author : rinrin
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後悔
2006-11-13 Mon 11:31

よく行く、ブログで、星のきらめきさんのブログを訪問するのですが、最近、彼女のブログの内容が、一段とアップしてるような気がします。

その記事からの抜粋です。(いいんかな~、盗んでしまって)
皆さんにも読んで欲しいと思いましたので、アップ。
あまり、意味が無いような気がするけど、一応、目隠ししときます。


(以下抜粋)

過去を変えたい人は、自分を許してないことが多いです。

よく、「もっと早く知りあえばよかった」、とか、「もっと若いときに出会いたかった、、、」、という言葉が出てくる人は、

自分を許してない人です。

と言うことは、他人も許してないのですよ。

人生に起こることは、その時が最良のときだから、あなたの身に起こったのです。

それ以前では、あなたは聞く耳を持たなかったかもしれない、、、、。

それ以前では、あなたは気づくことなく、通り過ぎたかも知れない、、、。

遅すぎた、と言うことは、あなたの人生において、ありえません。

早すぎた、ということも存在しません。

すべての出会い、別れ、はベストタイミングで訪れるのだと、言い聞かせてください。

あの時、ああしていれば、、、、、こうしてさえ、いれば、、、、こんなことにならなかったかもしれない、、、、悔やんでも悔やみきれないときって、ありますよね?

そういう反省、後悔モードのときも、思い出してください。

「人生、最良のときにすべては起こる」と。

それは、あなたの頭で、画策して、工作したら、上手くいく、というレベルのものではないのです。

大いなる、魂の歴史、霊性の進化を踏まえたうえでの、ほんの一こまの今生の、出会い、別れですから。

今生の、目先しか見えていないあなたの考えなど、及ばぬ、広大な魂の歴史があるのです。

すべては、ベストタイミングで起こる、、、、これを常に思い出してください。

あなたの頭の中の傲慢さが消えていきます。不必要な後悔、反省モードに苦しまなくなります。

起こる物事をすべて、後悔することなく、意味があると受けとめると、あなたは、思い通りの人生を切り開いていくことになるのです。

起こった事柄を否定したり、傷つくから、見たくない、とか、世間的には許されないだろうからといった理由で受け入れないと、思い通りの人生展開になりません。



あのとき、こうだったら・・・と
考えること、多々ありますが、
それらの経験は、間違いなく
人生に必要な事であったに、違いありません。

また、「あの時、こうしていたら・・・」
一見、非常に後ろ向きな思考でもありますが、
そこには、傲慢さも、見え隠れしているという
きらめきさんの言葉に、
賛同を覚えました。

すべて、自分が望んだことだと、
そう、受け止められるように、なりたいと思います。

今から、やり直せる。
それでも、それは、ほんの、小さな経験でしかない。


また、最近の記事で、

自称イエスマンの方、波風を立てない持って行き方、何でもNOと言わずに引き受けてきた方、実は、苦渋をなめてきましたね。

気がつくと、私って、利用されてただけ?、、、一番、頼みやすかったから?

私って、そんなに軽く、扱われてたの?、、、、

そこにある、マイナス感情に気づいてください。

落胆、憤り(いきどおり)、怒り、やるせなさ、NOと言ったときの恐怖、怒らせるかも、傷つけるかもという恐れ、今、我慢すれば、、、、私さえ、我慢すれば、、、、恨み、不満、あきらめ。

それらを発散してますか?

そういうマイナス感情を受け取ると決めたので、あなたはイエスマンになったのでしょう。

それは、自分が犠牲になることで、丸く収まることを優先する、あなたが選び取った処世術です。

あなたは、苦渋をなめながらも、何か得をしていたはずです。(ベネフィット)

「いい人という評価がもらえる」

「敵を作らないだろう」「何かあっても攻撃されずにすむ」

「いつかは報われるに違いない」

「最後に笑うのは私だ」「徳を積むとはこういうことに違いない」

という、苦渋と引き換えの、夢を描いてひたすら我慢の世渡りでしょう。

それが、私に与えられた人生、と取るよりも、

あなたが選んだ人生なのです。

与えられた、という受身形を使う限り、受け取るベネフィットと同量の苦渋を味わうでしょう。

「これが、私が好んで選択した人生だ」と胸を張っていえるなら、OKです。

もっと、能動的、自発的に言って見てください。

「私が自ら選んだのだ。文句は無い」という処世術なら、問題ないでしょう。あなたは今、この時も幸せでしょうから。

未来、いつか、将来、こうなったら幸せ、という生き方をしていると、今、現在が幸せではないので、いつまでたっても、幸せが手に入らないのです。

今、現在が幸せだと思えること、これが、現状を受け入れる、今を生きることです。

将来、こうなったら幸せだ、、、、は条件付の幸せで、現状に満足できない、振り回される生き方です。

人は、自分をしっかり持っていたら、どんな状況でも幸せを感じられるようにできていると言われています。(無条件の幸せ)

あなたが、利用されやすいイエスマンであっても、あなたが望んだ生き方で、心に幸せを感じられるなら(今、この時)、すべてOKです。

死ぬとき、後悔しないでしょう。



と、私にとっては、非常に、耳の痛い記事を書かれています。

特に

「いい人という評価がもらえる」

「敵を作らないだろう」「何かあっても攻撃されずにすむ」

「いつかは報われるに違いない」

「最後に笑うのは私だ」「徳を積むとはこういうことに違いない」

という、苦渋と引き換えの、夢を描いてひたすら我慢の世渡りでしょう。

それが、私に与えられた人生、と取るよりも、

あなたが選んだ人生なのです。



このあたりは、非常に心当たりがありまして、(汗;
誰のせいでもなく、自分で引き受けていくしかない覚悟
しなければいけないと、
今までも、そうしてきたつもりですが、
さらに、さらに、
選択の岐路にたたずむ私自身の
これからの戒めとしていこうと、そう、感じました。

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