author : rinrin
心の歪みに気づこう(2)機能不全家庭とは①
2010-04-29 Thu 12:19
【機能不全家族とは何ですか?】

本来、「機能が完璧である家族」というものは、
家族が、人間関係で構成されている限り、
ありえません。

しかしながら、アダルトチルドレン(AC)という言葉を
使うときに、機能不全の家庭で育った人のことを指します。

どこからがACで、どこまでが機能不全であるのか
それは、外部からは、わかりません。

家族のメンバーの1人が「生きている意味がわかりません」と
つぶやく言葉が、本人だけに、「私はACである」という
宣言を自分に向けて言えることではじめて、

「機能不全家庭であった」という事実を認めていく作業に
取りかかれるのだろうと感じます。

育った家族の中で、自分が何を感じ、何を思ってきたのか、
それが、本人にとって、マイナスの意味を持つのか、
プラスの意味を持つのか、その比率の大きさによって、
本人の「AC的」な感覚は、ひとりひとり違うのだろうと思います。

源家族(幼い頃の家庭)で、負の意味が、
あまりにも、本人の容量を超えて、あまりに大きすぎてしまったとき、
私たちは、自分の身を守ることに、大半の時間を費やすことになります。

言葉の暴力・身体への暴力・無視・放置をされ続けていけば・・・・

「私は、ダメな子なんだ」
「やっかいな子なんだ」
「邪魔者なんだ」

と、自分を貶めることで、不安定な気持ちを
納得させようとする心の働きが起こります。

やがては、その状態が持続され続けると

「私は、生きていていいのだろうか?」

人が人としての核となる、
「存在の理由」に行きついていきます。

それは、自分への問いであり、かつ、自分以外への問いかけに
なっていきます。
やがて、大人になったときに、
その命題は、大きく人生にのしかかってきます。
その命題は、いろいろな形として、現れてくると感じます。


お金で、確認しようとする人。

美しさを保つことで、確認しようとする人。

地位や、名誉で確認しようとする人。

権力で、確認しようとする人。

人の愛情で計ろうとしている人。

自分の代理を立てて、自分の子どもに、命題を託す人。

スケジュール帳を埋めることで、「自分」を忘れたい人。



その度合い、執着の度合いで、本人が、心苦しくなるのか
生き生きと、人生を過ごしていけるのかが、
分かれ道なのだろうと感じます。

源家族で、プラスよりもマイナス比率が大きかったと感じた人ほど
その執着度は、高いと感じます。

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心の歪みに気づこう【回復のやじるし】
2010-04-23 Fri 12:41
前回の記事で、子どもの心を知ることが、子どもの心を回復させる
力になることを、「沈黙」というフレーズを参考にして、書いてみました。

そして、子どもの心を知るためには、
まず子どもよりも先に、ケアする大人側が自分の心の
ありかたを捉え、自分自身の「心の歪み」を知ることが、
とても、大事ではないかと考えています。

言葉では簡単ですが、自分の 心の歪み、思考の癖、偏りを、
知ることは、かなりの痛みを伴います。

しかしながら、それらの正体を、がっちりつかまないことには、
回復は、始まらないことではないかと思います。


「どうして、私は、こんなに生きづらいのだろう」という、
シンプルな問いの中には、

自己嫌悪、自己否定、他者攻撃、依存、成育歴、

人間関係不全、劣等感、アディクション、白黒思考

等がありますが、
それらの中にこそ、幼いころから身に着けてきた、「思考の癖」が
あるのではないかと思います。


そうは、言っても・・・心の回復を目指すためには、はて?
一体何から手を付けていいのか・・・途方にくれますね。

まずは、基礎知識が必要な方のために、
私が昔、使っていた資料をもとに、
考えてみたいと思います。



>>たぶん、西尾和美さんの著書からの引用です。
いい加減ですみません~><;
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大人の沈黙・子どもの沈黙(2)【不登校】
2010-04-21 Wed 13:25
【大人の沈黙】


