author : rinrin
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選択権
2008-05-27 Tue 09:46
いろいろ、過去の苦しかった状況を振り返ってみますと、

自分に選択権があるか、否か、、、と、自覚があったかということは

私自身のキーワードだった気がします。


そもそも、私自身が「選ぶ」ということが、昔から、非常に苦手でありました。

だから、どうしても、消去法で、選んでいた気がします。


これは、周りから、ダメだと言われる、或いは、思われるだろう。

この選択は、あの人の気に入るところではないだろう。

これは、あの人が欲しいと思いそうだから、私は、こちらを選ぼう。

「残り物に福があるんだよ」なんて、心密かに、言い訳してみたり。

まあね、それは、自信のなさの現われだったり、

自分で選択することを放棄するかわりに、責任というものから逃れられる方を選んだりという、

積極的な、「自分で選ばない」であったりすることも、多かった。

自分で選ぶということには、責任というおまけがついてくるからねえ。


だから、少々苦しい立場であっても、我慢しちゃう方が、楽だった。

「あなたのためを思って」

そう愛情深く言われた言葉に、抗えなかった。

でも、いつしか・・・次第に、

苦しさにも、蓋をしとけないようになって・・・我慢も限界になって、

自分のシンプルな「欲求」を、隠しておけないようになってしまい、

心を病んでしまった気がする。


私の引きこもりの時期は、息子の不登校と見事に重なっていた。

自分のそんな経験があって・・・、

からみつく愛情を、すごく、疑問に思いだした。

母のこと、友人のこと、サークルのこと、

一時期、心の中で、責めたりもした。


そして、引きこもり中、自分の「やりたい」と、欲求が出てきたことしか

私は、しなかったと思う。

あの頃、本当は、ひきこもりたかったのは、息子ではなく、私だったかもしれない。

それまで、外へ外へ、気持ちと体が向いていたのが、

一転して、内へ内へと変わった。

犬と、息子と、自分の生活。

ネットと、ゲームと、眠り。

おだやかな、小さい世界で、癒された気がする。

不思議に、焦りはなかった。


あの頃と、多少は、変わったのだろうと思うけれど、

大きく、意識に上っていたのは、

「自分が自分であること」だった。

自分が選ぶ。

自分が、好きなもの。

自分が、楽しいもの。

自分が嫌いなもの。

感情のひとつひとつを確認していった時期。

今でも、そのことは、続いているのかもしれない。

私は、「大好きだよ」と

そう、誰にでも、ストレートに言う。

(一応、危険なので、相手は選びますけど^^;


最近では、

犬の死を通して、ささやかながらではあるが、自分の気持ちに責任を取るということを学んだ。

失うことは、真に失うことではないと、わかった。





時々、人と語る。

自分の経験をもとに、話したりもすることもある。

でも、それを、押し付けはしない。

これが、正しいとは、言わない。

祈りもするし、応援もするが、心配はしていない。

選ぶのは、相手。

自由でいて欲しいと願う。

幸せであって欲しいと願う。


私は、人の正解なんて持っていない。

惑わされちゃいけない。

あるのは、自分の正解だけ。

その選択に、いいも悪いもない。


人は、自分の中に、ちゃんと、正解を持っているのだ。

ただ、ごちゃごちゃになって、片付けられなくて

大切なものが、埋もれちゃっているだけ。


そして、ちょっぴり楽になれば嬉しい。

考えるきっかけになれば、それでいい。

私は、息子をはじめ、家族、まわりの人には、そんな風に思っている。

私も、人から、そうして欲しいから。



私は、迷ったら、自分の守護精霊と、心の中で、会話する。

小さいはかない少女のようであり、

成熟した愛情深い女性のようでもあり、

力強い男性のようでもあり、

ふわりと暖かい、羽のようであり。


世迷言・・・?

でも、暖かいぬくもり。



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