author : rinrin
怒りの解放 (1) 概論
2009-07-07 Tue 21:01
ちょっと、思うところがありまして、


人の負の感情・・・

つまり、世界を見つめるレンズが、ゆがんだ根本原因になったものを、

私が、どのようにして、エクササイズを行い、

怒りと対峙したのかを、順を追って、書いていこうと思います。

たぶん・・・そうとう長くなりますので、記事を分けます。


そして、まだ、その段階に無い方、

強烈なので、あまり、読むことをお勧めしませんので、

どうぞ、そこんとこ、ご理解しながらご自分を、守ってください。




まず、全体概論です。


これは、ジョン・ブラッドショーが書いた

「本当のあなたを取り戻す方法」

インナーチャイルド

という、かなりの分厚い本の手法にのっとっています。

(私がやった、インナーチャイルドエクササイズは、ほとんど、
このブラッドショーの手法で、行っています。
興味のある方は、本を入手されてくださいね)



■怒りを感じ解放する


怒りは大切な感情です。

怒りは、自分が傷つけられていたり、

何かがうまくいっていないことを知らせてくれる信号です。

怒りは、自分にとって何が大切かを教えてくれます。

もし、あなたが幼いとき、

はじめて怒りの感情が体のなかから沸々とわいてくるのを経験したとき、

誰か大人がそれに気づいて、

「あなたは、今とても大事な気持ちを感じているのね」と受け入れ、

抱きしめて、肯定してくれていたら、

どんなに違っていたことでしょうか。

女の子から少女へ、大人の女性になっていく道のりで、

怒りを感じるのは悪いことなのだろうか、

それは何を意味しているのだろう、

私はどこかおかしいところがあるのだろうか、

と、少女たちは怒りの感情を疑い、

目をそむけ、それを飲み込み、

喉の奥に押し込めて生きることが多かったのではないでしょうか。


人は幼いときから、自分の感情にかかわり、

肯定してくれる人を必要としています。


ここでは、最もあなたが力強く感じられる過程、

すなわち怒りの体験とその意味、

怒りを自分自身や他人を傷つけない形で創造的に表現するにはどうしたらいいかを、

一緒に考えていきたいと思います。


怒りの始まりは、時として、自分自身に対する怒りかもしれません。

「どうして私はこういう目に遭うのか」などの、

自責や自己嫌悪の形で自分に向けられるかもしれません。

しかし、時間が経つにつれて「怒りを持つこと自体は悪いことではない」、

けれど「怒りは自分に向けることではない」ということに気づいていくでしょう。


そして、それを向けるべき対象「加害行為をした人への怒り」として感じ、

(直接加害行為をした人に、間接的に友人やセラピスト自助グループ、文章・絵などで)

表現することが正当であることに気づくでしょう。


怒りは、癒しへの重要なステップです。


怒りは、とても複雑な感情です。単純に一つではありません。

怒りの背後にはさまざまな感情がひそんでいます。

怒りが純粋な状態で表れることは少なく、

普通は、悲しみ、恥、罪悪感、不安などの感情を伴ってやってきます。


怒りをいつ、どのように体験するかは、それぞれ違います。

だから、「どうして私は怒れないんだろう」と不安になるかもしれませんが、

大丈夫です。


今の自分を大切に、自分のペースやリズムで、

ゆったりと旅路を歩んでください。



●創造的に怒りを表す

怒りを癒しの原動力として肯定的に受けとめる女性は、

ごくわずかではないでしょうか。

女性は昔から礼儀正しくやさしく振る舞うよう教えられ、怒りを表せば、

「男嫌い、男勝り、イヤな女」などというレッテルを貼られることが、

今でも多いと思います。

このため、多くのサバイバーが怒りを抑圧し、内向させてきました。

しかし、怒りそのものは抑圧すべきものではなく、

破壊的であるとはかぎりません。

むしろ侵害に対する健康な反応であり、状況を変革するエネルギーなのです。


●怒りと自己評価

怒りは虐待に対する当然の反応ですが、虐待された当時は怒りを感じ、

表し、行動に移すことができなかったり、

その権利があることさえ気づかなかったかもしれません。

むしろ、さまざまな形で怒りを抑え込み、屈折させてきたかもしれません。


しかし、怒りの矛先を虐待者に向けないと、

怒りのエネルギーは別なところに向かいます。


・サバイバーの多くは、怒りを自分に向け、抑うつ状態や自己破壊に陥ります。

 「自分が悪い」「自分には価値がない」と思ったり、

 自殺したくなることもあるかもしれません。

 過食によって怒りを抑え込んだり、薬物で感覚を麻痺させたり、

 病気になる人もいます。

 自分を責めることを身につけたサバイバーは、

 傷つけられたこと、自分を守れなかったこと、
 
 愛情と関心を求めたこと、性的に興奮したことなどについて、

“内なる子ども”に怒りをぶつけるかもしれませんが、

“その子”には何の罪もないのです。


・サバイバーのなかには、

 怒りをパートナーや恋人・友人・同僚や子どもたちなどに、

 向ける人もいるかもしれません。

 怒りを抑えきれず、子どもや恋人に向け、

 時に暴力を振るってしまうこともあるかもしれません。
 
 暴力が生活の一部になっていて、

 人や自分を傷つける形で怒りを表現しているなら、

 すぐに誰かに相談しましょう。

 怒ることは正当ですが、暴力は違います。

 身体的暴力を振るわなくても、

 言葉でケンカをしかけたり、人のあら探しをしたり、

 些細なことで相手を怒鳴ったりののしったりしていませんか。

 言葉による暴力も破壊力を持つものです。


●向けるべきところに怒りを向ける

怒りを、心理的ダメージを快復する鍵にするためには、

まず怒りを、向けるべき対象に向けることを意識してみてください。

時には、自分自身や子どもや、

時には援助者に対して怒りを誤って向けていることがあるかもしれません。

しかし、今まで書いたような、エクササイズ等の過程で、

喪失を嘆くなかで諸々の感情を直視する作業をていねいに重ねていくと、

怒りは自分を攻撃する手段に使われることが少なくなり、

逆に自分を大切にするために使われるようになります。


最初は難しいかもしれませんが、

虐待の責任と自分の怒りを、確実に、

そして正当に、虐待者に向けていきましょう。


●自分の怒りに触れる

いざ怒ろうと思っても怒りが出てこないとき、

自分の怒りに触れる方法はいろいろあります。

そのなかのいくつかを紹介しましょう。


・自分のためより他人のために怒るほうがたやすいときもあります。

 はじめはそれでもよいでしょう。

 「自分の子どもが自分と同じ目に遭ったら」
 
 と想像したり、さまざまなサバイバーの手記を読んだり、

 サポートグループでの人の話を聞いてみましょう。

 人の悲しみの表情を見て心を動かされ、

 激しい怒りを耳にすると、自分の気持ちも刺激を受けます。


・怒りを態度で示すのも助けになります。

 体で怒りを表したり

 (こぶしを振り上げるなどの動きから、

 壊れて、ケガしないもの〈布団など〉を叩くなど)、

 脅す格好をしたり、しかめっ面をすることで、ほんとうの怒りを呼び起こすのです。


・セラピーやサポートグループは、怒りを引き出すのに適した場かもしれません。

“ロールプレイ”も怒りに触れる効果的な手段の一つです。

 セラピスト・友人・グループのメンバーに、

 自分が怒りを向けたい相手役を演じてもらい、

 その場面を再現します。

 それに対し怒りで反応し、解放感と安全感を味わうのです。


 この種のエクササイズを安全に行うには、

 かかわる人々が信頼でき強い感情を受けとめられる人でなくてはなりません。

 また怒りを表現する際は、人も自分も傷つけないなど、

 何らかのガイドラインが必要でしょう。

 そして、もう十分だと感じたら、いつでも止められるようにしましょう。


・文章を書くことも怒りを引き出す方法の一つです。

 虐待の影響と思われることを箇条書きにしてみましょう。

 これをていねいにやっていると、大抵怒りが出てきます。


・虐待者に対する怒りを、より正当化しやすい怒りに便乗させるのは、

 自分の内部で無意識に働く

 “怒りへの自己検閲”