@一つ目は、黙っていることで、
「私は、不機嫌なのよ」
「私の、思い通りにならないと、無視するわよ」
そういう気持ちを、思い知らせるための

不機嫌な沈黙

この沈黙は、昔、母親が、私に使った手口でした。
そして、それをしっかりと私は、会得しました。
もちろん厳しい視線は、相手に釘付けです。
この視線は、たとえ背中を向けていても、背中にも目があるところが、
すごい技であるところです。
その目の語るところは、
「意にそぐわないことをしたら、許さないわよ」ですね~。
黙りながら、怒りをふつふつと貯めていきます。
こうして、沈黙することで、相手を委縮させ、意のままに動かそうとします。
この「沈黙」で子ども側は、急激に相手の顔色、
雰囲気、表情を読む力をつけていくのでしょうね。

子どもの、エスパー能力の目覚めです。

なお、この沈黙は、その後に起こる、無視につながったり、
負の感情の爆発によって、終焉を迎えることが多いのではないかと感じます。


@二つ目は、医療者がマニュアルに沿って言う言葉。
「おかあさん、子どもに任せましょう。しばらく口を挟まないで
黙って見守ってください」

我慢の沈黙

とでも言っていいかと思います。
本当は、口に出したくてうずうずしているのに、
言ってしまうと、相手をがらがらと崩してしまうことが理解できたかもしれない段階でしょうか。
しかし、母親自身が我慢の限界になってしまうことも多いかと感じます。
そして、爆発して、元の黙阿弥。
この繰り返しで、子どもは、「やっぱりな」という失望とともに
気持ちの上塗りをして、親の状態を確認していきます。
こちらは、複雑な*ダブルバインドが入るので、
さらに、子どもは、エスパー能力に磨きをかけていきます。

*ダブルバインド(二重のあい矛盾したメッセージが、含まれるもの)
大人の心のうちは、「我慢」90%で出来ています。
表面に出ている「沈黙」が10%で出来ています。
表面の10%を見ながら、子どもたちは、大人の態度、目線、をもって
「我慢」の90%の方が、ただしい情報だと、判断していきます。



@三つ目は、子どもの心を捉えることができ、
かつ、子どもの心の中にある気持ちを引き出す沈黙です。

大人は、ついつい先走って、子どもにあれこれと注文をつけたり、
アドバイスしたい気持ちになりますが、
子どもの中にある気持ちを、感じながら、
子どもが、自分の気持ちを語り、整理し、取り出しやすいように、
さらには、子どもが自分で考えて気持ちを出せるよう、
子どもの心に添いながら、語りかけながら、沈黙を使っていくという高度な技です。

この沈黙は、大人の側が、相手の心をしっかり捉える力が必要です。
そして、語りかける大人自身は、自分の心に邪心や、
相手を操作しようとする気持ちがないか?を確認していく
作業が必要になるかと思います。
同時に、相手の心を読みながら、かつ自分の心も、治めていく。

そして、これらは、瞬間の会話の中でなされますので、
子どもと自分の両方の心の瞬時の読みとりが、必要になります。

こられの過程は、
「さあ、どこからでも、心を読んでくれ」と、
大人側のあっけらかんとした、「自己開示」が
子どもの疑心暗疑でいっぱいの閉じた心を開くことに
つながっていく、最終段階への道では、ないだろうかと感じます。

*もちろん、おとなの側に疑心が、あれば、
当然、子どもは心を開くことを拒みます。


そこに、「信頼」という絆が生まれてくるのではないでしょうか。


   ☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・



大人側の沈黙の中に、一つ目のように、相手を諭したり、自分の思惑や下心、邪心があれば、
子どもは、すぐさまその匂いがわかり、心を閉ざします。

また、邪心は、トゲとなり、相手に刺さり
さらには、自分にも刺さってくることが多いと感じます。

意外と知られていませんが、
これは、たぶん、心の普遍の法則としかいいようのない
仕組みだと感じます。



自分の発した気持ちは必ず自分に戻ってくるということですね。


例えば、怒りを発したら、怒りが自分を傷つけていきます。
怒りとは、一般的に相手を傷つけるものだと思われがちですが、
怒りをぶつけた時の後味の悪さ・・・経験されたことがないでしょか。
怒りを発した後の、自己嫌悪・・・
得も言われぬ気持ち悪さが、自分の心でエコーしていきます。
さらに、自分への怒りを増長させてしまいます。

