author : rinrin
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他人のアラが気になるとき
2008-08-05 Tue 10:12
職場、家庭、地域にて、

人のアラが、気になって気になって、

そこに、気持ちが囚われてしまうことがあります。


長年の経験と、いろいろな本、霊的な知識より、

それらは、結局のところ、自分の中にあるものの延長線に、つながっているものと

ご存知の方も多くなったことと思う。




4次元以降の世界では、

「愛せずにはいられない」という世界。

我が魂も、かつて、そこに、存在した。

どのような方でも、今、現在、生きている方であれば、

かつて、4次元以降の、愛を基調とする世界を、

心の奥底では、もれなく、知っているはず。

葛藤もなく、悪と呼ばれるものもなく。

ただ、思いの世界。

念じれば、通じる世界。

すべて、透明で、お見通しの世界。

ただ、忘れているだけ。


こんな例え話がある。

地獄の住人は、いつも、飢えて、やせ細っている。
天国の住人は、色つやもよく、幸せに満たされている。

しかし、両方とも、同じだけの食べ物がある。
この違いは、何か?

地獄の住人は、先を争って、食べ物を奪い合う。
天国の住人は、まず、相手に、食べさせようとする。


それだけの違い。




この、3次元では、どうだろう。

わが身を振り返ると、どうも、地獄的な生き方が多い。

なんと、不自由な世界だろうか。。

肉体に、かぶせられた、他人の思考は、不透明であり、

霞のむこうに、ぼんやりと見えるだけ。

そんな中で、自分の器としての、肉体を守らねばならない。

次第に、物質がすべてと思い込まされる。

3次元的、物質的な思考回路とでも、言いましょうか・・・。

目に写ったものを、そのものと思い込む。

耳で聞いたものを、全てと思い込む。

そして、心が、閉じていき、狭い隙間穴から、

世界を恐々と、のぞき、それが、世界の全てだと思い込もうとする。

人と人は、分断され、遮断されていると、感じる。

違和感のある、孤独を感じながら、しかたなく集団に身を置く。

そうしながら、天国的なこととは、縁遠くなり、

不信、拒否、嫉妬、苦しみに、悩まされる。

自分の思い込みの世界へと、はまり込む。


この世は、よくなりたいと願っている。

未来永劫、愛へ向かい続けている。

でも、止まった時間の中の、小さな穴から見えるものは、破滅。


この世は、トラップだらけ。

どうして、こんなにトラップが多いのだろうと・・・

こんなはずじゃなかったのにな。



どん底に落ちて、はじめて考える。

わが身を振りかえる。

こんな生き方をしたかったのだろうか?


他人のアラが気になるとき。

気になって、気になって、しょうがない時。

それは、自分の姿。


私は、このようなものでは無いと、

高いところから、いくら叫んでも、

やっぱり、姿は、自分と同じ。

バランスを崩している自分の姿。


怒りには、怒りを。

否定には、否定を。

悪言には、言い返し、ねじ伏せ。

復讐し、自分の正当性を納得させる。



それでいいのだろうか?

目には、目を、歯には、歯をの時代は、もう、終わっている。

血と肉を、傷つけあう時代は、もう、終わりにしたいと、

誰もが、心の奥底で思っているはず。

でも、おのれの無力の時代が長すぎた。

無力の時を、あきらめにしてしまった。


では、相手が変わったら、私も、変わろう?

相手なぞ、一ミリたりとも、変わっちゃくれない。

そもそも、変わりたくないのだから。


子どもを変えよう、家族を変えよう。

職場を変えよう。


無理。


結局、変えられるのは、自分しかいないわけだ。

自分の自由になるものといえば、自分しかないわけだ。

自分以外のものを、変えようと思うのは、執着。

自分の正当性を表現するために、

人を変えようとするのは、思い上がり。


まわりの人々は、結局のところ、自分の姿を映し出してはくれるが、

自分そのものではない。


互いに、自分の棘を削り取る、砥石。

それぞれの役割をはたしているだけ。

相手の課題は、相手のもの。

自分が問題と感じたものだけが、自分の課題になる。



たずねられたら、こう言おう。

「私は、こう感じている」とだけ。

受け入れるのも、受け入れないのも、自由。


私も、自分の、役割を果たすだけ。

それぞれの課題。

課題の順番が違うだけかもしれないね。

30番から解く人もいれば、87番から解く人もいるだろう。

または、前世で、30番は解いているかもしれないし、

今世では、32番あたりから、始める人もいるだろうし、

来世で、63番をやる予定の人もいるのだろう。

それだけのこと。

今だけで、相手を判断しないことだ。

それは、相手の神に任せればいい。

一年たっただけで、変わる人だっている。

変わらない人も、いる。

無用な期待をしないことだ。

期待は、自分にかけることだ。





浮かんだ思考をつかまえて、

言葉にする。

うまく、的確に言葉にできないもどかしさ・・・。

修行が足りませぬね。



職場でね、

今まで、仲良しで、やってきた人たちがいるのだけれど、
先日、そこから、離脱すると、宣言したのね^^;

だからと言って、嫌いになったとか、もう、しゃべらないとか、
(そんな子どもじみたものじゃないっす)
別のグループに入るなんて気は、毛頭ないのですけれど。
喧嘩したわけでもないし、仲はいいしね。^^;

ただねえ、そのグループ内で、思考が、固まってしまい、
物の見方が、一方向になったり、
自由に動けない弊害の方を危惧した。
固まって、仲良しごっこというのは、
どうも・・・窮屈で。

たぶん、あたしは、飼いならされるのは、
嫌なんだろう。
それは、あたしの、素養だね、たぶん。

全体を見る力をつけたい。
一点集中の時期は、もう、終わった。

油断すると、すぐ狭くなる、隙間穴。
これも、訓練か・・・。


長くてすみませんでした。
読んでくださって、そして、貴重な時間を下さって、
ありがとう。

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