author : rinrin
カウンセリングルーム 「あなたの心をまもりたい」【不登校・AC】
2010-03-30 Tue 14:40


 【お知らせ】 


このたび、私 りんりんは、4月1日より、
「不登校・アダルトチルドレン」回復支援のための
WEBカウンセリングルームを開設致します。


カウンセリングるーむロゴ
スーパーバイザーのきんたろうさんHP制作


 プロフィール
   ハンドルネーム:りんりん
   資  格 :全国webカウンセリング協議会会員
       心理療法カウンセラー


               *:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆*:゚・:,。*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○

エェッ!?(* □ )~~~~~~~~ ゜ ゜ ま、マジですか~~~!!


超まじです(・ω・)bグッ

な~んちって(*^▽^*)ゞ

エイプリルフール前に、お知らせしなくちゃと、
急いで「お知らせ」を作りました(-"-;A ...アセアセ。
不登校から5年・・・、りんりんさん、こんなんなっちゃいました。
うそみたいな話ですが、うそじゃ、ないっすよ(`・ω・´)
一番うそっぽいと感じているのは、何を隠そう、私なんですから~Σ( ̄ロ ̄)
でも、やっぱり、今回は、マジです^^

さて、私自身のAC問題と合わせて、息子が不登校になったことで、
世代間連鎖を知ったのは、今から4年前のことでした。

それから、ブログをひたすらに5年に渡り、書いてきました。
その道中、たくさんの方に助けられ、たくさんの方と交流させて頂き、
多くのことを学ばせて頂きました。
そして、回復の道中において、次第に自分の経験したことを
今、苦しんでいる方に、伝えたいと思うようになりました。
昨年から、漠然とした目的ではありましたが、資格を取るために、
カウンセリングの勉強をはじめました。
でも、2年ほど前にACの回復を遂げながら、
明確な方向性がわからないまま勉強を続けていたのでした。


我が子の不登校の経験で、「不登校」の先に「ひきこもり」が多くあるような気がします。
さらには、世代を通じて、アダルトチルドレンが、増加していく・・・。
これだけ、カウンセリングや、学校カウンセラーが増えているのに、
なぜ不登校は減らないのか?
政府の数字の発表とは裏腹に、むしろ、増えているのではないかと
そう感じます。

不登校の原因は、いじめ、学校、勉強、等々 様々だと言われています。
回復の方法も様々であることだろうと思います。

しかしながら、ここ数年、息子の不登校をみつめてきた私の中では、
原因は、ただの「きっかけ」にしか過ぎないのではないか?
そして、根本にあるものは、同じでは、ないだろうか?
そういう思いが、ずっとくすぶっていました。
しかし、そのことを人に伝えることは、非常に難しく感じていました。

やがて、昨年より始まった、きんたろうさんとの対話により、
私自身と息子の回復が重なる裏付けを頂きました。
対話によって、あまりにもたくさん一致する符号に
ただただ、感動を覚えました。

こうして、進むべき「やじるし」が明確になりはじめ、
形として、コミュニティ「あなたの心をまもりたい」という
回復のための場所をきんたろうさんと作りました。

そして、さらには、人材育成を視野に入れた
回復の道の先にあるもの・・・そのモデリングとして、
先陣を切ることになりました。

とはいっても、私自身は「示す」とか、モデリングな~んて
ちっとも、感じていません。
ただ、「やりたい」「伝えたい」「楽しみたい」という気持ちでいます。

ということで、
これまで、私を育てて下さった、みなさま、
夢を現実にしていく力と機会を与えて下さった、
敏腕プロデューサー(笑)兼スーパーバイザーのきんたろうさん。
心から感謝いたします。
そして、これからもよろしくお願いいたします。


とにもかくにも
4月より、カウンセラーとしてプロデビューです。(*≧∀≦)

クラエント様の心の回復に全力を尽くし、心に寄り添えるカンセラーをめざします。
どうぞ、よろしくお願いいたします。


(おまけ)

私、まじで大丈夫なのかΣ(@_@;)と不安に思う事もありながら(笑)
案外気楽な自分もいたりします。
変化を楽しんでいる私もいます。
そして、なにより、最高の相棒がいます。(`・ω・´)

