author : rinrin
ネット環境を整える
2010-07-31 Sat 14:34
私たちのカウンセリングは、ネットでの、ボイス・文字チャットで
行っています。

カウンセリングルームがあって、
そこで、落ち着いて1対1で、
話せるという形ではないというところが、
良いところでもあり、悪いところでもあります。

良いところと言えば、
出かける時間の節約にもなりますし、
案外気楽にやれるところもあります。

しかし、ネットであるがゆえに、自宅でチャットをしながら、
そばにいる家族の目をきにしながら、あるいは話をしながら・・
宅配便がきたり・・・隣の奥さんが来たり、
そういうことも、起こりうるわけです。


実際のカウンセリングの場所を訪れての
カウンセリングでは、
TVの音が聞こえる中で行ったり、
音楽を聴きながら行ったり、宅配便が来たり
隣の奥さんが来たり、電話がかかってきたりしません。
(音楽療法なら別ですが)

多くのカウンセリングは、50分8000円~12000円という相場。
しかし、これでは、月に1回くらいしか受けられません。
もし、あなここが、一時間8000円であるならば・・・
相談者の方は、時間短縮と言えども、とても今の現状を続けられません。


あなここは、確かに破格の低料金ではありますが、
ネットであろうと、安かろうと、カウンセリングである以上、
ある程度は、静かに、集中できる環境を必要とします。

おうちの方の協力も、ある程度必要になります。
協力を得られないなら、文字チャットなら、ネットカフェという手段もあります。

ネット環境を整えること・・・
このことを、再度、お願いしたいと思います。
これは、私たちのために、というよりも、
お客様が支払うお金と時間を無駄にしないために、
大切なことだと思います。

どうぞ、それぞれの可能な範囲で、よろしくお願いいたします。

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続・不登校の軌跡【不登校】
2010-07-31 Sat 12:32
【不登校になる過程】


不登校の軌跡を、昨年書きました。

(カテゴリー 「不登校の軌跡」よりまとめ読みできます)

あれから、ずいぶんと日にちが経過して、
また、いろいろなことが、膨らんでは消え・・・していました。

書けば、誰かを傷つける気がして、ずっと筆が止まってしまいました。
が、やはり、書き遺しておくべきことなのだろうと思うところがありました。


不登校になる背景には、いじめ、学校に合わない、などの

それぞれのきっかけがあると思うのですが

やはり、それは、きっかけにしか過ぎないことだと思います。

先日の報道で、ひきこもりが、70万人
予備軍150万人。
と報道されていました。

なぜ、不登校になるのか。。。ひきこもりが、増えるのか・・・

その背景を、母親としての立場から、書いていきます。


まずは、母親が、孤立しているということ。

孤立というのは、友達がいないとか、相談する人がいないとか

単に、一人ぼっちであるという簡単な話ではありません。


言い換えれば、おかあさんの心が自由ではない。

そう感じます。

心が、不自由。


「こうなければならない」

かなり、脅迫的にそう思いこんでいる気がします。

「怒りをため込んでいる」

この怒りについては、追々、書いていきます。

「信頼したり、されたりする関係性の体験がない」

単に体験の問題であるのですが、大人になるにつれて根深い不信感が育ちます。

「家族を、自分のルールで縛る」

これが、不登校最大の問題。
自分の自由でない心のままに、同じように、子どもたちに
接していきます。
子どもたちは、次第に狭い囲いの中に追い込まれ、
手足をもぎ取られた状態になります。

