author : rinrin
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 「自立させない場所」~宗教・セミナー・サークル【AC・不登校】
2009-12-27 Sun 17:13
私自身、ここ10年ほど、ずっと宗教に身をおいてきた。

アダルトチルドレンとして、ひとりで生きていくには、

それが、必要だった・・・としか、今は、言えない。


宗教依存・・・

空洞の心には、優しい言葉、力強い言葉、前に進む力、

自分の背骨となる借り物の力を必要とした。

自分で感じる力を失っていた、あの頃・・・、

強い力に、自分を引き上げてもらわなければ、

生きていられなかった。

自分を越えた力、自分では、コントロール不能な力に人生を翻弄されてきたと思っていたのだから、

自分を越えた力で、自分を正しく、コントロールしようとした。

一時期は、取りつかれたように、生活すべてが、宗教になってしまったこともあった。

思考、行動、言葉が、宗教に影響を受けた。


こういう傾向性は、特に宗教でなくても、現代では、

疑似的なスピリチュアル、小規模のセミナー、母親サークル、

などでよく見られるのではないだろうか。

しかし、次第にその場に違和感を感じた人たちは、概ねだが・・・、

反対意見は言わず、そっと静かにその場を去っていく。

残された人たちは、さらに、結束を固める。

サークルやセミナーで作られた言葉たちは、独り歩きをはじめ、

新たな意味が加えられ、いかにも、斬新であるかのように語られる。

少し前に、とある方の

「ありがとう」

の連発に、幸せへの道だと、多くの人が講演会に殺到し、本が何万冊も売れた。

「ありがとう」・・・昔からある言葉。

それほど、哲学的な言葉でもないのだけれど、

新しい師匠に、意味を解釈され、広められ、多くの人が、「ありがとう」と合言葉のように言う。

一見、無害な言葉のようで、思考力を、奪われていく。

そう見えた。

いろいろな、集まりの中で・・・・

その中でしか、通用しない会話がかわされる。

実は、似たような言葉、言い回しは、過去の名もなき人たちが、語っているものが多い。

問題は、「その中でしか通用しない価値観」に、多大に問題があるところだろうと感じる。

時に、抜けようとする仲間を、涙ながらに説き伏せたり、

落ち込んでいる仲間を癒しの言葉で、守ろうとする。

そこは、とても居心地のいい、ある種、安全な場所ではあるが、

しかし、その世界から一歩出たら、社会では通用しないことは、みんな心のどこかで、知っている。

理論があるようで、ない、あいまい世界。

まことに不思議な世界だ。

その中で、私は、約10年過ごしたのだった。


加えて、子育てサークルの運営者の一人として、

参加者に、「うそ」と「幻想」を、伝え続ける立場に5年いた。

最初は、「私の求めていたものは、これだ」という実にAC的な勘違いに突き動かされて

純粋に、子育てを通じての親育てを伝えていきたいと思っていた。

生の子どもは、置いてきぼりで、理論だけが、先走った。


しかし・・・自分の子どもが不登校になり・・・

自分のウソツキ度と、欺瞞、作られた幻想に、気づかされた。


誰も、自立しないシステム。自律出来ない世界がそこにある。


健全な人には、そのようなシステムがなくても、

自分で自分を構築する力がある。

自分で、悩む力がある。

誰かに、人生を肯定してもらわなくても、自分で自分を肯定できる。


しかし、私などのように、基盤がそもそも、透明で、ゆらいでいるACは、

視野の狭さ、思考の歪み、思いこみの強さで、

人生の途中、どうしても、自分より偉大な何か・・・形のないものでありながら、

形のあるものを、とりこまずには、生きていられなかったのだ。



今、ACから卒業し、

私は対等な対話や、会話の中、記憶の中から、

自分の言葉を引き出せるようになった。

普通の何気ない会話の中から、感動を感じる言葉を

知ることができるようになった。

特別な人の御神託である必要はなく、

誰からか、与えられた言葉も、必要でなく、

意味を一方的に与えられ、解釈された言葉ではなく、

皆が一斉に感動を誘われるものでなくてもよくなった。


自分で、自分の感情を言葉でつむげるようになった。

自分で考え、自分で心を満たし、自分で心を治めることができるようになった。


なぜか・・・?