 を打ち破るのにいい方法です。

 世界のいろいろな不当な出来事に自分の心の傷を重ね合わせることで、

 心の底からほんとうに自分のために怒れるようになるかもしれません。


・まだ自分の怒りにしっかり触れていないとき、

 他人が自分のために怒ってくれるのをうれしく思うこともあります。

 自分のために身近な人や第三者が怒ってくれることが支えになり、

 内に秘めた怒りを感じる助けになることもあるのです。


●「怒りが怖い」場合

サバイバーの多くは過去に怒りにまつわるいやな思いをしてきたために、

怒ることを恐れます。

家族のなかで制御できない破壊的な怒りを見てきた人もいるでしょう。

身近で破壊的な怒りを体験していなくても、

「いったん自分に怒りを許したら人を殺めるのではないか」

と恐れる人もいます。


でも、あなたは怒りを、自分が納得いく新しい形で表現することができます。


子どものころ加害行為をした人に、怒りを暴力的にぶつける女性はまれです。

怒りは感情の一つであり、それ自体は誰も侵害しません。

「怒りを感じること」と「その怒りを行動で表すこと」の違いを、

はっきりさせる必要があります。


自分の怒りを認めると、

次は「それを表現したいか、どんな形で表現したいのか」を選ぶようになるでしょう。

怒りは決して制御できない感情ではなく、

それを進んで受けとめ馴染むことで、自分の望む方向へ向けられるようになります。


サバイバーの多くは、自分の怒りの根深さを知っているだけに、


「いったんそれに触れたら永久に怒りの渦に巻き込まれ、

敵意と苦痛に満ちた人生を送る羽目になるのでは」と不安になります。


しかし、怒りが“執念”となるのは、

それを抑圧したり誤った方向に向けたときだけです。


心を開いて自分の怒りを受け入れ、

それを名づけ、熟知し、適切な方向へ導けば、

怒りは自分を解放する真の力となり、

新しい生活をつくり出すエネルギーに転換されます。


●怒りと愛情

怒りと愛情の関係について「怒りは愛情を壊すもの」と時に誤解され、

滞っている感情の解放を妨げます。

身近な人や楽しい体験を共有した人に虐待を受けた場合、

その人との関係や子ども時代の楽しい思い出まで否定したくないために、

自分の怒りを認めたくないこともあります。


しかし、怒りは大事にしたい思い出まで否定しません。

怒ることでなくなるのは「加害行為をした人が何もしていない」という幻想だけで、

よい思い出はそれとして残せるのです。


●復讐したいサバイバー

サバイバーは、自分をひどく傷つけ加害行為をした人に、

復讐したいという思いに一度は駆られることが多いものです。

殺人などの夢を見ることもあるかもしれません。

復讐したいと思うのは自然で正常な衝動です。

心ゆくまで空想してもよいでしょう。

復讐を思い描くことを自分に許すことで、かなりの満足感が味わえます。


でも「空想を実行に移したい」と思いはじめたら、

その行動が自分の将来に与える影響を考えてみましょう。


現実的に考えて、暴力的仕返しは賢明ではないと思われます。


虐待の連鎖を断ち切るかどうかを、決めるのは、あなた自身です。


仕返しは自分のすることではないと考えるサバイバーもいます。

何よりも、自分が健やかに生きることが最高の仕返しになることもあるのです。


●怒りを安全に出すこと

怒りを経験し表現するのに慣れるにつれ、それは日常生活の一部となります。

押し込めさえしなければ、怒りは“恐ろしい怪物”ではなくなり、

さまざまな感情の一つになります。加害行為をした人と対決するときも、

一人で自分の怒りに向き合うときも、何らかのはけ口をつくることが大切です。


例えば、こんな方法があります。

・人前で口に出してみる。

・加害行為をした人に手紙を書く(実際に送らず、ただ書くだけでもよい)。

・安全な場所で叫ぶ。友人に一緒に叫んでもらう。

・壊してもかまわないもの(古い食器・段ボールなど)を壊す。

・クッションやベッドを叩く(自分がケガをしないように)。

・武道教室に参加する。
 エアロビクスをやりながら、
 あなたに加害行為をした人を想像上で殴ったり蹴ったりする。


このほかにもさまざまな方法があります。

創造的に怒りを表すことで、怒りは癒しにつながります。


●怒りから行動へ

怒りは加害行為をした人との関係を断ち切るきっかけを与えます。

また、現在の生活でも、横暴な上司のいる職場を離れたり、

暴力的なパートナーと別れたり、

薬物やアルコールの依存から立ち直る糸口になったりします。

怒りに的確な焦点を当て、その矛先を自分から加害行為をした人へと移すことで、

自分を受け入れ、育み、前向きに行動する道が開かれるのです。


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これらは、本のコピペですけど、

実にさらさらと書いてありますが、

実際、やってみると、

血反吐を吐くような、そんなエクササイズでした。


自分が傷だらけになりながら、

でも、這ってでもやらなければと、

そんな状態でした。

当時、私の姿は、とても、自虐的に見えたかもしれません。



その課程は、後ほど、まとめて行きたいと思いますけれど、

これをやるには、本当に信頼できる、

同じ道をゆく仲間(慰めあいではなく)、

そして、先ゆく人の強力なバックアップが、必要でした。

幸いにも、私には、それが、両方揃っていたことは、

感謝しかありません。

続きます。
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あなたは、もう、許されている
2009-06-30 Tue 23:18
もう一つのブログ、

「心おだやかにいきるために」の、

本日アップした記事を紹介します。


この「マグダラのマリアの物語」には、

実に、感慨深い思い出があります。

今日は、その頃のことを、懐かしく、思い出しながら、

アップしました。


私は、当時、インナーチャイルドのエクササイズの、ひとつの佳境に入ったころでした。

そして、どうしても、越えられない山を迎えていました。


それは、「罪悪感」。


ここを、越えられなくて、

身もだえするような気持ちを持て余していました。

理屈では、自分を必要以上に責めることは、

何の益も無いことなど、分かっていました。

しかし、理性では、越えられない、壁が立ちふさがっていました。

それは、アダルトチルドレンたちが、陥る、

成育歴による間違った刷り込みによるものであると、

分かっていてもです。

理屈では分かっていても、感情が、納得できなくて、

ずいぶん、苦しんだ記憶があります。


そんなとき、tatsuさんが、書いてくださった文章が

この「マグダラのマリアの物語」でした。


この物語を読んだ時、

私は、パソコンの前で、号涙していました。

そして、ずいぶん、長い時間、泣いていたと思います。

いろいろなビジョンが、頭の中に浮かび、

私自身が、罪を犯したマグダラのマリアに共鳴していました。

いえ、共鳴・・・という、生易しいものではなく、マリアそのものでした。


「さあ、行きなさい」

そうイエスに言われた、ボロ布をまとった、マリアの心情を思うと、

今でも、泣けて、泣けてしょうがありません。


人生を生きていくなかで、その道中に、

誰もが、罪を背負っていかざるを得ないこともある。

そういう理不尽と思われる人生の中で、

必死で、生き残ってきた人々・・・

それが、マグダラのマリアであり、傷を負った人たちであり、弱さであり、

アダルトチルドレンたちだと、そう、思うのです。


聖書の中では、ほんの短いお話でしかないのですが、

tatsuさんオリジナルの、このマグダラのマリアに、

この頃の私は、ずいぶんと救われました。


物語は、人を癒す力を持つこと、

信仰は、人を強くすることを、

許すこととは、どういうことか、

それらを、この圧倒的な、慈愛の物語で、

追体験して、知った時でもありました。



「さあ、行きなさい」


この力強い、言霊の力に、浄化されていきました。


そして、さらに、次回アップする予定の(2)において、

>「私は、あなたの罪を許します」

という、イエスの言葉に、打ちのめされるように、

ぼろぼろに、泣き崩れてしまったのでした。


ワタシの罪を許すことのできる、あなたは、ダレ?

