author : rinrin
ありがとうが、わからない頃【ACの気持ち】
2010-07-29 Thu 00:00
ありがとう が分からない・・・妙な文章です。


【ありがとう】大辞林 「感謝の気持ちを表す言葉」

幼い頃、お年玉や、食べもの、服を親戚や近所の人から、もらったり、
何かしてもらったりしたとき
「ありがとう」を丁寧に、親が代わりに言っていた。
そして、次にくるのが「ほら、ありがとうを言いなさい」などと、
促されて、気持ちがしっくりこないまま、
かつ、とまどいながら、「ありがとう」と言っていた。

言葉に出しながら、気持ちで、しっくりこなかったのは、
ありがとうって、どういう気持ちなのか、わからない
そういう気持ち。

反射的に、「ありがとう」と口に出しながら、
感情がおいついていない言葉は、苦痛。

思春期になり、友達から何かをもらって、
「ありがとう」と言う、その言葉が、
自分が、偽善的であることが、クローズアップされ、
とても苦しくなりはじめた。

偽りながら、言葉を出す自分。

うそつき。

だから、人からプレゼントや、ギブアンドテイク以外のものを
もらうことは、とても苦痛だった。

自分の中の気持ちと言葉のずれを、
友人たちの交流の中に、はっきりと見せつけられる頃・・・

心は、次第にひねくれた。

世の中は、偽善だらけ。
偽善を平気で笑って、喜べる感覚が、
わからなかった。
どんだけ、おめでたいの。
うそつき。
本を読むふりをして、本に没頭して、
本の隙間から、まわりをジッと観察していた学生時代。
みんなが、自分の偽善に気づかないのが、
とても、不思議だった時代。(共有できない孤独感

偽善だと知っていて、使っているのだろうか
それとも、知らないで、使っているのだろうか。
演技だろうか。(捻じれの増幅

本当は、演技なんかじゃないって、心のどこかでわかっていた。

なんと、滑稽なことかと。(傲慢さの形成

本当は、滑稽なのは、自分だと知っていた。

やがて、人と私は、どうやら、違うらしいと気づいていく。
私は、人と違うことを誇りに思うことで、自分を守るしかなくなった。
プライドの形成

私には、わからないことを、やすやすとやってのける人たちが、羨ましかった

そんな、ACの世界・・・、歪んだ場所から・・・、
見た風景は、世界はこんな風に感じる。

自分が正しい場所であり、
まわりが、歪んで見える。
次第に、人から分断されて、ぽつりと1人でいる。
そんな場所に、何十年もいて、
どんどん、世の中の不可思議さが、増大していく。


だって、「ありがとう」の意味する感情が、わからなかったのだから。
暖かさ、感謝の気持ち、相手を尊敬する気持ち
その意味を体感したことが、なかったのだから。
そんな場所が、世の中にあるなんて、自分では知りようも無かった。

暖かな場所でさえ、自分だけの正しい場所から見たら、
すべてが、歪んだ場所にしか見えない頃だった。

歪みの最初の出発点から、そこからねじれが増幅する過程。


「ありがとう」の中に入るには、

言葉ではなく、「ありがとう」の気持ちに、浴びるほどに触れ、

自分の中にあったはずの「ありがとう」の気持ちを引き出して

互いに「ありがとう」と気持ちをつなぐこと。


そして、自分を認める勇気



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欠陥商品
2010-05-08 Sat 20:23
5年前、私は、自分のことを、ブログでそう書いた。

久々にその感覚を思い出しました。



何かが、自分の中には、欠けている。

人間として、大切な何かが欠落している。


ずっと、そう感じていた。

人の喜びを、自分の喜びとも思えず、

人の悲しみに共感することもできず、

子どもに、愛情を示すこともできず、

友達を友達とも思えず、

親から、冷たい子と言われ、



そんな・・・心の空洞を・・・欠陥商品と自分をあざ笑った。





欠陥商品とブログで自分を表現したとき、

どこの誰ともしれない通りすがりの人に

ひどく怒られた。


あのとき、そのコメントを見て

怒りがこみあげた。


「あんたなんかに、私の気持ちがわかるわけがない!」



それは、私をずっと支えてきた、

人をせせら笑う、ねじれたプライド。






しかし、その言葉は、ずっと、私の中に残っていた。


「あなたは、欠陥商品なんかじゃない!