これが、子どもが立ち止り動けなくなった状態ですね。


「逆転現象」

追い詰められた子どもは、ある一定のバランスを取ろうと
必死に自分を制御しますが、ある一線を越えたときに、
今度は、親に反撃します。

自分のルールに、疑問を持たない親には、
突然、子どもたちが、変わってしまったように、見えます。

いきなり、リストカットをはじめたり、
暴力という形であらわしたり、さまざまだろうと思います。

これもまた、後に詳しく、記事にしていきたいと考えています。


これらは、おかあさんの心の不自由さによる
「ルール」の押しつけ、たくみな無意識の強要・操作によるものが
大きいと思っています。

心の不自由さは、体が不自由ということと
同列に私は、考えます。

心の不自由さから、どう、社会性を身につけ、
視野を広げ、バランスよく
生き生きと、人生を謳歌できるようになるのか
その回復の過程は、
生半可なものではないと思います。

自分が子どもにしたことを、覚えていること

ひとつひとつ認めること

心から、謝罪できること



でも・・・は、要りません。

だって、こう言われたから。

そう言われたことを選択した自分は、どこにいるのでしょう。




自分を振り返る勇気が、ありますか?




振り返る勇気があって、はじめて、扉が開かれる・・・そんな気がします。




申し訳ありませんが、コメント返しは、めちゃくちゃ遅いです^^;
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ありがとうが、わからない頃【ACの気持ち】
2010-07-29 Thu 00:00
ありがとう が分からない・・・妙な文章です。


【ありがとう】大辞林 「感謝の気持ちを表す言葉」

幼い頃、お年玉や、食べもの、服を親戚や近所の人から、もらったり、
何かしてもらったりしたとき
「ありがとう」を丁寧に、親が代わりに言っていた。
そして、次にくるのが「ほら、ありがとうを言いなさい」などと、
促されて、気持ちがしっくりこないまま、
かつ、とまどいながら、「ありがとう」と言っていた。

言葉に出しながら、気持ちで、しっくりこなかったのは、
ありがとうって、どういう気持ちなのか、わからない
そういう気持ち。

反射的に、「ありがとう」と口に出しながら、
感情がおいついていない言葉は、苦痛。

思春期になり、友達から何かをもらって、
「ありがとう」と言う、その言葉が、
自分が、偽善的であることが、クローズアップされ、
とても苦しくなりはじめた。

偽りながら、言葉を出す自分。

うそつき。

だから、人からプレゼントや、ギブアンドテイク以外のものを
もらうことは、とても苦痛だった。

自分の中の気持ちと言葉のずれを、
友人たちの交流の中に、はっきりと見せつけられる頃・・・

心は、次第にひねくれた。

世の中は、偽善だらけ。
偽善を平気で笑って、喜べる感覚が、
わからなかった。
どんだけ、おめでたいの。
うそつき。
本を読むふりをして、本に没頭して、
本の隙間から、まわりをジッと観察していた学生時代。
みんなが、自分の偽善に気づかないのが、
とても、不思議だった時代。(共有できない孤独感

偽善だと知っていて、使っているのだろうか
それとも、知らないで、使っているのだろうか。
演技だろうか。(捻じれの増幅

本当は、演技なんかじゃないって、心のどこかでわかっていた。

なんと、滑稽なことかと。(傲慢さの形成

本当は、滑稽なのは、自分だと知っていた。

やがて、人と私は、どうやら、違うらしいと気づいていく。
私は、人と違うことを誇りに思うことで、自分を守るしかなくなった。
プライドの形成

私には、わからないことを、やすやすとやってのける人たちが、羨ましかった

そんな、ACの世界・・・、歪んだ場所から・・・、
見た風景は、世界はこんな風に感じる。

自分が正しい場所であり、
まわりが、歪んで見える。
次第に、人から分断されて、ぽつりと1人でいる。
そんな場所に、何十年もいて、
どんどん、世の中の不可思議さが、増大していく。


だって、「ありがとう」の意味する感情が、わからなかったのだから。
暖かさ、感謝の気持ち、相手を尊敬する気持ち
その意味を体感したことが、なかったのだから。
そんな場所が、世の中にあるなんて、自分では知りようも無かった。

