author : rinrin
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2007-12-30 Sun 01:06
いろんな人のブログを読むにつけ、自分の枠を超えるには、最終的には、信仰に行き着くものなのかもしれないと思う。

今、こっそりと興味深く読ませてもらっているブログがあるのだが、自分と真剣にむきあっている言葉の端々に、自分を超えるものへの呼びかけとも感じる言葉が出てきている。
自分と向き合うということは、もう一人の自分と対話するということなんだと思うのだ。
そこに、自然と信仰が芽生えてくるのは、当然と言えば当然かもしれない。

まあ、個人的に言えば、人は、もとを辿れば、仏の一部であるのだから、心が信仰、あるいは、自分の中の自分を超えたものに惹かれていくのは、自然なことでしょう。

そのブログには、「自分を生かすことで人をいかしていきたい」と書かれていた。

彼女も、いろんな自己啓発の本を読み、そういう類の言葉に多々触れてきたけれど、今の身のたけ分の理解で、その意味が理解できた気がすると書いていた。



そうなんだよね。
人をいかすことは、自分が犠牲になることではない。

自分を甘やかすでもなくわがままでもなく、逃げるでもなく、自分の感じた経験は、自分だけのもの。

私も、やはり、自分との静かな対話が、好きです
が、山にこもって修行ばかりしてばかりいるわけにもいかず、今は里に降りてきて、修行中と思えば、こんな自分も健気に頑張っているんじゃないかと思うのですよ。はい。
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