そんなことを言っては、いけない!」


その通りでしたね(笑)

私は、欠陥商品ではなかったですよ、名無しさん。


心を閉ざしていたのは、私の方でした。


それは、今は、ない。。。

というより、別のもので十分に満たされていると

言ってもいいかもしれない。


皮肉なことに、

欲しい欲しいと思っている間は、

得られることがなかったもの。


掛け値なしに、与えたいと思ったときに、

空洞が埋まっていくのを感じた。



見ず知らずの人の言葉が、

怒りとともに、私の中で昇華されたのは、

それから3年後のことでした。
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ハッピーブルーの心【リンク記事の紹介】
2010-03-11 Thu 15:20
今回は、記事リンクのご紹介です。
管理人さんには、快くご了承頂きましたので、
ご紹介させて頂きます^^

>Eggiさん、ありがとう^^

続★おしゃべりワンコの物思い★

管理人は、エッギーさんです。
長年のワンコ友達で、私のHP糖尿病ワンコの掲示板で
知り合った信頼するお友達です^^

今は、お互いの闘病のワンコは、虹の橋を渡ってしまいましたが、
エッギーさんが、犬のブログを作られたころから、
不思議な符号の一致に、気が付きました。

エッギーさんは、ウィーンの凄腕のドッグトレーナーさん(笑)
その犬の訓練(?)の記事を読んでいると、
どうも、日本の犬のしつけ方法と違うのではないか?
そう感じていきました。

日本の犬のしつけ方法は、犬の習性を利用しての、
人間に都合のいい「矯正」なのではないだろうか・・・
そう感じました。

そして、ある時期から、
「犬」を、「子ども」に置き換えて記事を読むと、
すんなりと、意味が合致してくることを発見しちゃいました!

「なんだ、そういうことだったのか~^^」

エッギーさんと、私の伝えたいことは、なんと、
最初から、一致していたことに気が付きました。
まさに、「わんこは、飼い主の鏡」・・・
言いかえれば、
子どもの問題は、親の問題・・・

わんこが何を考えているのか、その気持ちを捉えるとき、
飼い主さんが、「自分の感情を捉える」ことから、
始めなければ、恐らく、エッギーさんの、伝えたいことは、
ただの、方法ややり方としてしか、伝わらないのではないかなあと
そんな気がします。

今現在は、その意味に気付かれて
たくさんの方が、エッギーさんの元に集っておられます。

えっぎーさんが、ブログをはじめられた頃からずっと彼女を、
知っていますが、ブログを見ながら、ペットブームの日本で
どれだけの人が、犬の問題行動に困っているのかを感じます。

それは、恐らく、不登校や引きこもり、あるいは、AC
心に傷を持たれている方の増加にも関係あるのではないかと感じます。

また、さらには、「自分の心を感じる」ということが
難しくなってきている、日本の現状を表しているのだろうと
そんなことを思います。

「知識ではなく、『意識』です」

と言われる彼女の言葉に、いつも頷かされます。
知識や地位、自分の権威をあらわすものは、
確かに、自分を守るものでもありますが。。。
一個の人間として、心や感情には、あまり関係ないもの
かもしれないなあと私も感じます。


この記事には、そういった日本の現状が、愛情深く、
たくさん詰め込まれています。
そして、

エッギーさんが、わが身を削って、
書かれたものだと感じています。


私も、彼女が大切にしているものを、
これからも、共有していきたいと・・・そう思います。

是非、ご自分や、子どもさんに当てはめて、
何度も、何度も、読み込んで頂きたい記事だと思います。
また、コメントに、感想を書いて頂ければ、とても、嬉しく思います。
お待ちしております^^

エッギーさ~ん、鍵付きじゃなくって、
オープンで書いてね~^^うふふふっ(笑)



最後に、ちえさんの記事リンクです。
(ちえさん、事後報告で、すみません^^;)

「楽しく生きたい」

こちらも、合わせて読んで頂ければ、とても、
わかりやすいのではないかと、思いますよ^^
さらに、ちえさんの今後の記事が楽しみです^^
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暖かい記憶が闇を切り裂く【アダルトチルドレン】
2010-01-07 Thu 13:26
私は、生まれてこなかった方が、よかったんだ。

私は、ここにいちゃいけないんだ。

私は、愛される価値なんてないんだ。

私の居場所は、どこにも、ないんだ。

誰も、助けになんてきてくれない。

辛い・・・つらい、つらい・・・暗い暗い闇に心が飲み込まれる。

ひとりぽっち、

ずっと、ひとり・・・。さびしい・・・。

物心ついた頃から、ずっとずっと、そう思ってきました。


心の基盤が、そういう思考回路を作り続けて、数十年。
そこから、果たして、私は回復していけるのだろうか・・・と。
人生を何度呪い、絶望したことでしょうか・・・。


皆さんは、「スーザン」という少女の「セカンドチャンス」というドキュメンタリー映画をご存知でしょうか。(残念ながら、私は、ドキュメンタリーの方は、見たことはなんですが^^;)多くの心理学サイトで紹介されている、有名なお話なのでご存知の方も多いかと思います。
こんなお話です。

