author : rinrin
心の配列【配列2】【アダルトチルドレン】【不登校】
2010-11-04 Thu 00:01
さて、前回、時系列の配列のお話をしました。

ところで、配列といえば、皆さんは、どのようなイメージを
抱かれるでしょうか。

きれいにならんだ、数字
一糸乱れぬ、軍隊の行進
こだわり抜かれた品物の陳列
きれいなもの、整えられたもの
安定感
すっきり感
統一されたもの
絶対的な正義感


こんな感じでしょうか・・・。

AC傾向の強い方は、この配列に、美しさや安心感を
求める傾向性が強いと感じます。

「適当」「ほどよく」ということが、できません。

この自分の「配列」を崩すものとして、
子供が、お茶をこぼしたり、
おもらししたり
散らかしたり、床が汚れたり、自分の配列の中で「不快」と
感じるものがあります。

このように、自分の配列の一定の並びを崩すものを排除しようと、
常に神経を張り巡らしています。

それは、子育てならば、必然的に過干渉・監視として、
子供に影響を及ぼすのだろうと感じます。

が、現実には、子供は、予測不能な生き物ですね。
いえ、子供だけではなく、自分以外の他人というものは、実際のところ
自分の範疇をこえているのが、当たり前のことだと感じます。

自分配列が多ければ多いほど、配列に当てはまらない事態が多発するってことでしょう。

例えば・・・、いつもAさんは、お皿を一定の場所に仕舞うことに決めているとします。
そこへ、お姑さんが、やってきて、お茶碗を洗ってお皿類を食器棚に片付けてくれたとします。
ところが、ある日、Aさんは、いつもの一定の位置ではなく、別のところにお気に入りのお皿が仕舞われていることを発見します。


「いらっ」の発生ですね。

同時に、配列を崩された心が傾く感覚を覚えます。

心が傾いた瞬間、過去の消化されていないトラウマと「いらっ」の状態が
リンクすることで、軽いパニック症状に襲われます。
しかし、「軽いパニック」は、常日頃から慣れ親しんだ感覚なので、
これが、パニックであるとは、自分では、気づくことはありません。

配列・心の法律 の多さにより、不測の事態が起こるたびに、
慢性的にパニックを起こしている状態が連続して起こっていると感じます。

そして、ちょっと不機嫌になって、お気に入りのお皿をいつもの定位置に、片付けます。
しかし、お姑さんが、好意でやってくれたことは、理解はできるので、文句も言えません。

数日は、我慢します。
「ありがとうございました」とにこやかに、嘘をつきながら。
しかし、仏の顔も3度まで・・・と言いまして
これが、数日続くと・・・「いらっ」「パニック」の積み重ねで
次第に、「怒り」に変化してきます。逃しようのない「怒り」ですね。

しかし、お姑さんには、直接、「こうして欲しい」と出せない。
どうしてこんなことが、わからないのだろうと、自分の枠の中で
自己正当化も、同時に始まります。

この時点で、自分の強固な配列があることは、無意識であるので
Aさんは、よもや自分に非があるなんて、思いもしません。

そこで、夫に訴えます。
(出せるところに、出すという行動)

しかし、夫は、妻の配列の重要さを知りませんので、
「そんな、小さなことで・・・」と真剣に聞いてくれません。

パニックは、収まるどころか、いっそう激しくなります。
そして、そのことは、怒りの転移となって、
より、出しやすいところを選んで、出すことになります。

それが、子供、ペット、出しやすい友人などであることが、虐待という形にエスカレートしていくのではないかと、経験から感じます。

*「虐待」と書きましたが、殴る、蹴る、無視、腹いせの罵声、ののしり、いじめ、という感情に任せての八つ当たりとなります。



さらに、二次的弊害として、このようなことが、何回も積み重ねられ・・・
「夫は、姑から自分を守ってくれない」という、不信の配列が、出来上がります。

新たな不信の配列は、後に「夫は、あてにはできない」という証拠探しを
Aさんは、するようになります。
結果的に夫を家庭から、排除するか、攻め続けるかのどちらかになるかと思います。
父親は、家庭での権限を剥奪され、子供たちからもAさんによって遠ざけられ
*男性性は、家庭の中から失われ
家庭のバランスが崩れていきます。

