author : rinrin
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ミクシーより転載
2008-11-12 Wed 21:32
ミクシーに書いたり、こっちに書いたり、

節操のない書き方やって、こんがらがってます。

今日のは、ミクシーまる写し記事です。

不登校のカテゴリで、とって、おきたくて、コピーしておきます。



*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆*:゚・:,。*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○


どうも、ミクシーの不具合で、前の記事にアップしたリンクが

非公開になって、読めないみたいです。

こちら、じゅんこさんの楽天の方をご紹介しておきます。
http://plaza.rakuten.co.jp/pianissimo4/diary/200811100002/

三つの言葉

1.あ~、そう、なるほどね~と、やさしく。

2.それからどうしたの?

3.あなたの気持ちはよくわかるわよ。

注意点

コメントはしない。

指示しない。

本人の考え方を変えようとしない。

事実は伝えてもいい

子どもが質問してきたら、一緒に考える(答えは言わない)
あなたが決めてもいいということを伝える。

これを、3か月続けるってことだそうです。



この言葉の意味は、

子どもより、先に答えを出さないことで、
選択権を、子どもに、戻す効果があるのではないかと、思います。

また、子供自身が、自分の意思を尊重してもらっているという
ことが、大切に扱われていると、実感するのでしょうね。

親業では、有名ですが、
子どもの言葉を反復するという、対応にも、近い気がします。

「学校、行きたくないんだ」

「そう、行きたくないの」

「うん、そうなんだよねえ。」

と、会話が次へと促されていきます。

でも、

「学校、行きたくなんだ」

「え~、行かないの?どうしたの?何があったの?」

「・・・○○ちゃんがね、××するんだ」

というパターンには、相手の話は、無理やり引き出せても、
気持は引き出せないわけです。

親は、理由を知りたがります。
分析したがります。

子供も何か、理由を考えなきゃいけないと、
とりあえずの、心当たりのあることを、言っちゃう。

でも、ほんとは、ちがうのかもしれない。
ただ、疲れちゃっただかもしれない。
ただ、ゆっくりしたいだけかもしれない。

それでも、いいと、思う。
休むのに、理由がいるのは、学校と会社だけでいい。
家庭は、子供たちを守る、砦になればいい。

甘やかしという人もいるだろう。
いや、それでも、少しは、導いてやらなきゃと
いう人もいるだろう。

以前は、私も、そうだったかな。

でも、子供が元気で、復活してくれている姿を見ると、
自分の方法は、これで、よかったんだと、思える。

私は、子どもの笑顔と健康を引き換えに、
学校へ行かせるわけには行かないのです。

そんなところ、くそくらえ!で、ございます。


傾聴というのは、

会話のさなかに、自分が次に話す事を考えてちゃ、

できないですね。

傾聴とは、自分の心は、しんとさせて、

じっくり、相手の言葉に、気持ちを傾けることなんでしょう。

3つの言葉を、やってみるとわかるけど、

恐らく、親の側は、すっごく、ジレンマが表出して

くるんじゃないかなあ。

言いたい!、聞きたい!教えたい!指導したい!って、

気持ちを抑えるのって、すっごく、忍耐がいるもんです。

それだけ、子供をコントロールしていたってことだもの。


3つの言葉をやって、ちっとも、
負担じゃなかったわって、言う方、
そりゃ、もう、尊敬しますよ、私。

私も、今でも、教えたい!って、思っちゃいます。


でも、黙ってる。

時間が過ぎると、黙ってて、良かったと思えるようになる。


親が、沈黙を守っている間、子供は、安心して、

じっくり、自分と向き合える時間を得られるのだろうと、思います。

ここで、指導しちゃったら、

子どもが自分の力を付けるチャンスを、

奪ってしまうことになるのでしょうね。


そりゃ、時間はかかりますよね、子供だから。

でも、私たちは、大量生産のロボットを作っているわけじゃない。

心を育てているんですもの。


沈黙は、決して、無視するってことではありません。

「そのままの、あなたでいいよ」

という声なき心のメッセージだね。

でも、一番最強の、言葉だ思う。


子どもの、心の声を聞ける親でいたいと思うですが、

はてさて、聞けているのかなあ、私。


復習のつもりで、不登話でした。



ちなみに、うちの息子さん、

多動ではないけれど、ADD(注意欠陥症)と、病院の心理テストで

言われています。

一時期は、統合失調症も、疑われましたが、

今は、全然大丈夫みたいです。



でも、ADDも、ADHDも、普通の子育てと

変わんないのだと、思っています。

ADDだから、

ADHDだから、

アダルトチルドレンだから。。。

それらは、傾向性であり、症状であり、

「心」には、なんの関係もないことです。


子どもたちは、みんな、自分の心を大切に扱ってほしいと

思ってます。

親をやってる私でさえ、人に自分の気持ち尊重して欲しいと、

願っています。

ただ、それだけのことなのに・・・、

大人、子供、ADD、ADHD、自閉、うつ、

それらに、なんの違いがありましょうか。



ミクシーには無い、おまけ。

ちなみに、私が大切にされているなと思えるシチュエーションって、どんな時だろうなと

考えてみると・・・・、

やっぱり、気持ちをわかってもらえた時!


そりゃ、お菓子をもらっても、お金をもらっても、とっても嬉しいけどさ、

それは、嬉しいってだけで、

大切に扱われているとは、あまり、思えない。

それに、主体は、相手にあって、大切に扱って、もらってるって、感じがする。




尊重されている!と思えるときって、皆様は、どうでしょうか?


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