暖かな場所でさえ、自分だけの正しい場所から見たら、
すべてが、歪んだ場所にしか見えない頃だった。

歪みの最初の出発点から、そこからねじれが増幅する過程。


「ありがとう」の中に入るには、

言葉ではなく、「ありがとう」の気持ちに、浴びるほどに触れ、

自分の中にあったはずの「ありがとう」の気持ちを引き出して

互いに「ありがとう」と気持ちをつなぐこと。


そして、自分を認める勇気



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理由【不登校】
2010-07-11 Sun 23:00
丁度、5年前になります。


子どもが、不登校になったのは。


あの頃、子どもは、受診した思春期内科に入院を強く希望しました。

強く希望した割には、入院中の提示された回復プログラムには、消極的でした。

何もやる気を見せず、病院で寝てばかりいたと思います。

時折、主治医や看護師さんに促されて、気が向いたら粘土でお茶碗を作ったり、

絵を書いたり、釣りに参加したり・・・


親の気持ちは、「うつが、回復するように」「学校へ行けるようになるように」。
塾だけは行けたらいいかな。



はっきり言って、アホでした。



このときの、子どもの気持ち、3年後にわかりました。

子どもに、「こうだったのじゃないの?」聞きました。

「違う」

当時は、否定されました。

でも、子どもに私が、それまで、してきたこと、

私自身が子ども時代にされてきたこと、思い続けてきたこと、

それらをすり合わせると、当時私が考えていた「こうだったんじゃないか?」は、

決して外していないと、確信がありました。


最近、子どもが言いました。


「あの頃、自分を抑えるのに、必死だった」

「リストカットも、自分の狂気を抑える手段。

死にたかったわけじゃないけど、いなくなりたかった」

「入院したかったのは、自分の中から湧き上がる家族への殺意を逃すため」

「自分が犯罪者にならないため」


家族への殺意を、入院という手段で、逃さなければならなかった子ども。


ぎりぎりの所からの親子の再生。


子どもの心、親知らず。 


今、生きて、学校に通い、バイトに励み、

笑い、友達のように語る子ども。

夢のように思える。

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第3回 ”あな’ここ”メールマガジン配布のお知らせ
2010-07-10 Sat 18:23
皆様、こんにちは。


本日、第3回メールマガジンを配布致しました。

しかしながら、今回のメルマガからは、今までのように、

一律に全員配布という形を取らずに

必要な方に必要な時期を選んでお配りしていこうと考えています。


理由と致しましては、今回のメルマガ以降は、

文章を読むことで、心の仕組みが手に取るようにわかります。

それではどうして、全員配布ではないのでしょうか?


わかり過ぎるくらい分かってしまうので、

「わかったつもり」になる弊害もまた、大きくなるのです。

わかったつもりになると、頭でっかちになり、

思考や理論が邪魔をして、感情を捉える壁になることで、回復の邪魔になり、

本末転倒
になってしまう危険性が高いのです。


そこで、カウンセリングで、ある程度の位置まで到達され、

「ご自分の体験」と並行してメルマガを読むことで、

ご自分の体験を裏付ける「理論」、あるいは、深みを増すための

納得のアイテムとしてご利用できる方だけに

順次お送りしていくことに致しました。

今後も、このような方針で配布していきますので、

どうぞ、よろしくお願い致します。
     

            きんたろう   (代筆:りんりん)


ちなみに、今回の補足は、となりのあいつ君が、担当しています(笑)
手にされた方、感想をお待ちしています。        

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トイレの神様
2010-07-06 Tue 21:51



祖母のことを思い出しました。

おばあちゃん子でした。

心配性の祖母でした。

好きなだけ本を読ませてくれました。

静かな時間を、与えてくれました。


ありがとうも言えずに、お別れしました。


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マグダラのマリア~許しの物語~【インナーチャイルドエクササイズ】補足
2010-07-03 Sat 22:38
【マグダラのマリアの物語】



