author : rinrin
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楽観視をしない【不登校】
2011-06-18 Sat 12:50
不登校の問題が起こったとき
ふと、頭をよぎるのが
「このままでも、問題はないのではないか?」
「そのうち、放っておいても動き出すのではないか?」
という楽観的な思考です。

心の問題でも、同じようなことが起こります。
「このままでも、生きていけるのではないか?」

今話題の原発の問題に例えると
「このまま、原発の被害は、おさまっていくのではないか?」
と置き換えることができます。

しかし、実際はプルトニウムは高熱を放ちながら
放射能は、じわじわと大地に吸い込まれ
海へ流れ込んでいます。
放射能の数値は、毎日報道されるものの
目に見えないものを、実感として感じることは
時とともに、薄れていっているような気がします。
そして、なんだか、何も問題が起こっていないような気がして
実感を伴わないまま、大丈夫な気さえしています。

この思考の処理の仕方は、
心の問題を抱える家庭に、よく見られる気がしてなりません。

子どもたちが、目に見える問題を起こす時は
(原発が爆発した時)
あわてて、どうにかしなきゃ!と、
とりあえずの方法を考え、あたふたと奔走します。
(海水を原発炉に注入しましたね)

一旦、目に見える爆発が収まると
「それほどでもなかったかも」と
『感情の逃し』が行われていきます。

そして「このままでもいいか」と
問題から目をそむけた状態で、落ちつこうとします。

しかし、実際は子どもたちは、心にくすぶる熱を持ち続け
部屋の中に沈黙してひきこもります。

親は、子どもが、おとなしくしてくれていたら
誰に迷惑をかけるわけでもないかも・・・、
いずれ、飽きたら、バイトでも出来るだろう・・

と、楽観的に考えることで
問題に取り組むことを避けようとしてしまうのかもしれません。



「問題から避けようとする気持ち」


「その場所から、目をそむけたい気持ち」


「なかったことにしたい気持ち」


「子どもの個性だから」


しかし、問題があったからこそ、爆発は起こったということを
忘れないで欲しいと思うのです。
そして、問題は、浄化されないまま、常に発熱を続けていること。

その事実を、見ないままにしておくことは、今後起こるべく
新たな火種を、せっせと作っていることに等しいのではないかと思うのです。

暴れた子どもの気持ちを、親から「なかったことに」されたら
当の子どもは、たまりません。
くすぶり続ける不全感から、解放されないまま
何も、わからないまま、一生を送らねばならない彼らの気持ちは
一体、どうしたらいいのでしょう。


人と人間関係が構築出来づらい
コミュニケーションの取り方がわからない
人が怖い
自分の大切なものが、わからない
自分で、自分を誤魔化し続けて生きるしかない
自分の感情がわからない
空虚な心に付きまとう、深い深い、救いようのない悲しみ。
人前で、ご飯が食べれない
冗談がわからない
記憶が抜け落ちたブラックボックス
自分の言葉で語れない
負の感情で、ぐるぐる巻きになる
他者攻撃
自己否定
嫉妬・比較に苦しむ
人を愛せない  etc...


そんな人生を、私は、嫌というほど経験してきました。
同じ経験を、もう誰にも経験して欲しくないと思っています。

今、目の前で、おびえている子どもは
かつてのあなた自身だということを
思い出して欲しいと思うのですよ。

「それほどでも、なかった」

うつろな目をした子どもたち、
目を合わせてくれない子どもたちを目の前にして
本当に、そう言いきれるでしょうか・・・。


問題から目をそらし、逃げ続けた後
原発は、どうなったでしょうか。
誰にも住めない土地を、広大に作ってしまったのではないでしょうか。
人々は心の故郷を奪われてしまったのではないでしょうか。
(自分の基盤を奪われる状態)

楽観的であることは、人生を生きる上では、大切なことでもあります。

しかし、楽観的 であるということと

問題から、目をそらすということは

全く、違うことではないかと、思うのです。


「まあ、いいか~」

「逃げてもいいよね」

それで、誰が救われるというのでしょう。

逃げなかった人にしかわからない世界もあるのです。

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兄弟仲
2011-06-15 Wed 19:07
先週、娘が、学校の課題での話をしてくれた。

その中ので会話のひとこま。

娘「いつから、私、○○(となりんの事)と仲よくなったけ」

私「・・・」(仲良かったんだ・・・)←心の声 笑

ACの家庭では、「家族分断の仕組み
で、お伝えしたように、兄弟の仲はもちろん、家族全体を巻き込んだ
分断・個別化を強いられやすい状態になります。

この分断の状態が、もれなく、我が家でも行われたのでした。
(もちろん、私の実家でも行われ、お陰で妹とは、今でも、最悪状態です)
悲しいことに、長い時間をかけて、分断された気持ちは、
疑心となって、それぞれの心の中に、巣くいます。

