author : rinrin
【アダルトチルドレン】心の基盤 4.「不快」と「感情」の違い
2009-10-12 Mon 13:40

5~6年前に、手書きで書いた自分の日記を読みなおす。

そこには、居心地が悪そうで・・・、それを必死で訴える自分が、いる。

何度も、何度も・・・、

毎日、毎日、苦情を訴えている私。


あの人のこういうところが、嫌いだ。

この人の、この言葉が、自分を傷つかせた。

こんなこと、された、だから、嫌だった。

こういうことを、してもらったけど、でも、これが、不快だった。

こんな自分が、嫌だ。


そんな、グルグル~目が回る~だけの、毎日の違和感の記録。

これは、苦情ノートか、不快ノート?それとも、腐海ノート?と、思える。



数年たつと、少し、お利口になったのか、

今度は、理論付けをはじめる。

危うい理論。

自分を守るための理論。
(ネットや、本を読みあさった時期と重なる)
そういう理論が、必要な時期もあった。
自分を支えるために。
納得したいために。
安心したいために。
でも、どんなすごい理論を手にしても、一瞬にして、光は、
手の中から、消えてしまう。
心は、いつも、不快な感じで、満ちていた。

変わらない・・・

理論を手にし、納得を得たのに、心は、小さな子どもが泣き叫んだまま、違和感だらけ。
なぜだろう?

ようやく、そのことに、気づきはじめたのは、

インナーチャイルドの存在を、知った頃からだろうか。

先日の記事に書いた、「見守る」って、どういうこと?とつながる問題。

どうやったら、それが、心で、わかるのだろう・・・という素朴な疑問。



「そのままでいいんだよ」

そういう言葉を、追いつづけながらも、

「そのままじゃ、苦しいんだよ」と、悪態をつく。

「そのままの自分って、何?」

苦しすぎて、「そのまま」じゃ、居られないじゃないか。


だから、私は、訴え続けた。

ただ、ひたすら、訴えた。

辛いんだよ~って。

それは、直接的だったり、間接的であったり。



最近になって、ああ、そうなんだな~と気づかされた事があった。


これらの私の記録は、「快」か、「不快」かであって、

それは、単なる「心の状態」の表現であり、

まるで、赤子が、おむつが濡れたと、泣き、

お腹がすいたと、泣く、

そういうものと、同質なものなのではないかと。

感情ではなく、環境のせいで起こる、

単なる「自分の反応」の状態にしか過ぎなかったのかもしれないと。


ああ、そう・・・

これらは、確かに、沸き起こる「感情」ではなかったと思いあたる。


自分では、ずっと、感情のつもりだった。

でも、それは、私は、こうなんだと、状況をただ、訴えていただけだったんだ。


これでは、何も変わらないはずだ・・・。


人の行動、言葉、思いには、必ず、隠れた感情がある、

必ず、自分だけの理由がある。

その感情には、幸せな記憶、辛い記憶が、まざりこみ、

余計感情の回路を複雑にする。

理論も、ある時は人を助けるが、それにも、限界があるのだろう。


たとえば、

「あの人が、嫌い」という気持ちがあるとすれば、

なぜ嫌い?

どういう言葉、態度が嫌い?

どうして、その言葉が嫌い?

これらは、「苦情ノート」の類。



「拒絶したい気持ち」

「怖い」

「心がチクチクする」

「落ち込む」



なぜ、怖いの?
なぜ、落ち込むの?



そこから先を認めたくない自分がいる。
新たなすがりつく理論が、欲しくなる。
しかし、受け入れたくない気持ちに、うっすらと、気づきはじめる頃。



ここで、二つの道ができる。
認めるか、認めないか。
たった、それだけのこと。

認めないことを選べば、武装するしかない。

認めることを選べば、自分と和解するしかない。


ここが、恐らく、本当の感情に行きつくか、行きつかないかの大きな分かれ道なのだろうと、感じる。


もともと、自分を信頼するという、心の基盤がある人は、
そういうことは、一瞬で、越えてしまう。
そんなシーンを、私は、何回も、この目で見てきた。
だから、傷には、ならない。
基盤のある人たちは、どうして、やすやすと、そこを越えられるのだろう?
不思議でならなかった。
私の中の七不思議だった。