人生、何が起こるか、わかんないですよ~。あはは+。:.゚ヽ(≧▽≦)ノ゚.:。+

ほんじゃ、今から、いきまっせ~ ♪GO~ヾヾ(*^▽^*)〃〃


icon-moonincrystal-1.jpg りんりん
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否定され続ける時【回復のやじるし】
2010-03-26 Fri 16:24
先月、元職場の子(20代)から、夜中に一通のメールがきた。
店長Kさん(40代)の、様子がおかしいと。

すぐに、Kさんに電話をすると、
お互いにあいさつもそこそこで、Kさんは、大泣きしはじめた。
事情は、メールをくれた子から、大方聞いていたので、
受話器を持って、気配を感じながら、Kさんが
落ちつくのを静かに待っていた。

やがて、泣きながら途切れ途切れに、Kさんが、話し始めた。

「死にたい」
「もう、いなくなりたい・・・」
「何をやっても、だめだ」
「わかってもらえない」
「やめたい」
「みんなに申し訳ない」
「何をすればいの?」

そんな言葉が、どんどん溢れてくる。
Kさんの心をひとつひとつ感じながら、
心にたまった声を聞いていた。

店長とはいえ、誰も相談する人もいなく、
孤立し・・・
そのうえに、派遣の他店の店長によって
指導がはいり、ことごとく、人格を否定されること・・・
派遣の店長から、お説教を数時間も聞かされる。
これをやろうと思えば、こっちをやれといわれ、
こっちをやっていれば、さっきのは、どうした?と問い詰められ
しまいには、店長の資質を否定される言葉を、数週間浴びせられ、
身動きがとれなくなってしまっていた。

もともと、Kさんは、おおらかで、明るく前向きな性格。
悪いことも、すぐに転換することのできる人だ。

それでも、この数週間、真っ向から否定され続けたときに、
人は、「消えてしまいたい」「私は、役たたずだ」
と、思ってしまうのかと・・・。

派遣の店長は、「あなたのためだ」と、確かにそれは、
良かれと思って言ってあげてるのだけれど、
人間にとって、数時間の説教、いつも行動を見はられている感覚、
自分の行動を、ことあるごとに、問いつめられると・・・
次第に、「私は、要らない人間」という感覚になるのだろう。

この感覚は不登校の子が持つ感覚に似ているのかもしれないと感じる。

見守るではなく、見張られている感覚。
背中を押すでもない、全面否定の言葉。
そのお陰で行動がぎくしゃくしてくる。
余計、まわりの怒りを誘うようになる。
そして、怒りを、Kさんに、ぶつけてくる。
次第に、疲れ果てて無力になり、気力も尽きはてていく。

やがて、Kさんは、自分の気持ちを言いつくしたとき、
言葉に怒りの感情が出始めた。
内部事情がわかるだけに、私も彼女と一緒に怒りを出していった。

それも、一段落すると、今度は
「私は、こうしたいと思ったの」
そんな言葉が、出た。
アドバイスじみたものは、ほとんどしなかったのだけど、
「とりあえず、明日5時まで、生きてなさい!」と伝えて
次の日、彼女が仕事が終わる頃に、泣き過ぎて顔のむくんだ彼女と会った。

最初は、目をそらしながら、普通の会話を装うKさん。

「ばかやね~」「頑張ったね~、生きてたね」
そう言って、抱きしめると、Kさんは、泣きはじめた。
こちらまで、泣きながら、
おばさんふたりが、夕暮れの駐車場で、抱き合って泣く図になった。

彼女に、よく頑張って耐えたことを、ひたすら伝えたかった。
それだけを、ただただ伝えたかった。

このような時の言葉は、かざりもの。

その後、退勤してきた仲間も増えて、これからの仕事の予定も
話に上るように、なってきた。
久しぶりの、再会もあって、皆で楽しい語らいになった。
笑顔がKさんに、出はじめた。

おだやかな時間・・・懐かしい時間・・・
みんなで、共有していた働いていたときの楽しさ、辛さ。
時間が戻るのを感じた。

不登校の子どもの回復も・・・同じではないのだろうか・・・。
そんなことを、思った日でした。

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休みの日の子どもはなぜ元気なのか?【不登校】
2010-03-16 Tue 17:19
もうすぐ、春休みですね。

「昼夜逆転」の記事のコメントでも、少し触れましたが、
エネルギーの低下した子どもたちにとって、
平日の昼間の刺激は、とても、苦しいことなのだと
説明いたしました。