この中心にいるのが、「おかあさん」です。

お父さんでもなく、子どもでもなく、姑でもなく
まぎれもなく、「おかあさん」だということ。
(犯人探しをしているわけではありません)

裏を返せば、おかあさんの分断する気持ちが緩むと
家族が再生する可能性が、かなり高いことを示していると思うのです。

娘が、「いつからだろう」と、口にしたのは
社会福祉学の授業での課題のレポートを書き
「昔は弟と仲が悪かったけれど、今は、仲がいい」と書いた
その内容について、先生が、
「いつから、仲が良くなったんですか?きっかけは?」
と、問うたことからでした。


「きっかけは、ゲームかなあ」と娘。

でも、どうも、本人はフィットしてない感じ。

そりゃそうだろうな・・・と。

緩やかに、ゆるやかに、私が変わってきたことと連動していることは
間違いないと思っています。

今、思い出すのは、娘が中学卒業して高校入学前の
春休み。息子が中学3年になろうとしていた時期。

3人で、海浜公園に出かけた折り、
海岸の道の途中にある、有名なホットドッグを食べようと
車が多数とめてあった駐車場。。。らしき場所にとめたのです。

ところが、なんと(゜o゜)、駐車場と思ったところは
ただの砂浜で、止めてあった車は、4WDばかりw( ̄▽ ̄;)wワオッ!!

当然、普通車である我が家の車は砂浜にのめり込み^^;
アタフタヾ(▽ ̄;ヾ) )))...((( (/; ̄▽)/ アタフタ

落ち着け~~

こういうときは、ローギアで、ゆっくりだ~~!!
バックは、しちゃいけんよね、うんうん。


が・・・・

・・・・
・・・・


効果なし・・・


やばいぞ。


すぐに、気持ちを切り替えて

「車を後ろから押して!」と後ろに乗ってる娘と息子に指令を飛ばす。


で・・・・・

娘と息子に、車を後ろから押してもらいましたが、
あと、もう少しの力がたりませぬ。

その涙ぐましい我が家の非常事態を見ていた、
観光中の、見ず知らずの高齢のご夫婦が、
車押しを、手伝って下さり、無事帰路につくことが
できました・・・というおち(^▽^;)


あのとき、どえらく、恥ずかしかったこと(@_@)

今でも、何度も、何度もその時のことを思い出して、
娘と息子が私に、そう文句言います。
(いや、私も恥ずかしかったんですけど・・・)
そして、それは、母の武勇伝として、娘と息子の
ふたりの強烈な想い出となっているようです。

「おかあさん、最悪やけん」

「はずかしかった~」と

ふたりが、当時のことを同時に思い出せば、
まるで、その時の再現のように
エキサイトして、口々に私は訴えられます(笑

そして、そのことを思い出す2人は、
口を尖らしながらも、目と声は笑っています。

もしかしたら、そんな、くだらない体験が、
家族のつながりを深めていくのだろうと感じます。

あの時から、家族の「緩和」が起こり始めていたのかもしれません。

そして、「緩和」とは、「許し、許される」ことなのだろうと
思うのです。


別窓 | AC関連 | コメント:0 | トラックバック:0
グループ・エンカウンターのすすめ(
2011-06-10 Fri 13:18
リメーク版を、こちらでアップしました。(2012年6月7日)


グループでのカウンセリングのことを、
「グループ・エンカウンター」と呼びます。

「エンカウンター」とは「出会い」という意味ですね。

グループの中で、今まで知らなかった自己との出会い、他者との出会い、
自己と他者との親密性を深める、ことを目的として今日まで発展してきた手法です。

現在日本のカウンセリングの主流である「傾聴法」は、
カウンセリングの大御所「カール・ロジャース」に
よって開発されたものです。
「ロジャースの来談者中心療法」は、カウンセリングの基礎を学ぶ時に、
必ず学ぶことではあるのですが、
当のロジャースさんは、晩年、傾聴法ではなく、
「グループエンカウンター」しか、やらなかったということは、
あまり知られていないかと思います。

「グループ・エンカウンター」についてもっと詳しいことを知りたい方は、
ぐぐってみてくださいね^^;

さて、この「グループエンカウンター」は、あなここでも、
「アメーバピグ」「トリプルセッション」として、
取り入れていますので、これらの意義をお伝えしてみたいと思います。


