author : rinrin
回復するために【不登校・AC】
2010-11-15 Mon 14:30
ずっと、以前のこと・・・

私が、AC回復しようと頑張っていた5~6年前のお話です。


たくさんのACサイトを、ネットで見ていました。
そして、ありとあらゆる、不登校サイトを毎日、見続けていました。
親の会サイトや、○○の会、悩む者どうしが、情報を交換するために個人的に集まった、
SNSのような場所、ネットを通じて同じ境遇の方たちとの交流。

その中で、意見を戦わせたり、お互いに励ましあったり
一緒に、荒らしを、撃退したり(笑)とか、楽し、懐かしな、思い出があります。

そうする一方で、同じ境遇から、一歩ぬきんでて、回復された方のサイトを
見つけ出しては、熱心に見続けていました。
でも、読んでいくと、「あれ~、回復されているようで、そうでないな」・・とか
そういう感覚を頼りに、やっと探しあてたのが、アリーさんのHPでした。

どうして、ここまで、回復されたのか・・
もう、興味深々です。


アリーさんは、皆との気軽な交流は、あまり、望まれず、
じっと、同じ場所、同じスタンスで、自分の経験を、淡々とHPに
アップされている方でした。
私は、その過程を、彼女の文章から、じっと見続けていました。

当時、私自身、5~60人(もっと居たかもしれません)の方と交流しながらも、
回復らしきものにたどりついたように見えたのは・・・1人いるか、いないか・・・・
私には、そういう風にしかみえませんでした。

最近、私自身が「回復」という切符を手にして、その方のHPを改めて読みなおしてみると
私は、もう、その場所より、ずっと違う場所にいるのだなと、痛感しました。

でも、彼女のHPに出会ったことで、「回復」という具体的な希望が見えたこと、
スッと1人で、立っている彼女の姿が、自立の目標になったこと、
掲示板での文章は、とても、そっけない書き方される方でしたが、
HP自体には、自分の経験を生かしてもらおうという気持ちが、
あふれるほど、伝わってきました。
交流は、一回たりとも無かったのですが、いまだに、アリーさんには感謝しています。


さて、何を、今日は、お伝えしたいかというと・・・


不登校も、ACも、回復したい人たち同士の深い交流はもちろん必要ですが、
同時に、回復した人の文章を読み、そして、どのように、その人が変化して、
何を考え、どう生きようとしてるのかを感じることもまた、大切なことだろうと思います。

私のブログを、読んでくださる方々に、お願いしたいのは
私も、最初から、自分の思考の歪みを知っていたのではなく、
最初は、右往左往して、おろおろし、時には、理論にはまり込んだり、
ぐるぐるに、なったり、そういう時期もたくさんありました。
むしろ、その時期のほうが、長かったのです。
でも、いくつもの、出会いによって、私自身が変化していったこと
その変わっていく、様子を、感じ取ってもらえたらと思います。

文章から、なぜ、私が、変化していったのか
その変わっていくさまを、知っていただきたいと思っています。
私が、過去の至らない経験を、こうしてブログに残していっているのには
そういう意味があります。

私の文章の中に、きっとご自分の姿を見つけられると思うのです。

私の文章を読み取り、私が、その時に、どういう歪みがあったのか
どんな世界観をもっていたのか、そこから、どう変化していったのか・・・
それを、知ることが、回復へのヒントになればいいと思っています。

現在回復した人が、AC、不登校の状態から、どのように回復していったのか・・・
それを、自分で知りたいと思う気持ちがあるのなら
その変化を感じて読んでくだされば、うれしいです。

ヒントといっても、明確な「方法」が、そこにあるわけではないのです。

ブログを通して、たくさんの方との交流、対話こそが、
私の回復の道のりでは、なかったかと思います。

その中には、トラブルもありました。
時には、文章で、傷つけあったこともありました。
けれど、互いに、暖かい励ましもありました。
その人間関係の中で、私は、多くの方の力を借りて、
対話、交流してきたのだと思います。

そのためには、一番に、自分の場所が、開かれた場所であることが大事だと感じます。
これまで、いろいろなブログに、書いてきましたが、
パスワードを付けたりしたことは無いと思います。たぶん


私がこだわっているのは、自分を公開すること。

「私は、ここにいるよ」という宣言。

(ただの、目立ちたがりやか(笑))

開かれた場所であるから、いろいろな方との交流が可能になり、
意見をもらい、意見を戦わせ、切磋琢磨が可能になるのだと思います。
反対に、オープンな場所へは、自分から、どこへでも行きます。