*男性性とは、社会的に押し出す力
 子供に、越えるべき問題を突きつけ、自立へと促す力


よって、外へ押し出す力を失った家庭は、内へ、内へと、閉鎖的になっていくことだと感じます。
後に心の仕組みを熟知していない夫が、家庭での居場所を取り戻そうと躍起になっても、お互いに傷つけあう事が、多発する気がします。


このように、配列が多ければ多いほど、不自由であること。
そのことだけは、確かであると、経験上思います。

私自身を振り返りますと、この配列の中での、かつての子育ては、苦痛以外なにものでもありませんでした。

よもや、このような配列が、自分にあるとは気づかないまま
子供を、自分の配列に押し込み、ぎゅうぎゅうに詰め込んだ結果として
子供の心を奪い、不登校という事態を招いたのだと感じます。


このような自分の配列を知るためには、
今までの自分の枠の中で、「配列」がわかることは、ありません。
私は、経験的に、人と接すること、対話していくことでしか、自分の「配列」を知る事が出来ないのではないかと感じます。
対話の中で相手に感じた違和感こそが、「自分の配列」を知る絶好のチャンスなのだと思っています。

*対話とは、慰めあいや、同調(かわいそう、気の毒、そうそう!)ではありません。かといって、相手に直接、怒りや不快な気持ちをぶつけることでもありません。
対話によって生じた負の感情を自分で消化し、味わい、自分の配列を崩す力にしていくことが大事だと感じます。感じた感情は、相手の問題ではなく、自分の問題であることを肝に銘じることが、とても大切だと感じます。


次回、「逆の配列(借り物配列)」について、記事にしてみます。
 
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2010-11-13 Sat 00:02 | | #[ 内容変更]
Libra さんへ
コメント返し、遅くなってすみません。
とても、ムラのある落差生活を送っているもので^^;

いつも、読んで頂いて、ありがとう~。
感謝っす!


2010-11-11 Thu 12:35 | URL | りんりん→ Libra さんへ #SAu5W79E[ 内容変更]
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2010-11-08 Mon 22:36 | | #[ 内容変更]
配列について・・・
 なかなか、とっつきにくいテーマかもしれませんね。自分のことは客観視できにくいかもしれない、ということを差し引いても、割と私はそういう”配列”が少ない方・・・いえ支障をきたすような配列は目立たない方だと思うので。それでも、やはり私なりの正義感や、自己流の”流儀”>これが配列かと思いますが、に全く合わない人にはいらっとしますね(笑)。一番抜き差しならない対立点と向き合わざるを得なくなったのが、結婚であり、夫に対してだったかもしれません。夫は配列だらけの人なので(^^;)。私の場合は自意識過剰で理屈っぽいので、知識や意識から変化を求めてきたけど、夫は子供の不登校や私の変化に対応せざるを得なくて、無意識に変化してきている感じです。違う方向からですが、臨機応変の家族に変わってきたのを感じます。
 でも、配列というか、そういうもの(信念?価値観?習慣?)って生活の知恵でもあるし、生きる指針にもなるし、どこまでも相対化すればいいってものでもない気がします。ただ、もちろん、それが生き辛さの一因なら修正が必要であるし、そうして絶えず修正の余地を残す精神的な余裕や客観性が必要なのかなと思います。
 その客観性がつまりは・・・他人の反応であるのかな?他人って、身近でいえば夫や子供や親、きょうだい。自分以外の他人がある意味”鏡”になるけど、鏡も大小、形、ゆがみ、ひび割れいろいろあるので、一つが絶対じゃないし。ACは、歪んだ鏡(親)だけ見つめてメイクしたようなものだから。
 自分の感情を知ること、あるいは認めることが最初は難しい気がします。私はやっぱり最初の過程では感情を吐き出すことが不可欠でした。喧嘩も必要だったし。自分で消化できるようになるまでの、その吐き出しをどうするかがすごく大事だし、難しいこと(時間、場所、相手の確保)だと思います。
 
2010-11-08 Mon 10:15 | URL | Libra #-[ 内容変更]
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