根源的な問いが、

私の、心の奥から、湧き出てきたのを、今でも、鮮やかに、覚えています。

その問いは、疑いではなく、暖かく、やさしく、穏やかに、

確信をもって、私の中から、現れたのでした。


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【エクササイズ物語】26.物語 PART(1)
2008-12-07 Sun 02:08
物語を書く  

              
第1部

むかし、むかし、まだ、人間界に、魔法があった頃のお話し。

海辺の小さな漁村に女の子が、住んでおりました。

少女の名前は、イシュ。

この世界では、人の子供には、生まれてすぐに付けられる「通り名」と

後に15歳になると付けられる「真実の名」の二つがあった。

15歳に成長した子供たちは、「聖霊の祝福」を受け、

自らの聖霊により、もう一つの「真実の名」を告げられることになっていた。

人々は、「真実の名」を、その生涯を終わるまで、決して口外することはなかった。

なぜなら、「真実の名」は、時折、悪しき妖魔たちの極上の餌食になるからだった。

「真実の名」を奪われてしまうと、人は、正気を失うか、死んでしまうと、

まことしやかに、噂されていた。

時折、大人たちは、子供たちのベッドの傍らで、

名前を奪われた人々の恐ろしい話をきかせては、

子供たちを布団の中で震え上がらせた。


さて、イシュの父親である漁師サウルは、

毎夜のごとく、仲間たちと酒を飲み、

そして、機嫌良く帰宅した後、

妻のハンナが、どんなに、愚鈍で、気が利かない女か

時には、言葉で、

時には、暴力で

虐げ、服従を強いるのだった。

サウルは、それが、家庭での、夫たる自分の仕事の一つだと思っていた。

ハンナは、夫から、自分が犬猫と同じように扱われることに、

表面は、屈伏しているかのように装っていた。

しかし、彼女の深い怒りは、

サウルに似た、娘のイシュに、向かった。

ハンナは、あまりに自分が不幸だと思っていたので、

イシュを愛することができなかった。

また、夫に似ていたイシュは、

母親に、愛情を込めて、抱かれることもなく、育った。



しかし、サウルは、時折、漁が上手くいくと、

気まぐれに、イシュに、小さな銅貨をくれた。

イシュには、そのサウルの気まぐれの意味が、

さっぱり分からなかったけれど、

気まぐれが、変わらないうちに、

銅貨を、あわててポケットに隠すのが常だった。

サウルは、そのイシュの、おどおどした、

子どもらしくない、しぐさを見るたびに

舌打ちをしながら、

不機嫌になるのだった。

イシュには、サウルの、機嫌が変わる瞬間が、

手に取るように、読めた。

それは、背筋が凍りつく瞬間でも、あった。

母親のハンナは、サウルが、横暴になり、ハンナを殴るたびに

イシュに言った。

「オマエが生まれて来さえしなければ、私は、あいつと別れられたんだ」


イシュは、母親から、そのたびに、自分が生まれてきたことをひどく後悔させられた。

サウルから、殴られたハンナの体の傷をみるたびに、申し訳ない気持ちで、

心がいっぱいになった。


そして、イシュは、笑わない子になっていった。

しかし、それは、イシュの責任では、なかった。

イシュは、まだ子供だったのだから。



ある朝、サウルは、仕事で海に出た。

前日の夜、村の長老によると、嵐がくるので、

その日、村人が漁船を出すことを禁じたはずの日だった。

しかし、ハンナは、前の夜、サウルから、しこたま殴られたことを根に持ち、

夫への腹いせとして、その知らせを、酔いつぶれて寝ているサウルに伝えなかった。

イシュは、その知らせを、知っていたが、ハンナに口止めされていた。

そういうわけで、サウルは、その日の朝、快晴の海へ、一番に、船を出した。


ところが、船出をして数時間たつと、嵐の雲が広がり、

長老の予言どおり、やはり、嵐となった。

小さな船は、木の葉のように、風にゆられ、波に翻弄され、

ついには、サウルを荒れ狂う海の中へ、放り出してしまった。

サウルは、必死で助けを呼んだ。

そして、肺に水が入り込み、力も尽きて、意識が次第に薄れゆこうとしている時、

ふいに頭上から声がした。

「助けを呼んだか?」

視界におぼろに黒い人影らしきものが見えた。

「助けてくれ!助けてくれ!」

父親は声の主が誰とも分からず必死で叫んだ。

声の主は、人の姿をした美しい妖魔だった。

「では、オマエの真実の名を。」

と、妖魔は、暗い抑揚のない声で言った。

嵐の中でも、妖魔の声は、サウルの頭の中に、直接響いてきた。


サウルは、一瞬、間を置いて、ためらったかに見えたが

今の状態から助かりたいばかりに、

「わかった、頼む、早く助けてくれ」

と応じてしまった。

妖魔は、ほくそ笑み、かくして、サウルは、浜辺に引き上げられた。

そのとき、はじめて父親は、

大変なことをしてしまったことに気づいた。

「ちょっと、まってくれ」と言いながら、頭の中で、考えをめぐらせた。

サウルの恐怖を楽しむように、妖魔は、ほくそ笑んだ。

そして、サウルは、後戻りできない後悔の涙を流した。


妖魔にとって、これは楽しいゲームにしか過ぎなかった。

「では、おまえの娘の名を」

妖魔は、サウルの顔をのぞき込み、

さらに冷ややかに、そして、からかうように、言った。

しかし、イシュは、まだ、今年6歳になったばかりで、真実の名を持たなかった。

「15歳のときに。それまで待っていよう」

サウルは、数十年後には、もう妖魔もあきらめてくれるのではないかと期待した。

「わかった。そうしよう」

浅はかな考えで、父親は、そう了承した。

妖魔の数年は、人間の数百年に、相当する。

彼らにとっては、待つことなど、なんの苦にもならなかった。


妖魔は満足そうに表情を浮かべ、次の瞬間、空中に掻き消えてしまっていた。

サウルは、しばらくすると、夢だったのだろうか?と思うようになった。

夢だったのかもしれない。いや、きっとそうだ。

そして、そう思うことにした。

しかし、数日後、嵐に壊され、浜辺に流れ着いた船の板片を

発見したサウルは、全身が凍りつくような現実を味わった。

しかし、それも、やがて、酒の力で、数週間で、

サウルの中から、きれいに、かき消えてしまった。


(次回へ続く)
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【エクササイズ物語】25.私の物語
2008-11-19 Wed 00:00
学童期インナーチャイルドを、やり始める少し以前のことです。


