author : rinrin
スポンサーサイト
-------- -- --:--
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
別窓 | スポンサー広告
【エクササイズ物】10.歩行期のチャイルドの怒りの昇華
2008-10-12 Sun 23:53
この頃から、少し違った瞑想法を試してみた。


ジョンブラッドショーの瞑想誘導法は、

恐らく、私には、現実すぎて、イメージしにくいのではないかと、思ったのだ。


そこで、ハイヤーセルフと出会うための瞑想法を、

本で読んで知っていたこともあって、(成功したためしは、無かったが)

それをアレンジして、ダイブしてみる。


最初に、そのイメージを何回も、頭の中で、繰り返してみた。


かなり、いけそうな感覚を捕らえた。





古びた扉をイメージ。

扉をゆっくり開ける。

地下へ続く石の階段。

地下へ一段ずつ降りて行く。

アファメーションを声に出してみる。

ずっと、下へ、下へ、下へ、降りて行くと、

(降りながら、深く心の中へ入っていくイメージで)

地下の石の狭い一室へたどりつく。

中央の、丸いくぼみに、聖水が涌き出ている水たまりがあった。

ほの暗い、この部屋は、私以外は、誰も入れない場所。

安心できる場所。


その聖水の中へ足を入れる。

そこが、第二の扉。




庭に座って、土をいじっている、チャイルドが見える。

ゆっくり、背後から、近づいてみる。

チャイルドに、イメージとして、私が、チャイルドに望んでいることを伝えた。

チビ私は、振り返り、理解したのだろうか・・・


このとき、チャイルドに、私が、伝えたことは、

一番、悲しかったところへ、連れていって欲しいと頼んだのだった。


場面が変わった。


古い家。

夜。。。

父と母の、喧嘩の現場。

父が母と、もみあっている。

母が、何か叫んでいる。

父が刃物を持って、母に向けた。

母は、泣き叫びながら、土間から外へ、裸足で出て行った。

うす暗い部屋の中で、泣いている私。

私に、「お母さんはもう帰って来ないかもしれない・・・」と言った父。

絶望の感覚。

強烈に蘇る、思い。

あの時、何もできなかった小さい私。

私は、無力だった。

土間の外へ消えた母。

土間の向こうは、夜の魑魅魍魎が、

うごめいている場所。

しばらく、呆然と、していた。


長い、時間が過ぎた。


やがて、大人の私は、チャイルドを抱き上げた。

チャイルドは、もがき、ゆがんだ顔をして、

手にしていた小枝で、大人の私の胸を刺してきた。

何度も何度もザクッザクッと刺してくる。

とても生々しい感覚。

血が流れる。

痛みが流れる。


チャイルドの行為にも、ショックを受けながら、

チャイルドから、「殺意」が流れ出るのを感じたのは、勘違いだったか?




体中に力が入り、大人の意識の私も、パニックになった。

怒りが爆発するようにこみ上げてくる。

急に、怖くなって、思わず、瞑想を中止した。

しばらく動悸が収まらなかった。

これから、あの子をどうすればいいいんだろう。途方にくれる。


チャイルドが、小枝で刺した痛みが、現実なのか、

そうではなかったのか・・・いつまでも、いつまでも、残っていた。


数日、瞑想を中断した。

しばらく、冷静になる時間が必要だった。


チャイルドの行為は、自傷行為に似てると思われた。

私の潜在的な、「死にたい」感覚は、ここから来てるのではないか?

そう思った。


ここで、少し、瞑想法の補足をしておきます。
瞑想の中で起こることは、本人にとっては、内的真実であるがゆえに、
思い出すことで、新たなトラウマを作ることにも、なりかねない危険性があります。

そのまま、もっと、ひどい、抑うつ状態を引き起こす危険性も、多大にあります。

瞑想とは、一般的に思われているほど、決して、解決のための万能薬では
無いということを、重ねて付け加えておきます。
瞑想の状態というのは、ある意味、霊的に無防備になるということでもあります。
無防備になるということは、どういうことかといいますと、
よくも、悪くも、霊的に影響を受けやすい状態であるのです。
世の中には、信じない方も、いらっしゃるとは思いますが、
極端な話、悪い影響を与える、霊のささやきやの影響を受け、
トラウマが、解決の方向へ行かず、さらに、闇の世界へ、
心を奪い取られるということも、多いということを、記しておきます。



