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【エクササイズ物語】17.不登校とインナーチャイルド
2008-11-07 Fri 10:42
そのころ、KAIは、適応指導教室へ通いだして、半年たっていました。

順調に通っていたかと思うと、ぱたりと、朝おきてこなくなる。

リストカットは、しなくなったものの、気分の起伏は、まだまだ、大きかった。

相変わらず、時折、幻聴が聞こえたり、得体のしれないものが、視えたりも、していた。

教室は、気が向いたら行くという感じだった。

それでも、半年前より、ずいぶん、落ち付いてきた。


私自身は、不登校と、親のインナーチャイルドの癒しは、

つながっているんじゃないかと、ぼんやりと、感じはじめていた頃だった。


私が、自分を掘り起こして、自分の起源に、向かい合い、

癒しがはじまれば、KAIも、時差はあるものの、

楽になってきているように、感じたのでした。

それは、理屈ではなく、体感だった。

それらの、体験が、この方向は、間違っていないと、私に確信を持たせた。


なぜ、そのようなことが、起こるのだろうか。


親の中の解決されない問題というものは、

本人だけでは、さっぱり分からないものです。

これまで、「こうやって生きてきた。だから、これからも、そうだ」という

信念が、心の中には、作られているものです。

その信念によって、

人との関係性は、作られるのだろうと思います。

たとえば、「人を信頼してはいけない」

という、幼いころからの、信念が、無意識にあったとする。


そうすると、基本、人間関係は、「不信」が、もとになります。

人に接する時、顔は笑っていても、心は、疑いの渦があったり、

その不信ゆえに、「子供は、指導せねばならない」という、

さらに、上塗りの、仮面がつけられることになります。

二重三重の、信念が、相手を苦しめていることに、なるのだろうと思います。

だから、見守ること、の意味が、さっぱり、わからないのだと思うのです。

さらに、世間の常識的な枠にはめられ、

より一層、親の側の信念は、ステレオタイプになっていくのでしょう。


見守るということは、相手を信頼せねば、できないことですね。

たとえ、失敗や、間違いでさえも、「大丈夫」と、後ろで、温かく支えることです。

相手の経験や体験を否定せず、

ひとりの人格として、支えるということだろうと思うのです。


インナーチャイルドの癒しは、この

幼いころから培った、「間違った信念を、打ち崩す」という作業でもあります。


しかし、最初から、このような、考え方が出来たわけではありませんでした。

やはり、人並みに、悩みましたし、

子どもを動かそうと、無駄な努力もしました。



相手を動かそうということ、

それは、自分の中の、「信念」がそうさせていました。


・学校は、子どもの心の健康を損なっても、行かなければならない

・子どもは、学歴が大事

・成績優先

・子どもへの世間の評価は、親への評価である

・自分の好きなことをすることは、悪である

・楽しんだらいけない

・この世は、誰も信用できない

・ひとりぼっちだ

・休んだらいけない

・甘えたらいけない

・わがままを言ったらいけない



他、もろもろ。。。


最後の、わがままを言ったらいけないということは、

結局、自分の気持ちを押し殺すことに慣れてしまい、

甘えと、わがままの区別がさっぱりつかない状態になります。


不登校の方々が、言います。

「どこまでが、甘えで、どこまでが、わがままなのか・・・」と、途方にくれます。


私も、かつて、そうでした。

その言葉が出てくる時点で、すでに、自分の今までの価値観では、

もう、どうにも、立ち行かないところにきているのだということを、

やっと、気づかされたのでした。


甘えたい気持ち・・・大人でもありますよね。

その気持ちを、ずっと、押し込めて、

必死に、親たらんとして、「りっぱに、がんばって」きた親たち。


こんなに、私は、自分をいじめてきたんだなあと、

インナーチャイルドのエクササイズを通じて、改めて、感じました。


自分を大切にすることって何?

甘えるって、何?

わがままって、何?





いつだったか・・・

KAIの、インナーチャイルドに、接触したことがありました。


彼も、私も、まだ、人の形をしていない、光のかたまりでした。

「約束だよ」

彼は、明るく、からからと笑いながら、

私と、親子のちぎりを約束したのでした。


余談ですが、

ソウルメイトという言葉がありますが、

何か勘違いされている方も多いのですけれど、

とても、気のあう人や、運命の人だけが、ソウルメイトではないのです。

魂のグループで言えば、何度も転生しながら、

親子も、夫婦も、グループで切磋琢磨している、魂群なんです。

そして、同時代に生きて、出会う人々も、大きな魂群なのです。

そういう意味では、

かつて、私は、イランに生まれて、コーランを読んでいたかもしれない。

アフリカで、槍をなげて、暮らしていたかもしれない。

インディアンで、きつねの皮をはいでいたかもしれない。

ローマで、娼婦やってたかもしれない。

(そういう意味では、戦争って、ほんと無意味ですね)


だから、今、子供をやってくれている子どもたちは、

かつて、私の親だったかもしれません。

魂の格でいうと、(魂にも、学びによって、ランクがあるらしいです)

私より、ずっと、上だったのかもしれません。



そういうことを、価値観のどこかに入れると、

朝、起こしてもおきないとか、

学校へ行かない、行かれないとか、

それくらい、どうってことないですよ。


生きて、出会い、

互いに、学びを深め

こころからの笑顔で、

お互いを讃えあい、

自分を大切に、丁寧に生きていきたい、

そう、思うのです。

そういう子たちが、道を間違うとは、私には、決して、思えません。



【追記】

不登校というと、兄弟での不登校、親戚同士の不登校、
多いような気がします。
うちでも、高校で,姉の方が、行き渋り、ありました。
でも、「いいよ、ゆっくり、休み~」と、
あっさり、言ってました。
明日は、行けるかどうか、私が聞くことも、しませんでした。
それは、本人が、きめるに、任せていました。

高校での出席日数は、小学校、中学校より、
数倍、シビアな部分が大きいです。

それでも、「いいよ」と言ってやれたのは、
KAIとの学びのおかげです。

学校より、心が大事。
あなたが、大事。

娘には、そう伝わったでしょうか。



あなたが、何よりも大事だよ。

あなたの意思を尊重します。






そういうメッセージを、常に送っていたい親でありたいと思っています。

そのためには、まず、自分の間違った思いこみに、気づくことでしょう。


さて、学童前期の物語、まだまだ、続きます。

いつも、読んで頂いてありがとうございます。

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