていました。

2010年
ブログ背景を一新し、白に変えました。
黒(悪魔)は、ずっと、私を守ってきてくれた色でした。
それに、お別れをすることは、
今まで着てきたなじみの古い洋服を脱ぎ捨てるような気がしました。
ずっと、悪魔と戦ってきた天使を前面に出してあげたくなりました。
今では、悪魔という個性と、天使という個性を、同時に持ちながら、
ある程度は、不自由なくコントロールできるようになりました。

悪魔は、私をずっと守ってきた古い洋服。
天使は、私が数十年、悩み、苦しみ、やっと、縫い上げた新しい洋服。
どちらも、大切な私の個性だと思っています。

しかし・・・・「ヤマトナデシコ七変化」(ドラマ放映中)
の、すなこさんではありませんが、
白は、いまだにしっくりこなくて、「ま、ま、まぶし~☆ミ」のでした。(笑)
慣れるのでしょうか・・・^^;

天使と悪魔は、もう、戦うこともなく、
どちらが、どちらを責めるということもなく、
互いに、融和しながら、しかし、別個に存在するもの・・・
今は、限りなく黒に近い白かもしれないなあって^^

ちなみに、オセロ好きです(^^)v・・・得意っすよ。
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