答えは、簡単だ。


高いお金を払わなくても、言葉をこねくりまわさなくても、

理論で自分を固めなくとも、

真実は、自分の中にあると、知ったからだ。

これは、最強であり、そして、とてもシンプルで、何より、気持ちが悪くない。


今運営している、コミュニティさえ、

いつでも、手放せる用意がある。

大切ではあるけれど、そこにあるもの・・・それだけのことだと感じている。


といっても、信仰的な部分が、全くゼロかと言われれば、ゼロではない。

しかし、それは、人に伝える部分ではなく、恐らく、普通の人が心の奥底に持つ

太陽信仰的な、原始的な信仰と重なりを持つものに似ているのではないかと、感じている。



長々といろいろ書いてきましたが、
今回、最後に、この記事を書くきっかけとなった ぽあんさんの記事を
ご紹介いたします。

「ネットカルトは出会い系と同じ匂い」

実に鋭い視点で書かれた記事で、ぐうの音も出ませんでした(汗;
すばらしい記事だと思います。
リンクの承諾も頂き、今回は、こちらでご紹介できること、嬉しく思います。
ぽあんさん、ありがとうございました。


そして、もうひとつの記事リンクです。
以前、きんたろうさんが書かれた記事ですが、当時・・・まだ、
宗教依存していた私は、読んだとき、かなり落ち込んだ記事だったということを覚えています(笑)
読んで、隙がない文章だったので、逃げるしかない記事だったこと、そのことは、今でも印象深く私の中に残っています^^;

「色々な共依存のかたち【新興宗教・母親のグループ】」

こちらも、記事リンク、承諾してくださって、ありがとうございました。

おふたりの記事をあわせて読んでくださると、より理解が深まると思いますよ^^

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この記事のコメント
てるるさんへ
コメントありがとうです^^
読んで、心が痛かっただろうなあと、大変、申し訳なく思っていました。ごめんね。

>自分でも、宗教に逃げているのと、依存しようとしているのがわかっています。

これが、わかっていたら、ちっとも問題はないと思います。
私のように、依存さえも分からなくなり、家族を巻き込んでしまった問題の重さは・・・、反省ばかりです。

>信仰の自由さえも許されなかったので

ここは、二通りの深読みをしてしまいました・・・
例えば、ある一定の信仰を親がしていて、他の宗教を否定されたパターンと、
親が、神も仏もあるものか~という厳格なタイプ・・・
どちらだったのだろうなあと・・・。
実は、私が関わっていた宗教も、神社に行ったらいけないなどの、規制がありました^^;笑っちゃうでしょう。
でも、そんな宗教で、心が傷つき、壊れた子どもたちも、数人見てきました。。。とても、痛ましい世代の宗教連鎖です。


>子どもの頃の記憶の片隅にあった教会に通いだしました。

素敵なことだと思います^^
子どもの頃の願いをかなえられたのですね。
教会は、そこにいるだけで、心が落ち着き、清められる感じがします。
私も大好きな場所です^^
個人個人が自分の信仰を持つということは、とても、すばらしいことだと、私は思っています。
大切に育ててくださいね^^
2009-12-29 Tue 09:48 | URL | りんりん→てるるさんへ #-[ 内容変更]
失礼いたします
コメントへのていねいなお返事有難う御座いました。
文中にきんたろうさまサイトでの拙文の引用があったため、こちらではなく、
コミュの雑談トピにお二人宛の文章を書き込んだのですが、
それについて、きんたろうさまからのご指摘があり、
そちらは早速、削除いたしました。
それぞれのサイトにコメントをするのがまっとうであり、
無礼をお詫びします、
大変申し訳御座いませんでした。

実のところ、私側の理解不足に端を発するものかもしれませんが、
お返事頂いた内容についてよくわからない点をお聞きしたかったつもりなのですが。

私としては、「生後、人によって受けた心の傷は、人によってのみ癒せる」
という考えにもとづいて、時に真剣に、時にはユーモラスに、
いろいろな方とのやり取りをしていく事が、
自身の回復につながり、今私に必要なもの、という意図での期待と参加でした。

私的には留意した「つもり」ではあるのですが、
拙文ではうまくは伝えられないもどかしさもあります。
何にいたしましても、ご静養中にもかかわらず、お手煩わせしてしまい、
不本意ながら、大変恐縮しております。
2009-12-28 Mon 23:08 | URL | シュー #382VQomQ[ 内容変更]
まさに今の私にどんぴしゃの話題です。

自分でも、宗教に逃げているのと、依存しようとしているのがわかっています。

でも、何かに依存したい。そんな感じかな。

ただ、カトリックなので勧誘もされないし、逃げるものを追いかける事もしない。それは気楽でしょうか。

まだ、通いだして日が浅いからか、現実的だからか神を信じれない、聖書を勉強していってても疑問に思うところが多々あります。

これが解消されないと信仰まではいかないかな。とも思っています。

親と縁を切る前は信仰の自由さえも許されなかったので、教会に通えるだけでも幸せかなとも思い。子どもの頃の記憶の片隅にあった教会に通いだしました。
これも今はわからないけれども、何かあるのだと思います。

