author : rinrin
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喪失とは 【不登校・アダルトチルドレン】
2011-07-14 Thu 07:00
「子供の頃から 喪失してゆくことを慰めてくれる基盤を持っている人と 

持ってない人では喪失に対する固執が大きく違い 

基盤を持ってない人はちょっとした喪失にも 不安を抱えてしまうでしょう。

子供の頃から、家族に暖かく受け入れられないで育った人たちは

慢性的な喪失を繰り返し 安心すると言うことを失ってしまうのです」

             壊れた心を取り戻すより~きんたろうさん~


まず、喪失とはなんでしょうか

過去に大切なものを失ったときに感じる苦痛の状態が、

解消されないまま、長期の間に渡って残り

現在の感情になんらかの不都合な影響を与えている状態と

表現していいかと思います

また、喪失とは、人が生きている限り、

必ず遭遇するものですが、

①その後の人生に影を落とす場合と

②喪失を乗り越えて、再出発できる場合が

あるかと思うのです。



なぜ、①と②の分かれ道ができるのか

このことをまず、考えてみようと思います。


①の場合、「心に傷を負った状態」です。

喪失を経験した場合、人は二つの気持ちの中で葛藤をします。


「失った悲しみを感じ続ける自分」と「このままじゃいけない」という葛藤ですね。

この葛藤状態が、年単位・・・長期に渡ることで

次第に葛藤することに身も心も疲れ果ててきます。

そして次第に心の防衛反応が生じ「喪失」自体を

心の奥底に抑圧していきます。

しかし、「喪失」という心の痛みだけを抑圧できるほど

人間は単純ではありません。

喪失に関わる、すべてのものも同時に、封鎖していかなければ

喪失に関わる心の痛みは防ぎきれるものではないのだろうと思います。


「なかったことにする」「しょうがなかった」

「たいしたことではなかったのだ」

という逃しの操作


「自分のせいで失くしてしまったのだ」

という自己犠牲の納得



もし、幼い子どもであったら

「自分が悪かったから」という思い込みも発生するかと思います。

(自虐的思考の発生)


そうしているうちに、他者と自分との間に深い溝ができてきます。

自分だけ世間の動きに取り残されてしまう恐怖・孤独に苦しみながらも、

それでも強烈な「喪失」をよみがえらせることよりもましであると

そう思うのでしょうか。

心の中に閉じ込められた喪失は誰にも語られることなく

気づかれることもなく、涙も流されることなく、

何十年も封印されていくのです。

「喪失」がもたらす、心の封鎖は

やがて、感情を鈍感にさせていきます。

(感情封鎖)


やがて「喪失」を味わう恐怖から、

喪失という経験を二度と味わうことがないよう

「愛する」「好きになる」ということを自分から遠ざけます。

実はこのことが、喪失そのものよりも

悲しいことではないかと思うのです。



②の場合

もし、大切な誰かを失った時、

誰かがそばにいてくれたり、悲しみを受け止めてくれる人がいたら

どうでしょうか。

思い切り泣くこと、嘆き悲しむことは、健全な心をはぐくむためには

必要不可欠だと思うのです。

感情を感じることで、喪失で感じた心の傷は、回復へと向かうのですね。



声をあげて子どものように、泣く

そして、一緒に泣いてくれる人の存在

嘆きのプロセスには、他者の存在が不可欠です。

子どもならば、親、兄弟

大人なら伴侶、友達、親友でしょうか。


しかし①の場合の「喪失」を人生において

経験し続けた場合

喪失は、深い心の傷となっていきます。



心に傷を抱えた私たちは、自分の心を満たそうと

意識的であろうと無意識であろうと 日々何かを追い求め

遠いまぼろしを追い求めるようになることでしょう。



例えば、叶えられなかった夢を子どもに託したり

子どもの頃に埋められなった未消化の不安を、

現在と未来を不安で埋め尽くそうと 思考の方向性と生き方を決定づけたり



子どもの頃、がまんし続けたことを

大人になって、ギャンブル、収集癖(コレクター)、お酒(緩んだ気持ち)、煙草(赤ちゃん時代の口さびしさ)

お金、食べ物などで埋めようとすることもあるでしょう。


暖かい食卓を得られなかった人は、暖かい食卓にこだわるあまり

やりすぎて家族に辟易される場合もあるでしょう。


キーワードとして、我慢してきたこと、必要以上の現状への不安感、

先読み不安、暖かいものへの渇望、失う恐怖・・・


これらは、「今」の瞬間を、常に過去に引き戻す力を持っているのではないかと思います。

強く無意識が「喪失」の発見を本人に求めるがゆえに、

そこから離れられない状態を作りだしているのかもしれません。



同時に「自由な子ども心」の発動を抑え込み、

人の素直な感情をも奪っていく力を持っているのではないでしょうか。

(感情がその時の痛みのまま凍結されて保存されている状態)


私たちの人生は「失ったものを取り戻そうとする力」に振り回されることになります。

やがて、いつの間にか、一体なにを追い求めているのかさえわからなくなって、人生の迷い子になっていくのでしょう。

心に傷を負った私たちは、常に子どもの頃の喪失と共に生きているのかもしれません。

「喪失」からの回復は、失った自分の心(感情)を取り戻すプロセスになるのではないかと思います。
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