author : rinrin
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子どもに避けられる【不登校】
2011-08-31 Wed 16:58
①子どもと話をしたいけど

子どもが、親をさけている・・・

話すことを拒絶している


割に初期段階に多いパターンです


どうして、話し合いのテーブルにのってこないのか?

親御さんの疑問がありますね。


では、自分が、人と話すことを避けるとき

どういう状態の時が多いでしょうかと、逆を考えてみたらいいかと思います。


・どうせわかってくれないから


・正論で押さえつけられるから


・話し方に 責められる雰囲気があるから


・ほんとのことを言っても無駄だと感じてるから


色々あるんじゃないかと思います


では、どんな人となら、話したいと思うでしょうか?

そこが重要になりますね^^

一度、自分の話し方の癖を点検してみるのもいいかと思います。


次に、

②必死で訴えてくる

暴力をふるう、自傷行為、手を10分おきに洗う、トイレから出てこれない等々

そんな子どもたちもいます。



こちらは、子どもの容量をこえて

大人側が 無理やり侵入し続けた結果だと感じます。


たとえば、説教を7時間正座させられたらどう感じます?


限界を超えたところで


暴れたくもなるでしょう。


①のパターンは、

子ども自身が 臨界点に達しないように

原子炉に近づかないよう

自分を抑えようとしている状態でもあるかと思います。

原子炉(親)に 恐怖を感じている時ですね。

できるなら①の段階で、互いに話を聴ける状態になることが、

望ましいと思うのですが、いかがでしょうか。


長年家族の間で つちかった癖は、

自分だけでは、なかなかわかりませんね。


親御さんが変わるために、

私たちは、お手伝いをさせて頂いています。

無料でのお試しを設けていますので、

お話してみませんか^^
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ハンマーソングと痛みの塔 
2011-08-29 Mon 12:03
BUMP OF CHICKEN が歌ってます。




捨てたものを拾って詰めて 満タンに箱積み上げた

この情景は、ACさんが記憶の操作を行って
証拠集めをせっせと行ってる姿と重なります。


通りすがりを横目に見て 10個目の箱積み上げた

証拠集めの品々を自分を痛めつけると知りながら
積み上げてみた。
通りすがりの人々(母親)に、本当は助けて欲しい・・・
けれど、助けが呼べない
そんな葛藤の始まりを示唆しているように感じます。


そうか これでもまだ足りないのか 誰にも見えてないようだ
それじゃ どんどん 高くしなくちゃ 世界中にも見えるくらい


まだ助けを呼んでいる状態ですが、誰も振り向いてくれません。
方向が間違っていることさえにも気がつきません。

どんどん高く もっと高く
鳥にも届く痛みの塔
その天辺によじ登って 王様気分の何様


次第に 自分の立つ位置を勘違いしていきます。
俗に言う「万能感」ですね。
自分の痛みを積み上げながら 世間の感覚に違和感を覚え
それゆえに作り上げられる 「ACプライド」というものでしょう。

お集まりの皆様方、これは私の痛みです
あなた方の慰めなど
届かぬほどの高さに居ます!

きっと私は特別なんだ 誰もが見上げるくらいに
孤独の神に選ばれたから
こんな景色の中に来た


ACの自分独自の世界観を表していると感じます。
「こっけいさ」でもあります。
これを続けていると・・・どうなるでしょう。


下を見たら目眩がした
掛けたハシゴ、飛ばされた

そして本当に寂しくなった
誰にも見えてないようだ
声も出ないほど怖くなった



次第に孤立していきますね。
あまりに高く上りすぎて、自分に酔いしれすぎて
人と人のつながりを失うはめになります。
失ってはじめて・・・
本当の恐怖を知ります。
しかし・・・不安と恐怖の中に居続けることを
選択し続けていくのです。

下から順にダルマ落とし
誰かが歌うハンマーソング

「皆アンタと話したいんだ 同じ高さまで降りてきて!」


時に、そんな俺様に 声をかけてくれる人も
人生の中ではいたりします。
それでも、「やめて、壊さないで」と
抵抗したくもなります。

でも・・・だるま落としのハンマーは
証拠集めの入った箱を次々と崩していきます。

人と繋がるということは
古いこっけいな自分を崩し続けること、
新しい自分を見出すことなのではないかと思います。

動画のネコ様を 自分だと思って 見てもらえれば
なんだか、泣けてきますよ^^

おすすめの歌でした^^


他にもバンプの曲に
「K」という曲があります。
こちらは、子ども自身から本人が不登校で一番苦しい時に教えてもらった曲です。
この歌を聴くと、苦しかった中にも、
希望を失ないたくない・・・人を信じたい気持を失いたくないと
必死で葛藤していた子どもの心の内を今でも思い出します。
時間があれば、聞いてみてください。

実は、この歌の副題、hollynight が、私の昔の携帯メールの
アドレスに含まれていたんですね^^







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いじめ【不登校】
2011-08-27 Sat 12:53
いじめ【不登校】
「いじめ」で 不登校になった

そう聞くことがあります。


私の子どもの不登校の原因の1つにも

いじめ がありました




果てはアスペルがー?