閉じられた場所は、風通しが悪いので、発展しない場所になります。
発展しない場所というのは、「変化を好まない」という気持ちに通じます。
変化を好まないということは、新しい発見が、互いに無いということになります。
成長できない場所には、行かない・・・
価値観が違うから、面白いのですから^^
たぶん、これが、信条です。

そのことは、長年、ネットをしていての経験から思うのです。


話、それました^^;

そんなこんな、いろんな人との交流・対話をやりながら、
そして、同時に回復した人のブログを、ずっと探し求めていました。
これは、執念に近いものだったと思います。
私が、「回復した」と認めた方は、いまだに、アリーさんしか、しりません。
それほど、「回復」とは難しいことなのだと感じます。


たぶん、私の回復への過程は、今現在の私の記事だけを読んでも、
何もわからないと感じます。(ごめんなさい^^;


また、「私が、変わりたい」なのか
「変わる方法を教えて欲しい」のか、それもまた、雲泥の差だと感じます。

もし、お時間がありましたら、じっくり、私の過去の人生(記事)と自分の人生と重ねて読んでいただければ、
方法ではないことが、わかると思いますよ。


その上で、いつか、機会があれば、私たちと、対話してください。

対話こそが、回復への近道だと、私は、そう思っています。


追記:あな’ここのHPには、チャットルームがあります。
誰でも、自由に使える開かれた場所です。
私のブログを読まれている方なら、大歓迎です。
個別のメッセンジャーチャットも、一対一で、
じっくり話せていい点も、あるのですが、自分より、
少し先を歩いている先輩たちに、出会えるかも
しれませんよ。   
出会いは、自分でつかみに行かなきゃね^^

17日夜10時~お暇なら、私、いるかも^^
チャットルームは、あなここHPの左メニューの一番下
「やどかりチャット板」クリックね^^
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心の配列【配列2】【アダルトチルドレン】【不登校】
2010-11-04 Thu 00:01
さて、前回、時系列の配列のお話をしました。

ところで、配列といえば、皆さんは、どのようなイメージを
抱かれるでしょうか。

きれいにならんだ、数字
一糸乱れぬ、軍隊の行進
こだわり抜かれた品物の陳列
きれいなもの、整えられたもの
安定感
すっきり感
統一されたもの
絶対的な正義感


こんな感じでしょうか・・・。

AC傾向の強い方は、この配列に、美しさや安心感を
求める傾向性が強いと感じます。

「適当」「ほどよく」ということが、できません。

この自分の「配列」を崩すものとして、
子供が、お茶をこぼしたり、
おもらししたり
散らかしたり、床が汚れたり、自分の配列の中で「不快」と
感じるものがあります。

このように、自分の配列の一定の並びを崩すものを排除しようと、
常に神経を張り巡らしています。

それは、子育てならば、必然的に過干渉・監視として、
子供に影響を及ぼすのだろうと感じます。

が、現実には、子供は、予測不能な生き物ですね。
いえ、子供だけではなく、自分以外の他人というものは、実際のところ
自分の範疇をこえているのが、当たり前のことだと感じます。

自分配列が多ければ多いほど、配列に当てはまらない事態が多発するってことでしょう。

例えば・・・、いつもAさんは、お皿を一定の場所に仕舞うことに決めているとします。
そこへ、お姑さんが、やってきて、お茶碗を洗ってお皿類を食器棚に片付けてくれたとします。
ところが、ある日、Aさんは、いつもの一定の位置ではなく、別のところにお気に入りのお皿が仕舞われていることを発見します。


「いらっ」の発生ですね。

同時に、配列を崩された心が傾く感覚を覚えます。

心が傾いた瞬間、過去の消化されていないトラウマと「いらっ」の状態が
リンクすることで、軽いパニック症状に襲われます。
しかし、「軽いパニック」は、常日頃から慣れ親しんだ感覚なので、
これが、パニックであるとは、自分では、気づくことはありません。

配列・心の法律 の多さにより、不測の事態が起こるたびに、
慢性的にパニックを起こしている状態が連続して起こっていると感じます。

そして、ちょっと不機嫌になって、お気に入りのお皿をいつもの定位置に、片付けます。
しかし、お姑さんが、好意でやってくれたことは、理解はできるので、文句も言えません。

数日は、我慢します。
「ありがとうございました」とにこやかに、嘘をつきながら。
しかし、仏の顔も3度まで・・・と言いまして
これが、数日続くと・・・「いらっ」「パニック」の積み重ねで
次第に、「怒り」に変化してきます。逃しようのない「怒り」ですね。