ジョン・ブラッドショーの言葉を借りるならば、



心理的な苦悩感・無力感が目立つようになります。

クライアントは喪失したものについて考えこみ、

そのことをしきりに話したがるようになり、

失ったものを取り返そうという思いに取りつかれます。


たとえば、いままで憎しみのあまり避けていた親たちのもとへ戻り、

彼らを罵って帰ってきたりします。

その一方で、

「何をしてよいかわからない」

「何にもする気になれない」

「時間が止まってしまった」

「自分がバラバラになってしまった」

「現実感がない」

「生きる価値なんてない」

などと言い出すのです。


この時期になって

「うつ病ではないか」

「精神病ではないか」と心配するようになる人もいます。


泣いたり、怒ったりが次第に頻繁に、しかも激しくなってきます。


この段階の後半に入ると、

喪失したことがらの細かい特徴や価値についての細々とした描写が出てきます。

それと同時に幼児期への退行(子ども返り)が多かれ少なかれ見られます。

このことが無力感と抑うつを強めることもあるし、

逆にその人を解放と希望に向かわせるきっかけにもなります。


つまりここで、治療者の役割が厳しく問われることになるわけで、

治療者は、アダルト・チルドレンの成長の可能性を信じ、

それを実現する際の手掛かりとなる彼らの長所・パワーポイントを探りあて、

そこを焦点として彼らをエンパワーします。


となるわけで、

怒りが発露しはじめたころ、崩れそうな危機的状態を、

どう、支えるか、乗り越えるか、これは、援助者の力にかかっているかと思います。


当時、わたしの意識は、チャイルドに占領されていた。

今まで意識下に抑え込んでいた、チャイルド。

瞑想エクササイズをはじめて、チャイルドが、目を覚まし、

援助者との関係も、親と子という関係になっていた。

私は、すっかり、幼児返りを、していた。

当時の、チャット、メールを読むと、

その兆候が、恥ずかしながら、明確にあらわれて、とても、興味深く思うのです。

大人の私の意識を乗り越えて、

チャイルドが、甘えを主張してくるのを、抑えるのに、

四苦八苦していた様子が伺えるのだった。




私は、運が、良かったと・・・

よく、守られたなあと、

当時を振り返って、そう思うのです。

治療される側としては、援助者に信頼を置くこと。

治療する側としては、的確なエンパワーメントの必要性。

相互作用で、成し遂げられるのだろうと、思うのです。



当時、私は、「乖離」という状態であっただろうと、思われます。

現実感がなく、自分の体と、魂が、ずれを起こしていた感覚があります。

リアルに、物事や感情を感じられないもどかしさがありました。

生きている、実感がなかった。


幼児の時期に、あまりに精神的なショックを受けると、

人は、そうならざるをえなくて、そうやって、自分を守る術を身につけてしまうのでしょう。

でも、もう、それは、必要ないのだよ・・・

そう、チャイルドに、伝えたかった。


そのころ、しきりに、イメージに浮かんだものは、

手を握り、開く動作。

握り、それを、放つ。

放つこと。

握りしめた手を、放つと、その中から、金色の光が飛び散った。


そのような、ビジョンが、しきりに見えていた。

私は、少しずつ、「放つ」準備をしようと、していたのだろうか。





私の中には、神が宿る。

私は、神の1部分である。

私の中には、もともと、ダイヤモンドのような、輝きが、必ずある。

そう信じはじめていた。。。



関連記事
別窓 | 日々徒然 | コメント:1 | トラックバック:0
<<エクササイズ物語~その頃 | 歩いていこう | 【エクササイズ物語】9.怒りのエクササイズ>>
この記事のコメント
No title
このようなエクササイズと平行して,日々の家事やお仕事,
KAIさんのお世話もしていらっしゃったのですか?

ハードですね。

続きも楽しみにしています。
2008-10-13 Mon 08:26 | URL | 虹色スミレ #-[ 内容変更]
コメントの投稿
 

管理者だけに閲覧
 

この記事のトラックバック
トラックバックURL

FC2ブログユーザー専用トラックバックURLはこちら


| 歩いていこう |
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。