ブラッドショーのテキストによります。


◎神話またはおとぎ話を書く or 手紙を書く


新しい技法で、パワーのあるエクササイズを紹介します。

それはあなたの子ども時代についての神話やおとぎ話を書くことです


もし、これまでの方法が、

あなたにとって特に良い効果があると思われるなら、

手紙の形式を続けてください。

前章でしたように、三通の手紙を書きます。

一通は学童期のあなたへ、

二通目は学童期のあなたから現在のあなたへ、

三通目は親や教師へ、

自分がして欲しかったもので彼らに要求しなかったことを伝えてください。


あなたの神話やおとぎ話には、

学童期のあなたに最も強い影響を与えた出来事が集約されます。

神話やおとぎ話の良いところは、

それらがあなたの論理的な脳、思考する脳に近づくことができることです。

あなたの物語は、

動物に関するもの(お母さん熊とお父さん熊)、

神に関するもの、

王様や女王様に関するもの、なんでもいいのです。


物語には二つのパートが必要です。

パート1は「むかしむかし」で始まり、ある出来事を選んで書き、

トラウマがいかにしてつくられたかに焦点を当てます。


パート2は「そして彼(彼女)は成長し」で始まり、

トラウマが後の人生にダメージを与えたことに焦点を当てます。


あなたの生涯の中で、

印象的で目立ったトラウマ体験の出来事を思いつくことができなくても、

心配しないでください。

あなたは慢性的に憂うつで不安な子ども時代を過ごしたのかもしれませんし、

あるいは何をしても無視されていたのかもしれないからです。


一度自分の物語を書き終えたら、

援護者に読んで聞かせることはとても大切なことです。

この物語は見捨てられたときのあなたの感情に、

あなたが触れることを助けます。

そしてまた、あなたの満たされていない依存欲求と、

これまでの人生の出来事との関係をみる手助けともなります。


「アダルトチャイルド」をとらえるにあたって、

何が私たちにおこったかということが問題なのであり、

「本当の自分とは何か」ということが問題なのではない、

ということを理解した時、中毒性の恥は癒されるのです。


私たちがまだ満たされていない子ども時代の欲求を、

どのように行動化しているのかを知ることは、

中毒性の恥を減らす助けになります。


もし、パートナーと一緒にエクササイズしているのなら、

交代でお互いに読んでみましょう。

あなたのパートナーが自分の物語を読んだら、

あなたがどう感じたかをパートナーに伝えてください。

それが適当だと思えば、パートナーを抱き、優しくしてあげてください。


グループで行っているのなら、

グループの前で各人が自分の物語を読みます。

読み終えたら目を閉じ、

グループの人たちが心で感じたままをその人に伝えます。


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という、エクササイズの章があります。

ブラッドショーの本は、一昔前の翻訳ですし、

あまり、インナーチャイルドに詳しくない人が、

翻訳したであろうことから、

「中毒性の恥」と表現されていますが、

これは、たぶん、「しがみついているもの」

または、「まちがった思いこみ」、あるいは、「執着」だろうと、思われます。




Tatsuさんとも相談した結果、

私は、現代風に書くよりも、おとぎ話風に書く方が、

合っているだろうと、アドバイスされ、

これによって、物語を書くはめに、なりました。

といっても、とても、楽しんで書かせていただきました。


次回は、その私のファンタジー物語の「パート1」を

数回にわけて、記事としてみます。

物語は、心に浮かんだものを、一気に書いたものです。

あまり、考えたりして書いていません。

そして、今、読み返すと、やはり、無意識が、物語にしっかりと、

出てきてます。


昔からある、おとぎ話というものも、

きっと、深層心理的なものが、隠されているんだろうなあと、

思ったりしました。


ほんとは、短くてもいいんです。

でも、私のは、長くなっちゃいました。



そして、「パート2」は、実は、まだ、頭の中です(笑)

でも、最後のビジョンは、しっかり、見えていますので、

大丈夫です。


当時、どうしても、このパート2が書けませんでした。

表面の意識が邪魔をして、物語のための物語になってしまうのです。

お蔵入りした物語は、数しれず・・・

でも、無理やり、作ったような物語ではなく、

自分の中から、ビジョンとして、自然に湧き出るものを文字にして、

書き写すことが、

このエクササイズの趣旨だと思い直したとこから、

もう、一年以上たちました。

今、やっと、その時期がきたのだろうと、思っています。

これらの物語が、癒しを促したのか、

それとも、傷が、癒されたから、書けるようになったのか

それは、今でも、よくわかりませんけれど、

どちらでも、いいことだと思っています。


恐らく・・私は、残された、最後の物語を終わらせ、

そして、Tatsuさんと共同で、はじめた、

インナーチャイルドのエクササイズを終わらせるために、

これらの、インナーチャイルドエクササイズ物語を、

ここに、書きはじめたのだろうと、

今、そんなことを思っています。


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【エクササイズ物語】24.瞑想と乖離とグランディング
2008-11-18 Tue 00:00
学童前期が終り、学童後期のインナーチャイルドに突入しました。

いつものように、その頃の家庭環境を書き出し、

インナーチャイルド瞑想へ入りました。

学童後期といえば、小学生~中学校あたりです。

子ども時代では、一番、多感な時期でもあり、

しっかりとした自我が芽生える頃です。


このころ、私は、一度、引っ越しを経験しています。

自営業が、不況で立ち行かなくなり、

父親が事業をたたんで、父方の実家の近くで、

祖父の事業の手伝いをすることになりました。

学校も変わり、環境も変わり、

そのころ、今の閉塞した生活を壊したくてたまらなかった私には、

一つの希望のようなものもありました。

学校での、友達との別れも、

それほどの痛手はなかったのでした。

私の基盤には、おそらく、友人や土地への愛着というカテゴリーは

あまり無かったのでした。

後に。。数十年後・・・その地を訪れたとき、

すっかり変わってしまっていて、見知らぬ土地になっていました。

でも、かつて、自分が住んでいたそのままの家に、

見知らぬ誰かが住んで、生活していたことに、妙な感じを受けました。

まだ、柱に、こっそり書いた、落書きが・・・あるのかもしれません。

辛かった場所。

さびしかった家。

無くなった故郷。

それでも、私は、ここで暮らして、いた。

どれもこれも、私には、

夢のような記憶になっていました。

しかし、このような表層の意識とは、別に、

私は、失うことの悲しさを無意識に、しっかり、心に刻みつけていました。

子ども時代を、失うということの悲しさを、

かつて、住んでいた家を眺めながら、

当時は、感じなかった、涙を禁じえませんでした。





当時のメールより~(りんりん→Tatsuさん)


昨日から、学童期の瞑想を始めましたが、

学童期のチャイルドから、

無視(素通り)されている気がするのです。

たぶん、学童期が、初めてなので、

感覚がなじめないのかなと、思っていましたが。

今日、もう一回やってみて、

学童期のりんちゃんは、人の言葉や姿が

全然、目に入っていないし、聞こえてないみたいです。

気づいていないと言った方が正解かもしれません。

でも、ちゃんと、普通に生活しているように見えます。

学校へも行ってます。

でも、霧がかかったように、何だか、ぼんやりしてるんです。

自分の世界に入り込んでいるような感じです。

かなり、違和感があります。


このころ、私には、かなりの空想癖がありましたから。

いつも、空想の小人さんや生き物たちと、おしゃべりしたり、

(危ない人ですねえ・・・笑)

自分で物語を作ったり

おとぎばなしの本を読んでは、その世界に浸っていました。

空想と現実の境目が、はっきりしていない感じです。


前回と違って、閉じこもっていないだけ、ましなのですが、

悲しい感じでも、怒っている感じでもないし、

ただ、ぼーっと、夢見ているような感じがします。

かといって、感情が全く無いというわけでもないようなのですが。

つかみどころが、無い感じがします。



確認の言葉も素通りしてます。


そして、この頃です。

自分の本当の姿は、電信柱のような姿なのではないかと思っていたのは。

(電信柱というのは、自分が、この世界では、本当は異形の姿で
 まわりの人は、それを私には、隠しているという、感覚でした)

