author : rinrin
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回復の過程(支えるもの)第二段階その2【AC】
2009-08-12 Wed 13:42
先の記事で、ACの人とどう、付き合えばいのかという質問を頂きました。
私なりの、現時点での考え方、を、書いてみたいと思います。


AC本人が回復に向かうには、まず、何より最初に、自分の今の状態が、
アダルトチルドレンであると、認識しなければなりません。

体の病気もそうですが、どこが、痛いのか、悪いのか、検査をしたり、病院へ行って、
現状を把握しなければ、その対処法も、薬の処方も、
出来ないということと、同じことだろうと、思います。

しかしながら、心は、体と違って、見えないので、その自覚を持つということが、
現状では、大変難しいことだと、感じます。
支える側(主に家族)としては、このジレンマは常に付きまとうことでしょう。

いつでしたか・・・息子が不登校になってから、
私の夫が、一般のカウンセリングの本を、読んでいるのを、
数回、チラッと、みかけました。
そして、私が夫に対して、いらいらしているとき、
まるで、教科書を読んでいるように、
その本に書かれていたらしい、いつもと違う対話応答をしはじめました。

残念ながら、そのような、取ってつけたような、対応など、
私にとっては、さらに、いらいらを増幅させる元となりました。

ふ ざ け ん な よ!

夫は、おおまじめで、本に書いてあったことを、やってみただけなんですけどね。
その後、どうなったか、ご想像にお任せします(笑)
いや、私は、暴れたりなんかは、しませんよ^^

そのとき、私が欲しかったのは、方法や、対処法や、正しい答えや、分析ではなく、
「きみの味方だよ」、という、その気持ちだけで良かったのです。
私を変えようとしないでください、という気持ちでした。


また、不登校の息子との対応で、学んだことも多くありました。
「DOING」という言葉があります。
何かを 「させる」、「する」、「動かす」、「働きかける」という対応は、
幼い頃から、「DOING」を、親によって、散々、されている息子にとって、
それらは、もう、疲れ果てて、出来ないことでした。
それらは、息子のエネルギーを奪うばかりでした。
これは、幼いころ、同じことをされていた私にとっても、同じことでした。
他者が、私に、何かをして欲しい、させようとしている気配には
異様に敏感にセンサーが、「危険」と、アラームを鳴らします。

といっても、この「DOING」は、主に、システム化された会社や、社会では、
かなり、効果的なものです。
その対価として、賃金という見返り、
地位という見返り、人に認められるという、見返りがあるからですね。
しかし、それもまた、とても、流動的なものであり、
あやふやな価値観であることだとは、思いますけどね。

しかし、人の心は、システム化されるものではありません。
家庭や人との関係は、心の触れ合いで作られています。
ACが作られる家庭の多くは、このシステムとしての・・・、マニュアルとしての「DOING」が、家庭に入り込んでいるのだろうと、今、私は、思っています。

「DOING」が、能動的であるのに対して、その対局にある言葉が、受動的「BEING」ですね。
「愛する」「共にいる」「寄り添う」「見守る」。

息子の不登校、うつの経験は、この「DOING」と「BEING」を、考えるための、
時間であったと思います。

親は、子どもに対して、無力だと、そう、とことん感じたとき、
本当は、なにも、しなくていいんだということが、わかるのだろうと思います。
ただ、愛すればいいと。
好きだよ、大好きだよ。
それ以上、子どもに対して、親が、してやれることが、あるでしょうか?
子どもを抱きしめるたびに、
同時に、私自身も、癒されていった気がします。
子どもを抱きしめながら、私の中の子どもを抱きしめていたのだろうと、
そんなことを思ったりします。

子どもの将来が心配・・・、受験は・・・?
それは、子どもの心配ではなく、親である私の心配でした。
自分の心配を、子どもに、背負わせようとする、愛情のすり替え。
何かをさせて、自信をつけさせたい、
きっかけになるかもしれない。
そして、あわよくば、子どもが元気になるという見返りをもらいたいですよね。