これから書く、「姦通の女」の話と、許された「罪深い女」の話は、

聖書の中の、別々の箇所で紹介されているエピソードです。

しかし、この2つの物語が、一人の女性にまつわるエピソードであり、

そして、その女性とは、イエスさまが十字架にかかる最後まで付き従った、

女性信者であり、死後、イエスさまが、復活した際に、

その姿を、最初に見せたとされる「マグダラのマリア」であるという風に、

解釈されるかなり有力な説があります。

更に、近年ブームとなっている「ダビンチ・コード」で、

イエスさまと、マグダラのマリアが、結婚していたという説も、

今回急にでてきた突飛な説ではなく、

以前から、そうではないか、とあらゆるところでいわれて続けてきた、

非常に有名な異端説なのですが、

イエスさまの死と復活に一番近かったという意味で、

僕も、イエスさまと、マグダラのマリアは、

夫婦であったと考えることが妥当ではないかと考えています。

その真偽はともかくも、

ここでは、この「姦通の女」と、許された「罪深い女」が、

マグダラのマリアであるという想定のもとに、

僕なりに、許しの話としてまとめてみたいと思います。

by Tatsuさん

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【姦通の女】



ある朝、イエスさまはオリーブ山に行き、

いつものように神殿の境内に入り、

イエスさまの話を聞きにやってきた人たちに、説法をはじめました。

聴衆の中には、もちろん、イエスさまを信じる人もいましたが、

興味半分の人もたくさんまざっていました。

イエスさまが座って、教えを説かれていると、

律法学者とファリサイ派の人々が、

一人の半裸の姿の女性をひきつれて、

説法の場にのりこんできました。



律法学者とファリサイ派の人びとというのは、

当時のユダヤ教の戒律をもとに、

イスラエルの地で、理不尽な権力をふるっていた人びとです。

半裸の女性は、マグダラ地方の出身で、

名を、「マリア」と言いました。



マリアの仕事は、いわゆる「娼婦」でありました。

律法学者とファリサイ派の人びとは、

姦通現場でマリアを捕らえ、

イエスさまが説法をしている広場の真ん中に引きずり出し、

イエスさまに質問を投げかけました。

「この女は姦通の現場で捕まったのです。

モーセは律法で、このような女は石を投げて殺せと命じています。

ところで、あなたはどう考えますか」。

こう言ったのは、イエスさまを試みて、捕らえる口実を作るためでした。



イエスさまは、当時の社会の底辺で虐げられた人々、

身分の低い人、娼婦、働けない重い病の方などに、

とても、やさしかった。

そして、神さまの愛は、すべての人に、等しく平等であるということを、

わかりやすく、そして、力強く、民衆に訴えかけていました。

そのイエスさまの話を信じる人の数は、

そのころは、まだ多くはなかったのですが、

律法学者やファリサイ派などの当時の権力者は、

イエスさまが、今後、自分たちの地位を脅かす、

驚異的な存在になるのではないかと、

常日頃から、イエスさまの言動を調べ、

イエスさまを、陥れるすきが無いかを伺い、

ときに、こうして、わなにかけるような行為をしかけていたのです。

律法学者とファリサイ派の人びとも、

そして、その場に興味半分で集まっていた人びとも、

周囲にあった、石つぶてを、手に手に持ち、

マリアを取り囲み、今にも、その石を投げつけんばかりの様相です。



イエスさまは、はじめのうち、

あられもない姿のその女性に気をつかい、

その姿をなるべく目にいれないように、

身をかがめて、地面に指で何かを書いて、沈黙していました。

しかし、彼らがしつこく問い続けるので、

ついに、イエスさまは身を起こして仰せになりました。

「あなたがたのうち罪のない者が、まずこの女に石を投げなさい」と。

そして、また身をかがめ、地面に何か書いておられました。

これを聞くと、人々は、年長者たちを初め、

一人、また一人と去っていきました。

そして、ついにその場には、イエスさまと、

まん中にいたマリアだけが残りました。

イエスさまは身を起こして彼女に言いました。