私たち、ACには、残念ながら、そういう、基盤が少ない。
そして、事実を、事実のままに、認め、受け入れてしまったら、
今まで、自分の理論で、納得していた自分が崩壊してしまうと、感じてしまう。
逃げ場を失ってしまう。
そこに、突き崩される恐れが発生し、「恐れ」は、心の武装につながっていく。

よく、「人が、豹変する」という言葉が使われるけれど、
ACは、瞬間的に、その「恐れ」に、心をつかまれてしまう。
そして、あっという間に、元の場所に、引き戻されてしまう。

私も、他者のその驚異的な瞬間に、これまで、何度も立ち会ったことがあるし、
私自身も、過去に、その瞬間に、いたことが、何度もあったので、
その感覚は、よくわかる。
まったく、それは、あっけにとられるほど、やすやすと、
元いた場所に、連れ戻される。



では、認めたら、どうなる?

それでも、「怖い」という状態も、刺激に対する心の反応にしかすぎません。

やはり、これも、感情とは、違うだろう。

ということは、「恐い」という反応を引き起こす、もとになる感情が、必ず、心のどこかに、潜んでいるはずだと、思い当たる。



私のA子さんとの、共依存関係で、見れば、
「怖い」という反応は、「孤独になることが、怖かった」と、言いかえられることが、今なら、わかります。他にも、「裏切ることへの罪悪感」もありました。
それらに、含まれる、本当の感情、
心の奥底に隠されて、それでも、無意識に、自分の行動を決定づけているもの。


さびしいよ、

一人に、しないで、

おいていかないで、

捨てないで・・・

そばにいてよ。

助けてよ。

と、泣き叫ぶ、感情たち。

強烈な、孤独への恐怖。

プライドも、何もあったもんじゃない。

格好も、気取りも、ない。

素の感情は、まるで、子どものようだ。

恥しいと思うのは、偽物の、バリケード。

その素の感情は、理論では、とても、説明などできない。

涙をこぼして鼻水をたらして、地面にすわりこんで、

わんわん泣き叫ぶ内なる子ども=自分 がいたのです。


心から、愛しいと、思いました。
やっと、見つけたと、感じました。


「そのまんまで、いいんだよ」


ここで、はじめて、この言葉の意味を理解した。

こんな、情けない自分でも、いいんだ。

やっと、腑に落ちた。

私の、これらのストレートな感情は、幼い頃の私の荒涼とした、

見捨てられ感に、つながっていた。

そのつながりを、子どもが感じるように、リアルに感じたとき、

「怖い」という感情が、次第に、薄れていったのを、覚えています。
(それでも、時間は、かかった気がします)

不登校でも、アダルトチルドレンでも、これは、全く、同じことなのですが、

たとえば、先に書いた「見守る」というスローガンが、あるとしますと、

結果(回復すること)を求めるあまり、自分の感情に蓋をしたまま、
そこに、自分を無理やり合わせようと、したとします。

そして、無理やり、「見守る」形をつくりあげようとします。

それらは、往々にして、つながりがあやふやで、
自分で、つぎはぎした理論だったり、
矛盾した理論だったり、言いわけだったり、するわけですが、
どちらにしても、その「見守り」は、ただ、「我慢しているだけ」の、状態にしか、なりません。

人は、我慢して、見守ること、なんか、できっこありません。(実体験すみ)

どこかで、必ず、ボロが出ますから。
自分の感情を、嘘で塗り固めても、感情は、はけ口をもとめて、
爆発しようとしますから。。。


結果や理論を先において、そこに、自分をあてはめる。
ACの人が、よく、陥るところではないかと思います。(もちろん、私もそうでした)
自分の気持ちを理屈付けるとき、何も目的がないとか、結果が、見えないことが、すごく、恐ろしいからね。

でも・・・、「見守る」とは、基盤さえあれば、自然にできることなんだと、最近、思うことです。
「寄り添う」ということも、同じだと思うのです。

自分に向ける、暖かい眼差しが、あって、はじめて
他者への、「見守る」慈愛の眼差しが可能に、なるのではないか。


そう思います。

だから、特に、不登校の親御さんには、子どもをいじくり倒すより先に、
自分の感情を見つける大切さを、お伝えしたいと、思うのです。

子どもを、doingで、余計に、いじったぶん、不登校は、長引くし、こじらせてしまう。
二次障害も、増えている現実が、とても、心痛いのです。
これは、私と子どもとの、不登校体験から、得た反省です。

長い文章になりました。
読んでくださって、ありがとう。
なにせ、思いつくままなので、意味不明なところも、あるかと思います。
でも、最近では、一等、書きたかった、記事内容でした。
「意味、わからんよ~」って、言ってくだされば、
私の修行になりますので、御遠慮なく、おっしゃってくださいませ。
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この記事のコメント
>読んでくれていたのですね^^
>ありがとう~!

