author : rinrin
【不登校・それぞれの軌跡】(7)病名:小児うつ病(息子編~その5)
2009-11-24 Tue 10:47
6月の下旬。
最初は、ただの疲れだと思っていた。
しばらく、ゆっくりしたら、熱も下がるだろうと。
しかし、朝38度あった熱は、夕方には、平熱になる。
夕方になると、元気になって、明日の準備をはじめる。
しかし、次の朝は、吐き気、腹痛、熱。
調子のよさそうなときは、車で送って行った。
最初は、週3回休み、次の週は、行ける日が少なくなった。
不登校という自覚は、全くなかった。
思いもしなかった。

息子を、かかりつけの小児科につれて行った。
そこで、はじめて、血圧の病気ですと、告げられた。

「起立性調節障害」

多くの不登校に内在する、心因性の病気。
当時は、まだ、メジャーではなく、マイナーな病名だった。
医者に、すぐに直る病気ではなく、長くなりますと告げられた。
「どれくらい・・・?」心が凍りつきそうな暗澹たる気持ちで聞いた。
「早くて、高校卒業くらい・・・」そう言われた。
出された血圧の薬だけをもらって帰った。

私は、共依存のA子に、とあるファミレスで、息子のことを話した。
A子は、血相を変えて、目を鬼のようにして、私のことを口汚くののしった。
子どもを、不登校にし、心因性の病気にしたのは、あんたのせいだと、言われた。

「不登校になったの・・・だなあ・・・」A子にののしられながら、どこか冷静な自分がいた。
もう、だめだな・・・
もう、終わりにしたい。
この人から離れよう・・・ぼんやりと思った。
私の中で、必死に守っていた何かが、がらがらと、くずれ落ちていった。

7月。
息子は、ついには、布団から、起き上がれなくなった。
食べるものも、ゼリー類を口にするだけ。
赤ちゃんのように、抱きかかえて、口元に、スプーンでゼリーを運ぶ。
息子が一口、一口をごくりと飲み込むたびに、安堵した。

生きることを拒否している・・・本能的にそう感じた。
ずっと、死にたいと思っていたのは、私のはずだったのに、
自分の子どもが、今、目の前で、死に掛かっている・・・

恐怖・・・。
助けたい。。。
この子を助けるには、どうしたらいい?
パニックに陥りながらも、それだけを、私のつっかえ棒にした。
そうしなければ、一瞬でもろともに、おぼれてしまいそうになった。

かと思うと、結構に、強気な私もいた。
楽天で、ブログをはじめたのもこの頃。
毒を吐きながら、強気を押し通す。
押し通しながら、砕けそうになる心を守った。
あの頃の記事には、そういう思いが、ぎゅっと詰められている。
懐かしさと、痛みとを感じながら、時折自分の書いた文章を読む現在。


その後、息子には、いろいろ試して、ホットケーキなら、食べられることがわかった。
小さなホットケーキを毎日焼いた。
一生懸命、必死で焼いた。
ホットケーキの苦い思い出。。。
息子が、ホットケーキを食べられたのは、
恐らく、子どもたちが小さな頃に焼いてあげた記憶に、
互いに助けられたのだろう。

すりおろしのりんごにも、助けられた。
私が、幼い頃、熱を出しすと、母と祖母が必ず作ってくれた。
病気のとき、いつもは冷たく感じていた母の愛情を、確認できた数少ない思い出。
それらが、つながって、私は、うつになった息子に、すりおろしりんごを、食べさせる。
かすかな、暖かい思い出が、私と息子をつないでいたのかもしれない。

息子は、後になって言った。
「おれ、固いせんべい好きだ。」
息子が、幼稚園の頃書いた母の日の私の絵。
息子が書いた私の絵は、両手にせんべいを持っていた。
「どうして、せんべいなの?」
つい最近、聞いてみた。
「昔、おれが、熱をだしたとき、何も食べられなくて、
でも、そのせんべいが、すごくおいしくて、記憶にのこっている」
記憶・・・
忘れていた記憶・・・おぼろげに覚えている記憶をたどる。
せんべい好きの息子に、食欲がないときに、買ってきたもの。
お茶につけて、柔らかくして、食べさせた・・・
そんな、親との記憶が、子どもに残り、わずかばかりの暖かさを伝えていたのかと、驚かされた瞬間。