「婦人よ、みんなはどこにいきましたか。だれもあなたを罪に定めなかったのですか」。

マリアは、「はい、主よ、だれも」と答えました。

イエスさまは、仰せになりました。

「そうですか。わたしもあなたを罪に定めない。

さぁ、行きなさい。これからは、もう罪を犯してはいけないよ」と。



マリアの目からは、

あふれるように涙がこぼれ落ちました。

いままで、そんなふうに、

接してくれる男の人は、誰もいませんでしたから。

そして、彼女は、半裸の自分を隠す汚れた布を押さえながら、

イエスさまに深々と頭を下げ、

止まらない涙をぬぐいつつ、

その場を逃げるように立ち去りました。

それから、何日も何日も、

マリアは、泣いてすごしました。

涙があふれてとまりませんでした。

やむおえない選択であったとはいえ、

娼婦を続けて、生きてきたことを、

悔いて、悔いて、泣きました。

その今までの半生で、

思ったこと、行ったことが、

走馬灯のように、頭に浮かび、

その一つひとつを反省すると、

泣けて、泣けて、しかたがありませんでした。

理不尽な環境下で生きてきた中で、

親を、人を、環境を、恨んで、恨んで生きてきたことを・・・

ときには、人を陥れたことを・・・

ときには、自分から進んで、人を傷つけてきたことを・・・

人も、世の中も、そして、神さまのことも、

自分を不幸な環境に生きさせていると、

いつしか、信じる心から、疑い、憎みの心に変わり、

自暴自棄になっていたことを・・・



そして、そんな自分の罪がいつか明るみにでて、

罰せられるのではないかという恐怖の中で、

自分を責めて生きてきたことを・・・

そして、泣きながら、

何度も何度も、つぶやきました。



「天のおとうさま、わたしは、いくつもいくつも、罪を犯しました。

あなたを恨み、憎みもしました。

けれども、天のおとうさま、わたしの罪をおゆるしください。

わたしは、多くはのぞみません。

ただ、あの方に、イエスさまにお礼をいいたい。

どうか、また、あの方に会えますように。

そして、できるなら、あの方のお手伝いをさせてください」と。



その後、数日して、

ファリサイ派の一人が、

イエスさまと食事をともにしたいと申し出たので、

イエスさまは、そのファリサイ派の人の家に入って食卓におつきになりました。

そのファリサイ派の人の名前はシモンといいました。

シモンは、他のファリサイ派の人々のように、

うわさだけで、イエスさまを、悪人であると決めつけるのではなく、

どんな考えをもっているのか、

イエスさまが、本物の預言者なのかどうかを自分の目で、

確かめたかったのです。



シモンは、何人かのファリサイ派の同士とともに、

イエスさまと床に座って、食事をし、彼らは、さまざまな質問をしました。

当時としては、はきものを脱ぎ、体を横たえ、足をのばして、

くつろいで食事をとるのが、習慣でした。



しばらく話をする中で、シモンは、イエスさまのことを、

この人は、尊敬するに足る人物だと、思うようになっていきました。



さて、そのときに、かのマグダラのマリアは、

近くで、イエスさまがファリサイ派の人の家で食卓についておられることを、

町のうわさで耳にしました。

自分の罪を悔い改めるときに流れる、

心を洗う涙が、あれから、何日も止まらなかったマリアは、

イエスさまが、近くで食事をしておられるうわさを聞くと、

自分にできる精一杯のお礼がしたいと、

香油の入った小びんを持って、シモンの家を訪ねました。

マリアは、泣きながらイエスさまのうしろから足もとに近寄り、

その涙でイエスさまの足をぬらし、自分の髪の毛でふき、

そしてその足にせっぷんをして香油を塗りました。

イエスさまを招いたシモンはこれを見て、

心の中で言いました。



「もし、この人が本物の預言者なら、

自分に触っている女がどんなに罪深い女であるのかわかるはずだ。

あれは罪深い女なのだ。あんな女を近づけるなんて・・」。



そこでイエスさまは彼に向かって、こう仰せになりました。

「シモン、あなたに言いたいことがある」と。

シモンは、びっくりして言いました。「先生、おっしゃってください」。

イエスさまは、

