author : rinrin
スポンサーサイト
-------- -- --:--
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
別窓 | スポンサー広告
【不登校・それぞれの軌跡】(3)記憶の操作と罪悪感(息子編~その1)
2009-11-09 Mon 09:16
今回は、息子編です。

息子の家庭での、役割は、「調整役」兼「ピエロ役」でした。
明るく、活発で、とんちが利き、場を和ませたり、笑わせたりする子でした。
家族の空気が、硬くなったり、凍りついたりする気配に、一等敏感で
先回りをして、わざと失敗をしてみせて、自分を差し出す子どもでした。
当時の私は、息子が、ただ、ふざけているようにしか、認識していませんでした。

今思うと、私は、そういう息子に、ずいぶん、精神的に助けてもらってきたと思います。
そして、不覚にも、甘え過ぎていたと思います。
敏感な子どもほど、状況を瞬時に判断する能力に優れ、色々な方法で、自分を犠牲にしながら、家族の歪みを和らげようとするのだということを、後に知りました。

私が、娘よりも、息子を視野に強く入れ始めた理由は、私自身の父親への嫌悪から始まり、続いて夫への失望を「(1)嫌悪の連鎖」で書いた通りです。

さて、息子が小学3年の頃でした。
その頃の息子は、ひとつ年上の姉の友達の女の子たちと好んで遊んでいました。
たまには、同級生の男の子たちとも、遊んでいましたが、どこか、楽しくなさそうで、無理をしているような感じを受け、そんな息子を、私は、いらついた目で、見ていたと思います。
私の理想の子ども像の中には、男の子は、仲間と外で日が暮れるまで遊び・・・という妄想が、ふくらんでいましたから、実際のゲーム三昧で、女の子と遊ぶことの多い息子とのギャップは、さらに、私をイラつかせました。

前回、お話していた通り、娘のお稽古ごとで、一度失敗(?)をした私は、それに、懲りて、子どもを操作することを辞めたかというと、反対に、今度こそは・・・と、リベンジを、やってしまいました。
懲りないりんりん母・・・。


          と!

今は、わかりますが、当時は、娘での失敗と、同じことを繰り返しているとは、全く気付いていなかったのです。それどころか、もっと、巧妙になっていっていました。
普通でありましたら、「同じことは繰り返さないぞ」と、学習しても良さそうなのですが、なぜ、そこんとこを、何度も繰り返そうとするのか・・・

おわかりになりますでしょうか?

AC傾向の強い当時の私は、元々の「心の基盤」が歪んでいますので、「同じことは、繰り返さない」と心に誓っても、どうしても、

「歪んだ場所からの出発」になってしまうのです。

まことに、やっかいな事であり、子どもたちには、はた迷惑なことだったでしょう。
小手先の方法は、変わったように見えても、
子どもを支配しようとする力の放出は、何も変わらないわけです。
ここが、同じパターンを繰り返す「身に付いた癖」のやっかいなところだと思います。

このような「思考の歪み」「基盤の歪み」は、強力なある一定の方向性を持ち、
残念ながら、AC的な依存的思考回路へ、気持ちを無意識に、持って行かれるのでした。
「歪んだ基盤」の引力に、引き戻されるまま、当時の私は、なんの疑問も持たず、息子への依存を強めていきました。

この思考回路は、息子が、不登校になって後も、しばらく続いていくのでした。
例えば、不登校の子を無理やり、学校へ、連れていく。
学校へ行って欲しい。
中学は、ダメだったけれど、高校は、ちゃんと行って欲しい。
普通に学校へ通えている子を見ると、辛くなる。
(辛くなると、書きましたが、見ることによって、比較・嫉妬の感情が、出てきます。目の前で、苦しんでいる我が子を目の前にしても、なお、捻じ曲げられた嫉妬という感情に、心を奪われていくのです)

さらに、不登校の事を学びはじめて、「余計なことを言わないようにしましょう」「そのままの子どもを受け入れましょう」などを、実行するに置いて、私の中には、「学校は、行かなくていいよ」という形だけの言葉とは裏腹に、「行けたらいいのに」という、気持ちが、同時に存在し、それは、二重メッセージとして、子どもに、伝わるという、悪循環を招きました。

