author : rinrin
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AC話(1) [ 子ども・不登校の1年間 ](125)
2006-04-25 Tue 14:09



AC話です。危ない方は、素通りお願いします。

  :::::::::::::::::::::::

不登校の我が子を見るにつけ、

いかに完璧思想に汚染されているか、

はっとさせられることが多いというところから出発します。


それは、思春期の非常に不安定な時期だということを引いたとしても

その、不必要な完璧主義は、本人を痛めつけているように見える。


このような彼の思考回路に寄り添いながら、

私自身、自分を振り返るという機会に、幸か不幸か、多いに恵まれます。

それは、私だけではなく、多くの子育て中のお母さんにとって、

そのような経験をすることは、日常茶飯事のことだと思います。

ある意味、このことは、親が親として成長する、

とても意味のある、いいチャンスになっていることもあると思うのです。

そこまで、ストイックに考えなくても・・・悩まなくても・・

多くの人から、そう言われたりします。(笑)


しかし、ACサバイバーの私にとっての子育ては、

子育て中におきる、感情を手がかりに、

自分の子供時代を、再体験しているような気もするのです。


なぜかというと、子育て中、子供との葛藤や、追体験の中で

それまで、私が小さな頃から、押さえ込んできた

得体のしれないパンドラの箱的感情を知り、その開放につながり

それは、自分の感情をわかるということの

第一歩になっていると気づかされることが多いからです。


俗に言う、「子育ては、自分育て」ですね。


この辺は、もしかしたら、健全な人には、

とても分かりづらいかもしれませんが、

私は、自分で自分の行動の意味がわからない

どうして、このように不安になるのかわからないという心の状態が

一番、苦しいのではないかと、経験から、思っています。


さらに、それによって、自分にも、他人にも被害が拡大してしまい、

一番大切にしなければいけない、自分自身を

痛めつけるしかないところに、追い込まれていきます。

そう、したくて、しているわけではありません。。。

そう、自分の意思に反してそうなるのです。

このパターンには、抗いようがありません。

それを、健全な人たちから、弱いから、とか、甘えているという言葉で

ひとくくりにされたら、本当に、情けない気持ちになります。。。


まあ、ここで、子供と出会えたこと、本当に

ありがたかったと心から感謝しています。



本当のことを言えば・・・私は、子供が好きではなかった。

そして、結婚してから、5年間は、子供がいませんでした。

それまでは、積極的に、そのような環境を選んだといえます。

しかし、いざ・・・そろそろ、子供を・・・と思っても

流産したり、お腹の中で死産して、だめでした。

そして、その後、2年間、不妊治療を受けていました。

子供が、欲しくても、欲しくても、出来なかったわけです。

どうして、そのように、急に子供を熱望するようになったのか。。。

(子供を欲しいという表現はあまり好きではないのですが・・・物じゃないから)


当時、義母や実家からの初孫に対する期待と圧力が相当なものでした。。。

このあたりの辛さは、不妊経験者は、

同じように、感じると思います。


また、未熟な私も、子供ができたら、全て、変ると思っていました。

そして、自分自身の空虚感を、子供が埋めてくれると

心のどこかで思っていました。

まあ、世間並みに、子供がいたら。。。という打算もあった。

愛情には、程遠いものだったと思います。

実際、第一子が生まれたとき、私は、

こころのどこかで「しめた!」と思ったんです。

これで、ふつ~になれる!。(ふつ~って、なんだよ!? 汗;)

そう思ったことは、確かにあるんだよ。

未熟な私が、母になった瞬間でした。

でもね、いろんな事を他にも感じたと思うの。


もちろん、打算もあったが、愛情もまるっきり無かったかというと

そうじゃない。

人って、いろんな、思考をする。

一瞬のうちに、3000個の考えが、浮かぶのだそうです。

そのうちの一つが、そのときの状態、くせによって

クローズアップされるだけのことです。

それらの思考のどれを選んでいくか、その人の、背景や状態に

多いに影響されるんだと思うのです。



この続きは、あした・・・かな?



で、最初の完璧思想について書きたかったはずなのに(汗;

このように、とんでもない方向へ、話は行ってしまったのでした。。。

----*----*----*----*

AC話【2】 [ アダチル的試行錯誤 ]
さて、待望の娘が生まれて、私の空虚感は、埋まったのだろうか?

第一子の、娘は、逆子のため、帝王切開で生まれました。

しかし! 今まで、乳児を抱いたことさえなかった私が、

突然、この手に赤ちゃんを授かったわけです。ましてや、子供が嫌いだった私です。

その惨憺たる子育ての様子、修羅場は、ご想像にお任せします(笑)


カラス、なぜ鳴くの~って、「カア~」って、私が泣きたくなる場面ばかりでした。

そのころ、アパート住まいだったのですが、独身や共働きの新婚さんばかり。

気がついたら、一日、誰ともしゃべって無いということも多かった。

そして、私の育児指南は、もっぱら、本や雑誌でした。

当時、ネットなどという手段は、一般的では、なかったし、

友達とも距離を置いてしまっていたので、「孤独」でした。


しかし、例に漏れず、子育ては、本の通りにならない!