そんな話をした次の日、息子は、草加せんべいを、一袋買ってきて、おいしそうに平らげていた。
こんな私を許してくれるのかと・・・息子と共有する記憶の暖かさに、救われる気持ちがした。
彼は、幼い頃から、かすかにそれを覚えていたのだろう。


その頃は、もう、学校は、とても無理だった。
学校なんか、どうでもいいと思った。。。
いや・・・元気になったら、行けると思っていた。きっと、必ず。

毎日、「今日は休みます」と学校に連絡を入れる。
この面倒なシステムは、不登校の親にとって、多大なストレスになる。
毎日、自分の子どもが学校へ行けないことを、自分に思い知らされながら伝えなければならない。
その確認作業は、別のプライドを作らなければ、とてもやっていけることではなかった。

不登校・・・

学校や、友達、担任、そこから抜け、別の道を行く、・・・誰もが知らない道。
それが、私を支えるプライドになった。

学校で学ぶものなんかない。
こんな、薄汚れた社会で、健全に育つはずがない。
担任の無力を、あざ笑った。
そんなとこは、まっぴらだ。
こちらから、おさらばだ。
精一杯の、プライドだった。
不登校プライドというものが、あるとしたら、きっと、そういうものだろう。
みんな、行ってる学校へ、自分の息子が行けない。
そういう悲しみを、外を攻撃することで、ごまかした。
当時の楽天ブログには、そういった気持ちが、たくさん吐露されている。

一月ほどして、息子は、精神科を受診することを望んだ。
「この苦しさが、楽になるんだったら、なんだっていい。病院へつれていって」と。
ふたりで、思春期科がある、近くの病院へ行った。
そこで、「小児うつ」という病名がつけられた。
その後、彼は、3ヶ月、思春期病棟に、入院を希望し、そして、彼は、入院した。

当時のことを・・・息子は、言う。
「家から離れたかった」
私の監視の目、ダブルバインド、形だけの家庭。それらから逃げたかったのだろう。
そして・・・親を傷つけそうになる気持ちを、離れることで、逃したかったのだろう。

入院先は、車で10分の場所であったので、ほぼ毎日のように、彼のところへ行った。
行って何をするというわけでもなく、海に散歩にいったり、病院を抜け出て、本屋や、つり道具を買いにいったり、他愛のない話をしたり・・・
穏やかな時間だった。
学校を思い出さない限り、私たちの関係は、良好にみえた。
息子にとっては、母親に甘えられた時間だったろうと感じる。

しかし、その頃から、彼がリストカットをしていたことに、はじめて気づかされた。
最初は、押しピンだった。
夜中に、看護婦詰め所に、押しピンで刺した手を血だらけにして、やってきた息子。
翌日、看護婦さんから、手首に包帯をしてもらった彼を抱きしめて泣くしかなかった。
死にたいという息子。
「・・・切りたいなら、お母さんの手首を切りなさい!」
狂乱して、そう言い放ったことを覚えている。

その後1年くらい、彼は、何度も手首を傷つけた。
そのたびに、泣きたい気持ちを抑えて、ただ、黙って、手首に包帯を巻いた。
どうにもしてやれない無力な親としての自分。
そのたびに、「どうして?」と無言の問いかけをし、哀れな目を息子に向けた。
困惑の目を息子に向けた。
同時に、息子のリストカットが、私に向けられた「拒否」だと感じた。
親として、否定されている・・・そう感じた。

なぜ、否定するの?
こんなに、心配してあげてるのに。
私を否定しないで。
こんなに、悩んでいるのに。
なぜ、いじわるするの?
あなたのことが、心配なのに。


この欺瞞が、おわかりになるでしょうか・・・
この欺瞞が、私自身をごまかし、私の歪んだ基盤から発せられていることが。
そして、歪んだ基盤から発せられた気持ちは、息子に、確実に届いています。