この悪循環の間、子どもは、私の表面の言葉と、本心を全身で、探っていたことだと思います。
そして、母親の裏の本心を感じながら、絶望したり、落胆したり、苦しんでいたように感じます。
このような膠着(こうちゃく)状態が、二年近く続いたでしょうか。

その間、息子は、良くなったように見えたり、いきなり、ひきこもってリストカットをはじめたり、部屋の壁に頭を打ち付けたり、当時の私には、一体、何が子どもを混乱させるのか、さっぱりわかりませんでした。



さて、話は、本筋に、戻ります。

息子が小学3年の頃。
ある日、私は、ママ友に誘われていたこともあって、息子をサッカークラブに誘いました。
息子は、用心深く、考えて迷っているように見えました。

彼は、おそらく、
「サッカー部に入ること=りんりん母が喜ぶ」という事実と、
サッカーには、それほど、興味が無い自分に、どう折り合いをつけるか、小さな心で、悩んだことだろうと、思います。

そのとき、私が話したことと言ったら、今思うと・・・・%&#*なことでした。

「一度入ると自分で決めたら、貫き通すんだよ」←実は、私は、とても、あきっぽい^^;

「サッカーは、道具やユニフォームや遠征代に、お金がかかるんだから、がんばってくれないと」←実は、バレエよりも、格段に、ずっと、ずっと安い。

「やるんだったら、ちゃんと、最後までやってね。中途半端なら、やめといた方がいい」←これは、娘のバレエの時に、使った、ダブルバインドと同じ手法です。

きっと、息子の頭の中では、このように、翻訳されたことでしょう。

「やりなさい。最後まで、やりとおして、おかあさんを、喜ばせなさい。途中でやめることは、許さないよ、それは、私に対しての、裏切りだからね。そうなったら、もう、あなたのこと、愛さないからね」

翻訳しながら、我ながら凹みます(-_-;)

このような支配の仕方は、「真綿の支配」と呼ばれています。

それでも、小さな子どもにとって、母親は、絶対的な存在です。
そして、子どもは親から、常に、愛して欲しいと思っている生き物です。
これは、大人であっても、同じこと・・・母親というものへの憧憬は、どんなに、年を重ねても変わるものではありません。

ここから、

母親が喜ばないこと⇒親を悲しませることが、親への裏切り行為ではないかと感じる⇒罪悪感

という、図式ができるのではないかと想像します。

「罪悪感」というものは、誰しも、感じたくないものです。
こうして、母親に愛されたいと願う子どもは、自分の本当の気持ちを抑え込み、母親の気持ちに添うことを、嘘を言ってでも、選ばされるのです。

ところで、この「嘘」は、機能不全家庭では、起こりやすい子どもの状態ではないかと、最近思います。


私自身を思い返せば、幼い頃の源家族において、
嘘を言い続けたという感覚があります。
最初は、大した嘘ではありません。

例えば、学校の帰りが遅くなったとします。
親は、夕食の「時間」に厳しかったこともあって、不機嫌になるわけです。
「なんで、遅かった?」
「先生の仕事を手伝っていた」
「ふ~ん」
という風に、親が納得し、かつ、自分の身を効率的に守る術を身につけていきました。
そして、その嘘を真実にするために、さらに、嘘を重ねなければならなくなるのですね。
しかし、当然ながら、時折、その嘘が、ばれたりすることもあるのです。

怒られたり叩かれたりされたあげく、「おまえは、嘘を親に言う」と、レッテルを貼られます。そして、監視の目は、さらに強くなっていきます。
しかし、親の怒りとルールから、逃れるためには、その監視の目をぬいながら、さらに、巧妙な嘘を
付かざるを得なくなるのでした。

そして、自分の口から出る、嘘で自分を傷つけていきました。
しかし、心と言うものは、自己防衛反応があるのでしょう。
それ以上、自分を傷つけると、自分が壊れてしまうという、ぎりぎりの選択の中で、
傷つくことを、最小限に抑えるために、嘘を真実にする必要が、あったのでした。
これが、やがて「歪んだ基盤」となるのではないかと、感じています。