なんて疑惑も・・・


また、その上の子は、不登校ではありませんでしたが

本音を言えない

友達とのつながりが出来にくい

まじめすぎ

適当がわからない


等々・・・

本人もかなり苦労しました。


これって個性?

いじめが原因?

学校制度が悪い?

残念ながら・・・

こんな子どもたちの体質を作ったのは 

まぎれもなくAC体質の母親である私

(なんてこったい!)

そこからが、自分が変わりたい!!と

私の再出発の節目でした。


もし、お子様が いじめを受けていると聞いた時

「逃げなさい」

とか

「あなたが、要領悪いからよ」

なんて、責めないでください。


子どもは、いじめを受けていても

いじめを通してしか 人と繋がれない悪循環状態に

陥っているです。


それほど、小さい頃から 孤独感を抱えて生きているということです。

負のストロークさえも、人とのつながりに使ってしまう・・・

矛盾してますが、

これは、幼い頃からの愛情飢餓からきた

その子なりの学びの結果だと言ってもいいかと思います。


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母親への投影
2011-08-24 Wed 11:08
カウンセラーとの関係が近しくなっていけば

クライエントは カウンセラーに

幼少時代に満たされなかった母親・父親像を投影します。


過去に養育者にぶつけられなかった怒りが噴出します。

他にも、見捨てられ不安感を強烈に感じたりします。


苦しい時期ですね。


反対に

独占したい気持ち

自分の欲求をかなえて欲しい

いつもそばにいて欲しい

かなえられない願いと知ってはいても

様々な気持ちを抑えられなくなるほどに

かつての幼い心は 理想の受け止め手(母親)を求めているのですね。


世の中に、そんな理想的な人はいないけれど

自分は、大切にされている

と思えるまで(自分と母親と折り合いを付けられるまで)

非常に苦しい時間が続きます。


長年放置されてきた満たされなかった幼い心が

母親を求めて、勘違いをしてしまうんです。


そんな投影が 怒りになってカウンセラーや

近しい人に向かったり

反対に独占したくなったりさせる心の仕組みがあるのです。


満たされたいという欲求を、さかのぼったら

幼い頃・・・母親から見てもらえなかった

ひざを抱えて泣いてる自分なんですね。


実は、このプロセスは、自分の軸を作るためには、

必要なことなんです。


小さな頃の、母親への愛着を

投影という形で追体験し

母親との葛藤(怒り 悲しみ 憎しみ 愛着 一体化)を経験し

やがて、さなぎが蝶になるように自分の羽根で飛び立って行けるのです。


カウンセラーは 自分の理想の母親ではなかった

でも、私を大切にしてくれる存在

それが 葛藤の行きつくところだと感じます。


そんな時は 兄弟姉妹の存在 たくさんの人の応援 支えが

生みの苦しみを緩和させてくれると思います。


 
投影は 誰もが多かれ少なかれ体験するものです。

恐れず、自分と対峙していって欲しいと思います。

夜明け前の暗さに、愕然とすることもあるかと思います。

でも、必ず太陽は昇ります。

自分を信じて 欲しいと心から願っています。

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学校に行きたい?【不登校】
2011-08-23 Tue 09:39
不登校の子どもさんたちと話すことが、時々あります。


学校に行けないのか

行きたくないのか

行かないのか


ということを自分の感情を明確に出来ないという

苦しさの中でもがいているのではないかと

そう感じます。


裏を返せば、

自分が何をしたいのか

それさえも 明確に出来ない 心の状態を表します。

特に初期段階に多く見られますね。



それなのに、

ただ、無理やり起こして

「学校へ行きなさい」

を連発マシンガンしても何も変わらないと思います。


問題は、

自分の心をありかを 明確にできないほど

苦悩しているということ



根本を知ろうとせずして、

表面だけを変えようとしても

問題は複雑化するばかりですね。

そうなるには、そうなるだけの理由があるのです。

暴れるには暴れるだけの 理由があるのです。

(それほど、追い詰められたということですね)

そして、暴れることで、子どもたちは、すっきりするどころか

さらに 自分の心を痛めつけていきます。



では、根本の問題は、なんでしょうか

いじめ?  先生の対応? 

勉強についていけない?