この夢見るチャイルドの対処法を、ヒントを頂けたら、助かります。



話は、少し、それます。

このころから、割と本格瞑想を指導してもらい、

満月瞑想をはじめていました。

満月瞑想は、もともと、仏教において、

野外で修行していたブッダの弟子たちが、

夜、月の光を浴びながら、

月に心を合わせて、瞑想をはじめたことから、そう、

呼ばれるようになったようです。

丸い満月のような光を、

自分の中に、入れて、

全身に光を通していく瞑想ですが、

この瞑想は、自分が、本来は、光の存在なのだと、

いうことを、思い起させるような、

そういう、幻想的な瞑想です。

いろいろな流派があるかと思いますけれど、

「軟酥(なんそ)の法」という、白隠禅師の有名な瞑想の延長として、

満月瞑想を行っていました。

この満月瞑想は、今でも、大好きな瞑想法です。

ただ、瞑想というものは、

危険度もかなり、あるということを、

Tatsuさんも、何度も繰り返して言っておられました。


乖離について


アダルト・チャイルドたちは、

極度な虐待状態に置かれる中で、

5感を切り離すことで、

5感からくる痛みを避けることができ、

サバイバーとして、生き延びることができたわけですが、

目に見えない「意識」の世界には、

「意識」の世界の方にも、また、危険の要素があったわけです。

(乖離については、後の方に、説明を入れています)
なので、

エクササイズをすすめるに当たっては、

まず、「グランディング」によって、

「瞑想状態」あるいは、「解離状態」と、

「現実状態」との切り替えができるようになること、

これが、まずは、大切なことです。


そして、これが、意識的にできるようになったら、

今度は、「瞑想状態」で、

「特定の波長」を出せるようにしていかなくては、

いけません。


心から出している波長によって、

その波長に応じたものが、感応してくるのです。


そのために、今回のようなエクササイズを行って、

潜在意識の奥底の記憶までも、

クリーニングしていく必要があるわけです。


クリーニングが終わるまでは、

その過去に記憶に焦点を当てることで、

そのときの感情が甦るため、たしかに、辛いと思います。

これは、残念ながら、避けられない・・・

しかし、その記憶や記憶にともなう感情が、

「抑圧」されているために、

現在の生きづらさが続いているわけですから、

これは、膿を出す作業だと思って、

耐える必要があると考えています。


そのときの疲れを最小限にとどめるためにも、

瞑想に取り組む時間を区切り、

それ以外の時間を「グランディング」で、

意識を現実に集中して、

現実生活を乗り切って欲しいと思います。


「特定の波長」というのは、

高い波長、精妙な波長、良い波長、

という意味です。

その思いは、「感謝」に代表されます。

「愛」です。

「思いやり」

「謙虚さ」

「慈しみ」

「信じる心」

「理解する心」

「やさしい心」

「おだやかな心」

・・・

そういったことですね。


日常的にも、

良き言葉の、アファメーションによって、

良い波長で過ごすことを心がけてください。

「ありがとう」

や、

「これから毎日あらゆることがいっそうよくなる必ず良くなる」

などの言葉を心の中で、あるいは、

口に出して唱えるというのは、そのために有効な方法なのです。


「日常生活の波長」

「潜在意識の波長」

この心のすべての波長を、美しい波長にしていくことが、

最終の目的です。


そうすれば、「瞑想状態」であっても

悪い、低級な念波は受けません。

そして、むしろ、

美しい心の波長は、

美しい霊的世界に通じていきます。


それこそ、天使の世界です。


瞑想状態の中で、

非常にあたたかい、やさしい、

今まで、ずっと、あなたを見守ってきた、

霊的な存在の臨在を感じるときが、

近い将来にきっと来ます。


それまで、かんばってほしいと、

切に切に願っています。




瞑想をするにあたって、

落ち着いた環境と、

日頃の心の向け方は、非常に大切だと、

私も、思っています。

また、現実の辛さよりも、とにかく、

今、この瞬間の一秒、一秒を乗り切るという気持ちに、

方向性を向け、前だけを向いていようと、努力していました。


ただ・・・、やみくもに、瞑想するのは、お勧めしません。

というか・・・危険です。

かつて、瞑想によって、

邪なものたちに、心を奪い取られた方も・・・

おられました。。。

ただの、一点のこだわりが、次第に広がって、

疑惑になり、不信に変わり・・・。

そのような事も多々起こるということも、覚えていて欲しいのです。


余談でした。


次に、乖離のメカニズムについて、資料より、

抜粋しました。


インナーチャイルドの癒しより

●解離はどのように起きるのでしょうか

解離はかなり予想できる方法で起きます。

私たちは解離するために自分の体を使います。

怖がっているか驚いたふりをしてみましょう。

どうなりますか。筋肉が緊張して、息を止めることが多いと思います。

解離するときは浅い呼吸をするか息を止めます。

息を止めることで、あなたの体は一種のショックを起こします。

筋肉を緊張させてそのまま保つと血流が止まり、感覚を麻痔させます。

あなたが攻撃を受けているか、怖がっているとき、

アドレナリンが体中を巡っています。

これも感覚を麻痔させ、体に闘争、跳びのき、凍りつきの反応を引き起こします。


[例]

