author : rinrin
スポンサーサイト
-------- -- --:--
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
別窓 | スポンサー広告
怒り・憎しみについて [ AC ](135)
2006-05-28 Sun 14:38

少し、頭整理するために、書いていこうと思います。

過去の振り返り作業の中で、

もしかしたら、怒りの処理というのが

一番困難では、ないかと思ったりします。


「怒り」にも色々あって、

全てが悪いわけではないと、認識しています。

正当な怒りは、自分を守る役目もしますし、

弱者の怒りが、今日の行政を動かし、社会を動かすこともあるので

それも、決して悪いわけではない。

私がいわんとする、「怒り」は、

「憎しみ」に変るものを指しています。

で、憎しみについて、いろいろ調べてみました。


とある、HPで、憎しみについて、こう書かれていた。

自分のなかに、憎しみが増殖すると、
ついには自分自身をも攻撃してくる。
憎しみを溜め込むと、次第に、自分の魂、心が
損なわれてくる。

という趣旨の文が、目にとまる。


わたしの中には、仏となる部分も確かにあるのだけれど、

この、心の底に沈殿し、腐敗した怒りの残骸も、同時に存在する。

この怒りは、おそらく、今まで、自覚なしに、

溜め込んできたものである。


「怒ってはいけない」

これは、小さい頃、刷り込まれたフレーズ。

「機嫌よくしていなければ」

これは、脅迫概念。


そうやって、何十年も、ためにためたものたち。


そして、全く違う場所で、違う時に、

理由も無く怒りが噴出するのは、避けられない。

それは、いつ、どのように、出現するのか

本人さえも分からないでいる。
(今は、かなり、その出所をつかめてはいるが)

この言葉の通り、それら、憎しみは、私を蝕んでいく。

自己否定

自己世界滅亡







こうして、憎しみの鎖、憎しみの環が果てしなく続く。


その後、つらつらと考えたことですが、

書いてみます。


「怒り」について、まあ、色々、調べてみたのですが、

以前、水の結晶の本を読んだことあるのを思い出した。


知っている方も多く、おられると思いますが、

日本全国の水の結晶を調べて、写真入で紹介されている

「水からの伝言」という本です。


その中で、興味深い、水の実験があります。

一つの水には、毎日、「優しい言葉」をかけ

もう一つには、「毒々しい、ひどい言葉」をかけ、

その後の、水の結晶の状態を調べて比べた実験があります。


前者の水は、きれいなダイヤモンドのような

美しい形をしているんですね。

そして、「きたない言葉」をかけられた水は、

形状が崩れていて、見るも無残になっていました。

これは、音楽も同じだそうで、

モーツァルトや、バッハの音楽 VSハードロックでも、

同じようなことになるって、ありました。


水でさえ、人の言葉、音楽の持つ想念の力を

区別できるようです。

ましてや、人間は、

親から絶えず、汚い言葉でののしられていたら、

どうなるか、くらい簡単に想像つきます。

だって、人間の体の70%は、水で出来ているんです~。


まあ、そこから考えますと、

怒りは、自分を内側から壊し、

外側も破壊する力を持っている気がします。


しかしですね、それが分かったところで、

「では、今日から、怒りを捨てよう」なんて、

凡人の私には、簡単には出来ないんですよ。


先日も書いたように、

怒りは、決して、悪い面だけでは、無いと思っています。

問題は、怒りが、憎しみに変ることが、問題なのだと。


ふと、思ったのですが、

怒りは、数時間、あるいは、数日で、消えてしまうことが

多い気がしています。

しかし、憎しみというのは、時間的に、長い。

積年の恨みという言葉に表せるように、

積もっていく。


この憎しみが、精神的、身体的に、

影響を及ぼさないはずは、ないと思うのです。

内側から、汚い言葉、悪い想念で、

汚染されていくようなものですから。



で、憎しみは、どうやったら、消えるのか。。。

ここが、一番の問題でして。。。(汗;


で、普段はお休みしている頭脳を

総動員して、考えてみたのですが、

この憎しみというやつは、

一種の「執着」ではないかと、思ったのです。


要するに、相手にも、自分の苦しみをわかって欲しいと。


大体のところ、自分が関心を持たない人に、

自分を分かって欲しいなんて、切望しませんし、

相手に何らかの情緒的な関心があるからこそ、

分かって欲しいと思うのだと思います。


親に怒り、あるいは、憎しみがあるとすれば、

そこには、執着があってこその、

恨みつらみになるのではないだろうかと。


この執着というのは、

相手に、認めて欲しい、愛して欲しい、

そして、あなたも改心して欲しいという欲求が

含まれていると思うのです。


ということは、これは、やっぱり

共依存ですか~???


と、こんなところに、落ちてしまいました。


まるで、メビウスの輪みたいです。

一体、どこで、切ればいいんでしょうか。


この考え方は、間違っているかもしれません。

何か、まだ、見落としていることも

あるのかもしれません。

未完成ですので、あしからず。(笑)


また、中途半端で、終わった  やれやれ。

関連記事
別窓 | 楽天(不登校) | コメント:0
<<不登校を考える [ 子ども ](136) | 歩いていこう | 適応指導教室へ行くことを選択する [ 子ども ・不登校の1年間](134)>>
この記事のコメント
コメントの投稿
 

管理者だけに閲覧
 

| 歩いていこう |
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。