author : rinrin
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【エクササイズ物語】3.正常な乳児期と成育歴の調査
2008-10-05 Sun 02:17


  平安の祈り

神さま、私にお与えください

自分に変えられないものを受け入れる落ち着きを

変えられるものを変えていく勇気を

そして二つのものを見分ける賢さを





**********

●正常な乳児期

参考文献(ジョン・ブラッドショー)インナーチャイルドの癒しより


私たちはこの世に現れた時、はっきりとした欲求を持っていました。

乳児期には、この世に歓迎されることを必要とします。

私たちの鏡となってくれる(共感すること=ミラーリングという)
養育的・母親的な人との絆を必要とします。

乳児期がいわゆる共生段階といわれる理由は、
私たちが母親またはそれ以外の生存に欠かせない人との、
共生(共に依存し合っている)関係にあるからです。

私たちは自分について知るために、
そして、生きものとして生きるという基本的な欲求を、
満たしてもらうために依存しています。

この時期には、人は分離されていません。
それは私たちが、自然にあるいは無意識に自己と一体ではあるけれども、
自己を反映することや自分に「自己」があることを知る能力がないことを意味します。

ですから、自分を反映する鏡となる目や、反響の声を母親から得なければなりません。

それによって私たちは「自分らしさ」を発見します。

私たちは「私」になる前に「我々」だったのです。

生命は存在の真の融合で始まります。

私たちの運命は、偶然にも私たちの母親となった人にゆだねられているのです。

「揺りかごを揺らす手」が子どもの世界全体を揺するのです。

母親が私たちのためにいてくれたら、私たちは彼女と絆で結ばれていたはずです。

この絆は「人と人を結ぶ橋」を創造します。


人生の初期には「私はあなた」で「私は別の人」、

つまり、あなたはあなたの母親と纏綿状態になっているのです。

あなたは母親が感じることを感じています。

母親がうんざりするとあなたもうんざりするのです。

あなた自身についても、母親があなたをどう感じているかを感じるのです。

乳児期には感情が第一です。

母親がどんなに母の役割をうまく演じているかとは関係がありません。

母親が実際にその子をどう思っているかにかかっています。


*****

◎親業 - 最もハードな仕事

良い親であるということはきつい仕事です。

それは私たちが経験する仕事の中で、

最もハードな仕事であると思います。

良い親になるには、精神的に健康でなければなりません。

自分の資源を使って自分の欲求を満足させる必要があるし、

そのプロセスであなたをサポートする配偶者か重要な他者が必要です。

何よりも、

あなたは自身の傷ついたインナーチャイルドを癒しておかなければなりません。


あなたのインナーチャイルドがまだ傷ついていれば、

この怖がりのわがままなインナーチャイルドが子育てをすることになります。

自分の両親があなたにしたように、

あるいはまったく逆のやり方で。いずれの方法をとろうとも、

あなたは傷ついたインナーチャイルドが夢みた完壁な親になろうとするでしょう。

しかしながら、

ただ逆の方法をとるだけではあなたの子どもにとっては、

同じようにダメージになるのです。

病気の180度反対側にあることはまだ病気である」ことです。


ここではっきり言っておきたいのは、

私は誰の親も非難していないということです

彼らは、傷ついたアダルトチャイルドで、

大変難しい仕事を一生懸命しているのです。

私の場合、両親は教育学的には悪いとされていたにもかかわらず、

しばしば正しいことをしました。

私の母は時間を決めてミルクを与えるのはとっても苦痛でしたが、

専門家がすすめるようにしたと言います。

彼女にとってはそういった専門家の助言を無視して、

こそこそとミルクをあげて泣きやめさせるのも苦痛なことでした。

しかし、そうする時は彼女にとって、

私を救う、優美な瞬間だったのです。

それらの行為は、育児の基本を理解していた、