男の人が、ふいに物かげから出てきたとき、

私は凍りついて、体が緊張で固まり身動きできなくなった。

さわられた途端、まるで急を完全に止めたようになった


●解離と自分自身

あなたは今、自分がいつ解離しているか、わかりますか。

かつて虐待を生きのびるために解離した方法で、

今も解離していることがありますか。

あなた自身で解離がどのように起きるかを知ることができれば、

その対処法を学ぶことができます。

解離しているときに自分がどうなっているかを知れば、

そこから戻るにはどうすればよいかわかるでしょう。

そうすれば、自動的に起きてしまう解離を、

自分でコントロールできるようになるかもしれません。

解離を意識するのに役立つ、いくつかの質問を用意してみました。


・解離しているとき、あなたはどこにいますか。

 何か起きていますか。何か考えていますか。

 自分にどんな言葉かけをしていますか。世界はどのように見えますか。


・解離しているとき、あなたの体に何が起きていますか。

 呼吸に注意を向けることが、よい出発点です。

 あなたの呼吸は浅いですか。息を止めていますか。

 体の他の部分はどうでしょうか。

 自分の腕や足を感じますか。

 背中 に何か感じますか。

 下半身が消えていませんか。

 体のさまざまな部分に意識を向けます。

 体のどの部分が空っぽに感じますか。

 麻摩していたり凍りついていますか。

 居つづけたくないと思う体の部位はどこですか。

・何が解離を引き起こしますか。

 解離をしはじめたその直前まで、あなたの経験をさかのぼることができますか。

 何から逃げたかったのでしょうか。

 はじめのうちは答えることのできない質問に思えるかもしれません。

 しかし、少しずつ気がつくようになるでしょう。

 例えば、匂いや場所、音、しぐさ、動作などが引き金になることもあります。

通常、解離は圧倒されるような感覚や不愉快な感情から逃れることです。

体は、あなたが危険だと、脅威だと思った感覚を覚えていて、

あなたを安全な場所に移そうとします。


しかし、今はもうあなたは大人で、恐ろしいと感じたとしても、

あなたはもう危険な状況にはいません。

こうした気持ちを感じ、これらの感覚に向き合うことが、

癒しや自分の生命を取り戻すことにつながる道なのです。

解離しているときに自分の体に何が起きているのかを学ぶことで、

あなたがいつ、どのようにして意識から離れるか、

そのしくみやリズムを理解することができるでしょう。

これによって、再び意識に戻ってくるにはどうしたらよいかが見えてきます。

すると、解離が起きているのに気づきながら、

どこにも行かないでいられるようになったり、

無意識に解離しかけたとき、それに気づくようになり、

そのままでいいのかどうか、意識的に選択できるようになるでしょう。

●意識を体にとどめるには

・呼吸をするのを覚えていてください。

 怖いときは、呼吸を止めがちです。

 自分の体にとどまりたいとき、

 あるいはいったん離れてしまってから戻る場合、

 簡単で最も基本的な方法は、呼吸することです。

 どこかに行こうとしているときの感覚に注目しましょう。

 一度それに気づいたら、

 下半身、丹田(へソの下)に向けて呼吸します。

 ゆっくり呼吸し、自分に「大丈夫、何もかもうまくいく」といい、

 温かく迎えてあげましょう。
 
 起き上がって、足を大地や床にしっかりつけ、体を動かしましょう。
 
 注意を体の内側に向けます。
 
 体をさすり、感覚を自分のもとに取り戻します。

・五感をフルに活用して、現実感覚を取り戻しましょう


・感情を味わうよう心の準備をしましょう。

 そして、意識を感情に向けます。

 自分の恐怖心やニーズに耳を傾けましょう。

 あなたの気持ちは、どんな状態ですか。

 大きな声で言ってみましょう。

 「怖い!」「寂しい!」。

 何が起きているかを誰かに言う必要がありますか。

 サポートが必要ですか。

 自分に対して、もっとやさしくなりましょう。

 そうすることで現実がより安全に感じられ、そこにとどまりやすくなります。

 信じられないかもしれませんが、

 あなたは恐れ、怒り、悲しみを乗り越えることができるのです。

・考えていることに注意を向けましょう。

 自分に言っているメッセージは、力づけるものですか。

 温かいものですか。

 自分を傷つけるものですか。

 私たちは、しばしば怒り、傷つき、恐れなどの気持ちを、

 避けるために自分に厳しくあたることがあります。

 この自分への厳しさが、解離を引き起こします。

 もし自分につらくあたっていると気づいたら、

 より肯定的な言い方をするようにしましょう。
 
 息をして、「大丈夫だよ。私にはこれができるよ」。

・サポートを求めましょう。

 解離状態とは、とても寂しく孤独な状態です。

 自分に起きていることを誰かに話すことが、

 意識を引き戻す助けになることもあります。

 前もって、安心できる友人に話しておきましょう。

 何が起きたか聞いてもらったり、

 それによってサバイバーは苦しみを超え、

 未来に向けて動き出すことができるのです。




衝撃的な心の傷を「覚えていない」とはどういうことなのかを理解するためには、

先に書いた「解離」の過程を知ることです。

耐え難い苦痛や恐怖、暴力にさらされたとき、

人はその体験から自分の一部を“切り離す”のです。

こうした状況では、脳は通常の働きとは異なり、

生理学的にもまったく違った形で機能します。

心が過剰に刺激にさらされると、

普通のように情報を取り込んだり記憶したりできなくなり、

代わりにこうした体験から意識を切り離すのです。

後になって、そんな記憶の断片が、

視覚的イメージや身体的記憶や感覚、

自分をさいなむ感情や考えとなって起ってくることもあります。

意識を切り離したときの状況は、

さまざまな感情・身体的記憶・音・匂い・視覚的イメージなどが、

断片的な形になって記憶されることが多いので、

それらを起きた順にわかりやすく話すのは難しいものです。

また、逆説的ではありますが、

心的外傷は記憶の喪失や断片化をもたらすと同時に、

断片的記憶を消しがたく心に刻印します。

そのため、自分に何が起きたのかわからないのと同じ理由で、

記憶の断片から逃れられなくなるのです。

どちらの場合も、気が散漫で「心ここにあらず」になったときに、

注意してもらうのもいいでしょう。


戻ってきて。

ここは、とっても安全な場所だよ。

私はず一つと待っているから


あなたは、自分を守る道具として、

解離という原初的ですばらしい方法を身につけました。

でも、他の方法で、ストレスを緩和したり問題を解決する方法を、

学んでいくことも大切なことです。

小さな工夫をしながら、いろいろな方法を学んでいると、

いざというときに、いろいろな手段で対応できるようになります。

“伝家の宝刀”としての解離は、あなたがいつでも使える道具の一つです。

怖がらずに新しい方法を学んでいくことにも、挑戟してみましょう。





私は、いつも生きている実感がなく、

なんだか、自分以外のところで、ぼんやりと時間が過ぎ去るような

そんな感覚を、もっていました。

感情は、あるのだけれど、

なんだか、他人事のようであり、

怒りもあるのだけれど、

それも、なんだか、はっきりしない。

だから、人間関係では、

一体、ここは、怒るべきところなのか、そうでないのか、

いつも、私は、悩むのでした。

自分が、自分の体から、離れてしまっている、それが、乖離です。


この学童期の瞑想では、

それらを身に付けた

チャイルドが、見事に、出現したわけです。


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グランディングの方法

地に足をつけ自分が存在していると感じるためのエクササイズ


 5つあげなくてもかまいません。

気づいた分だけあげてみてください。

 まず、今、目に見える物を5つあげてください。
 
 次に、今、聞こえる音を5つあげてください。
 
 今度は、匂いをかいでみて、今、あなたの鼻に届く匂いを5つあげてください。

 手に塗ったハンドクリームの匂いかもしれません。

 そよぐ風に何かさわやかな匂いを感じるかもしれません。

 洋服からお日様の匂いがするかもしれません。
 
 次は、今、肌で感じる感覚を5つあげてください。

 足の下の床の感じ、鞄を抱える肩にかかる重み、

 まばたきするときのまぶたや、着ている服が肌を包む感じなど、

 いろいろ気づくかもしれません。
 
 そして味覚です。5つ異なった味をイメージしてください。

 たった今、飲んだコーヒーの苦味や、

 砂糖の甘さ、クリームのまろやかさなどに気づくかもしれません。
 
 最後に今、あなたの心がどんな状態にあるか、

 気持ちを表す単語を5つあげてください。

 自分の体と心がちゃんとあなたとつながっていることを感じてください。
 



●グランディングのイメージエクササイズ

 体としっかりつながることで、

 エネルギーが出てきて、

 自分の心のなかを探検していく途中で、

 意識が違うところに行ってしまうことを防ぎます。

 ≪やり方≫

 背筋をまっすぐにして、楽な姿勢で座ってください。

 椅子に座ってもいいし、

 床で座布団やクッションの上にあぐらをかく姿勢でもかまいません。

 目をつぶってもいいですし、

 目をつぶることが安全ではないと感じるときは、

 開けたままでも伏し日がちにしてみるのもいいかもしれません。

 ゆっくりと深く急を吸って、

 10から1までカウントダウンしてみるのもいいでしょう。
 
 呼吸をするたびに、

 ゆったりと、心が落ち着いて、リラックスしてくるのを感じてください。
 
 心が落ち着いてきたら、イメージを使ってみましょう。
 
 背骨の一番下の付け根の部分から、

 木の根のようなものや、長い尻尾でもかまいませんが、

 何か長いものがついていて、

 それが長く伸びて、さらに床を通り抜けて、

 地中深くへとつながっているのを想像してみてください。

 まるで木が根を張るように、あなたを大地としっかりつないでくれます。
 
 次は、そのつながっている部分を通して、

 力強くあなたを応援する大地のエネルギーが届いてくるのを想像してみてください。
 
 大地のエネルギーは、床を通して足の裏からもあなたに届いてきます。
 
 そのエネルギーは、光みたいなものかもしれませんし、

 色がついているかもしれません。
 
 あなたにとって力になるそのエネルギーは、

 やさしく守るようにあなたを包んでいきます。

 体中がそのエネルギーの輝きと色に包まれて、

 染まっていくようなイメージもいいかもしれません。
 
 自分の体が、足の先から頭の先まで光輝いて、

 エネルギーの色になっていくのを想像してみるのもいいかもしれません。
 
 しばらく届いてくるエネルギーを受け取ったら、

 今度は自分にとって必要のない恐れや不安、自分への疑いなどを、

 地中深く伸びている根や尾を通して自分のなかから出していきます。

 それは大地に返り浄化されていくのです。

 いらないもの、苦しいものを体から出していくのをイメージしてみてください。

 新しい、力強いエネルギーをもらい、

 いらなくなったものが出ていく流れをしばらく感じたら、

 ゆっくりと自分の呼吸に意識を移します。

 だんだん今、自分がどこにいるのか思い出していくと、

 周りの音も耳に入ってきます。

 ゆっくりと準備ができたら、

 もし閉じていたなら目を開けて、イメージを終えてください。


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グランディグとは、地に足をつけるという意味ですが、

このグランディングの方法は、まさに、そのとおりのものです。

普通の瞑想は、頭の上から光が、入りますけれど、

こちらは、逆で、足の裏から入ります。



また、そして、現実生活でも、今自分がやっていることに、

集中するということも、大切です。

例え話があります。

Bさんが、電話で、子どもの不登校のことを

相談してきました。

彼女は、将来、子どもが就職して、自立できるだろうかと、

ひどく心配していました。

しかし、彼女の息子さんは、まだ、小学生でした。

私は、数年先のことを考えるより、今、学校へ行けない目の前の子どもが、

どうやったら、元気になれるかと考える方が先だと思うと、答えました。

彼女は、いつも、まだ見ぬ先のことばかりを心配していました。

その先の心配は、無意識に彼女の言葉や言動に、

強く影響を与えていました。

先のことを思い煩いすぎるために、

そうやって、人は、「今」を、生きられなくなってしまうのでしょう。

私にも、そういう、行動パターンが、かつて、多大にありました。


何度でも、言いますけれど、

一日を、一生だと思うくらいに、生きればいいのだろうと思います。

「今」の先に、明日があるのです。

このような、単純なことが、当時、私も、本当に、分からなかったのです。





余談の余談です。

私は、小さい頃から金縛りに、悩まされていました。

寝てると、耳元で、話声がしたり、

誰かが歩いていたり、

のしかかられたり、

妙なものが見えたり・・・

最近では、めったになくなりましたけれど。


息子も、今でも、いろいろ、視えているようです。

今は、慣れたと言いますけれど。

今年、我が家の愛犬が亡くなったとき、しばらく、

家の中を歩き回る、犬の爪音がしたと言います。

実は・・・それは、私も知ってたんです(汗;