そういうことも、あるでしょうけど、
それらは結局は、「DOING」の思考回路の域を出ません。

そんなこと思ったりします。

そして、これらを、ACの人との付き合いかたに、あてはめると
まあ、基本は、同じなのではないかと思います。

けれど、子どもと違って、大人は、また、長年の積み重ねで、
ひと癖も、ふた癖も、ねじれた思考回路をします。

支える側としては、覚悟がなかったら、最初から、手を出さないことでしょう。
下手に、踏み込んだら、余計、ねじれてしまうことも、多くあるのです。
共倒れで、互いに、傷つくことも、多い。
中途半端に手を出して、不信感を煽ることも、多いでしょう。
恐ろしいくらいの、覚悟のいることですね。

もと、ACとして言えることは、家族であれば、
「普通に接して欲しい」と、感じます。
怒っているようであれば、まるで怒っていないかのように。
無視しているので、あれば、無視していないかのように。

そして、回復に必要なもの。

掛け値なしの、愛情。
取引なしの、見守り。
まっすぐな、見つめる心。

・・・難しいですよね。

私も、無理っす・・・ヾ(-_-;) オイオイ


私もでしたけど、ACたちは、愛情を試すために、
まわりに、いろいろなゆさぶりを、かけます。
「これでも、私のことを、見放さないですか?」と。
ここで、見放すくらいなら、最初から、やめといた方がいいと、断言します。
問題がもっと、深くなちゃいます。
しかし、他人なら、離れればいいことですが、家族となると、
なかなか、難しいものもあります。

悲しいですね・・・。

今、思うことは、支える家族の、サポートが必要だなあと、思います。
これは、現在、本当に、切実な問題だと、私は思います。
時には、家族であっても、逃げ出したいと、思うときも数多くあるでしょう。
「かんべんしてよ、まったく。付き合いきれないよ」
そう思うのが、普通だと思います。
そうなって、当たり前です。

そういうとき私は、何度も、思いなおすのです。

自分の中の、小さな光を信じるがごとく、
相手の中の、光を信じ続けてくださいと。

だから、まず、自分の中にある、暖かい光に気づくこと。
その光と、いつも、共にあると、信じること。

他者の心に触れるとは、そういうことではないかと、
私は、そう思いますし、これからも、そう、努力していこうと思っています。
自分の光を信じずして、誰を助けられましょうか・・・

だれもが、本来は、愛し、愛されたいと思っているはずです。
愛は、強制しません。
相手を変えようとしません。
しかし、愛は、自然に、人を、変えていきます。

相手に問題があるように見えても、問題を問題と、感じた方が、
問題を自分のものとして、解くしか、ないのだと、思います。

私は、そう思います。

ある人の言葉を最後に、今日の記事のしめくくりとします。

周りを変えようとする(doing)のではなくて、 自分が純粋な一滴である(being)ことで 周りは自然に変わっていきます
by ∞Taiki∞

次回は、感情を素直に、表現する練習について、考えてみます。

           .。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+。.:*・゚+。.:*・゚

        お盆ですねえ。皆様、楽しいひとときをお過ごしくださいね。
        親戚集まって、飲み会なんかも、あるでしょう。
        お盆期間は、相変わらず、仕事と、自宅の往復という
        さびしい、主婦りんりんに、応援のぽちっを^^;        
                
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この記事のコメント
見守る人さんへ
はじめまして^^見守る人さん。
ブログ読んで下さってありがとうございます。

>見守っていて本当は本人は
>「ぜんぜん寂しくないんじゃないか?」
>「愛情なんて求めていないんじゃないか?」
>とこちらに思わせるような、言動や行動をします。

難しいですよね~。ここ。

見守るって、自分の心を知ってこそ
できることなのかもしれませんね。


2010-05-20 Thu 13:35 | URL | りんりん→見守る人さんへ #SAu5W79E[ 内容変更]
はじめまして。
ちょっとこちら側(見守る側)の私が折れそうなので、
こちらの記事を何度も読み返させて頂いています。

>掛け値なしの、愛情。
>取引なしの、見守り。
>まっすぐな、見つめる心。

>・・・難しいですよね。
本当に難しいです。
見守っていて本当は本人は
「ぜんぜん寂しくないんじゃないか?」
「愛情なんて求めていないんじゃないか?」
とこちらに思わせるような、言動や行動をします。
(試し行為なのかな???)