子供は生き物だということが、根本的に抜けていたんだと思います。

私にとって、夫も子供も「家族をする」ための、

道具に近かったのではないかと思います。


「家族をする」・・・ほら、TVのドラマやCMであるでしょう?

幸せそうな家族。。。

だって、私には、家族のモデルが無かったのですから、

思い切り、理想の家族を頭で思い描いき、それを必死で演じました。


「こうあらねばならない!」


このACならではの思い込みは、以前からありましたが、

よりいっそう強化されたと思います。

そして、年子で、息子が生まれました。

さらに、修羅場です。


このころ、郊外に戸建てを購入しました。

これが、今の住処ですが、ここは、新興住宅地で、同じくらいの子供を持つ

母親たちで、あふれていました。

せっせと、公園へ通いましたとも。ええ、朝、夕・・・と。

こぼれ落ちないように、グループからはずれないように、どのお母さんも必死でした。

そして、私も必死でした。


そのうち、特に仲の良かった、お母さん方とお茶したり、

お互いの家を行き来しているうちに

一緒に、早期教育にはまっていったのでした。

まず、鈴木メソッド、それから、七田、

そして、ディズニー英語、ソニーの英語、くもん、えほん・・・etc.

乗り遅れないように、次々と高いものを購入しました。

そして、幼稚園は、モンテッソーリを採用している、カトリック系。(^^;
(幼稚園なんて、どこでもいいんだよ。今はそう思います)

夫は、反対するどころか、推進してくれましたので、

まあ、夫婦で はまり込んでいたわけです。

今、考えると、「はあ~、もったいない・・・」の一言に尽きます。



なぜ、そういうものに、はまり込んだか。。。

今だったらわかりますよ。(笑)


子育てに自信がなかったからです。

不安だったからです。

子供と直接向き合うことが、できずに

何かを媒体としてしか、子供と付き合えなかったのです。

何かを子供にさせることで、自分が安心したかったのです。


そして、周りのお母さん方と競うように

娘にはバレエ、ピアノ、息子にはバイオリン、水泳。

このころ、お母さん方の輪から、離れていった人もいます。

賢い人ですね~。(笑)



しかし、私の教育熱とは、反対に、

これだけ完璧に習えば、すばらしい子が出来上がっているはずなのに

子供たちの表情から、だんだん笑顔が消えていきました。

しかし、それさえも、気がつかない、馬鹿な親でした。


また、お母さん同士の付き合いの中で、特に仲のよかった、2人から、

お互いの悪口を聞かされることが多くなってきました。

最初は聞くだけにしておきました。

しかし、つい、同調してしまって、一緒に悪口を言う結果になってしまいました。

それが、また、お互いに誤解が誤解を生み、

3人の仲が険悪になってしまい、結局、ケンカ別れのような形になってしまいました。

このとき、知らなかったんです。


自分の境界と相手の境界線の境目を。


今では、申し訳なかったなあって反省しています。

一人は、遠くに引っ越していきました。

苦い思い出です。

しかし、それは、今だから、言えることです。


その後も、人の感情に巻き込まれる癖は、どうしても治りませんでした。

その事で、手痛い目に何度もあっていてもです。


なぜなら、私自身が、自分に一体、なにが起こっているのか分からなかったからです。

悔しいのですが、やはり、「相手が悪い」と責める気持ちの方が圧倒的に強かった。

今思うと、特に、一人のお母さんは、AC的要素が濃く、

「比較、コントロール」をチラつかせていたのではないかと推察します。

私にも、同じような癖があります。

これは、私が大嫌いだった親からされたことです。。。

それに、お互いが、見事に反応してしまったんですね。

はまってしまったというやつです。


また、子供に早期教育させているという、

私自身の愚かな、おごりがあったと思います。

完璧に・・・完璧な子育て=幸せな家庭


それは、自分の小さい頃には、かなわなかった夢であり、

ある意味、私の実家への復讐もあったと思います。

自分が得られなかった、家庭。

欲しくて欲しくてたまらなかった穏やかな家庭。

どうして、幸せな家庭ではなかったのだろう?