毎日、読んでまふよ~(笑)


>いまちょっとぶっとんだことかいてるでしょう?(私)
>でも、前から私の中にはあったの。
>これまで書けなかった分野だったんだけど
>思うところあって、書いてます。

ぶっとんだとは、思いませんよ。
ののさんの中で、ずっと、温められていた言葉だと、感じています。



>そうなの??

そうそう^^


>私を傷つけた??
>私、りんりんさんに傷つけられたと思っていないし、
>傷ついてもいないよ。(なぐさめじゃなくて、言葉どおりよん^^)

ふふっ。
人との関係というのは、傷つけもすることもあるし、喜びも2倍になることもあるし、それが、同時に存在するってことです。
その両面があって、どちらを選ぶかは、自分に任されている部分が大きいのだなあと、最近思ったりします。


>そのまーーーんまで OKだよ^^ (って私がいうのも僭越だけどサ・・汗)(笑)

あはは。
ありがとう。


>私たちは、(みんな)仲間だものね。同胞だもの^^
>いっしょに 行こうね^^ (もしも りんりんさんが よかったらね^^)
>それぞれの道を・・・ね♪

いつも、古い仲間に、見守って頂いて、私は、幸せ者です^^
そういうののさんのような人が、いてくれるだけで、暖かい気持ちになります^^

ありがとう♪
2009-10-16 Fri 11:52 | URL | りんりん→ののさんへ #-[ 内容変更]
ん?
>心の壁を破られましたね。
ののさんの、ここ数日の最近の記事を読みながら、
そんな気持ちでいました。

読んでくれていたのですね^^
ありがとう~!

いまちょっとぶっとんだことかいてるでしょう?(私)
でも、前から私の中にはあったの。
これまで書けなかった分野だったんだけど
思うところあって、書いてます。


>そして、この記事に、ののさんが、コメント付けてくださったことは、私にとって、・・・ののさんが、思う以上に、とても、意味のあることでした。

そうなの??


>ただ、ありがとうと、お伝えしたいと思いました。


こちらこそありがとう^^

>そして・・・今まで、言えなかった言葉・・・
ののさんを、これまで、たくさん、傷つけてごめんなさいね。

ん?ん?
私を傷つけた??

私、りんりんさんに傷つけられたと思っていないし、
傷ついてもいないよ。(なぐさめじゃなくて、言葉どおりよん^^)

そんな風に思っていたの?(涙)←うそうそ・・・(笑)

どうか、もう、そんな風に思わないでね^^

りんりんさんは だれも傷つけていないし

そのまーーーんまで OKだよ^^ (って私がいうのも僭越だけどサ・・汗)(笑)


>今、ののさんが、変化し続ける姿が、私は、とても、うれしいのです

ありがとう~♪

私たちは、(みんな)仲間だものね。同胞だもの^^

いっしょに 行こうね^^ (もしも りんりんさんが よかったらね^^)
それぞれの道を・・・ね♪
2009-10-14 Wed 22:21 | URL | のの #VGqTgCv2[ 内容変更]
おめでとう^^
心の壁を破られましたね。
ののさんの、ここ数日の最近の記事を読みながら、
そんな気持ちでいました。

そして、この記事に、ののさんが、コメント付けてくださったことは、私にとって、・・・ののさんが、思う以上に、とても、意味のあることでした。

ただ、ありがとうと、お伝えしたいと思いました。

そして・・・今まで、言えなかった言葉・・・
ののさんを、これまで、たくさん、傷つけてごめんなさいね。

今、ののさんが、変化し続ける姿が、私は、とても、うれしいのです。
2009-10-14 Wed 21:35 | URL | りんりん→ののさんへ #-[ 内容変更]
わたしも いじくりまわして 長引かせました(てます)汗 笑
りんりんさん お久しぶりです~^^

>人は、我慢して、見守ること、なんか、できっこありません。(実体験すみ)

私もそう思います。ってか、私も体験済み。


>自分に向ける、暖かい眼差しが、あって、はじめて
>他者への、「見守る」慈愛の眼差しが可能に、なるのではないか。

同感です~^^

私のことを言えば、
「見守る」っていうことを「しよう」としていました。
それは、「する」ことではなくて、
そういう状態で「いる」ことなんだよね。。
(↑言葉おかしい??)