そのような、ギリギリのバランスの中にいた、息子もまた
よく、嘘をついていました。

当時は、「嘘を言うな!」と、わが身も振り返らず、よく、怒っていたものでした。
それは、ほんのささいな、嘘でした。
小学生の子どもですので、当然、ばれる確率も高い。
しかし、上に書いたような、流れをたどり、彼もまた、たくさんの嘘を、心を痛めながら、真実にしていったのだろうと感じます。

やがて、彼は、思春期になり、「嘘」を真実にする、すりかえの作業で、罪悪感を深め、それを、「沈黙」ということに、変化させていきました。
ここで言う「沈黙」とは、思春期に多い、言葉数が、少なくなるということです。

「○○したの?」と問う私に、ただ、面倒くさそうに「ああ・・・」と、言って、自室へ戻る息子を、思春期だから、しょうがないわと、ため息なぞをついていた、りんりん母。

沈黙し、火種を隠すことで、誰も傷つけずに、済むということ、
私自身が、源家族の中でも、そのような、手法を使っていたことを、後に思い出し、子どもと、私の、生きざまが重なったのでした。

ここまで、読んで頂ければ、もう、おわかりになるでしょうか・・

罪悪感とは、本当は、子どもが、感じる必要のないものです。
もとは、母親から発生した、「私を悲しませるな」という依存的支配から、
一方的に子どもの側に、負わされたものでは、ないかと感じます。
こうして、多くの不登校・アダルトチルドレンが、この罪悪感で、後に苦しむことになるのではないだろうか。。。そう感じています。


この関係を、「共依存」と、呼びます。

長くなりましたので、続きは、次回へ。


>>>この記事は、【不登校・それぞれの軌跡】の続きです。
(1)嫌悪の連鎖
(2)記憶の操作と罪悪感(娘編)
 
▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲

前回の記事(2)では、たくさんの拍手と共感を頂き、大変ありがとうございました。
記事の真意を読み取って下さり、ありがたく感じております。
この場を借りまして、お礼申し上げます。

なごみ系お・ま・け
↓↓↓

CA3C0095.jpg

CA3C0097.jpg

CA3C0096.jpg

関連記事
別窓 | 不登校の軌跡 | コメント:7 | トラックバック:0
<<FC2コミュ二ティ参加者募集♪ | 歩いていこう | 【不登校 それぞれの軌跡】(2)記憶の操作と罪悪感(娘編)>>
この記事のコメント
やなぎはっかさんへ
>今は、私の胸に納めて、「高みからの力」に委ねようと思いました。

素敵な言葉だと思いました^^
私も、「謝罪」は、やみくもにするものでもないのかなと感じています。
以前は、私も、子どもに、謝れば、子供も、納得し、受け入れてくれるのではないっか?それでいいのかもと、安易に考えていました。

でも、子どもが望んでいることは、そんなことではないのではないかと、最近、感じるようになりました。

結局、親から子への「謝罪」は、親の罪悪感を、子どもに、ただ、預けてしまうだけのことではないかと、思うに至りました。

子供は、それまで、親からの見えない罪悪感を、たくさん背負わされてきたのですから、「はい、許しましょう」って、出来るわけがないのですね。
預けられた謝罪さえも、重しが増えるだけなのかもしれませんね。

子どもが、望んでいることは、自分に覆いかぶさり、自分の道を大きな障害物のように塞ぐ親がどいてくれることなのかもしれません。
自分の後悔や罪悪感を薄めるために、謝罪するよりは、親自身が、自らの位置を知り、先に、自分を許さなければならないのかも、しれませんね。

やなぎはっかさんが、ご自分の心と向き合い、ご自分が納得されながら、お子様と向き合われてきた人生・・・
ほんのりと、いいなあ~と^^、感じました。

傷の無い、子どもや大人は、いないんだと思います。
私たちには、本来、自分の傷に、自らが気づき、自らを癒し、自ら立ち上がろうとする力が神の一部として、備わっていると、感じるのです。