恨み、憎しみ、悲しみを心の奥に抱えこんで。。。。

そして、反対に、自分は、いい家庭を作ってみせる!という意気込み。

自分では、全く意識に上らない感情に気がつかないまま、

「こうありたい、こうあらねば、こんちきしょう~」

という気持ちが、焦りのように、早期教育に走らせたのだと思います。


「子供のこころ」を置きざりにしたまま、

私は、TVで見た、本で読んだ、CMで見た、

幼い頃かなえられなった「家庭」を夢みていたのでした。

「こうあるべきはずの家庭」を必死で作ろうと奔走したのでした。

そこから、はずれるなんて、考えるだけでも怖かった。


で、私の空虚感は、埋まったのか?

いえいえ、ますます、むなしくなっていったのです。

ええ、まわりのお母さん方に相談しましたよ。

しかし、反応は、

「病院へ行った方がいいんじゃない?」

「そうねえ、そういうこと、だれでもあるから」

「大変ね」

相談するときは、相手を選ぶという事をこの頃、私は知らなかった。

ACの方なら誰でも経験があると思います。

誰でもいい、「たすけてほしい」「自分をとめてほしい」

自分の空虚は、誰にもわからない。。。と。


私は、だんだん、このお母さん仲間を、嫌悪するようになっていました。

同時に、浮いていったんですね。。。

夫に相談しても

「気にするな」の一言で終わり。

そうか、気にする私がいけないのか・・・。


今だったら、暴れます~(ウソウソ^^;


これが、子供には非常に申し訳なかった、

小学校入学前のおはなしです。


もちろん、今では、早期教育なんて、くそくらえ!ですよ。(笑)

いえ、念のため、全てが悪いわけじゃないのです。

その動機と使用方法ですね。

薬も処方をちゃんと守らなくちゃいけませんね。(笑)

しかし、夫が影が薄いなあ~、自分で読み返したら、今更ながら、思うのです。


まだまだ、続きます~。
ふう~。

----*----*----*----*

AC話【3】 [ アダチル的試行錯誤 ]
埋めても、埋めても埋まらない空虚感。

これは、私の生育暦にも関係することでもあります。

物心ついてから、ずっと、

「人はどこから来て、どこへ向かうのか」が、私の心のテーマだったと思います。

「生きる意味」ですね。

後々、知ったのですが、AC傾向が強いと、自分の存在について

非常に疑問をもちやすいらしいのです。

小さい頃の、生育暦が、そのような方向に、思考をむけさせるのでしょうね。

その気持ちは、振り払っても振り払っても、湧いて出てくるのです。

でも、誰に聞いても、答えてくれる人はいなかった。


丁度、子供が小学校へ入ったころ、ACという言葉が爆発的に日本中に知られました。

それは、ACサバイバーの人たちに、熱狂的に受け入れられる言葉になりました。

そのかわり、妙な誤解も受けることも多くなるのですが。


その頃、私は哲学本、自己啓発本、簡単な宗教書を読み漁っていました。
(今では、さっぱり忘れてしまってますが・・・)

子供の通う幼稚園の教会にも通ってみました。

なかでも、シャーリー・マクレーンさんの自伝的本、

「アウト オン ア リム」によって、精神世界なるものを知りました。

ニューエイジと呼ばれる、思想の流れですね。

今でも、かなり、この本に影響されている部分が多いと思います。

また、やはり印象に残っているのが、橘由子さんの書いた

「子供に手をあげたくなるとき」と「アダルトチルドレンマザー」です。

特に前者の本は、著者自身の子育てを通して、

AC回路をルポ風に克明に分析されていて、

同じように、子育てをしている私にとって、

非常に参考になる本でした。


子供の教育に熱をあげる筆者と私が重なってみえました。

といっても、すぐに、路線を変えるということは、

融通のきかない性格なので、できませんでしたが。


さて、前置きはここまでで(まだ、まえおきかい!)本題に入ります。

この頃は、子供に対しては、高圧的で、厳しかったと思います。

また、子供の気持ちを汲むなんて、自分の気持ちもわからないのに

出来るはずがありませんでした。

ある新聞記事で読んだことがありますが

「人は、自分の感情を手がかりとして、

相手の感情を感じていくもの」という言葉があったんですが、

その通りだなあって思います。



ただ、ひたすらに

「こうしたら、こうなるはず!」

「こうすれば、こうならなきゃいけない!」

の公式にあてはめて、

それからはずれないよう、子供を囲いに追い込む母だったと思います。

結局、自分が親からされていた事と、なんら変りが、なかったんです。

ある人から、「マニュアル本みたいだね」と言われたことがあります。

その通りでした。



しかし、マニュアルでは、対処できないこともあったのです。

例えば、子供が泣くと、自分が痛い気持ちになる。

そして、理由もなく、イライラする。

だから、泣く子供を見たくないので、

子供を外へ出してしまったりしてました。。。(ごめんよ~TT)