今は、まったくしませんけどね。

遊びに来ていたのでしょうね。


息子は、小さい頃から、夜泣きがひどい子でした。

決まって、夜中の二時頃、泣きました。


今、思えば、いろいろな符号が一致します。

これは、母方の祖母ゆずりです。

祖母は、私にとって、魔法使いのような、奇妙な人でした。

禅宗の、とても、信仰深い人でした。

でも、そのお寺の「お札」でさえ、金縛りには、

全く効果なかったんですけどね。

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エクササイズ物語~手紙(アンジェラ・アキ)
2008-11-17 Mon 17:56
BY アンジェラ・アキ
手紙

NH●のみんなの歌で、放送されていたらしいです。

15才の自分が、大人の自分に書いた手紙。
そして、大人の自分が15歳の自分に書いた手紙を
歌にしたものだそうです。

いろいろなバージョンがありますが、
これが、一番、感動させられました。


みんな辛いこと、苦しいこと、
壁にぶち当たることある。


「自分とは何で、どこへ向かうべきか、問い続ければ見えてくる」と
15歳の自分に語りかけている箇所は、
泣いちゃいますね。。。


素敵な歌です。



自分の声を信じて、生きて、生きて、生きて、

今を生きていきましょう。

.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+。.:*・゚+。.:*・゚

*このように、
大人の自分から、子供の自分へ
手紙を書いてみると、
自分を支える一歩となるでしょう。

そして、子どもの自分の気持ちになって、
大人の自分へ、手紙を書くことも、
癒しへの一歩となるでしょう。

時代は、どんどん、
深化してきていることを、
ひしと感じさせる歌でした。

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【エクササイズ物語】23.I am GOD'S CHILD
2008-11-17 Mon 10:21
鬼塚千尋ライブより

突風に埋もれる足取り
倒れそうになるのをこの鎖が許さない
心をあけわたしたままで
あなたの感覚だけが散らばって
私はまだ上手にかたづけられられずに


↑これは、ライブ盤では、特別に最初に、
加えられた歌詞だと思われます。

ACに例えると

今まで、親のしがらみに、からみつかれて、
辛くて辛くて身動きができない。
その感覚をひろい集めて、
ひとつひとつ、「これは、私の感覚」「これは親の感覚」と
ふるいわける癒しの工程を
うまく、表現しているなあと、感嘆させられました。


I am GOD'S CHILD
この腐敗した世界に堕とされた
こんな場所でどうやって生きろと言うの?
こんなもののために生まれたんじゃない


理由をもっとしゃべり続けて
私が眠れるまで

効かない薬ばかり転がっているけど
ここに声も無いのに、
いったい何を信じれば?

最後になど手を伸ばさないで
貴方なら救い出して
わたしを静寂から

時間は痛みを加速させて行く



こんな思いじゃ
どこにも居場所がない

.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+。.:*・゚+。.:*・゚



著作権の関係で、省略しています。

かつて、この歌を最初に聞いたとき、
私の中の時間が止まりました。

救いを求める思いが、切々と流れてくる。
やがて、歌と、私の心が共鳴する。

しかし、救いがある。

I am GOD'S CHILD

(私は、神の子)

そういうフレーズが、曲の中に、
何度も何度も、入り込んでくる。

今、新たに聞きなおしてみる。

「何を信じれば・・・」

そう、救いもなく、荒野にひとり立ちつくしながらも、

「こんなもののために生まれたんじゃない」と、


その怒りは、自分の中に住まう神からの思い。

自分の中に神を見出し、より深く、深く・・・

一層大きな、神に出会う。


私の瞑想の旅は、そのようなもの。



今日は、歌紹介で。

.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+。.:*・゚+。.:*・゚

中島みゆき

宙船

その船をこいでゆけ
おまえの手でこいでゆけ
おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをまかせるな

.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+。.:*・゚+。.:*・゚


銀の龍の背に乗って
「Dr.コトー診療所2006」の主題歌です
作詞・作曲 中島みゆき



あの青ざめた海のかなたで今、
まさに誰かが痛んでいる
まだ飛べない雛たちみたいに
僕はこの非力を嘆いている
急げ悲しみ 翼に変われ
急げ傷跡 羅針盤になれ
まだ飛べない雛たちみたいに
僕はこの非力を嘆いている

夢が迎えに来てくれるまで
震えて待っているだけだった、昨日
明日、僕は龍の足元へ崖を登り呼ぶよ 
「さあ、ゆこうぜ」

*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆*:゚・:,。*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○



いつか、いつか・・・

痛みが羅針盤に変わる。
悲しみは、翼に変わる。
誰もが持ってる、銀の龍。

いつか、必ず、たちがる。


そう信じて・・・、自分を、信じ続けることが、
生きる力であり、自己肯定。

これさえ、あれば、
きっと、生きていける。

子どもも、きっと、そうだ。


当時・・・そんなことを、歌で励まされ、

思っていました。



今も、ちょっと、辛いときは、
中島みゆきさん
平原綾香さん
鬼塚千尋さんの歌は、
私のエネルギーなのでした^^
彼らは、歌手というより、歌姫ですね。

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【エクササイズ物語】22.守りの方々のエピソード
2008-11-13 Thu 00:00
当時、瞑想するにあたって、私自身を守ってくれた存在は、

ビューテ、アントニー、それから、3歳のチャイルドと、Tatsuさんのチャイルドでした。

他に、もうひとつ、特筆すべき存在がありました。

白いオオカミでした。

この狼は、私が小さい頃、自分で作り上げたものだろうと、

私自身思っています。

自分を分裂させた結果、

自分の「良心」を、狼という、姿に作り替え、

自分と分離させ、

守っていたのではないかと、思っています。

この狼の存在は、小さい頃、私の想像遊びや、

夢想しているときに、よくでてきました。

私の一番の慰めであり、友達でした。

話しかけたり、会話をしたり、一緒に遊んだりしていました。

かの狼は、後に私と統合される存在ですが、

そうやって、私は、自分の心が壊れることから、

守り続けてきたのでした。



そして、エピソードが、もうひとつ、あります。

ビューテさんの過去だろうと、思われるのですが、

夢物語として、読んでくださればうれしいです。



彼女は、はるか、大昔の文明で、

下位巫女をして、神殿につかえていました。

しかし、その神殿は、邪教のものでした。

そのころ、文明は、退廃的になっており、

邪教が、正しい宗教をむしばみ、

人々の価値観も、ひどく、乱れ、

ビューテのように、貧しさのために、神殿に、買われていった娘たちが、

たくさんいました。

彼女らは、神殿で、何をしていたかというと、

神に仕えるという名目で、

娼婦のようなことをさせられていました。

その当時、ビューテは、

神殿が、信仰していた、神を、信じてはいましたが、

はるか大昔に、「法」を広められた、伝説となった、偉大な指導者に、

ココロ惹かれていました。

なぜ、それを、ビューテが、知ることとなったかというと、

その神殿に、ただひとり、娼婦である、自分たちを大事に

してくれていた、神官らしき人がいました。

どうも、この人も、現在、私の知ってる人のようです。



これは、私の単なる、憶測ですが、

彼女の時代は、レムリア末期だったのではないかと、

思われるのでした。

そして、偉大な王とは、ラ・ムーではなかったかと、思われます。

そう思うのは、昔から、「レムリア」は、私の郷愁をさそう

キーワードでした。

また、その後、夢で、ビューテとして、存在した「私」は、

津波の前兆のようなものを何回も、経験しています。


彼女の生き方と、当時の私の現実の課題も、宗教がらみで、

符号が一致していました。


前世でもあるようですが、ここで、それを言いきることは、

やめておきます。

自分の中で、確信があれば、

それで、いいことだと思っています。


幾多幾千と、転生し、

その時代を、必死で生きた。

今、その頂点に、今、私が存在する。

出会いを繰り返し、

涙をながし、時には、幸せであったろう。



そう考えると、決して、私は、一人ではないし、

孤独でもありません。

いつも、誰かに、助けられ、守られてきました。


そうして、生命の車輪(アリアンロッド)は、まわっているのでした。

過去の夢は、そういうことを、

私に語りかけてきました。




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【エクササイズ物語】20.恐怖に、逃げるチャイルド
2008-11-11 Tue 00:00
学童前期のインナーチャイルド瞑想の続きです。

さて、日をおいて、瞑想再開しました。

チャイルドは、どこ?