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ある病院に、2歳になる女の子(スーザン)が、入院してきました。
スーザンは、2歳だというのに、体重は5か月児。身長は、10か月児なみ。
歩くこともできず、おしゃべりもできません。
検査をしても、何も悪いところは、見つかりませんでした。

あるとき医者たちは、スーザンが病院へやってきて3週間過ぎても
両親が一度も見舞いに来ないことに気付きました。

医者は、スーザンの両親と面談する中で、
スーザンが、2歳になるまで、
両親から、正統な愛情をもらえてないことに、気づきました。

抱かない。
おっぱいも、哺乳瓶を突っ込むだけ。
「おまえなんか、生まれてこなければよかった」
そういう言葉を2年間、浴びせられたスーザンは、
自分で自分の発達をとめてしまったのでした。

この子には、愛情が必要だ・・・
そう考えた医者は、すぐに、病院のすべての看護師を集めて、
その前に、ひざまづいて懇願しました。

「この子にあなたたちの大切な時間を少しわけて欲しい。
一日のうちの6時間でいい。スーザンに、話しかけ、ほおずりし、
愛ある言葉をかけて欲しい」と。

看護師たちは、ローテーションを組み、スーザンに関わりはじめました。
最初は、スーザンは、抱かれることを拒み、顔をそむけます。
しかし、いつしか、無表情だったスーザンの顔に感情が戻り始めました。
歩くこともできなかったスーザンは、自分の足で、病院の廊下を歩きはじめたのでした。

.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+。.:*・゚+。.:*・゚

この文章を書きながら、もうすでに、涙目なのですが・・・(ノ_・。)


さて・・・自分の体に意識をもどしてみましょう。
自分の体・・・手、足、顔、口、耳・・・
身長、体重、小さい頃からと比べたら、私たちはずいぶんと成長しています。
そして、今、ここに、生きています。
子どもがいて・・・愛する家族がいて、ペットがいて・・・
それでも、心に空洞を感じるアダルトチルドレン。
わかりますよ・・・その気持ちは。
私も、ついこの間までは、そうでしたから。

でも、よくよく、振り返ってみてください。
ここまで、自分が成長することができたのは、
スーザンのように、「愛」を誰かからもらってきたからではないでしょうか?
残念ながら、親からでは無かったかもしれません。
大好きだったおじいちゃん、おばあちゃんだったかもしれません。
なんだか、気のよさそうな、隣のおばちゃんだったかもしれません。
いつも、からかわれていたけど、面白かったおじちゃん?
いきつけのお店のおばちゃん、おじちゃん。

それなのに、スーザンのように、顔をそむけてしまったことも、
あったのではないでしょうか。
誰にでも記憶の底には、確かな暖かさが残っている。

だから、今、私も、ここで生きていられる。
そして、あなたも、ここにいる。
それが、事実の証明だと思うのです。

もし・・・闇だけの世界で生きてきたとしたら、
私も、あなたも、きっと、今は、廃人と化しているか、
この世には、もう、いないかもしれません。

暖かい記憶を、私たちは心のどこかに持っていながら、
今まで、支えられて生きてきたことを忘れてしまっているのかもしれません。
いつの間にか、辛いことが多すぎて、辛い記憶ばかりが、外側を覆ってしまったのかもしれません。

人の持つ、暖かい記憶は、闇を切り裂く力を持っていると・・・

私は、今、そう感じています。
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 「自立させない場所」~宗教・セミナー・サークル【AC・不登校】
2009-12-27 Sun 17:13
私自身、ここ10年ほど、ずっと宗教に身をおいてきた。