難しいけど見守っていく覚悟をしたので、
自分が倒れないように自分もケアしていきたいと思います。
2010-05-18 Tue 07:39 | URL | 見守る人 #-[ 内容変更]
す○○んさんへ

とても、お辛い状態が、互いに、長く続きましたね。。。

おっしゃる通り、しばらく、ご主人には、待って頂いて、
先に、ご自身のことに、専念された方が、いいかもしれませんね。

支えようとしても、裏を見透かされたり、
裏の裏を探られたりと、
す○○んさん、ご自身が、辛くなっては、
本末転倒かもしれませんね。

無視は、「無言の圧力と訴え」であり、
子どもっぽい、仕返しのゲームですから。

巻き込まれないように、するのも、ひとつの手だと思います。
そのためには、そのメカニズムを、知ることも、
支える側の助けになると思いますよ。

突発的におこる理不尽に思えるようなことほど、
ストレスが、高まるので。。。
お体、お大事にね。

2009-08-18 Tue 20:39 | URL | りんりん #-[ 内容変更]
管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2009-08-18 Tue 16:23 | | #[ 内容変更]
u-たんさんへ
昔、相手を変えようとやっきに、なっていたこともある、私です^^;
そして、相手を変えようとするdoingと、
「私を変えようとしないでください」という心の声、その両方の葛藤と矛盾を、自分の中に感じていたこともありましたね。

今は、その境界線すれすれに、立っているような気がします。
その境界線に、私がいるのは、
数年前、去っていった友人が、言った言葉が、私の中に、ずっと、残っているのだろうと思います。
「目の前で、おぼれている人に、手を差し出すことは、
いけないことですか?」と。

そのことを、ずっと、忘れないようにしていたいと思っています。思えば、人の言葉、心に残る気持ちや、体験、言葉は、今の私自身を、支える力になっているようです。

doingをしかけてくる、不必要なアダルトチャイルドには、
doingで、押し返す。
(ミサイルで攻撃してくる相手を、受容だけするのは、ちょっと、悲惨すぎる気も・・・)
beingを、待ち続けている、内なる子には、beingで、
対応するのが、いいのではないだろうかと、現在は、そんな仮説を立ててみました(笑)
なんちゃってね。

長年、アダルトチャイルドに汚染された感情は、
なかなか、根強いものがありますね。
それが、重しになって、インナーチャイルドが、出てこれないことが、苦しみになっていたり、ぐるぐる思考に囚われり、するんでしょうね。

u-たんさんの、深いところからの声は、信頼すべきものだと、思います。大切にしてくださいね^^
暖かい光は、インナーチャイルドですから。

>このバック前に戻ったのですねえ。落ち着きます。

そうですね~、そう言って、もらえると、嬉しいです。この背景が、私を表現するものに、一番、近い気がします。
私も、落ち着きます(笑)

コメント、ありがとうございました。嬉しかったです^^
楽しい、夏休みと、お盆を、お過ごしくださいね~。
2009-08-13 Thu 21:05 | URL | りんりん #-[ 内容変更]
暖かい光
>私を変えようとしないでください
ああわかります。
その声がいつも自分の深いところから沸きあがります。

何もできない事をイヤと言うほど知る。
本当は、なにも、しなくていいんだということ
「BEING」が わかったつもりで また 繰り返す。
「DOING」の思考回路の域を出ない。

このバック前に戻ったのですねえ。落ち着きます。
何度も繰り返しながら、私のぐるぐる螺旋階段は
光りが当たる場だったのだと気づいたことを思い出しました。
それは天から(誰か他の人から)そそがれているものではなく、
自分自身で光輝いていたのですねえ。

もう まんま 共感する記事ありがとう♪♪
2009-08-12 Wed 20:03 | URL | u-たん #8mQnrvzk[ 内容変更]
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