このように、怒りを発した自分自身が、一番傷ついているのだということ、
心のどこかで、覚えていて欲しいと思うことです。
それらは、自分の心に、「心地よさ」を知る
センサーが、あるということを、示していると思うのです。
そのセンサーを、私は、「光」とよく、表現します。
誰の心の中にある、「心の光」を怒りで曇らせることのないよう
継続的な心の点検は、大事かもしれません。


自分の気持ちを、心を点検していくと、不思議とこの仕組みが次第に分かってきます。
そうすると、怒りをぶつけることや、トゲを投げつけるような意図的な沈黙が、
次第に、出来なくなっていきます。

きんたろうさん、いわく、

「沈黙は、悪用はできない」と言われるゆえんだろうと思います。

今、私が考えられるところの、「沈黙」は、以上です。



自分が、どう変わることができるのか、
何を、どう変えたらいいのか、
どういう人になりたいのか・・・

すべての答えは、自分の中にあると、言われていますが、
それには、継続的な対話が必要になってくるのではないでしょうか。

そして、どちらにしても、家族という関係の中では、
子どもが突然、自分でやる気を出して、変化するなどとは、
有り得ないのではないでしょうか。
子どもの人間関係の基礎となるのは、「家庭」ではないかと思います。
子どもがはじめて出会う、「関係」ですから^^
家族の役割、その関係性の中で、自分という存在の意味を確認できてはじめて
外の社会でも柔軟に生きていけるのではないかなあと感じます。


これらの「沈黙」は、手法ではなく、

自分の心をみつめ、自分の歪みを知り、

さらには、瞬間の感情を捉える力を得ることで

自然にできるようになることではないだろうかと、

私は、経験から、感じるのです。


この記事は、きんたろうさんの「沈黙」の記事と、私が不登校から学んだことを織り交ぜて、つづってみました。もし、沈黙の記事で、意味がわからない方がおられましたら、コメントとして残して頂ければ幸いです。


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大人の沈黙・子どもの沈黙【不登校】
2010-04-19 Mon 20:13
不登校に子どもの初期対応に、「黙って見守る」というものがあります。
以前も「沈黙」について、何回かブログで考えたことがありますが、
再度、書いてみたいと思います。

.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+。.:*・゚+。.:*・゚


「黙って見守る」という言葉を医療者が使うには
やはり、それなりの理由があると思います。
ひとつには、カウンセリングの基本が「傾聴」にあることからだと感じます。
しかしながら、この「傾聴」が、曲者だなあと最近よく感じます。

傾聴をするには、こちらが、相手の話を聞かなければなりません。
しかし、どうも、この相手の話を聞くというのにも、
色々と段階があるのではないかと感じます。


例えば、子どもが、話しかけてきたとき、

お母さんの心の中では、

夜ごはんの献立がぷかりぷかりと浮かんだり^^;、
子どもの話してくれる内容から
反対に、子どもを教え諭す言葉が心に浮かんでしまい、
言葉じりをひっつかみ、次にこれを言おう!と、
次に自分が発する言葉を頭の中で準備しつつ
待ち構えていたり、鬼の首を取ったように、
正論を子どもたちに、ぶったりしてしまいがちです。


そして、もうひとつのパターンとしては、
聞いてやらなくちゃ~、という妙なお仕着せモードの心理状態^^;。
聞いてやってる
たぶん、これには、聞いてやれば、子どもは、
元気になるという下心付きもあります。
これも、どうでしょうか。。。

人は、悩みや、聞いて欲しいことがあるとき、
誰かに、受け止めてもらえたと思える状態は、
どのような時なのかを
考えてみたら、わかるのではないでしょうか。

聞いてあげる と 

あなたのことを知りたいの、聞かせてちょうだい



この差は、天と地ほどの距離があるのではないかと思います。


私は、昔、娘に言われたことがありました。
「お母さんに相談しても、お母さんが、困るからしない」

Σ(゜◇゜;) ゲッ  ショック☆<( ̄□ ̄;)>☆ショック

この娘の言葉は、自分が発する言葉が、
母親を揺らがせたり、不安にさせることを、
知っていたとしか、思えない言葉でした。
子どもから、心をすっぱりと読まれてました。