そのとき、応援し、支え、暖かな眼差しで見守る人の存在が、どんなに、ありがたいか・・・
息子さんも、きっと、そういう存在が、あったのでしょうね^^
2009-11-14 Sat 09:27 | URL | りんりん→やなぎはっかさんへ #-[ 内容変更]
こんばんは♪
数日前に、この記事を読ませていただいて、
何とまあ、このことについては、今の今まで
気づいていなかったのかもしれない、
私は息子を可愛がってきた、
私のために可哀想な思いをしたのは娘だけのはずだった・・・
と、愕然として、気持ちを整えていました。

では、25歳になった息子に、どうやって謝罪しようか・・とも
心をめぐらしました。・・16歳だった娘にしたように、言葉で?

息子はちょっと繊細ですが、彼なりに歩いています。
少なくとも、私よりはずっと大人です。
でも、私に対して「傷」を隠しているのかもしれません。

この数日、息子をずっと何気なく見ていました。
息子に言葉で謝罪したら、私の気持ちはきっと落ち着いてしまうだろう、
でも、それでは、息子に対して、
「ボールを投げるから、受け取れ!」
と強いることに等しいと感じました。

逃げるというのではなく、逸らすというのでもなく、
今は、私の胸に納めて、「高みからの力」に委ねようと思いました。・・・何となく、それが良い、と思いました。
忘れていましたが、すでに息子は大きく成長していたのですよね。
2009-11-13 Fri 21:09 | URL | やなぎはっか #-[ 内容変更]
レオンママさんへ
最後の、大きなメッセージ(笑)のレオンママさんのコメンをト朝布団の中で、読ませて頂き(お行儀が悪くてすみません)、おお泣きしました^^;
まったく・・・、こうして、一人の人の人生の一端を聞かせてもらうことができる私は、なんて幸せ者なんだ・・と、その繋がる因果の不思議さを感じます。

ブログ、読ませていただきました。
抱いてやれなかった、子ども・・・
私にも、ありました。
レオンママさんのブログに書かれた言葉を追いながら、追体験している奇妙な自分を感じました。
こんなところで、失った子どものことを、また、思い出すことになるとは・・・
失った感情、忘れていた記憶、
そういうものが、今の私につながっていると、感じます。

今は、穏やかに、わんちゃんたちと、過ごされているご様子・・・、なおさらに、過去の熾烈な戦いを生き抜いてこられたレオンママさんの悲しさ、苦しさ、怒りの見事な昇華を感じました。

人の人生のストーリーの一端に触れたとき、
いつも、私は、自らの魂が、震えるのを感じます。
その振動が、狂おしいほどに、私を生へと駆り立てるのです。
レオンママさんが、ここで、語ってくださったこと・・・、
私は、決して、忘れないでしょう。

ありがとう。。。
心から、ありがとうと、お伝えしたいです。

リアルなら、抱きしめていることでしょう^^
ちょっと、暑苦しいですけど(笑)
ブログ、また、遊びに行きます^^

2009-11-12 Thu 11:06 | URL | りんりん→レオンママさんへ #-[ 内容変更]
わざわざコメント欄でお返事ありがとうございます。
私もACについてはすんなりわかったような気がしたのですが
共依存についてはうまく言葉にできないままなんとなく過ごしていました。
これって共依存?というのにはすごく勘が働くのですけれど。

自分の欲望を抑えることばかりしていた私が
それを他人の欲望にすり替えてかなえようとしているのかもしれない
と気がついたのはグループカウンセリングに通うようになってからでした。
五人の子供を産み、一人なくし、二人は閉じこもり、一人は鬱になりました。
本当に申し訳ないことをしたと思っていますが
それでも、私のいいなりにならずに、乱暴な表現でも
自分の気持ちを表現して、それを実行できるひとたちを育てられた
というのが私の小さなプライドになっていきました。
社会的にはたいそう辛かったですけれど(^^ゞ
私は私の両親とは違う道を歩けたんだ、と思いました。

けれども、りんりんさんがお書きになったように
自分の内部で起こったことをきちんと言葉にすることはできないでおりました。
自分の暗部を過不足なく、論理的に表現するのには
どんなに大変なエネルギーが必要だったかと思います。