教会=親とは考えたくはないけれども、親に依存していたのも事実なので。

親の事がもっと自分の中ですっきりしたら、教会通いもしなくなるかもしれませんね。
2009-12-28 Mon 19:19 | URL | てるる #nmxoCd6A[ 内容変更]
管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2009-12-28 Mon 15:01 | | #[ 内容変更]
少し、気になることがありましたので、コミ管理人として、書かせて頂きます。


>結局、誰かの出した「お題」とか「皆に聴いてみたい事」などに、
>それをきっかけに相互にブログ訪問したりする事にも
つながっていく、こんな広がりが持てる、と考えて良いのでしょうか?


こちらは、シューさんが、きんたろうさんのところに、残されたコメントですが・・・基本的に、コミは、来るもの拒まず、去る者追わずの、自由な場所ではありますけれど、

>各自あの場に寄稿する、というカタチなんですかね?

これは、違います^^;
私たちは、ひとりひとりの問題を丁寧に、チャットやメールで聞きながら、共に成長できる方向を共に模索しています。(もちろん、望んだ方だけですが)
トピにみなさんが、書かれていることは、言葉を心の中から、必死で探し、回復しようとする、力の表現です。

ひとつひとつの、コメントに、深い意味があり、成長があり、
非常に大切なものなのです。

>結局、誰かの出した「お題」とか「皆に聴いてみたい事」などに、
>それをきっかけに相互にブログ訪問したりする事にも
つながっていく、こんな広がりが持てる、

これも、違うとお伝えしておきますね。
私たちは、単なるブログの交流を目的としていません。
それは、依存です。

私たちは、互いのブログから、自分の思考の癖を学び、自分を再構築する力得るため・・・、その必要性のために、互いに交流をします。
ただ、無意味に慰め合ったり、そこに、力関係を発生させたりすることは、ありません。

簡単に言うと、
「なぜ、、私は、このような考え方をしてしまうのか」
「変わりたいけど、どうしたら、変われるのか」

そう思う人たちが、必死で・・・「自力」で答えを見つけて行く場所なんです。
依存的ではなく、自立的な場所です。

結果として、互いのブログの交流も、生まれてくるかもしれませんが、それは、目的ではありません。

シューさんも、自分を振り返り、自分を変えたい、
自分の感情を取り戻したい、そう思われるのであれば、
コミのトピには、どんどん、参加されてください。

ただ、ブログ交流に不慣れな方、PC操作に慣れない方も多く、勇気を出して、ブログというのもに、はじめて挑戦されたかたも多く・・・また、女性には、いろいろと、トラウマも多いので、足跡機能を追いかけるのは、恐怖を誘うこともあります。これは、信頼関係がないうちは、申し訳ありませんが、コミでは、御遠慮くださいませ。

ちなみに、「足跡」機能は、私は、消しております。
いろいろ、面倒なので^^;

これは、管理画面の環境設定のブログの設定より、変更、操作できますので、もし、他人のブログに足跡を残したくない方は、そうしてみてください。

では、どうぞ、ご理解、よろしくお願いいたします。
2009-12-28 Mon 11:39 | URL | りんりん→シューさんへ #-[ 内容変更]
「腑に落ちる」・・・まさにそんな記事でした。
こころが弱ると、そうした事に向かってしまう人は後を絶たない
という一面があり、社会問題化もしてますしね。
バッサリ言ってしまえば、
宗教というもの自体が人間の考え出したものである限り、自ずと
限界や矛盾点を内包している事は当然なわけで…
おしなべて「組織」というものは、利用の仕方によって良くもあり、
一歩間違えれば、トラウマのもとにもなりうるものだと思います。

ただ、僕自身は何教を拝むではなく、哲学のひとつ、生きる智慧として、
宗教の教義(文章)そのもののエッセンスの「良いトコ取り」をしています。

一銭もかからず、組織的強要もなし。
問題は「宗教」そのものというより、その解釈を自分だけの都合によって
曲解して利用する人間の愚かさにあるのかなぁ、なんて考えています。

この記事にしても「読んだらいいのに」という人ほど、
「読みたくない」と「感じ」、実際「読まない」ものなのかもしれません。
自己対峙というのはなかなか難しいものですし。

こころの産業は盛況のようですが、玉石混淆ですね。
2009-12-27 Sun 19:34 | URL | シュー #382VQomQ[ 内容変更]
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