週末の子どもたち・・・(特に小中学校の子ども)
土日に限って、早起きしてくる子どもたちは、
結構、多く見られるのではないでしょうか。

学校からのプレッシャー、
家の外で起こる外部の刺激、
誰かが、自分の事を馬鹿にして見ているような感覚、
親からの、無言の圧力。
学校への行けないことによる罪悪感。
自己否定が、心に渦巻き、絶えず、自分の中で、
戦いが繰り広げられている・・・
そのような状況ではないかと感じます。

しかし、休みの日は、大手を振って、堂々と休める。
このことに、関係しているのではないかと感じます。

やっと、週末がきた・・・
やっと、春休みがきた・・・
やっと、夏休みがきた・・・

子どもの心の中で起こる渦巻きは、少しだけやわらぐのでしょうね。

そして、私自身の経験を振り返れば、
何より、親自身が、ほっとすることでした。

朝、起きてくるのか、
学校へ行ってくれるのか、
他の子は、みんな学校で生活している、
せめて、昼間は、起きて規則正しい生活を・・・
普通の子たちは、学校で勉学に励んでいる。
なのに、自分の子どもは、勉強もやる気配もない。
これから、どうなるのだろう。
そういった親の焦りや不安のまなざし、
言葉のはしばし、無言の態度の中から、
子どもたちは、正確にメッセージを読み取っていきます。
このようなメッセージを読み取るたびに、
親の期待に応えられない自分を一日中責め続けます。

*その結果、ゲーム、ネットという
痛みを逃す方法に、ひたっていくのだろうと思います。
または、自傷、暴力へと発展するのかもしれません。


長期休みになると、
もちろん、子ども自身が、学校が休みということで、
気分的に安らぐというのもありますが、
その安らぐ、一番の理由には、

親自身が、学校へのプレッシャーから解放され、
親自身が発する無意識の不安のメッセージが、低下することと
関係しているのかもしれません。
親自身の無意識から発せられるメッセージを
親が意識し、自分の感情をしっかり捉えることの
大切さを、経験から痛感します。

また、このような、ゆるやかな時間を十分に取り戻す時間が、
子どもの心の回復には、必要なのだろうと思います。

いつ、動き出すか・・・
いつ、学校へ行くのか・・・
いつ、やる気になってくれるのか・・・

私自身、子どもの心の回復の中には、そのことは、視野にありません。
今、立ち止まっている子どもたちは、
かつて・・・、失った時間を取り戻したがっているのではないかと、
そう思います。

十分に満たされる時間。
大人も、子どもも、同じだろうと感じます。

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コミュニティ入会方法
2010-03-14 Sun 16:41
コミュニティに入会するには、FC2にブログを持っていないと、
入会できません。(ごめんなさ~い)


1.ブログの「管理画面」を開きます。

  管理画面には、ブログ記事を書く状態が表示されます。
 
 
2.画面の左側にある四角に、[コミュニケーション]という欄があります。
  
 コミュニケーション

 訪問者リスト
 ブログ拍手
 コミュニティ
 ブロとも
 メッセージ
 バトン
 招待する
  .
  .
  .

3.上から3番目に、「コミュニティ」というところがあります。


4「.コミュニティ」をクリックしたら、コミュニティの画面が出ます。


5.コミュニティ画面の上部に、コミュニティ「検索」という
 場所があります。

6.「検索」のキーワードの中に、あなたの心をまもりたい   と、入力してください。
  そうしたら、コミュニティ「あなたの心をまもりたい」の紹介画面が出ます。


7.そして、空色の画像か、オレンジ色の あなたの心を守りたい 
  を、クリックしたらコミュニティトップ画面が出ます。

8.トップ画面が出ましたら コミュニティ入会
 の欄があります。

9. 入会する をクリックして頂ければ
  入会完了です。

  入会されたら、自己紹介に、ご自分のことを書いて下されば、
  とっても、うれしいです(*^_^*)

 
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ハッピーブルーの心【リンク記事の紹介】
2010-03-11 Thu 15:20
今回は、記事リンクのご紹介です。
管理人さんには、快くご了承頂きましたので、
ご紹介させて頂きます^^