「お母さんは、ぼくのことを、心配していない。心配なのは、自分だ」
そういうメッセージを子どもは、直感的に受け取ります。

いつまでも、自分を受け止めてもらえない子どもは、
ずっと、ずっと、訴え続けていかなければならないのです。


否定されたと感じたのは、私の間違ったプライド。
それが、当時の私には、わからなかった。
息子をここまで、追い込んでもなお、私の傲慢さは、消えなかった。

「なぜ?どうして?おかあさんを、苦しめるの?」
あるときは、「勝手にすれば!」と、失望と、投げやりになる気持ち。
黙って手首を傷つける息子の訴えに、自分のプライドが傷つけられる気がしたのだった。

そして、退院した。
最初の病院の主治医は、入院中も学校へ行けと、何度も息子を促した。
息子は、確かに行こうと努力した。
一日は行けた。でも、次の日は、行けなかった。ずっと行けなかった。
家の洗面所で、ひざを抱えて、過呼吸を起こし、泣いているのを発見した。
募る挫折感。。。

私の中に、行って欲しいという気持ちと、行って欲しくないという気持ちが、入り交ざりはじめた。
行かせるのが、正解なのか?
それとも、休ませるのが、正解なのか?
さっぱりわからなくなった。
私が、混乱するから、息子も混乱するのか?

迷いに迷った時期だった。

息子は、「誰かが自分を殺しにくる」と毎夜のように、泣き騒ぐようになった。
ただ、抱きしめて、「大丈夫だから」と、押さえ込むしかなかった私。
夜中に、パニックになって、外に飛び出し、何時間も帰ってこない子。
誰かが、僕を呼ぶんだと、怖がる子ども。
壁にガンガンと、頭を打ち付けて、泣く子・・・。
好きなゲームも、一切する気力もなくなった息子。
ただ、眠っているか、食べているか、自分を傷つけるか・・・そのどちらか。
昼夜逆転も、逆転の逆転で、昼か夜かさっぱりわからない。
恐らく、統合失調症発症すれすれだった。

その頃、もっと専門的な病院へと、県外にある病院へ移った。

担当医に、可能性として、これから先、統合失調症の発症の可能性は、否定できないと告げられてた。

先の見えない泥沼。
息子の心が、わからなかった。
なきたいほど、分からなかった。
どうしていいかわからなかった。

一方で、私は、時間だけはあったので、ネットで、不登校のことを、存分に調べた。
本も、片っ端から読んだ。
とにかく、ここからの回復の方法が知りたかった。
なんでもいい、誰か教えてほしいと。
でも、ほとんどの本やネットには、解決法は、書いてなかった。

解決法というのは、いかに学校へ戻せるかという手法と、
東京シューレのように、学校は、とんでもない場所だから、自分の道を進もうという手法に分かれているように、感じた。
このふたつの手法の間でゆれ続けた。そんな一年間だった。


私は、息子が不登校になる前の一年前に、犬の病気の助け合いHPを作っていた。
そこで、かなり、救われていた私は、ネットの可能性というものは、身にしみて実感していた。
今、思うと、私がネットに入り込んだのは、今は亡き犬のおかげ。

私は、同じ不登校のお母さんと、交流をしようと思い立った。
そして、今のことを書きとめておきたいと思った。

2005年、8月 楽天にブログを作った。

その頃、不登校になる前・・・半年ほど前に、読んでいた、あるブログに魅せられていた。
それは、ひとつの布石だったのだろう。
後に、私に、インナーチャイルドのエクササイズを教えてくれた、たつさんのブログ。
その読者となり、コメントも数回書いたりしていた。
そのブログには、心に問題を抱える人たちが、たくさん集まっていた。
子どもが不登校になり、それ以前の布石があったこともあり、たつさんから
声をかけられ、チャットで話すようになった。
私が一番苦しいときに、声をかけてくれた方でした。
その後・・・何度も、折れそうになった時、絶妙のタイミングで
声をかけてくださり、そのたびに、救われた。
なぜ、苦しいのがわかるのだろう・・・
この人は、どうして、人の心を読めるのだろうか?
突っ張っていた私には、それが、不思議に思えた。

