author : rinrin
スポンサーサイト
-------- -- --:--
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
別窓 | スポンサー広告
どうして元気にならないの?
2008-06-03 Tue 14:27
↓小椋修さんのコラム記事をみながら、ふと、思い出したことがあります。
http://plaza.rakuten.co.jp/ogura/


確か、去年の冬だったと記憶しています。
私は、日々、波のある息子に、いらついていました。
元気かと思えば、ある日を境に、どんと落ち込んで、辛そうにして
暗い顔をしている。

その波の激しさに、私自身が、振り回されていたんだろうと思います。
また、落ち込み出したら、可愛そうなくらいな彼の姿、
それを、こんなに身近にいるのに、どう助けようもない、はがゆい気持ちになり、
つい、不用意に、息子に向かって、口走った言葉があります。

「毎日、好きなことをして、学校も行ってないし、こんなにゆっくりしているのに、
何が理由で落ち込むんだ?」と。

私は、理由を知りたかった。
私が納得したかったんですね。そして、安心したかったのです。
その結果、息子は、もっと、酷い状態になっちゃいました(_ _。)・・・シュン


そのまま、ありのままを受け入れるって、本当に、難しいことだと、痛感しました。
その時点でも、かなり、心の不要なものは、捨て去ったつもりでいましたが、
やはり、自分でも気づかない、捨てられなかったものがあったようで・・・


>ほんとうに「そのままでいい」のなら、アドバイスなんかいらないはずなんです。
>ほんとうに「そのままでいい」のなら、変わろうと七転八倒する必要はないはずなんです。
                                      (小椋修さん記事より

この状態から、元気になってくれ、という・・・いや、なるという保障が欲しいという希望でした。

息子に対する、希望なんて、もう、無いつもりでしたよ。その時点では。はい。。。
それから、色々、自分を反省したり、言動を振り返ってみたりして、
自分では、全く、自覚が無かったけれど、息子の状態は、私のこの言葉によって、
良くなるどころか、さらに、悪くなったということしか、分からなかった。

そのときは、おそらく、私は、そのメカニズムをはっきり、自覚していたわけではなかったのですが、
とにもかくにも、現実として、私の言葉で、立ち上がれないほどの落ち込みに陥った息子の状態が、

その言葉は、間違っているという事実を

認識せざるを得なかったのです。
それだけは、分かったのでした。


そして、ここ半年、やっとこさ、「あきらめる」というところが分かってきつつあり、
五月に、「諦めて」という記事を書けるまで、熟成できたと思います。
私が、今までの過去に培った価値観で、行動したり、言葉を発したりするとき、
その行為が、息子を苦しませるということが分かれば、私は、すぐにそれを
そりあえず、手放すように、今まで、やってきました。

通用しないんだから、持っていても、しようがないわけですしね。

で、意味づけは、後から・・・というのが、私のやり方なのかもしれません。

その答えが、「あきらめる」ってことです。
文字にしたら、なんだか、捨て去ってしまうような・・・
そんな感覚がしますけれど、
決してそんなことはないんです。

何も、相手に、希望しない、望まないってことです。
でも、いつも、見てるよ、愛してるよということです。

まるで、神様の愛みたいですねえ(笑)

これって、小椋さんも、書いておられますが、
仏教の中道精神みたいな感覚に近いですね。

自分の辛かった過去も、そうですね。
両親や夫との葛藤、なども、いつまでも、根にもって
「愛してくれなかった」と恨み言を持っていても、もう、しょうがないじゃん。
いい意味で、「あきらめよう」と、なるんですね。

話は、戻りますが、

「いつかは、ちゃんと、育ってくれるだろう。自立してくれるだろう」
な~んて、思わないってことですね~。

人っていうのは、「今の自分を受け入れてもらえて」はじめて、
未来を夢見ることができる、エネルギーがたまるのだと思うのですよ。
難しい理論は、私は、わかりません。

ただの、経験から得た、私が感じた、事実です。

私が、引きこもっていた時期に、「がんばれ」とか、「早く、元気になってね」
という言葉は、私には、疲れることばでした。

確かに、人生で、頑張らなきゃいけない時期というのはありますが、
その時期は、あくまで、本人が決めるのことです。

自分が、自分の人生に期待したり、希望を持つことは、
健全なことだと、思うのですよ。
ただし、期待も、希望も、すべて、本人のものです。

奪ったり、乗っかったり、へし折ったりする期間が長くなればなるほど、
それこそ、本当に。。。
辛い時期が長引くのではないかと、思っています。


私自身も、ある友人との共依存の葛藤で、非常に苦しんだ時期、
「もう、私のことは、あきらめてくれ」と、
そう、本気で願わずにはおれなかったほど、辛かった。
そういう経験が、息子とリンクしていた。
それを理解しながら、
私の中で、いろいろな事が、少しずつ、腑に落ちてきたのかもしれない。

息子の不登校は、私の回復でも、あったわけです。

これからも、まだまだ、捨て去るものが出てくるでしょうね。
子どもが、見せてくれる今の姿が、今の私の心の姿です。



*☆*゚・*:.。. .。.:*・*☆*゚・*:.。. .。.:*・*☆*゚・*:

息子さん、土曜日は、どんぐり村へ、学校遠足でした。
雨が降れば、長時間歩かなくてすむのにと、雨乞いをやっていました。
その甲斐もなく、当日は、きれいに晴れた日でした。(笑)

娘は、吹奏楽部で、いざこざがあって、ここ数日、くらい、くら~~い^^;


先週の日曜の夜、仕事が終わってから、
ナルニア国物語第2章を見に行きました。
一章より、かなり良かったです。
原作者の意図が、よく出ていたわ。

アスラン「どうして、私の姿が見えたのに、早く私のところに会いに来なかったのかね」

ルーシー「だって・・・怖かったんですもの。ごめんなさい。私が、もっと早く、アスランに会っていたら、
みんなが、たくさん、死ななくて良かったのに・・・」

アスラン「過ぎたことは、もういい。大切なことは、今からどうするかだよ」


信じることが出来なかったために、アスランに再開することが遅れて、多大な犠牲を出してしまった王女と、アスランとの会話が・・・なんとも、ジンときました。

関連記事
別窓 | 不登校を考える | コメント:0
<<ひきこもりたい私 | 歩いていこう | ランキングに参加してみた>>
この記事のコメント
コメントの投稿
 

管理者だけに閲覧
 

| 歩いていこう |
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。