>Eggiさん、ありがとう^^

続★おしゃべりワンコの物思い★

管理人は、エッギーさんです。
長年のワンコ友達で、私のHP糖尿病ワンコの掲示板で
知り合った信頼するお友達です^^

今は、お互いの闘病のワンコは、虹の橋を渡ってしまいましたが、
エッギーさんが、犬のブログを作られたころから、
不思議な符号の一致に、気が付きました。

エッギーさんは、ウィーンの凄腕のドッグトレーナーさん(笑)
その犬の訓練(?)の記事を読んでいると、
どうも、日本の犬のしつけ方法と違うのではないか?
そう感じていきました。

日本の犬のしつけ方法は、犬の習性を利用しての、
人間に都合のいい「矯正」なのではないだろうか・・・
そう感じました。

そして、ある時期から、
「犬」を、「子ども」に置き換えて記事を読むと、
すんなりと、意味が合致してくることを発見しちゃいました!

「なんだ、そういうことだったのか~^^」

エッギーさんと、私の伝えたいことは、なんと、
最初から、一致していたことに気が付きました。
まさに、「わんこは、飼い主の鏡」・・・
言いかえれば、
子どもの問題は、親の問題・・・

わんこが何を考えているのか、その気持ちを捉えるとき、
飼い主さんが、「自分の感情を捉える」ことから、
始めなければ、恐らく、エッギーさんの、伝えたいことは、
ただの、方法ややり方としてしか、伝わらないのではないかなあと
そんな気がします。

今現在は、その意味に気付かれて
たくさんの方が、エッギーさんの元に集っておられます。

えっぎーさんが、ブログをはじめられた頃からずっと彼女を、
知っていますが、ブログを見ながら、ペットブームの日本で
どれだけの人が、犬の問題行動に困っているのかを感じます。

それは、恐らく、不登校や引きこもり、あるいは、AC
心に傷を持たれている方の増加にも関係あるのではないかと感じます。

また、さらには、「自分の心を感じる」ということが
難しくなってきている、日本の現状を表しているのだろうと
そんなことを思います。

「知識ではなく、『意識』です」

と言われる彼女の言葉に、いつも頷かされます。
知識や地位、自分の権威をあらわすものは、
確かに、自分を守るものでもありますが。。。
一個の人間として、心や感情には、あまり関係ないもの
かもしれないなあと私も感じます。


この記事には、そういった日本の現状が、愛情深く、
たくさん詰め込まれています。
そして、

エッギーさんが、わが身を削って、
書かれたものだと感じています。


私も、彼女が大切にしているものを、
これからも、共有していきたいと・・・そう思います。

是非、ご自分や、子どもさんに当てはめて、
何度も、何度も、読み込んで頂きたい記事だと思います。
また、コメントに、感想を書いて頂ければ、とても、嬉しく思います。
お待ちしております^^

エッギーさ~ん、鍵付きじゃなくって、
オープンで書いてね~^^うふふふっ(笑)



最後に、ちえさんの記事リンクです。
(ちえさん、事後報告で、すみません^^;)

「楽しく生きたい」

こちらも、合わせて読んで頂ければ、とても、
わかりやすいのではないかと、思いますよ^^
さらに、ちえさんの今後の記事が楽しみです^^
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あの時、何をして欲しかった?【不登校】
2010-03-11 Thu 14:29
あのとき・・・

一番、辛かった時・・・

自傷したり、壁に頭を打ち付けたり、
眠れない夜・・・
泣いた日・・・
学校へ行けなくなったとき・・・


一番お母さんからして欲しかったことは、何?


・・・
・・・
・・・

守って欲しかったんだ



.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+。.:*・゚+。.:*・゚


ここ数年、息子とは、心の話をすることが、かなり多く、

また、流れ的にそういう感じになることも多く、

彼の中から、過去の何かが出てきそうな感じを受けると、

私は、引き出しをすることがあります。


この時は、息子の状態から、戻ってくる答えは予想できるものでした。
彼は、じっと下を見て、しばらく考えていました。
そして、ふと、顔をあげて、

「守ってほしかったんだ」そう答えた。

「何から?」そう聞いてみたら、

「外部の敵から」

「そうかぁ・・・甘やかしてほしかった?」と私。

「そうじゃない。守ってもらうことと、甘やかすことは、違うよ」と息子。

あのころ、彼を守るものは、誰もいなく、
世間や学校や家族は、彼のむき出しの肌に、
針が刺さるような感覚だったのだろうと感じます。
しかし、推察の「だろう」では、あるけれど、
私には、「AC」としての基盤があることにより、
その痛みの感覚を、リアルに実感する。