子どもが元気になるように・・・
なんとか 「しなくちゃ」って、そればっかり思ってた。

まあ、その時点では、それが精一杯だったんだけどネ。
私には・・。えへへ(←笑ってごまかすな!って。・・笑)

今なら、ちょっとは・・・そういう状態かな?(と自分では思う)

自分が満たされているから・・・
基盤ができたっていうか
つながったから・・・
(言葉変??)

でも、うちも(は)、今も、「進行中」ーーー!・・・笑

うちの息子さん、今、限りなくニートに近いフリーターよん^^

けれど、そういうことで、測らなくてもいいよね^^

そういうことを物差しにして、
焦ったり、自分を責めたりしがちなんだけど、

まあ、すべては OK♪ (^^)

大丈夫^^

根拠もなく そう 感じています^^
(ちょっと無責任??)笑








2009-10-14 Wed 19:22 | URL | のの #VGqTgCv2[ 内容変更]
まるこさんへ
>うちも、「何とかして、息子の不登校を直さなきゃ!」と私がいじりたおし…結果、こじらせ、息子をとこと ん追い詰めました…。
 ずっと長い間、「息子が学校へ行けるようになること」にしか、目が向かなかったんですね。


みんな、そうです。私だって、そうでした。
まるこさんだけじゃないですよ。
誰の責任でもないのですから。

ただ、その、もんもんとした、期間を、どうやったら、
縮められるのだろうか・・・
今、そればかりを考えています。
あまりに、親子ともども、辛い期間ですから・・・


>とても孤独で、つらい作業ですが、ひとつひとつ、積み上げているところ…だと思います。

そうですね。
今、目の前のこと、やっていくしかないんですね。
きっと、過ぎてみれば、あっという間です。
そして、それが、きっと、何物にも代えがたい、宝物になりますよ^^

必ずね。それは、私、保障できます(*^▽^*)ゞ

2009-10-12 Mon 23:59 | URL | りんりん #-[ 内容変更]
おとねさんへ
>「喜怒哀楽」すべて「こうあるべき」の基盤で生じたものだった、と、きがついたとき。

ああ、それを認めるのに、どのくらいの勇気が必要だったことでしょうか。。。


>とりあえず「赤ちゃん」にもどろう、と思いました。

そうですか。
いろいろな、道を人は、通ります。
「感覚」を大切にされてくださいね。

>とりあえず、深く落ち込むことはなくなりました。
少しづつだと思ってます。

良かったです。
落ち込むときは、大体において、自分を許せなくなってしまうものだと、私は、自分の経験から、そう思います。
井戸掘りは、ともすると、新たな傷を作ることもあります。
自分への、あたたかい気持ち、
それが、きっと、助けになると、思います。

2009-10-12 Mon 23:49 | URL | りんりん #-[ 内容変更]
本当に…
 本当に、りんりんさんのおっしゃるとおりだと思います。
 うちも、「何とかして、息子の不登校を直さなきゃ!」と私がいじりたおし…結果、こじらせ、息子をとこと ん追い詰めました…。
 ずっと長い間、「息子が学校へ行けるようになること」にしか、目が向かなかったんですね。
 今は、自分を見つめ直す中で、これまでの「ゆがんだ基盤」を崩し、心の中に「自分自身の基盤」をこ  つこつ と作っている最中という感じでしょうか…。
 とても孤独で、つらい作業ですが、ひとつひとつ、積み上げているところ…だと思います。
 いつも支えていただき、本当にありがとうございます^^

2009-10-12 Mon 23:10 | URL | まるこ #aN9AbwgY[ 内容変更]
自分の感情がわからない
自分は何者なのか?
本当の感情すらわからない。

「喜怒哀楽」すべて「こうあるべき」の基盤で生じたものだった、と、きがついたとき。

とりあえず「赤ちゃん」にもどろう、と思いました。
「快」「不快」からはじめよう。
それはすっと浮かびました。
そこからはじめたい。
まだまだですが、ようやく、です。
でもまだまだなのかもしれません。

とりあえず、深く落ち込むことはなくなりました。
少しづつだと思ってます。
2009-10-12 Mon 15:44 | URL | おとね #6J7A/EB2[ 内容変更]
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