その謎は・・・、今ならわかります。
ブログには、その人の波動が、感じられるのです。
というと、とても、スピリチュアルな感覚ですが、
苦しい場所を通り抜け、そこから回復してきた人は、
必ず、自分を振り返り反省することをやってきています。
そこには、絶対認めたくないこともあったでしょう。
しかし、認めてしまわないと、そこから先に進めないのだと、
私は、エクササイズをやりながら、後に、思い知らされました。
自分を振り返り、自分を知ることで、人の痛みが、自分と共鳴し、
そこに、包み込む愛が、生まれ出ることを、たつさんから教えてもらいました。

その頃、子育てサークルも抜けて、A子と離れはじめた頃で、
息子の不登校と一緒に、完全に引きこもってしまった私でした。
人と会うのが、怖かった。
ここにまだ、自分の弱さをさらけ出せない、プライドの塊の私がいました。

プライドだけは捨てられない癖に、宗教問題と、A子の問題と、子どもの不登校と、AC・・・親への恨みで、私の頭は、ぐちゃぐちゃで、何が問題か、もう、さっぱり分からなくなっていました。

先が見えない・・・
不安・・・
苦しい・・・
さびしい・・・
死にたい・・
誰か助けてよ。
いつも、チャットでは、そう訴えていた私がいました。
そして、たつさんからは、方向性を示してもらいながら、かろうじて、正気を保っていた気がします。

その頃は、もう、愚痴のオンパレードで、たつさんも、受け止めることは、大変だったと思います。
やがて、愚痴というのは、不快の訴えであり、それは、何も解決を生まないことを知りました。
不快さは、結局のところ、自分を守るための一時の処方にしかなりません。
言えば言うほど、増大し、心は、不快さで覆い隠されてしまいます。
それらは、自分への言い訳であり、自分は悪くない、そういう記憶の操作をしていくのです。

一度、自分が訴えたい不快なことを、紙に書き出してみてください。
どれほど、気持ちが、自分以外の方向に、向き他者を攻撃しているかを、
確認できるのではないかと思います。
そして、それは、自分の心に、暗闇を作ります。
同時に、自分を守る盾になるのですね。


しかし、訴えたところで、相手は変わりません。
一生訴え続け、言い訳し、自分の人生を無駄にし続けますか?
他者に目を向けていても、それは、ごまかしであり、幻です。

そうやって、私も、ずっと・・・、数十年も、訴え続けてきました。
でも、何も変わりませんでした。

子どもの不登校で、そういうことを学びました。
たつさんとの会話で、そういうことを教えてもらいました。

私は、どうしたいか?
私は、なぜ、こう感じるのか?
その感情は、なぜ起こるのか?
執着とは、何か・・・
何を手放せばいいのか?

インナーチャイルドのエクササイズを行って、
子どもの気持ちを知りたかったら、自分を振り返ればいい。。。
それが、うっすらとわかってきはじめたのは、その2年後でした。

そんな情けない時代が、私にもあったのです。。。
今は、こんな、おおぼけ母ですが、暗く、寒い、氷河期が。

話、戻ります^^;

楽天ブログを書き始めて、それから、半年・・・、
ガイアックス(今はありません)に、不登校のHPを作ってみた。
楽天以外に、本音を書く場所が欲しくなりました。
そこは、不登校というより、A子との関係をクリアにしてみたいという気持ちもあって、ダークな吐き出し場所として使っていました。依存関係と言われても、何が、依存で、共依存なのか、さっぱり分からなかったから、書いて整理つけようと思ったのでした。
(ちっとも、整理にはなりませんでしたけど・・・当たり前ですが、不快の訴え場所で、終わっちゃいました)^^;