彼の下への目線を意識しながら・・・その後、
息子が適応指導教室で、最高に尊敬し好きだった先生の話になった。

「厳しかったけど、好きだったなあ」と、

その先生の破天荒で懐かしい武勇伝に、ふたりで花を咲かせた。

その先生の暖かい思い、信頼、厳しさが、
当時の適応教室にあった。

「中間試験は、学校でうけなさい」
「卒業式は、でなさい。」

遠慮のない無理難題を、子どもたちに申しつけながら、
その先生の「思い」を子どもたちは、くみ取る。
そこには、操作もなく、遠慮もなく、ただ真っすぐな厳しい愛情があった。
息子を含めて、全員が信じられないほどあっけなく、中学校の卒業式に参加した。

そして、適応教室の再度の卒業式。
暖かく、ぬくもりに満ちていた。

「みんなとても、優しい子ばかりです。でも優しすぎて傷つくことも多いのです。
 もっと、強くなってください。それぞれの道を。」

泣きながら、そうおっしゃた先生。

それは、親も子も、心にずしんと響いた言葉だった。

卒業の時期・・・春・・・忘れられない思い出。

あの先生の後を、息子は、追っているような気がするのです。




注)過去の嫌な時期を子どもに思い出させることは、
まだ、傷が癒えていない子どもにとって、大変、苦しいことです。
親の一方的な一人満足で、時期を間違ったら過去のできごとが、
フラッシュバックを起こしやすいです。
私も、下目線が長くなったときは、すぐに話を楽しい方向に向けます。
楽しいことや、心が満足で満たされていないと、話せないことなのかも
しれません。
これは、大人も子供も、同じなのだろうと思います。
これまでの、息子との対話から、痛感させられることでした。



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ちょっとだけ【絵本】【子どもの気持ち】
2010-03-08 Mon 01:28
絵本の紹介です。

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【あらすじ】


なっちゃんのおうちに、あかちゃんがやってきました。

あかちゃんを抱っこしているママのスカートを

「ちょっとだけ」つまんで歩きます。

あかちゃんのおむつを替えているママ。

なっちゃんは、牛乳をコップにひとりで

「ちょっとだけ」入れることができました。

ママは、赤ちゃんとおうちにいるけれど、

ひとりで公園で遊んだブランコも

「ちょっとだけ」ゆれて・・・。


なっちゃんは、頑張っておねえちゃんになっていきます。

毎日忙しそうなママ。

でも・・・ある日、眠くなった なっちゃんは・・・


「ちょっとだけ抱っこして」

とママにお願いしました。


「ちょっとだけ?」ママは、なっちゃんに聞きました。


「うん、ちょっとだけ」となっちゃん。


「ちょっとだけじゃなくて、いっぱい抱っこしたいんですけど」と

 やさしい笑顔のママ。

「いいですよ!」満面の笑みを浮かべるなっちゃん。

その間、赤ちゃんには、ちょっとだけ我慢してもらいました^^

というお話です。


最後のシーンには、ちょっとだけ頑張ったなっちゃんが、

おかあさんにいっぱい抱かれて眠る満足そうな寝顔がありました。


.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+。.:*・゚+。.:*・゚


読んでいると、言葉のリズム、テンポもよく、
どんどん、絵本の世界にひきこまれ、
いつのまにか・・・
ちょっとだけ頑張ってるなっちゃんが、自分と重なり、
お母さんに抱かれて、満足そうな なっちゃんの寝顔を
私自身に重ねて読んでいました。
この本をすすめてくれたのは娘で、授業で使ったのだそうです。
きっと、娘も、自分自身と重ねて読んだのだろうと思います。
たまたま昨日、本屋で立ちよみして^^;
不覚にも泣いてしまいました。

絵本の絵をみたらわかるのですが、
なっちゃんから見たママの姿は、後ろ姿か、
身体の一部しか、書いてありません。
最後の抱っこのシーンで、ママの姿が、大きく描かれています。
子どもから見た、大人の姿を現しているようでした。