アダルトチルドレンとして、ひとりで生きていくには、

それが、必要だった・・・としか、今は、言えない。


宗教依存・・・

空洞の心には、優しい言葉、力強い言葉、前に進む力、

自分の背骨となる借り物の力を必要とした。

自分で感じる力を失っていた、あの頃・・・、

強い力に、自分を引き上げてもらわなければ、

生きていられなかった。

自分を越えた力、自分では、コントロール不能な力に人生を翻弄されてきたと思っていたのだから、

自分を越えた力で、自分を正しく、コントロールしようとした。

一時期は、取りつかれたように、生活すべてが、宗教になってしまったこともあった。

思考、行動、言葉が、宗教に影響を受けた。


こういう傾向性は、特に宗教でなくても、現代では、

疑似的なスピリチュアル、小規模のセミナー、母親サークル、

などでよく見られるのではないだろうか。

しかし、次第にその場に違和感を感じた人たちは、概ねだが・・・、

反対意見は言わず、そっと静かにその場を去っていく。

残された人たちは、さらに、結束を固める。

サークルやセミナーで作られた言葉たちは、独り歩きをはじめ、

新たな意味が加えられ、いかにも、斬新であるかのように語られる。

少し前に、とある方の

「ありがとう」

の連発に、幸せへの道だと、多くの人が講演会に殺到し、本が何万冊も売れた。

「ありがとう」・・・昔からある言葉。

それほど、哲学的な言葉でもないのだけれど、

新しい師匠に、意味を解釈され、広められ、多くの人が、「ありがとう」と合言葉のように言う。

一見、無害な言葉のようで、思考力を、奪われていく。

そう見えた。

いろいろな、集まりの中で・・・・

その中でしか、通用しない会話がかわされる。

実は、似たような言葉、言い回しは、過去の名もなき人たちが、語っているものが多い。

問題は、「その中でしか通用しない価値観」に、多大に問題があるところだろうと感じる。

時に、抜けようとする仲間を、涙ながらに説き伏せたり、

落ち込んでいる仲間を癒しの言葉で、守ろうとする。

そこは、とても居心地のいい、ある種、安全な場所ではあるが、

しかし、その世界から一歩出たら、社会では通用しないことは、みんな心のどこかで、知っている。

理論があるようで、ない、あいまい世界。

まことに不思議な世界だ。

その中で、私は、約10年過ごしたのだった。


加えて、子育てサークルの運営者の一人として、

参加者に、「うそ」と「幻想」を、伝え続ける立場に5年いた。

最初は、「私の求めていたものは、これだ」という実にAC的な勘違いに突き動かされて

純粋に、子育てを通じての親育てを伝えていきたいと思っていた。

生の子どもは、置いてきぼりで、理論だけが、先走った。


しかし・・・自分の子どもが不登校になり・・・

自分のウソツキ度と、欺瞞、作られた幻想に、気づかされた。


誰も、自立しないシステム。自律出来ない世界がそこにある。


健全な人には、そのようなシステムがなくても、

自分で自分を構築する力がある。

自分で、悩む力がある。

誰かに、人生を肯定してもらわなくても、自分で自分を肯定できる。


しかし、私などのように、基盤がそもそも、透明で、ゆらいでいるACは、

視野の狭さ、思考の歪み、思いこみの強さで、

人生の途中、どうしても、自分より偉大な何か・・・形のないものでありながら、

形のあるものを、とりこまずには、生きていられなかったのだ。



今、ACから卒業し、

私は対等な対話や、会話の中、記憶の中から、

自分の言葉を引き出せるようになった。

普通の何気ない会話の中から、感動を感じる言葉を

知ることができるようになった。

特別な人の御神託である必要はなく、

誰からか、与えられた言葉も、必要でなく、

意味を一方的に与えられ、解釈された言葉ではなく、

皆が一斉に感動を誘われるものでなくてもよくなった。


自分で、自分の感情を言葉でつむげるようになった。

自分で考え、自分で心を満たし、自分で心を治めることができるようになった。


なぜか・・・?


答えは、簡単だ。


高いお金を払わなくても、言葉をこねくりまわさなくても、

理論で自分を固めなくとも、

真実は、自分の中にあると、知ったからだ。

これは、最強であり、そして、とてもシンプルで、何より、気持ちが悪くない。


今運営している、コミュニティさえ、

いつでも、手放せる用意がある。

大切ではあるけれど、そこにあるもの・・・それだけのことだと感じている。


といっても、信仰的な部分が、全くゼロかと言われれば、ゼロではない。

しかし、それは、人に伝える部分ではなく、恐らく、普通の人が心の奥底に持つ

太陽信仰的な、原始的な信仰と重なりを持つものに似ているのではないかと、感じている。



長々といろいろ書いてきましたが、
今回、最後に、この記事を書くきっかけとなった ぽあんさんの記事を
ご紹介いたします。

「ネットカルトは出会い系と同じ匂い」

実に鋭い視点で書かれた記事で、ぐうの音も出ませんでした(汗;
すばらしい記事だと思います。
リンクの承諾も頂き、今回は、こちらでご紹介できること、嬉しく思います。
ぽあんさん、ありがとうございました。


そして、もうひとつの記事リンクです。
以前、きんたろうさんが書かれた記事ですが、当時・・・まだ、
宗教依存していた私は、読んだとき、かなり落ち込んだ記事だったということを覚えています(笑)
読んで、隙がない文章だったので、逃げるしかない記事だったこと、そのことは、今でも印象深く私の中に残っています^^;

「色々な共依存のかたち【新興宗教・母親のグループ】」

こちらも、記事リンク、承諾してくださって、ありがとうございました。

おふたりの記事をあわせて読んでくださると、より理解が深まると思いますよ^^

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リラックス呼吸法~腹式呼吸と数息観(すそくかん)
2009-12-26 Sat 12:02
いつも、ぐるぐると悩みの多い方・・・
緊張状態でいることが、日常茶飯事の方、
知らず知らず、肩に力が入っている方、
気持ち悪い思考に頭を占領されている方、

