author : rinrin
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大人の沈黙・子どもの沈黙【不登校】
2010-04-19 Mon 20:13
不登校に子どもの初期対応に、「黙って見守る」というものがあります。
以前も「沈黙」について、何回かブログで考えたことがありますが、
再度、書いてみたいと思います。

.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+。.:*・゚+。.:*・゚


「黙って見守る」という言葉を医療者が使うには
やはり、それなりの理由があると思います。
ひとつには、カウンセリングの基本が「傾聴」にあることからだと感じます。
しかしながら、この「傾聴」が、曲者だなあと最近よく感じます。

傾聴をするには、こちらが、相手の話を聞かなければなりません。
しかし、どうも、この相手の話を聞くというのにも、
色々と段階があるのではないかと感じます。


例えば、子どもが、話しかけてきたとき、

お母さんの心の中では、

夜ごはんの献立がぷかりぷかりと浮かんだり^^;、
子どもの話してくれる内容から
反対に、子どもを教え諭す言葉が心に浮かんでしまい、
言葉じりをひっつかみ、次にこれを言おう!と、
次に自分が発する言葉を頭の中で準備しつつ
待ち構えていたり、鬼の首を取ったように、
正論を子どもたちに、ぶったりしてしまいがちです。


そして、もうひとつのパターンとしては、
聞いてやらなくちゃ~、という妙なお仕着せモードの心理状態^^;。
聞いてやってる
たぶん、これには、聞いてやれば、子どもは、
元気になるという下心付きもあります。
これも、どうでしょうか。。。

人は、悩みや、聞いて欲しいことがあるとき、
誰かに、受け止めてもらえたと思える状態は、
どのような時なのかを
考えてみたら、わかるのではないでしょうか。

聞いてあげる と 

あなたのことを知りたいの、聞かせてちょうだい



この差は、天と地ほどの距離があるのではないかと思います。


私は、昔、娘に言われたことがありました。
「お母さんに相談しても、お母さんが、困るからしない」

Σ(゜◇゜;) ゲッ  ショック☆<( ̄□ ̄;)>☆ショック

この娘の言葉は、自分が発する言葉が、
母親を揺らがせたり、不安にさせることを、
知っていたとしか、思えない言葉でした。
子どもから、心をすっぱりと読まれてました。

もちろん、当時、子どもたちの話しは、誰よりも聞いていたつもりでした^^;
本心は、お願いだから、お母さんは、自分の問題で、手いっぱいなのよ、
だから、困らせるようなこと、言わないで(イライラ)
ということで、子どもたちは、私にとっての都合のいいことしか
話してくれなくなりました。見透かされていたということですね。

こうたした、大人の地味な積み重ねで
子どもたちは次第に、*沈黙 を学んでいきます。


*言っても無駄だという失望、的外れであることの悲しさ、
 分かってよと、訴える気持ち、あるいは、
 黙ることで、親側から突きつけられた言葉から
 身を守ることを学ぶのだろうと感じます。
 


ところが、今度は、親は身勝手なもので、子どもの沈黙が我慢ならず、
思わず、追いたてるように余計なことを口走ってしまいます(汗;
そして、お互いに嫌な気持ちを抱えて、一日が終わります。
その積み重ねの延長に、我が家も不登校という現実があったのだろうと思います。

その悪循環を一端止めるという意味で、
「黙って見守る」という言葉が、カウンセリングの中で
昨今、多用されるようになったのだろうと思います。

私も、当初は「黙って」の部分は、親は言いたいことを我慢しなさいと理解し、

そして、この「見守る」は、監視の目、あるいは、諦めの目、失望の目でした。


しかし・・・子どもたちが言うように、
そんな形だけの親の気持ちなど、いとも簡単に分かってしまうのですね。
どんな正論を言葉にしても、
子どもたちから、その偽善、建前を見透かされていることに、
大人は気づかなければならないことだろうと思います。

ここからは、私自身の子ども時代の経験になりますが、
私がアルコホリックな機能不全の家庭で育ったことは、
以前書きました。
その頃、私自身、とても、無口で、おとなしい子でした。
しかし、口を真一文字に結んで、何かを訴えたい私がいました。

なぜでしょう。

親に何かを言えば、家庭不和・怒られる元凶になると
経験から分かっていたからです。
そして、母親からは、愚痴の受け止め役としての役目を与えられていました。

そこには、言いたくても、言えない状況がありました。

その事を思い出して、やっと、子どもたちの使う沈黙が、
はじめてリアルに重みを持って、重なってきたと感じます。
親自身が自分の過去を振り返ることで、
子どもたちの気持ちが、わかるものがあるのではないでしょうか。


*大人の沈黙には、数種類あるような気がします。
次回は、大人の沈黙の種類について、書いてみたいと思います。

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この記事のコメント
風さんへ
>「何を考えているのか分からない子」でした。

私もよく、親から言われました^^;
そう言い続けられるうちに、自分でも、恨み辛みで一杯になって、何を考えていたか、わからなくなりました。

自分に集中できる、穏やかな時間が欲しかったなあって、今になって思います。
2010-04-23 Fri 23:56 | URL | りんりん→風さんへ #-[ 内容変更]
まるちゃんへ
>今、本当にそうだと感じます。

それだけで、十分^^

静かに、自分を感じているまるこさんを、
感じます^^うれしいです~
2010-04-23 Fri 23:49 | URL | りんりん→まるちゃんへ #-[ 内容変更]
「沈黙」
先日のカウンセリングの時に教えて頂いて、聞く耳を持ちたいと意識はするのですが・・・・なかなか難しくて・・・。

私自身は「大人しい」と言うより、「何を考えているのか分からない子」でした。

娘たちもどちらかと言うと、そうです・・・。

でも、言葉を取らず、見守りたいと思います。

いつも、ありがとうございます。
2010-04-22 Thu 10:05 | URL | 風(ふう) #-[ 内容変更]
りんりんさんへ
りんりんさん、こんにちは。

私も子供の頃、「おとなしい子」でした。
おとなしい=あまり話さない、口数が少ない。
でも、それは「話したいことがない」ということではないのだなぁと、この記事を読ませてもらって、今更ながら、気づいております。
今はまだ思い出せないけれど、私にも「言いたいこと」はあったはず。
だけど、言えなかった。
家の中には、親との間には、慢性的に「言えない状況」があった。
「言えない」がどんどん積み重なって、「言わない」「おとなしい」になっていったんだろうと思います。

「言いたいこと」が言えない。
「言いたいこと」は、どんどん「心」の中にたまっていく。
「心」はどんどん重たくなっていく。

「言いたいこと」は、「聞いてくれる人」、「受け止めてくれる人」がいてこそ、話すことができる、心からすくい出してあげることができる。
そして「言いたいこと」こそが、気持ち、感情なんだろうと…。

今の自分、子供の頃の自分、そして、今の息子、小さかった頃の息子。
私と親、私と息子。
つながるものがあります。

>親自身が自分の過去を振り返ることで、
>子どもたちの気持ちが、わかるものがあるのではないでしょうか。

今、本当にそうだと感じます。

書いてくださって、ありがとうございます。
2010-04-21 Wed 12:00 | URL | まるこ #aN9AbwgY[ 内容変更]
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