彼女のワンダーチャイルドに動機づけられたものだったのです。


*****

◎感情の放棄

機能不全の家族システムで育つ子どもは、

誰でも感情の欠乏や喪失を感じるようになるでしょう。

感情の放棄への自然な反応は、

心の奥深くにしみ込んだ怒りと痛みを生み出す、根強い中毒性の恥です。

乳児期にこれらを悲しむ術はありません。

あなたのそばにいてあなたの苦痛を認めてくれる人は一人もいませんでした。

目が真っ赤になるまで泣いた時、

不正に対して激怒した時、

抱いてくれる人はいませんでした。

生きるために最初の自我防衛が生まれ、

情動のエネルギーは凍結され、未解決のままなのです。


あなたの満たされない欲求は、乳児期以来、満たされるためにあがいてきました。

近くのバーに行ってごらんなさい。

アダルトチャイルドたちが鼻をすすり鳴らすように泣いている声が聞こえるでしょう。

「のどが渇いた、私は切望する、愛されたい、私をかまって、絆が欲しい」と、

歌っているのです。

*******


これらの文章は、Tatsuさんを通じて、もたらされました。

クリスチャンなら誰でも知っている、「平安の祈り」は、そのころの私にとって、

心の支えにもなりました。

そして、機能不全の家庭で育った私には、

普通に育つという感覚が、まるで、わからなかったゆえに、

この、ジョンブラッドショーの、乳幼児期の説明は、

非常に、参考になりました。


おだやかな家庭というものは、こういうものだったのだなあと、

文章を読みながら、自身がついぞ、得られなかったものへの、

喪失を思い、なきじゃくりました。

アタシノ 生まれてきた イミは、ナニ。



それらの読み込みの作業を終わると、

乳幼児期の、成育歴の情報を集めることが課題として

与えられました。


生まれたての頃というと、普通は、覚えていないので、

写真、聞き取り調査で、その頃の家庭状況等を、

考え付く限りの手段で、収集した。



ちょうど、実家に帰るというチャンスがあったので、

その折に、親から何気に、聞きだしてきた。

以下は、私が書いた成育歴のレポートです。

これは、間違っていても、いいのです。

この作業自体に、意味があるのだと、後に、理解できた。



●乳児期の生育暦の調査(生まれたての頃)
   
 ★父親について
   
  1.祖父(父の父親)は、文学的なものが好みだったが、酒癖は悪かった。
    養子に入って、祖母と結婚。
  2.祖母は、気の強い人、わがままだった。
  3.父親は、9人兄弟の3番目。昭和9年生まれ。
   ・尋常小学校を卒業して、すぐに、海での漁師手伝いをする。
   ・「長男がとても大事にされ、あとは、働き手」だったため、
    自分は、親からないがしろにされていたと、よく、祖父の愚痴を言う。
    そのためか、兄弟同士、いつも、何かしら、トラブルを抱え、
    いがみ合っていた。子どもの私から見ても、兄弟仲は、悪い。
    特に長男に対して。

   4.その後、祖父が、工場をおこし、それを手伝う。
   5.結婚と同時に、地元を離れる。
    そこで、祖父の後ろ盾を受け、工場をはじめる。   

★ 母について
   
   1.満州鉄道に勤める、祖父だったので、満州で7歳(終戦時)まで過ごす。
   2.経済的には、苦しくなかったように思われる。
   3.満州から帰国する途中、数歳年下の兄弟2人を、栄養失調で亡くす。
   4.帰国してからは、祖父は郵便局、祖母は、子育てと家のことに専念。
   5.その後、2人の兄弟が、生まれた。
     母とは、年が一回り以上離れている。
     母は、高校を出て、電話局(現在のNTT)にて、交換手として、働く。
   6.21歳で、お見合い。(私の父親の兄夫婦がとりもった)
   7.結婚と同時に、故郷をはなれる。23歳で、私を出産。
   8.祖父は、がんこ、無口。祖母は、愚痴っぽいが、愛情の細やかな人。

★ 自分自身について
196○年●月○日生まれ   
   
・新生児のとき、健康優良児で、表彰されたらしい。
(昔は、赤ちゃんの栄養状態が悪かった為、市町村で子供の健康を
促進するためにそういう制度が存在したらしい)