しかし、お姑さんには、直接、「こうして欲しい」と出せない。
どうしてこんなことが、わからないのだろうと、自分の枠の中で
自己正当化も、同時に始まります。

この時点で、自分の強固な配列があることは、無意識であるので
Aさんは、よもや自分に非があるなんて、思いもしません。

そこで、夫に訴えます。
(出せるところに、出すという行動)

しかし、夫は、妻の配列の重要さを知りませんので、
「そんな、小さなことで・・・」と真剣に聞いてくれません。

パニックは、収まるどころか、いっそう激しくなります。
そして、そのことは、怒りの転移となって、
より、出しやすいところを選んで、出すことになります。

それが、子供、ペット、出しやすい友人などであることが、虐待という形にエスカレートしていくのではないかと、経験から感じます。

*「虐待」と書きましたが、殴る、蹴る、無視、腹いせの罵声、ののしり、いじめ、という感情に任せての八つ当たりとなります。



さらに、二次的弊害として、このようなことが、何回も積み重ねられ・・・
「夫は、姑から自分を守ってくれない」という、不信の配列が、出来上がります。

新たな不信の配列は、後に「夫は、あてにはできない」という証拠探しを
Aさんは、するようになります。
結果的に夫を家庭から、排除するか、攻め続けるかのどちらかになるかと思います。
父親は、家庭での権限を剥奪され、子供たちからもAさんによって遠ざけられ
*男性性は、家庭の中から失われ
家庭のバランスが崩れていきます。

*男性性とは、社会的に押し出す力
 子供に、越えるべき問題を突きつけ、自立へと促す力


よって、外へ押し出す力を失った家庭は、内へ、内へと、閉鎖的になっていくことだと感じます。
後に心の仕組みを熟知していない夫が、家庭での居場所を取り戻そうと躍起になっても、お互いに傷つけあう事が、多発する気がします。


このように、配列が多ければ多いほど、不自由であること。
そのことだけは、確かであると、経験上思います。

私自身を振り返りますと、この配列の中での、かつての子育ては、苦痛以外なにものでもありませんでした。

よもや、このような配列が、自分にあるとは気づかないまま
子供を、自分の配列に押し込み、ぎゅうぎゅうに詰め込んだ結果として
子供の心を奪い、不登校という事態を招いたのだと感じます。


このような自分の配列を知るためには、
今までの自分の枠の中で、「配列」がわかることは、ありません。
私は、経験的に、人と接すること、対話していくことでしか、自分の「配列」を知る事が出来ないのではないかと感じます。
対話の中で相手に感じた違和感こそが、「自分の配列」を知る絶好のチャンスなのだと思っています。

*対話とは、慰めあいや、同調(かわいそう、気の毒、そうそう!)ではありません。かといって、相手に直接、怒りや不快な気持ちをぶつけることでもありません。
対話によって生じた負の感情を自分で消化し、味わい、自分の配列を崩す力にしていくことが大事だと感じます。感じた感情は、相手の問題ではなく、自分の問題であることを肝に銘じることが、とても大切だと感じます。


次回、「逆の配列(借り物配列)」について、記事にしてみます。
 
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時系列の話し【配列1】【アダルトチルドレン】
2010-11-03 Wed 08:46
長らくお待たせいたしました。^^;

前回の記事で、「変化したくない無意識・Aライン」について、考えてみました。

これと、関連することで、「変化を嫌う」ことの理由の1つに

時間の配列 が、大きく関係していることを考えてみたいと思います。


「時間の配列」は、あなここの、セッションを受けた方は、
よく、ご存じだろうと、思います。

時間の配列とは・・・

ある一定の一日の流れ、一週間の流れ、一か月の流れ
もしくは、年単位の流れ、

その中には、ある一定の個人特有が持つ「計画」「予定」が、
存在します。

たとえば、一日の流れでいえば、
(子供が小さい場合)

朝7時に起きて、朝食を家族に提供し片付け、
同時に洗濯をはじめ、8時までに終わらせ、
連続TVドラマを、見る。

そして、9時になったら、掃除機をかけ、
10時からは、子供を公園に連れていく。
そこで、公園仲間のお母さん方とおしゃべり。

12時少し前には、帰宅し、おひるごはんを食べ、
お昼寝の時間。




この、ある一日の流れが、朝起きた瞬間から、予定として、できあがっているとします。

これが、時間の配列と呼ばれるものです。
さて、ある日、その平穏な時間の配列を崩すものが出現したとします。

それは、仲のいい幼稚園仲間からの、突然のランチの誘いだったり、
ご主人が、急に、会社を休んだり、子供が、熱を出したり、
忘れていた会合を、ふと、思い出した時・・・