「ある金貸しから金を借りた人が二人いた。

一人は五百デナリ、もう一人は五十デナリを借りていた。

ところが、二人とも返す金がなかったので、貸し主は二人ともゆるしてやった。

この二人のうち、どちらがその人を多く愛するだろうか」と、

シモンに問いかけました。

 

シモンは、「それは、先生、多くゆるしてもらった方だと思います」と言いました。

イエスさまはうなずき、「その判断は正しい」と言いました。

それから、マリアのほうを振り向き、イエスさまは、シモンに、

「この人をごらん。

わたしがあなたの家に入って来ても、あなたは足を洗う水さえくれなかったが、

彼女は涙でわたしの足をぬらし、自分の髪の毛でふいてくれた。

あなたは、わたしにせっぷんをしなかったが、

彼女は、ここに入って来たときから、わたしの足にせっぷんをしてやまなかった。

あなたはわたしの頭に油を塗ってくれなかったが、

この人はわたしの足に香油を塗ってくれた。

あなたに言う。

彼女は確かにこれまで、多くの罪を犯したが、

深く反省し、悔い改め、なんとか、愛を実践したいと、

わたしの前にあらわれたのだ。

彼女が悔い改めたことは、彼女が多くの愛を示したことでわかる。

少しだけゆるされる者は少ししか愛さないが、

多くゆるされた者は、多く愛することができる」と。



そしてイエスさまは、彼女に、



「あなたの罪をゆるします」



そう仰せになりました。

そこで、席を同じくしていた人々は、

「罪をゆるすこの人は、いったい何者だろう」と、心の中でつぶやきました。

みんなの心に、言い知れない感動を呼び起こしたのです。

そして、イエスさまは、マグダラのマリアに、

「あなたの信仰があなたを救ったのだ。安心してお行きなさい」と仰せになりました。



.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+。.:*・゚+。.:*・゚



関連記事 あなたはもう許されている

を一緒にあげておきます。


当時の時代背景には、「水」は、貴重なものでした。

そして「香油」は、一般庶民が買えるようなものではなく、

とても高価なものでした。

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魂が触れ合う時
2010-07-03 Sat 17:11
簡単に自分年表を作ってみました。

http://ameblo.jp/hiiragirinrin/entry-10579374593.html

書きながら、いろいろな思いが溢れてきました^^



以前、インナーチャイルドエクササイズを、このブログに連載しておりましたけど、
シリーズとしては、物語は、まだ未完であり、途中放置しております。

そろそろ、完成させなければならないのかなという時期に
きているような気がします。

その前触れとして、記事として、書いておきたい気持ちになりました。


よく、インナーチャイルドエクササイズをやってみたいと
クライエント様からのご要望があるのですが、現在は、
カウンセラーとしての立場からは、おすすめしておりません。

その理由としての1番目にあげられるのは、
私が行った、エクササイズは、とても霊的な部分が多く、
万人向けではないということ。

2番目には、手法的に瞑想を使用するので、
憑依体質の方には、向かないということ。
(霊的なことに、興味がない方はスル―してね)

瞑想とは、ある意味、心を無防備にする状態なので、
歪みが取れていない状態での使用は、
負の感情にとらわれやすくなります。
負の感情に囚われるということは、
マイナスの思念に、憑依されることを意味します。

そして、瞑想する場所のセレクト。
磁場が悪ければ、それだけ、
マイナス思念へのリスクも大きくなります。

そのような、霊的危険性を持っていることから、
現在は、使っていないということです。

その前に、インナーチャイルドとは、一体どういうものか・・・
という疑問が湧いてくるかと思います。

インナーチャイルドは、一般的には
「子どもの頃に傷ついたままの状態でいる、自我意識」
と、言われているかと思いますが、
私が、経験したものは、それをはるかに超えていると感じます。