そうでしょうか・・・

では、学校を転校すると解決するのでしょうか

それとも塾に行けば問題は解決するのでしょうか


子どもたちが 自らの心を抑圧してしまい

自由で大らかな気持ちを失い

目の輝きを失ってしまった本当の理由を

置いてきぼりにしたまま

不登校・ひきこもりの問題が 解決するとは

私にはどうしても思えません。


根本を避けているうちに

時間だけが なんとなく過ぎていき

小・中学生だった子どもたちは、あっというまに

20歳、30歳と 過ぎていってしまうのではないかと思います。

20歳過ぎての子どもたちの苦悩は、親よりも

もっと深く複雑になります。

世間から置いていかれ、

同年代の子たちと普通に遊べない、共感できない

ニコニコしているようで 本当は心から笑えない

喜びもなく、躍動感も味わえず、達成感も無く

働く自力もない

次第に諦めになり、ただ 家の中で無為に過ごすしかなくなります。

そんな人生を 子どもたちは本当に望んでいるのでしょうか・・・

日々の現実が、子どもの心を苦しめます。


もし、子どもを 「愛している」と言うのなら、

この「事実」だけは、親御さんに しっかり認識して欲しいと思います。

私たちは、付け焼刃的方法でなく、親子関係の根本を

見直す必要を強く感じています。



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夏休み明けの期待と不安【不登校】
2011-08-22 Mon 23:00
お盆が過ぎて、急激に朝晩過ごしやすくなってきましたね。

学校へ行けない子たち、行けてる子たちに

平等に訪れる夏休みも、まもなく終わろうとしています。

不登校の子どもさんをお持ちのお母さん方も、

二学期から 行けるのか、行けないのかと

期待とプレッシャーがじわりじわりとかかってくる時期でもあります。

「夏休み、元気に遊んでいたから二学期からは行ける?」

「もう、充電できただろうから、行ける?」

「まだ、足りないのかしら、行けない?」

「行く? 行かない? 行く? 行けない?」

まるで恋に夢中の花占い


そんなお母さんの心の動きは、必ず子どもに伝わります。

お母さんの花占い加減に比例して

子どもの「心の内圧」の度合いが、決定づけられます。


中には、「私は、子どもに自分の気持ちを悟られないわ」と

豪語されている方もいるかもしれません。



が・・


子どもの「週末メランコリー」と

「夏休みもうすぐ終わるどよよ~んシンドローム」具合をみれば、

心を見抜かれているのは一目瞭然ではないかと思います。

だって子どもは、生まれて数十年、ずっと顔色を見つめてきたんですもの。

わからないわけがありませんね。

反対に、見抜かれていないという根拠を教えて欲しいくらいです


大人だって、一週間のうち、日曜の夜から月曜の朝は

気分はどんよりしますよね。

松岡修造のように「おい、仕事に打ち込め!」なんて一般人は無理^^;

「また、学校に電話をしなくちゃ」とか

「行くのか行かないのか、はっきりして欲しい」とか

なんだか、不登校の子どもさんよりも憂鬱になって

はあ~っと、ため息を無意識についたり。
(表情、しぐさ、言葉のトーン、雰囲気も含まれます)


一体親と子で、どっちが苦しんでいるのか よくわからない状態ですね。


不登校の子どもたちも同じく、

学校に行かなくても、週明けはどんより・・・

でも、子どもをよ~く観察していると、

週末が近づいてくるにつれて軽やかになっていきます。

これは、ただ単純に、お母さんの気持ちと連動しているだけだ

といっても過言ではありません。


親も子も 休み明けが、不安

不登校相談が 一気に増える時期でもあります。


高まる緊張感


ぐるぐる

なんだか、新学期が始まる前に、子どもたちは

すでに疲れ果ててしまいそうですね


夏休みに限らず、日常の生活の中でも

お母さん方は このような緊張感と期待を

子どもさんにかけ続けていること

それが子どもたちからエネルギーを奪い

疲れさせているのではないかと感じます



疲れ果てて寝てるだけならいいのですが・・・

親側のプレッシャーを子どもに与え過ぎると

壁をたたいたり、物を投げたり、暴れたり、

子ども側からの強烈な訴えに、発展してしまいます。


まずは、

長年続いてきた親子の緊張関係を緩めること

信頼関係の再構築

が先決なのではないでしょうか。

学校へ行く、行かないは、その後のお話しですね。

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アメブロ
2011-08-20 Sat 15:26
よろしければ、ご訪問ください。


アメーバブログ
@ゆるここ


最近、アメブロへの記事アップ回数が
多くなってきています。

お暇なら、どうぞ^^
別窓 | 日々徒然 | コメント:0 | トラックバック:0
時代【不登校】【AC】
2011-08-13 Sat 17:18
同じ題名で、記事を書くのは、二度目です。


