author : rinrin
見えないものの力 [ 子ども・不登校の1年間 ](98)
2006-02-27 Mon 16:58

世の中には、目に見えるものと、見えないものがあります。

心の中では、見えないものの方が、見えるものよりずっと価値があると

分かっているのですが、そこは凡人、見えないと不安になります。

そして、余計なことを「あれ、これ」と過剰な思考が頭の中をめぐり

混乱し、疲れ果て、どうしていいか分からなくなってしまいます。

そういう時、ただ、こんこんと眠ってしまうのが、常でしたが。

特に、人付き合いに関して、非常に臆病な私は、

この、堂々巡りを何十回、何千回、何万回、やってきたことでしょう。

例えば、普通の日常生活における

「人を信じること」は、目に見えないわけですから、

親との関係性において、信頼を学ぶ機会が少なかった、私は、

今、現実に、ここに居て欲しい!と、非常に不安になるんです。

究極いったら、怒られてもいいから、そばにいて欲しいと願うわけです。

どうせなら、ゲームのように、信頼度、体力、能力のゲージが

目に見えたら、こんな楽なことはないと思うのですが、(笑)


ましてや、自分の気持ちさえ分からない、ACにとっては、

人付き合いは、究極に、怖いことなんです。

その度に、友達に電話をかけるわけにもいかないし、

夫に一日中、そばにいてもらうわけにはいかない。

ましてや、子供をお家に引き止めてもいけない。

このような、私が、やっと、友人たちと、食事しても

自然に会話できるようになったのが、7~8年前。

それまでは、人と食事をするのさえ、苦痛でたまらなかったのです。

が今でも、一緒に楽しい時間を過ごしても、別れたら急激に不安になります。

そこで、必要以上に、相手の役に立とうとして、

無理して、無理して、相手の考え方の先読みして、

相手に同化してしまうのです。

ほとんど、無意識的反応として行動化されます。

この癖は、依存性のなせる業ですが、これでは

いつまでたっても、自分が育たないのに、気づき始めたのも最近。

私は、まちがってもいいから、自分で選び、自分が感じたことを

表現したいと思うようになってきました。

そのためには、まず、自分を信頼できなきゃいけないのではないかと

思うのです。

その前途は、まだまだ、厳しいのですが。

いつかね、きっとね。そうなるよ。


また、最近、自分で自分を癒すという方法に出会えたことが、

一つの契機となりました。

そのワークで、自分の中に、小さな子供の存在があることに気づきました。

自分の中に、わけのわからない不安や、マイナスの感情が襲ってくるとき、

小さな子供が、「寂しい」という感情を持って、訴えてきます。

小さな子供が、うずくまって泣いているのを感じます。

大人の私は、「よしよし、いい子だね」と一緒に時間を過ごし、

「大丈夫よ」と抱きしめてあげます。

小さな子供が、落ち着くと、大人の私の感情も落ち着いています。

なんだか、不思議な感じがします。

今はまだ、この子に振り回される回数が多くて、手のかかる小さな子供だけれどね。

この小さな子供は、目には見えないけれど、確かに、私自身です。

きっとね、夫とか、友達に話したらね、

「病院へ行った方がいい」と、あきれられそうで(笑)、

そこが、ちょっと、現実生活では、辛いかな。


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