もちろん、当時、子どもたちの話しは、誰よりも聞いていたつもりでした^^;
本心は、お願いだから、お母さんは、自分の問題で、手いっぱいなのよ、
だから、困らせるようなこと、言わないで(イライラ)
ということで、子どもたちは、私にとっての都合のいいことしか
話してくれなくなりました。見透かされていたということですね。

こうたした、大人の地味な積み重ねで
子どもたちは次第に、*沈黙 を学んでいきます。


*言っても無駄だという失望、的外れであることの悲しさ、
 分かってよと、訴える気持ち、あるいは、
 黙ることで、親側から突きつけられた言葉から
 身を守ることを学ぶのだろうと感じます。
 


ところが、今度は、親は身勝手なもので、子どもの沈黙が我慢ならず、
思わず、追いたてるように余計なことを口走ってしまいます(汗;
そして、お互いに嫌な気持ちを抱えて、一日が終わります。
その積み重ねの延長に、我が家も不登校という現実があったのだろうと思います。

その悪循環を一端止めるという意味で、
「黙って見守る」という言葉が、カウンセリングの中で
昨今、多用されるようになったのだろうと思います。

私も、当初は「黙って」の部分は、親は言いたいことを我慢しなさいと理解し、

そして、この「見守る」は、監視の目、あるいは、諦めの目、失望の目でした。


しかし・・・子どもたちが言うように、
そんな形だけの親の気持ちなど、いとも簡単に分かってしまうのですね。
どんな正論を言葉にしても、
子どもたちから、その偽善、建前を見透かされていることに、
大人は気づかなければならないことだろうと思います。

ここからは、私自身の子ども時代の経験になりますが、
私がアルコホリックな機能不全の家庭で育ったことは、
以前書きました。
その頃、私自身、とても、無口で、おとなしい子でした。
しかし、口を真一文字に結んで、何かを訴えたい私がいました。

なぜでしょう。

親に何かを言えば、家庭不和・怒られる元凶になると
経験から分かっていたからです。
そして、母親からは、愚痴の受け止め役としての役目を与えられていました。

そこには、言いたくても、言えない状況がありました。

その事を思い出して、やっと、子どもたちの使う沈黙が、
はじめてリアルに重みを持って、重なってきたと感じます。
親自身が自分の過去を振り返ることで、
子どもたちの気持ちが、わかるものがあるのではないでしょうか。


*大人の沈黙には、数種類あるような気がします。
次回は、大人の沈黙の種類について、書いてみたいと思います。

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ブログを書く意味(命のリレー)
2010-04-16 Fri 03:36
トピックのお題にそって、たまには、記事を書きたいのです。

このお題なら、書けるか!いや、書きたいと思いました。



私が、ブログを書く意味・・・


5年前は、ただの記録として、残していくつもりだった。

4年前は、自分を見つめながら、不登校の謎を、安易に納得したくて、理論に走った。

3年前は、自分との格闘を認めてほしくて、理論を盾にして、外部の敵と戦った。

2年前は、自分の経験と、子供たちの経験を誰かに知って欲しくなった。

1年前は、回復したのち、私たちの経験を誰かに伝えたいと思うようになった。


そして、今、

過去のすべての感情を取り出し、正確に丁寧に足跡をたどる。

揺らぐことない一本の線となった 私の生きた証。

誰かに確実に伝えていきたい。。。

ここ一年の間のブログには、そういう意思が明確にあります。


そして、何よりも、このことを一番に伝えたいのは、現在18歳の息子です。

今は、そう思っています。


母が生きた人生を、こうして君に伝えたいと思うのは、

君もまた、伝える人になるだろうと、そう思うからです。

たくさんの人の力になれるよう。

君の辛い経験を、生かせていけるよう。

辛かったゆえに、身につけてしまった、息子の人の心を読む力、文章を読む力、感性の鋭さ。

それらすべてが君を助ける力なるように。

そして、さらには、誰かを助ける力になるように。


5年分、共に苦しみ、喜び、歩いてきた足跡・・・

これからも、まだまだ、伝えたいことが、たくさんあります。

今度こそ、本物を、君に伝えたい。

だから、私はそのためにブログを書き続けるのでしょう。
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不登校になるまで~【心の歪み】(2)
2010-04-05 Mon 12:24
一体、家庭の中で、何が起こっているのでしょうか・・・。

