author : rinrin
スポンサーサイト
-------- -- --:--
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
別窓 | スポンサー広告
親への復讐
2008-03-28 Fri 23:21
混乱期、子供は、指示・命令を一番嫌がりますね。

指示・命令は、子供にとって、自分の思う通りに生きてはいけない、と子供に思わせます。
不登校でなくても、今の子供は、指示がなければ動けないと、嘆く教育者もいますけど、今まで、散々、指示・命令で、子供を自分の都合の良いように、動かしてきた先生や、親が、そういう風に子供たちを育ててきたわけで、育てたように、子は、育つと、いうわけで、別段、嘆くようなことでもないかと思えます。

指示をしなければ、子供は、だらしなくなる、社会に出てから、困るんじゃないか・・・
まあ、そんな心配も、確かにあるんですけど、不登校の時って、うちの子供もそうでしたが、なぜか、お風呂に入りたがらないんですよね。
部屋も、踏み場が無いほど。着替えもしない。昼夜逆転も普通のこと。
うちも、ただ、一日中、何かに取り付かれたように、ひたすらゲームだけしてましたっけ。
ゲームをする気力があるうちは、まだ、ましです。
時には、それさえもする気力もなく、ただ、ぐったりと、布団の中で・・・、何日も、眠らずに死人のようにしている時期もありました。

そして、安定期に入りかかった頃、息子は、最初のうちは、遠慮がちにでしたが、これが欲しい、あれが欲しいと、物欲に走り始めました。その要求の裏には、悲しいまでに愛情を欲しがっている息子を感じ、当時、家計は、苦しかったのですが、貯金が底をつくまで、要求に応えてやりたいと、思いはじめていました。あるいは、借金してでも!とも、思っていました。
実際、混乱期と安定期の狭間では、ゲームやCD、パソコンを、思う存分、惜しむことなく、買ってやっていました。これは、私が、子供に対する思いつく限りの、規制をはずしはじめた時期でした。

実際、この時期を、彼が今、覚えているかどうか、知りませんが、指示・命令で接していた私が、一旦自分の中の子育ての「こうあらねば」というものを、徹底的に排除した時期でした。

なぜ、私が、そうしたのか、はっきりと、思い出せないのですが、甘やかしたかったのです。
傷ついた子供を、一旦、自分の懐に、いれて、赤ちゃんのように、癒してやりたいと、感じていたと思います。だから、それは、甘やかしではないかと、言われても、そうだとしか、言いようがないのですが、一旦、赤ちゃんに戻った子供を、育てなおしていたんだろうと思うのです。
(私自身も、無意識とはいえ、甘えたい欲求、無条件に受け入れられることを息子を通して、一緒に享受していたのかもしれません)

今思えば・・・、この頃の彼の要求は、指示・命令に対する、親への復讐だったのではないかと思うのです。
「不登校を解決する50の方法」にも、やはり、同じようなことが、書かれていました。

もちろん、子供は、無意識にこれをやるわけですが、子供の心の奥深くに、自分が自分のままで受け入てくれない親への怒りが、潜んでいるんだと思います。

この怒りをいかに開放し、子供の滞ったエネルギーを、全身に蘇らせることができるか・・・
私は、不登校問題の回復とは、ここに、尽きるんじゃないかと思います。

また、この頃の彼は、起きたいときに起き、寝たいときに寝、食べたいときに食べ、非常に動物に近い感じがしていました。
人間の基本的な欲求を、ひたすら満たしていたような・・・そんな感じでした。
不登校当初は、この基本的な力さえ、彼は失っていましたから、次第に、食べて、寝るという、わずかな回復が、この方向で間違っていないと、密かに確信を持った気がします。

また、不安はあったけれど、私は、それを試行錯誤の中、ネットで、書くことによって、その不安を吐き出していましたね。

同時に、なぜ、私は、人をコントロール・操作したがるのか?
人に、執着するのか?
依存するのか?という、難しい、自分の課題にも、取り組みだしていました。

本能的に、息子の不登校は、私のアダルトチルドレン的な、傾向性に、深く関係していることを、感じていたんですね。


蛇足なんですが・・・この本は、結構、漠然と私が、現場で感じていたことを、言葉にしたものが多いのですが・・・

その中で、大切なことだと思うことをピックアップしときます。


@提案も指示・命令と変わらない

提案というのは、一見、よさそうに見えるのですが、それも、形を変えた、親の誘導にしか過ぎないと思います。
こうして欲しいなあという親の要求となんら変わりが無いと私も思っています。

子供が「~したいなあ」と言うだけで、何も行動を起こさない場合、そう言えば、親が喜ぶということを知っているからですね。

たとえば、いつだったか・・・息子は16になったら、バイクの免許を取るって言ってましたけど、16になりましたが、その後、本人が、音沙汰なしなので、私も、そのまま放置してます。聞きもしません。
本当に、自分の中から出てきた欲求か、そうでないか、見分けるのが、難しいとは、思うのですが、本当にやりたいことは、自分でやります。

そして、自分の純粋な欲求から行動したものだけが、経験として、蓄積されていくんですね。

この、「本当に純粋な自分の欲求」が、大切なんですね。

そして、子供が何時に起きるのか、何時に寝るのか、親が気にしていることも、子供は敏感に感じています。
このままだと、社会人になったとき、困る、と心配される方もいらっしゃるかもしれませんけど・・・
何時に寝ても、起きても、いいんだよ、という安心感を一旦、子供に戻して欲しいと思います。
でないと、起きる、寝るということに、子供が執着しはじめます。
そうしたら、ささいな事ですが、子供は、そこに、エネルギーを取られてしまいます。
貴重な回復期に、大切なエネルギーをそのような、細かいことに、逃すより、とにかく、溜める方向でいった方が、いいかと思うのです。
「好きな時間に、寝て、好きな時間に起きていいんだよ」そう言って欲しいですね。

食べ物にしても、そうかなと思っています。
うちも、かなり、体重が増えてしまいましたけど、制限はしませんでした。
好きなものを好きなときに食べてもらいました。特に炭酸ジュースは、サッカーをやっていたころは、肺活量が減るということで、一切、取っていなかった時期が3年ほどありました。その反動でしょうか、炭酸ものを、異常に飲む時期がありました。今でも、昔ほどではありませんが、その片鱗があります。
彼の中でも、「~してはいけない」という自分を縛るものと、「~したい」という本来の自分の素直な欲求を調整していたのだろうと、思います。

なので、食べ物も、制限することで、かえって、無意識に食べ物に執着してしまう要素を作ってしまう気がします。息子もひどい時には、夜中に、ごそごそと、冷蔵庫を開けたり、ご飯を食べていた時期がありました。
食べることで、何かを得ていたんだろうと思います。


まあ、そんなことを、思い出したので、蛇足でした。
関連記事
別窓 | 不登校を考える | コメント:0
<<お金に関する追記 | 歩いていこう | なぜ混乱するか>>
この記事のコメント
コメントの投稿
 

管理者だけに閲覧
 

| 歩いていこう |
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。