私たち世代(昭和30年代)くらいまでは、

まだ、かろうじて人とのつながりがあった頃でした。

隣のおじさん、おばさん、親戚のおじさん、おばさん、祖父母

自分の家は、荒れ果てていたけれど

少なくとも、逃げ場所があった頃でした。

そこで、他人から かすかな愛情をもらったり

やさしさに触れたり

反対に怖いおじちゃんに怒られたり^^;

今の季節だと

祭りに出かけたり、幼い頃、窮屈な浴衣を着て花火大会にでかけたりした経験が
私の中に小さなきらめきとなって生きています。

そんな記憶も大人になっては忘れはて・・・



覚えていては、現実の家庭(実家)でのギャップに苦しむはめになります。

「私は不幸のままでいい。どうせ助けてくれないのなら
 余計なことをしないで」

悲しいねじれた状態で、思春期を経て、大人になっていきました。

「覚えていても辛いだけ」

それが、記憶を欠けさせる要因の1つだと気づいたのは、この数年。


確かにあったはずのものを

失って生きていくことが

どれほど不確定なことで、

生きる力を奪い続けることか

その仕組みに愕然とします。


AC回復の救いは無意識の中に埋もれた かすかなぬくもり

失くした輝きを取り戻す旅が、AC回復の道のり



しかし40年代を過ぎたころから、時代の様相は次第に変わっていきました。


果たして、現代の心を病み、ひきこもる子どもたちに
この輝きのかけらがあるのだろうかと危ぶみます。

私たち親世代と同じものを彼らに求めるのは
無理な気がしてなりません。

今、お役所が人為的に、地域交流の場所を作っていますが
そこに参加する子ども、または親も少なくなっていると聞きます。


もうひとつ、「時代」が変化したことで
失ったものがあります。

昔、お風呂はマキで焚いていました。
ご飯も、かまどでした。

火を起こしながら、その大変さを知り、いかに火を調節するといいか
工夫したものでした。

掃除も、掃除機などなかった時代。
ほうきで掃いていました。
どうやったら、ごみを効率よく掃きだせるか、
工夫のしどころ。

どこのおうちにも、家庭菜園がありました。
水をやる
肥料を調整する
草取りをする

非常に手間がかかることですね。

もちろん、私たち子どもたちも手伝いながら
生活すること、他者のために自力で動くことを肌で感じ
学んでいきました。

確かに面倒なことではありましたが、
それが、私たちの「自力」になっています。

我慢強さ
前に進む力
工夫する力
自分のために、そして家族のために
サービス精神
稼ぐ力


今は「自力」をつける場所はほとんどなくなってしまいました。

現代の子どもたちは、そういう中で生きている。

また、親世代が持っている「自力」は、
子どもを保護するために使われるという
なんとも、皮肉なことも多くなりました。

これでは「自力」を付けることを、阻止されて育てられた事と同じかもしれません。

そして「何をしても無駄なんだ」という無気力感


自分を生かす力も付けられないまま、大人になっていくのでしょう。


先日の子どもの虐待のニュースで、
「どうして、こんなことするんだろう」と
怒っているコメントを多数見かけました。

もっともですね。



でも、私は怒れないんです。。。

もし、私が今の時代で育っていたら
残念ながら、その親と大して変わらなかったと感じます。


子どもに、自力をつけることは、

これからの最大の課題になってくると思います。

私たち母親も、どう我が子の「自力」を引きだすか

正念場にきているのだろうと思います。

押しつけではなく、

子ども達の心の中に 失いたくない きらめきのかけらを

作って欲しいと思うのです。

そして、お母さんたち自身が持っている「自力」を、

子どもの力を奪う方向ではなく

与える方向で、伝えていって欲しいと願うのです。

これには、根気と忍耐とユーモアと柔軟性などが必要です。

なにより、子どもを見る力が必要かもしれません。




ひきこもりのままでいたい子どもは、誰ひとりいないと思います。

焦り、不安をごまかすために、ネットに夢中になっているだけのこと。

誤魔化しながら生きていくにも、人には限界があります。


出来るならば、

だれかの役にたつ自分でいたい 

生きる意味を見つけたい

心から楽しみたい

自由でありたい

心から願ってるのではないでしょうか。

「めんどくさい」

「たり~」

の言葉の裏側には、自力のなさを嘆く気持ちがあるはずだと感じます。

自由であるためには「自力」をつけるしかないのだと知っているけれど

「あきらめ」と「自力をつける」葛藤で

心がざわついているのではないかと感じてしょうがありません。


これからも「時代」は、もっと変化していくことでしょう。
しかしながら、時代に関わらず、
子どもと生活を共にし、密に接しているのは「親」だと思うのです。


子どもたちの自力を引きだす力、つけていきましょうね。

*どうやって?と聞かないで下さい。
 そんな方法、ありませんから。
 自分がどうやって自力をつけてきたか、そのことを
 さかのぼって考えることで、わかるのではないかと思います。
 自力で考えてみて下さいね。
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