こうなると、自分が決めた配列どおりに、ことが、進まないことになります。

私の過去から、引き出してみますと、ACの思考回路に、「臨機応変」という言葉は、
存在しない気配が濃厚です(笑)

自分の予定した配列を組み立て、それを自分のマニュアルのように
定着させることで、日々安心して暮らせる。
そういう時間の配列の組み立てがあったように思います。

ここに、この配列を壊すものが、出現したとき、
異分子を攻撃するかのような気分・・・つまり


「いらっ」としてしまします。


ご主人が、平日に「昨日は飲みすぎて気分が悪いから昼から会社に行く」
と、言おうものなら、
もう、午前中の配列を、その瞬間から崩される感じがします。
そして、配列どおりに事が進まないことに、いらいら感を募らせていきます。
この感覚は、自分の一部を、否定された感じ、
自分の延長線上にあるものを、領海侵入された感じと表現したらいいのでしょうか・・・

そうなると、いつもの、掃除機のかけ方に、力が入りすぎ、がんがんと、壁に打ち付けてみたり、
ドアをバタン!と、大きめに閉めてみたり、無言のアピールをして、訴えたりと・・・配列を崩されたイライラ感を涙ぐましいほどに訴えることになります。
*これは、午前中に夫がそこにいる不快を言葉にすることで夫を傷つけることは、常識的ではないと判断してのことなのですが、配列を崩された「言葉にできない怒り」を掃除機でぶつけたりするのではないかと感じます。

いきなりの不機嫌な妻の態度に、夫は、??? なじぇ~~?と、面食らうはめになるのです。


数十年も生きてくれば、世の中は、時間配列を崩すことばかり起こります。
むしろ、時間配列を崩すことの方が多いのですが、
AC感覚の強い私たちは、*幼い頃から身に着けた自分なりの配列の組み立てに
強力に、固執してしまうように思えます。

*幼い頃・・・安定しない家庭(機能不全家庭)で育った場合、家庭の中でいつ何が起こるか、突然不測の事態が起こることは日常茶飯事です。
昨日は、許されていたことが、今日は、禁止であったり、明日はどう変化するのか、わからない。
いきなり、夫婦の言い争いが勃発したり、母親の気分もその日の母親の機嫌で、ころころ変わる。
子供にとって、これは大きなストレスになります。
このような心が落ち着かない家庭において、子供たちは自分を少しでも守るろうと無意識に試みます。そこで、「配列」という確固たる、自分の「心の法律」を作り、それによって、少しでも自分を守ろうとするのではないかと、感じます。
それは、一度試みて、たまたま成功したことがあれば、それが輝かしい成功体験としてが強烈に心にインプットされ、「これをすれば、安心」=「過去の成功体験」という、結びつきが作られるように思います。
この一度作られた成功体験による配列は、強固に固定化され、どんなに不便であろうとも、似た状況があると、思考のルートが、「がっし」と作られていく・・・そんな、気がするのです。



もし、健全な心であるならば、配列は、かなり、ゆるく、柔軟性があり、
臨機応変に、変化することができます。
変化することに対して・・・切り替えが上手ということになると感じます。
これは、行き過ぎると、また優柔不断とも取れる場合もありますが、
実は、人が生きていく上で、配列・・・「心の法律」が、少ないほど
心の自由度が高いということになるかと考えます。
ちなみに、「配列」と、信念は、また、まったく別のことだと追記しておきます。

今回は、時間の配列を例にとりましたが、
日常で、なんとなく、イライラが募る、ストレスが多い方は、
自分の身近な「配列」「心の法律」ちょっと、意識してみるだけでも
楽になれることも多いのではないかと、感じます。

明日、配列のお話、②をアップします。

・参考記事 呪縛【心の法律を壊す】by きんたろうさん
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エール
2010-11-02 Tue 23:35

今、迷いの森にいるのだろうか・・・

まっ暗な夜道を手探りで、よろよろと

擦り傷だらけの手や足を庇いながら

それでも、前に進もうとしている

精一杯の姿


上手な言葉は、かけられないけれど

時には、厳しい言葉も言うけれど


今、もがき苦しんでいる君の姿は、

かつての私の姿


だから、私も一緒に 歩いていく


祈り、祈りながら

小さな声で、つぶやかせて


がんばれ と。


共に光が見えるまで

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