下記の図は、「ジョ・ハリの窓」です。

ジョハリの窓


①自分も周りもしっている自分

これは、「自分」が思う自分像と、他者が感じている「自分」像が、
一致しているということですね。
一致しているということは、自分のことを客観的、正当に評価できていること
そして、そのことを他者に安心して見せることが出来ているという、
バランスの取れた状態ではないかと思います。
嫌なところも良いところも互いに共有し、信頼できる状態。
人間関係では、もっとも自然で葛藤の少ない状態だと言えます。


しかし、AC傾向の強い方、不登校の家庭によく見られるのが
グレー部分の②③④ですね。

自分の内面と人が評価してくれる自分が、ずれていると
感じることが、多々あります。

例えば

「あなたは、誠実でまじめな方ですね」と他者から言われた時
自分の中に、
「ホントの私は違う、そんな誠実な人ではない、まじめなんて言って欲しくない」
という気持ちがわきあがります。

この状態が②と③の間で、ズレで生じるのだと考えます。

あるいは③のみ突出することが、独特の「こっけいさ」に繋がるのかもしれませんね。

②③④のように、隠された自分が大きいほど、
人間関係は大きな緊張感と不安、恐怖を伴います。

そこで、「めんどくさい」「1人が好きなの」という言葉で、
不安、恐怖を相殺・誤魔化しながら自分を押し込めていきます。
同時に、「理解されない自分」に違和感を抱きながら
プライドを打ち立て「私のことは誰にもわかってもらえない」
と、究極の壁の中に引きこもってしまいます。

本当の自分は、心の深いところに置き去りにされたまま
誰にも見いだせられないまま、生きていくことになります。


しかし私は、人は誰でも自分の本当の姿を知って欲しいと
渇望し、願っているものではないかと思うのです。
その願いの強さゆえに、理解されない虚しさと失望も
巨大になり、あきらめざるを得ない・・・

諦めたと、思っても、なお、諦めきれない無意識の想いが
他者をまきこんだ、共依存、DV、怒りの訴え、母子一体化、各種の依存症となって
現われてくるのだろうと考えます。

これでは、相互に安心で信頼できる関係を構築することは
非常に難しいと感じます。

相互に、ゆるやかで、安心な人間関係(親子関係)を作っていくためには

①「自分も周りもしっている」という状態を
拡大していくことが、自分の成長、回復に繋がるのではないかと思うのです。

そこで、②③④の隠された部分を
①の状態にもっていく必要があるかと思います。
「自己開示」と「互いのフィードバック」ですね^^

ここで、注意すべき点が2点あります。

★「自己開示」・・・これは、ともすれば「怒りの放出」「訴え」
あるいは、他者を巻き込もうとする意図的な言葉などと、勘違いされやすいということです。
自己開示とは、「私は、こういう人です」「私はこう、思っています」ということの提示ではないかと思います。
そして、信頼度が増すたびに、相互に開示する場所も増えていきます。
その積み重ねがあってはじめて互いに「深く安心な信頼関係」が構築されていくのだと思います。    
一方的な訴えと、自己開示は、全く種類が違うということですね。
その違いをわかるには、自分が自己開示をしている最中の、周りの状態を感じてみれば
わかるのではないかと思います。
そこに、暖かいまなざしが、あるのか、
相互に尊敬の気持ちがあるのか・・・客観的に見て頂きたいと思います。


★「互いのフィードバック」・・・互いに率直に語ることは、とても大切なことです。
しかし、言葉の中に相手を思いやる気持ち、暖かさが必要だと思うのです。
相手が傷つく言葉を出せば、自分に「トゲ」として返ってくるものです。

トゲとして返った言葉は、自分を正当化させる誤魔化しの言葉で
隠されていきます。

この状態は、本末転倒です。一体なんのために、エンカウントしているのか
わかりませんね。


相手の背景を理解して、自分の気持ちにフィードバックしていくことは
大切なことではありますが、愛情深き言葉として率直に伝える練習も必要かと思います。

この二点は、非常に重要なことですね。
どちらも、積み重ねていくことによって、互いに信頼関係を深めることが
できると思います。

伝える側も、伝えられる側も、受け取る用意が整っての
「自己開示」「フィードバック」であるのです。

ただ、自分のことを語る、話したい、それは、自己開示でも
フィードバックでもないと思うのです。
(この状態は、③に陥りやすい状態ですね)

会話を重ねるたびに、「ここまでなら、この人に聞いてほしい」
そういう気持ちが、自然と湧きあがってくるものだと感じます。

思いやりと、尊敬を込めて、自己を開示していく
互いの意思が必要かと思います。
受け取った方も、相手への尊敬と愛情をこめて、受け取っていきます。


「グループ・エンカウンター」

普段はあまり、耳慣れない言葉ではありますが、
いかがでしたでしょうか?

皆様の 「自分との出会い」、「他者との出会い」が、
もっと、深くなりますよう、心から願っています。

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