このブログを読ませていただくようになってから、また少しずつ言葉が湧いて来たので
たぶん、これが最後(歳ですから)だろうと思い、書きとめています。
よろしかったら読んで下さいませ。

ttp://leonoha.tea-nifty.com/tankaetc/
(お手数ですが頭にhを入れて下さいませ)

もっと早くにお伝えしたかったのですが
あまりに貧弱なので…(-.-)
(5分で読めてしまいます)

いつもいつも、本当にありがとうございます。
すみません、ちょっとお礼のつもりが長文になってしまいました。

2009-11-12 Thu 03:05 | URL | レオンママ #t50BOgd.[ 内容変更]
レオンママさんへ
訪問ありがとうです~。
共依存は、文章で説明すると、めちゃくちゃ、分かりづらくて、わかったような、わからないような、すごく、あいまいな感じになりますよね。どんな心理学の本を読んでも、私も、いまいち、よくわかんなかったです。
それも、そのはずでした。
その中に、いたんですから、分かりづらい・・・(汗;
その連鎖の中に、いることすら、わかんなかったですよ。

今だから、解明できること、ありますね^^
きっと、レオンママさんも、同じだろうと、思います。

世の中には、知らなくていいことも多いと聞きますが、私は、分からないより、分かっていたほうがいいと思うんですよね。
今、わかって、よかった~って、ホッとする自分がいたりします^^
拍手コメントありがとうです、いつも、励みになってます^^
2009-11-11 Wed 10:13 | URL | りんりん→レオンママさんへ #-[ 内容変更]
まゆまゆまるこさんへ
い・・・いかん、
「まゆまゆ」なのに、あまりに語呂が良すぎて、「まるまる」に、なっちゃてて、あわてて(アセアセ;書き直したりんりんです。
朝から、冷や汗かきました。ふぅい~っe-330
ごめんなさ~い。大変失礼しました。

>自分ではよくわからなかった、形のないものが

人の言葉や体験は、自分を知るためには、とても大切ですね~。
IPが、邪魔するんで、なかなか、ストレートに、思考できないもんです。

もっと、自分を知ることができたら、すごくクリア~に、冷静に、自分を責めずに、自己分析できるように、なりますよ~^^
そのほうが、私なんかのブログ読むより、数倍、楽です~。
晴れた青空のように、心がクリアになると、自分の感覚が、今まで、どんだけ曇っていたか、はっきりわかるようになるんですよ~。面白い感覚です。

コミュ、参加してくださって、ありがとうです^^
楽しんでね~^^

2009-11-11 Wed 10:00 | URL | りんりん→まゆまゆまるこさんへ #-[ 内容変更]
うちの息子も
りんりんさん、こんばんは。
今日の記事を読ませていただき、
りんりんさんに、自分が…
ご子息に、うちの息子の姿が重なって見えました。

うちの息子も、今、思えば、小さい頃から、家では、ひょうきんな子で、
親は、「大きくなったら、吉本(興業)に行けるで~」などと、よく言ってました。
でも、それは、
感情が通いあわない、「氷のような家」の状況を、彼がいちばんわかっていて、
「調整役」をやっていてくれていたんですね。
あんな小さい頃から、親に気を遣っていたんですね…。
って言うか、私が、気を遣わせていてたんですね…。

サッカーを見学に行かれたときの、「翻訳」は、そうか~と。
私も、何かにつけ、同じようなことを言いました。
息子は、さぞかし、辛かったことと思います。

自分も、そして、きっと息子も感じている「罪悪感」。
核心にふれる、深い分析が、心にストレートに入ってきました。

自分ではよくわからなかった、形のないものが
りんりんさんのおかげで、
少しずつ、わかりかけてきたような…
そんな気がします。

いつも、ありがとうです。






2009-11-10 Tue 17:53 | URL | まゆまゆまるこ #aN9AbwgY[ 内容変更]
コメントの投稿
 

管理者だけに閲覧
 

この記事のトラックバック
トラックバックURL

FC2ブログユーザー専用トラックバックURLはこちら


| 歩いていこう |
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。