そして、時間がたち、感情の渦が引いていくと

後悔で、がっくりして、自分を責めるのです。


これは、後々に分かったことですが、

「私は、小さい頃、親の前で、子供らしく泣くことさえ許されなかった」

という私の切ない思いが、子供の泣き声でよみがえり、

私の中から、イライラを引き出しているようでした。

そして、泣く子を前に

「私は、小さい頃、泣くことなんて許されなかったのに

 あんたはどうして、それが許されるの!」

そんな感じでしたか・・・。

子供の頃に消化できなかった感情は、無意識の嫉妬や怒りに形を変えて、

子供を感情で叱ったり、叩いたりさせたのです。

この分析は、後々に、理解できたことで、その時は

わけのわからない感情でしかありませんでした。

今ではちゃんと、自分の気持ちの出所がわかるので

一時、かっとなっても、どうにかこうにか

自分で処理できるようになってきました。

が、疲れていたり、油断すると、ACパターンが、出現しますので

まだまだですが(汗;

全く分からなかった、あの頃より、ずっとましです。




そして、私は、空っぽの気持ちを抱えて、

お母さん方と付き合いでは、適当にあわせることを少し学んだと思います。


しかし、心の空虚感は、ますます広がっていきました。

病院へ行くしかないのか?と自問自答しているところに

近所に、引っ越してきたのが、@さんでした。

子供が同じ年齢だったので、すぐに打ち解け、

会話をするようになりました。

私は、自分の気持ちを理解してくれる人に心底飢えていたので、

すぐに、自分の生い立ちや自分の空虚感、

人間関係でのトラブルをぐちりはじめました。

たぶん、会うたびに、同じようなグチを何度も何度も言ったと思いますよ。

時には、泣きながら。

誰かに、分かってほしかったんです。相手は誰でもよかったんです。

しかし、今まで、気持ちを分かってくれた人はいません。
(今なら、当たり前だと思っています)

ところが、@さんは、一緒に泣きながら話をきいてくれたのです。

これは、当時の私には、とても信じられないことでした。

「え?え~??人のために、泣けるの??」

@さんの涙ぐむ姿が、私には、非常に感動的でもあり、不思議でもありました。

そして、「つらかったね!」と共感してもらったこの経験は

「わかってくれる人がいたんだ!」

と、歓喜の気持ちとなり、本当に嬉しかったことを覚えています。

それから、彼女に全信頼を置いてしまった私は

寝ても覚めても、彼女の事を第一に考えるようになっていきました。


これが、依存の一歩、でした。

やがて、小学校に上の子が入り、そこで、@さんと一緒に

学級委員をすることになりました。

あたたかい@さんを通じて、仲間ができました。

ずっと、孤独で、さびしかった私です。

そりゃあ、もう、うれしいに決まっています。

PCは、もともと、データ入力の仕事を一時やっていたので、

小学校の配布文書を作ることは、苦になる仕事ではありませんでした。

@さんの片腕きどりで、どんどん外へ出ていきました。

有頂天とは、このことでしょうね(汗;


そのころ、私は、こんな会話を@さんとしています。

「どうして、そんなに人のことを、大事に思えるの?」

「自分の隣の人が、不幸だったら、自分も幸せじゃなくなるじゃない」


@さんの明快な答えでした。


「人は、なぜ生きるの?」

「自分の与えられた使命を果たすため」


そっか。。。これが、答えなのか?そうなのか。

それにしても、私のまわりで、このように、すっきりと答えをくれた人は

生まれてはじめてでしたので、非常に感動しました。

こんな私でも、生きる意味があるのか・・・と。

しかし、補足すれば、本当にその言葉の意味が分かってはいなかったと思います。

ただ、@さんのそばにいたかったというだけのことでした。

そして、彼女と同化してしまいたかったので

わかったような気になっていたのだと、思います。

自信のない私が、自分を信じて、前向きに生きる@さんが

うらやましくないはずはありません。

彼女のように、ふるまいたい、生きたい、と熱望しました。


~私は、親から生きるという根本を教えてもらっていなかったので

これは、もう、しょうがない出会いだったんだと思います~


しかし、心は、からっぽのままでした。

今なら、よくわかりますよ。。。

自分の中に、@さんを取り込んでしまっていたんですね。



これで自分の悩みは、消えた!

私は、成長したんだ!


そこには、劣等感から一転して、恐ろしい、傲慢と勘違いがあったのです。

今思うと、非常に恥ずかしいかぎりです。。。笑


そうやって、夫も、子供も、放り出して、私は@さんに傾倒していきました。

飢えた子供が愛情を求めるように。

それとは、反比例して、家庭に目が行かなくなっていきました。

もう、夫にも興味がわかなくなっていったのです。


そんな頃、上の娘に異変が起こり始めました。。。


         ~つづく~

このへんになると、現在の未消化部分があるので、
思ったよりきついなあ~・・・





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