ここから、ちょっとぶっ飛んだ話になりますが^^;

人間の無意識の奥深くには、集合意識体、及び宇宙意識に
つながる回路があります。
(ユングもそう言っています)

インナーチャイルドは、魂の本質の一部であり、この無意識につながっています。
そして、ハイヤーセルフ(魂の本質)の一部でもあると私は感じます。

巷では、「子どもの頃の自分」「傷ついた自分」とも呼ばれますけれど、
それは、ほんの表面の「前意識」のようなものだと感じています。

恐らく、一般的なワークでは、
失礼ではありますが・・・、表層のものなのではないかと
そう、感じるのです。

もともと、インナーチャイルドの発祥は、キリスト教圏です。
そのワークの精神性には、
やはり、宗教的な確固たる意識が必要ではないかと感じています。
どちらかというと、「リーディング」的な要素が入ってくるのでは
ないかと感じます。
それを、多神教、あるいは、無宗教の日本にそのまま持ってくること自体、
無理があるのかもしれないと思います。

それを、ワークやセミナーという形で、お手軽に
膨大なお金を取るのは、どうなんだろうと・・・
経験からいえば、1日やそこらで、インナーチャイルドの魂に
触れるということが果たして可能なのだろうか・・・という疑問を抱いています。

そうい理由で、現在は、インナーチャイルドのエクササイズは、
お断りしています。


その代わり、カウンセリングでは、
暖かな過去の記憶をたどり、記憶を引き出すことで、
自分の中の歪みを取り、
心のクッションを作ることをお薦めしています。

その連続性の中で、カウンセラーとクライエントの
いつか、時が満ち、心が深く共鳴する瞬間があります。

クライエントの魂から発せられる言葉が
受け手の私たちに、生き生きとした情景として
目の前に繰り広げられ、
同じ場面を共有する瞬間が、やってきます。

そこには、クライエントの人生を私たちが、
追体験させて頂いている感覚が同時に生まれます。

クライエントが感じている気持ちや、経験が
私たちカウンセラーも、あたかも、そこにいるかのように、
シンクロしていくことで、長年心に積った黒いわだかまりが浄化されていきます。

心が開かれる瞬間です。

そこには、知識、比較、理論、嫉妬、憎しみ、怒り、悲しみ
何もありません。

ただ、互いの存在が愛おしく、喜びに満ちあふれていきます。
美しい湖面のように、静かに、穏やかに 魂が触れ合う時です。

この体験が、今後のクライエントを劇的に変化させていきます。
クライエントが、感情を取り戻した瞬間です。
そして、ただただ、美しい涙を流されます。

(これは、1人では到底できないことです)

そして、今後、クライエント自らが、新しい自分を見つけ出し

問題を自分で解決していくことが、できるようになります。

もう、ここまで、来ておられる方が、数名おられます。

あとは、私たちにできることは、ご本人が自分で解決していく力を、

見守り、応援していくだけのことです。

”あな’ここ”のHPのカウンセリングカリキュラムにも、列記しておりますが、

シンクロチャットとは、なんぞや?と思っておられる方も、多いかと思いますが

以上に、書いた通りのことです。



魂の本質に触れること


本当の自分に出会うこと



これが、当ルームの カウンセリングの最終目標でもあります。

よって、不登校を解決する方法は、提示しておりません。


     だって、答えは、自分の中にあるのですから^^

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6月分、明細メール発送しました
2010-07-03 Sat 14:53
本日、ホットメールより、”あなここ”の
料金明細を、皆様に、メールでお送りしました。
不備な点がありましたら、なんなりと、お申し付けください。
また、今月の予約は、お早目に、お願いいたします。

よろしくお願いいたします。
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| 歩いていこう |