そういう方に、多いのが、肩で息をしている状態。
呼吸が浅い状態。

呼吸が浅ければ、行動も、地に足付かず。
なんだか、せわしくしていないと、落ちつかない。
そうして、空まわり。
同時に、頭の中も、ふわふわと、
あっちに、飛んだり、こっちに、漂ったり、
落ちつきがない。
テンション高くて、まわりを振り回す。

足をとめて、しっかり、踏みとどまり

まわりの状況を把握することが、できない。。。


試しに、静かに座って、
自分の呼吸に意識を当ててみてください。

ちょっと、吸って、すぐ吐いて、
そんな、せわしない呼吸ではありませんか?
もし、そうなら、あなたは、もしかしたら
普段の行動は、落ちつくことがなく、
絶えず、しゃべり、たえず、思考が変動し、
せかせかと、焦りによって、動かされているかもしれません。
もしかしたら、相手の姿も捉えられず、
ひとりよがりの一方的な精神状態であるかもしれません。

一般的に・・・
心が穏やかでないときは、
呼吸が浅いと、よく言われます。

人は、緊張したとき無意識に深呼吸をして、自分を落ち着かせようとします。
これは、呼吸を深くすることで、心が落ち着くことを、
経験的に、知っているからでしょう。

呼吸法は、この作用を利用した、訓練法です。
グランディング・・・地に足をつける訓練だと思って頂けたらいいと思います。
深いところで、息をする。

人は、腹式呼吸をすれば、自然と心が落ち着くように、できています。

これらを、習慣づけていくことで、
自分を落ち着かせる、という効用があります。
落ち着いてくれば、今まで、見落としていた、周りの状況も見えてきます。


「数息観」というのは、仏教的な修行の要素を持っています。
自律訓練法や、瞑想的手法を使う前の、ウォーミングアップにもなります。
しかし、今は、心を落ち着かせる技術のひとつとして、
習得されることを、おすすめしたいと思います。


呼吸を意識する・・・
なかなか、難しいことですが、習慣の問題でもあるので、
特に、今、自分との過去に取り組んでおられる方には、
一つの技術として、知っておかれても、損はないかと思います。



.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+。.:*・゚+。.:*・゚


1.へその下3センチぐらいに、「丹田」と呼ばれる、体の中心があります。
 まず、呼吸をするとき、「丹田」に意識を置きます。
 
 そして、まず、息を深く吐くことから、始めます。
 体の中の悪いものを、すべて吐き出す気持ちでゆっくり、細く、長く吐きだします。


2.次に、ゆっくりと息を吸いながら、お腹を意識してふくらませるように、
 鼻から吸って、いきます。


3. そして、息を口から細く、長く、吐きだしていきます。



以上が、腹式呼吸の基本です。


腹式呼吸は、無理なく、自然に出来るようになるまで、日にちをかけて
やってみてください。
最初は、呼吸に意識をすることで、そのぎこちなさで、
パニックになる方もいるかもしれません。
それだけ、自分の内側に、意識を置いたことがないという、
証拠かもしれません。
あまり、根をつめずに、気楽にやることが、長続きのこつかもしれません。
完璧にやろうとしなくても、OKです。


さて、腹式呼吸になれてきたら、つぎは、「数息観」です。




① 呼吸を吸う時・・・1・・・2・・・3・・・で、ゆっくり吸っていきます。 

② 4・・・5・・・で、息を止めます。

③ 6・・7・・8・・9・・10・・と、吐いていきます。


これを2~3回繰り返します。


この要領になれてきたら、次に進みます。



椅子か、床に座り、背筋を、ピンと伸ばしてください。


そして、頭の頂点から背骨~尾てい骨にかけて、金色の糸がまっすぐに


貫いているように、エネルギーを感じてください。


胸の前で合掌、あるいは、手を膝の上に置いてください。


合掌は、手のひらでエネルギーを感じるので、やってみたい方は、試してみてください。


そうして、頭から、体の下へ向かって、順々に、力を抜いていきます。


頭・・・首・・・肩・・・腕・・・背中・・・腰・・・

足・・・つまさき・・・


そして、丹田に意識をおき、①②③の要領で、ゆっくり、頭のなかで、数を数えながら、


腹式呼吸をしていきます。


これを数回繰り返し、終了します。




体から、心へ働きかける、呼吸法、

心の旅を続けるあなたのお役にたちますように。

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【アダルトチルドレン・不登校】心の基盤 8.基盤の状態を図にしてみる
2009-10-20 Tue 11:07
妙な試みをやってみました。
普通の人の基盤のイメージを、図にしてみたら、どうなるだろう??
で、こうなっちゃいました。