あったかいもの・・・
幼いころ、きっと、誰かに抱っこされた記憶が、
大人になっても、そっと蘇るような、そんなストーリーと
誰でも、なっちゃんのような、子どもの気持ちになれる
そんな暖かいまなざしの絵本でした。

今、売れ筋の絵本だそうですよ。


おまけ:昔の記事をageてみました。

【ライトワーカー】
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私が不登校だった頃【不登校】
2010-03-05 Fri 21:44
*少し追記を入れました


私が小学校の低学年の頃・・・40年くらい前のこと。
恐らく、小学一年生の頃だったと思います。
私は、五月雨登校を経験しています。
あの時、どんな状況であったのか、
今となっては、明確ではありません。

しかし、あの時の気持ちと、心情は、かすかに覚えています。
学校へ行こうとすると、お腹が痛くなったこと。
熱が出たことは、覚えています。
両親は、心配して病院へ連れていきますが、
お昼くらいには、元気になっているのでした。
ただの、腹痛だということで、
誰もいない部屋で、静かに布団に寝ていたことを
思いだします。
コチコチと静かな部屋に響く時計の音を覚えています。

当時、ど田舎に住んでいたので、
医療施設も、近くにない環境で、
少々発熱や腹痛くらいで、病院へ行く人は
極めて少なかったと思います。
しかし、何度も腹痛を訴える私に、
両親が盲腸ではないかと心配して、
診察を受けた記憶が残っています。

当時の心象風景としては、
小学校にあがり、
自分の思っている世界と、
現実の世界との間に、わけのわからない違和感を
感じていたことを覚えています。

この違和感は、たぶん、漠然とした淋しさと恐怖でした。
そして、自分以外の人は、みんなまともで
自分の本当の姿は人間の形をしていなくて、
一本の細長い棒のような姿をしていて、
きっと、みんなは、私が可哀そうで、
それを自分に黙っていてくれているのだと、
そう思っていました。
まさかと思われるかもしれませんが、
本気でそう思っていました。
たぶん、その感覚は、思春期くらいまであったと思います。

思春期になると、また、別の形で自分を
書き換えなければならなかったのでした。
問題は、何も解決しないまま、その思いこみは、
「私のことを理解できる人はこの世にいない」という感覚に変わり
その後、自分独自の世界観の中で生きていくことになりました。

こうして、自分と自分以外の世界とが、完全に分断されていきました。


家から保育園に通うころ・・・
朝、家を出ることが怖くなっていました。
当時は、確かに「行きたくない」という気持ちが
明確にありました。
家でゆっくりしていたい。。。
しかし、行ってしまえば、それなりに
楽しく過ごせることもわかっていました。

やがて、小学校になり、新しい環境になったことで、
学校へ行くことが、いよいよ、
恐怖に感じるようになったことだけは、はっきり覚えています。

原因は、特に無かったのです。
当時のことを、実家の両親は、現在こう語ります。
「いじめにあっていたんじゃないかと」
しかし、いじめは、ありませんでした。

当時のことを、私の覚えている限りでは、
学校へいくことが、漠然と怖くて
ただ、家にいたかっただけでした。
静かに、誰もいない部屋で。
(自営だったので、両親は仕事場でした)
ゆっくり、安心して、心を休めたかったのだろうと
今になって思えば感じます。
その後、2~3か月続いた五月雨登校は、
いつのまにかなくなり、自然と学校へ行き出したのでした。

学校へ行かないという選択は、
当時・・・1960~70年代の頃には
選択肢の中にはありませんでした。
しかし、回復したから、登校をはじめたというものでも
なかったのでした。

当時の記憶をさぐっていくと、
その頃から、私は「感情」というものを
心の底に押し込め、自分を感じなくさせるという
自己防衛をやり始めたのではないかと思います。

そして、さらに、もう一人の自分を心の中に作り
何かが起こると、感情の無い自分を前面に出し、
常に冷静であるかのように、振る舞うことを
やりはじめたのだろうと思います。
この状態を、「乖離(かいり)」というのは、
心理学を勉強して、数年前に知りました。
本当の自分の感情は、後ろにひっこめて
別の人格でもって、自分の感情を守る。
そういうことだろうと思います。
この乖離によって、
著しく、感情を伴った嬉しい記憶も嫌な記憶も
消してしまっているのだろうとそう感じます。
感覚的には、自分にフィルターがかかっている感覚です。
まわりで起こることが、リアルに感じられません。