・・・・

「怖い、怖い」という意識の声が聞こえてきました。

なにかに、おびえているようでした。

そして、呼びかけても、木の陰に隠れて、出てこようとしません。

よく見ると、チャイルドの足もとに、

黒い、ノミのような生き物が、

キーキーと声を発して、うろついています。

形はノミですが、猫くらいの大きさは、あるようです。

大人の自我の私は、怒りが込み上げてきて、

思いきり、「それ」を、叩きつぶしました。

妙な生き物は、地面に吸い込まれるように、消えていきました。

邪気だと、感じました。

今まで、チャイルドとつながっていた、もののけのようでした。

宿主を取り戻そうと、やってきたのでしょうか。

チャイルドは、パニックを起こしていました。

立ち上がると、ぴょんぴょんと、四足の獣のように跳ね、

ものすごいスピードで、その場から逃げだしました。

私の声も、認識できないでいます。

これは、恐らく、感情を制御する機能の暴走を意味しているのだろうかと、

思われました。

チャイルドが、恐怖で、暴走するということは、

大人の私が、時折、感情を、爆発させ、コントロール不能に陥る状態の

象徴的な、姿のようでした。


気が狂ったように、暴走するチャイルド。

私は、追いかけてみました。

しかし、どこまで、いっても、追いつけませんでした。


熱い熱い、乾いた砂漠にたどりつきました。

チャイルドの小さな点が、確認できました。

待ってるわけではなく、まだ、逃げ続けているのでした。

一体、どこまで逃げる気だろう。。。


ただひたすら、チャイルドをを追いかけるしか、能がない私。

ここは・・・・

やがて、険しい山がつづく、雪山に到着・・・。

熱いところから、一転、寒い、凍りつくような場所でした。

荒涼とした砂漠も、人っ子ひとりいない、雪山も、

象徴としては、非常にわかりやすい心象風景でした。


地球を一周したような気分でした。



とうとう、暗い、森の中で、夜になってしまいました。(瞑想の中です)

途方にくれてしまいました。

チャイルドは、すっかり、森の中に隠れひそんでしまったようでした。

空を見上げると、きらめく星がちらばっていました。

へとへとになっていましたが、少し、歩くと、

森の中に、かすかに、灯りが見えました。

それを頼りに、方向を定め、歩いていきました。

近づくと、誰かが焚き火をしていました。。。

(なんでしょうね、このシチュエーションは・・・)

もっと、近づくと、それは、アントニーさんでした。

アントニーさんは、わたしを見て、笑い、

「追いかけても、つかまえられっこないよ」と言います。



ここで、私は、チャイルドにあてて、

自分の今の気持ちをチャイルドに向けて、発してみました。




~チャイルドへの手紙~

ちいさな、りんちゃん

きのう、大きな声で泣いていた、小さな、りんちゃん。

りんちゃんの悲しみは、よくわかったよ。

りんちゃんが、かなしいままでいると

わたしも、かなしくなるよ。

だからね、りんちゃんのことをもっと、知りたいの。

たくさん、お話ししたいの。

そして、思い出そうよ。

ひかりの中にいたときのこと。

あんまり、つらくて、いまは、わすれてしまったんだよね。

でもね、すぐに思い出すよ。

りんちゃんは、あの「約束」をちゃんとおぼえていたじゃない。

くらい地獄につながれていても、

あのやくそくだけは、わすれていなかったよね。

いい子だね。

さあ、ここへおいで。

ここで、待ってるから。

わたしが、まもってあげる。

ここには、あたたかい火があるよ。

いっしょに、おはなししよう。

 
このように伝えると、

森の中から・・・おずおずと、出てきました。

少しは、落ち付いたのでしょうか。

ひどく疲れた様子です。

ああ、また、あの、ノミのような、ごきぶりみたいなものがうろついています。

でも、チャイルドには、なぜだか、近寄れないみたいです。

チャイルドの、ワンピースのポケットが、闇の中で、ぼーっと、

光っています。

私が、そこに目をやると、

チャイルドは、気がついたように、ポケットに手を入れて、水晶を出しました。

アントニーさんから、もらった水晶玉です。

ポケットから出された水晶は、一層輝きを増し、

激しくきらきら輝いていました。

闇を切り裂くような光に、いっせいに、

あたりが明るくなったほどです。



もののけが、大急ぎで、離れていきました。

悔しがっているような声を出しています。

明かりの中で、よく見ると、

まわりの木の上に、得体のしれないものが、大量にうごめいています。

そして、息をひそめて、こちらをうかがっています。

暗かったので、気がつきませんでした。。。

しかし、こちらに、水晶があるかぎり、やつらは、

近づいてこれないようです。

そういう意味があったんですね・・・守りの水晶。


そして、アントニーさんが、怒ったように、立ち上がると、

アントニーさんの体から、膨大な光が上って、もののけたちが、

アリの子を散らすように、逃げていきました。(ひゃあ)


そして、アントニーさんは、少しはなれて、ぼんやり立っているチャイルドを

軽々と抱えて、ご機嫌の様子で、火のそばにもどってきました。


チャイルド、やっとゲット。


「心配したんだよ。」

そう言いながら、チャイルドをだきしめました。




*いつもいつも、このように、チャイルドとつながることが、できるとは、
限りません。
そのとき、その日の、集中の度合もありますし、
体調や、気分的に、できない日も、多かったのです。

そのときは、自然にまかせて、時間を決めて、やんわりと軽い瞑想で、
穏やかに、日々を過ごしていました。

ビジョンが来そうなときは、なんとなく、その予感がします。
心の芯の部分からの、呼びかけに似たものです。

それよりも、このころから、少し、集中とゆるみの両方を取り入れて、
瞑想だけではなく、グランディングにも、力を注いでいました。

家の掃除をしたり、
自分が、今やってることに、意識を集中させる訓練です。

私は、元来、夢想的な面が、昔からありました。
たぶん、一日、ぼ~とするのは、今でも、大得意です。


しかし、それでは、「今」この時に、意識を持って生きるということが、
おろそかになってしまい、ただの、夢見るおばさんで終わってしまうのも
嫌だったのでした。

「今」の意識を、どこに持ってくるか。
これは、結構、大変な、修行でした。

私は、掃除機をかけていても、車の運転をしていても、
とにかく、心ここにあらず状態が、普通だったので、
今に、心をおくということは、非常に苦痛を伴うことでもありました。

これは、幼少のころ、虐待を受けた子どもに、よく、見られる傾向なんだそうです。

子どものころ、目の前で、直視にたえない、事態が起こっていることがあると、
それから、心理的に逃げるためと、自分の心が壊れないようにするために、
心を、よそに持っていって、体だけ、ここに置いている状態を、乖離(かいり)と、いいます。

生きているのだけれど、生きている実感がない。

子どものころの、そういう生き方は、子どもながらの防衛法でしたが、
大人となった今、このように、「信念」となっている乖離は、
もう、必要ないのだと、心と体に、働きかける必要がありました。

その克服法が、グランディング(地に足をつける訓練)です。

今に意識をもってくる。

今でも、かなり、難しいと感じますけど、

だいぶ、うまくなりました。

「一日一生」とは、うまく言ったものです。


ないですか?

掃除しながら、一年先のことを、考えてたりしませんか?笑

掃除のときは、掃除に集中~です。

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