イメージ1(普通の人の基盤)
普通の人の意識


ピンク:暖かい記憶・受け入れられた記憶・楽しさ・喜び・信頼・自己肯定
ブルー:心が弱ったとき、疲れたとき、日常の不快・違和感を感じるあいまいゾーン
グレー:落ち込んだとき・苦しいとき・悲しみ・怒り

(あくまで、私の感じたものです。何も根拠はありません^^;)

もしも、ブルーが、発動して、グレーゾーンが、強くなったら・・・
時間は、それぞれの時間が、あると思いますけれど、
ピンクが、ブルーを、治め、
グレーをなだめ、
ピンクの領域が、脅かされることは、よっぽどのことがない限り、
ないのだろうと、思います。
これは、たぶん、大人でも、子どもでも、同じではないかと、思いますよ。

楽しいことを知っている人は、強いんだなあって、思います。


で、これを、AC側からみたら、
とても、ピンクゾーンが、うらやまし~( ̄▽ ̄i||;;)ハハッ
まじで。まぶしすぎて、焼き餅何枚も、焼きました~ってね。

まあ、それで、ピンクゾーンをどうやったら、手に入れられるのか、
私も、本や、心理学を、求めたのでした。


で、次は、これっスね↓↓

イメージ2(AC・不登校の基盤)
ACの記憶


まあ、すごく、アバウトな感覚で、書いてみたので(-_-;)

この、ピンクゾーンが、薄いグレーに隠れているところが、ミソです^^
イメージ1では、境界部分を、明るめのブルーにしましたが、
ACや不登校は、ブルーに、なりきれない悲しさを、表現してみました(笑)

見るからに、重そうですね・・・
重力に逆らえないのは、体重だけじゃなかったんだと・・・
  
イテッ ヘ(..、ヘ)☆\( ̄∇ ̄) ベシッ


で、何を言いたいのかといいますと、
本や、話を聞いて、理論の構築をすること、要するに・・・、
穴掘りと、私は、言いますけど、
どうしても、ACや、過去のトラウマが深い人は、
この、濃いグレーの部分ばかりを、掘ってしまうのではないだろうか・・・
と、思うのです。

先の記事で、穴掘り名人のことを、書きましたけれど、
最近は、ここを、掘っても、余計、黒が、強まってしまうのではないかと、思ったりします。

掘りながら、さらに、自分を傷つけてしまう。
自分いじめの、穴掘りは、エンドレス。

他にも、私のように、宗教的なスピリチュアルな思想を、
いれることによって、完璧な人、すばらしい人に、なりたいような。。。
黒の部分を、完全な、「白」の思想で、支えようと、
することも、あるんじゃないかと思います。(経験済み)
それらも、私には、とても、必要なことだったと、肯定しながらも、
これもまた、

「極」から、「極」の思考回路

だと、認めないわけには、いかなくなりました。

人は、「極」に、いるときは、矛盾と、違和感を、必ず感じているはずなんです。
でも、それを、黒ゾーンで、速攻、抹殺しちゃいます。

違和感を感じることが、もう、辛くてしょうがないんです。


見たくな~~い!ホイ  (ノ-.-)ノ....((((((((((((●~*


辛いのは、なぜ?

過去の自分を、認めたくないもの。。。

今の、汚い自分を、見なきゃいけなくなるもん。。。

私は、間違っていたと、承認しなきゃいけないもん。

それって、今までの、自分が、全否定されるもん。

謝るって・・・どうして、私が、謝らなきゃいけんのさ。

こんなに酷いことをした、あいつらが、悪いんじゃないか。





そんな感覚が、違和感の本当の姿を見せることを、拒否するのだろうと、思います。

私の場合は、違和感を納得させるために、さらに、その言いわけを作らなきゃならなくなりました。

そんな言いわけを、繰り返すごとに、本来のピンクゾーンの上に、

塗り固めたプライドと、偽りを乗せていってしまう。


その繰り返し・・・繰り返し・・・エンドレス・・・

大きくなる、プライド。

大きくなる、自分を取り囲む壁。

余計辛くなる・・・

不登校でも、不登校になる前、なった後も、これを、繰り返していたと思います。


昔は、なんだか、どす黒く、えらそうなことを、言っていましたよ、私o( _ _ )o ショボーン
それらしいことを・・・(笑)

ごめんなさ~い・゜゜・(≧◯≦)・゜゜・
噛みつかれた人・・・たち・・・大変、すいませんでした。(-_-;)
(ここで、謝っとこ・・・)