どうして、このように、嬉しい記憶まで消してしまうのか・・・
今思うに、嬉しいことは、次に確実に控えている嫌なことを
余計倍増させるからではないかと感じていました。
(確実に控えていることとは、主に、母親の無視、父親の暴力、突発的な悪いこと)

嬉しいことを嬉しいと感じないでいれば、
嫌なことがあっても、それほどダメージを受けないのだと
そう無意識に学んでいたのだろうと思います。

その癖が、いつしか・・・嬉しいことが、自分にとっての罪悪になり、
嫌なことがあれば、「やっぱりそうだった」と
嫌なことだけが、記憶の中で強化されていく。

いや、嫌な記憶というより、「怒り」を蓄積していったのだろうと感じます。
そういう記憶の偏った操作があったのだろうと思います。


世間と、自分とのズレ・・・
この感覚は、恐らくACと感じる方には、
共通する認識ではないかと感じます。
それは、この世界で自分が感じる違和感であり、
自分には、何かが欠けているという漠然とした不安。。。
欠けていると感じるあまりに、
独自の世界に生きるしかない・・・。

両親の不仲、アルコホリック、暴力、暴言、母との共依存、
その中で、自分を守ることをしていかなければならなかった時、
感情・・・そのものを捨ててしまわないと
生きては行けなかったのであろうと思います。
そして、本心はさびしがりやで、泣き虫であったことを
捨て去って、あらたな人格で、強く、しっかり者として・・・
母の保護者として、我慢強く・・・
生きていくことを選んだのだろうと思います。
そうせざるを得なかったのだろうと思います。

当時・・・
私が不登校で、「学校が怖い」「家にいたい」
そう思った感覚は、自分と自分以外のものへの違和感(ズレ)であり、
自分の存在が、うすぼんやりとして、不安定であることにより、
私は、生きていていいのか?・・・そういう感覚でもありました。

今、思います。
あのとき・・・
寂しかったのだと。

あのとき・・・
抱きしめて欲しかったのだと。

あのとき・・・
誰かに、助けて欲しかったのだと。


あのとき・・・
気持ちをわかって欲しかったのだと。

小さな子どもの感覚で捉えた
家族の不和への、訴えでした。
(この叫びは、不登校をした息子の訴えと同じだろうと思います)

この違和感は、社会に出ても
その後の生きづらさとして影響し、
結婚し、子どもが生まれたことによって、
さらに、無意識から押し込められた感情たちが
ざわざわと、もれてくるようになったかと思います。

ACを自覚して、もう、17年になりました。
とある講演会で、はじめてACというものを聞いた時でした。

長い・・・本当に長い・・・回復への道のりでした。
今、思えば、回復できたことは、奇蹟的なことだったと思います。

私のこれらの経験は、完全な不登校ではありませんでしたが、
息子の不登校を通じて、感情を取り戻し
この感覚を思い出し、やっと文章にできた今です。

そうして、不登校問題は、学校という一時期だけの問題ではなく、
人が、「生きる」という根本につながる問題ではないかと
私は、考えています。
それが、世代間連鎖だということを思うと・・・
私のように、ACで苦しむ方が、不登校であることよりも
(学校へ行く、行かないということよりも)
ずっと、ずっと、辛いことなのではないかと・・・
今は、私にとって、学校に行く行かないことは、
重要なことではないと感じています。

.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+。.:*・゚+。.:*・゚

【追記】

先月、お陰さまで、拍手が1000を超えました。
拍手をつけて、一年あまりですが、
たくさんの方のひとつひとつの拍手が
この一年の私を支えてきました。
そして、今、その重みを感じています。

一期一会・・・
ブログをはじめて、6年。
はじめた頃は、いつも泣いていました。
世界は、敵でした。
今は、あの頃がとても、懐かしく思います。

古い記事にひとつひとつ丁寧に、
拍手を付けてくださる方々。
本当に、感謝でいっぱいです。
一所懸命な私に、頑張れと応援されている気がします。

そんな私の変化を感じ取ってくだされば嬉しいです。

心から感謝いたします。
これからも、少しでも皆様のお役にたつ記事を
書いていきたいと思います。





あなたの 笑顔 忘れないで


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