author : rinrin
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【アダルトチルドレン・不登校】抱いて生きる
2011-10-16 Sun 12:49
ある不本意な出来事が起こると
人は、「なぜ?」「どうして?」
と世界中に問いかけます。

何か外的な要因に、責任をなすりつけようとしたりもします。

不登校の場合でいうと「どうして、うちの子が、不登校になったのでしょう・・・」
ACで言うと「どうしてこんな家庭に生まれてきたのだろう?」という
根源的なところまで遡ろうとします。

しかし、いくら問うたところで、答えは外にはありません。


3年前、長年看病した愛犬が亡くなった時、
私の中の何かが変容したように思いました。
一体、何が起こったのだろうと、その時のことを
振り返ってみても、明確ではありませんでした。
最近、やっとわかったような気がします。

「悲しみと共に生きていく覚悟」という事ではないかと。

悲しみを無理に忘れようとしたり、
悲しみを無理やり楽しかった思い出に変換して、
悲しくないふりをし続けるという事ではありません。
(ガンガンポジティブ^^;)
また「かわいそう」と嘆き続ける事でもありません。
(ガンガンネガティブ)←某携帯のパクリです。

私たちACは、過去に失った時間(喪失)があまりにも多い。

喪失から立ち直るためには時間が必要です。

衝撃(失う・または失ったことに気づく)

自分の感情を抑圧する

怒り・罪悪感

思慕(同じものを探し求める)

迷い・慢性的な悲しみ・引き戻し(手に入れられない事による迷走)

転機・事実を受け入れる

大まかに言えば、こんな感じかもしれません。


ACの根源的な問い・・・私はなぜ、生きなければならないのか?

答えはないのかもしれません。。。


失った悲しみを抱きつつ、人生を生きていく覚悟が出来た時

過去の亡霊から解き放たれるのかもしれません。

そして、失った嘆きを 誰かと一緒に共有し続けることで

1人で抱える荷物もまた、少なくなるでしょう。

失ったもの同士だからこそ 共有出来る事もあるのです。



人生は、悲しみも、苦しみも、憎しみも、醜さも、後悔も、失敗も

そして、喜びも、楽しみも、美しさも、成功したことも、感謝も・・・

すべての事実を受け入れて、胸に抱きながら生きていくものかもしれません。

だからこそ、1人1人の人生のドラマは、愛しく、切なく、そして

空に輝く星のように 燦々ときらめいて見えるのでしょうね。


りんりん
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この記事のコメント
エルさんへ
エルさんへ

るんなさん、虹の橋へ行かれましたね。
ブログから静かにお別れをされているエルさんを感じていました。

お母さんが参加して下さった結婚式・・良かった・・・。
るんなさんからの最後のギフト、エルさん受け取られたようで
安堵しました。
ほんとに良かったよ・・・

>ずっと一番傍にいたるんなでした。

きっと、るんなさんも、エルさんがるんなさんから
受け取った愛情と同じくらい・・・それ以上の暖かさを受け取っていたと思うよ^^
共に、辛い時に過ごした時間、楽しく笑った時間、
すべてがエルさんとるんなさんの中にこれからも
生き続け、命はつながっていくだろうと思います。

エルさんの記事を読みながら、
私もまた、幼い頃共に過ごしたわんこのことを思い出していました。
私は、その頃、幼すぎて、病で倒れたわんこに
何もしてやれませんでした。
3年前亡くなったわんこに、その時の後悔を投影しながら看病をしていました。
そして、踏ん切りがつかないまま骨壺に入ったまま我が家に留まらせています。
エルさんの記事を読みながら、私も、お骨をわんこが好きだった近くの海に
返してあげようと思いました。

エルさんも私も、わんこに導かれて今があるんだね。
どうぞ、これからも、自信を持って、
自分の道を切り開いて生きてってください。
エルさんが幸せでありますよう心から祈っています。

るんなさんお疲れ様でした。
エルさん、ありがとう。
2011-10-19 Wed 00:06 | URL | りんりん #SAu5W79E[ 内容変更]
りんりんさんへ
先週、愛犬るんなが空に旅立ち、ものすごくタイムリーな記事にビビっときてしまいました。

るんながいなくなったことは寂しいし、しばらく思い出しては泣いていたけれど、今は少し、「いなくなったこと」を受けとめられているかなと思います。

るんななら何を願いどう思うかと考えて、彼女はぜったいに誰かを責めたり何かのせいにしたりしないし、人が見てないようなどんな小さなことにも気付いて感謝の気持ちを伝えてくれるし、きっと全部私の思いも知ってくれていたんだとおもいます。

るんなの最後の私へのプレゼントは、家族に思いやる気持ちをとり戻させてくれたことでした。

半ば精神病になりかけていた母親は、るんなが最後一番苦しい状態になってから様子が変わりはじめ、おかしな行動や発言が減っていき、あれだけ嫌悪していた私の結婚式に、出席してくれました。

私はもうとっくに諦めていた母親を、るんなは諦めていなかったんです。

無理やり変えようとしたんではなく、頑なな母親ですら大きく揺り動かされるくらいの温かい想いを、病に苦しみながらもるんなは注ぎ続けたんだと思います。

ずっと私を守ってきてくれたるんなが最後の最後まで、こんなにまで想ってくれていたなんて。

親の愛情は歪んだ形のものでしたが(育ててもらった感謝はしています)、子供から成長していく時期から兄弟のいない私にほんとうのあたたかさを注ぎ続けてくれたのは、ずっと一番傍にいたるんなでした。


今は天国で、走り回って芝生でゴロンゴロンしているのかなぁと思いを馳せます。


どうしても、親の変化をお伝えしたかったので、長文失礼しました。
2011-10-18 Tue 15:16 | URL | エル #-[ 内容変更]
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