ピンクゾーンのイメージ

暖かいもの・・・

ふわふわのもの。

やわらかいもの。

うれしいもの。


そんなものが、ピンクゾーンを、育てるんじゃないでしょうか。。。

形や、方法ではなく、

感じるものを、大切に。

方法や、形や言葉に、自分をあてはめることは・・・辛いっす。

だんだん、自分じゃない自分に、なっちゃいます。


私は、だれ?という問いかけ。

自分であること、

そのままであること、

自然であること、

夜があれば、昼があるように、

太陽があれば、月があるように、

嘘があれば、真実があるように、

光と影が、あるように、

二つのものを、自分の中で、統合すること・・・


「私は、私のままでいい」

「自分の人生にイエスを言うこと」



そのとき、この言葉が、理解できるのではないかと、思います。

私の中では、これを、「回復」と、呼んでいます。


*図についての質問が、ありましたら、お気軽にどうぞ~。
お気軽に、お答えします(爆)
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【アダルトチルドレン】心の基盤 7.コップの記憶
2009-10-18 Sun 02:12
今回は、先に、少し説明を入れておきます。
私の子どもが、まだ、小さな頃・・・。
今思えば、私は、いわゆる・・・、神経症的な、「片づけ魔」でした。
少しでも、散らかっていると、無性に腹が立つ。
子どもからは、「捨て魔」と呼ばれていました。

次の文章は、そこから、つながっています。



「そのとき、どんなことが、特に嫌だと感じた?」

「・・・なんだろう・・・」

(その時の感覚を心に思い浮かべる)

当時、子どもは、散らかすものと、分かっていながら・・・、
せっかく私が、整えた部屋を、子どもたちが、散らかし、破壊していくのが、
許せなかった。


「それは、どんな感じがする?」


「・・・縦のものが、横にされた感じ・・・
  心の中が、傾いて、アンバランスな感じ・・・
  グニャっと、歪んだ不快な感じ・・・」


「縦のものを、横にする・・・」

「そう・・・」

「横になるんだ」

「うん・・・」


「縦のものが、横になる」


「・・・・・・」


「横になる」
「倒れたコップ・・・」
 




ああ・・・

頭の中で、記憶がつながり始める。

「ああ・・・それ・・・」

『縦の物を、横にする』という、奇妙な感覚が、
具体的に、形をもち、目の前に現れた。



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思い出した・・・、コップの記憶。

頭の中で、テーブルの端っこに置いてある、不安定なコップがイメージされた。
そのコップを思い浮かべると、
傾いて、グニャリとした、気持ちが収まるところに収まっていない、強い不快感を感じる。
思わず、コップを、テーブルの中心の、安全な場所に、戻そうとしたい欲求。


自分の幼い頃、食事時、コップの水、牛乳、ジュース、みそ汁のお椀を、 
食卓にこぼすシーンが再現される。

叩かれる?
怒られる?
そんなことは、怖くない。
怖いのは、酒の入った父親に、暴れる口実をまんまと、与えてしまうこと。
そして、その後に繰り広げられる、父と母の修羅場。
そして、「自分が悪かったんだ」と、自分を責めることで、
心を納得させる。

その体験の繰り返しが、「縦のものを、横にする」という不快な感覚と
コップが、つながる記憶。

現在の私には、具体的な記憶は、失われ、ただ、不快な印象だけは、「傾いた不快なイメージ」として、刻みつけられていた。

これが、ひとつの、過去の「点」。

それから、数十年を経て、現在に近いところの、私の子育ての時期。。。

「傾いた不快な記憶」が、「子どもが、部屋を散らかす現実」で、自分では、自覚のないフラッシュバックを起こしていたと、わかる。

当然ながら、その再現される不快を、無意識に、避けたいという気持ちが起こる。

だから、私は、子どもが、コップのジュースをこぼしたり、食べ物を散らかすことに、神経症的に監視の目を向けた。

これが現在に近いところの「点」

同時に、たかが、子どもの行為に怒りたくないという理性的な気持ちと、
過去の「傾いた不快な記憶」の葛藤も起こる。

しかし、繰り返される「過去の傾いた不快な記憶」は、理性を押しのけて、強力に発動するのだった。

一般的に、これらを「無意識」と言います。


「不快な記憶」は、「無意識」に過去を再現しながら、自分でも、わけのわからない怒りとなって、放出されていたのが、わかる。

さらに、子どもに怒りをぶつけた後、当然、その罪悪感で、自分が傷つき、自滅させていく、繰り返し。

エンドレスループだね。



それが、私の子育て中に、起こった出来事だったのだった。

過去の「点」と、現在の「点」が、結ばれ、

一体自分に何が起こっていたのか、単純に、理解した。



テーブルの、すみっこに、無造作に置かれた、コップ。

あやうい、バランスで保たれる均衡。

不安。

こぼれた、牛乳。

一瞬にして、壊れることへの恐怖。

間違ったら、次には、大変なことが起こる。


そこから、先読みの不安感にも、つながっている。


ひとつ、点と点が、つながると、安堵していく気持ち。

こんな落ちだったのかあ~・・・と、納得する瞬間。


恐らく、そのアンバランスな、「不快な記憶」は、いまだ、私の中に眠る記憶に、配線を、つなげているのだろう。

反対に、あたたかい記憶も、いつか、見つけ出されることを、記憶の底で、待っているのだろうと感じます。

.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+。.:*・゚+。.:*・゚


今回は、頭の中の流れを忠実に、再現しましたので、
ほぼ、実況中継記事になりました。

文体、かたいなあ~と、思いながらも、そのままアッ~プ!....〆(・ω・` )カキカキ

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【アダルトチルドレン】心の基盤 6.消しゴムの記憶
2009-10-16 Fri 15:05
「好きなものは何?」