・親の話では、おとなしく、ぐずらない子だった。
   
・親が自営の仕事のために、秋口から冬にかけて、一番忙しかった。母は、住み込みで働く、働き手のために、食事を作ったり、夜も昼もなく働いた。父も、まじめに働き、高度経済成長の中、必死で生き残ろうと、がんばっていた。
反面、友人たちと、食べたり飲んだりして、遊ぶのも好きな人だった。
 外では陽気な人ではあったが、結婚当初から、うちに帰ると、お酒が入ると、家族に暴力、暴言があったようだ。
  それは、私が、母のお腹にいたとき、父から、突き飛ばされたことがあった
という母の言葉からも伺える。
    
また、新婚旅行の時の、暗い顔の母の写真は、車の中でケンカした後らしい。    
お見合いだったが、本当に望んだ結婚では無かったと、後に母は、言っていた。    
 「○○さん(仲人さん)に、強引に押し切られて・・・断れなくなった」
もう、新婚旅行の、その時、すでに、そう思っていたのだろうか?
丁度、一年後に生まれてくる、私という存在。
それを目の前にして、そう思っていたのだろうか?
母は、私を望んだのだろうか?      

コウカイ、シタノ?
        
・当時の母子手帳に、私が生まれたのは、母の実家の近くの病院だったので、父は、遠くから、山道をバイクで 雪の中でも、ちょくちょく顔を見にきてくれたとのことが記されている。
 几帳面な母らしく、細かに、父のことや私の様子が書き込まれている。
 私が生まれてきたことを、喜ぶ父母の姿が、垣間見られたので、
かなり、嬉しい感じを受けた。よかった。
        
・父母が仕事で忙しい時は、母の実家の祖母が来てくれて、よく私の面倒をみてくれていたようだ。
・当時、洗濯するために、母は、小さな私を背負って、川や、共同井戸へ
    行っていたらしい。
    
・自営だったので、まわりには、雇い人さん、祖父母、近所の人とか、
 たくさんの人には、囲まれて暮らしていたのではないかと思う。
・経済的には、不自由していなかったと思う。
・お金をもうける事が、父親が、祖父に認めてもらう、
唯一の手段だったのかもしれない。
   

・後に、母の実家が武士の出自ということで、
夫婦けんかの度に、父が、そのことを、けなしていた。
また、学歴差にも、母にコンプレックスを感じていた。
この頃から、普段の夫婦ケンカは、暴力は、日常茶飯事だったようだ。    

・父母の話だと、赤ちゃんの頃は、私は、サークルの中で、おとなしくして
あまり泣かない、手のかからない子だったらしい。
写真では、モノクロのため、暗い印象があるが、
その写真を見ると、胃がつかえるような感じを受ける。
    
もうすでに、この頃、怒りがあったのだろうか。
恐怖だろうか? 寂しさだろうか?
不安感。


*****



このように、成育歴を書き出したのち、信頼する人と、シェアするということも、

大事なことです。

分かち合い、共感を得るということは、

人としての、基盤を強くしてくれます。

読んでくれる人がいるから、

待ってくれている人がいるから、

一生懸命、書きました。


この時点で、私は、Tatsuさんに、依存しはじめていた。

親のように。。。

本当に、依存を克服できるのだろうか・・・




それとは、別に、

成育歴を書き出しながら、当時の自分を取り巻く状況が、

洗い出されると、その中で、自分が、小さな小さな無力な赤ちゃんであり、

まわりの状況と、自分の本来の個性や気持ちは、別モノであることが、

分かり始めました。


生育歴を書くというエクササイズは、

客観的に、自分の状況を見るという、

そういう、エクササイズではなかろうかと、思うのでした。



また、記憶はないものの、魂レベルで、「感情」は、その時のことを、

記憶している、ということを、体験できたことは、収穫でした。

なぜなら、ただの事実の調査で、あるにも係わらず、

この作業の中で、なぜだか、涙がこぼれてくるのでした。

私は、文字を打ちながら、


結婚したばかりの母親になり、

親に愛されなかった父親になり、

この世に生を受け、愛されたいと願った赤ちゃんの自分を

愛しく思い、

涙がこぼれるのでした。



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