2006年春・・・。
そのガイアックスHPで、きんたろうさんの書かれた衝撃的な文章に出会いました。

なんだろう、これは!?
なんだか、よくわからないけれど、暖かい・・・
よくわからないけど、この文章に書かれたことは、真実だ。
当時、あまりクリアではなかった私でしたけれど、数ある不登校、心の問題を扱うサイトを読みつくしていた私が、本能的に、そこに書かれていることは、人の心を解き明かす仕組みだ。。。それだけは、直感的にわかりました。とても感動的でした。
やがて、いてもたってもいられなくなり、「ここにいるよ」という思いを無性に伝えたくなり、はじめてBBSに書き込みました。
それが、きんたろうさんとの出会いでした。
実は、恥ずかしながら、最近になるまで、そのことさえ、忘れていたんです^^;
(ごめんなさ~~~い、あはは)^^;
その後・・・、きんたろうさんとの交流の中で、こてんぱんに、撃沈されました(笑)
でも、めげない私。。。いや、めげたんですけどね。ほんとは。
認めることが、できなかったんですね。
私には、そんな感情はない!って。
「くそ~~っ」と、対抗意識を秘めて、ブログを書いていました。
何度も、何度も、撃沈しながら、挑み、でも、きんたろうさんの文章には、すきがなく、全く、それは、無謀な戦いでしたけど。完敗して、すごすごと、退散したことも、何度もありました。
が、何気に助けてもらい、何度となく、支えられ、気づきをもらい、
ずっと、トゲ女を、見守ってくださり、私にとっては、ブログでの交流が、一等楽しい時期でした。
トゲを投げたら、自分の投げたトゲがそのまま返ってくるので、あれは、参りました^^;
でも、そのおかげで、知らず知らず、自分を見つめるきっかけをたくさん、もらっていました。
それらが、私を育ててくれたと思います。

そして、もうひとつ、
nakkoさんが、運営する「パーラーカフェ」という楽天ブログとの出会いがありました。
そこは、起立性調節障害が原因で、不登校になった親御さんたちのネットワークがありました。
今、現在「NPOアリス~起立性調節障害親の会」のさきがけとなったブログでした。
そこで、いろいろな人のコメントを読み続けました。
記事も、nakkoさんの人柄が出ていらして、ほんとに、やさしく語りかけてくるような、安心できるブログでした。そして、その暖かさに惹かれて集まってこられる方々のコメントとして残される言葉をひたすらロムしていました。ロムしながら、この人は、なぜ、こう思ったんだろう?なぜ、回復されてきたのだろう?この人は、どうして、回復しないのだろう・・・じっと、見続けました。

回復する人と、しない人に、何の違いがあるのだろう・・・

それを知りたかったのです。(当時の皆さん、大変すみません)
でも、その経験が、後に、私を回復へ向かわせた礎になっていると思います。
このような幸運な出会いが、あったことが、今につながっています。

とは言っても・・・、当時の私は、楽天ブログで、必死に突っ張って、自分の辛さをだれ彼となく、ぶつけていました。
とにかく、毒の強い、強気のトゲ女でした(笑)
それは、きんたろうさんが、一番よくご存知です。
(当時は、大変ごめんなさい^^;)

落ち込んだかと思うと、プライドを塗り替えて、「ちくしょ~」と、立ち上がっていきました。
私は、こうなきゃ、いけない、
私は、こうしなきゃ、いけない
私は、私は、私は~、って、・・・・息子のことは、どこ行っちゃッたんでしょ・・・・^^;
執着、怒り、嘆き、憎しみ、傲慢、嫉妬、プライド・・・そんな、負の百貨店みたいな私でした。

そうしながらも、
「子どもを受け入れるって、いったいなんや~??」と、
トゲだらけの心で、暴走したヤマアラシみたいに暴れていました。

そのトゲの大きさは、それまで、生育暦の中で、私が傷ついてきた分のトゲの大きさでした。自分を守るためのトゲでした。

それが、わかるのは、もっと後の話・・・

次は、「適応指導教室での出会い」です。


>>>この記事は、【不登校・それぞれの軌跡】の続きです。
(1)嫌悪の連鎖
(2)記憶の操作と罪悪感(娘編)
(3)記憶の操作と罪悪感(息子編~1)
(4)壊れていく心(息子編~2)     
(5)壊れた心(息子編~3)
(6)番外編(息子編~4)



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この記事のコメント
つゆこさんへ
>インナーチャイルド
>という事をどうも今ひとつ
>理解出来ていない自分を感じるのです。