今回は、「心の歪み」について、お話していきます。


私は、不登校当初、病院をめぐり、
「子どもを治す」ことを考えていました。
子どもが学校へ行けるには、何かうまい方法があるに違いない。
「子どもをどうやって学校へ行かせるようにするか」
それしか、頭にありませんでした。

が・・・子どもの状態は、日に日に悪くなるばかりでした。
しまいには、こんなに心配して、手を尽くしているのに、
「どうして、良くならないの!?」と
常識的に考えて、あってはならない「逆切れ」を起こしました。


もし・・・例えば、他所のお子さんが、そういう状態であれば
「ゆっくり休ませてあげたらいいのよ」って
客観的な判断で、知識が無くても、言うことだろうと思います。


しかしながら、この時点で、子どもが起立性調節障害という
「心身症」をあらわしているにも関わらず、
私には、「子どもの姿」が、全く見えていませんでした。


子どもの心のSOSを捉えられない。
自分の子どもに、当たり前の判断が、出来ない状態。


この私の行動を、1つとっても、
母親としての私の心の歪みがあります。


・子どもが訴えてくる姿を受け止められない(何も無かったことにしたい)

・子どもの気持ちを感じられない(感情の封鎖・コミュニケーション不全)

・事実を認めたくない為に、必死で子どもを動かそうとする(doing・操作)

・母親として、世間にどのように見られているのかが気になる(恥・隠す)

・本人が、必死になれば、学校へ行ける。怠けではないか。(共依存)

等々・・・

これらの、心の歪みを、少しだけ紐解いてみましょう。


<何も無かったことにしたい理由>

これは、事実をそのまま受け止めるのではなく、
嫌なことは、見なかったことにしたいという
一種の「すり替え」行動ではないかと感じます。
当然、不登校に直面したこの時点で、私がこのような行動をするということは、
元々から、このような癖が、強くあったということを示唆しています。

私自身、機能不全の家庭で育ったことから、
源家庭で起こった、幼少期の「嫌な出来事」が強烈であればあるほど、
自分の安全な居場所と、自分の存在を脅かされているような感じが
常にありました。
さらに、嫌な出来事が(予期せぬこと)目の前で何度も繰り返される
その状況が、自分ではとても避けられないものであった時・・・

人は無意識に自分の心を守るために、
「これは大したことではないんだ」と
「すり替え」をするようになります。
簡単に言えば、「本当の事実と気持ち」を別のものへ置き換えることで、
自分の気持ちを防御していきます。


そうすることによって、何かのっぴきならない事態が起こったとき、
自分自身の思考が、この「心の歪み」によって変換され
さらには、歪みのフィルターで得た情報を、
自分の本当の気持ちだと勘違いしてしまうことになるのでしょう。

この心の歪みは、幼いころから身に付けたパターンであるため、
大人になっても、「無意識の癖」として残り続けます。
そうして、子育て中や対人関係で、
歪みのフィルターを通して情報を受け取っていきます。

このような事から、日常生活においても、子育て中においても、
子どもにとって当たり前の行動である「泣く」「怒る」
という様な子どもの感情の発露は、母親の私に激しい不安を起こさせるため、
それを「放置・無視」という形で子どもに反応を返していました。
そして、次の日は、何も無かったことになる。

リセット症候群とも言っていいかと思います。


子どもは、本来、感情豊かで、失敗を知らない生き物です。
しかし、前述のように、「無かったことにする」という行為が、
イコール「感情を感じるな」という、心を封じられた状態に
余儀なくされることにより、生き生きとした感情の発露をふさいでしまった。
感情を封じられた子どもは、当然生き辛く感じるのではないでしょうか。

この繰り返しで、負の感情をないがしろにされた子どもたちは、
自分自身の負の感情を、誰にも受け止めてもらえないまま
1人で、抱え続けていくことになったのでしょう。
そうして、心を閉ざしていくのだろうと感じます。
このような、「感情の封鎖」は、家庭内で、親から子へ伝わっていきます。