「ん~・・・」(わかんな~い)


このような問答を繰り返すこと、何十回・・・。


やっと、出てきたのが、

「文房具!が好きかも。。。なあ」

私は、かわいい小物、ペン、消しゴムを見かけると、つい、買ってしまいます。
そして、娘にあげちゃいます。
(息子は、喜ばないんで・・・)

今は、娘も好みがありますので、治まってしまったけど、
かわいいのが、好きでした。
意味もなく、デコペン買ったり・・・
消しゴム、買ったり・・・

そんなことを、断片的に、思い浮かべていると、

かすかに、チラッ、チラッと、脳裏に、幼い頃の思い出が、蘇ってきた。


来た来た来た、キタ―:.゚ヽ(≧▽≦)ノ゚.:。+


私が小学校低学年の頃・・・色がついて、匂いのついた消しゴムというやつが、流行り出した頃でした。
私の家では、そういう消しゴムは、当然、使わせてもらえませんでした。
消しゴムは、○んぼの、砂消しと、対になっている事務用の消しゴムか、
monoみたいな、正統派な、消しゴム。

色や匂いがついた消しゴムは、不良や、勉強の嫌いな悪い子が使うもの、という決まりごとがありました。(笑っちゃうでしょ)

文房具は、自由に買えるはずもなく、母親が買ってくるのは、変わり映えのしない、事務用品。
子ども心に、期待しちゃうんです。
いつか、色と匂いのついた消しゴムを買ってくれるんじゃないかと・・・
そして、私の期待は、何度も、何度も、果てしなく、裏切られていく。

「欲しかったなあ・・・匂い消し」

友達の消しゴムが、羨ましくて、羨ましくて・・・

色が付いた消しゴムが、欲しいと、訴えたこともあったかすかな記憶も蘇る。
そのたびに、「あんなの、ノートが黒くなるでしょ」と、母から、あえなく却下。


そして、下敷きの記憶。

私に与えられたものは、ピンクか、青色の無地の下敷きだった。
キャラクターものは、買ってもらえなかったなあ・・・
それで自分で、けなげに、無地の下敷きに、マジックで絵を描いた。
当時、TVで放映されていた、ジャングル大帝の絵を描いた。
幼い私は、人と違うことをすることで優越感を得、自分を慰め、満足した。
「これで、いい」
と、記憶の操作を、そこに入れた。

ほんとは、鮮やかな色をした、キャラクターものが、欲しかった。
諦めるために、私は、人と違うことで、かわりに、優越感を得た。
欲しいという素直な気持ちを、勘違いした優越感に、すり替えた。

親に訴えても、無駄だと、失望するまえに、
親と、自分を守るために、思考を書きかえたのでした。

ねじれた、記憶の操作。
悲しい記憶の操作。

それらの、かすかな積み重ねが、
やがて、生きづらさを感じさせる、思考をになっていったのです。

幼い頃、自分を守ってきた理論と思考。。。
幼い頃、ただ、欲しかったなあという素朴な気持ちだったはずなのに。
重なり続けて、失望の数が多すぎて、悲しみと、怒りを心の中に落とし込み、肥大した優越感だけが、残っていったのだね。


からまった糸が解ける瞬間を感じた。


そして、・・・娘が小学生の頃、消しゴム集めをやっていた頃、それに、私も便乗して、バケツ一杯になるほど、買いこんでいた事と気持ちが重なる。

お寿司や、ケーキの形をした消しゴム。
ポケモンの消しゴム。
牛乳パックの形の消しゴム。
色とりどり、匂いも、とりどり。
それは、もう、大量に、ありました。

それらは、私の幼い頃の、やり直しでもありました。
当たり前ではあるけれど、消しゴムを自由に買えることが、ただ、嬉しかったのでした。
娘に喜んで欲しいという気持ちよりも、自分が、癒されたかったのでしょう。

そんな、ささやかな、日常の記憶が、今の行動や思考方法とつながっているんですねえ。

だから、私も、問うてみるのです。
あなたの好きなものは、なんですか?

.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+。.:*・゚+。.:*・゚


次は、コップの記憶です。(たぶん)
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