はい、これは、大変わかりにくいものだと、痛感します。
それで、最近は、誰でもわかるように、インナーチャイルドを、説明するには、どうしたらいいんだろうかと、考えています。
なぜなら、説明すればするほど、あいまいな世界になること。
それゆえ、インナーチャイルドの世界を、思い込みで作り上げてしまう危険性があげられます。そうなると、余計な思い込みが、回復を妨げるという本末転倒な現象も起こりうるのだと、最近わかってきました。
また、さらには、外国が発祥地なので、どうしても、宗教的な概念が必要になることも、あります。
しかし、日本人には、この宗教的背景は、受け入れにくい部分も多いのではないかと感じることが多くなりました。

で、あえて、今は、インナーチャイルドの説明をするよりも、
「幼い頃の暖かい思い出のかけら」とでも、言いかえた方が、
まだ、わかりやすいのではないかと、最近では、思うようになりました。
そういうことで、今現在、コミュニティーでは、相棒のきんたろうさんの協力を得て、暖かい記憶から、新しい自分を発見していこうという試みをやっています。
これらは、おおむね、成功しているのではないかと、思っています。

また、残念ながら、たつさんのブログには、インナーチャイルドのエクササイズは、存在しません。当時、エクササイズは、あくまで、一部の希望者への試作配布でした。
しかしながら、その片鱗を感じさせるものは、ブログには、十分あったと思います。

今は、もう、更新は、されていませんが、よろしかったら、どうぞ^^
http://plaza.rakuten.co.jp/ppibytatsu

今でも、迷ったとき・・・時々、繰り返し読みに行ってます。
2010-01-30 Sat 18:14 | URL | りんりん→つゆこさんへ #-[ 内容変更]
本当に色んな事を
背負っていらしたんですね。。。

読んでいるのに
何度も読み返している自分がいます。

多分自分の事を確認しながら
読み進めているんだと思います。

私お恥ずかしい事に・・・

インナーチャイルド
という事をどうも今ひとつ
理解出来ていない自分を感じるのです。

インナーチャイルドエクササイズの
たつさんのブログも拝見したいと
思いました。

失礼かと思いましたが
よろしければ教えて頂くことを
お願いできますでしょうか?
2010-01-29 Fri 21:51 | URL | つゆこ #-[ 内容変更]
レオンママさんへ
レオンママさんの、暖かい言葉に、ぐっとくるものがありました。

>時間と場所が違っても、似たような思いをしたかたがいる、と思うだけで

辛かった思い出も・・・それだけで、救われる気持ちがします。
それぞれの、歴史、そして、つながる人と人の奇跡、
気持ちの共有、人生は、なんと、すばらしいものかと思います。

あのとき、あのころ、一生懸命に生きてきた。
いつか、どこかで、同じ思いでつながることができる。
それが、分かっただけでも、私は、幸せだと^^

ほんとに、あったかいコメント、ありがとうございます。
身にしみました。
レオンママさん、詩人ですね~^^
2009-11-29 Sun 21:24 | URL | りんりん→レオンママさんへ #-[ 内容変更]
こんにちは

読みながら、色々なことを思い出しました。
暗闇の中を、心細く手探りで歩いているような時期のことを。
息子さんとの食べ物の思い出に胸が詰まる思いがしました。家でもありましたよ。

あの頃の私も、子供たちのように、一生懸命生きていることを認めて欲しかったのだなあ
と改めて思いました。
起こったことは違うけれど、りんりんさんがご自分のありったけの生きる力を振り絞って
暮らしていらしたのが、想像できる気がします。


時間と場所が違っても、似たような思いをしたかたがいる、と思うだけで
いつもとは少し違ったふうに、なんだか暖かい気持ちで振り返ることができました。
ありがとうございます。
2009-11-29 Sun 06:03 | URL | レオンママ #t50BOgd.[ 内容変更]
みーりーさんへ
鍵こめ、ありがとうございました^^
勇気を出して、連絡くださっただけでも、とても、うれしいです。
あせらず、ご自分のペースで、進まれてくださいね^^
いつでも、お待ちしています^^
2009-11-24 Tue 17:14 | URL | りんりん→みーりーさんへ #-[ 内容変更]
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