*現代の社会は、かつての、ゆるやかな社会ではなく、
人とのつながりが、大変希薄で閉鎖的であるのだと感じます。
そして、家庭では、感情を封じられた母親が、子ども達に、
気持ちを封じることを連鎖させることによって、
そこには、二重の重さを抱える子どもの姿が
不登校・ひきこもりが増える現状と重なるような気がしてなりません。



その「社会」の母体となる「家庭」が、
何か、得体のしれないものに、脅かされつつあるのではないか?
私は、ひしひしと そう感じるのです。


*昨今では、このような家族の関係(世代間連鎖)のひずみが、
不登校やACに、大きな影響を及ぼしていると、
カウンセリングの現場でも、心ある方々によって浸透しつつあります。


物事には、原因と結果があると言われます。
しかし、原因探しをすることは、意味がないとも、言われます。
私もそう思います。

が、この本当の意味は、言いかえれば、
「原因探しを外に求めても、何も解決しない」
という意味だと私は思っています。

例えば、車の故障でも、
どこが悪いのか、検査し点検し、修理をしなければ
車は、動き出しません。
ブレーキをよく踏む人の車は、ブレーキパッドの摩耗が激しい、
車を街中で、細めに利用する人は、タイヤの摩耗が激しい。
青空駐車場では、塗装のくすみが早い。
そういうものかもしれません。

車と子どもを一緒にするなと、怒りを買いそうでもありますが、
そうなるには、そうなるだけの理由があるということ、
今一度、考えて頂きたいと感じます。


本当の原因を知ることは、解決への勇気ある一歩ではないでしょうか。


ただ、私も長年の葛藤の経験から、
このような心の歪みは、家族の中では当たり前の日常で
無意識に繰り返されていることであり、
なかなか、自分で気づくことは、非常に難しいと感じます。

また、たとえ、気づけたとしても、
自分を責める材料にしてしまうことも、多くあることでしょう。
それも、また「心の歪み」「心の癖」であると感じます。




>>>この続きは、今後出版する予定の本に書きます。
   (きんたろうさんと共著になります)



変換される「心の歪み」・・・

自分では気づくことが出来ない心の癖。

対話によってしか、明確にされない 心の仕組み。

少しでも気づくことで、家庭が暖かいものに変わっていく・・・。

何も自分にくっ付ける必要もなく、大げさな飾り付けもいりません。

小難しい理論も必要ありません。

必要なのは、そのまんまの自分だけ。

本当の自分を、感じてみたいと思いませんか?



*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆*:゚・:,。*
  
    りんりん

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「なぜ不登校になったのか」その理由(1)
2010-04-03 Sat 15:25
子どもが不登校になったとき、

「なぜ~?」「どうして~?」親御さんは、その原因探しに右往左往します。
(私も そうでした^^)

または、五月雨登校・行き渋りというプレ不登校状態の時など、

「まさか、うちの子が!不登校?」

「いや、違う、違う、そんなことはない!」

「ただ、疲れているだけよ」

「きっと、学校で何かあったに違いない」

「いじめかしら」

と様々なことが、頭を駆け巡ります。

目の前で、刻々と起こりつつある事態に対して

「誰か、ウソだと言って~~」という感じですね。

やがて、朝起きれない、トイレから出てこない、

発熱、嘔吐、吐き気、頭痛が始まり、

その後、昼夜逆転、ゲームに熱中、壁を叩いたり穴を開ける、

家庭内暴力、リスカ、摂食障害、パニック、うつ、幼児がえり、

幻覚、幻聴、過呼吸、脅迫神経症、対人恐怖、起立性調節障害等の

心身症の症状をあらわしてきます。


このような時の子どもたちに

「なぜ、学校へ行けないの?」と

尋ねても、本人にさえも、自分に何が起こっているのか

わからないのではないかと思います。

「疲れた、きつい」

そういう言葉くらいしか出せない・・・


子ども自身もさっぱり分からない、そして家族の誰にも分からない

そんな何かが、家の中で起こっているのでした。


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